2018年03月27日

日本のゆくえ2


今、日本中が不思議な方向にある。たった一つの土地問題に絡んで日本人の精神構造があぶりだされている。その国をある意味ではリードする官僚といわれるグル―プ。国民から選ばれた自称代表と言われるグループ。その中に如何にして取り入ろうとする野心家…。さらにそれを面白おかしくメディアは煽る…。冷かな目で眺めてみると、あまりにも情けない人の集まりといえる。
「君子は諸れを己に求む。小人は諸れを人に求む」この意味は、君子は何事も自分に責任を課すが、小人は責任を人のせいにする、ということである。我が国には、君子にあたいする人物はいないのだろうか…。
市井の中に存在するが、先に述べた集団には存在しないと言っても過言ではない。「偽」という言葉一つが守れない…。いつわる、うそをつく、だます、などの意味を持つ。人としての尊厳に係わる一番大切なことである。
いつからこのような精神に成り下がったのであろうか。教育勅語が問題…道徳が問題…修身が問題、などと原始脳だけでの判断で、自らがエリートと思いこみ生きてきたことに思いが及ばないのであろうか。
何かが欠落していると感じるのは私だけなのか…。
知識を最重点におき、それを知識とすることが出来ず、勿論見識も胆識も…ない。今、前財務省理財局長の証人喚問が行われている。自らに罪が及ぶような答弁は誰もがしないであろう。それを承知で質問が延々と続いている。
この事件でおいて一体誰が損害を被ったのか…。現在、問題となった土地は元の国有地として戻っている…。売買による被害はない。もし、この約九億の土地が八億円も値引きされて一民間人に渡されそして民間人は転売をして大きく儲けた…、さらに次次と転売…、国民の財産が不当な値引きにより、売られていたことにより、国民は多大な損害を被った…ということであれば時間をかけてでもその原因の究明をしなければならないであろう。しかし、実際はそんなことにはなっていない。土地は国有地のままである。無駄な国会での討論はほどほどにすることも必要ではないか。その為に空転している国会運営と、その為の費用は多大な額である。税金の無駄遣いと言われても仕方ないのではないか。野党は政権交代のチャンスとばかり、そのほうに力を入れていると思われても仕方がない。
きのどくなのは証人となったM氏である。家族もあり友人もあり、前途洋洋な人生をこの様な形で人生の幕引きをすることに忸怩たる思いであろう。
家族や子どもはどのような思いで一日一日を過ごされているのであろうか…。本人の自業自得という言葉を云い放つだけで済ますのは、あまりにも人情がないのではないか、と思うのは私だけなのか…。

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2018年03月14日

日本のゆくえ

日本のゆくえ
今、我が国が大きく揺れている…。即ち、「国有地売却に関する決議文書改ざん問題」である。ことの起こりは、学校法人に学校建設に伴う国有地払い下げにことを発する。幼稚園児に教育勅語を暗記させて父母の前で唱和させる…異様な雰囲気の中に子どもを置く…、時代錯誤も甚だしいこの学校に、こともあろうか時の総理大臣の妻が賛辞をおくり、名誉校長などを引き受けている。この学校法人に国有地を払い下げることが進む…。国は財務省が担当。国会は野党の払い下げに伴う交渉経過資料提出を巡り与党と対峙、空転する。ここに提出資料の改ざん問題が浮上する。見つけ出そうとする野党と、隠し通そうとする与党。人間は権力のあるものに対して全ての者とは言い切れないが、おもねようとする姿勢がある。今回はこのことが如実に現れたものと断言できる。
一国の総理大臣の妻が関係する事業なので何とかしてその思いに添いたい…。その空気が組織の中に充満した時、やってはならないことまで犯して忠誠心を表そうとする。その経過を記した公文書が、後になって国会の中に提出することになった時、組織は都合の悪い内容を外して抵抗のないようにする…。そのことが今、おおやけになろうとしている…。安倍首相はこのことについて、次のように語る。
「…国民のみなさまから厳しい目が向けられていることを真摯な受け止め、なぜこんなことが起きたのか,全容を解明するため調査を進めていく。…」と述べた。」
私はこの言葉を聞いて、唖然とした。ことの発端は自らの妻が総理大臣の妻という立場を利用し国有地払い下げの交渉に関与したことにある。
国有地払い下げの交渉に安倍首相の妻が嘴を入れた。その内容が経過資料となった。都合の悪い経過をないものとするために、余分な文章を削除したことが今回表面に出た…。何故、削除したのか…根底には安倍首相の国会答弁(私や妻は一切関係していない…)に整合性を持たせる為に、財務官僚が経過資料を改竄した。その為に若い官僚1人が自殺した。さらには担当部局のトップは辞職した。
たった一人の智慧をもたない女の行動のために、人の命が失われ、又、有能な官僚も輝ける人生に終止符を打った…。そして国民の税金が空転国会に無駄な費用として使われたことになる。ことの発端となった女については、毒婦と表現してもよいであろう。
今の日本人はなぜ管子が説く「四患」のうちの一つ、「偽」ということを犯してしまうのか…。政財界に蔓延しているこの現状は、この国をどこへ導こうとしているのか…。
国民一人一人が真剣に思慮することが必要ではないか。


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2018年03月09日

今日の言葉


すべては無我である
(自分のものなどないことを理解すれば、幸せになれる)
私達は、いろいろなものを自分のものだと考えています。しかし、実際には自分のものなど一つもありません。
どんな財産も永久に持ち続けることはできず、いつかは自分の手を離れていきます。また心も感情や妄想に突き動かされ、自分の思い通りにはなりません。命も必ず終わりを迎えます。
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〇〇〇〇交流協会代表N氏宛書簡

お元氣な様子、又、ご活躍のことと拝察いたします。最初で最後になりますが、返信をいたします。まず最初に私の基本信条についてであります。精神については、武士道を藤平光一氏(最高位十段、合氣道界最強の達人として世界21カ国に広められた)に師事40年。天風会主宰中村天風氏、東洋哲学者(陽明学)安岡正篤氏に35年…など多くの先達に学びました。藤平翁からは、争わざるの理・人として人格を造る、ことを。天風師には、心身統一道として心が體を動かす原理。安岡先生には、人としての生き方・運命は変えることができるとして立命学を学びました。いまだ修業途中であります。お陰をもちまして、地方行政に三十数年間に4721人の方との出会いと関わり、特に田中角栄氏、町村自治大臣、佐藤栄作氏の子息、元大蔵省銀行局長大月 高氏、神戸電鉄社長奥田氏…などの方との出会いは強烈な印象と精神学びました。なおその後におきましてもさらに多くの出会いをさせて頂きました。貴台は私のリタイヤ後のその中の一人でもあります。私の信条は、「四維」と「四患」を守り、至誠・至公・誠実であります。しかし、私は四患を一番嫌います。それは人として自ら滅し、組織を滅ぼし・ひいては国を滅ぼすからであります。貴台のことですから充分お分かりと存じます。次に台湾との交流についてです。台湾とは今から約40年前にある人物との出会いが最初です。その後、今から十数年前に台湾から招聘を受けて武道の指導に参り今に至っております。最後に貴台の会の会員であったT氏の件です。貴台は、人を使って脅迫にもとれる行為をT氏にされました。ものごとは双方の言い分を聴かなければその真意は分かりません。組織を率いる者は、まず自らの信条が確立していなければなりません。人は誰ひとりとして完成された完全な人格を持つものは存在しません。何時までも相手の非をあげつらい相手を誹謗するだけではなく、相手を良い方向に導いていくことこそが組織の代表ではないでしょうか。いや、釈迦に説法でしたね。さらに、私宛てに台湾行政院から書簡が届きました。そのことについて貴台は「〇〇〇〇交流協会のおかげですね」と私に言われました。おかげではないでしょう。対面をさせて頂き名刺交換をさせて頂いた結果です。台湾のバシー海峡の戦没者慰霊祭に舞鶴から貴会の会員でもない二名を参加して頂きました。不明朗な旅費内訳により誘った私は大変迷惑を被りました。第三者の旅費と会員でもない人の年会費などが含まれた内訳、その後清算すると言いながら為されていない…。これは考え方によれば詐欺になります。会の代表者が自ら責任をもって事後処理にあたることが必要です。会計担当と直接話し合えば一度で済む話ではありませんか。会計担当者のT氏1人に責任を負わせるのはもっての外であります。会で生じたことは、すべて代表者にあります。最後に貴台からメールはT氏に伝えておきました。貴会の御発展をお祈りいたしまして最後の返信とさせて頂きます、

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京都台湾交流協会の発足


台湾との交流は、今から約40年前から…、「台湾への架け橋」と言う一冊の本がとりもつ縁となりました。今年で10年…年二回の訪台で20回になります。訪台で心身統一合氣道通じて沢山の素晴らしい友人が出来ました。台北と花蓮、今年は台南高雄にも参ります。今回の「京都台湾交流協会」は、二年間の雌伏へて設立いたました。これは法人化への第一歩と考えています。多くの方の入会をお待ちしています。二年に一度の台湾への訪問交流、年間を通じての講演会、会員同士の情報交流、規約に定めた事業部門にわかれての活動…京都と台湾のより密接な関係の構築に努めたいと考えています。重ねて多くの方の入会をお待ちしています。入会希望の方には、本会の「規約」などお送りいたします。
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台湾R氏宛てコメント


御存じと思いますが台湾の合氣道は、大阪合気会の田中万川氏が、台湾の柔道家の李氏に初めて伝えられました。李氏が台湾で出版された合氣道の本で知りました。私は初め合気会で植芝盛平翁に師事しました。又、田中万川氏とは、高野山での合宿など、一緒に修練いたしました。その後は、植芝盛平翁から藤平光一(当時合気会総師範部長合氣道最高位十段…海外21カ国に広められた)に伝えられた合氣道は「合氣道は、天地の氣に合するもの、として盛平翁が亡くなった後、心身統一合氣道・心身統一道を創見されて現在に至っています。私は藤平光一師範が合気会を退会された時、藤平光一先生と一緒に合気会を退会して、藤平光一先生に師事して今に至っております。今の合気会の合氣道は植芝盛平翁の技とは基本的に異なっています。創始者植芝盛平翁の技は、完全に力を抜いておられましした。すなわち、リラックスこそが合氣道の基本なのです(植芝盛平翁から直接お聞きしました)。そのことを藤平光一師範は悟られました。そして当時、合氣道界最強の師範として国内外にその名をしらしめられました。私は3月3日〜6日まで台北へ参ります。今回は私が訪台10年の節目として、一般社団法人心身統一合氣道会として、心身統一道・心身統一合氣道の普及のために参ります。真の合氣道とは何か、台湾の皆さんに改めてお伝えしようと思い参ります。
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藤平光一先生・植芝物平翁のこと


1974年に「合気ニュース」を創刊された編集長のスタンレーブラニン氏(合気道史家)が語る藤平光一先生の実像。
藤平光一先生との出会いとともに1997年まで藤平光一宗主と7回の会見が行なわれました。その中でのトピックスとしてのニュースは「藤平先生はそれまで武道関係の雑誌のインタビューに応じなかった理由として、「私が昔のことをしゃべったら、彼ら(植芝盛平の弟子たち)がダメになってしまうだろうと思ったから(合気ニュース110号)」と言われています。つまり、植芝盛平を神秘化したり超能力者にまつりあげている弟子たちにとって、盛平翁の強かったのは彼が完全にリラックスしていたからだという事実が明らかにされてしまっては……困るわけです。「しかし、本当のことを残しておかなければなりません」ということで『合気ニュースの一連の会見の実現となったのだといわれています。何故植芝盛平は、強いといわれるようになったのか…当時合氣会総師範部長であった藤平光一師範は、「それは完全に力を抜く、即ち、リラックスを会得されていたからなのです」と見抜かれていました。決して神秘的ではなく、当然の結果なのです。既に極意を会得されていた藤平光一師範(合氣道十段位)は、1960年代後半から70年代にかけて藤平先生の海外での活躍には素晴らしいものがあります。事実、当時の私たちにとり、植芝盛平大先生は壁に貼ってある写真の人、神秘的な存在でしかありませんでした。しかし、藤平先生は実際に腕をとって投げおしえてくださる現実の人。具体的に解説を交えて教えてくださる堅実のひと、として人の心に入っていきました。そうした合気道普及での藤平先生の活躍は、残念ながら現在出回っている合気道関係の書物には残されていません。私としては、そういう事実を合気道史上に残しておきたい、現在の若い人たちに知ってほしいと思ったのです。
私(奥山)は、藤平光一(合氣道十段位・心身統一合氣道創始者)に師事して約四十数年になります…。
合氣道は「完全に力を抜く…リラックス」ことが一番重要であり、極意であると心身統一合氣道を創見された藤平光一先生は、みずから中村天風翁の「心が體を動かす」と言う言葉と心身統一道と山岡鉄舟の一九会での禊修行などで、そのことを会得されました。武田惣角から植芝盛平そして藤平光一と伝えられた合氣道は、人の氣に合わすのではなく、「天地の氣に合する道」が合氣道である、と喝破されました。
真の合氣道とは何か…、相対世界ではなく、絶対的自己を造り上げること、即ち「争わざるの理」と「自らの人格を造る」ことに在ります。私達は藤平光一宗主が創建された「心身統一合氣道」を藤平光一宗主から直接学び、宗主亡き後は、子息の二代継承者藤平信一会長のもとで世界に広められています。藤平信一会長は、父藤平光一宗主に想像を絶する教えのもとに耐え、見事に合氣道の真髄を会得されました。私は二代継承者藤平信一会長の4歳の時から見守って来ました。そしてこれからの合氣道界を牽引されるのは彼以外に無いと断言致します。今年は一般社団法人心身統一合氣道会は「心身統一道・心身統一合氣道」をもって、台湾へ参ります。そして台湾合氣道と表武をもって交流いたします。よろしくお願いいたします。
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2017年12月04日

今日の言葉

今日の言葉
天が福をおしむなら、こちらは徳でたち向かおう。肉体をくるしめるなら、
精神を楽にしておぎなおう。境遇をふさがれたら、真理に生きて切り抜けよう。天もこれにはどうもできまい。
(天薄我以、吾厚吾徳以迓之。天労我以形、吾逸心以補之。天阨我以遇、
吾亭吾道以通之。天且奈我何哉。)
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2017年11月04日

愚公移山



強い意志と信念をもって行えば必ず夢は叶う。と言う意味です。
このことわざは、中国『列子』「湯問」に書かれたもので、「愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり、何処へ行くにも回り道をしなければならなかつた。そこで老人は不便なので山切りくずしを決断しました。そして何代にも掛けていつ完成するかもわからないが1人で山を切り崩し始めました…。
愚公の熱意を感じた天帝が二つの山を取り除いたという故事から出た言葉です。

今から50年前にアインシュタイン博士は東京のホテルに泊まった時、ベルボーイにある言葉を書いたメモを渡しました。そのメモは約2億円で落札されたそうです。その言葉は、愚公移山と同じ言葉でした。

又、ゴーダマ・ブッダは、「総ての結果は、自然法則において現れる。即ち、努力にふさわしい結果が現れる」と。

私達は、私達の目の前に人生に関する明白な事実があるのに、ずっとそれを無視しているのです。それが無知というものです。
修行とは、無視する代わりにたった今、ありのままに自らの経験と共にあることを最優先にすることです。それはたった今ここで起こっていることに注意を向けることなのです。即ち、心が無知から出て自由に向かう道なのです。

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2017年10月21日

自然の中で…導かれて…。



素晴らしい一日…、心の意志が一番強く働いた一日でした。感謝で一杯です。
小さな庵を建てて、土を耕し、季節の野菜を植えて…、晴耕雨読の日々を…。
何のために…何を成すためにこの世に生れて来たのか…。何故生きているのか…何故いきるのか…。こころとは何か…こころは何処にあるのか…長いあいだ心の中に渦巻いていた様々な疑問が不思議と少しずつほどけてきた…。そして確固たる真理を得た…。
その意味では、創造主の導くままに、都会の喧騒から逃れて来たことは、正解だった。

「朝、窓を開ければ、小鳥の声が聞こえて…目の前に四季折々の木々や緑、名も知れない小さな草花が目に映ります…。名も知らない草花と会話をしながら…木々の囁きに耳を傾けている自分を自覚する…。風水によって建てられた小さな庵の…そして机に座って、自作のハーブ茶を…。山から下りてくる緑の香りのする風を肌に感じながら…仕事に…。」仕事の合間には、こころの意志法(瞑想「呼吸法・統一法など」)、さらにイメージによる表武(体技・剣・杖を持ち)…。精神を高めることができるようなった…。

合氣武道というものに惹かれて…そしてその理念である「争わざるの理」…目的である「人格の創造」…行き止まりのない旅に出て、半世紀以上過ぎた…。そして様々な人達と出会い、学び、多くの結果を頂いた。
その一つには総てこころの意志を強く持つこと、そしてその思いに向けて絶対精神で行いをすれば必ず実現するという真理である。

今又、次の目標に向かって進もうとしている…。出会いをさせていただいた多くの方々に…こころからお礼と感謝の気持ちを捧げるとともに、皆さんの御多幸をこころから願い、誓願を建てるものです。





