2008年04月22日

武農合一

以前にも「武農合一」について述べた。
武と農の関係は深い。農が武を生み出した
すなわち、武農合一は表裏一体である。

大地との対話は、様々なことを示唆してくれる。
備中を大地に打ち下ろすとき、まず、天との対話が先にある。
天が心地よく抱擁してくれた時、地はこれまた素直に
受け入れてくれる…。
そのことは、體の正中心軸が、眼に見えない天地を貫いている
垂直線上と一つになった時、體の中心軸を通して、
天地の対話が始まる。

力はいらない。只、大地が求める方向が決まれば、
素直に振り下ろすだけでよい。心地よく応えてくれる…。

體に疲れはない。天地の氣を受けて、體が輝く。
體に精気が満ちてくるのが自覚できる。
この一瞬の調和は、どのように言葉で表現すれば良いのか。

生かされていることの意識が高まると同時に、
頭上に百会から正中心軸に添って会陰へ稲妻のような衝撃が走る。

その時、全身の力が全く抜けて、宇宙空間に漂う感覚が起こり、
天と鍬と體と大地が一直線上に重なり、無限の力(氣)が
満ち溢れた感覚を覚える…。
鍬は天地と調和をとる。

このような感覚が毎年、今頃すなわち、「暖則生」の
時期になると、私の體に意識させてくれる。

有難い。本当に有難い。今年も「武農合一」を天地は
与えてくれた。感謝で一杯。
自らの「良知」が発露する時期。
そして、「合氣」が進化する。

さあー、氣力の限り、人のため社会のためにつくそう。
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2008年04月18日

「いつか離れる日がきても」

平井堅の新しい曲がリリースした。その曲名である。
詩の内容が今までの曲とは違い、聴く者の心に入り込む…。??[?h

今日の舞鶴は雨が降っている。
日本海側の雨天は何故が心が湿る。

家の前の花壇には、昨年そのまま放置していたチューリッブが赤・黄など花弁を見せている。

さらにレンギョも黄色い花弁を枝一面に付けている…。
美男蔓は去年の赤い花(3oほどの赤い丸いものが数個玉のようになった直径3pほどの球状のもの)をまだ大事に抱えている…。

湧水水路にはカラーが白い花を咲かせ、その下には、セリが新芽を出している。
裏の段々畑のの裏面には、ノビルが青い葉を一斉に天に向けて伸びている。

水蕗も大きな葉を広げその上にモリアオガエルがチョコンと乗っている…。
山菜として少し食するためにいただく。
これから草との闘いが始まる…。

今、その景色を一つ一つ意識をしながら、自分が歩いて来た半生を振り返っている…。
あまり多くはない父との想い出。特に共に過ごした東京での1時期は
私にとって決して忘れることはない。母のこと…、亡くした子供のこと…、ボランティア団体を主宰してそして参同して共に活動をして頂いた人達…、役所生活で38年間で4726人の人の出会い…、今の自分はその上にある。
沢山の人から様々なことを学ばせて頂いた。
感謝で一杯。

その中でも合氣道創始者植芝盛平翁との出会い、陽明学者安岡正篤(
まさひろ)先生との出会い、心身統一合氣道籐平光一先生、日本ウエルエージング協会創始者故吉田寿三郎先生との出会いは、私の人生を大きく変えた人生の師である。

幼い頃、父から学んだ「八光流柔術」と「小野派一刀流」は今ある全ての基礎ともなっている。
約五十五年間、合氣武道との関わりは自らの「心が體を動かす」真理を示してくれた。陽明学からは「知行合一」を学び、吉田先生からは、個と社会の関わりの真髄を学んだ。

これからの自分の使命は何であろう。今まで、自分なりに一つの結論を持って生きてきた。

今年は中江藤樹生誕400年にあたる。中江藤樹が心にしたこと。
自らの想いと重ね合わしている。
「目に映る対象物を欲望のままに、いたずらに追い求めることを止めて、まず自分に帰って、そこではじめて本当の自分を知る。
「そこからはじめて本当の生(せい)、生きることが生じる」のである。
自分に帰ることによって、自分の中にある「良知(りょうち)」を自覚することができる。この意味は、自らの心を通したものでなければ、単なる知識であって生きたものにはならないのである。

藤樹は「心の会得なく、只目にて文字を見おぼゆるばかりなるおば、眼(まなこ)にて文字をよむと位云いて、真実の読書にはあらず」「それ学問は、心のけがれをきよめ、身のおこなひをよくする本質となす」と「翁問答」で述べている。

さらに、藤樹は、また人間というものを省みて、考察した。
その結果、人間が人間たる所以、人の心のもっとも大事な要素と作用は、「愛」と「敬」にある、と唱えた。その中でも「敬」を重んじた。

その「敬の心」とは、「省(かえり)みて自ら懼(おそ)れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく、偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自らも省みて恥じる」と言っている。

さらに、安岡先生は「愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし敬は『天地の為に心を立つ』と言う造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達した心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心」と説かれている。

又、藤樹から陽明学を学んだ熊沢番山(ばんざん)の言葉に「人を愛すれば、人もまた己を愛す。人の悦ぶ心をあつめて、親を敬ひ、子を愛す。和気身にみちて命ながし」と述べている。

陽明学を体得した中江藤樹や熊沢番山の文字通りの「知行合一」の思想と生き方は、いつの時代も人のあり方の根源をなすものであろう。

私が主宰する「弘心館合氣道」は、その思想を「陽明学」においていることは言うまでもない。その体系はほぼ纏まりつつある。
近いうちに公に出来るものと思っている。

話は元にもどして、私の半生の少しを述べた。そして今を見つめている。いつか愛する人との別れがある、これはどうにもならないことであろうと思う。その離れ方、別れ方にもいろいろあろう。
自らの眼に映っている表象を観て現実と思い、悩み苦しみ恨み喜び…
心を苦しめている。
しかし、真理はそうでないことに氣がついた今、新しい世界に心と體を羽ばたかせようと決心している。
posted by 弘心 at 12:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月17日

超高齢社会の悲哀

朝テレビをつけると、舞鶴市で85歳の母親の死を四か月間放置していた事件が起こった。
テレビに出る一日前に、事件について知った。
その時、此の事件には「二つの問題がある」と即座に頭に浮かんだ。
一つは「本人の年金のため」
二つには「事件性」
幸い最初の推理があたった。
「死んだので年金が貰えなくなる」「葬式代がなかった」と母親の死体を隠ぺいしていた家族の一人の言い訳である。

この問題は以前大阪でも起きていた。
私はこの問題には根深いものが潜んでいるものと思う。

 私の人生を大きく変えた人生の師の一人に、今から約35年前、当時大阪医科大学の衛生公衆衛生学教室の教授でおられた吉田寿三郎先生との出会いがあった(以前に出会いについて書いた)。
京都大学医学部を卒業、その後厚生省に、その時代(昭和15年前後)に画期的な結核の治療法を開発されていた。
 しかし、国の機関の学閥などの抵抗あり、日の目を見ることはなかったそうである(私は先生からその論文を頂いている)。

そして、後の日本医師会会長となられた武見太郎氏にその逸脱した頭脳を見出され、数多くの提言をされた。
勿論我が国の公衆衛生に大きく貢献されたことは云うまでもない。
そして先生のもう一つの顔、国際老年学会の役員としてである。
私は吉田学校の第一期生と自負している。
先生から多くのことを学ばせて頂いた。
すなわち「社会を構成する人間の生まれてから死ぬまでの営みと幸せになる仕組みづくり…社会福祉について」である。
先生は当時既に、今の長寿社会とそして惹起する様々な社会問題については既に予言されていた。

 話がそれた。元に戻そう。
舞鶴市は今人口約89000人、高齢者人口約2200人。
高齢者比率は24.7%、すでに超高齢社会に入っている。
今回の事件も民生委員のからの通報で分った。それまでに行政はどうであったか、関係部局の職員が自宅訪問したが、親族の人に遮られて本人を確認するには至らなかったそうである。

 このような問題が形はかえて増えるものと考えられる。
それぞれの市には、その自治体の将来を見据えた計画、即ち「総合計画」ある。その位置づけはどうなのか。

 まず、ハード計画はどうか。確かに福祉施設計画では、すでに将来のことを考えての特養、老健施設などの数は充足している。例えば、舞鶴市の認知症発症者の予測は4%とすれば約880人の出現となる。その数に見合った施設は確保できているということである。

 ソフト計画はどうか、組織が充分な人材を要しているか、計画に有効な実施計画になっているか、福祉関係のネットワークは充分か、
民と官との役割分担は明確か…などである。

東舞鶴と西舞鶴とは地形にも意識にも異なっている。
又、太平洋側の都市とも違う。
福祉問題だけではなく、商店街の活性化、限界集落など課題は多い
しかし、全てはその市の「街づくり」に掛っている。

改めて提言したい。
posted by 弘心 at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月16日

西舞鶴の庵は今、黄色いラッパ水仙、雪柳が咲き誇っている。
白檀、花ミズキ、むくげの木が緑の芽を少し広げだした。

丁度昨年の今頃、左肩を痛めた。
肩は大変複雑な構造をしていることを初めて知った。
肩帯が急激な力を受けて裂けたことがMRIで分ったらしい。と言うのは
自分で幾ら見ても分からなかったからである。

日赤病院の整形外科の専門医にかかった。
「どうされました?」
「肩が痛いのです」
「どのへんですか?」
「何かされていますか?」
「はい、武道を…」
「なんのですか?}
「合氣道…です。多分、両手を上から全体重を
かけて抑え込まれたのを左腕だけで浮き上がらせて
投げることを何回も繰り返ししたのが原因だと思うのですが…」
「そんなこと…出来るのですか?」
「上腕二頭筋・三頭筋などは使いません」
「それではどうして投げるのですか?}
「全身にある206の骨と、500ある筋肉で特に中にある筋肉である大腰筋などを用います」
「…?」
「腕はどこまで上がりますか?」
「右腕の半分位…」
「ちょっと、はかりましょ」
「何所が痛いですか?」
「肩先から少し下がったところの後ろ側の中…」
「…MRIで調べましょう」

「ここが少し裂けていますね」
「…どこですか?」
「ここらあたり…」
「?}
「このままで自然治癒しませんか?」
「しません!」
「ではどのように…」
「手術です。ひらいてみて、悪いところを切り取って
骨にチタンのビスでつけます」
「…」
「どのくらいかかるのですか?」
「手術時間は約6時間、完全治癒まで9か月です」
「…………」
頭の中で、高槻と舞鶴の合氣道の教室が…生徒さんの顔が浮かんだ。
不思議と自分の家のことは全くと言っても良いくらい浮かばない。
「しばらく様子を見ます。リハビリをまず、始めたいと思います」
「分りました。理学療法士を紹介しておきます」

その後、2か月ほどリハビリに通い、痛みをとる貼り薬をもらった。
「如何ですか?」
「少しは良くなったように思いますが…」
「私どもは手術をするのが最終目的なのです」
「もう一度お聞きするのですが…、このままでは治りませんか?」
「絶対治癒しません」
「なんとかしてリハビリと自分で直していきます」
「分りました。何かあれば何時でも来て下さい」

ゴム紐を用いたリハビリ、自己流の体操、氣が重い…。
人間、どこか體が悪いところがあれば、心まで暗くなる。
そして、肩の周囲が硬くなっている。腕を回すと「ゴリゴリ」と音がしている。

初めから1年間はかかるだろうが、必ず治ると想い切った。
12か月後、丁度今99%治癒した。
人間には、人間では分からないことが多々ある。
まして自ら體のことには多分にある。
私は、今回のことで、「心が體を動かす」ことがますます認識することになった。
posted by 弘心 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする