礼…国や人でも、その働きが正しい秩序を保ち、美しく調和していることである。
義…礼を支えるものが、自己の意義や使命を社会的に果たしていくという意味の「義」である。この「義」は、自己の利益を求める「利」で はない。「利」は、利己であり、私であって、社会や国という全体に立つ姿ではない。
廉…国や社会のためという全体の仕合わせに立つには、自分というものを無にして奉仕すること。即ち、無私になるということである。こ れが「廉」である。
恥…以上のような精神に立てば、自分勝手で利己的な姿は、全体的な「公(おおやけ)から見れば、深く恥じなければならない。これが 「恥」、「恥」を知ることである。
このような礼・義・廉・恥は国家として最も大切なことであるが、それは同時に人としても大事なことである。
それ故に自分を造り、人造り、国造りに全ての根本となるものは、精神的な原理・原則となる「四維」に基づかなければならないのである。換言すれば、国の指導者たる者は、この「四維」をしっかり踏まえて実行していれば、人造りという教育をしっかりと根をおろしたものになる、といえるのである。
私の師、安岡正篤先生は、功利に走り、便利さに氣を奪われて、人間というもののあり方、生き方を見失ってしまっていることにいち早く氣付かれて、私たちに警鐘を鳴らされていた。私はそのことを徹底的に叩き込まれました。今は亡き師に感謝で一杯である。
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