2007年09月24日

何を学ぶか

今、政界がさわがしい。
わが国一番の権力の席をめぐっての、騒動である。
政界においても、リーダーたる資格を有する人物は少ない。

よく観れば、二世議員が後を継いでいる。
小泉、安陪、そして、今回の麻生・福田氏にしても然りである。

今から、63年前に書かれた本。「小説吉田学校」全7巻である。
著者は、戸川猪佐武氏(大正12年生まれ、昭和22年早稲田大学政治経済学部率、新聞記者(政治部)として昭和36年まで活躍。その後、政治評論家として活躍、多くの著書がある)。
その第一巻の最初に、次のような文章がある。

「小説吉田学校第一部保守本流
昭和23年10月10日、自由党総務会。
昭電疑獄の結果、政権を目前にした吉田茂は、GHQ民生局の吉田不支持の情報と、それにのった党内反対派の暗躍を、若手総務田中角栄の発言で切り抜けたものの、前途に暗い影を見出した。……政権安定をはかる吉田の打ちだした策略とは……官僚登用と池田、佐藤をはじめとする吉田学校の形成、領土問題など対米講和の残したものは……。政界の裏面にも精通する著者が実名で描く、迫真の政治小説」
とある。

内容は、「GHQ民生局次長のケージスが、占領下のわが国の指導者を浩然と名指し、野党一党の自由党総裁吉田茂を排斥する言動のやりとりから始まる。

当時の副幹事長に広川弘禅、大野伴睦…中曽根、福田、大平、田中角栄、河野洋平、三木武夫……。

最後の第八巻では、昭和49年10月、田中角栄の金脈問題が表面化、田中退陣を必至を読んで対決姿勢を強める大平と三福連合。

世論の糾弾の厳しさを考え、話し合いを打ち出した長老会議…そして全権を握る「椎名裁定」…。最後の吉田学校三十年を田中角栄は述懐する…ところで終る。

実名でのドキュメンタリーは、実話ゆえに、すさましい迫力で迫ってくる。
一週間でいっきに読み上げた思い出がある。

この時代の登場人物は、スケールが大きい。
そして、吉田茂氏にしても、戦争には負けたが、心までは負けていないという気概が感じられる。

吉田茂は、自分の息子に等しい年齢の違いのある東洋哲学(陽明学)者の大家安岡正篤氏を老師と仰いで、指導を受け、日本人としての誇りを保った。

これらの登場人物には共通したものがある。それは、利他の心があるということ。そして、日夜、日本の将来を視野に入れた働きがなされているということである。

領収書の偽造のようなつまらないこととは無縁の人である。
今の政治家、いや、政治屋とは、月とすっぽんほどの違いがある。
しかし、それを選んだのは、国民である。
人心の荒廃と断言するのは、過去のわが国の政治家の生き様を垣間見て
痛切に感じたからである。

知識を見識にして、さらに胆識にする。そうした人達が、次代を担う青年の模範となり、次の世代に引き継いでいく…。

時間がかかることであるが、そうした哲学をもった人を育成することが、今、あらゆる分野で求められるのではないだろうか。

そのことが、真の「美しい国づくり」であろう。














posted by 弘心 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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