2024年01月20日

物事の真理

舞鶴の限界集落に庵を立ててしばらくの頃の話。
その頃の思い出が走馬灯のごとく目に浮かぶ。振り返ってみた…。

平成十五年一月七日
「日本海側にいよいよ冬将軍がやってきた。
紅葉は落ち、草は枯れ、大地は霜により、持ち上げられている…これからが初心に帰る毎年恒例の禊である…。湧水で身を清め…新たな下帯をしめる…足袋と草履…襦袢、道衣、筒袴で身支度…。手作りの木刀と杖(毎年、我が山の木から鉈で作りあげる)が折れるまで「粗朶木打ち」と「立木突き」を…。たべものはとらない…神経が研ぎ澄まされ…感覚がひろがりを見せる…無駄な力が削がれ…太刀・杖と一体となり…體から邪気が抜け出るまで…日没とともに終わる…至福の時である」

こんな自虐的なことが数年続いた。今から見れば未熟なことを曝け出している。いくら肉体を鍛えても駄目であった。
心を鍛えることに気付かなければならない。今、想うと懐かしくもあり、悲しい想い出でもある。


そして、「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」を説いて二十年が過ぎ全てを知り得た…。

今、無常・苦・無我、という真理を知った時、心と身体は宇宙に解き放されている…。
皆さんとともに真の合氣道に向かって前進しよう。よろしくお願いいたします。
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2024年01月11日

令和六年度の事業


昨年は体調を崩し、六か月の治療をやむなくされました。
しかし、台湾台北教室の開設、宮津教室の開設と前進することが出来ました。
これも指導員の皆様、会員の皆様のお力添えによるものと感謝申し上げます。
さて、本年は飛躍の年として取り組んで参ります。その一つとして高槻教室は開設50周年を迎えました。舞鶴教室も20周年。

次の事業を実施いたします。
@「高槻教室開設50周年・舞鶴教室開設20周年記念表武大会」開催    
     日  時 令和六年十月十三日
     場  所 高槻市総合体育館柔道場
     内  容 日頃の修練の結果を披露  全国・海外の道場・教室も参加よろしくお願いいたします。


A「高野山夏季合宿」開催
     日  時 令和六年八月三、四日
     場  所 高野山大学武道館
     宿  泊 天徳院宿坊  講話 宮島阿闍梨(予定)

海外の教室にも参加要請をしています。
多くの参加をお願い致します。
posted by 弘心 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新年にあたって

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年の重要な二つの事業について少しお話致します。

@ 記念表武大会  A 高野山夏季合宿について
心身統一合氣道会弘心館道場高槻教室は、開設して五十年。私が合気会で修行をして植芝盛平翁から段位を受けて指導を始めたのが始まりである。
1974年、合氣道高槻スポーツ少年団として発足。
当時は子供、大人を含めて約120人を指導させて頂いた。二組に分けておこなったが今から思うと大変苦労した。
高槻市立桃園小学校の講堂、高槻小学校の講堂。高槻警察の道場を借りての指導。
高槻警察の道場では、ある子どもが、警察署のトイレットぺーパーに小便をかけて回る子供が現れ警察署長から苦情が出て大変な思いをした。
特に高槻マリア・インマクラダ幼稚園の園児が大半を占めていた。
シスターのいうことを聞かない子供は「奥山先生の合気道を習いなさい」と送り込まれてきたのを覚えている。順番待ちの園児が多数いて苦慮したのも記憶にある。

1977年に「心身統一合氣道高槻スボーツ少年団」と改名。その後高槻スポーツ少年団を退会、現在に至る。
沢山の想いを経て今も高槻教室は続いている…。その教室の開設五十周年を舞鶴教室開設二十周年と共に高槻で開催させて頂く…。感慨深い。
是非皆さんの表武をよろしくお願いいたします。

当時の大阪合気会の合宿は、高野山の宝亀院で行われていました。弘法大師空海が衣替えをしたという井戸がある由緒ある塔頭である。
宝亀院には別棟の武道場(約百畳)があるために重宝された。田中万川氏(合気会師範)が中心となり通年実施されていた。
ある合宿で田中師範はグレーの袴をつけて手には扇子を以て指導されていた。
植芝盛平翁の真似をされたのだと思うが…受けを取る方が正面打ちを仕掛けたころ扇子で受けて扇子が真二つに避けてしまった…。目のやり場にこまったことがあった。
田中万川師範は大阪の合気道発展に大変尽くされた。植芝盛平翁からは、「…技はさておき、わしの精神的なものはよく学んでおった…」と話されていたのを覚えている。

高野山夏季合宿は、創めて何年にもなる…。宿坊は天徳院。道場は高野山大学の武道館にお願いしている。
宿坊天徳院は、前田利常の正室・珠姫の菩提を弔っている由緒ある名刹で、
小堀遠州作の庭園があり素晴らしい景色を有している。
修練は、高野山大学の武道館。
奥の院までの散策はいつも心を和やかにしてくれる。
さらには、歴史上の人物のお墓も多く、いにしえの物語を思い起こさせる…。
子どもを中心とした合宿では、夜の肝試しが好評でした。これも懐かしい思い出。
宿坊での精進料理は、日ごろの飽食にならされていることに懺悔の想いを知らしめさせてくれる。

弘法大師空海の生誕1250年にあたる年、この地に修練の場を求め建立した空海は、私たちに何を伝えようとしているのか…。
空海は、絶対主観・必死一心の想いをして、この山深い里で修行…。
高野山が今の姿となったのは、明治時代以降と伝えられている。
それまでは幽玄の地…修練の場として山の奥深くひっそりと佇んでいた…。
私たちは、日ごろの技を、この地に深く沈め残す心勤めを、この一日に託そうではありませんか。
posted by 弘心 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする