2014年10月13日

何のためにの稽古


これは、「合氣道の稽古は、心の洗濯、禊であると思うのですが?!」と言う、ある方からの質問に答えたものです。

 「 そうですね。大きく纏めればそのように言うことが出来ます。しかし、心の洗濯、禊を合氣道の技で具現化、説明をすることが出来るかどうかです。私達は、合氣道は「天地の氣に合する道」として、「氣」を自覚し「心が體を動かす」原理を学びます。如何なる状況におかれても、心身統一(心身一如)を保ち、冷静沈着に自らを制御出来るか、です。これを心身統一道で学び、其の體が動き出すと、心身統一合氣道になります。このための原則を、実社会、家庭生活等に活かしていくことが重要です。いくら上手に人を投げても、意味がありません。しかし、投げることだけに学んでおられる方は、別ですが…。植芝盛平翁は、「合氣は愛じゃ」「我則宇宙」「我舞えば宇宙舞う」などと表現されました。そして、それを合氣道の技で示されたのです。藤平光一翁(合氣道最高十段位・心身統一合氣道創始者)、その意味を持つ技を四大原則・五原則で具体的に示され、「万有を愛護し、万物を育成する心をもって、我が心としよう。心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である」と喝破されました。そして、合氣道の基本技を整理されました。其の技は、すなわち、自らの人格の形成のために、技を方便としているのであって、投げることが、目的ではないのです。しかし、この定義は、個々によってことなりますから、自由になされればよいと思います。参考までに。」


 私は、今から15年前から、大きく変わりました。そして武農合一を説くようになりました。何を言っても、天地との対話が重要です。昼は、野畑を剣を鍬に持ち替えて、大地と対話。そして、日が暮れれば、満天の星空を仰ぎ、一日生かされたことを、感謝します。その結果、天地は、実りの褒美を授けてくれます。

 野菜の種を蒔き、大きくなるまで、朝早くから手で虫を取り、水をやり、我が子のように愛でながら育ちを待ちます。収穫前のジャガイモ・さつまいもを猪に食べられてしまいました…。猪には罪はありません。只、眼の前にあるものに空腹を満たしただけ…。猪の食べ残したものを、小さなイモ三個…、有難く頂きました。

 畑仕事での休息は、野畑の中で、手づくりの木刀と杖で無心に體を動かします。しかし、大半は、氣の静坐と氣の呼吸法で過ごします。大地の氣を体内に吸い込み、そして又、無心に備中を振り上げ、地を耕します。ミミズが顔を出しました。丁寧に横に移して、又、畑に戻してあげます。
今までにも何度も書いてきました。力を抜いて、大地に感謝の念を示しながら天人地と鍬を振り上げて下ろす。大地は快く受け入れてくれます。しかし、少しでも力が入ると、大地は反発して、受け入れてくれません。この事実は、やってみる者しかなければわかりません。感謝報恩の心を…。

 小さな小さな種一粒から大きな野菜が出来ます。あの小さな種の中に、宇宙の神秘が詰まっているのでしょう。生命の不思議さを感じると共に、天地の創造者の崇高な心を感じます。
人も又、その中の一つであることを思い感じる時、自らが何処へ行こうとしているのか、これも天地に任せよう…。ただ、今この一瞬を真剣に生きることが今の自分に与えられたものだ、ということを…。その積み重ねが未来を創るのでしょう。
合掌 弘心
posted by 弘心 at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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