2008年02月18日

詩の心

今から約50年ほど前、いや半世紀と炒った方がよい。
今のように、テレビが普及していなかった。ラジオが唯一の外部からの情報を伝えてくれていた。

石鹸を造る会社、名門の牛乳石鹸があった。その会社がスポンサーで
確か毎日放送と思うが、「牛乳石鹸歌謡学校」があった。
この学校の一人に選ばれて、毎週水曜日に大阪の電通スタジオへ通った思い出がある。
 その時に流行歌・歌謡曲なるものを、発声・コールユーブンゲンなでの基礎となるものを教わった。

又、エコー歌謡学院の同期生に、「あんた泣いてんのね」で一世風靡した松山恵子がいる。そのお恵ちゃんは、死ぬまで変わらない容姿で、京都の名前は忘れたが河原町通りにあったクラブで逢ったのが最後でした。その当時、大阪南の「ベラミー」で、関西が生んだジャズ歌手坂本すみ子の修行時代があった。ゴッド姉さんの異名をとる和田アキ子も数年後いた。

市村俊之(ピアニスト)の司会で「素人物まねコンクール」に出演した大阪南の映画館の「国際会館」での収録のとき、前座で若かりし藤田まことが、淡谷のり子の「別れのブルース」などの物まねで出演していたのが懐かしい。

そして一年後に、「TVコマーシャルタレント養成」に応募した。
難関を突破して入った。一年後、関係者から「東京のフジテレビのロイ・ジェームスの…紳士録」での共演者に行かないか、と言われた。
思い悩んで、先生に相談した。「お前はアホか!」と、漫才のホットブラザースの「のこ切り演奏」のお題目のような一言をあびせかけられて、チョン。

話を元に戻して、流行歌、歌謡曲、演歌、艶歌、怨歌…などと歌全体の総称が変わってきている。
多分、詩の持つ内容からの変化なのかも知れない。

しかし、阿久 悠氏が登場されてから大きく変化してきた。
詩の形式もどちらかと言うと七語調から、散文形式となり、行数も
四行〜五〜六〜十一行までと多くなる傾向にある。

若い作詞家、作曲家が多く誕生していることもまた、変化する一因なのであろう。しかし、昔の作詞家の詩には短い言葉で奥行きのある意味をこめたものが多い。その故、短くて良かったのではないか。
短かく適切な言葉こそ、人の胸深く沈みこむ力が強いことを先人は知っていた。

最近の詩を紹介したい。

(信濃恋歌)
湖水に根雪の 白い影
君の横顔 思い出す
帰らぬあの日を 秋桜と
やさしく語る 道祖神
信濃恋歌 風の詩

(ゆめかぜ)
女らしくて 気持ちが純で
母によく似た 人だった
人の前では 見せないが
生きる優しさ 顔に秘めていた
夢風は夢の風 あの人は今どこに
しあわせを集めては
しあわせに泣いている

(悲しい街さ〜TOKYO〜)
街も人も変わった
何処か遠くへ行きたい
ひとり生きるには
ただの悲しい街さ〜TOKYO(OOSASKA)
愛する女性も今は
誰かの胸に抱かれているだろう
煙草を揉み消すように
サヨナラ言えたら
夜は終わるだろうか
男は涙見せずに 思い出を語るもの

いずれも半年以内に歌われている曲です。
詩の持つ意味が、その人の人生の中の生き方の一遍と重なり合った時、共感を呼び起こす、そして、心情の吐露を疑似体験する。
この意味合いが深いほど人の胸を打つものとなるのであろう。

この世界も「心が體を動かす」ことに他ならない。


posted by 弘心 at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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