嘉納治五郎氏が日本の柔術から乱取りを取り入れ、
試合形式として広めた柔道が変わりつつある。
日本の伝統の柔道と、「柔道」から「JUDO」と表記される
ヨーロッパのJUDOとは、異なってきた。
日本柔道が「一本を取る」ことにこだわる、奇麗な柔道である。
しかし、勝ちにこだわるヨーロッパのJUDOは一本には
こだわらない。
きたないJUDO。すなわち、相手に奇麗な柔道をさせない
JUDOなのである。
具体的には、日本は、間合いをとり、腕、袖をとって
技を仕掛ける。
ヨーロッパのJUDOは、相手に間合いを取られないで、
身体を密着させて技を仕掛けるのである。
特にグルジア(あらゆる格闘技の技など)を多用する。
その意味は、当然一本となると思われた瞬間に體をひねり、
相手の體に密着させて反転させて、有効を取る、などである。
今回の北京オリンピック代表を決める大会では、その様子が
はっきりと見えた。
日本の重量級の代表となった石井 慧氏の勝ち方はまさに
それを目指していた。
彼の口から、次のような言葉がもれた。
「日本の柔道は進化していない」
「ヨーロッパは進化している」と。
そして、野球選手で日本からメジャーへ、そして大きく
活躍しているイチロー選手も
「日本はフォーメーション、型に捉われ過ぎ、それが個性を
潰している」と。
嘉納治五郎氏をして「合氣道が本来の柔道である」と
言わしめた合氣道もその視点で見た場合、
進化しているのであろうか。
少なくとも、「合氣」について日夜心が體を動かす修練に
心を砕いている者には、一つの示唆でもある。
又、低迷する我が国の経済においても同様、如何に低迷からの
脱出を図るか、今、新しい発想(進化)が求められている。
2008年06月03日
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