2017年08月16日

生きる目的とは…。

理性の脳を育てる

「好き・嫌い」という感情(動物的の脳ー原始脳)を野放しにして、その感情でものごとを判断すると、意志がぐらついてしまうのです。自分が意志が弱いと感じているのであれば、それは、「好き・嫌い」という感情でものごとを決めているからだと言うことに氣付くことが大切です。

人間の脳の中には、「感情」をつかさどる原始脳と、理性をつかさどる大脳とがあります。
原始脳は、私達がこの世に生まれてくる前から完成しています。だから赤ちゃんはこの世に生まれ落ちたとたん、お腹が空いたら泣いて要求します。又、オムツが濡れたら泣いて訴えるということが出来るのです。
原始脳は感情の塊ですから、「好き・嫌い」ということや、自分にとっての「敵・味方」ということしかわかりません。原始脳は人間だけでなく、どんな動物も持っています。

一方、理性をつかさどる大脳は、生まれた時は未熟な状態です。大脳は理性によってものごとを観察し、理性によって判断する働きをしますが成長するにつれて育てていかなければならないはたらきです。ですから大脳を育てるということを意識的にしないと、大人になっても子供みたいな人になってしまうのです。
勉強することはとても大切なことですが、その目的が金儲けや出世したいとか名誉か欲しいと思ってさらに頑張って勉強をし、もし学者になることができたとしても、その人は人間的に成長していないということがあります。

子供の欲の感情を煽ってはいけません。勉強に励むという努力・精進しながら、真の人間として成長することを願わなければなりません。

したがって原始脳(感情=欲)は悪であり、人間として成長することとは、こうした原始脳から生まれる感情に気付き、ものごとを感情より理性で判断して生きるということなのです。

世間一般に流布している宗教は、天国という妄想を作り上げ「永遠の生命」というストーリーを創ったのです。もしくは、この神様だけを信じていれば「自分は救われる」という宗教をつくり上げたのです。
信仰すれば救われるという宗教も同じようなものです。信仰すれば死んでも天国に召されて永遠の命を得ることができます」といってもう葛藤に悩まなくても良いように大脳を麻痺させてくれるのです。

人々は「我々は死ぬものだ」と悟っていない。もしそれを悟れば争いは終わります。人はみないつか死にます。しかし、そのことを心から意識して生きている人はあまりいないでしょう。自分も、ほかの人も限られて命をもつことに氣づけば、つまらない怒りにかられて争うことの無意味さがわかるはずです。
そして、争いよりも大切なものや、やるべきことに氣づき、ほかの人とどのように暮らしていくのがよいかを考えるようになるでしょう.誰しもが限られた命をもつている。そのことをいつも忘れないことです。

釈迦は「宗教はつぶしてしまうべきだ」といわれて、そうして大脳に暗示をかけたり麻痺させたりする宗教を攻撃しました。大脳をきちんと機能させ、理性を取り戻し「自分は死ぬのだ」という真実を見つめ、原始脳の無理難題な要求には応えないというのが、釈迦の教えなのです。






posted by 弘心 at 23:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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