2008年06月03日

二代継承者

心身統一合氣道会の会長として、籐平光一宗主の
子息籐平信一氏が二代継承として、受け継つがれ
指導者研修の講師として、来阪した。

彼が四歳の時、学生時代、結婚式の時、本部道場で、
関西地区本部でと一つ一つの節目で会ってきた。

素晴らしく成長された。
只、35歳、人格が滲み出るには年が浅い。

籐平会長の名代として、アメリカ、ヨーロッパへ
指導に行く機会が多くあり、様々な人種との対話と
合氣体技の対峙で、自身がついているように伺えた。

講習会のあとの食事会での席上で、いろいろな話をした。
その中で私は「合氣道は格闘技であることを自覚すべき」
「踊る合氣道ではない」「人格の陶冶に基本を置くこと…」
など、忌憚ない言葉を投げかけた。
彼は頷き、同様の趣氣を表してくれた。

父親から様々な想いを受け継いでこられたと想像する。
しかし、「氣」「臍下の一点」とその言葉から派生する
語彙だけでは長続きは困難であろう。

「氣」「心」についても、もっと深く、語源、中国・
我が国での歴史上での変遷等、学問的にも思慮することも必要だ。

さらには、東洋哲学の歴史的変遷と学問的見地から、
日本人のもつ精神的背景とその構造にも系統立てて、
認識することが求められる。

そして、自然人としての人の體の持つ潜在的な正しい「動き」
「働き」についてまで、言及すべきであろう。
心の法則と身体の法則を説くならば、「體」の仕組みと
正しい動きからまず説くべきであろう。

その上に立った経験と体験からの発言でなければならない。
まず、自分自身が何者なのか、何のために今存在するのか、
何所へ行こうとしているのか…など自己検証をまず乗り越え
なければならない。

敢えて苦言を呈するのは、心身統一合氣道の創始者である
父籐平光一宗主の書かれた「唱句集」において、
一つの矛盾律があるからである。

新しい組織作りに挑む姿は、頼もしい。
ただし、父親の教えのみでは駄目である。「宗主が…仰った…」
「宗主が技については…」などとの発言が多いのは無意味である。
教えそのものを自らのものにしていない証拠でもある。
「子(弟子)は、父親(師)を乗り越えてこそ一人前である…」
との言葉がある。

「虎の威を借る狐」であってはならない。
これからの精進を祈っている。
彼であれば、その想いは、速かれ遅かれ成就されるであろう。
見守っていきたい。











posted by 弘心 at 13:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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