昔、五味康佑(実際の佑の字は左側は示となっている)という剣豪作家
がいた。
彼の作品は本物らしさに鋭意をはらう、数少ない作家であった。
彼の書く小説は、本物感があまりにも凄いので、ある種の読者に
高踏的な鑑賞さえ許し、それが大きな魅力となっていることは確か
である。
これは、彼が可能な限り表現を切り詰め、凛冽の氣さえ漂う緊迫した文章
を駆使していることにある。
彼の作品の中でも「柳生武芸帳」「一刀流青眼崩し」などは、
図抜けた本物感そのものである。
彼の作品についての解説を、柳生新陰流二十一世宗家の柳生延春氏が
実に重要な指摘をなされている。その一節を引用しておきたい。
「今までに私が読んだ剣豪小説は、クライマックスである斬り合いの場面
になると、かなわず切り札的な奥義の太刀が遣われ、それで事がすむのが
常であった。
剣法の極意ーー技術の究極が一つの太刀に集約されて、オールマイティに
使われるという考え方である。
しかしも私はそうは考えない。極意というものは体系的、有機的ななものであって、ある太刀の使いかだそのものが唯一絶対であることは決してない。
勝負は常に相対的である。剣の素人が極意の太刀を伝授されても、手練れの敵をそれで斃すことなど有りえない。極意は修練の結果であって、
魔法の杖ではないのである。
五味康祐氏の手法にもこの考え方はある。しかし、この著者は、可能な限り表現をきりつめ、凛烈の氣さえ漂う緊迫した文章を屈指してこれを乗り切っている」
この批評は私の中に、強く印象付けられたものがあった。
実際に武道を直接体験していないにもかかわらず、その言葉には
体験者以上のものをもって伝えようとしている。
稀有な作家と言っても過言ではない。
私の好きな作家の中に、特に武道小説は剣道五段の津本 陽氏などの作品で合氣道創始者植芝盛平、不出世の達人大東流合気武術宗家佐川幸義、
大東流合気柔術の創始者とも言われる武田惣角などを描いたものがある。
これらの作品は、自ら武道歴から迸る言葉と文脈でもって表現されている。
しかし、いくら武道(剣道)の実務者であっても伝えようとする表現には
限りがあるようである。
それは、大東流合氣柔術の達人武田惣角を描いた時、見学を許され道場に伺い始めて見た大東流合氣柔術を極められた佐川幸義宗家当時92歳のすざましいまでの技に度肝を抜かれ、それまで書いていた表現文が大きく変ったと書かれている。
このことから、今、心身統一合氣道を伝えようとする者は、如何にして
伝えるかについては、削ぎ落とされた無駄のない的確な表現力を
身につけることが重要であることがわかる。
言葉の重みは、言葉を吐くその人の魂の重さと比例する。
決して軽々しくあしらってはならない。「心打つ…」『魂を打つ…』言葉こそ、人を動かすのである。
補足・この文章は、2011年に書いたものであるが、少し補足すれば
昔から、武術は、「守・破・離」と変化すると言われている。これはまさに上記の文中、「勝負は相対的なもの」としては離に辿りつかなければ意味がないことを表している。昔、植芝盛平翁が「わしがこのように融通無碍に動くことが出来るのは、六十数年間の基本を大事に修練した結果じゃ…」と言われていたのを思い出す。
即ち、修練者は、何時如何なる時も「守」という繭から、「破」という蛹になり、「離」として蝶々に変化することを想い続けることが重要なのである。
私の道場では、守として「練氣」、破として「表武」、離として「実践」の心身の遣い方を徹底して学ぶ。まず、第一に、「練氣」として氣を練り合う修練を、合氣道の基本技を静體技で充分に心身に練り込み、そして動體技に移行する。
そして、流體技に移る。その集大成が、日常の全てに用いる即ち「実践」である。(弘心)
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判明したことは、生家に同居した藩士御供番(藩主護衛役)から御式内柔術を学び、隣村の易者から気合術・九字護身法(合気の語源)、真言密教(ヨガ)・易学を学んで合気を創始した。
西郷頼母研究家も頼まれて大東流の名前と史実を作っただけと修正しております。
藤平光一氏の著書で、気の力、ヨガの記述は大変参考になりました。
また、渋川流柔術、一刀流溝口派、太子流剣術、黒河内伝五郎の直弟子なども判明し、前半生の謎が解けました。