2007年05月28日

願望

人には、様々な欲望があり、又、願望がある。
合氣道を修練するのも、「強くなりたい」との思いから始める人が大半であろう。

それでは、一体何故強くなりたいのか、強くなって何をしようとおもっているのか。実はこの問いに、満足に答えられる人は少ない。

私は、弘心塾で、そのことを説いてきた。
「幾ら人を上手に投げても人格は出来るものではない。そのことは、オリンビック出場に選ばれるくらいの人、或いは、一流といわれる人でも、社会規範を犯す人は存在する。即ち、このことは、自らの真目的がはっきりと明確になっていないためである」と。

さらには、強くなりたいために、まず、體の筋肉をつける。とりあえず強くなって…、などと短絡的に考えることは、思い違いも甚だしい。

「心が體を動かす」ことを中村天風翁が説かれた。この意味は深い。
私は、総ての修行や修練は、「自らの人格の養成」にあると説いている。

そして、その工夫の仕方(心の修養法)を説いているのが陽明学である。
陽明学は、突き詰めて言えば、感情をコントロールし、仁愛(友愛)を発揮することの大切さを教え、聖人論、良知論によって、人間みな平等であることを教える。つまり「自由・平等・友愛の行動哲学」なのである。

私は、安岡正篤老師から学んだこの「主体性確立のための人間学」へのアプローチ・工夫の仕方の一つの手段として、植芝盛平翁・藤平光一宗主から学んだ合氣道を用いているのである。

私の会得した合氣武道は、そのために存在する。
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2007年05月20日

破門

破門とは、広辞苑によると「師弟の義を絶って、門人中から排斥すること」とある。

今、韓流ブームである。何故なのか、ヨン様とか、なになに様が人気があるらしい。それも人生半ば過ぎの女性のファンが多いと言われている。

私も偶然に見た韓国ドラマで「ホジュン」というのがある。
身分の低い1人の若人が、民衆の間では、心医(病はもとより、その人の心を観る医者)として韓国一といわれる師(ユーティ)について修行する。
師の弟子を思う心情は、決して表には出さないが、その思いに涙した。

そして、科挙の試験に一番で合格する。そして、宮廷医としてトップの座である御医になるまでの苦難の物語である。

その途中で、師から破門される…。その理由は…、しかし…。

わが国においても、武道関係では大変厳しいものがある。
破門されることは、人格の否定にも繋がる。
そして、その触書が関係者に配られる。

そのことは、それだけ師弟関係は親子以上の親密を問うからであろう。

技や技巧の面だけではなく、人間としての人格形成までにも踏み込んだ
愛情があるからこそ、破門か下されるのであろう。
「立命」への一つの関門でもある。
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法事

母が亡くなって今日で六七日(むなぬか)を迎えた。
早いものである。毎回、一時間の読教をする。

「親孝行したい時には、親は無く」何てよく言われるが、
その意味が良くわかる。
本当に親孝行をしてきたのだろうか…自問自答する。

人は誰でも死んでいく。
親が亡くなり、兄弟が亡くなり、何時かは1人になり、
孤独を味わいながら、又、黄泉の国へ旅立っていく…。

それまでに、多くの人と出会い、語り、ともに笑い、
少しでも人に喜んでもらえることをしたい…。
ささやかな願望である。
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2007年05月16日

訪問者

畑仕事の季節になりました。土作りから始めて苗を植えるまで、まさに、大地との協働作業です。
以前に耕したところが又、草が芽を出している。その畝を耕運機で掘り起こす。
ニームファームを入れて畝作り。

西舞鶴の駅近くにある荒川商店で、継ぎ木をした苗を買う。
スイカ・長茄子・トマト・キュウリ・万願寺甘唐辛子・赤いも・赤ピーマン
・伏見の甘唐辛子・カボチャなどを以前に植えたものに加える。

さぁー、どこまで大きくなってくれるか、これからは虫と雑草との闘いです。

5月10日、強い雨風の中、午後三時半ごろ舞鶴に着いた。暫くして久田美の区長事務所から電話が掛かった。
「今、先生を尋ねて千葉県から来られています」とのこと。

「来てもらってください」と答えてしばらくして、やって来た。
強い風雨の中を、びしょぬれになり歩いて来られた。西舞鶴駅から二時間掛かって歩いて来たと云う。
千葉県の船橋市に住んでいるとのこと。
年齢は25歳くらい。舞鶴に凄い先生がおられるとのことで参りましたとのこと。

これからの予定を聞くと、明日、奈良県の天川村にある神社を見るため、山を登る計画と話された。「今日は先生とお話が出来れば、今日中に京都に戻って、京都のネットカフェで仮眠をして…」

東舞鶴の修練に一緒に、合氣道のはしりを体験してもらった。
力を入れないことが強い、ということがどうしても理解できないらしい。
しかし、それを目のあたりにして納得。

自分自身のこれからの人生に対して、どのように考えそして実現していこうと思っているのか、についてはまだ暗中模索のようでした。

夕食を作り、一緒に食べながら、いろいろな話をする。
晩いので泊まってもらう。
朝食が終わり、西舞鶴駅まで車で送る。

生きていくことに、何かしらの疑問があるのであろう。
何の為に生きるのか、存在するのか、そのはっきりとした理由も又分からないまま、いろいろな人との出会いを通じて、確かめようとしているのかも知れない。

「知行合一」の意味を分かりやすく話しておいた。
今の世には、このような青年が多いのかも知れない。
幸せになられることを祈る。
posted by 弘心 at 20:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする