その頃の思い出が走馬灯のごとく目に浮かぶ。振り返ってみた…。
平成十五年一月七日
「日本海側にいよいよ冬将軍がやってきた。
紅葉は落ち、草は枯れ、大地は霜により、持ち上げられている…これからが初心に帰る毎年恒例の禊である…。湧水で身を清め…新たな下帯をしめる…足袋と草履…襦袢、道衣、筒袴で身支度…。手作りの木刀と杖(毎年、我が山の木から鉈で作りあげる)が折れるまで「粗朶木打ち」と「立木突き」を…。たべものはとらない…神経が研ぎ澄まされ…感覚がひろがりを見せる…無駄な力が削がれ…太刀・杖と一体となり…體から邪気が抜け出るまで…日没とともに終わる…至福の時である」
こんな自虐的なことが数年続いた。今から見れば未熟なことを曝け出している。いくら肉体を鍛えても駄目であった。
心を鍛えることに気付かなければならない。今、想うと懐かしくもあり、悲しい想い出でもある。
そして、「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」を説いて二十年が過ぎ全てを知り得た…。
今、無常・苦・無我、という真理を知った時、心と身体は宇宙に解き放されている…。
皆さんとともに真の合氣道に向かって前進しよう。よろしくお願いいたします。
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