2017年05月08日

心身統一合氣道との関わり

今、あらためて振り返ります。父から合氣武道を学んだのが、3歳からでした。
大阪大空襲で大阪北区の工場が焼け落ちるまで、工場の片隅の小さな道場で、父が社員の弟子を不思議なを技で崩し投げるのを見て育ちました。
父は、八光流合気武術を習得していました。それから13年が過ぎ…、父親から東京へ行こうと誘われ、東京日本橋の高島屋で合気道の公開講演があるらしい…、とのこと。
其の時の植芝盛平翁の合気道は、私の人生をかえました。

 そして、 財団法人合気会に入門、一日6時間の稽古…、三年で三段を允可されました。
その後は、31年に見た翁の技は、稽古の道場では見ることは出来ませんでした…。翁は、「合気は、米糠二合持つ力があれば出来るのじゃ…」と口癖のようにおっしゃっておられました。
しかし、道場では、其の力ではとてもとても不可能でした…。当時の内弟子達は、手首を鍛えるのに、ビール瓶で叩いていた…との話しもあったくらいです。力で強引にねじ伏せるような技でした。

本当の合気道は、一体どのようなもの…そんな疑問が何時も頭にありました…。
昭和46年に翁が亡くなり、そして当時合気会の総師範部長をされていた藤平光一先生が、東京代々木オリンピックセンターで、氣のことを教える、「心身統一道」の会を創設されて指導を始められました。
藤平先生曰く、「合気道は、天地の氣と合する道が合氣道である」と喝破されました。決して人の氣に合わせるものではない。と…。
そして、先生は、財団法人氣の研究会を設立。本格的に、心身統一道と心身統一合氣道を広められました。
長年、心の中に、本物を求めて悩んで来た者としては、待望の瞬間でした。
月に一度の研修会千葉県勝浦の日本武道館研修センターには、全国から同じ想いの同士が掛け参じて、熱気が迸るような雰囲気の中、藤平先生の指導を受けていました。
「心が體を動かす」「相手の氣を導く」「氣を出す…」など多くの言葉で、合氣の原則を語られ、私たちは、砂に水の如く、吸収していきました…。
今、心身統一合氣道会は、二代継承者によって、日々修練されています。風貌・人格とも引き継がれています。
振り返ります時、ゅ「八重の桜」の舞台であります会津藩。会津藩のお留技と言われた合氣柔術。その源流ともいえます大東流合氣柔術武田総角から植芝盛平、そして藤平光一へと引き継がれてきた合氣武道…。その思想は、盛平翁の「「正勝吾勝」「合氣は愛じゃ」「我舞えば宇宙舞う…」「我則宇宙」から藤平光一翁の「心が體を動かす」「心身統一の四大原則」「心身統一合氣道の五原則」さらには、「万有を愛護し、万物を育成する心を持って、我が心としよう、心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である…」「行修十訓」と言葉は違えども、その真理は同じことなのです。又、心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」そして其の目的は「人としての人格の形成」にあります。そして、争わざるの理は、人と争わない、喧嘩をしない、口論をしない…それだけではありません。真理はもっと深いところに存在することに氣付かなければなりません。
約四十数年にわたり。子供・大人クラスで合氣道を指導させて頂いて参りました。その中で多くのことを氣づかせていただきました。そして、約50年を経てやっと「真の合氣」に辿りつくことが出来ました。
 
 二人の人生の師、藤平光一先生からは、心が體を動かす原理を学び真の合氣に導いて頂きました。もう一人は、安岡正篤先生からは、東洋哲学、陽明学を学び、人生を立命とすることを教わりました。
共に、「自らの人格の涵養」すなわち、人格形成の為の修業なのであります。 
あっと言う間の77年でした。
これからもさらなる「真の合氣」を求めて、行き止まりの無い旅は続きます…。 
共にプラスの氣を持って前進しましょう。







posted by 弘心 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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