年度の終わりそして新しい年度の始まり…このころになると、今まで共にしてきた友人、知人、なかまといわれてきた人とのわかれ・たびだちなど様々な場面を見てきた…。
合氣武道といわれているものとの出会い…75年が過ぎた。
今一度振り返ってみた。
子どもクラスでは、突然奇声を上げて道場を走り回る…。まったく人の言っていることを聞かない…。目が定まっていない…。など大変苦労したが、子どもの心臓と血管との関係、脳と手の関係を理解すると納得することが出来た。
更には、古代ギリシャ・アテネの教育との出会いは、私を子どもに対する見方を大きく変えた。
さらに分かったことは母親と子どもとのコミニケションが上手くなされていないこともわかった。家庭教育が崩壊している傾向が強い。
大人クラスでは、自分中心で相手を無視。注意すると、「やってるつもりです」との答え。人の話には、目を合わせない。視線が下を向いている。
無関心…。自ら感覚でとらえようとすることができない。知識の教育を叩き込まれたため、頭で考えようとする。武道は無意識の教育である。
山本五十六も手を焼く。今、思うと発達障害といわれる範疇に入るのであろう
これらに対して、根気よく助言し、観察をしてきた…。今まで述べ約五万人の方との出会いの中で、特徴的には、最高学歴(大学、大学院など)の人ほど、その傾向が見られた。中村天風、安岡正篤先生の「人間としての生き方」などとは、無関係なのである。東洋哲学などクソくらえである。
武道を学ぶ、武道を伝えるとは如何なることなのか…。最早,学習塾の範疇となり下がった感がある、と思うのは私だけであろうか…。
さらに、武道を指導する指導者と称する人たちはどうか…。〇段、師範と言われている人ほど、お分かりにならない人が少なからず存在する。
師範といわれ審査を担当する高段者。私の道場・教室で長年努力して、やっと昇段試験にたどり着いた…。明日試験という時の事前講習会で、考えられない罵詈雑言を浴びせられて、「先生、私はあの方の人間性はついていけませんので本日でやめます…」。何人もいました。残念で仕方がない。
その中の一人は、今、国の機関で宇宙関係の仕事についている。小学生の時から始められて、素晴らしい青年に成長された…。しかし、今も心に傷を負っている…。
一番残念なのは、指導者本人に自覚がないことである。
今は心身統一合氣道会がリスクマネジメントなどを制定して、表面上は無くなったように見える…。しかし、指導者の心の問題はそう簡単にかわるものではない。よほどの自己改革の努力、心底から問題解決のための努力が為されなければ解決には至らないであろう。
「物事の真理を知り、知識主義を棄てて、見識を育てよ」この言葉は、師安岡正篤先生から何度も言われてきた。
「知識というものは、それ自体では何の役にも立たない。頭の中で、いくら豊富な知識を持っていたとしても、それだけでは人間の形成にはならない。知識を心身の血肉化とする、つまり「知恵」に進化させることである。これが見識であり、それを体得することによって、信念が確立され、行動力の原点となるのである」 と。
私は三年間、修練の前に「心の問題」を説いてきた。今年三月で終了。
残念ながら理解して大きく変わられた方と、まったく無反応の方とに分かれた結果になった。
「人生のすべては自分の心が映し出す」「もっとも深い心は宇宙へと通じる」
一番印象に残った言葉です。
(弘心館道場では、又、百誦会を再開します。そこで「心の修養を基礎とした人間精神の再形成」のための集いです。関心がありますればご参加ください)
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