2006年07月27日

争わざるの理2

前回でも述べたように、武道の達人と言われた人たちはその晩年において、「心の平和」を説いている。

何故だろうか。自らが行ってきたことの反省からなのか、それとも加齢を経ることによる悟りなのか。その真意は本人のみが知りえているのであろう。

さて、合氣道の変遷を見た場合、二代目三代目と道の伝承がなされているが、少しずつ変化していることが窺える。

合気会を例にとれば、合気道の創始者絵植芝盛平翁は、自身力を抜いて完全なリラックスが出来ていた。

しかし、そのことは言葉にしても教えていかなかった(藤平光一談)。
そして自ら「合気=愛気」と称し、「…すなわち戦わずしてすでに勝つところにこそ、合気道が要諦とするところの「正勝」「吾勝」「勝早日」のおおいなる価値があるのである」と説いた。

そして「宇宙即我」と表現した。
これらの表現は「言霊の妙用」として、合気道という武道がそのように、心性的にはもっぱら「言霊」により「業」となって生み出されるものと解し、「古事記」にいうところの産霊(むすび)の思想にもとづいて「武産合気」と称することを好んだ、と言われている(「植芝盛平生誕百年合気道開祖」より)。

そして、二代目道主となった植芝吉祥丸は、合気道は「人の気に合わせるの道」と標榜した。

それまで、世界28ヶ国に合気道を広めた合気会本部総師範部長であった藤平光一が合気会を離脱した。

それは、合気道とは「心身を統一して天地と一体になる。すなわち天地の氣に合する道」を説く者としてその哲学の違いからである(「氣の確率」藤平光一著より)。

今、合気会二代目道主植芝吉祥丸は亡くなっている。籐平光一も病床にある。
しかし、両氏は姻戚関係なのである。

籐平光一の妻は植芝吉祥丸の妻の姉を娶っている。
氣の研究会も人材が育成されていない。優秀な高弟は離脱叉は亡くなったりしている。

このように達人が必ずしもその総てを伝承することにはなり得ないのが実情でもある。

現在、様々な方が「合氣武道」について述べられている。
叉、最近、合氣道の修練者がセミナーを開催されている。
「相手に触れないで氣で倒す…」とか「争いのない世界…」とか超越した体感を表現したものもある。

いずれにしても、心の安寧と平和を説かれることには素晴らしいと感じている。
しかし、合氣道は「格闘技」である。自らを厳しい環境において、自らを律しながらその体術を会得する努力と人格の向上への努力はさけられない。「氣」だけで平和はやって来ない。

しかしそれらは自身において内面的、外面的に行うものであり、そのことを他に問うものではない。それは自らを守るものは自らしかないからである。
そのことを充分自覚し大悟した上で、外なる平和、愛を説くべきであろう。

「争わざるの理」の真贋を見定めることも必要な時代になった。




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2006年07月24日

争わざるの理

武道の達人といわれる人たちには、共通したものがうかがえる。
柳生石舟斎、宮本武蔵、針谷夕雲…など剣豪といわれた武道家は、その半生を凄まじいまでの死闘を繰り返して、最後に平穏な日常に中にあって、一つの到達点に達してそれぞれが「会得したもの」として書き記されている。

柳生流の柳生石舟斎は、活人剣を説き、その心の持ち方を「禅」に求めている。

宮本武蔵は、「五輪書」の中で具体的な技のあり方を説いて、最後には心身ともゆるゆるとして争う気持さえも消去してしまうことが最高の到達点と説いている。

針ヶ谷夕雲は、極めた者同士が立ち会えば、最高の2者関係として「合いぬけ」に到達することを身をもって体現している。

これら総ては人間としての「心の平和」を示している。
争うことを極め尽くしていくと、最後には「争わざるの理」に到達することを物語っている。

さて、合氣武道の世界ではどうであろうか。
武田惣角は大東流合氣柔術でその天才ぶりを遺憾なく発揮して、広めていった。
しかし、彼には、哲学はなかったと表する(高岡英夫)人もいることも事実である。

その中で合気道の創始者植芝盛平は大本教との出会いによって、「我即宇宙」という観念をもつとともに、「合気は愛である」と表現した。

そして、「人類の平和」を説いた。このことは以前にはも触れた。

心身統一合氣道の籐平光一は「天地の氣に合する道」として、「天地の氣と一体となることが和議修行の眼目」と説き、「相対的世界から絶対的世界へのアプローチ」として合氣道の技を用いることを主張した。

さらに、格闘技である合氣武道を「人に勝のではなく、自分に打ち克つことをおしえる。すなわち、和の精神、争わずして勝つことを教えるのである」と明確な「争わざるの理」を説いた。つづく

(敬称略)、、

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2006年07月22日

ハウルの動く城 ハウルの動く城

となりのトロロ、もののけ姫。ゲド戦記‥宮崎氏アニメである。
今、テレビで見ている。
多分、最愛の離れている‥も見ていると想っている。

子供の頃は、今のようなアニメはなかった。焼け跡の広場に紙芝居屋さんが来ていた。
五円玉を貰って紙芝居屋のおじさんから水あめを買う。

割り箸の半分くらいの長さの棒の先にクルミぐらいの水あめが付いている。それをもう一本の棒で混ぜあわせるとその水あめの中に空気が混ぜ込まれて美味しくなる‥。

しかし、水飴を買って紙芝居が見られるのは僅かな子供でした‥。
当時、山川惣治原作「少年王者」の紙芝居でした。
それが子供の月間漫画雑誌「おもしろブック」に引き続いて連載されるようになった。

父はその本を買って毎月高槻の疎開先の家まで届けてくれた‥。
この歳になってはじめて父の心がわかる‥。父の死に目に会うことが出来なかったことが悔やまれてならない。

父に酷い言葉を投げかけたことも‥。父の本心を知りたかった‥。
父が生きていてくれたら、男同士一杯やりなが話をしたかった‥。
世の中とはこのようなものなのであろう。父には感謝の気持ちで一杯。

「おもしろブック」連載から暫くして、単行本になった。それも父が買ってくれた‥。昭和24年の話。今から57年前のことである。

当時には宮崎氏のような発想の漫画は無かった。当時の衣食住との関係もあるのではないだろうか。食べていくのが精一杯の時代。

衣食住たりて礼節を知る、その意味では、自由な発想が出ないのかもしれない。
宮崎氏の作品には、「愛」が描かれている。どのような境遇にあろうとも、心は純粋で暖かい。心が身体を動かしている。

最後には、魔法で老婆にされた美少女の「愛」でハウルや案山子は元の姿に戻る。そして国同士の争いもおさまる。

京都の伏見の母親を殺した事件の判決があった。判事の求刑にも「愛」があった。
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2006年07月17日

来客

舞鶴に来客があった。以前にも一度紹介させて頂いた。
今から五年程からお付き合いをさせて頂いている本山新峰(高橋学)先生。
明治の大蔵大臣、高橋是清の孫に当たる人である。

わが国の経済史を語るとき、欠かすことの出来ない歴史上の人物と言う事が出来ます。
氏も中央大学卒業後、企業経営では日本一、書画でも日本一と概ね八年で達成されている。

更には易経の大家であり、教育者、倫理学者、企業経営の顧問などを中心として今、四国は高松、長野、大阪と精力的に活動をされている。

今年、先生から二点の贈り物をいただいた。舞鶴の「農村と都市交流センター・弘心塾」に掲げる「氣」と「春風駘蕩」との書である。
今、表装してもらっている。出来上がりが楽しみである。

舞鶴の「引き揚げ記念館」「赤レンガ博物館」「近畿景観百選一位の展望台」「ふじつ温泉」など。
引き揚げ記念館では、「昭和史」の中に高橋是清の写真が多数あるのを見つけられ、懐かしく見ておられたのが印象的でした。

経済、教育、福祉、歴史、産業。文化など今わが国に起こりつつある問題に対して話をさせて頂く。
そして、先生との対話が始まる。

先生は数多くの企業の顧問をされて、そのしてその報酬は多い時には五千万以上と云われていた。その報酬は、自らの最低の生活費を除いた後は総て寄付とされている。

「愛は地球を救う24時間TV」もそのうちの一つとお聞きした。

今日、舞鶴との縁を結んで頂いた。舞鶴の商工関係に一石を投げかけていただこうと考えている。
これからも末永くお付き合いをさせていただこうと思っている。
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2006年07月08日

大地の恵み

雨が上がると、虫の襲来である。折角大きくなった小松菜も青梗菜も夏大根も虫に食われてしまった。

一週間前にはまだ小さくニームを噴霧して何とか耐えてくれていた。
しかし、駄目でした。
農薬を一切使用しないで作るのは、一瞬の氣の緩みで駄目になる。
その代わりに胡瓜とレタスは物凄い勢いで大きくなってくれる。

昨日も15本が採れた。大きいもので腕の太さ位はある。軽く塩で揉んでいただく。

レタスは余りにも多いので、温野菜にしてこれもいただく。
トマトが赤くなりだした。これも朝一番にとって食べる。
茄子は田楽‥。
味噌は和知の手作り味噌に本物の醤油、酒で頃合に味にして食する。

ものは言いませんが、此方が思いをかければ賭けるほど、それに答えてくれる。感謝で一杯である。
小松菜・青梗菜はもう一度種を蒔こうと思っている。

今度は、細かい網の布で覆うことで虫から守ってみよう。

カボチャとスイカは物凄い勢いで伸びだした。
すでに沢山の実をつけてる。

今日のおかずは、鹿の肉を塩コショウだけで焼いていただく。
そして、虫が半分以上食べた小松菜を一抱えほどを、一本ずつ洗って、オシタシにして頂く。

人がみれば呆れると思うほど時間をかけて‥。
これも自分が丹精込めて作った野菜、一生懸命に大きくなってくれたことを思うと捨てられない氣持ちになるのは、野菜に申し訳なくて捨てられないのが本音である。

大地からの恵みは、野菜だけではない。
大地との一体感、さらには大地と接触している足の裏は様々なことを身体に教えてくれる。

山道や畑を一本歯の高下駄を履いて自在に歩き走る。そして、木刀、状を自在に振る。
體が自然と変ってくる。

不思議である。體が自然にその時に状況に合わせてくれるようになる。
それには、「常に変わる変化する」と思い続けることが重要である。

「心が身体を動かす」のである。

植芝盛平翁は、氣のことはあまり詳しくは説明しなかった。
藤平光一宗主は「氣」と「臍下の一点」「力を抜く」ことを解説演舞として指導された。
しかし、それだけでは「合氣」は会得出来ないことがハッキリと分かった。

そのことも必要であることば間違いない。
それと共に、自らの體の「部分部分に氣を向けること」が重要である。

手・腕・肩甲骨・足・膝・骨盤・大腿骨等身体の部分を自在に動かすことが出来るようにすることが第一歩となる。

植芝盛平翁が茨城県の岩間で、農作業をしながら、合気道の修練をされたことは、周知の事実である(生涯仕えられた斉藤先生も数年前に他界された)。

偶然にも同じことをしていることから、その意味が分かる。
盛平翁は、大地からの恵み(霊力)得ようとされていたのかも知れない。

私は自然との共生から、自然から与えられるものを身体に意識として入れて生きたい。そして、そこからの学びを万有に活かしたい、その想いだけである。
posted by 弘心 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする