2016年02月13日

新しい弟子入門

家族が増えました
名前は、「タロ」、紀州犬のDNAを持つ雑種です。モンキードッグを育成する第一人者の方から譲り受けました。
紀州犬のDNAを持っているために、デザートに鹿の骨付き肉を少し遣っています。野生の感性を忘れさせないことが、一番重要と教わりました。頂いた方は、福井県でモンキードッグを育成されている方で、素晴らしい方です。其の人の田畑山には、一切、猿は来ないそうです。子犬を頂きに上がった時も、放し飼いのため、親犬と子犬二匹で鹿を仕留めて、食べたそうです。お腹がパンパンに膨らんでいたそうです。しかし、躾は厳しく口笛一つで何処に居ても帰って来ます。そして、人には一切吠えませんし飛びかかることはしません。叱る時には、息絶え絶えになるまで首を足で踏みつけて、従わせる事だそうです。しかし、何もない時は、120%充分スキンシップをしてやることが一番大事だ。と教えて頂きました。人間の子供と同じです。もう少しすれは、放し飼いにするつもりです。
家の付近には、猪、猿、鹿、熊、狐、狸などが出没します。毎年作るイモ野菜などを巡って熾烈な戦いをしています。今年からは、助太刀が居てくれます。ただ、タロには、まだ受身を教えていません。受身を知らないと鹿や猪に遣られてしまうとのことです。角で跳ね上げられ、牙で腹を裂かれてしまうのです。その為の一番の指導は、飼い主への絶対的信頼と愛情での結び付きだそうです。紀州犬が猪や鹿の猟に優れているのは、守との連係プレイだそうです。信頼する主が現れるまで、追っては引き、曳いては追う…。そして、相手を攪乱させて場合よっては、隙をみて相手を仕留めると言われています。犬に直接合氣道は教えられませんが、特殊な杖を用いて、相手との間合いを教えることで呼吸・感覚・機敏さについて会得させることが出来ると思っています。裏山と畑がその道場です。新しい家族・弟子が一人いや一匹増えました。

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2016年02月01日

ソ連の日本人捕虜虐待(シベリア抑留)の実態

ソ連の日本人捕虜虐待・参考情報
不法非道なソ連の人道に反する行為

1945年8月23日のスターリンの指令によってソ連軍は、ポツダム宣言に違反して
日本人軍人・民間人をシベリア等へ拉致移送して、奴隷として虐待し、酷使した。
その総数は70万人以上である。さらに満州・北朝鮮にいた情報機関関係者を
1万2000人逮捕して、シベリア等へ移送した。逮捕された情報機関関係者の中には
女性のタイピスト、通訳、看護婦も含まれていた。

シベリア等での、劣悪な住居環境、過酷な労働、不満足な食糧支給による飢餓などによって、
16万人以上が死亡した。最初の1945年の冬に10万人以上が死亡した。
後日、かろうじて日本へ帰還できた人たちの中から、抑留中の苛酷な労働や、シベリア桂肺などの
病気や、極度の栄養失調の後遺症によって、10万人以上が障害者や重病人となった。

ソ連軍は満州に駐在していた日本軍の食料・被服・薬品などはもちろんのこと、その他に
満洲国内にあった日本銀行券・朝鮮銀行・社債・株券・ダイヤ・金塊、工場の設備・機会・製品・
原料など、満洲にあった財貨を徹底的にソ連領内へ持ち去った。

さらには、ソ連は満洲から、田んぼの稲、事務所のイス・机、ドアのノブ、日本人住宅のフスマや畳
など、とにかくありとあらゆるものを強奪してソ連に運んだ。

拉致移送した日本人兵士や民間人たちからも、腕時計・万年筆に始まり、つぎつぎに持っていた
物品を略奪した。まったく想像もできないことではあるが、日本人を殴り倒して、金歯の金まで
剥ぎ取ったのである。 

拉致移送された日本人捕虜(軍人及び民間人)は、極東地区、中央アジア、シベリア、モスクワ以東の
ヨーロッパ・ロシアの2,000余りの収容所において、炭鉱・鉱山における採掘労働、森林伐採、
製材、鉄道敷設、道路港湾建設、農漁業、建物建築などで、奴隷として酷使された。
逃亡を企てた者は容赦なく射殺され、見せしめのため遺体を晒された。

奴隷労働の中でも、鉄道建設や炭鉱・鉱山における採掘作業は、最も危険で過酷なものであった。
スターリンが最重視したバム鉄道建設には、「枕木1本ごとに日本人1人の亡き骸が眠っている」
と言われるほどのおびただしい死亡者を出した。

加えて極度支給食料不足と非衛生的な住居環境という厳しい生活条件の中、伝染病が蔓延した。
事故死、自殺などでも多くの死者が出た。

舞鶴市がユネスコ記憶遺産に登録した「引き揚げ記念館」には、ほんの一部が展示されています。
しかし、其の解説には、国際法を無視してのソ連の捕虜虐待については、一切ふれていない。
さらに驚くべきは、ナホトカと姉妹提携都市(友好都市)として友好関係を結んでいる。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉があるが、心のどこかにシコリが残る都市である。



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李登輝氏と武士道

 国家の危機に際して、「日本人よ、武士道忘れるな」
1.「残された人生を台湾人、そして日本人を励ますために使う」

「いまだかって、私は『尊敬できる日本』という言葉を聴いた
ことがありません」とは、9月5日に元台湾総統の李登輝氏
[a]が、東京青年会議所の約2千人の聴衆に向かって語った言
葉である。

 総統退任後、残された人生を台湾人、そして日本人を励ます
ために使うと話していた李登輝氏だが、87歳の高齢にして、
心臓に持病を持つ身でありながら、まさに自分の命の限りを尽
くして、日本の青年たちに語りかけている。氏を駆り立ててい
るのは何なのか?

 ブログ『台湾は日本の生命線!』は、こう語っている。

・・・日本に対し、増大する中国の軍事的脅威から東アジ
アを防衛するため、日台が「運命共同体」「生命共同体」
であることを繰り返し訴え続けている。「台湾は日本の生
命線だ」「台湾が中国に取られれば日本は終わりだ」と。

 李登輝氏が最も日本人に伝えたいのは、まさにこれであ
るはずだ。「かつてのような智恵と勇気に溢れる日本と言
う国を取り戻せ」と、日本人を激励しているとしか思えな
い。[2]

2.「君は君、我は我なり、されど仲良き」

 李登輝氏は今回の講演では、『竜馬の「船中八策」に基づい
た私の若い皆さんに伝えたいこと』と題して、幕末に坂本龍馬
の提示した近代日本の国家像に倣(なら)って、今後の日本の
あるべき姿を語った。

 たとえば、第4議の「外国の交際広く公議を採り、新に至当
の規約を立つべき事(外交は公論に従って、新たに対等の条約
を結ぶ)」に基づいて、李登輝氏はこう説いている。

 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な
叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交
は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐ
わないものです。

 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、
「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実
篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、
「けじめある関係」でなければならないと思います。[1]

 この言葉から思い起こされるのが、李登輝氏の総統時代の対
中外交である。

 たとえば、私の総統時代、中共から絶えず激しい挑発を
受けました。すると、台湾の国民も大きく動揺して、「と
にかく恭順の意を表しておこう」という者や、「いや徹底
的に戦って相手を屈服させよう」という者など、さまざま
な人々からさまざまな反応が出てきます。こういうときに
こそ、もっと大局的な視座からもっと大きな判断を打ち出
すのが、民の上に立つ者の務めだと痛感しました。・・・

 台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけ
てきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど「新台湾」
はひ弱ではありません。

 あんなものは、単なるブラフ(JOG注: 脅し)にしか過
ぎない。大陸は、台湾に対して80発ぐらいのミサイルを
重要な個所に撃ち込めると言っています。しかし、私たち
は、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字
通り「備えあれば憂いなし」で全く恐れてはいないのです。
[3,p177]

 中共のミサイルなにするものぞ、と立ち向かう李登輝氏の姿
は、まさに日本の古武士の姿を見るが如くである。

3.李登輝氏の新渡戸稲造との出会い

 上記の引用は、李登輝氏が新渡戸稲造[b]の英文著書『武士
道』を解説した本の一節である。この『武士道』は、新渡戸稲
造が国際社会にデビューしたばかりの日本の精神伝統を説くた
めに、1900(明治33)年1月に英文で刊行したものだ。

 時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは徹夜でこの本
を読破し、感動のあまり、翌日ただちに数十冊を購入して、世
界中の要人に「ぜひ一読することを勧める」という献辞を添え
て送り、ホワイトハウスを訪れる政・財・官界の指導者たちに
も手ずから配ったという。

 この4年後に勃発した日露戦争で、日本軍は「武士道」に則っ
た戦いぶりを見せ、世界を感動させた。乃木将軍[c]や東郷元
帥[d,e]が日本古武士の典型として国際社会からの尊敬を受け
た。ルーズベルト大統領も日露講和の仲介を買って出た。

 その新渡戸稲造の著書に、どうして李登輝氏が関心を持ち、
自ら日本語で直接、それも文庫本で300頁以上もの解説書を
書くことになったのか。

 昭和15(1940)年、日本統治下の台湾で、旧制の台北高校に
進んだ李登輝青年は、図書館で多くの書物を読み漁っているう
ちに、新渡戸稲造の講義録を見つけた。

 新渡戸稲造は『武士道』を刊行した翌年、明治34(1901)年
に台湾総督府の農業指導担当の技官として赴任し、台湾製糖業
の発展に大きな貢献を為したのだが、毎年夏に台湾の製糖業に
関係している若き俊秀たちを集めて講義をしていた。それはイ
ギリスの思想家トーマス・カーライルの哲学書を解説した講義
だったが、その講義録を読んで李登輝氏は新渡戸稲造の偉大さ
に心酔するようになり、新渡戸の著書をすべて読んでいった。
その過程で出会ったのが『武士道』だった。

4.「公義」
 中国からのミサイルの脅しに対して、敢然と立ち向かう姿は、
いかにも勇ましい武士らしき姿だが、新渡戸稲造が説き、李登
輝氏が解説する「武士道」とは、そのような「勇」一辺倒のも
のではない。

 新渡戸は、武士道の徳目の最初に「義」を挙げている。「義」
とは「義務」であり、「義理」すなわち「『正義の道理』が我
われになすことを要求し、かつ命令するところ」と言う。孟子
が「義は人の路なり」とし、キリスト教で「義」は神からの要
求であるとするのも、同様の意味である。

 李登輝氏は「義」は「個人」のレベルに閉じ込めておくべき
ことではなく、必ず「公」のレベル、すなわち「公義」として
受け止めなければならない、と説く[3,p166]。それは社会のた
めに各人が為すべき事を指す。

 人の生き方として実践を重んずる武士道は、「義」について
抽象的哲学的にあれこれと論じたりはしなかった。それよりも
「義を見てせざるは勇なきなり」の一言で、武士としての生き
方を表現した。武士道の2番目の徳目である「勇」とは、あく
まで「義」を実践する時の姿勢であって、「義なき勇」は「匹
夫の勇(思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない人間の
勇気)」として、軽蔑された。

5.「義を見てせざるは勇なきなり」

 新渡戸稲造の生き方そのものに「義を見てせざるは勇なきな
り」があった、と李登輝氏は説く。

 新渡戸稲造先生が台湾に来てくれるよう要請されたとき、
彼はまだアメリカにおり、健康状態もかなり悪かった。し
かし、「義を見てせざるは勇なきなり」の武士道精神に基
づいて、総督府の一介の技官(地方の課長)という大して
高くもないポストに従容(しゅうよう)として赴き、いっ
たん現地に入ったからには命を賭して大事業の成就に向かっ
て全力疾走を続けたのです。なぜなら、国家がそれを必要
としていたからです。これこそ、「武士道」の精華であら
ずして何でありましょう。[1,p80]

 李登輝氏自身の生き方も同様である。進学先の大学を決める
ときにも、何の迷いもなく、新渡戸稲造が学んだ京都帝国大学
の農学部農林経済学科を選んだ。立身出世のためなら、東京帝
国大学で法律を学んでエリート官僚となる道を選ぶこともでき
た。しかし、台湾の発展のためには、新渡戸と同じく農林経済
を学ぶべきだと考えたのだろう。

 しかし、天は李登輝氏に学者としての道を歩ませなかった。

 私事にわたりますが、もともと学者か伝道者として生涯
を全うしようと思っていた私が、思いがけなくも政治の道
への足を踏み入れてしまったのも、いまにして思えば、
「天下為公(JOG注: 天下をもって公となす。天下は公のも
の)「滅私奉公」といった武士道精神に無意識のうちに衝
き動かされてのことであったように感じられてなりません。
6.「中華人民共和国」という擬制

 李登輝氏に政治家への道を歩ませた一因は、祖国台湾を覆う
中国の脅威であった。

 そもそも、「中華人民共和国」という擬制そのものが、
根本的に嘘ではないですか。孫文の「三民主義」を実現す
るための国家体制であると広言しながら、かつて民主主義
的だったことがありますか? 「人民」に対して自由や平
等を許容したことがありますか。天安門事件にしても、チ
ベット抑圧政策にしても、法輪功弾圧にしても、すべてが
独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしてきている。
いったい、何万人、何百万人の無辜(むこ)の民を殺して
きたというのです

 この「中華人民共和国」が、「祖国統一」というもう一つの
「擬制」のもとで、「台湾は中国固有の領土」「同じ中国人ど
うし」という「嘘」をつき、台湾併合を狙っている。

 私は、これまで一度たりとも「統一には絶対反対する」
などと言ったことはありません。中国の指導者が嘘をつく
のをやめ、本当に自由で民主主義的な体制をつくるように
なれば、いつでも統一に応じる用意がある、と言い続けて
きたのです。それまでは、台湾の人々のために、万民のた
めに、一国の責任ある指導者として「特殊な国と国との関
係」という現実を維持しないわけにはいかない、とだけ言っ
たきたのです。

 それなのに、彼らは自己権力を保持し拡大したいという
ことばかりに気をとられて、最も大切な国民の自由や幸福
を追求する基本的な権利まで、一方的かつ完全に踏みにじっ
てしまっている。そして、このような、ごく当たり前の
「公義」を述べる私のことが目障りで恐怖心さえ覚えるか
らでしょうか、平然と虚偽に充ちた個人攻撃を仕掛けてき
ている。[3,p61]

 中国の独裁政権は国家を私し、国民を搾取している。台湾の
民をそんな体制に住まわせるわけにはいかない、というのが、
李登輝氏の「義を見てせざるは勇なきなり」なのである。

7.「公義」と「友愛」

 87歳の高齢にして病身の李登輝氏が、中国の反発と日本政
府の抵抗を押し切って来日し、日本の青年に語りかける姿も、
同じく「義を見てせざるは勇なきなり」の心からだろう。

 中国の独裁体制による脅威という点では、日本と台湾は運命
共同体である。台湾が中国の支配下に入れば、西太平洋は「中
国の海」となり、海上輸送のライフラインを握られた日本は中
国に膝を屈せざるを得なくなる。そのような日台両国民の不幸
を避けるために、李登輝は高齢を押して、台湾と日本の人々に
語り続けているのである。

 鳩山新首相は「友愛」を説くが、自国民を弾圧し、ウイグル
やチベットなど他民族の土地を簒奪する中国に対しても「友愛」
第一で臨むのだろうか?

「公義」を基盤とする武士道精神には、「仁」、すなわち「惻
隠の情」があり、孟子はこれを「井戸に落ちようとしている幼
児を救おう」とする人間なら誰でもが持つ心、と説いている。
「公義」を根幹とし「惻隠の情」を持つ政治家なら、「友愛」
は中国政府ではなく、自由を奪われている中国人民、そして土
地を奪われ民族文化を破壊されつつあるウイグル人、チベット
人に対して向けられなければならない。「義なき友愛」は「匹
夫の友愛」である。

 そうした「義に基づいた惻隠の情」による外交を展開するこ
とで、初めて国民の安心安全を確保し、国際社会の中でも「尊
敬できる日本」になっていけるのである。

8.蔵にあるものは蔵から出せば良い

 国内の諸問題についても、同様である。しかるに、まことに残念なことには、
     1945年(昭和20年)8月15日以降の日本においては、そのような「大和
魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の指導理や道徳規範が、
     根底から否定され、足蹴(あしげ)にされ続けてきたのです。・・・

 いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶
悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、
失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもか
かわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を
否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、
と私は憂慮しています

 武士道は、我々の先人が700年の時間をかけて国民精神の
根幹として育て上げてきたものである。それを戦後の60年ほ
ど、我々は「お蔵入り」させていたわけだが、蔵にあるものは
蔵から出せば良い。

 李登輝氏は『武士道解題』を次のような言葉で結んでいる。
  最後に、もう一度繰り返して申し上げておきたい。
  日本人よ自信を持て、日本人よ「武士道」を忘れるな、と。

(伊勢雅臣氏の文献より抜粋)




posted by 弘心 at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする