2016年01月26日

天人合一

「東洋に於ける思想・学問・文化は自然と非常に関連がある。むしろ自然に対する体験と思索から発しているといってよい。これが東洋精神・東洋文化を解釈し会得する根本の手がかりになる」

・東洋に於ける思想、学問、文化は、自然に対する体験と思索から発している。
古代から自然は事物であり、法則(理法)であり、神霊であった。自然は普通「他から力を加えることなく、自らそのように存在している状態」を指している。

孔子は自然という言葉こそ用いませんでしたが、自然の存在の中に人格的な天の存在を意識して、「天何をか言うや、四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。『論語』(陽貨篇)と語っている。

季節や万物が誰の手を借りることなく、年々規則正しく移ろい成長する姿のなかに、自ら存在するもの(自然)の法則的な働きと、その背後にあってそれを主宰する造花としての天の働きを、しっかり感じ取っていた。

この天と自然について、後出の老荘の思想家たちは自然を理法化して、儒家の言う天より更に根源的と考える自然を、文学的に、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る『老子』(二十五章)
表現し、自然を最高の原理まで持ち上げたのである。

さらに同時代の学者は、道と自然を一つにして、これを易経にある太極と称するようになり、さらに当時の中国は戦国時代で国土は荒廃していったことにより、政権とは無関係な知識人たちはこぞって老荘思想を受け入れていく。

すなわち、荒廃する都市や田園にはもはや真の自然はないとして、深い山水の境を理想郷としてそこに道を求めて深い思索を続けるようになった。

「自然」とは、このような「道」を具現化した「山水」のことで、山水に近づくことが、そのまま「道」についての体験と思索の最良の方法であると考えるようになったのである。
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日本精神の行方…、雪中花におもう。

雪中花 (日本水仙「花言葉」『希望・自己愛・高潔・神秘』)

今、NHKのドラマが人気、真田丸。武田家の滅亡を映している…、その武田信玄とその武将24人の中に、真田昌幸がいる。それよりはるかに信玄の親戚として重きを為し、勇猛果敢で知られた甘利虎泰という若大将がいた。合戦では常に先陣をつとめたが、信州上田原で村上義清の軍との激戦の末に打ち取られる。
TTPの交渉を先陣切って取り仕切っている甘利明大臣は、虎泰は自身の先祖だという。しかし、その甘利氏は、今、業者からの収賄の疑いでマスコミを賑わしている。
週刊誌の報道内容は、あまりにもリアルである。驚くのは、口利き料として、現金1200万円を大臣室で自ら手土産と共に現金入りの封筒を受け取ったという。事実であれば、実に残念なことであるとともに、怒りがこみ上げてくる。
今、政治屋に成り下がった政治家なる人物が横行する我が国の政界。
さらには、政治活動費を偽装しての国民の前で、言い訳で泣き叫んだ地方議員…。
これらに比べて、大阪の経済基盤づくりに渾身の努力をした五代友厚候は、清貧に甘んじた結果、死後には、多大の借金しか残らなかったとか…。正に生き方、生きる目的、人生の目標が異なるのである。
経済界においても東芝の歴代三人の社長の粉飾決算…。ブラック企業の出現…。詐欺行為の社会化…、期限切れの処理食品の横流し…。

我が子を虐待して死に至らしめる若い夫婦…、親を殺して年金を搾取…、金のためには、容赦なく人を殺す…。

日本人の精神構造は、敗戦と共に、捨て去られたのである。これも今から70年前からの新制小学校で、GHQの強制的偏向教育を受け続けた結果なのではないか。
その中身は、たった一つの言葉を誤ったことにある。いままで何度も書いてきた。人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち、「偽・私・放・奢」であると。そして、今そのひとつの言葉、「偽」即ち、嘘をつく、いつわる、ごまかす、だます、である。その嘘をつくこと、この事一つで、人生を駄目に、企業を潰してしまう人が如何に多いのであろうか。
今こそ「利他の心」を我が心として、「自らを取り巻く全ての環境は、全て自らのこころが創り出したものである」を自覚実践することで日本人の精神構造を立て直す時期では、あるまいか…。


posted by 弘心 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする