今、企業では新人社員の引き留めに躍起になっている。
会社ぐるみで、褒めることを奨励、あるいは、飲み会に
参加すれば、ポイントがもらえる仕組み…など、あの手この手
のようである。
しかし、3人に1人が辞めていく。
今、五月病と呼ばれる時期…日本の若者は一体何者なのか。
平成生まれの新人達、彼らは経済の右上がりの社会を知らない。
ゆとり教育で緊張感に欠け、一番多感な年ごろを精神的拠り所を、
何処に求めて良いのか迷った時期を過ごして、
不況で就職も厳選されて選ばれた者しか就職出来ない社会にあって
自分がどう生きていけばよいのか…目標が定められない者が
大半なのかもしれない…。
丁度今から20年前、一人の若者が自殺した。1980年の
バブル突入前の時代…。
尾崎 豊である。当時十代のカリスマ的な人物と標榜された。
しかし、突然一人でニューヨークに…そして突然の死…。
今、彼の生きざまと、彼の残された日記から、あらためて
注目されている。
今の時代とは間逆な陰影をもつ社会にあって彼の持つ繊細なまでの
精神が醸し出す多くの詩は、今も、共通するものが確かにある。
それが心に響くからなのであろう。
「17歳の地図」では、自分がどう生きていけばよいのか、と同時に
「人生は自分のしたいことをする為にある」と叫ぶ…
最後の日記には、自分は決して反逆児でも、カリスマでもない、
自己責任を強く求めているし、そしてみんな今の社会を直視して「壁」
に妥協ではなく、自分自身から進んでそって行く生き方に氣づこう…との
メッセージと解釈するのは、私だけだろうか…。
彼が生きていれば今、40代…、息子と同年代…。
何かを感じてくれているのであろうか…。不肖の息子でないことを
願って…。
人は一人では生きていくことは出来ない…。「人」という字は、お互いに
支え合う象形でもある。お互いのこころと、言葉を大切にした社会であれば
生きる意味が大きく違ってくることは、言うまでもない。
合氣道の創始者植芝盛平翁は、晩年「合氣は愛じゃ…」を口癖に…
合氣道修練者でこの意味を本当にこころと體で理解して、表武出来る
者は果たしてどれくらい居られるのであろうか…。
尾崎 豊の詩と合氣道との節点はここにある…。
2012年05月05日
2012年05月01日
非なる心
悲しみとは、非なるこころがおこすもの、すなわち尋常でない
こころが體を動かし、動かされて、発動するもの…
勝手な解釈をしていることは、百も承知である。
話題になっている「子供の事故」何故こんなに多くそれも
連鎖反応的に起こるのであろうか…
それなりの事由があるに違いない。
さらには、「原発」の必要性についても今こころの中に占める割合は
大きい…
「足を踏まれた痛さは、足を踏まれた者しか分からない…」との言葉が
ある。確かにそうである。私自身、長男を亡くした…。今生きていれば
五十歳に届く年齢…、しかし、私のこころの中では、六歳のまま…。
非なるこころで過ごした数年間は、まさに地獄…
その事実は、まさに多くの試練を与えてくれた…、非なるこころは、
生き方を変えろ、人生を変えろ…、との内なるこころが、吠え続ける…
そうだ「そのことを、最愛の息子が自らの命と引き換えに示唆したのだ…」
と、天の声が非なるこころに夜も昼も間断なく囁く…。
人生が大きく変わった。自らの五十年の歴史を振り返ると、自覚できる。
多くの人達との出会いは、その為に用意されたのと…。
「礼・義・廉・恥」の四惟の教えに生きること。
非なるこころを、心身統一合氣道会二代継承者藤平信一氏が
説く「心を静める」ことによって、非でないこころが
生じてくる…。
そして、そのこころを客観的に観る。
その繰り返しが、スパイラル的に華昇されることが、
運命をかえる…すなわち、立命への入り口である。
今年に入ってから、こころも體も大きく変わりつつある。
合氣武道、身体能力、感受性、予知力、慈愛心…はっきりと
今までとは異なり更に進化している…。
有難い、感謝で一杯である。
話しは変わるが、毎朝、6時半ごろになると、五十メートル離れた
隣家から、洗濯機の音が聞こえてくる…。その音で起きる。
昨日から、畑の草刈り…野蕗が大きくなっている、ノビルも…
今年は鬼あざみが多い…、少し残して、草刈り器を振り回す…。
耳を澄ましていると、パチン・パチンとなにやら爆ぜる音…、
20mほど離れた山の斜面から、何やら家に庭に、屋根に飛んでくる。
拾ってみると一円玉の大きさの茶色い種が落ちている。
パートナーと山へ…、わかった、藤の種。藤蔓についている
硬い二十センチほどの鞘が弾けてその中の種が飛び出してくる音だった。
今年の台湾への指導は、一つの区切りとなると思っている。
八人ほどの参加者になる。今年は、陳さんに託すことも思慮している。
前の田圃の田植えの用意が進んでいる。連休には終わるだろう。
やっと、桜の花が散り終えた…。
剣を鍬に持ち替えて、畑の土おこしを…。
花壇には、パートナーか゜植えたチュウリップが満開…。
寒菊も芽を出して、葉を広げている…。
花みずきも満開…、白檀の氣も芽を吹いた…。
こころが體を動かし、動かされて、発動するもの…
勝手な解釈をしていることは、百も承知である。
話題になっている「子供の事故」何故こんなに多くそれも
連鎖反応的に起こるのであろうか…
それなりの事由があるに違いない。
さらには、「原発」の必要性についても今こころの中に占める割合は
大きい…
「足を踏まれた痛さは、足を踏まれた者しか分からない…」との言葉が
ある。確かにそうである。私自身、長男を亡くした…。今生きていれば
五十歳に届く年齢…、しかし、私のこころの中では、六歳のまま…。
非なるこころで過ごした数年間は、まさに地獄…
その事実は、まさに多くの試練を与えてくれた…、非なるこころは、
生き方を変えろ、人生を変えろ…、との内なるこころが、吠え続ける…
そうだ「そのことを、最愛の息子が自らの命と引き換えに示唆したのだ…」
と、天の声が非なるこころに夜も昼も間断なく囁く…。
人生が大きく変わった。自らの五十年の歴史を振り返ると、自覚できる。
多くの人達との出会いは、その為に用意されたのと…。
「礼・義・廉・恥」の四惟の教えに生きること。
非なるこころを、心身統一合氣道会二代継承者藤平信一氏が
説く「心を静める」ことによって、非でないこころが
生じてくる…。
そして、そのこころを客観的に観る。
その繰り返しが、スパイラル的に華昇されることが、
運命をかえる…すなわち、立命への入り口である。
今年に入ってから、こころも體も大きく変わりつつある。
合氣武道、身体能力、感受性、予知力、慈愛心…はっきりと
今までとは異なり更に進化している…。
有難い、感謝で一杯である。
話しは変わるが、毎朝、6時半ごろになると、五十メートル離れた
隣家から、洗濯機の音が聞こえてくる…。その音で起きる。
昨日から、畑の草刈り…野蕗が大きくなっている、ノビルも…
今年は鬼あざみが多い…、少し残して、草刈り器を振り回す…。
耳を澄ましていると、パチン・パチンとなにやら爆ぜる音…、
20mほど離れた山の斜面から、何やら家に庭に、屋根に飛んでくる。
拾ってみると一円玉の大きさの茶色い種が落ちている。
パートナーと山へ…、わかった、藤の種。藤蔓についている
硬い二十センチほどの鞘が弾けてその中の種が飛び出してくる音だった。
今年の台湾への指導は、一つの区切りとなると思っている。
八人ほどの参加者になる。今年は、陳さんに託すことも思慮している。
前の田圃の田植えの用意が進んでいる。連休には終わるだろう。
やっと、桜の花が散り終えた…。
剣を鍬に持ち替えて、畑の土おこしを…。
花壇には、パートナーか゜植えたチュウリップが満開…。
寒菊も芽を出して、葉を広げている…。
花みずきも満開…、白檀の氣も芽を吹いた…。
2012年04月26日
暖則生
「天地之氣、暖則生、寒則殺。…」
「天地の氣は、暖かなればすなわち生じ、寒くなればすなわち殺す。…」
そして、「故に,性氣清冷なる者は、受享もまた涼薄なり…と続く。
菜根譚の中の一節です。
「天地のはたらきは、春には生み出し、秋冬に殺す。だから冷たい気性の人は
、生活もわびしい。なごやかで親切な人だけが、ゆたかにくらして、他人をも
うるおす。」
山の斜面にはやまぶきの花が咲き、少し遅れで桜が満開…、水仙、レンギョ
チュウリップ、たんぽぽ、チンチョウゲ、ボケの花、侘び助…。
タラの芽があっと言う間に葉を伸ばしている…。
いっきに気温があがって、待ち受けていたように…様々な草が一斉に伸び出した…。
又、雑草との戦いが始まる…。
春は、すべての生き物に新しい命をふきこむ…。そして新しい営みが始まる…。
道場にも、人事異動で去っていかれる方、また、新しく入ってこられる方…
喜悲交々を表してくれるのも又、春である。
しかし、見学にはよく来られるが、なかなか続けられる方は少ない…。
私の塾は、来るか拒まず、去るを追わず、を自然体として懇切丁寧に
心身統一合氣道とは、を説明させていただいている。
親切も時にはあだになるのであろう。
今年は氣をつけていきたいと思っている。
こんな山の中の庵にも、世相のさざ波は伝わッてくる…
常識的に考えても「おかしい」と感覚的に受け入れられないような
判断をする政治家…、
痛ましい交通事故での人の命について何の感情も示さない若者…。
東京の友人とスカイプで話しあう中でも、話題は、、
はたして今の日本人は、百年前と比べてどうなのか…について。
侃々諤々となるが、結論は、「異なってきている」である。
自らの姿勢が、自らの正中心軸が天と地を繋ぐ垂直線とがっちりと
一致している姿勢。すなわち、どんなことがあろとも決してぶれない
姿勢(統一體・胴づくり)を保たなければならない。
「合氣」の基本でもある。いや、合氣だけでなく、政治家も…すべての
者に対して…。
ぶれることは、災いを引き起こすことは歴史をみてもわかる。
武道を志す者は、芯のある、真の人間になることにある。
「髪も歯も抜けて、かりの身はやがてほろびてゆく。鳥や花になって、
まことのわれは長くのこる」(菜根譚)
「天地の氣は、暖かなればすなわち生じ、寒くなればすなわち殺す。…」
そして、「故に,性氣清冷なる者は、受享もまた涼薄なり…と続く。
菜根譚の中の一節です。
「天地のはたらきは、春には生み出し、秋冬に殺す。だから冷たい気性の人は
、生活もわびしい。なごやかで親切な人だけが、ゆたかにくらして、他人をも
うるおす。」
山の斜面にはやまぶきの花が咲き、少し遅れで桜が満開…、水仙、レンギョ
チュウリップ、たんぽぽ、チンチョウゲ、ボケの花、侘び助…。
タラの芽があっと言う間に葉を伸ばしている…。
いっきに気温があがって、待ち受けていたように…様々な草が一斉に伸び出した…。
又、雑草との戦いが始まる…。
春は、すべての生き物に新しい命をふきこむ…。そして新しい営みが始まる…。
道場にも、人事異動で去っていかれる方、また、新しく入ってこられる方…
喜悲交々を表してくれるのも又、春である。
しかし、見学にはよく来られるが、なかなか続けられる方は少ない…。
私の塾は、来るか拒まず、去るを追わず、を自然体として懇切丁寧に
心身統一合氣道とは、を説明させていただいている。
親切も時にはあだになるのであろう。
今年は氣をつけていきたいと思っている。
こんな山の中の庵にも、世相のさざ波は伝わッてくる…
常識的に考えても「おかしい」と感覚的に受け入れられないような
判断をする政治家…、
痛ましい交通事故での人の命について何の感情も示さない若者…。
東京の友人とスカイプで話しあう中でも、話題は、、
はたして今の日本人は、百年前と比べてどうなのか…について。
侃々諤々となるが、結論は、「異なってきている」である。
自らの姿勢が、自らの正中心軸が天と地を繋ぐ垂直線とがっちりと
一致している姿勢。すなわち、どんなことがあろとも決してぶれない
姿勢(統一體・胴づくり)を保たなければならない。
「合氣」の基本でもある。いや、合氣だけでなく、政治家も…すべての
者に対して…。
ぶれることは、災いを引き起こすことは歴史をみてもわかる。
武道を志す者は、芯のある、真の人間になることにある。
「髪も歯も抜けて、かりの身はやがてほろびてゆく。鳥や花になって、
まことのわれは長くのこる」(菜根譚)
2012年04月02日
始動
朝、目覚めるとともに、仏壇の扉を開ける…
小さく鐘を鳴らして、音にのせて…さらに、ローソクの光と線香の
紫煙に乗せて、一日の想いを伝える…
炊きあがった一番のご飯を、水とともに供える…
神棚の水を替えさせていただき、二礼二拍手一礼
これも両手の心に乗せた想いを手を打つ音にのせて、
一日の想いを伝える…
新しい年度の二日目が始まる…
々畑には一斉に草が伸び始めた。
花壇にも様々な花が芽を出し始めた…
フキノトウはすでに花を咲かせて白い胞子を飛ばしている…
ノビルは二十センチにも伸びてきた…
サザンカも満開、紅梅も蕾を開いている。
雪で折れ曲がった枝にも、新芽が出ている…
タラの芽も、コゴミもあと少し…
春の恵みを食するのも今が一番…、
昨夜、東大阪のYさんから電話を頂いた。子供と一緒に
心身統一合氣道を習いたいとのこと。入会の栞を送らせて
頂くことになった。
舞鶴教室にも二名の方から入会の栞を…
既に見学に見えた…。
人事異動で転勤になられる方、又、新しく入門される方…
喜悲交々の四月…。
別れるのは辛い…、会うは別れの始め、と言い聞かせる…
今年も多忙になりそうだ。責任も重い。
2012年04月01日
朱蒙(チュモン)
紀元前108年、今の韓国・北朝鮮の領土が
中国の領土の一部も含まれて広大な領土であったのが
当時の漢により侵略されていた…。
その古朝鮮(この名称も歴史的にみれば不自然さがあるが…)の
領土を取り戻し、侵略され流民となった者を救い出し、
新しい国、「高句麗」を造った歴史上の人物、朱蒙の一生を
描いた物語である。さらには、その妻が二人の息子とともに
「百済」を建国する。
時代考証には、建物の屋根材が瓦であったり、絹の織物で
煌びやかな衣装など、歴史的にみて、あるはずがないものが
あったり、何かと不自然さはあるものの不思議とひき込まれる。
何故なのだろうか。
壮大な歴史観を縦糸として、限られた人物の営み、苦悩、策略、謀略など
を横糸として織りなすドラマ…。
ひとりひとりの上半身、特に顔の表情での演技が大半である…
その演技が観ているものの中に移入してくる…。
どうもその辺に謎がありそうである。
全81話、述べにして81時間。約十日間で観終わった。
国破れて山河あり、との言葉のとおり、一代の英雄からその子へ
と引き継がれていくが、永遠ではない。他国からの侵略に敗れて
又、新しい英雄にとって代わる…。その歴史は、山河のみが知る。
世界の歴史をもう一度ひも解いてみることも又、必要ではないだろうか。
「愚者は経験を語り、賢者は歴史を語る」との言葉があるように…。
中国の領土の一部も含まれて広大な領土であったのが
当時の漢により侵略されていた…。
その古朝鮮(この名称も歴史的にみれば不自然さがあるが…)の
領土を取り戻し、侵略され流民となった者を救い出し、
新しい国、「高句麗」を造った歴史上の人物、朱蒙の一生を
描いた物語である。さらには、その妻が二人の息子とともに
「百済」を建国する。
時代考証には、建物の屋根材が瓦であったり、絹の織物で
煌びやかな衣装など、歴史的にみて、あるはずがないものが
あったり、何かと不自然さはあるものの不思議とひき込まれる。
何故なのだろうか。
壮大な歴史観を縦糸として、限られた人物の営み、苦悩、策略、謀略など
を横糸として織りなすドラマ…。
ひとりひとりの上半身、特に顔の表情での演技が大半である…
その演技が観ているものの中に移入してくる…。
どうもその辺に謎がありそうである。
全81話、述べにして81時間。約十日間で観終わった。
国破れて山河あり、との言葉のとおり、一代の英雄からその子へ
と引き継がれていくが、永遠ではない。他国からの侵略に敗れて
又、新しい英雄にとって代わる…。その歴史は、山河のみが知る。
世界の歴史をもう一度ひも解いてみることも又、必要ではないだろうか。
「愚者は経験を語り、賢者は歴史を語る」との言葉があるように…。
2012年03月13日
大災害から一年…
東日本大震災から一年が過ぎた…
マスコミは、大々的に取り上げている。
しかし、一向にその復興については進んでいない現実がある。
特に「がれき処理」については、今だ5%しか処理されていない。
阪神淡路大震災時においては、2千数百万トンは一年間で処理された
実績がある。
国会審議がTV中継されているのを見ている限り、どうも真剣さが見られない。
一番の不足は、復興計画のグランドデザインがきっちりと決められていない
ことに原因があると考えられる。
大阪府T市で多くのビッグプロジェクトを担当してきた。中でも、二十三万トン
の焼却残さを処理できる最終処分場…、日焼却量360Tの24時間連続ストーカ
方式の焼却場新設事業、地域防災計画、防災都市づくり計画などを手掛けた
経験から言えば、基本となる構想がブレナイものとして確固たる信念で
造りあけられたものがなければならない。
国レベルで考えれば、昔つくられていた「…全総」いわゆる、全国総合開発計画の
ようなものとリンクした新たな計画、すなわち日本国の将来像を50年、100年先
を見こして造られたものと、国難となるような大災害・外国からの攻撃による
破滅的被害を受けた場合の祖国再生計画(仮称)のようなものが必要ではないか。
そのような計画の基本構想・計画があれば、もっと早く進むのではないか、と思う。
舞鶴市の市長が、今日の新聞によると、瓦礫処理について条件付きで舞鶴市が協力
する、とした記事がのった。
エビでタイを釣るような下ごころで協力されていないことを願う。
市民と行政が最良の策を求めて十分な協議がなされることを願いたい。
地方自治法の理念は、市民の生命と財産を守ることであることを肝に銘じて
ほしい、
マスコミは、大々的に取り上げている。
しかし、一向にその復興については進んでいない現実がある。
特に「がれき処理」については、今だ5%しか処理されていない。
阪神淡路大震災時においては、2千数百万トンは一年間で処理された
実績がある。
国会審議がTV中継されているのを見ている限り、どうも真剣さが見られない。
一番の不足は、復興計画のグランドデザインがきっちりと決められていない
ことに原因があると考えられる。
大阪府T市で多くのビッグプロジェクトを担当してきた。中でも、二十三万トン
の焼却残さを処理できる最終処分場…、日焼却量360Tの24時間連続ストーカ
方式の焼却場新設事業、地域防災計画、防災都市づくり計画などを手掛けた
経験から言えば、基本となる構想がブレナイものとして確固たる信念で
造りあけられたものがなければならない。
国レベルで考えれば、昔つくられていた「…全総」いわゆる、全国総合開発計画の
ようなものとリンクした新たな計画、すなわち日本国の将来像を50年、100年先
を見こして造られたものと、国難となるような大災害・外国からの攻撃による
破滅的被害を受けた場合の祖国再生計画(仮称)のようなものが必要ではないか。
そのような計画の基本構想・計画があれば、もっと早く進むのではないか、と思う。
舞鶴市の市長が、今日の新聞によると、瓦礫処理について条件付きで舞鶴市が協力
する、とした記事がのった。
エビでタイを釣るような下ごころで協力されていないことを願う。
市民と行政が最良の策を求めて十分な協議がなされることを願いたい。
地方自治法の理念は、市民の生命と財産を守ることであることを肝に銘じて
ほしい、
2012年03月06日
人間としての生き方
今日は二十四節氣の啓蟄である。
多彩で多数の虫が蠢き始める日。
漢字には驚かされる。「蠢く…うごめく」という字は、
虫の上に春がのっかっている字である。
舞鶴の雪は、やっと90%融けた。そして雪の下からは
もう、半ば開いたフキノトウが顔を出している。
水仙も何本か花を開いてくれた。
花畑には、昨年にパートナーが一生懸命、チュウリップの
球根を埋めた…。土の中から少し芽を膨らませて眠っていた。
菜根譚に次の言葉がある。
「…寒則殺・暖即生…」。冬はすべてのものを殺し、春はすべてのものを
生かす…。という意味であり、これを人間の営みに表せば、
心の温かく穏やかな人は人を生かす…
しかし、心が冷やかで、冷たい人は、人を殺す…。
このように春はすべてを生かす意思を持っている…。
多くの虫や鳥、獣などが動き出した春…。
その気持ちは良くわかる。雪に閉ざされた数日間は、只、この雪が
一日も早く、止んでほしい…との気持ちが頭を駆け巡る…
雪がやめば、あれもこれも…したいことばかり頭に浮かぶ…
そんな思いで過ごす日々は、何かしら思考が止まり、しかし、
何かを成し遂げるイメージばかりが膨らむ…。
春の息吹は、このような勢いが、表面には出ないが、その中に
籠められているのであろう。
今年は、合氣道の修練において、新しい目標を掲げた。
修練者には伝えた。
故安岡正篤老師に陽明学を学んで三十八年目になる…。一体何をしてきたのか…
師は、「何ものにも真剣になれず、従って何事にも己を忘れることが出来ない。
満足することが出来ない。楽しむことが出来ない。常に不平を抱き、不満を
持って、何か陰口を叩いたり、やけのようなことをいって、その日その日を
いかにも雑然、漫然とくらすということは、人間として一種の自殺行為です。
社会とっても非常に有害です。毒であります…」
では、どのような生き方をすればよいのか。師は言う。
「如何にすれば何時までも進歩向上していくことができるのか、
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。純一無雑の
工夫をする……近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、という
ことです」「人間に一番悪いのは雑駁とか軽薄とかいうこと…。これがひどくなると
混乱に陥ります。人間で申しますと自己分裂になるのです。そこで絶えず自分という
ものを何かに打ち込んでいくことが大切です」と。(安岡正篤一日一言)
さらに、私が尊敬する森 信三先生の言葉。
「真の誠は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己は一切を傾け尽してこれに当たる。即ち、もうこれ以上は
尽しようがないというところ、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出して
いく。これが真の誠への歩みというものでしょう」と。(修身教授録)
森 信三先生は、又、様々なことについて、講義をされている。その中で、
「一時一事」もその一つです。
「…すべての武道の修練というものは、この「一時一事」の工夫において、大いに教えられる
場合の多いものです。武道以外の他の競技においても同様ですが、すべて敵と争う場合には、
迷った方が負けになるのです。
ですから、この「一時一事」の原則を、最も敏速に、かつ徹底して生かした方が勝ちを
占めるのです。そして、これは、ひとり武道や競技のみならず、実は人生そのものが、
またこうしたといえるでしょう…」と。
安岡先生が説く陽明学の、格物致知と知行合一、
森先生が説く「生涯修業」…「一途一心」をこころして…
まだまだ学ぶことは多い。
多彩で多数の虫が蠢き始める日。
漢字には驚かされる。「蠢く…うごめく」という字は、
虫の上に春がのっかっている字である。
舞鶴の雪は、やっと90%融けた。そして雪の下からは
もう、半ば開いたフキノトウが顔を出している。
水仙も何本か花を開いてくれた。
花畑には、昨年にパートナーが一生懸命、チュウリップの
球根を埋めた…。土の中から少し芽を膨らませて眠っていた。
菜根譚に次の言葉がある。
「…寒則殺・暖即生…」。冬はすべてのものを殺し、春はすべてのものを
生かす…。という意味であり、これを人間の営みに表せば、
心の温かく穏やかな人は人を生かす…
しかし、心が冷やかで、冷たい人は、人を殺す…。
このように春はすべてを生かす意思を持っている…。
多くの虫や鳥、獣などが動き出した春…。
その気持ちは良くわかる。雪に閉ざされた数日間は、只、この雪が
一日も早く、止んでほしい…との気持ちが頭を駆け巡る…
雪がやめば、あれもこれも…したいことばかり頭に浮かぶ…
そんな思いで過ごす日々は、何かしら思考が止まり、しかし、
何かを成し遂げるイメージばかりが膨らむ…。
春の息吹は、このような勢いが、表面には出ないが、その中に
籠められているのであろう。
今年は、合氣道の修練において、新しい目標を掲げた。
修練者には伝えた。
故安岡正篤老師に陽明学を学んで三十八年目になる…。一体何をしてきたのか…
師は、「何ものにも真剣になれず、従って何事にも己を忘れることが出来ない。
満足することが出来ない。楽しむことが出来ない。常に不平を抱き、不満を
持って、何か陰口を叩いたり、やけのようなことをいって、その日その日を
いかにも雑然、漫然とくらすということは、人間として一種の自殺行為です。
社会とっても非常に有害です。毒であります…」
では、どのような生き方をすればよいのか。師は言う。
「如何にすれば何時までも進歩向上していくことができるのか、
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。純一無雑の
工夫をする……近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、という
ことです」「人間に一番悪いのは雑駁とか軽薄とかいうこと…。これがひどくなると
混乱に陥ります。人間で申しますと自己分裂になるのです。そこで絶えず自分という
ものを何かに打ち込んでいくことが大切です」と。(安岡正篤一日一言)
さらに、私が尊敬する森 信三先生の言葉。
「真の誠は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己は一切を傾け尽してこれに当たる。即ち、もうこれ以上は
尽しようがないというところ、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出して
いく。これが真の誠への歩みというものでしょう」と。(修身教授録)
森 信三先生は、又、様々なことについて、講義をされている。その中で、
「一時一事」もその一つです。
「…すべての武道の修練というものは、この「一時一事」の工夫において、大いに教えられる
場合の多いものです。武道以外の他の競技においても同様ですが、すべて敵と争う場合には、
迷った方が負けになるのです。
ですから、この「一時一事」の原則を、最も敏速に、かつ徹底して生かした方が勝ちを
占めるのです。そして、これは、ひとり武道や競技のみならず、実は人生そのものが、
またこうしたといえるでしょう…」と。
安岡先生が説く陽明学の、格物致知と知行合一、
森先生が説く「生涯修業」…「一途一心」をこころして…
まだまだ学ぶことは多い。
2012年02月23日
プラスの発想
1m近い積雪は、大変なもの…との思いがする。
これが2m以上にもなれば、どうなるんだろうと少し
恐怖感も浮かぶ。
屋根の雪下ろし、家の前の雪かき…、最初は大変と億劫さが
先にたった。
しかし、作業を何回か続けていくうちに思いが変わった。
作業を行った日は、體の調子がよいことが分かった。
無理やりに、體を作るためと思い込ませてしていたが、
そんなことは思わないで、ただ、健康に良いとの思いだけでよい。
出来るだけ、思考を単純化する。一義的に考えて、決して二義的に
捉まえないことである。
快適である。今度は何時雪がふるのかなぁー、と期待感に変わる…。
少し、こころの持ち方を変えてみる、このことが人生を大きく変換する
きっかけになることは間違いない。
「あの時のあの人の一言が私の人生を大きく変えた…」などということは
良く耳にする。
しかし、どうも最近の若年層の中には、状況の判断が出来ない、相手の
立場に立っての判断、自分の考えがまとまっていない、自己主張が出来ない、
相手がどう思いどう考えているか等について考えることが出来ない…
などの欠落がみえるのである。
生きてきた今までに、時代の変動の経験がない、バブルの経験もない、
不況の中に浸っての生活の連続…。
何を生きがいにしていくのか、目標が定まらないのではないか。
いくつになっても、親の庇護のもとにあれば、安心という
独身男性が増えているのではないか。
一昔前には、下水処理場から排出される処理水に焼却時に合成された
物質が溶け込んでいて、河川に排出されたときに、川に生息している魚
などが合成された物質(環境ホルモン)により、雄が雌化する現象となる
ことが判明した。このことは、人にも影響があるものとして、男性の
女性化に影響があるのでは…との論説が出された。
肉食系から植物系への変化である。
そんなことあんなことで、ますます男が弱くなっていく経過を辿っている
といっても過言ではない。
このことは、両親が子育てをする時期から、両親が考えなければならない
問題でもある。
親も親なら子も子…と言われないために。
絶えずプラスの発想で、人生を変えようではありませんか。
これが2m以上にもなれば、どうなるんだろうと少し
恐怖感も浮かぶ。
屋根の雪下ろし、家の前の雪かき…、最初は大変と億劫さが
先にたった。
しかし、作業を何回か続けていくうちに思いが変わった。
作業を行った日は、體の調子がよいことが分かった。
無理やりに、體を作るためと思い込ませてしていたが、
そんなことは思わないで、ただ、健康に良いとの思いだけでよい。
出来るだけ、思考を単純化する。一義的に考えて、決して二義的に
捉まえないことである。
快適である。今度は何時雪がふるのかなぁー、と期待感に変わる…。
少し、こころの持ち方を変えてみる、このことが人生を大きく変換する
きっかけになることは間違いない。
「あの時のあの人の一言が私の人生を大きく変えた…」などということは
良く耳にする。
しかし、どうも最近の若年層の中には、状況の判断が出来ない、相手の
立場に立っての判断、自分の考えがまとまっていない、自己主張が出来ない、
相手がどう思いどう考えているか等について考えることが出来ない…
などの欠落がみえるのである。
生きてきた今までに、時代の変動の経験がない、バブルの経験もない、
不況の中に浸っての生活の連続…。
何を生きがいにしていくのか、目標が定まらないのではないか。
いくつになっても、親の庇護のもとにあれば、安心という
独身男性が増えているのではないか。
一昔前には、下水処理場から排出される処理水に焼却時に合成された
物質が溶け込んでいて、河川に排出されたときに、川に生息している魚
などが合成された物質(環境ホルモン)により、雄が雌化する現象となる
ことが判明した。このことは、人にも影響があるものとして、男性の
女性化に影響があるのでは…との論説が出された。
肉食系から植物系への変化である。
そんなことあんなことで、ますます男が弱くなっていく経過を辿っている
といっても過言ではない。
このことは、両親が子育てをする時期から、両親が考えなければならない
問題でもある。
親も親なら子も子…と言われないために。
絶えずプラスの発想で、人生を変えようではありませんか。
2012年02月19日
出会い
名古屋にほど近いところから、夫婦で移住されて、舞鶴市の田舎の家で
古民家カフェ「志高カフェ」という店を開いて居られる方と話す機会に
恵まれた。
以前に新聞に静岡から舞鶴に移住して、古民家と土蔵で喫茶店を…という
記事を見て一度行ってみたいとパートナーと話していたので、買い物のついでに
国道175号線沿いに車で走ってみた…。
ありました。田圃の向こうに大きく白ペンキで「志高カフェ」と
手書きされた農器具入れのバラックが見えた。
藁ぶきの屋根をトタンで覆った、年代もんの古い田舎建ての家
と土蔵…、
タノモウ―と、言っていないけど入口から入ると、あったあったうちの蔵にも。
赤く塗られた時代箪笥、小さな長持など…。
土蔵は、土間をコンクリートで打ち、網代編みしたうえに土壁をそのまま
むき出しにして、柱にはレトロな掛け時計、二階の床を半分はずして
吹く抜けとして、電球の照明…、暖房は灯油のストーブ。
10人くらいは、座れるように配置されたテーブルと椅子
テープルには、手づくりのメニュー立て…
コーヒーとケーキをいただいた。
都会からの客には、いにしえの生活の原点を懐かしがらせる雰囲気である。
これから客も増え、多くの人達がリピーターとして、交流されることを願ってやまない。
数日前から降り積もった雪が大きく積み上げられている。
御主人は雪下ろし、雪かきには、どうやら閉口されたらしい。
亭主と話すことが出来た。二年ほど前から開業されているらしい、
奥さんはもともと、西舞鶴出身で、主人は名古屋にほど近い都会の方、
年代物の家を保ちながらのこれからの生活…、是非頑張って頂きたい。
奥さんのキラキラした眼が印象的でした。
私たちの舞鶴への顛末も話させていただいた。
一度、同じ西舞鶴は久田美の「農村と都市交流センター・弘心塾」へ一度おいで下さい、と
申し上げて、おいとました。
古民家カフェ「志高カフェ」という店を開いて居られる方と話す機会に
恵まれた。
以前に新聞に静岡から舞鶴に移住して、古民家と土蔵で喫茶店を…という
記事を見て一度行ってみたいとパートナーと話していたので、買い物のついでに
国道175号線沿いに車で走ってみた…。
ありました。田圃の向こうに大きく白ペンキで「志高カフェ」と
手書きされた農器具入れのバラックが見えた。
藁ぶきの屋根をトタンで覆った、年代もんの古い田舎建ての家
と土蔵…、
タノモウ―と、言っていないけど入口から入ると、あったあったうちの蔵にも。
赤く塗られた時代箪笥、小さな長持など…。
土蔵は、土間をコンクリートで打ち、網代編みしたうえに土壁をそのまま
むき出しにして、柱にはレトロな掛け時計、二階の床を半分はずして
吹く抜けとして、電球の照明…、暖房は灯油のストーブ。
10人くらいは、座れるように配置されたテーブルと椅子
テープルには、手づくりのメニュー立て…
コーヒーとケーキをいただいた。
都会からの客には、いにしえの生活の原点を懐かしがらせる雰囲気である。
これから客も増え、多くの人達がリピーターとして、交流されることを願ってやまない。
数日前から降り積もった雪が大きく積み上げられている。
御主人は雪下ろし、雪かきには、どうやら閉口されたらしい。
亭主と話すことが出来た。二年ほど前から開業されているらしい、
奥さんはもともと、西舞鶴出身で、主人は名古屋にほど近い都会の方、
年代物の家を保ちながらのこれからの生活…、是非頑張って頂きたい。
奥さんのキラキラした眼が印象的でした。
私たちの舞鶴への顛末も話させていただいた。
一度、同じ西舞鶴は久田美の「農村と都市交流センター・弘心塾」へ一度おいで下さい、と
申し上げて、おいとました。
2012年02月06日
大雪2
89~160p…積雪の結果である。
二日間はまる一日雪かきに終わった。
このまま降り続けばどうなるのかなぁー、と
思うと少し心配になる。家屋は積雪に対応した作りに
したので安心だがそれも限界がある。
昭和62年にも大雪のときがあり、この村でも軒先が雪の
重さに耐えきれなくて破損したと聞く。
道路が大変。家から約50mの道の除雪を必死になって除雪。
約200㎥の量である。二日で200であるから一日100㎥。
一日6時間の実働として一時間当たり17㎥。
雪かきだと思えばシンドイ…。體のため、足腰の鍛錬と思って
やれば楽しくやれる。プラスの発想である。
さすが、脚立に乗っての除雪はキツイ…。バランスをとるために
足の太ももと、ふくらはぎがパンパンに…。
しかし、一晩で回復。これも日頃の鍛錬のおかげと感謝。
體を日常生活で快適に過ごすためには肩甲骨と股関節を鍛えること、と
何年も前から説いてきた。
立ち方、座り方、歩き方、心身統一合氣道の技、すべての運動に
要の動きとして自覚することが重要である。
あるクリニックの院長が本を出版されている。『「老けない体」は
股関節で決まる!』である。
股関節を畳む、肩甲骨を緩める…などとつかう
さらに指先は下腹の一点と繋がっていることが実感出来る。
寒い田舎で冷たい水に指先を晒すと、すぐにトイレ(小水)に行きたくなる…。
これらのことから、『氣』は下丹田から腕の側線を辿って手の指先から
迸り出るのである。
その指先に力を入れることは、『氣』を留めることになり
その用は為さないことになる。
小指の下側の線は、臍下の一点と繋がっていることは、身体論から
古くからいわれている。
余談であるが、ヤクザが道を外したとき、小指をつめさせるのは、ドスを握る時、
下腹との一体感をなくして(腰が入らない)用を為さなくするとも言われている。
雪かきで汗をかいたために、どうやら風邪をひいたようである。
嬉しいことである。
なぜならば、ウイルス性の風邪以外は、體の骨格の歪みを取り除いてくれるからで
ある。その深い理由は分からない…。
又、恥骨の上を指圧すれば。水虫が治る…など、體については、
まだまだ解明されていない点が多々あるようである。
畑では、決してミミズに小水はかけない…〇〇〇が腫れるからである。
二日間はまる一日雪かきに終わった。
このまま降り続けばどうなるのかなぁー、と
思うと少し心配になる。家屋は積雪に対応した作りに
したので安心だがそれも限界がある。
昭和62年にも大雪のときがあり、この村でも軒先が雪の
重さに耐えきれなくて破損したと聞く。
道路が大変。家から約50mの道の除雪を必死になって除雪。
約200㎥の量である。二日で200であるから一日100㎥。
一日6時間の実働として一時間当たり17㎥。
雪かきだと思えばシンドイ…。體のため、足腰の鍛錬と思って
やれば楽しくやれる。プラスの発想である。
さすが、脚立に乗っての除雪はキツイ…。バランスをとるために
足の太ももと、ふくらはぎがパンパンに…。
しかし、一晩で回復。これも日頃の鍛錬のおかげと感謝。
體を日常生活で快適に過ごすためには肩甲骨と股関節を鍛えること、と
何年も前から説いてきた。
立ち方、座り方、歩き方、心身統一合氣道の技、すべての運動に
要の動きとして自覚することが重要である。
あるクリニックの院長が本を出版されている。『「老けない体」は
股関節で決まる!』である。
股関節を畳む、肩甲骨を緩める…などとつかう
さらに指先は下腹の一点と繋がっていることが実感出来る。
寒い田舎で冷たい水に指先を晒すと、すぐにトイレ(小水)に行きたくなる…。
これらのことから、『氣』は下丹田から腕の側線を辿って手の指先から
迸り出るのである。
その指先に力を入れることは、『氣』を留めることになり
その用は為さないことになる。
小指の下側の線は、臍下の一点と繋がっていることは、身体論から
古くからいわれている。
余談であるが、ヤクザが道を外したとき、小指をつめさせるのは、ドスを握る時、
下腹との一体感をなくして(腰が入らない)用を為さなくするとも言われている。
雪かきで汗をかいたために、どうやら風邪をひいたようである。
嬉しいことである。
なぜならば、ウイルス性の風邪以外は、體の骨格の歪みを取り除いてくれるからで
ある。その深い理由は分からない…。
又、恥骨の上を指圧すれば。水虫が治る…など、體については、
まだまだ解明されていない点が多々あるようである。
畑では、決してミミズに小水はかけない…〇〇〇が腫れるからである。