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2017年10月15日

随処に主となれば立処皆真なり

運命は、自分の命を自分が運ぶこと。たがらあくまでも
自分が運命の主人なのだ。

天命は、天によって定められた人の命の枠組み。
宿命は、生まれる前からの先祖によって託された命の宿題。この宿題をクリアーするために、先祖たちはいろいろな能力を与えてくれている。
運命は、自分の命を運ぶための命の仕組みを自分が作ること。
さらにいえば、運命は現在の自分自身の命と共に、託された宿命の課題をクリアーする行為もふくめて、自分の命を運ぶことである。
寿命は、生命が肉体に宿して尊大し活動するために天が定めた時間の長さ。
使命は、それだけ備わった人間としての自分自身を自覚して、宇宙真理である「進化と向上」に生涯かけて尽くし遂行し成就することをいう。
 天命は安んずることである。天に唾しても始まらない。
広義の運命には、宿命と運命(狭義)ある。宿命は、先祖に託された課題をクリア―することだ。
先祖の中には、よくも悪しきも色々な思いを残して死んだ人もいる。そういう先祖の色々雑多な課題をクリアーするには、ひとつのマスターキーで充分だ。あらゆる課題に応えるマスターキー、それが陰徳というものだ。
そして運命は、真と善と美、すなわち誠と愛と調和という宇宙真理に則して、積極的肯定的に、自分の命を運ぶことである。
したがって、あくまで自分は自分の運命の主人である。
こうして心身一如のライフスタイルを構築して、生きて生きて生き抜いていくこと。生きている限りは死んでいない。
死んでいない限り生きている。
生かされて生きている以上は、とことん世の人のため、進化と向上という人間の使命を遂行していきたいものだ。
人間としての尊厳を実感して生きていこう!(中村天風先生・運命を拓く言葉)


人間次第

不幸にして生まれつき病弱ではだめか、家が貧乏ではだめか、
鈍才ではだめか、生活の為に多忙ではだめか、そんなことはその人間次第で、
どうにでもなることで、運命というものも有るが、運命は宿命で、その宿命の中に立命というものがある。(安岡正篤先生・師と友 巻頭言)

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2017年10月11日

なぜ、生まれて来たのか?何のために、生きているのか?

この世に何故生まれて来たのか!何のために生きている、いや、生かされているのか!このことを知ることが大切です。それは「幸福になるために生まれて来たのです。その幸せは自己のためではなく、他の多くの人の幸せを祈り、その為の努力をしなければなりません。その結果、自分の幸せとして返ってくるのです」ゴーダマ・ブッダの言葉です。即ち真理は只一つなのであります。このことが貴台の云われる、悔いのない生き方・精一杯いきるとは何か、の答えなのです。したがって自然の法則に反することは必ず失敗します。そして結果は自然の法則によって現れるものです。このことは日常生活においても、仕事においても法則は同じです。その為には、心の強い意志力が求められるのです。
「意志は、常に自然にそんざいするもの」「意志は『生きたい』という衝動」…ブッダは意志をcetana(チュータァー)、と教えています。意志とは行動を引き起こす心のはたらきのことで、意志は、自分が意識しようがしまいが、常にどんなときにでもはたらいていると説かれています。あなたが、瞬間、瞬間に「生きたい」「生きたい」と思っていなくても生きているように、私達が生きている限り、意志は常に生まれています。ブッダのおしえでいう「意志」とはおそらく、一般的に考えられている「意志」よりも、もっと基本的で、根本的な、善でも悪でもない「生きたい」という衝動です。又、お話しましょう
一度お会いしましょう。
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2017年10月10日

悲しい別れ

悲しい別れ
S君が亡くなった…。42歳…これからという時に。今から40年前、彼の父上と出会いそして合氣道の研修会でいろいろなお話をさせて頂いた。S君が小学生の時…確か父上に連れられて来られた時、出会いをした。
1人での旅先での突然の死…鳥取県の海岸で見つけられたとのこと…。その海岸一帯は、離岸流として知られており、毎年数人が亡くなっているとか…。
残念で仕方がない…。彼は大変心の優しい人でした。私と出会うと何時も気遣ってくれた…。手荷物を率先して持つなど、何かと世話をしてくれた。
内弟子として修業して居たころ、罵声を浴びていた…。その横顔には何とも言えない表情が窺えたのが今も忘れられない。彼なりの言い分も在っただろう…。
私は彼に「嫌なことは全て放下しなさい。もし、何か想うことがあれば舞鶴の道場へ来なさい。蟠りを吐き出せば楽になりますよ。何時でも待っています」と励ましたことは一度や二度ではない…。
自宅での告別式に参列させて頂いた。喪主の奥様から死に至る原因についてお話を伺った。9月28日に海岸で見つかり、司法解剖の結果、溺死…とのこと坦々として話されていた。しかし、日本海では、お盆が過ぎれば、絶対に泳ぐことはしない、何故ならばクラゲが多く又水温も低いためである。何故その様な時に泳いだのか…。まして離岸流の恐ろしさについて立て看板も当然あったのでは…。今となっては魔がさしたとしか言いようがない…。

彼は内弟子をやめて、介護支援の仕事という新しい仕事についた。そして夜などには、教室をもって子どもたちに合氣道の指導を始めた…。順風…と思われた矢先…。

人は何故生きるのか…。何のためにこの世に生れ出たのか…。人を育てる組織であれば、人の上に立つ者であれば、その答えについては即答出来なければならない。ましてや一つ一つの言葉や、導く者自らが模範となるべき厳しさを身につけていなければならない。私の師、安岡正篤先生から「知名と立命」という講義に中で次の言葉を頂いた「性質と能力……人は生まれた以上本当に自分を究死尽くし修練すれば、何十億も人間がおろうが、人相はみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる」と…。即ち、まず、相手がどのような人物かを知ることから始めなければならない。と同時に、相手の総てを受け入れるだけの度量が求められるのである。人は、物事を決めたり、判断をする時、大方の者は、本能・・損得・好き嫌いで決めているのが大方である。このような「原始脳」で決める意志力は、ぐらつきます。確固たる意志力を保つには、理性の脳を働かすことです。どんなことでも自然の法則に反するものは、必ず失敗します。

話をもどして、人の上に立つ者は、人心の把握に血の滲む努力をしなければなりません。人を導くとは、命を掛けた戦いです。その真剣勝負が生死を分けるのです。つづく。


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2017年10月07日

今日の言葉

今日の言葉
一度発した言葉は、永久に消えることはない。只、自らの耳聞こえないだけである。発した言葉が良い、悪いものにせよその結果は必ずわが身に帰ってくる。善因善果・悪因悪果となって…。

人を罵り、悪態をつけば、最悪の場合相手は死をもって表すであろう…。

又、その人の幸せを何時も祈っていれば、それもまた自らの幸せとなって帰ってくるであろう…。

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2017年08月24日

幼児のためのお祈り

「幼児のための睡眠前のお祈り」

『お前の中に光が流れ込んでいきますように。
私は愛をこめてその光につきそい、
この上ない喜びとともに、
お前の生命のいとなみを見守ります。
それはお前をすこやかにするでしょう。
それはお前を支えてくれるでしょう。
それはお前の心を明るくしてくれるでしょう。
人生をあゆみはじめるお前のために、心から、
この私の喜びに氣持お前の生きる意志と結びつきますように。
そして、この意志がどんな時でも。
どんなところでも、自分自身で強く存在し続けますように。』

このお祈りの言葉を生まれたての赤ちゃんの前で、毎晩、例えば電気を消してロウソクの光を手に持って、その言葉を生まれたての赤ちゃんの寝ている前に行って、毎晩この言葉を繰り返すのです。そうしますと、子供は勿論ここに書いてあることは何も解らないわけですけれども、しかし言葉には概念としてリアルな力があるのです。それがお母さんの言葉と言う、お母さんの心の精神の中を通過した生きた言葉という形で子供の中に流れ込んでいくわけです。
すると何も知らない子供はただ可愛くぱっちり目をあけて。お母さんの言っている言葉゛を音楽のようにきいているのですけど、その響きをお母さんの表情とお母さんの心との中から、子供は概念の力として肉体の中に吸収していくのです。
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2017年08月16日

生きる目的とは…。

理性の脳を育てる

「好き・嫌い」という感情(動物的の脳ー原始脳)を野放しにして、その感情でものごとを判断すると、意志がぐらついてしまうのです。自分が意志が弱いと感じているのであれば、それは、「好き・嫌い」という感情でものごとを決めているからだと言うことに氣付くことが大切です。

人間の脳の中には、「感情」をつかさどる原始脳と、理性をつかさどる大脳とがあります。
原始脳は、私達がこの世に生まれてくる前から完成しています。だから赤ちゃんはこの世に生まれ落ちたとたん、お腹が空いたら泣いて要求します。又、オムツが濡れたら泣いて訴えるということが出来るのです。
原始脳は感情の塊ですから、「好き・嫌い」ということや、自分にとっての「敵・味方」ということしかわかりません。原始脳は人間だけでなく、どんな動物も持っています。

一方、理性をつかさどる大脳は、生まれた時は未熟な状態です。大脳は理性によってものごとを観察し、理性によって判断する働きをしますが成長するにつれて育てていかなければならないはたらきです。ですから大脳を育てるということを意識的にしないと、大人になっても子供みたいな人になってしまうのです。
勉強することはとても大切なことですが、その目的が金儲けや出世したいとか名誉か欲しいと思ってさらに頑張って勉強をし、もし学者になることができたとしても、その人は人間的に成長していないということがあります。

子供の欲の感情を煽ってはいけません。勉強に励むという努力・精進しながら、真の人間として成長することを願わなければなりません。

したがって原始脳(感情=欲)は悪であり、人間として成長することとは、こうした原始脳から生まれる感情に気付き、ものごとを感情より理性で判断して生きるということなのです。

世間一般に流布している宗教は、天国という妄想を作り上げ「永遠の生命」というストーリーを創ったのです。もしくは、この神様だけを信じていれば「自分は救われる」という宗教をつくり上げたのです。
信仰すれば救われるという宗教も同じようなものです。信仰すれば死んでも天国に召されて永遠の命を得ることができます」といってもう葛藤に悩まなくても良いように大脳を麻痺させてくれるのです。

人々は「我々は死ぬものだ」と悟っていない。もしそれを悟れば争いは終わります。人はみないつか死にます。しかし、そのことを心から意識して生きている人はあまりいないでしょう。自分も、ほかの人も限られて命をもつことに氣づけば、つまらない怒りにかられて争うことの無意味さがわかるはずです。
そして、争いよりも大切なものや、やるべきことに氣づき、ほかの人とどのように暮らしていくのがよいかを考えるようになるでしょう.誰しもが限られた命をもつている。そのことをいつも忘れないことです。

釈迦は「宗教はつぶしてしまうべきだ」といわれて、そうして大脳に暗示をかけたり麻痺させたりする宗教を攻撃しました。大脳をきちんと機能させ、理性を取り戻し「自分は死ぬのだ」という真実を見つめ、原始脳の無理難題な要求には応えないというのが、釈迦の教えなのです。






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子安美智子先生との出会い…。 子安美智子先生との出会い…。

子安美智子(早稲田大學名誉教授)先生が7月2日肺炎のため亡くなられました。83歳でした。心から冥福をお祈りいたします。先生とは、今から約40年前高槻市へ来て頂き|シュタイナ―教育」について講演をして頂いたのが最初でした。先生御夫婦は当時東京教育大学の教授をされておられ、ドイツへの留学時に先生の娘さんをミューヘンの「シュタイナ―学校」に転入。その経過を書かれた「ミューヘンの小学生」という本は、私の成長期にある子供に対する考え方と教育について大きく変化させました。さらには、実現は出来ませんでしたが高槻にシュタイナー学校の建設を真面目に考えていました…。又、早稲田大学教授高橋 巖先生の「シュタイナー教育」についてのセミナーに参加さして頂きルドルフ・シュタイナーの人智学を学びました。シュタイナーはゲーテの研究家であり、建築・教育・物理・医学…など、特に建築学については、その作品である「ゲーテアーヌム」の設計思想について大変大きな影響を受けるとともに、人間に対する考えを根本から変えていきました…。特に講義の中の「ヨーロッパにおける教育思想の源流……ーギリシャ・ローマ・中世の教育」については、強烈な印象を受けました。シュタイナーを通じて多くの方と交流をさせて頂きましたことが懐かしい想い出です。さらには高橋 巖先生からは古代ギリシャの教育と合氣道との関係について、述べられたことは驚きでした…。なつかしい想い出です。
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2017年08月04日

日本人の精神構造とは何なのか…。

明治維新という一つの時代的変革を経て、我が国は近代化へと進んだ…。
振り返っては下田の沖に黒船が現れて以来、西欧文化に追いつけ追い越せと日本人は一丸となって物づくりにあたってきた…。その結果、世界でも有数の経済国となった…。しかし、これまではアメリカという目標があった。ところがその目標を追い抜いた後、我が国は目標を見失った…。その時から我が国は全ての点で下降線を辿ることになる…。
特に日本人としての精神的遺産は、敗戦とともに完全と言っても過言ではないくらい破壊された…。その結果…、
今、TVや新聞紙上、マスコミを賑わしている内容は、どうであろう。
一国の代表という人物の言い訳と意味不明の言語、ファーストレディと称される女性も自らのおかれている立場をわきまえず取った行動…。安倍首相とその妻のことである。森友学園・「加計学園」の獣医学部新設問題にまつわる一連の関係者の発言と信憑性…。我が国の本来信頼すべき「官僚」が嘘をつき、民主主義の砦でもある国会の議員が本来の仕事わすれて不倫に走る。さらに税金で支払われている政務活動費を誤魔化す…。法的には二重国籍ではなれない国会議員が野党の党首となり、指摘されて辞任…。提出法案の説明がまともに出来ないとともに質問にまともに答えられない法務大臣…。我が国の防衛についての関連事項の質問にまともに答えられない、さらには防衛省内部の統率がとれない防衛大臣…、伊達メガネを掛け、ネックレス、イヤリングをつけ。パーティーにでも出席するような場違いないでたちで自衛官に訓示する…、自衛隊員には違和感があるであろう。自らはいざとなれば生死をかけて職務に挑む、そのような緊張感に包まれている隊員に一体どれだけの説得力のあるというのだろうか。決して女性だから駄目と言っているのではない。全てがTPOに則した心遣いが必要と思う。髪型を短髪にして、装飾品はなし、黒色のスーツ、短靴で自衛隊員の士気を鼓舞するぐらいの迫力ある演説が出来ないのであろうか…。任命責任者の常識を疑うことにもなろう。

森友学園問題は、小学校創設を図る一民間人が虎の威を借りての用地取得…、忖度と言う言葉が巷にあふれる…。自らの非、即ち補助金等の詐欺を棚に上げて、そして「一点の曇りもない」との大見えを切っての記者会見…。その当事者籠池夫妻が詐欺罪で逮捕。

警察官、教育者といわれている人たちの不祥事件(特に性犯罪事件)については、正に人心地におつ、である。
民間企業にあっては、経理の不正、偽り…そして企業の存続すら危うくする。何れも一流大学と言われる大学を経て企業トップまで昇りつめた自らの人生を棒に振る。そして視聴率を上げるためにその様なありさまを追い日夜奔走するマスコミ…。
日本人の精神構造はどうなっているのだろうか…。
大人の「発達障害」では済まされない。根本的原因を徹底的に解明する時期にきているのではないか。




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2017年05月24日

教育勅語と日本精神

教育勅語と日本精神  教育勅語は悪か…。

最近「教育勅語」がマスコミを賑わしている。国会で、ある事件を巡っての質疑応答…そしてそれを報じる新聞。2017年2月23日と3月3日のM新聞の論評・社説に次のような言葉がある。
「…世の中は思い通りにならない。とくに子どもの教育はそうである。国も同じで、必死に日本の独立を守った明治の先人は教育勅語を子孫に残し後世の安泰を願った。しかしそれを覚え込まされた世代は無残にも大日本帝国を滅亡させる。だが世の中にはこの21世紀にもう一度試そうという人もいるらしい。教育勅語園児に暗唱させる幼稚園を運営する学校法人が今度は小学校を作るという話である…」さらに「…明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ…」と主張している。
前段の論評で「…それを覚えこまされた世代は無残にも大日本帝国をめつぼうさせる。…」とのべている。この指摘は正しいとは言い難い。祖国を想うことは人として当然のことではないか…。しかし、国民の心を何かに誘導しようとする指導者の思惑の材料となれば又意味は異なってくる。純粋に人間としての精神性を説くことに特化すればこれ以上のものはない。天皇の名のもとに、いや時の為政者が名を借りて国民を強制的に一方向に導くようなことであれば、これも又異議を唱えなければならない。

又、今の時代に当時そのままの言葉を子供に丸暗記させ、日常的に暗唱させるということは、時代錯誤も甚だしい。
特に、1948年に我が国の衆参両議院での排除と失効確認が決議された事実は事実として受け入れなければならない。しかし、当時我が国が世界的に置かれている状況と敗戦国と戦勝国との関係について、深い洞察力が必要ではないだろうか。GHQの支配下におかれていた状況は、再び軍国主義としての芽を徹底的に排除すべく作業が行われて、我が国のあらゆる文化が、特に武道関係においては、禁止という名のもとに封鎖されている。その様な中にあっての「決議」であることも忘れてはならない。
特に「基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す…」という表現についても違和感がある。真の基本的人権の意味・真の国際信義とは何を指して云うのか…。

それではそれぞれ専門的立場の人たちの意見はどうか。日本教育史が専門の日本大学の小野雅章教授は 次のように述べられている。「教育勅語は、明治期ですら政府内で内容が問題視され、改定が議論された。それを今に至って政治家が称賛するとは……」と。  しかし、実際、教育勅語が出た4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いた。 驚くことに、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じたという。しかし西園寺の病気で実現しなかった(文相参事官を務めた竹越与三郎著「西園寺公」1947年)。
政治思想史に詳しい放送大教授の原武史氏は「現憲法の国民主権、基本的人権の尊重と正反対の内容です。『良いことも書いてある』と評価する人は、一体どういう読み方をしているのか」とあきれるのだ。
 なぜなら「父母に孝に……」などの「徳目」が並ぶ一文は「以て天壌無窮の……」で結ばれる。「つまり『良いこと』のように並ぶ徳目は、すべて皇室を支えるために臣民に課す、という位置づけです。戦前の小学校でも、これが教育勅語の核と教えられた。一部を切り出し、全体を評価することはできません」と解説する。
 元文部科学相の下村博文氏も14年4月に「内容はまっとうだが、昭和期に誤った使われ方をした」と述べたが、原さんは「確かに小学校で暗唱が課されたが、昭和期に語句が変わったわけではない。最初から問題のある思想を内包していた」と両断した。
天皇が新憲法下において、象徴としての存在となった今、「教育勅語」を当時のままの姿で、今の教育現場に移行させることは、時代錯誤も甚だしいことは
常識ある者にとっては当たり前のことであろう。

当時の「教育勅語」が国民に与えた影響を考える時、前述の「…無残にも大日本帝国を滅亡させる…」との表現には違和感を覚える。大日本帝国の滅亡は異なる事由での問題ではないか。

私は台湾との関わりを今から38年前に持った。そして多くの台湾の人たちと交流をさせて頂いた。その中でリップンチェンシン・日本精神という言葉を知った。それは今77年間生きてきた私にとって初めての出会いであった。1947年、新教育下においては道徳・修身などの教育は無かった…。私達はその真っ只中にいた…。

台湾の長老たちが若かりし時、日本統治下において受けられた教育の中心は「教育勅語」を中心になされた。その影響下で生きて来られた人達の精神的状況は、総てが国を滅ぼすあるいは人間破滅のような結果にはなっていないことも又事実である。
一つの事例として、李久惟氏が書かれた「日本人に隠された『真実の台湾史』」の一節を紹介したい。

「…台湾に対する様々な視点で書かれた過去の著作はすでに多くありますので、日本統治時代を経験した祖父母世代から聞いてそだった、われわれのような孫の世代が、どう受け止め、どう感じていて、近年の震災義損金活動やWBCの日台戦の応援で見せた心と動きにどう結びついているかに注目して頂きたいと思います。
もともとアジアの最貧地域のひとつだった台湾に、日本の先人たちは奇跡を起こしたのです。日本治世の功績は大きくわけて三つあります。本書では以下の三つを主眼に書いています。
1.農水(食べ物と水)
2.近代化の基礎インフラ、産業
3.教育(技術と精神)
日本の先人たちは とにかくやればできる と 利他の心 で「必ずや人や国の為に役立つ人間になりたい」いう強い意志で語学や専門分野に実績を残しています。台湾では数え切れないほどの功績とそれにまつわる物語が残っています。今の日本人もそのDNAを受け継いでいるので、目覚めたときには凄まじい勢いと力を発揮すると台湾の祖父母の代の多くに信じられているのです。

日本時代のすべてを美化するつもりはありませんし、盲目的に日本が好きなのではありません。いつの世にも、世界のどの国でも、善も悪も、その両方が混在していると思います。当然ながら日本統治時代にも光の部分もあれば、もちろん影の部分もあったことは否めません。しかしながら祖父母世代から書いた表現ですが、「「日本時代は、台湾にとつて光が九割以上、闇が一割以下』。比較して「オランダ時代、清国の時代、初期の国民党時代は、闇が九割、光が一割だった」と言うのです。

搾取ではなく共存共栄を主とした日本の統治は、台湾の民にとても尊敬され、今なお多くの人々は感謝の心を忘れていません。台湾人も日本人も、受けた御を返すということを大事にしている点は良く似通っていて、お互いに心行きが共有でき、共に志を持ち未来を歩むことのできる民族なのです。
日本時代は結果的に台湾の近代化の基礎を造り、食べ物と水のあふれる大地に変え、台湾を幸せにしてくれたのです。
台湾には今も日本の心が息づいているのです。
台湾の祖父母世代は日本統治だった台湾に暮らし、今の日本人が失いかけて
る大切な日本(リップン)精神(チェンシン)(大和魂)を持ち続け、孫の代にも伝えようとしてきました。日本精神の代表的なものが 利他の心 なのでしょう。
自分よりまず人のことを思いやる心。自分だけのための人生を過ごすのではなく、「人・家族・地域・公・国・世界」のために人生を全うするという心。『求めあうより与え合う』という生き方。「誰かの光・希望となる存在」になるための生き方。そんな社会環境や人間関係を形成してこられたのが日本の先人たちなのです。見返りを期待せずに人助けや人の役に立つことを進んでする、そして喜んでもらえたらそれ自陣が自分の喜びになるという捉え方で、人や公に尽くし絶えず自己鍛練を怠らず自省しながら技術も人格も高めていく人生をすごすこと。以上のようなことを、日本人の先人が台湾に真剣に教えてくれたのです。
日本が教えてくれたことの一つとして、祖父母世代はよく、自分と先祖がつながる「逆さピラミット」の話をしてくれます。
自分がうまれてくるには必ず父母がいます。その上にもそれぞれの父母がいます。二十八代前に遡れば、その数かなんともはや約一億三千万人に及びます。皆すべて兄弟親戚。だから助けあうのは当り前なことです。そしてまた、その連綿とつながった命のリレーのなか、自分と関わるすべての祖先を、誰ひとり欠いても今この瞬間に自分が存在しません。まさに「命のリレー」で、祖先たちは過去の飢饉や自然災害などの天災、戦禍・事件などの人災をすべて潜り抜け、脈々と受け継いできたのです。
今の自分があるのは、ある意味で「奇跡」なのです。生かされていると感じることが出来れば、それは感謝の心につながり、人のために役に立とうという気持ちが生まれます。
古来より日本が大切にしてきた、知育・徳育・体育・住育など、何れも大切ですが、こうした教育の根底には、人のつながりを重んじ、常に人のために思って行動できる、そんな利他の心が流れているのだと思います。
かっての日本の先人が持っていた素晴らしい美徳・日本精神を、皆で再度思い起こしてほしいというのが台湾の祖父母世代の人たちが長年秘めていた、日本に対する強い想いの一つなのです…」

以上が、李久惟氏の書かれた本、「日本人に隠された真実の台湾史」の一部です。

我が国の東芝などの企業経営者や政治家がこのような心をもって経営に、政治活動に従事していれば、不正決算・粉飾決算や政治活動資金の不正使途のような不祥事は起こっていないはずです。ましてや、一国のトップたる総理一家が忖度などと疑いを掛けられずに済んだのではないだろうか。日本人には何かが欠けているものがあるのではないでしょうか。

今、我が国の政財界のみならず、管子が説く「四患」の中のたった一つの「偽」という言葉が遵守できない精神的混迷の中において、日本人としての精神的支柱として何が存在するのか、何が必要なのか、問われているのではないか。


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2017年05月08日

心身統一合氣道との関わり

今、あらためて振り返ります。父から合氣武道を学んだのが、3歳からでした。
大阪大空襲で大阪北区の工場が焼け落ちるまで、工場の片隅の小さな道場で、父が社員の弟子を不思議なを技で崩し投げるのを見て育ちました。
父は、八光流合気武術を習得していました。それから13年が過ぎ…、父親から東京へ行こうと誘われ、東京日本橋の高島屋で合気道の公開講演があるらしい…、とのこと。
其の時の植芝盛平翁の合気道は、私の人生をかえました。

 そして、 財団法人合気会に入門、一日6時間の稽古…、三年で三段を允可されました。
その後は、31年に見た翁の技は、稽古の道場では見ることは出来ませんでした…。翁は、「合気は、米糠二合持つ力があれば出来るのじゃ…」と口癖のようにおっしゃっておられました。
しかし、道場では、其の力ではとてもとても不可能でした…。当時の内弟子達は、手首を鍛えるのに、ビール瓶で叩いていた…との話しもあったくらいです。力で強引にねじ伏せるような技でした。

本当の合気道は、一体どのようなもの…そんな疑問が何時も頭にありました…。
昭和46年に翁が亡くなり、そして当時合気会の総師範部長をされていた藤平光一先生が、東京代々木オリンピックセンターで、氣のことを教える、「心身統一道」の会を創設されて指導を始められました。
藤平先生曰く、「合気道は、天地の氣と合する道が合氣道である」と喝破されました。決して人の氣に合わせるものではない。と…。
そして、先生は、財団法人氣の研究会を設立。本格的に、心身統一道と心身統一合氣道を広められました。
長年、心の中に、本物を求めて悩んで来た者としては、待望の瞬間でした。
月に一度の研修会千葉県勝浦の日本武道館研修センターには、全国から同じ想いの同士が掛け参じて、熱気が迸るような雰囲気の中、藤平先生の指導を受けていました。
「心が體を動かす」「相手の氣を導く」「氣を出す…」など多くの言葉で、合氣の原則を語られ、私たちは、砂に水の如く、吸収していきました…。
今、心身統一合氣道会は、二代継承者によって、日々修練されています。風貌・人格とも引き継がれています。
振り返ります時、ゅ「八重の桜」の舞台であります会津藩。会津藩のお留技と言われた合氣柔術。その源流ともいえます大東流合氣柔術武田総角から植芝盛平、そして藤平光一へと引き継がれてきた合氣武道…。その思想は、盛平翁の「「正勝吾勝」「合氣は愛じゃ」「我舞えば宇宙舞う…」「我則宇宙」から藤平光一翁の「心が體を動かす」「心身統一の四大原則」「心身統一合氣道の五原則」さらには、「万有を愛護し、万物を育成する心を持って、我が心としよう、心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である…」「行修十訓」と言葉は違えども、その真理は同じことなのです。又、心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」そして其の目的は「人としての人格の形成」にあります。そして、争わざるの理は、人と争わない、喧嘩をしない、口論をしない…それだけではありません。真理はもっと深いところに存在することに氣付かなければなりません。
約四十数年にわたり。子供・大人クラスで合氣道を指導させて頂いて参りました。その中で多くのことを氣づかせていただきました。そして、約50年を経てやっと「真の合氣」に辿りつくことが出来ました。
 
 二人の人生の師、藤平光一先生からは、心が體を動かす原理を学び真の合氣に導いて頂きました。もう一人は、安岡正篤先生からは、東洋哲学、陽明学を学び、人生を立命とすることを教わりました。
共に、「自らの人格の涵養」すなわち、人格形成の為の修業なのであります。 
あっと言う間の77年でした。
これからもさらなる「真の合氣」を求めて、行き止まりの無い旅は続きます…。 
共にプラスの氣を持って前進しましょう。







posted by 弘心 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする