2007年04月13日

母の旅立ち

洗濯物を病院へ取りに行ったとき、呼吸が荒く、少し異変を感じた。「もう駄目かもしれない‥」との思いをしながら病院を後にした。

午後9時30分病院から電話が掛かってきた。「病状が急変しました。今、直ぐに此方に来て頂きたいのですが‥」
直ぐに駆けつけたがすでに息はなかった。

平成19年4月9日午後9時55分永眠。
享年93歳でした。

以前にも書いたか、万丈波乱な人生だった。
母の干支は、五黄の虎、「いずれ後家になる」と手に職をということで、日本髪を結う技術を学び大阪は船場で修行した。
これが後に役に立つことになる。

71歳の時、友人に付き添って行ったがん検診に、ついでにと受けた診断で子宮ガンが発覚。
末期がんで全摘。「半年の寿命」と執刀していただいた教授からの宣告。

私は教授の前で、本人に伝えたが、「先生、胃潰瘍でっしゃろ」と本人はどうしても信じない。
それから闘病が始まった‥。

そして、21年いきながらえた。
思い出の一つに、母は、仏壇の前で拝むことはしなかった。
いや、私が見ていなかっただけだったのかも知れない。

私の想像では、表面は天真爛漫を見せていたが、内面では何か自らの性格や生き方などにどうにもならない思いに忸怩たる思いを持ち続けていたのではないか‥、と。

そして、その思いが神・仏と面と向かい合うことをさせなかったのではないかとも‥。その真意はわからない。

母の妹がいる。91歳、今も健在である。母とは違って数字に明るく、総てが理路整然としている。母はそれとは全く正反対な人であった。

都会から、高槻の田舎へ疎開で来て、偏見と差別の中で、一人で義母と私と妹の面倒を見てくれた母。
感謝で一杯である。

そして、長い間、お世話していただいた病院の医師、看護士の皆さんには言葉で言い表せないほどの感謝で一杯です。
衷心からお礼を申し上げます。

又、家族葬をいたしましたが、多くの方のご参列をいただきましたこと重ねて厚く御礼申し上げます。

有難うございました。合掌
posted by 弘心 at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

トップの姿勢

テレビのニュースで電力会社の社長が挙ってマスコミの前で頭を下げていた。
嘘の報告をしていたとのこと。それも今から十数年前のことを今改めて詫びている。

以前にも書いたが、日本の経済界のトップの役職であるキャノンの御手洗代表も自身の会社の偽装請負にかかわっていた。

そして、嘘の情報をでっち上げてTV番組を編成した責任をとり辞任した民放の社長。

わけのわからぬ事務所費を計上して、挙句の果てには、一本五千円のミネラルウォータを飲んでいると言った国会議員‥。

さらには、アメリカからの飛び火で慰安婦問題で河野発言が又浮上している。当時の外交上の問題で真偽の程はなく、取りあえずの発言であったという‥。

何かが狂っているようだ。
為政者が、トップが、何故そう簡単に謝るのであろうか。
陽明学を学んだ先人と比べると、月とすっぽん以上の違いがある。

岡山の松江藩(今の岡山県高梁市)の百姓上がりの儒学者・陽明学者山田方谷・大塩平八郎などの行動とは比較にはならないであろう。

何が違うのが。
彼らは、東洋哲学からの大きく太い精神的なものを持っている。
心が體を動かす、ことから心の持ち方が違うのである。

しかし、現代の為政者・企業経営者には、人間性を創りだす精神的バックポーンが残念ながら無いのである。
これは人間性壊失と言っても過言ではない。

厳しい言い方ではあるが、知識を智慧に出来ない高齢者が増えているのも事実である。

「賢者は歴史を語り、愚者は経験を語る」と言う言葉がある。
トップに立つ人間には、先人の歴史を学ぶ必要がありそうだ。
posted by 弘心 at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天地の恵みをいただく

青梗菜が黄色い花を一斉につけている。
間引いた残りがひと畝の半分あり、それが花を咲かせている。
その内の蕾を一束をいただく。

ノビルと水蕗、セリ、ホウレン草の残り‥これもいただく。
隣の棟梁の喜代一さんから、野山葵の葉の佃煮を頂戴した。
こだわりの一品である。

以前にも書かせてもらったが、棟梁の秘法がある。ゆがく時の温度が微妙なそうである。
敷地の山にはまだタラの目は出ていない、コゴミもまだ。

白い水仙が咲き、続いて黄色いラッパ水仙が今、満開である。
又、雪柳が真っ白い花をつけている。
昨年に植えたチューリップが蕾をつけている。楽しみである。
山では桃の花、スモモの真っ白い花が満開‥。

食べるもの、見るもの、総て天地からの恵みである。
都会の喧騒の中に身を委ねていると、そんなに季節感は少ない。

この地に、このようにして、今があるのも何かに導かれてのことであろう。

自らの體も、自らのものではない。今自分の眼に表象として映し出されている景色も、総て、瞬間に変化していることを自覚した時、静かに今までの生きてきた道のりを振り返る。
そのときその時、純粋な気持ちで対してきた‥。
感謝の念で一杯になる。

総ての出会いは必然であると想うと、自らの使命は何なのか。
自ら以外の総てのものに対して、生かされていることへの感謝の念を持ち、役に立てる努力をすることであると想っている。

行き止まりのない旅がこれからも続く。
posted by 弘心 at 16:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

舞鶴の春

今年も又、鶯が鳴きだした。
毎年やってきた「ホーコッチャキテホイ」と鳴く鶯である。

鳴き終わりには、申し分けなさそうに小さく「ホホーホケキョー」と鳴く。
珍しい鳴き声なので、前にもここで紹介した。
昔はやった「鳴き合わせ会」の話もした。

明治時代に、「ホーキッチぺカッコー」と鳴く鶯に今の金に直して、数千万の値が付いたが、持ち主は譲らなかった…。

今の時代にはその様な粋人は存在しないのかも知れない。
価値観が変ったといえばそれまでだが、それ以上に心のゆとりが失われてきたのであろう。

これから楽しみである。「ジョービタキ」が尻尾を上下に振りながら、ヒッヒッと鳴きながら、庭の美男蔓の棚にとまる。

今年の冬もやはり、小鳥に餌になる木の実がすくなったのであろう。
庭の南天の赤い実が、食べられている。

南側の雨戸に大きな音がしたので、外に出てみると、雨戸にあたり鶫が脳しんとうを起こして落ちていた。
息がないので、畑に埋めてやった。可哀想に…。

畑づくりが本格化してきた。今年は、メダカや泥鰌、田螺、などが生息することのできる小さな池を造りたい。すでに掘り始めている。
田植えが終る頃には、蛙とモリアオガエルが姿を見せる。

沢山のノビルが青い茎を伸ばしている。ニラのかわりに早速、卵焼きの具にしていただく。美味でした。タラの芽はまだ出でいない。
舞鶴の春は、山菜の時期でもある。
posted by 弘心 at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする