2015年02月27日

川崎市の中学生殺人事件

今日、衆議院予算委員会で標記の事件についての質問があった。某委員は、「今回のような事件が起こるたびに、多くの専門家と言われる方の様々な関わりが生まれる。更には、捜査を行う警察、弁護士、裁判所など実に多くの組織と人材が投入されて究明のされていくのが現状だ。本当は、このように事件が起こってからの人の関わりでなく、起こる前に何らかの対処は出来ないのか…」と言う意味であったと思う。
この事件の根は深い。以前にも述べたように、未成年の場合、教育機関だけに目を向けるべきではない、教育との場は、学校教育だけではなく、家庭教育、地域教育と三つが交わる関係の中で成り立つものである。しかし、社会の原単位である家庭において、核家族と言う言葉がマスコミに現れた時期から、少しずつ変化しだした。人生の先輩(お年寄り)が家族から消えてから、経験体験豊富な目で子供観ることが少なくなった。さらには、地域社会、向こう三軒両隣等の意味が、ハイカラな言葉としてコミュニティで表現されるようになってから、地域がお互いに身守る気配が消えていった。
これらは、プライバシー保護、個人情報保護…の権利主張とともに更に深刻化している現状である。夫婦の目で子供を見つめる家庭教育の場が崩壊しつつある現状と、他人の子供達に目を向ける地域の複数の目が消えつつある地域教育。
これらが全て学校教育に被さっている現状である。学校教育は本来すべきものがある。公教育としての学力の涵養である。しかし、今、マスコミなどに一番に登場するのは、学校である。学校という教育の場から子供か一歩離れれば、学校は本来関係が無くなるのが本当ではないか。
その意味で「保護者」としての責任は重いものである。

さて、社会の原単位である「家庭」が子供に充分目を向けるだけの経済的・居住空間などの余裕が出来ているのか…、学校教育は、教師とそれを取りまく学校としての組織が円滑に働いているのか…、前述の「根が深い」と言う意味は、
一つの現象面を平面的に捉えての原因究明ではあってはならないことを言っているのである。
何故このような事件が起こるのか。行政は、過去多くの事を学んできた。それらの成果を生かすことが一大事であり、ことが起こってからその検証をすることが責務ではない。子供の取りまく現状を、地域教育の場が崩壊している現状を、行政が関わる組織づくりが求められるとともに、せめて事故が起こった後に関わる人的資源と同じ位の人的資源を投与して、きめ細かい観察を日常から行うことが必須と考える。さらには、親が子供に余裕を持つことが出来るだけの所得を、国が経済政策でもって責任を果たすことが最大の課題であろう。
安倍政権の責任は重い。
posted by 弘心 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする