今年は、日本人らしくない日本人が表に出て、嘘と偽りを表面化させ、戦後の日本人の自立(精神的自立・経済的自立・社会的自立)の脆弱性を暴露した一年であったと云っても過言ではない。
その最たるものは、一国の総理大臣の勝手な辞任、年金の役人の横領、等も挙げられるが、中でも、「食品に関する偽ものづくり」に関するものであろう。
「船場吉兆」の偽装には、お笑い芸人も、脱帽のパホーマンスを
提供した創業者の夫人(会長)であろう。
会長の息子(社長)とのお詫びの記者会見での、側面からの
指示を聞いて、テレビのチャンネルを突さに切り替えた。
嘘を言うように指示、自らの耳が聞こえないことにする態度…、
あまりにも見ていられない気分になったからである。
大正時代に生まれられた女性、さらには創業者としての夫から
何を学んで来られたのであろうか。
しかし、これが我が国の実態なのであろう。
来年は、我が国に自浄作用が何処からか働くことを期待したい。
さて、合氣武道について語ろう。
私の主宰する「弘心館合氣道」では、今年も多くの人たちとともに、修練を重ねてきました。
勿論、合氣道の創始者植芝盛平翁の「合気道」と籐平光一宗主が創設された「心身統一合氣道」がその根底をなしていることには、間違いはない。
この十年間は、まさに進化した年月でした。
合氣道創設者植芝盛平翁の
「合氣は愛氣である」
「わしは、血液でものを考えている」
「米糠二合持つ力があればよいのじゃ」
「真空の氣をはずせ」
「武産合氣じゃ」…
などの語録については、最初どうしても理解出来なかった。
しかし、五十五年経った今、その言葉も霧が晴れるように、
體が受けつけてくれる。
心身統一合氣道創設者籐平光一翁の
「合氣道は天地の氣に合する道である」
「力を抜けは、氣が出る」
「心が體を動かす」
「氣がでている・相手の心を知る・相手の氣を尊ぶ・
「相手の立場に立つ・率先窮行」…
この言葉も、又、霧が晴れるように、心と體に沁み込んでいる。
體を水の如く、力を抜ききって、心を平らにして、
ものごとと対峙する。
どこまでも相手の「氣」とともに。
導くと意識すると、氣は止まり出来ない
如何に相手の正中心と同化するかである。
自らの心と體は、天竺から地核に垂直に下りている
軸上に位置する。
唯「氣」を意識するだけでは駄目である
自らの體の206ある骨と、約500の筋肉を自在にもちいる
肩甲骨を動かす・股関節を畳む・膝を抜く…など。
そのためには、體の中の筋肉をもちいる
腸腰筋・ハムストリングスなど…、間違っても
上腕二頭筋、三頭筋は用いない、
………。
そして、體全体が、ゆ〜らり、ゆ〜らり…と。
何事もなかったように、対峙する相手と一体化する。
瞬間に相手を崩している。
相手の力を無力化した瞬間である。
来年もまだまだ進化していくであろう。
「錬氣」「表武」「実践」と。
一年間、お世話様になりました。熱く御礼申し上げます。
2007年12月31日
国立国際美術館開館30周年記念展・30年分のコレクション
師走も中頃、大阪中之島にある国立国際美術館の
学芸部長をされている島氏から、一通のお手紙を頂戴した。
平成19年12月18日から一般公開されるに先立ち、
関係者に公開される記念式典と開会式に招待いただいた。
島敦彦氏の御子息が私が主催する高槻心身統一合氣道会の会員でした。島氏のご夫人は、ルドルフ・シュタイナーの唱えるシュタイナー教育にも造詣が深く、話をさせて頂いたこと。
子供クラスの修練日には、島氏がいつも付き添って来られていて、夫人からは、「生みの親は、私。育ての親は夫です」などと冗談を言われていたことなど、懐かしく思い出します。
1970年の大阪万博が当美術館の始まりでした。
太陽の塔やお祭り広場のすぐそばに、「万国博美術館」と呼ばれるパビリオンがありました。
国内外から名品を借受展示し、約177万人の入館者があったと言われている。しかし、収蔵品はなく、万博が終わると、万博公園にに建物だけが残った。
万博記念公園時代の国立美術館は、どちらかと言えば、交通の不便が災いして入館者は伸び悩んだ。
77年に収蔵品を持ち、名実ともに4番目の国立美術館として
「国立国際美術館」として名を改め再出発した
そして、大阪の都心・中之島に国内初の全館地下式の美術館として
2004年に新築、移転して今日に至っている。
三十年で大きく変わったもの言えば、コレクションの数である。
現代と近代を軸に、絵画、版画、彫刻、写真など幅広い。
その数、約5700点。
その中から、セザンヌ、デュシャン、ピカソウォーホル、リヒター、藤田嗣治、佐伯祐三、浜口陽三、横尾忠則…など、厳選された400点を展示されている。
是非子供に見せてあげてほしい(高校生以下は無料)。
子供の素晴らしい感性をより研ぎ澄ますには、「本物」
「芸術性の高いもの」を出来うる限り「目」に見みせ、
「耳」に聞かせることです。
ゲーテは、「「耳」は音が創り、「目」は光が創った」といっている。その意味を思慮すべきでしょう。
不思議な縁でもある。万博記念公園に最初の美術館を設計されたのは、京都大学の川崎清教授とのこと。
川崎教授とは、私がT市の総合センター(15階建の当時としては高い建物で行政・教育・文化の施設を持つ複合施設)の建設準備室長として、新しい形態での設計コンペをおこなった時の審査委員長をして頂いた。
当時、新日本建築家協会の事務局長とも相談して専門家による審査委員会を作った。
京大2名、阪大2名、大工大1名、そして当時の助役と市議会の女性議長で構成した。
京都大学の川崎清教授(意匠)、川上貢名誉教授(古典建築)、
大阪大学は鈴木計夫教授(構造)、紙野圭人教授(建築計画)、
大阪工業大学の光埼育夫教授(都市計画)、
助役は現市長の奥本氏、女性議長の村田君江氏(残念ながら女性議長としては、この人以上の見識と手腕と弁舌さわやかもつ人は出ていない)の七名構成。
設計コンペで安井建築設計事務所の作品が一位となり、大林組が工事を担当した。
総事業費は、約160億だったと思う。
特徴は16Fに「ヘリポート」を設置したこと。
空調は人体が出す熱をも利用して、トータルの熱量を配分することにより、電気とガスの最適利用区分を想定して設計した。
建築の主体構造は、東京都庁に似せた「スーパーストラクチャー方式(大架構方式)」を用いたことであろう。
大変勉強させて頂くと共に、川崎清教授にはお世話様になりました。
話がそれた。
この国立国際美術館会館三十年記念展は、島敦彦学芸課長の
努力によるところが大変多い。氏の講演にもその一端が伺えました。
又、当日の記念式典での青木文化庁長官の挨拶からも、
ここに至るまでの苦労が述べられていた。
藤原正彦氏の著書「国家の品格」の中で述べられているように、
「…自然に対する繊細な感受性です。
かって日本に長く滞在した多くの外国人たちは、一様にそのことを指摘しています…自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が、日本人の核となって、世界に例を見ない芸術を形作っている…」と。
この我が国独特の精神性の追求が様々な形(「悠久の自然と儚い人生」という対比の中に美を感じる、という類まれなる能力…無常観」そして全てを、生き方としての「道」に凝縮させる能力など)として意識することに非常に秀でているのです。
これからの美術館の役割は、日本人としての精神的原点を涵養させるためにも、重要な位置を占めていくものと考えられます。
是非とも、美術館に足を運ばれること、期待いたします。
学芸部長をされている島氏から、一通のお手紙を頂戴した。
平成19年12月18日から一般公開されるに先立ち、
関係者に公開される記念式典と開会式に招待いただいた。
島敦彦氏の御子息が私が主催する高槻心身統一合氣道会の会員でした。島氏のご夫人は、ルドルフ・シュタイナーの唱えるシュタイナー教育にも造詣が深く、話をさせて頂いたこと。
子供クラスの修練日には、島氏がいつも付き添って来られていて、夫人からは、「生みの親は、私。育ての親は夫です」などと冗談を言われていたことなど、懐かしく思い出します。
1970年の大阪万博が当美術館の始まりでした。
太陽の塔やお祭り広場のすぐそばに、「万国博美術館」と呼ばれるパビリオンがありました。
国内外から名品を借受展示し、約177万人の入館者があったと言われている。しかし、収蔵品はなく、万博が終わると、万博公園にに建物だけが残った。
万博記念公園時代の国立美術館は、どちらかと言えば、交通の不便が災いして入館者は伸び悩んだ。
77年に収蔵品を持ち、名実ともに4番目の国立美術館として
「国立国際美術館」として名を改め再出発した
そして、大阪の都心・中之島に国内初の全館地下式の美術館として
2004年に新築、移転して今日に至っている。
三十年で大きく変わったもの言えば、コレクションの数である。
現代と近代を軸に、絵画、版画、彫刻、写真など幅広い。
その数、約5700点。
その中から、セザンヌ、デュシャン、ピカソウォーホル、リヒター、藤田嗣治、佐伯祐三、浜口陽三、横尾忠則…など、厳選された400点を展示されている。
是非子供に見せてあげてほしい(高校生以下は無料)。
子供の素晴らしい感性をより研ぎ澄ますには、「本物」
「芸術性の高いもの」を出来うる限り「目」に見みせ、
「耳」に聞かせることです。
ゲーテは、「「耳」は音が創り、「目」は光が創った」といっている。その意味を思慮すべきでしょう。
不思議な縁でもある。万博記念公園に最初の美術館を設計されたのは、京都大学の川崎清教授とのこと。
川崎教授とは、私がT市の総合センター(15階建の当時としては高い建物で行政・教育・文化の施設を持つ複合施設)の建設準備室長として、新しい形態での設計コンペをおこなった時の審査委員長をして頂いた。
当時、新日本建築家協会の事務局長とも相談して専門家による審査委員会を作った。
京大2名、阪大2名、大工大1名、そして当時の助役と市議会の女性議長で構成した。
京都大学の川崎清教授(意匠)、川上貢名誉教授(古典建築)、
大阪大学は鈴木計夫教授(構造)、紙野圭人教授(建築計画)、
大阪工業大学の光埼育夫教授(都市計画)、
助役は現市長の奥本氏、女性議長の村田君江氏(残念ながら女性議長としては、この人以上の見識と手腕と弁舌さわやかもつ人は出ていない)の七名構成。
設計コンペで安井建築設計事務所の作品が一位となり、大林組が工事を担当した。
総事業費は、約160億だったと思う。
特徴は16Fに「ヘリポート」を設置したこと。
空調は人体が出す熱をも利用して、トータルの熱量を配分することにより、電気とガスの最適利用区分を想定して設計した。
建築の主体構造は、東京都庁に似せた「スーパーストラクチャー方式(大架構方式)」を用いたことであろう。
大変勉強させて頂くと共に、川崎清教授にはお世話様になりました。
話がそれた。
この国立国際美術館会館三十年記念展は、島敦彦学芸課長の
努力によるところが大変多い。氏の講演にもその一端が伺えました。
又、当日の記念式典での青木文化庁長官の挨拶からも、
ここに至るまでの苦労が述べられていた。
藤原正彦氏の著書「国家の品格」の中で述べられているように、
「…自然に対する繊細な感受性です。
かって日本に長く滞在した多くの外国人たちは、一様にそのことを指摘しています…自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が、日本人の核となって、世界に例を見ない芸術を形作っている…」と。
この我が国独特の精神性の追求が様々な形(「悠久の自然と儚い人生」という対比の中に美を感じる、という類まれなる能力…無常観」そして全てを、生き方としての「道」に凝縮させる能力など)として意識することに非常に秀でているのです。
これからの美術館の役割は、日本人としての精神的原点を涵養させるためにも、重要な位置を占めていくものと考えられます。
是非とも、美術館に足を運ばれること、期待いたします。
神尾真由子は何者なの?
ストレスがたまったなぁー、と思うと、ねっ転がって、
モーツアルトのレクイエム(二短調K、626)を聞きながら、
好きな本を読むこと。
クラシックが妙に肌にあう。「ロン・ティポ音楽祭」と
大阪の「ザ・シンフォニーホール」で出会ったのが始まりでした。
確かに絶対音感を持っている天才が、超感覚を通じて、
導き出される音階は、何か人間の持つ潜在心の
深層に潜んでいる意識と同調させる
不思議な力を持っているらしい。
大阪は豊中出身のバイオリン奏者がいる。
1987年生まれの21歳の女性。
モスクワで開催された「チャイコフスキー・コンクール」で
「チャイコフスキー・バイオリン協奏曲」で優勝。
この快挙は17年ぶり、日本人としては二人目。
日本でのツァーに密着してのTV番組に、引き込まれるように
聞き入った。
2007年8月、大阪の梅田芸術劇場での収録。
その演奏に引き込まれた。
力強い音の中に、計算された繊細な表現…。
特に體全体を使った演奏そして顔の表情が素晴らしい。
彼女が子供の頃に習った先生が「彼女は筋肉が強い…、
それが音を強く出している…」と。
私は少し違うと見ている。確かに上背がある。
「何故、強い音が出るのですか」との質問に、本人曰く、
「強く張った弓の弦と強く張った弦がぶつかると
音にはならない…」
だから「張りは標準です」と。
私は體の使い方が普通の人と違うと観る。
彼女の腕の使い方を見ていると、、上腕二頭筋、三頭筋は
あまり使っていない。
ではどうして、強い音が出せるのか。
腕全体の骨を使っている。
腕だけではなく、肩甲骨を上手く使っている。
即ち筋肉の力だけではなく、肩甲骨と腕の骨を用いて
弓の弦にダイレクトに重みを乗せているのである。
筋肉で押さえて出せる音ではない。
力の抜けた腕を通じて、「氣」が弦を振動させ、天地の氣を
さらに共鳴させている。
そのためには、腕の力が完全に抜けていなくてはならないことは
言うまでもない。
さらに無駄な力が完全に抜けた體全体が、バイオリンから
出る音をさらに共鳴させ、幅と奥行きのある音として、
聴衆を魅了する。
次に、質問があった。
「楽器によって音は変わりますか」
・ありません。すべて自分の音です。
「曲にあきることはありますか」
・飽きます。
「目標となる人はいますか」
・いません。同じになりたくありません。
「何故バイオリンを弾くのですか」
・私にもわかりません。しかし、直接結果が見える仕事では
ないことは分かっています。
実に明快な回答です。そして、21歳でこれだけの演奏が
出来ることは天才といわれる所以でしょう。
合氣武道を通じての見方ですが、通じるところは大いにあります。
特に體の遣い方、ものの考え方に共感するところこれまた大である。
十年後が楽しみの若手演奏家である。
「十年後はどうされていますか」
・幸せに暮していればよいですね。
モーツアルトのレクイエム(二短調K、626)を聞きながら、
好きな本を読むこと。
クラシックが妙に肌にあう。「ロン・ティポ音楽祭」と
大阪の「ザ・シンフォニーホール」で出会ったのが始まりでした。
確かに絶対音感を持っている天才が、超感覚を通じて、
導き出される音階は、何か人間の持つ潜在心の
深層に潜んでいる意識と同調させる
不思議な力を持っているらしい。
大阪は豊中出身のバイオリン奏者がいる。
1987年生まれの21歳の女性。
モスクワで開催された「チャイコフスキー・コンクール」で
「チャイコフスキー・バイオリン協奏曲」で優勝。
この快挙は17年ぶり、日本人としては二人目。
日本でのツァーに密着してのTV番組に、引き込まれるように
聞き入った。
2007年8月、大阪の梅田芸術劇場での収録。
その演奏に引き込まれた。
力強い音の中に、計算された繊細な表現…。
特に體全体を使った演奏そして顔の表情が素晴らしい。
彼女が子供の頃に習った先生が「彼女は筋肉が強い…、
それが音を強く出している…」と。
私は少し違うと見ている。確かに上背がある。
「何故、強い音が出るのですか」との質問に、本人曰く、
「強く張った弓の弦と強く張った弦がぶつかると
音にはならない…」
だから「張りは標準です」と。
私は體の使い方が普通の人と違うと観る。
彼女の腕の使い方を見ていると、、上腕二頭筋、三頭筋は
あまり使っていない。
ではどうして、強い音が出せるのか。
腕全体の骨を使っている。
腕だけではなく、肩甲骨を上手く使っている。
即ち筋肉の力だけではなく、肩甲骨と腕の骨を用いて
弓の弦にダイレクトに重みを乗せているのである。
筋肉で押さえて出せる音ではない。
力の抜けた腕を通じて、「氣」が弦を振動させ、天地の氣を
さらに共鳴させている。
そのためには、腕の力が完全に抜けていなくてはならないことは
言うまでもない。
さらに無駄な力が完全に抜けた體全体が、バイオリンから
出る音をさらに共鳴させ、幅と奥行きのある音として、
聴衆を魅了する。
次に、質問があった。
「楽器によって音は変わりますか」
・ありません。すべて自分の音です。
「曲にあきることはありますか」
・飽きます。
「目標となる人はいますか」
・いません。同じになりたくありません。
「何故バイオリンを弾くのですか」
・私にもわかりません。しかし、直接結果が見える仕事では
ないことは分かっています。
実に明快な回答です。そして、21歳でこれだけの演奏が
出来ることは天才といわれる所以でしょう。
合氣武道を通じての見方ですが、通じるところは大いにあります。
特に體の遣い方、ものの考え方に共感するところこれまた大である。
十年後が楽しみの若手演奏家である。
「十年後はどうされていますか」
・幸せに暮していればよいですね。

