人間としての生き方
今日は二十四節氣の啓蟄である。
多彩で多数の虫が蠢き始める日。
漢字には驚かされる。「蠢く…うごめく」という字は、
虫の上に春がのっかっている字である。
舞鶴の雪は、やっと90%融けた。そして雪の下からは
もう、半ば開いたフキノトウが顔を出している。
水仙も何本か花を開いてくれた。
花畑には、昨年にパートナーが一生懸命、チュウリップの
球根を埋めた…。土の中から少し芽を膨らませて眠っていた。
菜根譚に次の言葉がある。
「…寒則殺・暖即生…」。冬はすべてのものを殺し、春はすべてのものを
生かす…。という意味であり、これを人間の営みに表せば、
心の温かく穏やかな人は人を生かす…
しかし、心が冷やかで、冷たい人は、人を殺す…。
このように春はすべてを生かす意思を持っている…。
多くの虫や鳥、獣などが動き出した春…。
その気持ちは良くわかる。雪に閉ざされた数日間は、只、この雪が
一日も早く、止んでほしい…との気持ちが頭を駆け巡る…
雪がやめば、あれもこれも…したいことばかり頭に浮かぶ…
そんな思いで過ごす日々は、何かしら思考が止まり、しかし、
何かを成し遂げるイメージばかりが膨らむ…。
春の息吹は、このような勢いが、表面には出ないが、その中に
籠められているのであろう。
今年は、合氣道の修練において、新しい目標を掲げた。
修練者には伝えた。
故安岡正篤老師に陽明学を学んで三十八年目になる…。一体何をしてきたのか…師は、「何ものにも真剣になれず、従って何事にも己を忘れることが出来ない。
満足することが出来ない。楽しむことが出来ない。常に不平を抱き、不満を持って、何か陰口を叩いたり、やけのようなことをいって、その日その日をいかにも雑然、漫然とくらすということは、人間として一種の自殺行為です。
社会とっても非常に有害です。毒であります…」
では、どのような生き方をすればよいのか。師は言う。
「如何にすれば何時までも進歩向上していくことができるのか、
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。
純一無雑の工夫をする……近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、ということです」
「人間に一番悪いのは雑駁とか軽薄とかいうこと…。これがひどくなると混乱に陥ります。人間で申しますと自己分裂になるのです。
そこで絶えず自分というものを何かに打ち込んでいくことが大切です」と。(安岡正篤一日一言)
さらに、私が尊敬する森 信三先生の言葉。
「真の誠は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己は一切を傾け尽してこれに当たる。即ち、もうこれ以上は尽しようがないというところ、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出していく。
これが真の誠への歩みというものでしょう」と。(修身教授録)
森 信三先生は、又、様々なことについて、講義をされている。その中で、
「一時一事」もその一つです。
「…すべての武道の修練というものは、この「一時一事」の工夫において、大いに教えられる場合の多いものです。
武道以外の他の競技においても同様ですが、すべて敵と争う場合には、迷った方が負けになるのです。ですから、この「一時一事」の原則を、最も敏速に、かつ徹底して生かした方が勝ちを占めるのです。
そして、これは、ひとり武道や競技のみならず、実は人生そのものが、
またこうしたといえるでしょう…諸君らは、現在は、武道や競技などにおいて、この「一時一事」の修練をしているわけですが、その呼吸をさらに日常生活上の、あらゆる事柄において生かさなければならぬと思うのです。同時にまたこの点の工夫をするか否かが、武道や競技においても、真に上達するか否かの分かれ目となるともいえましょう。けだし古来名人と言われた程の人は、一振りの剣に全生命を集中してその生涯を、生きて来た人に外ならないのです」と。
安岡先生が説く陽明学の、格物致知と知行合一、
森先生が説く「生涯修業」…「一途一心」をこころして…
まだまだ学ぶことは多い。