2023年02月19日
四十五年前…藤平光一先生との合氣談議
藤平光一先生がご家族三人で高槻市の私の家に来られて、一泊していかれました。その時深夜まで合氣道の話をしていただきました。特に印象に残ったものを紹介させて頂きます。
「わしは、外国人を相手の場合、体格の差です。それをカバーする為に、筋肉をつけるために器具を用いての鍛錬をした。しかし、後になって間違いと分かった。結果微妙に動きが遅くなったことが分かった。体を鍛える必要はないのです。逆に体を柔軟にするのがよい。体に筋肉をつけてもほっておけば直ぐに元に戻る…。必要なのは「心を鍛える」ことだった。そのために座禅や禊修行などあらゆるものに挑戦した。その結果、心は鍛えれば鍛えるほど強くなり、元には戻らないことが分かったのだ…。それらの修行で力を入れることではく、逆に力を抜くことが大事だと…。そして力を抜くと「氣」がでることも自覚した…。」この言葉は一番印象に残っている。
私が合気会での稽古で植芝盛平先生が口癖のように語っておられた言葉がある。「わしの合氣は、米糠二合持つ力があればできるのじゃ…だからおなごでもできる…。」と。すなわちこの言葉は、強い力はいらん、ということであった。必要以上に肉体を鍛えることはしない。主は心にある、と。
さらに、「今の武道には心がない」植芝盛平先生言いたかったのは「心」だった。
藤平光一先生は、心身統一合氣道の四大原則を創られた時のことを話されました。そのなかでも「氣が出ている」このことは、心で氣が出ていると思いなさい、それでよい。私はそれでは質問をさせて頂きました。一つは「「心は何ですか」と質問をしました。
すると、「體の密なるを心といい、心の疎なるものを體という」と説明されてそれ以上の話はありませんでした。
臍下の一点の意味…、リラックスの意味…などこの言葉を生み出すまでの苦労について語られました。
最後に合氣道の極意は「力を完全に抜くこと」「心を知り鍛えること」そして心身統一合氣道の五原則の話をされました…。
そのことはまた機会をみてお伝え致します。
「心とは何か」この言葉がその後、私の心に強い影響を齎したのです。
私は人間を知るために、仏教関係の大学で、四年間原始仏教を学びました。
高価なサンスクリット語辞典を買い、釈迦が生まれて死ぬまでを説いた原始仏教を一から勉強しなおしました。
そして藤平光一先生の説かれる「臍下の一点に心を静める」とはいかなることか、ましてや「心とは何か」、このことが分からなくて心身統一の四大原則は自らのものには出来ないと…。
更には、中村天風先生の一言、「心が身体を動かす」意味などその真理はわからないのではないか…。
十年の月日が流れました…。そして運命的な出会いをさせて頂きました。
スリランカ上部座仏教・長老と呼ばれている人です。
その時から「心とは何か」が、霧が晴れるように私の心に入りました。
この続きは、また機会がありますればお話致します。
最後に「自らの人生は、自らの心が創る」「すべて心で始まり、心で終わる」
という言葉を…。
(文責 心身統一統一合氣道会師範奧山弘邇)