2018年11月15日

なぜ親と子に心身統一合氣道を伝えるのか(2)


日本武道のルーツは、古代ギリシャ、都市国家アテネにあると言われています。すなわちアテネにおける教育にその原点がありますが、特に合氣道(心身統一合氣道)とは密接な関係が存在します。
 人口約二万人の都市国家(ポリス)おいて、多数の偉人を輩出していることは歴史を見ればわかりますが、何故この少ない人口の都市に優秀な人物が多く存在したのか、この事実には、古代ギリシャの教育方法にあると考えられています(ルドルフ・シュタイナー 人智学)。 子供が生まれて7歳になると同時に、ギムナストと呼ばれる今で言う体育の教師に預けられます。すなわち「ギムナストによる教育」です。そこで子供たちは自分の体の動きを通じて、一つの大きな宇宙的運動を体験することで、一種の宇宙的なリズムを自分の身に付けるのです。シュタイナーの言葉を使えば、「生命体」(東洋の霊学でいう「氣」の働き)をそれによって強めたと言えるのです。そして闘技と群舞を学びます。その指導の一番の重要視は、呼吸法を通じて、宇宙との一体感の自覚、さらには血液の流れとその役割を学ぶと共に體の仕組みと骨格・筋肉の細部にわたる身体的精神的能力を試されるのです。
 特に、幼時からの宇宙感との関わり、宇宙の浩然の「氣」との呼吸力による一体感は、身体的精神的能力に大きな変革を生じさせるのです。そして子供たちは、大きな自然の流れ、大自然の法則性を身体で覚えていきます。
このような「無意識の教育」がなされることにより、感性の豊かな人間性が培われ、頭脳の持つ全方向性が花開くことに繋がっていくのです。古代ギリシャの都市国家(ポリス)アテネはこのような教育によって、歯が生え換わる時期である7歳から14歳の間に、闘技と群舞により、完全な調和のとれた肉体に鍛え上げることによって、後は、放っておいても上記で述べたようにその頭脳は素晴らしい方向へと展開していくのです。多くの偉人はこのことを学んでいたのです。現代は、「意識の教育」が施され、知識が全てであるような教育の方向に向けられていると言っても過言ではありません。この「意識の教育」が強まれば強まるほど、「無意識の教育」は為されなくなっていくのです。東洋哲学では、全ての生命の根源である「氣」というものの実在を自覚します。現在科学では、素粒子物理論として、物質として一番小さな物を探究しています。現在、その物質「クオーク」が発見されました。科学はまだもっと小さな物質を追い求めています。しかし、今から約3000年前に「氣」という概念ですでに感覚として分かっていました。今のように高度な数式などは無かった時代に、感覚として捉えていたことは驚くべきことです。心身統一合氣道の創始者藤平光一氏は、「万有を愛護し、万物を育成する天地(宇宙)の心を以て我が心としよう。心身を統一し、天地(宇宙)と一体となることがわが修行の眼目である」を座右の銘としているように、「天地(宇宙)の氣に合する道」これが心身統一合氣道です。それには自らの心と氣を自覚することが重要です。心身統一道・心身統一合氣道の修練によって「心が體を動かす」原理を学びます。それは人間本来持っている素晴らしい能力を導きだします。心身統一道・心身統一合氣道は、「争わざるの理」を理念とし、真の人間としての「人格をつくる」ことが目的なのです。我が国において、徳川家康は関ヶ原の戦いの後、官学として「朱子学」を取り入れました。「意識の教育」のです。しかし、その対岸の思想として位置する「陽明学」は、「無意識の教育」です。明治維新へ命を賭けた青年群像は、陽明学者といわれる人物の影響を受けたと言われています。我が国の陽明学の祖の中江藤樹、左藤一斎、岡山の高梁市が生んだ陽明学者山田方谷はその代表です。我が国における東洋哲学の一人者であります安岡正篤氏は陽明学を立命学として体系づけられ多くの人達が学ばれました。古代ギリシャの思想・ルドルフ・シュタイナーの思想・心身統一合氣道の思想・陽明学の思想は同じ原点をもつものなのです。                                                       
                                                                  以上
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私が学んだ三人の師


私は、人生の師として、三人の先生に学びました。一人は、心身統一合氣道の創始者藤平光一先生です。日本の合氣道界では最強の人で、合氣道の創始者植芝盛平翁から最高位十段を授与された先生で、世界25カ国に広められました。
藤平光一先生から心身統一道として、心と體を一つにする手法即ち心身統一の四大原則(@臍下の一点に心を静めて統一する。A全身の力を完全に抜く。B身体の総ての重みをその最下部におく。C氣を出す。)を。心身統一合氣道からは、基本の技を通じて「心が身体を動かす」原理を学びました。武士道とは、「死ぬことと見つけたり」は、葉隠れの有名な言葉です。心身統一合氣道は、試合はありません。心と體を究極まで、修練によって高めて行きます。即ち「試合は死合」となります。心身統一合氣道の理念は、「争わざるの理」。そして其の目的は、「人としての人格をつくる」ことなのです。  心身統一道は、心と體を一つにする為の四大原則を自らの日常に用います。心身統一合氣道は、次の五原則から成立します。@氣が出ているA相手の心を知る➂相手の氣を尊ぶC相手の立場に立つD率先窮行。この一つを間違っても技にはなりません。
二人目は、東洋哲学者安岡正篤先生。先生からは、陽明学を学びました。人創り、組織創り、国を創る為には、「四惟」と言う言葉があります。「礼・義・廉・恥」です。この中でも「廉」は一番重要です。礼とは、国や人でも、その働きが正しい秩序を保ち美しく調和していることです。義とは、礼を支えるものか、自己の意義や使命を社会的に果たしていくという意味の義であります。廉とは、国や社会の為という全体の仕合わせに立つには、自分というものを無にして奉仕すること。即ち、無私になるということです。これが「廉」であります。恥とは、以上のような精神に立てば、自分勝手で利己的な姿は、全体的な「公(おおやけ)」から見れば、深く恥じなければならない。これが「恥」、恥をしることなのです。又、人を滅ぼし、組織、国を亡ぼすものとして、「四患」があります。「偽・私・放・奢」です。特に「偽(嘘、いつわり)」は一度で自らを殺してしまいます。
現在我が国において、最高学府を出て、一流企業を立ち上げた者、或いは政治家・教育関係・スポーツ関係団体が、嘘偽りの為に、マスコミの前で頭を下げて、謝っている姿を数多く目にします。そして姿を消してしまいます。嘆かわしいことです。
三人目は、私が三歳の時から指導してくれた父(奥山喜峰…邇心流合氣武術を創設)です。力を全く使わないで自らの氣の動きで相手を、自在に導く(天と地に)ことでした。相手を掴むのではなく、手を添えるだけでよい。真っ先に相手の心・氣の動きを感覚で捉えよ。感覚を鍛えよ。それにはどのような相手にも慈悲心でもって接することだ。勝とうとは決して思ってはならない。只、「負けない」と言うことを研究せよ…。など、今となってようやくそのことが理解できるようになりました。教え全般を、自らの人生の指針として、更に社会関係、仕事に、家庭生活など全般に用いて頂ければ幸甚です。
            心身統一合氣道師範七段・邇心流合氣武術八段  奥山弘邇
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七十年を経て辿りついた私の合氣道

七十年を経て辿りついた私の合氣道
ここに私が合氣武道と歩んで参りました経過を少しお話をいたします。1945年から父に学び、そして1961年に東京高島屋の野外ステージで初めて植芝盛平翁の合氣道を目にいたしました。そして現在まで約73年間都市計画技術者として街づくりに専念すると同時に、柔道、剣道、空手、拳法そして合氣道の探求に努めて参りました。この長きにわたる間、出会いと共に多くの修練生が集ってくれました。
私は、父からの教えと、心身統一合氣道創始者藤平光一先生の心身統一の四大原則・心身統一の五原則、誦句集とともに、中村天風師の心身統一法、原始佛教(釈迦の誕生から死までの教え)、安岡正篤師の陽明学(立命学)の教えなど、人間としての在り方、生き方を説いております。 「何のために生れてきたのか、何のために生きているのか…」この根本原理について理解することが最初となります。その上にたって、「心が體を動かす原理」「氣の原理」などを学び理解することが求められるのであります。そして心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」、目的は「自らの人格をつくる」ことに帰着いたします。 
私の心身統一合氣道は、決して力で相手を崩したり、投げたりは致しません。そのためには、自らが完全なリラックスに同調する、そして相手を力で掴まない、軽く触れる、そして相手の心・氣を導くのです。すなわち行きたいところに行かせてあげるのです、行きたいところとは何か、天と地です。人は死ぬと體は地に戻り、エーテル体は天(宇宙の彼方に)に。宇宙の氣から生じた私達は又宇宙に戻ります。その意味は、相手の氣を真上真下(天と地)に導くことにあるのです。護手と攻手はその意味で基本技を用いて表武するのです。崩され投げられた攻手は、護手からではなく、何故、崩されたのか分からないまま自らが崩れるのです、ここには、護手と攻手と間には何の思惑もないのであります。相手に攻撃を仕掛けた者がひとりで打ちこんで、ひとりで崩れて転がっている…。ここに「争わざるの理」の一片があるのです。そこに、「我即宇宙」「我舞えば宇宙舞う」「合氣は愛」という言葉が生まれるのです。そのための第一歩として、「氣づき即行」と「清濁併せ呑む」ことを自らのものとしなければなりません。すなわち、相手の心・氣の動きを五感、六感で捉えることです。
私は、生きていく上においての真理を求めています。それは「悟りを求める心」を発することが重要と考えます。真理の教えを聞いて「歓喜の心を生ずること」すなわち悟りを求める心は、人間にとって真実の喜びにつながると思っているのです。慈悲心すなわち、四無量心の四つの心「慈・悲・喜・捨」は、計り知れない広大なものであり、これらがはたらきかける対象となる人々もまたはかり知れない(無量)ところから「四つのはかり知れない利他の心」と言われています。この利他の心をもって、様々な苦しみや悩みを持っている人々を高いところから観るのではなく、苦しんでいる人々と同じ立場に立って共に苦悩し、共感して共に救いの岸を目指していく、という心のあり方を意味しているのです。このことを自らの心の原点にして、先人が艱難辛苦の末に出来た基本技を方便にして自らの人格・品格の向上に努めなければなりません。真の合氣とは何か…合氣道は未だ完成されたものではないと思っております。自らの心身が極限にまで研ぎ澄まされて、心の動き、氣の動きが同一化され、相手の総ての動きが透視され、そして相手と同化した時、初めて真の合氣に近づいたとの認識がなされるものと思慮いたします。そのためには、「自らの身体の完全なリラックス・相手の心と氣を真っ先に読み取る・自らの體を自在に操る術・基本技の集積」が極意です。以上
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2018年10月03日

Sさんへの書簡

秋冷の候、貴台におかれましては、益々ご清栄のことと拝察いたします。
過日は合宿にご参加頂き心から厚く御礼申し上げます。
又、心の籠った品を頂戴いたし恐縮に存じております。更には合氣武術などについて、様々な意見交流をさせて頂きましたこと御礼申し上げます。
私共の会員には、藤平光一先生の誦句集とともに、中村天風師の心身統一法、原始佛教、安岡正篤師の陽明学の教えなど、人間としての在り方、生き方を説いております。
「何のために生れてきたのか、何のために生きているのか…」この根本原理について理解することが最初となります。その上にたって、「心が體を動かす原理」「氣の原理」を学び理解することが求められるのであります。そして心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」、目的は「自らの人格をつくる」ことに帰着いたします。
私の合氣道は、決して力で相手を崩したり、投げたりは致しません。そのためには、自らが完全なリラックスに同調する、そして相手を力で掴まない、軽く触れる、そして相手の心・氣を導くのです。すなわち行きたいところに行かせてあげるのです、行きたいところとは何か、天と地です。人は死ぬと體は地に戻り、エーテル体は天(宇宙の彼方に)に。宇宙の氣から生じた私達は又宇宙に戻ります。その意味は、相手の氣を真上真下(天と地)に導くのです。護手と攻手はその意味で基本技を用いて表武するのです。崩され投げられた攻手は、護手からではなく、何故、崩されたのか分からないまま自らが崩れるのです、ここには、護手と攻手と間には何の思惑もないのであります。相手に攻撃を仕掛けた者がひとりで打ちこんで、ひとりで崩れて転がっている…。ここに「争わざるの理」の一片があるのです。すなわち、「我即宇宙」「我舞えば宇宙舞う」「合氣は愛」という言葉が生まれるのです。
私は、生きていく上においての真理を求めています。それは「悟りを求める心」を発することが重要と考えます。真理の教えを聞いて「歓喜の心を生ずること」すなわち悟りを求める心は、人間にとって真実の喜びにつながると思っているのです。
慈悲心すなわち、四無量心の四つの心「慈・悲・喜・捨」は、計り知れない広大なものであり、これらがはたらきかける対象となる人々もまたはかり知れない(無量)ところから「四つのはかり知れない利他の心」と言われています。
この利他の心をもって、様々な苦しみや悩みを持っている人々を高いところから観るのではなく、苦しんでいる人々と同じ立場に立って共に苦悩し、共感して共に救いの岸を目指していく、という心のあり方を意味しているのです。このことを自らの心の原点にして、基本技を通じて自らの人格・品格の向上に邁進いたしております。
今後も機会がありますれば、お会いしたく存じますと共に、重ねてお礼申しあげます。                                  敬具
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2018年08月22日

夏の甲子園!秋田県立金足農業高校準優勝おめでとう!


夏の甲子園!金足農業高等学校準優勝おめでとう!!心からお祝いします。

私は、彼らの努力と様々な人達の支えによって成し遂げられた成果に心揺さぶられました…。
ここに、高校野球の原点を見た思いです。金足農業高等学校の野球部員の一人一人は、無名で過去の経歴は皆無です。その彼らが快進撃を行ない優勝は出来ませんでしたがすばらしい活躍をされました…。今大会での一番のヒーローと言っても過言ではありません。おめでとう!おめでとう!心から祝辞をおくります。

過去(昭和6年)の甲子園の大会で、台湾の嘉義農林学校が出場して準優勝(史実)で終わりました…。このことと重なり、涙が止まりませんでした…。

映画「KANO」当時の嘉義農林学校出場のあらまし
「1944年(昭和19年)、錠者大尉ら大日本帝国陸軍の将校たちは、南方の戦場へ向かうために台湾の基隆駅から、台湾南部へ向かっていた。錠者は同行者に「嘉義に着いたら起こしてくれ」と言って、しばしの眠りにつく。

1931年(昭和6年)夏、甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会の開会式に、錠者は札幌商業のエースとして参加していた。日本本土の学校だけでなく、大連や京城といった外地の学校のプラカードも見える。そこに交通事情から遅れて参加してきたのが、嘉義農林学校野球部の選手たちであった。

物語はさらに1929年に遡る。のんびりしたチームの「嘉農」野球部は当然連敗続きであったが、新任監督として迎えられた日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に闘争心と甲子園出場への夢が芽生えていった。近藤は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちのバランスの良いチームを作り上げていく。また、かつて近藤が指導し、その指導に萎縮した松山商業と比べ、嘉農の選手たちが伸び伸びとプレーする姿は、近藤自身を成長させ、チームに対する愛情を深めていくのだった。

少年たちは日本語で教育を受け、日本語を話した。しかし街や仲間内では台湾語を話した。日本の統治下にある街には日本語と漢語があふれ、近代化整備が進みつつあり活気に満ちていた。一方で、農村は治水対策が不十分で、台風のたびに甚大な被害を受けていた。エースピッチャーの呉明捷(愛称は”アキラ”)は山陽堂書店の手伝いをしており、店員である静に憧れを寄せていた。しかし静はやがて台中の医師と結婚して嘉義を去る。アキラは爆竹を燃やして彼女を祝福しつつ寂しげに見送る。

当時、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会へ出場するのは、決まって日本人のみで構成された台北一中や台北商業であった。当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。「一度も勝ったことがない」チームの快進撃は止まらず、勢いに乗って全島優勝を果たす。台北から凱旋した選手たちは町中から大歓迎を受ける。しかし選手たちは、当時のアジア最大の水利事業であった嘉南大圳完成を知るや、パレードを中断して用水路へ向かう。水が満ちていることに感動すると、視察で用水路を下ってきた八田與一に会い、優勝を報告するとともに、八田から激励を受ける。

迎えた甲子園大会、下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されていた。甲子園球場に来た嘉農の選手たちは、「甲子園の土」の質の良さに感動する。初戦の対神奈川商工戦では、3-0の完封に抑え、一躍注目チームとなる。その様子をスタンドから見ていた錠者は、激しく動揺する。マスコミからの取材を受けた嘉農の選手たちには当初「日本人の子は手を挙げて」「日本語は理解できるのか」等と偏見の眼差しが向けられる。近藤は民族を問わず「同じ球児だ」と反論し、生徒たちを守る。

準々決勝の対札幌商業戦は、19 - 7で圧勝。試合中、札商ピッチャーの錠者は茫然自失となり、自分でも理解できないうちに自らマウンドを降りてしまう。

再び、1944年。錠者大尉は、嘉義駅での大砲の積載に時間がかかることを確認すると、嘉農の練習場へ向かった。あの時の彼らの強さの原点は、何だったのか。街には第二次世界大戦中の大日本帝国領として戦意を高揚させる垂れ幕があふれていたが、かつてのような活気はなかった。錠者は、荒れ果てた練習場のピッチャーマウンドに立つ。

準決勝の対小倉工業戦も、10-2で圧勝。魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さは本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業[6]。

地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。静も出産したばかりの子供と共に嘉農を応援する。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる。しかし、アキラの指は限界を迎えていた。試合中に出血したアキラを近藤は降板させようとし、チームメイトとともに激しい意見が交わされる。結局、アキラは続投するがフォアボールを連発し、押し出しで得点が入ってしまう。そこに守備の選手たちが「俺たちが守るから、敵に打たせろ」と叫ぶ。ベンチの選手たちはアキラの応援歌を絶唱する。結局、中京商の吉田正男に完封に抑えられ、優勝はできなかった。しかし、嘉農の最後まで諦めない奮闘ぶりは日台それぞれの人々に強い印象を残し、スタンドにいた錠者は健闘を称えて「天下の嘉農」と絶叫する。その声はどんどんと大きくなり、やがて観客席全体から響き渡るのだった。

負けても泣くな、勝っても泣くなと指導された選手たちも、「僕たちはいつ泣いたら良いんですか?」とついに号泣する。選手たちは、準優勝盾と甲子園の土を手に、船で台湾への帰路についた。船上ではしゃぎながら野球をする選手たちの前に、やがて懐かしい台湾の地が近づいて来る。

エンドロールで、近藤や選手たちのその後が紹介される。ある者は日本の野球界で活躍し、ある者は台湾で野球の普及に貢献した。そして、ある者は第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死したのだった。」
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2018年08月14日

ものごとの成就

物事の成就
私の道場では、誦句集の唱和のあとに、「心の法則」に関する話を致します。その中の一つに次の様な話があります。
「人は何かにつけて達成しようとする意志が働きます。しかし、そのことが十分理解できているのか、については明確でない場合が多々多いのが通常です。
なぜできないのか?簡単なことです。心のもちかたを変えていないからです。では、どのように変えればよいのか…。

先ず意識を変える、すると行動が変わる、つぎに習慣が変わる、性格が変わる、人間が変わる、人生が変わる、即ち運命が変わる…。最初の一つをよい方向に変えることにより、運命を変えることが出来るのです。
これが立命学です。私は師、安岡正篤先生に徹底的に教え込まれました…。今思うと感謝で一杯です…。」

話は戻りますが、道場でこのことも幾度となく言葉に出して言い続けてきた経緯があります。しかし、その時は頭で分かった、と思う…だが馬耳東風、馬の耳に念仏…の様相に陥っている…。試しに、話終わった後に尋ねます…、「今、私がお伝えした話はどのような内容でしたか?」「………。」
これは、頭で考えようとするからできない。感覚でとらえることです。
いつも「理性の脳」を使う訓練をしなければなりまません。このことの説明は後日にいたします。

 皆さんに一つのことを伝えます。「氣づき即行」という言葉です。私達は、無意識のうちに、自らの心が意志力を生じさせて、今、一瞬一瞬の事象を眼の表象でとらえて意識づけしています。まず、このことを自覚してください。

 そして次に、意識したものを行動に移すのです。例えば、「履物を揃える」というたった一つのことを意識した時、即時に行うのです。自らのものと、さらには他の人のもの、多勢の人のもの…と広げていきます。それを習慣づけします。たったこの一つの行動が、あなたを大きく変えるのです…。

 意識付けが早くなり、行動が早くなり…。これが他の行動にも影響を及ぼすのです。例として、合氣道が上手になりたい…との想いがあるとすれば、その想いに大変な影響を及ぼすのです。合氣武道は、一瞬の心の動きが、生死をわけることに繋がるのです。
日常的に、のんべんだらりとした決断力のない生活をしているものが、幾ら道場に来て修練を積んでも、成就は程遠いものになるでしょう。

 ここにも「こころが體を動かす」原理が働くのです。
そして、一つのことの意識付けが出来たなら、又、次のものに移していきます…。
合氣武道のことを一つの例にとれば、次のことを自らに課することにより、成就(達人となる)することは間違いありません。
それは、五段階を自らに昇華させることです。
一、自らの體の全ての部位を完全に力を抜いてリラックスさせる。
二、こころの動き、氣の動きなどを一瞬、先に感覚で読み取る。
三、自らの體のすべての部分の動きを體に自覚させる。
四、技の基本の動きを数百万回、自らのこころの宝庫であるアラヤシキに入れる。
五、アラヤシキの潜在心が現在心に導かれて無意識に出る…成就である
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2018年08月13日

戦争体験

私は今78歳です。戦争を体験しています。確か昭和18年から20年にかけての大阪大空襲を眼の前にしました。
昭和18年頃だと思いますが大阪北区の今の天神橋五丁目の自宅から、大八車に家財道具を積んで、約30kmの道を母と共に歩いて高槻の疎開先へ行きました…、その時、長柄大橋の下には、沢山の方が折り重なるようにして死んでいました…。
その光景が今もフラッシュバックとなって時々眼に浮かびます…。

疎開先の小高い畑に妹と一緒に居る時、B29の爆撃機が編隊を組んで飛んで行くのが見えました…。夜中にもかかわらず、大阪方面の空襲の火は実に真近くに見えるのです。真っ赤に燃える巨大な炎と、上空からパラパラ(焼夷弾)と火の塊が降り注ぐの見ていました…。
さらには、桧尾川(高槻市五領村)で泳いでいると、二機のグラマンが低空飛行して機上掃射をしてくるのが眼にして、慌てて潜って逃げた想い出もあります…。
今振り返ってみますと、その時の気持ちは今の私には思い出すことが出来ません…。空襲が終わった後、歩いて母と自宅(工場)を見に行きました…。焼け野原の中に、鉄の支柱とプーリーが風に揺られてカランカランと音を立てているのが今も耳に残っています…。

 貴台が提起された原爆投下後の少年の写真から見えるのは、一つの言葉で表現することは出来ません。
日本の近代史を分析することも必要ですが、この独りの少年の精神性の強さに心動かされます。
唯、何の罪もない独りの少年に残酷な想いをさせたその時代の大人たちに云いようのない怒りがこみ上げてきます。
二度とこの様な苦しみ・悲しみを、未来を担う子どもたちが受けることのない社会造りに私達は注視しなければなりません。

戦争のために、私達の家族は幸せとは程遠い生活と家族の不幸に見舞われました。
戦争さえなかったら、母や妹…いや全ては、今とは異なった社会に住んでいたのではないか…。母の想像を絶する苦労もなかったのでは…などと思います…。母には、出来る限りのことを致しましたが、今ももっともっと親孝行をしておけば良かった…と少なからず後悔する毎日です。
如何なる戦争も否定します。
今、日本は少しずつ変な方向に向いているように思えてなりません。

人間は一つの行ないからも、ものごとの真理を見ることが出来ます。
幼少の頃から教わってきた武道…合氣道の「争わざるの理」と言う理念は、全てに通じるものであります。真の理を独り独りがどの程度まで理解されているのでしょうか…。
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人造り、組織造り、国造りの原則

 以前にも書きましたが、国造りの原則として掲げるのは、自らをつくり、組織をつくり、国を創るのは、「四維」すなわち「礼・義・廉・恥」であります。
礼…国や人でも、その働きが正しい秩序を保ち、美しく調和していることである。
義…礼を支えるものが、自己の意義や使命を社会的に果たしていくという意味の「義」である。この「義」は、自己の利益を求める「利」で    はない。「利」は、利己であり、私であって、社会や国という全体に立つ姿ではない。
廉…国や社会のためという全体の仕合わせに立つには、自分というものを無にして奉仕すること。即ち、無私になるということである。こ    れが「廉」である。
恥…以上のような精神に立てば、自分勝手で利己的な姿は、全体的な「公(おおやけ)から見れば、深く恥じなければならない。これが     「恥」、「恥」を知ることである。
このような礼・義・廉・恥は国家として最も大切なことであるが、それは同時に人としても大事なことである。

 それ故に自分を造り、人造り、国造りに全ての根本となるものは、精神的な原理・原則となる「四維」に基づかなければならないのである。換言すれば、国の指導者たる者は、この「四維」をしっかり踏まえて実行していれば、人造りという教育をしっかりと根をおろしたものになる、といえるのである。
 私の師、安岡正篤先生は、功利に走り、便利さに氣を奪われて、人間というもののあり方、生き方を見失ってしまっていることにいち早く氣付かれて、私たちに警鐘を鳴らされていた。私はそのことを徹底的に叩き込まれました。今は亡き師に感謝で一杯である。   
posted by 弘心 at 15:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日の言葉

今日の言葉
「生活のなかの行いすべては、心の浄化(悟り)に繋がっていることを自覚しよう」
日々の行いすべてを正しく行って、真の幸せと心の浄化(悟り)を目指すのが、正しい生活です。「正しい」というのは、心と體が落ち着いていて、力強く、愛にあふれ、恐れや不安等が無い状態を言います。好き嫌い、善悪などで区別、判別することではありません。
その中には、人を傷つけたり、恨んだり、盗んだりするのではなく、自分の心と體を、いたわり思いやりをもって、丁寧に扱うことなど、すべての「正しい行い」が含まれています。
ものの見方、心のつかいかた、體のつかいかたが、今どんな状態なのかと氣かつかなければなりません。そして意識を覚酔させるのです。それは日常生活、あるいは仕事を通じて行います。
心身を汚さないように正しくつかっているか、見つめ汚れていれば反省をして見つめ気づいて、正しく使うよう‥。
そのためには「氣の統一法・氣の呼吸法即ち「瞑想」をし、内観を整え浄化して、積極的によいエネルギ―を充満させること継続して行うことが一番重要です。
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2018年06月22日

高槻市立寿栄小学校のブロック塀倒壊事件について

高槻市寿栄小学校は、昭和三十年後半から五十年代にかけて高槻市が人口急増都市としての時に、多くの学校が造られました。その時に造られたものではないか?と推測致します。阪神淡路大震災以前のものでしょう。その頃はあまり耐震構造としての考え方がありませんでした。多分最初はネットフェンスであったように思います。その後にブロック塀に…。しかし、高さ1,6mのプロック塀については、構造的には最低、基礎コンクリートは底辺0,5m高さ0,8m天端0,3mの重力式、地盤支持力に応じた基礎グイの設計が必要です。主鉄筋として異形鉄筋16mmを30cm間隔に配筋、根入り60cmは必要です。更には基礎コンクリートからのブロックは三段目までは巾20cmのものを積み上げ、間詰めコンクリートは全空洞に施すべきです。当然配力鉄筋も、二段毎に異形鉄筋13mmを。そして応力計算(設計外力に対する安定計算)をすることです。控え壁も設置するが、場所、条件によってはそれだけでは実際は安全ではありません。特に控え壁については、外からの外力について有効に働きますが内側から外に向かっての外力には問題があります。さらに控え壁とブロック塀との接合部においては控え壁とブロック塀の主筋と配力筋との接合を充分行なうことが重要です。ブロック塀については、構造計算まで行なうことは少ないと思われます。私は在職時代にはシビルエンジニァとして多くの道路橋梁その他の土木構造物、さらには木造建築、高層建築物を計画、設計・施工を担当致しました。その経験から申し上げました。簡単に工務店に依頼されますことに少し危惧致しております。まず、設計コンサルタントに依頼されることを望みます。
posted by 弘心 at 12:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする