2018年05月02日

日本精神について

日本精神(リップンチェンシン・受け継がれていく日本の言葉と心)とは
李久惟(ジョー・リー《孫世代》)(1975年、台湾・高雄市生まれ。東京外国語大学卒。専門は語学教育、歴史、比較文化。30言語以上を学習し、15言語以上を話すマルチリンガル。多言語多文化研究会代表、次世代グローバルリーダー育成の会主宰、拓殖大学客員教授。日本李登輝友の会理事。常に海外・日本国内各地をとびまわり、語学講師の指導。企業や各種団体に広義とセミナーを行う。通訳として台湾新幹線プロジェクト、野球国際大会、(オリンピック予選、コナミカップ、映画祭(沖縄国際映画祭など)東日本大震災では、台湾と日本の双方各地にて震災支援活動を行い、義捐金活動をいち早く呼び掛け奔走した1人。日台親善の次世代を担う日本精神を受け継ぐ台湾人。)氏が台湾の祖父母から受け継ぎ自分なりに感じたものをまとめられたものです。日本精神のエッセンスとして62項目を書かれています。その中から30項目を紹介。
〇きめ細かなおもてなしの心
〇和をもって貴しと為す(聖徳太子の十七条の憲法の精神
〇見返りを求めない利他の心と無償の愛
〇責任感が強く、任務を最後まで完遂する根気と強い精神力を持つ
〇自分の仕事に誇りを持ち、皆のために一生懸命である。
〇世の中に必要とされる万業を興し、技術を磨くことを怠らず、さらなる発展ための開発・発明を絶えず続ける。
〇魂を込めてものづくり。
〇自然万物、そして人がつくったものにも魂が宿ると信じ大切にする。
〇礼儀ただしく、高い道徳心がある。
〇進んで公益となることをおこなう。
〇マメで律義で勤勉
〇如何なる困難にも負けず乗り越える不屈の威信
〇悪しきことを正すという正義感にあふれている
〇他人にも春風の如く暖かく接し、成長のために自分(または身内,数え子)には、厳しくする。
〇自然万物への愛と感謝する心
〇八百万の神の信仰
〇幼き弱きものへの慈しみ
〇すべてはひとつ、大いなる和の世界、宇宙のすべては一元、八紘一宇
〇大自然との調和を大切にする、ビッグハーモニー
〇美と知への飽くなき探求心、飽くなき自己研鑽
〇全体を見渡せる俯瞰力、細部に至る洞察力、ひとつにまとめあげる達観力
〇神や目に見えぬ存在への畏敬の念
〇自分の祖先・ルーツに誇りを持ち、代々それらの思想と伝統文化を受け継いでいる
〇親孝行で、家族、友人を大切にする
〇特に人の教育を大切にし、幼児の早期教育に力を入れていた(江戸しぐさの「三つの心、六つの躾、九つの言葉、十二の文、十五理、それで末決まる」を受け継いできた)
〇三つ子の魂百まで
〇ときに、「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」をよしとする
〇許す心を持ち、善も悪もすべてを受け入れる懐の深さがある
〇純粋・純真・純情
〇古来の伝統、自分の決めたこと、自分の信条を頑なに守り通す
〇一期一会、一瞬一瞬というほんのひと時でも大切にする
                                              以上
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教育勅語と日本精神

教育勅語と日本精神  教育勅語は悪か…。

国会で、ある事件を巡っての質疑応答…そしてそれを報じる新聞。遡って2017年2月23日と3月3日のM新聞の論評・社説に次のような言葉がある。
「…世の中は思い通りにならない。とくに子どもの教育はそうである。国も同じで、必死に日本の独立を守った明治の先人は教育勅語を子孫に残し後世の安泰を願った。しかしそれを覚え込まされた世代は無残にも大日本帝国を滅亡させる。だが世の中にはこの21世紀にもう一度試そうという人もいるらしい。教育勅語園児に暗唱させる幼稚園を運営する学校法人が今度は小学校を作るという話である…」さらに「…明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ…」と主張している。
前段の論評で「…それを覚えこまされた世代は無残にも大日本帝国をめつぼうさせる。…」とのべている。この指摘は正しいとは言い難い。祖国を想うことは人として当然のことではないか…。しかし、国民の心を何かに誘導しようとする指導者の思惑の材料となれば又意味は異なってくる。純粋に人間としての精神性を説くことに特化すればこれ以上のものはない。天皇の名のもとに、いや時の為政者が名を借りて国民を強制的に一方向に導くようなことであれば、これも又異議を唱えなければならない。

又、今の時代に当時そのままの言葉を子供に丸暗記させ、日常的に暗唱させるということは、時代錯誤も甚だしい。
特に、1948年に我が国の衆参両議院での排除と失効確認が決議された事実は事実として受け入れなければならない。しかし、当時我が国が世界的に置かれている状況と敗戦国と戦勝国との関係について、深い洞察力が必要ではないだろうか。GHQの支配下におかれていた状況は、再び軍国主義としての芽を徹底的に排除すべく作業が行われて、我が国のあらゆる文化が、特に武道関係においては、禁止という名のもとに封鎖されている。その様な中にあっての「決議」であることも忘れてはならない。
特に「基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す…」という表現についても違和感がある。真の基本的人権の意味・真の国際信義とは何を指して云うのか…。

それではそれぞれ専門的立場の人たちの意見はどうか。日本教育史が専門の日本大学の小野雅章教授は 次のように述べられている。「教育勅語は、明治期ですら政府内で内容が問題視され、改定が議論された。それを今に至って政治家が称賛するとは……」と。  しかし、実際、教育勅語が出た4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いた。 驚くことに、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じたという。しかし西園寺の病気で実現しなかった(文相参事官を務めた竹越与三郎著「西園寺公」1947年)。
政治思想史に詳しい放送大教授の原武史氏は「現憲法の国民主権、基本的人権の尊重と正反対の内容です。『良いことも書いてある』と評価する人は、一体どういう読み方をしているのか」とあきれるのだ。
 なぜなら「父母に孝に……」などの「徳目」が並ぶ一文は「以て天壌無窮の……」で結ばれる。「つまり『良いこと』のように並ぶ徳目は、すべて皇室を支えるために臣民に課す、という位置づけです。戦前の小学校でも、これが教育勅語の核と教えられた。一部を切り出し、全体を評価することはできません」と解説する。
 元文部科学相の下村博文氏も14年4月に「内容はまっとうだが、昭和期に誤った使われ方をした」と述べたが、原さんは「確かに小学校で暗唱が課されたが、昭和期に語句が変わったわけではない。最初から問題のある思想を内包していた」と両断した。
天皇が新憲法下において、象徴としての存在となった今、「教育勅語」を当時のままの姿で、今の教育現場に移行させることは、時代錯誤も甚だしいことは
常識ある者にとっては当たり前のことであろう。

しかし、当時の「教育勅語」が国民に与えた影響を考える時、前述の「…無残にも大日本帝国を滅亡させる…」との表現には違和感を覚える。大日本帝国の滅亡は異なる事由での問題ではないか。

私は台湾との関わりを今から38年前に持った。そして多くの台湾の人たちと交流をさせて頂いた。その中でリップンチェンシン・日本精神という言葉を知った。それは今77年間生きてきた私にとって初めての出会いであった。1947年、新教育下においては道徳・修身などの教育は無かった…。私達はその真っ只中にいた…。

台湾の長老たちが若かりし時、日本統治下において受けられた教育の中心は「教育勅語」を中心になされた。その影響下で生きて来られた人達の精神的状況は、総てが国を滅ぼすあるいは人間破滅のような結果にはなっていないことも又事実である。
一つの事例として、李久惟氏が書かれた「日本人に隠された『真実の台湾史』」の一節を紹介したい。

「…台湾に対する様々な視点で書かれた過去の著作はすでに多くありますので、日本統治時代を経験した祖父母世代から聞いてそだった、われわれのような孫の世代が、どう受け止め、どう感じていて、近年の震災義損金活動やWBCの日台戦の応援で見せた心と動きにどう結びついているかに注目して頂きたいと思います。
もともとアジアの最貧地域のひとつだった台湾に、日本の先人たちは奇跡を起こしたのです。日本治世の功績は大きくわけて三つあります。本書では以下の三つを主眼に書いています。
1.農水(食べ物と水)
2.近代化の基礎インフラ、産業
3.教育(技術と精神)
日本の先人たちは とにかくやればできる と 利他の心 で「必ずや人や国の為に役立つ人間になりたい」いう強い意志で語学や専門分野に実績を残しています。台湾では数え切れないほどの功績とそれにまつわる物語が残っています。今の日本人もそのDNAを受け継いでいるので、目覚めたときには凄まじい勢いと力を発揮すると台湾の祖父母の代の多くに信じられているのです。

日本時代のすべてを美化するつもりはありませんし、盲目的に日本が好きなのではありません。いつの世にも、世界のどの国でも、善も悪も、その両方が混在していると思います。当然ながら日本統治時代にも光の部分もあれば、もちろん影の部分もあったことは否めません。しかしながら祖父母世代から書いた表現ですが、「「日本時代は、台湾にとつて光が九割以上、闇が一割以下』。比較して「オランダ時代、清国の時代、初期の国民党時代は、闇が九割、光が一割だった」と言うのです。

搾取ではなく共存共栄を主とした日本の統治は、台湾の民にとても尊敬され、今なお多くの人々は感謝の心を忘れていません。台湾人も日本人も、受けた御を返すということを大事にしている点は良く似通っていて、お互いに心行きが共有でき、共に志を持ち未来を歩むことのできる民族なのです。
日本時代は結果的に台湾の近代化の基礎を造り、食べ物と水のあふれる大地に変え、台湾を幸せにしてくれたのです。
台湾には今も日本の心が息づいているのです。
台湾の祖父母世代は日本統治だった台湾に暮らし、今の日本人が失いかけて
る大切な日本(リップン)精神(チェンシン)(大和魂)を持ち続け、孫の代にも伝えようとしてきました。日本精神の代表的なものが 利他の心 なのでしょう。
自分よりまず人のことを思いやる心。自分だけのための人生を過ごすのではなく、「人・家族・地域・公・国・世界」のために人生を全うするという心。『求めあうより与え合う』という生き方。「誰かの光・希望となる存在」になるための生き方。そんな社会環境や人間関係を形成してこられたのが日本の先人たちなのです。見返りを期待せずに人助けや人の役に立つことを進んでする、そして喜んでもらえたらそれ自陣が自分の喜びになるという捉え方で、人や公に尽くし絶えず自己鍛練を怠らず自省しながら技術も人格も高めていく人生をすごすこと。以上のようなことを、日本人の先人が台湾に真剣に教えてくれたのです。
日本が教えてくれたことの一つとして、祖父母世代はよく、自分と先祖がつながる「逆さピラミット」の話をしてくれます。
自分がうまれてくるには必ず父母がいます。その上にもそれぞれの父母がいます。二十八代前に遡れば、その数かなんともはや約一億三千万人に及びます。皆すべて兄弟親戚。だから助けあうのは当り前なことです。そしてまた、その連綿とつながった命のリレーのなか、自分と関わるすべての祖先を、誰ひとり欠いても今この瞬間に自分が存在しません。まさに「命のリレー」で、祖先たちは過去の飢饉や自然災害などの天災、戦禍・事件などの人災をすべて潜り抜け、脈々と受け継いできたのです。
今の自分があるのは、ある意味で「奇跡」なのです。生かされていると感じることが出来れば、それは感謝の心につながり、人のために役に立とうという気持ちが生まれます。
古来より日本が大切にしてきた、知育・徳育・体育・住育など、何れも大切ですが、こうした教育の根底には、人のつながりを重んじ、常に人のために思って行動できる、そんな利他の心が流れているのだと思います。
かっての日本の先人が持っていた素晴らしい美徳・日本精神を、皆で再度思い起こしてほしいというのが台湾の祖父母世代の人たちが長年秘めていた、日本に対する強い想いの一つなのです…」

以上が、李久惟氏の書かれた本、「日本人に隠された真実の台湾史」の一部です。

我が国の東芝などの企業経営者や政治家がこのような心をもって経営に、政治活動に従事していれば、不正決算・粉飾決算や政治活動資金の不正使途のような不祥事は起こっていないはずです。ましてや、一国のトップたる総理一家が忖度などと疑いを掛けられずに済んだのではないだろうか。日本人には何かが欠けているものがあるのではないでしょうか。

今、我が国の政財界のみならず、管子が説く「四患」の中のたった一つの「偽」という言葉が遵守できない精神的混迷の中において、日本人としての精神的支柱として何が存在するのか、何が必要なのか、問われているのではないか。




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吉田寿三郎先生(故)

吉田寿三郎先生(故)のこと
今から13年前の平成17年五月に一つのボランティア活動団体が閉会をした。23年間続けてきた高槻ウエルエージング協会である。
昭和58年に7人から始めた。シビルエンジニァーが何故福祉を‥といぶかる人が大半であった。この団体を発足させるまでに、さらに十数年遡ることになる。

高槻市は京都と大阪の丁度中間に位置し、昭和40年代には十年で人口が倍になるという全国でも有数の人口急増都市であった。市の予算の半分は教育予算すなわち学校の建設費である。そのためにインフラ整備は他市と比べて低いものとなった。

そのような中にあって公共事業の目玉は、中心市街地を平面交差で分断している私鉄の連続立体交差化事業があった。初代の建設準備室長として国の採択に向けて取り組んでいた。
鉄道の仮線敷きとしての役割も兼ねた都市計画道路を新たに鉄道の北側に計画をした。
大阪医科大学の敷地が少し都市計画道路に掛かった。当医科大学の卒業者で作る仁泉会というのがあり、その代表者の一人が「市民病院の役割もして市には多いに貢献しているのに、その大学の敷地を道路にかけるとはけしからん」と反対の意向を示したのである。その時の大学の反対のための委員会委員長で吉田壽三郎という衛生学公衆衛生学教室の教授がおられた。週に三日は教室に通うことになった。

京都大学の医学部出身で国際老年学会の理事をされており、わが国でも著名な先生であった。
白髪の穏やかなその容姿と先生の説かれるアカデミックな論調は、全ての人を魅了せずにはいられないすばらしい先生でした。私はその吉田学校の最初の生徒でもあった。

当時に「日本老残」「デイケァーのすすめ」「高齢化社会」などの多くの著書があり、昭和40年代にすでに五十年後の超高齢社会を見通されていた。北欧が60年から90年かけてゆっくりと高齢化社会へ移行したのに比べて、日本はわずか25年で同じ状態になることへの危機感をいつも口にされていた。毎日と言ってよいほど、電話が掛かり一時間ほどその話をされる。「奥山さんいよいよ迫ってきましたよ。今、一人の老人を五人で養っていますが、三十年先には二人で一人となります。抜本的な考えをしなければ破綻しますよ。具体的には富の再配分です‥‥」最初は全く分からなかった。当然であろう専門分野が違うのである。

しかし、少しずつ頭の中が変わっていくのが自覚できた。私自身は都市工学科を出て、総合計画・都市計画・橋梁・都市公園・道路・橋梁・高架事業・都市再開発・高層建築…などを専門としていた。私の頭には、構造的な思考が勝っていました。しかし、その構造物や建築物は誰のために造るのか…人間が主となる目的で造らなければならない…その点が欠けていたことに氣がつきました。人間を知ることが大切…ということに氣がついたのです。その意味で吉田先生との出会いは、天が私に与えたものとの想いに達しました。
1978年に国際老年学会の後をうけて、京都国際会議場で京都大学総長奥田東先生を中心として、吉田先生は京都国内シンポジウムを開催された。アメリカのバトラー博士など世界から老年学の権威者が集まって来られた。私もその一端を担わせていただいた。僅か三十分でしたが、財団法人氣の研究会の藤平光一先生が「氣について」話された。心が体を動かすことを「折れない手」を壇上で実験され、バトラー博士などが腕を出して真剣な顔でテストをしておられたのが目に浮かぶ。

厚生省の時代には同省の課長より先に合格したためいずらくなったこと、当時の日本医師会の武見会長から絶大な信頼を受けられたこと、肺結核の治療に新しい画期的な論文を発表、しかし、学閥による抵抗から実際に表に出ることがなかったこと等、いろいろりなお話しをうかがうことが出来た。特に昭和の三十年代から自らスェーデンに行って数十年後に必ずや遭遇する超高齢社会解決策を求められたがその答えはなかった。わが国の福祉施策は北欧をモデルとして作られてきた。失敗もまたそのとおり模倣をしてきたのである。

「先生はアカデミックな分野で活動されています。私は具体的に地域で実践をさせていただきます」、先生が主宰されている「日本ウエルエージング協会」とおなじく「高槻ウエルエージング協会」をつくります。土木技術者の福祉ボランティア活動の始まりであった。

資金がないため、福祉論文などの応募をして稼いだ。大阪社会福祉協議会の福祉論文募集に今までの活動記録を論文にして応募した。第一席に入賞した。その時の審査委員長は、大阪府の福祉計画である。「ファインブラン」の中心であり、地域福祉論で有名な大阪市大の名誉教授である岡村重夫先生であった。大阪社会福祉協議会の講堂で、福祉の専門家や民生委員、行政職員など約800人を前にして、二時間しゃべらせて頂いたことも懐かしい想い出である。その後、愛は地球を救う、の団体から380万円の移動入浴車の贈呈を受ける。読売新聞の愛と光の事業団からの寄贈など、一躍全国ネットとなった。

特別事業部として「寝たきり老人等の在宅における入浴援助事業部」をつくって八年間行った。(移動入浴車で延べ250人の寝たきり老人を在宅において入浴)市議会、自治体への働きかけ(誓願)をして制度化へと移行させたことは、ボランティア活動の真髄とも云えるものである。無償性・継続性・提言性‥ボランタリズムの自覚が求められる。

因みに、高槻ウエルエージング協会の設立趣旨は、「人間が、真の人間として尊厳を保ちながら生きることのできる地域社会の創造」である。
シビルエンジニァーとしてその後の街づくりの視点をその主旨をコンセプトにしたことは言うまでもない。

私の人生の一部を変えたともいえる吉田先生は、既に鬼籍に入られている…。もっともっと先生と一緒に居て、お話を聞きたかった…そしてもっと役に立たせて頂きたかった…。想いが募るばかり…。先生との出会いには改めて感謝で一杯である。




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2018年03月27日

日本のゆくえ2


今、日本中が不思議な方向にある。たった一つの土地問題に絡んで日本人の精神構造があぶりだされている。その国をある意味ではリードする官僚といわれるグル―プ。国民から選ばれた自称代表と言われるグループ。その中に如何にして取り入ろうとする野心家…。さらにそれを面白おかしくメディアは煽る…。冷かな目で眺めてみると、あまりにも情けない人の集まりといえる。
「君子は諸れを己に求む。小人は諸れを人に求む」この意味は、君子は何事も自分に責任を課すが、小人は責任を人のせいにする、ということである。我が国には、君子にあたいする人物はいないのだろうか…。
市井の中に存在するが、先に述べた集団には存在しないと言っても過言ではない。「偽」という言葉一つが守れない…。いつわる、うそをつく、だます、などの意味を持つ。人としての尊厳に係わる一番大切なことである。
いつからこのような精神に成り下がったのであろうか。教育勅語が問題…道徳が問題…修身が問題、などと原始脳だけでの判断で、自らがエリートと思いこみ生きてきたことに思いが及ばないのであろうか。
何かが欠落していると感じるのは私だけなのか…。
知識を最重点におき、それを知識とすることが出来ず、勿論見識も胆識も…ない。今、前財務省理財局長の証人喚問が行われている。自らに罪が及ぶような答弁は誰もがしないであろう。それを承知で質問が延々と続いている。
この事件でおいて一体誰が損害を被ったのか…。現在、問題となった土地は元の国有地として戻っている…。売買による被害はない。もし、この約九億の土地が八億円も値引きされて一民間人に渡されそして民間人は転売をして大きく儲けた…、さらに次次と転売…、国民の財産が不当な値引きにより、売られていたことにより、国民は多大な損害を被った…ということであれば時間をかけてでもその原因の究明をしなければならないであろう。しかし、実際はそんなことにはなっていない。土地は国有地のままである。無駄な国会での討論はほどほどにすることも必要ではないか。その為に空転している国会運営と、その為の費用は多大な額である。税金の無駄遣いと言われても仕方ないのではないか。野党は政権交代のチャンスとばかり、そのほうに力を入れていると思われても仕方がない。
きのどくなのは証人となったM氏である。家族もあり友人もあり、前途洋洋な人生をこの様な形で人生の幕引きをすることに忸怩たる思いであろう。
家族や子どもはどのような思いで一日一日を過ごされているのであろうか…。本人の自業自得という言葉を云い放つだけで済ますのは、あまりにも人情がないのではないか、と思うのは私だけなのか…。

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2018年03月14日

日本のゆくえ

日本のゆくえ
今、我が国が大きく揺れている…。即ち、「国有地売却に関する決議文書改ざん問題」である。ことの起こりは、学校法人に学校建設に伴う国有地払い下げにことを発する。幼稚園児に教育勅語を暗記させて父母の前で唱和させる…異様な雰囲気の中に子どもを置く…、時代錯誤も甚だしいこの学校に、こともあろうか時の総理大臣の妻が賛辞をおくり、名誉校長などを引き受けている。この学校法人に国有地を払い下げることが進む…。国は財務省が担当。国会は野党の払い下げに伴う交渉経過資料提出を巡り与党と対峙、空転する。ここに提出資料の改ざん問題が浮上する。見つけ出そうとする野党と、隠し通そうとする与党。人間は権力のあるものに対して全ての者とは言い切れないが、おもねようとする姿勢がある。今回はこのことが如実に現れたものと断言できる。
一国の総理大臣の妻が関係する事業なので何とかしてその思いに添いたい…。その空気が組織の中に充満した時、やってはならないことまで犯して忠誠心を表そうとする。その経過を記した公文書が、後になって国会の中に提出することになった時、組織は都合の悪い内容を外して抵抗のないようにする…。そのことが今、おおやけになろうとしている…。安倍首相はこのことについて、次のように語る。
「…国民のみなさまから厳しい目が向けられていることを真摯な受け止め、なぜこんなことが起きたのか,全容を解明するため調査を進めていく。…」と述べた。」
私はこの言葉を聞いて、唖然とした。ことの発端は自らの妻が総理大臣の妻という立場を利用し国有地払い下げの交渉に関与したことにある。
国有地払い下げの交渉に安倍首相の妻が嘴を入れた。その内容が経過資料となった。都合の悪い経過をないものとするために、余分な文章を削除したことが今回表面に出た…。何故、削除したのか…根底には安倍首相の国会答弁(私や妻は一切関係していない…)に整合性を持たせる為に、財務官僚が経過資料を改竄した。その為に若い官僚1人が自殺した。さらには担当部局のトップは辞職した。
たった一人の智慧をもたない女の行動のために、人の命が失われ、又、有能な官僚も輝ける人生に終止符を打った…。そして国民の税金が空転国会に無駄な費用として使われたことになる。ことの発端となった女については、毒婦と表現してもよいであろう。
今の日本人はなぜ管子が説く「四患」のうちの一つ、「偽」ということを犯してしまうのか…。政財界に蔓延しているこの現状は、この国をどこへ導こうとしているのか…。
国民一人一人が真剣に思慮することが必要ではないか。


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2018年03月09日

今日の言葉


すべては無我である
(自分のものなどないことを理解すれば、幸せになれる)
私達は、いろいろなものを自分のものだと考えています。しかし、実際には自分のものなど一つもありません。
どんな財産も永久に持ち続けることはできず、いつかは自分の手を離れていきます。また心も感情や妄想に突き動かされ、自分の思い通りにはなりません。命も必ず終わりを迎えます。
posted by 弘心 at 22:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

〇〇〇〇交流協会代表N氏宛書簡

お元氣な様子、又、ご活躍のことと拝察いたします。最初で最後になりますが、返信をいたします。まず最初に私の基本信条についてであります。精神については、武士道を藤平光一氏(最高位十段、合氣道界最強の達人として世界21カ国に広められた)に師事40年。天風会主宰中村天風氏、東洋哲学者(陽明学)安岡正篤氏に35年…など多くの先達に学びました。藤平翁からは、争わざるの理・人として人格を造る、ことを。天風師には、心身統一道として心が體を動かす原理。安岡先生には、人としての生き方・運命は変えることができるとして立命学を学びました。いまだ修業途中であります。お陰をもちまして、地方行政に三十数年間に4721人の方との出会いと関わり、特に田中角栄氏、町村自治大臣、佐藤栄作氏の子息、元大蔵省銀行局長大月 高氏、神戸電鉄社長奥田氏…などの方との出会いは強烈な印象と精神学びました。なおその後におきましてもさらに多くの出会いをさせて頂きました。貴台は私のリタイヤ後のその中の一人でもあります。私の信条は、「四維」と「四患」を守り、至誠・至公・誠実であります。しかし、私は四患を一番嫌います。それは人として自ら滅し、組織を滅ぼし・ひいては国を滅ぼすからであります。貴台のことですから充分お分かりと存じます。次に台湾との交流についてです。台湾とは今から約40年前にある人物との出会いが最初です。その後、今から十数年前に台湾から招聘を受けて武道の指導に参り今に至っております。最後に貴台の会の会員であったT氏の件です。貴台は、人を使って脅迫にもとれる行為をT氏にされました。ものごとは双方の言い分を聴かなければその真意は分かりません。組織を率いる者は、まず自らの信条が確立していなければなりません。人は誰ひとりとして完成された完全な人格を持つものは存在しません。何時までも相手の非をあげつらい相手を誹謗するだけではなく、相手を良い方向に導いていくことこそが組織の代表ではないでしょうか。いや、釈迦に説法でしたね。さらに、私宛てに台湾行政院から書簡が届きました。そのことについて貴台は「〇〇〇〇交流協会のおかげですね」と私に言われました。おかげではないでしょう。対面をさせて頂き名刺交換をさせて頂いた結果です。台湾のバシー海峡の戦没者慰霊祭に舞鶴から貴会の会員でもない二名を参加して頂きました。不明朗な旅費内訳により誘った私は大変迷惑を被りました。第三者の旅費と会員でもない人の年会費などが含まれた内訳、その後清算すると言いながら為されていない…。これは考え方によれば詐欺になります。会の代表者が自ら責任をもって事後処理にあたることが必要です。会計担当と直接話し合えば一度で済む話ではありませんか。会計担当者のT氏1人に責任を負わせるのはもっての外であります。会で生じたことは、すべて代表者にあります。最後に貴台からメールはT氏に伝えておきました。貴会の御発展をお祈りいたしまして最後の返信とさせて頂きます、

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京都台湾交流協会の発足


台湾との交流は、今から約40年前から…、「台湾への架け橋」と言う一冊の本がとりもつ縁となりました。今年で10年…年二回の訪台で20回になります。訪台で心身統一合氣道通じて沢山の素晴らしい友人が出来ました。台北と花蓮、今年は台南高雄にも参ります。今回の「京都台湾交流協会」は、二年間の雌伏へて設立いたました。これは法人化への第一歩と考えています。多くの方の入会をお待ちしています。二年に一度の台湾への訪問交流、年間を通じての講演会、会員同士の情報交流、規約に定めた事業部門にわかれての活動…京都と台湾のより密接な関係の構築に努めたいと考えています。重ねて多くの方の入会をお待ちしています。入会希望の方には、本会の「規約」などお送りいたします。
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台湾R氏宛てコメント


