2023年06月04日
今日の言葉
「なによりも自分で自分を欺かず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという。」
「中庸」に「誠は天の道なり。これを誠の道にするは人の道なり」とある。
誠とは偽りのない真心のことで、つまり自分自身を偽らないことである。
自分を偽ることはすべてを偽ることになるからである。
心身統一合氣道の師範と呼ばれている指導者の中には、このことが分かっていない者が存在する。指導者の資格はない。指導者と呼ばれるものには、再任試験を実施して、資格を問うことが必要である。
人心の荒廃
国会議員の不祥事、わが国にリーダーと言うべき人物の嘘偽りの行動…。息子を秘書に…、その人物がこともあろうに首相公邸での不適切行動が公にさらされた…。
親族を招いての宴会は、非常識いうほかない。
いつから総理大臣他要職の行動が問題視されたのか…。
それは第69代大平正芳内・中曾根康弘閣総理大臣までと言っても過言ではない。
それ以降の人物は、何かと問題を抱えた。
大平正芳氏などは、帝王学を学んでいる。それが精神の大きなバックボーンとなり、人物を作り上げているのである。
大平正芳氏の座右の書は何か…。中国古典の「論語」、「孟子」
、「十八史略」など。日本のものとしては「日暮硯」と「言志四録」。特に自分を高め、指導者としての心得を学ぶには、やはり「言志四録」が一番であると。
したがって今の岸田総理大臣などは、帝王学を学んでいない。
学んでおれば、不祥事が起こるはずがない。
ましてや息子に、何が人間として必要か、についての教育がなされておれば…公邸での前代未聞な恥じずべき行動が起こるはずはない。
私は想う。昔の人と今の人との学問の違いを。
「言志四録」をよんでみて、江戸時代のと我々現代人とでは、教育・学問にに対する姿勢が根本的に違っていた、人間の鍛え方が大きく異なっていたということである。
日本資本主義の父といわれた渋沢栄一は、江戸期の学問を受けた一人だが彼は五歳のころから「四書」「論語」「孟子」「大学」「中庸」を読み、十五、六歳までに「五経」(易経・詩経・礼記・春秋) さらに「小学・史記・十八史略・文選」などの中国古典を読破したとある。これだけの教養を身につけていたのである。
今の政治家や経済人で、これらの本を読んだことのある者は何人いるだろうか…。
指導者と名乗るものは、己の素養について一度振り返ってみるがよい。自らの心を知ることこと、そして相手の心を知ることが第一歩である。そのためには何を為すべきか…。
物事の真理を悟ったものこそ、指導者と言えるのではないか。
今日の言葉
「人の心の霊妙な働きは「氣」主体としている。孟子は「氣はそもそも体に充満しているものだ」といっている。だから、氣を充満させておけば、何事もやり抜くことが出来る。もちろん技能や工芸についても同じことである。」
何事も「やる気」がなければ成功しない。その「やる気」を出させるのが「志」であり、そのもとは邪心のない」颯爽溌剌なる気持ちなのである。
そのためには、「心とは何か」
自らの心は、どこにあるのか」
を知らなけれならない。
人間、探求心を失うと、最早、進歩はない。
今日の言葉
「税金から給料をもらっている役人にとって、好ましい字が四つある。公(公平)、正(正義)、清(清廉潔白)、敬(己を慎み人を敬う)。
これをよく守れば過失を犯すことはない。また、好ましくない字が四つある。
私(私心・不公平、)邪(不正)、濁(いやしいこと・賄賂)、傲(おごり高ぶること・傲慢)、これを犯すこと、禍いを招く。」
役人のみならず、上に立つ者が守るべき四文字といえば、〔公・正・清・敬〕。
捨てなければならない四文字は「私・邪・濁・傲」。
しかしながら、現在の役人やに立つ者は、まったくこれとは逆のことをやっているのではないか。
今日の言葉
「部下が、一生懸命仕事に務めていたなら、上の者はよく励まし、誉めてやることだ。ときには妥当性を欠く場合があって、もしばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。決して頭ごなしに押さえつけてはならない。押さえつけると、意欲を失って、萎縮し、それ以後は真心を尽くさなくなってしまう。」
この言葉は、安岡正篤先生から学んだ。先生は佐藤一斎先生が書かれた「言志四録」から教示頂いた。
余談であるが、俳優の高倉健の自伝に「あなたに誉められたくて」(林泉舍)という本があったが、彼は母親褒められたくてこれまで頑張ってきたことを告白している。
人は誰でも誰かに「褒められるため」生きているのである。
そのようなことが分からない、理解できない一部の方が存在する…。
自分の思い道理にならないと、相手に罵詈雑言を浴びせる指導者…。
悲しいことである。