九年前の表武……西舞鶴教室の映像…。(フェイスブック参照)
その後、9年間…心について (何のために生まれてきたのか、今、何のために生きているのか、心は何処にあるのか、心とは何なのか) 探求し続けた結果、その真理を得ることが出来た……。「すべて心で始まり、心で終わる」そして、「心が身体を動かす」。
合氣道の技、すべてが大きく変わった…。
植芝盛平翁から四つの言葉を学んだ。
〇「わしの合氣は、米糠二合持つ力があれば出来るんじゃ…」これは、力はいらん、ということであった。氣で行え…心を導きなさい、ということであった。そして、合氣の極意は、力を抜くこと「リラックス」である、と自覚した。
〇「合氣は愛である」…と言われた….これも難解でした。
しかし、これが「争わざるの理」ということであった。
更に、難解なのは
〇「我即宇宙」〇「我舞えば天地舞う」という言葉。
全てにおいて、目的達成には自らが主となれ。心と身体が調和のとれた自然体・統一体となれば、即ち、天地(宇宙)と一体と化しているのである…。その主たるものがひとたび動き出せば、天地(宇宙)舞うのである…。ということである。すなわち、敵がない。
植芝盛平翁は、合氣というものを神がかり的な表現で捉えられたが、実は、意味深い言葉で伝えられた。
翁先生は、「おくやまちゃん、もっと強く持ちなされ…、ほれ、もっと強く…」なぜか転がされた…。今から思えば意味の取り違えをしていた。
力ではなく、氣で強く…ということでだった。
最後に教わったのは、植芝盛平翁は「合氣は呼吸」…相手が息を吸う瞬間の時が相手の隙なんじゃ…おぼえときなはれ。」いかなる時も、先に動き入っておられた。
実はこれが極意……氣の次に大事だったのである。
翁を生涯の師として仕えられた高弟の藤平光一先生は、合氣会退会後、40年経って、合氣道は「力を抜くこと」が極意と述べられている…。