御存じと思いますが台湾の合氣道は、大阪合気会の田中万川氏が、台湾の柔道家の李氏に初めて伝えられました。李氏が台湾で出版された合氣道の本で知りました。私は初め合気会で植芝盛平翁に師事しました。又、田中万川氏とは、高野山での合宿など、一緒に修練いたしました。その後は、植芝盛平翁から藤平光一(当時合気会総師範部長合氣道最高位十段…海外21カ国に広められた)に伝えられた合氣道は「合氣道は、天地の氣に合するもの、として盛平翁が亡くなった後、心身統一合氣道・心身統一道を創見されて現在に至っています。私は藤平光一師範が合気会を退会された時、藤平光一先生と一緒に合気会を退会して、藤平光一先生に師事して今に至っております。今の合気会の合氣道は植芝盛平翁の技とは基本的に異なっています。創始者植芝盛平翁の技は、完全に力を抜いておられましした。すなわち、リラックスこそが合氣道の基本なのです(植芝盛平翁から直接お聞きしました)。そのことを藤平光一師範は悟られました。そして当時、合氣道界最強の師範として国内外にその名をしらしめられました。私は3月3日〜6日まで台北へ参ります。今回は私が訪台10年の節目として、一般社団法人心身統一合氣道会として、心身統一道・心身統一合氣道の普及のために参ります。真の合氣道とは何か、台湾の皆さんに改めてお伝えしようと思い参ります。
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藤平光一先生・植芝物平翁のこと


1974年に「合気ニュース」を創刊された編集長のスタンレーブラニン氏(合気道史家)が語る藤平光一先生の実像。
藤平光一先生との出会いとともに1997年まで藤平光一宗主と7回の会見が行なわれました。その中でのトピックスとしてのニュースは「藤平先生はそれまで武道関係の雑誌のインタビューに応じなかった理由として、「私が昔のことをしゃべったら、彼ら(植芝盛平の弟子たち)がダメになってしまうだろうと思ったから(合気ニュース110号)」と言われています。つまり、植芝盛平を神秘化したり超能力者にまつりあげている弟子たちにとって、盛平翁の強かったのは彼が完全にリラックスしていたからだという事実が明らかにされてしまっては……困るわけです。「しかし、本当のことを残しておかなければなりません」ということで『合気ニュースの一連の会見の実現となったのだといわれています。何故植芝盛平は、強いといわれるようになったのか…当時合氣会総師範部長であった藤平光一師範は、「それは完全に力を抜く、即ち、リラックスを会得されていたからなのです」と見抜かれていました。決して神秘的ではなく、当然の結果なのです。既に極意を会得されていた藤平光一師範(合氣道十段位)は、1960年代後半から70年代にかけて藤平先生の海外での活躍には素晴らしいものがあります。事実、当時の私たちにとり、植芝盛平大先生は壁に貼ってある写真の人、神秘的な存在でしかありませんでした。しかし、藤平先生は実際に腕をとって投げおしえてくださる現実の人。具体的に解説を交えて教えてくださる堅実のひと、として人の心に入っていきました。そうした合気道普及での藤平先生の活躍は、残念ながら現在出回っている合気道関係の書物には残されていません。私としては、そういう事実を合気道史上に残しておきたい、現在の若い人たちに知ってほしいと思ったのです。
私(奥山)は、藤平光一(合氣道十段位・心身統一合氣道創始者)に師事して約四十数年になります…。
合氣道は「完全に力を抜く…リラックス」ことが一番重要であり、極意であると心身統一合氣道を創見された藤平光一先生は、みずから中村天風翁の「心が體を動かす」と言う言葉と心身統一道と山岡鉄舟の一九会での禊修行などで、そのことを会得されました。武田惣角から植芝盛平そして藤平光一と伝えられた合氣道は、人の氣に合わすのではなく、「天地の氣に合する道」が合氣道である、と喝破されました。
真の合氣道とは何か…、相対世界ではなく、絶対的自己を造り上げること、即ち「争わざるの理」と「自らの人格を造る」ことに在ります。私達は藤平光一宗主が創建された「心身統一合氣道」を藤平光一宗主から直接学び、宗主亡き後は、子息の二代継承者藤平信一会長のもとで世界に広められています。藤平信一会長は、父藤平光一宗主に想像を絶する教えのもとに耐え、見事に合氣道の真髄を会得されました。私は二代継承者藤平信一会長の4歳の時から見守って来ました。そしてこれからの合氣道界を牽引されるのは彼以外に無いと断言致します。今年は一般社団法人心身統一合氣道会は「心身統一道・心身統一合氣道」をもって、台湾へ参ります。そして台湾合氣道と表武をもって交流いたします。よろしくお願いいたします。
posted by 弘心 at 22:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする