2017年08月04日

日本人の精神構造とは何なのか…。

明治維新という一つの時代的変革を経て、我が国は近代化へと進んだ…。
振り返っては下田の沖に黒船が現れて以来、西欧文化に追いつけ追い越せと日本人は一丸となって物づくりにあたってきた…。その結果、世界でも有数の経済国となった…。しかし、これまではアメリカという目標があった。ところがその目標を追い抜いた後、我が国は目標を見失った…。その時から我が国は全ての点で下降線を辿ることになる…。
特に日本人としての精神的遺産は、敗戦とともに完全と言っても過言ではないくらい破壊された…。その結果…、
今、TVや新聞紙上、マスコミを賑わしている内容は、どうであろう。
一国の代表という人物の言い訳と意味不明の言語、ファーストレディと称される女性も自らのおかれている立場をわきまえず取った行動…。安倍首相とその妻のことである。森友学園・「加計学園」の獣医学部新設問題にまつわる一連の関係者の発言と信憑性…。我が国の本来信頼すべき「官僚」が嘘をつき、民主主義の砦でもある国会の議員が本来の仕事わすれて不倫に走る。さらに税金で支払われている政務活動費を誤魔化す…。法的には二重国籍ではなれない国会議員が野党の党首となり、指摘されて辞任…。提出法案の説明がまともに出来ないとともに質問にまともに答えられない法務大臣…。我が国の防衛についての関連事項の質問にまともに答えられない、さらには防衛省内部の統率がとれない防衛大臣…、伊達メガネを掛け、ネックレス、イヤリングをつけ。パーティーにでも出席するような場違いないでたちで自衛官に訓示する…、自衛隊員には違和感があるであろう。自らはいざとなれば生死をかけて職務に挑む、そのような緊張感に包まれている隊員に一体どれだけの説得力のあるというのだろうか。決して女性だから駄目と言っているのではない。全てがTPOに則した心遣いが必要と思う。髪型を短髪にして、装飾品はなし、黒色のスーツ、短靴で自衛隊員の士気を鼓舞するぐらいの迫力ある演説が出来ないのであろうか…。任命責任者の常識を疑うことにもなろう。

森友学園問題は、小学校創設を図る一民間人が虎の威を借りての用地取得…、忖度と言う言葉が巷にあふれる…。自らの非、即ち補助金等の詐欺を棚に上げて、そして「一点の曇りもない」との大見えを切っての記者会見…。その当事者籠池夫妻が詐欺罪で逮捕。

警察官、教育者といわれている人たちの不祥事件(特に性犯罪事件)については、正に人心地におつ、である。
民間企業にあっては、経理の不正、偽り…そして企業の存続すら危うくする。何れも一流大学と言われる大学を経て企業トップまで昇りつめた自らの人生を棒に振る。そして視聴率を上げるためにその様なありさまを追い日夜奔走するマスコミ…。
日本人の精神構造はどうなっているのだろうか…。
大人の「発達障害」では済まされない。根本的原因を徹底的に解明する時期にきているのではないか。




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2017年05月24日

教育勅語と日本精神

教育勅語と日本精神  教育勅語は悪か…。

最近「教育勅語」がマスコミを賑わしている。国会で、ある事件を巡っての質疑応答…そしてそれを報じる新聞。2017年2月23日と3月3日のM新聞の論評・社説に次のような言葉がある。
「…世の中は思い通りにならない。とくに子どもの教育はそうである。国も同じで、必死に日本の独立を守った明治の先人は教育勅語を子孫に残し後世の安泰を願った。しかしそれを覚え込まされた世代は無残にも大日本帝国を滅亡させる。だが世の中にはこの21世紀にもう一度試そうという人もいるらしい。教育勅語園児に暗唱させる幼稚園を運営する学校法人が今度は小学校を作るという話である…」さらに「…明治憲法下の教育理念である教育勅語は忠君と国家への奉仕を求めていた。1948年、『基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す』などと衆参両院で排除と失効確認が決議された。公式決議の意味は重く、教育現場での暗唱はふさわしくないはずだ…」と主張している。
前段の論評で「…それを覚えこまされた世代は無残にも大日本帝国をめつぼうさせる。…」とのべている。この指摘は正しいとは言い難い。祖国を想うことは人として当然のことではないか…。しかし、国民の心を何かに誘導しようとする指導者の思惑の材料となれば又意味は異なってくる。純粋に人間としての精神性を説くことに特化すればこれ以上のものはない。天皇の名のもとに、いや時の為政者が名を借りて国民を強制的に一方向に導くようなことであれば、これも又異議を唱えなければならない。

又、今の時代に当時そのままの言葉を子供に丸暗記させ、日常的に暗唱させるということは、時代錯誤も甚だしい。
特に、1948年に我が国の衆参両議院での排除と失効確認が決議された事実は事実として受け入れなければならない。しかし、当時我が国が世界的に置かれている状況と敗戦国と戦勝国との関係について、深い洞察力が必要ではないだろうか。GHQの支配下におかれていた状況は、再び軍国主義としての芽を徹底的に排除すべく作業が行われて、我が国のあらゆる文化が、特に武道関係においては、禁止という名のもとに封鎖されている。その様な中にあっての「決議」であることも忘れてはならない。
特に「基本的人権を損ない、国際信義に対して疑いを残す…」という表現についても違和感がある。真の基本的人権の意味・真の国際信義とは何を指して云うのか…。

それではそれぞれ専門的立場の人たちの意見はどうか。日本教育史が専門の日本大学の小野雅章教授は 次のように述べられている。「教育勅語は、明治期ですら政府内で内容が問題視され、改定が議論された。それを今に至って政治家が称賛するとは……」と。  しかし、実際、教育勅語が出た4年後に文相になった西園寺公望は、勅語の価値観を「文明の進歩に少なからず障害を与える。皆さんは注意し、古く偏った考えを打破し、世界の文明に合わせた教育を進め……」(1895年4月、東京高等師範学校での訓示)と批判し、「女子教育を充実させ……外国人に親切に」などと書き込んだ「第2次教育勅語」の草案を書いた。 驚くことに、明治天皇自身が西園寺の指摘を受け入れ、草案の起草を命じたという。しかし西園寺の病気で実現しなかった(文相参事官を務めた竹越与三郎著「西園寺公」1947年)。
政治思想史に詳しい放送大教授の原武史氏は「現憲法の国民主権、基本的人権の尊重と正反対の内容です。『良いことも書いてある』と評価する人は、一体どういう読み方をしているのか」とあきれるのだ。
 なぜなら「父母に孝に……」などの「徳目」が並ぶ一文は「以て天壌無窮の……」で結ばれる。「つまり『良いこと』のように並ぶ徳目は、すべて皇室を支えるために臣民に課す、という位置づけです。戦前の小学校でも、これが教育勅語の核と教えられた。一部を切り出し、全体を評価することはできません」と解説する。
 元文部科学相の下村博文氏も14年4月に「内容はまっとうだが、昭和期に誤った使われ方をした」と述べたが、原さんは「確かに小学校で暗唱が課されたが、昭和期に語句が変わったわけではない。最初から問題のある思想を内包していた」と両断した。
天皇が新憲法下において、象徴としての存在となった今、「教育勅語」を当時のままの姿で、今の教育現場に移行させることは、時代錯誤も甚だしいことは
常識ある者にとっては当たり前のことであろう。

当時の「教育勅語」が国民に与えた影響を考える時、前述の「…無残にも大日本帝国を滅亡させる…」との表現には違和感を覚える。大日本帝国の滅亡は異なる事由での問題ではないか。

私は台湾との関わりを今から38年前に持った。そして多くの台湾の人たちと交流をさせて頂いた。その中でリップンチェンシン・日本精神という言葉を知った。それは今77年間生きてきた私にとって初めての出会いであった。1947年、新教育下においては道徳・修身などの教育は無かった…。私達はその真っ只中にいた…。

台湾の長老たちが若かりし時、日本統治下において受けられた教育の中心は「教育勅語」を中心になされた。その影響下で生きて来られた人達の精神的状況は、総てが国を滅ぼすあるいは人間破滅のような結果にはなっていないことも又事実である。
一つの事例として、李久惟氏が書かれた「日本人に隠された『真実の台湾史』」の一節を紹介したい。

「…台湾に対する様々な視点で書かれた過去の著作はすでに多くありますので、日本統治時代を経験した祖父母世代から聞いてそだった、われわれのような孫の世代が、どう受け止め、どう感じていて、近年の震災義損金活動やWBCの日台戦の応援で見せた心と動きにどう結びついているかに注目して頂きたいと思います。
もともとアジアの最貧地域のひとつだった台湾に、日本の先人たちは奇跡を起こしたのです。日本治世の功績は大きくわけて三つあります。本書では以下の三つを主眼に書いています。
1.農水(食べ物と水)
2.近代化の基礎インフラ、産業
3.教育(技術と精神)
日本の先人たちは とにかくやればできる と 利他の心 で「必ずや人や国の為に役立つ人間になりたい」いう強い意志で語学や専門分野に実績を残しています。台湾では数え切れないほどの功績とそれにまつわる物語が残っています。今の日本人もそのDNAを受け継いでいるので、目覚めたときには凄まじい勢いと力を発揮すると台湾の祖父母の代の多くに信じられているのです。

日本時代のすべてを美化するつもりはありませんし、盲目的に日本が好きなのではありません。いつの世にも、世界のどの国でも、善も悪も、その両方が混在していると思います。当然ながら日本統治時代にも光の部分もあれば、もちろん影の部分もあったことは否めません。しかしながら祖父母世代から書いた表現ですが、「「日本時代は、台湾にとつて光が九割以上、闇が一割以下』。比較して「オランダ時代、清国の時代、初期の国民党時代は、闇が九割、光が一割だった」と言うのです。

搾取ではなく共存共栄を主とした日本の統治は、台湾の民にとても尊敬され、今なお多くの人々は感謝の心を忘れていません。台湾人も日本人も、受けた御を返すということを大事にしている点は良く似通っていて、お互いに心行きが共有でき、共に志を持ち未来を歩むことのできる民族なのです。
日本時代は結果的に台湾の近代化の基礎を造り、食べ物と水のあふれる大地に変え、台湾を幸せにしてくれたのです。
台湾には今も日本の心が息づいているのです。
台湾の祖父母世代は日本統治だった台湾に暮らし、今の日本人が失いかけて
る大切な日本(リップン)精神(チェンシン)(大和魂)を持ち続け、孫の代にも伝えようとしてきました。日本精神の代表的なものが 利他の心 なのでしょう。
自分よりまず人のことを思いやる心。自分だけのための人生を過ごすのではなく、「人・家族・地域・公・国・世界」のために人生を全うするという心。『求めあうより与え合う』という生き方。「誰かの光・希望となる存在」になるための生き方。そんな社会環境や人間関係を形成してこられたのが日本の先人たちなのです。見返りを期待せずに人助けや人の役に立つことを進んでする、そして喜んでもらえたらそれ自陣が自分の喜びになるという捉え方で、人や公に尽くし絶えず自己鍛練を怠らず自省しながら技術も人格も高めていく人生をすごすこと。以上のようなことを、日本人の先人が台湾に真剣に教えてくれたのです。
日本が教えてくれたことの一つとして、祖父母世代はよく、自分と先祖がつながる「逆さピラミット」の話をしてくれます。
自分がうまれてくるには必ず父母がいます。その上にもそれぞれの父母がいます。二十八代前に遡れば、その数かなんともはや約一億三千万人に及びます。皆すべて兄弟親戚。だから助けあうのは当り前なことです。そしてまた、その連綿とつながった命のリレーのなか、自分と関わるすべての祖先を、誰ひとり欠いても今この瞬間に自分が存在しません。まさに「命のリレー」で、祖先たちは過去の飢饉や自然災害などの天災、戦禍・事件などの人災をすべて潜り抜け、脈々と受け継いできたのです。
今の自分があるのは、ある意味で「奇跡」なのです。生かされていると感じることが出来れば、それは感謝の心につながり、人のために役に立とうという気持ちが生まれます。
古来より日本が大切にしてきた、知育・徳育・体育・住育など、何れも大切ですが、こうした教育の根底には、人のつながりを重んじ、常に人のために思って行動できる、そんな利他の心が流れているのだと思います。
かっての日本の先人が持っていた素晴らしい美徳・日本精神を、皆で再度思い起こしてほしいというのが台湾の祖父母世代の人たちが長年秘めていた、日本に対する強い想いの一つなのです…」

以上が、李久惟氏の書かれた本、「日本人に隠された真実の台湾史」の一部です。

我が国の東芝などの企業経営者や政治家がこのような心をもって経営に、政治活動に従事していれば、不正決算・粉飾決算や政治活動資金の不正使途のような不祥事は起こっていないはずです。ましてや、一国のトップたる総理一家が忖度などと疑いを掛けられずに済んだのではないだろうか。日本人には何かが欠けているものがあるのではないでしょうか。

今、我が国の政財界のみならず、管子が説く「四患」の中のたった一つの「偽」という言葉が遵守できない精神的混迷の中において、日本人としての精神的支柱として何が存在するのか、何が必要なのか、問われているのではないか。


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2017年05月08日

心身統一合氣道との関わり

今、あらためて振り返ります。父から合氣武道を学んだのが、3歳からでした。
大阪大空襲で大阪北区の工場が焼け落ちるまで、工場の片隅の小さな道場で、父が社員の弟子を不思議なを技で崩し投げるのを見て育ちました。
父は、八光流合気武術を習得していました。それから13年が過ぎ…、父親から東京へ行こうと誘われ、東京日本橋の高島屋で合気道の公開講演があるらしい…、とのこと。
其の時の植芝盛平翁の合気道は、私の人生をかえました。

 そして、 財団法人合気会に入門、一日6時間の稽古…、三年で三段を允可されました。
その後は、31年に見た翁の技は、稽古の道場では見ることは出来ませんでした…。翁は、「合気は、米糠二合持つ力があれば出来るのじゃ…」と口癖のようにおっしゃっておられました。
しかし、道場では、其の力ではとてもとても不可能でした…。当時の内弟子達は、手首を鍛えるのに、ビール瓶で叩いていた…との話しもあったくらいです。力で強引にねじ伏せるような技でした。

本当の合気道は、一体どのようなもの…そんな疑問が何時も頭にありました…。
昭和46年に翁が亡くなり、そして当時合気会の総師範部長をされていた藤平光一先生が、東京代々木オリンピックセンターで、氣のことを教える、「心身統一道」の会を創設されて指導を始められました。
藤平先生曰く、「合気道は、天地の氣と合する道が合氣道である」と喝破されました。決して人の氣に合わせるものではない。と…。
そして、先生は、財団法人氣の研究会を設立。本格的に、心身統一道と心身統一合氣道を広められました。
長年、心の中に、本物を求めて悩んで来た者としては、待望の瞬間でした。
月に一度の研修会千葉県勝浦の日本武道館研修センターには、全国から同じ想いの同士が掛け参じて、熱気が迸るような雰囲気の中、藤平先生の指導を受けていました。
「心が體を動かす」「相手の氣を導く」「氣を出す…」など多くの言葉で、合氣の原則を語られ、私たちは、砂に水の如く、吸収していきました…。
今、心身統一合氣道会は、二代継承者によって、日々修練されています。風貌・人格とも引き継がれています。
振り返ります時、ゅ「八重の桜」の舞台であります会津藩。会津藩のお留技と言われた合氣柔術。その源流ともいえます大東流合氣柔術武田総角から植芝盛平、そして藤平光一へと引き継がれてきた合氣武道…。その思想は、盛平翁の「「正勝吾勝」「合氣は愛じゃ」「我舞えば宇宙舞う…」「我則宇宙」から藤平光一翁の「心が體を動かす」「心身統一の四大原則」「心身統一合氣道の五原則」さらには、「万有を愛護し、万物を育成する心を持って、我が心としよう、心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である…」「行修十訓」と言葉は違えども、その真理は同じことなのです。又、心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」そして其の目的は「人としての人格の形成」にあります。そして、争わざるの理は、人と争わない、喧嘩をしない、口論をしない…それだけではありません。真理はもっと深いところに存在することに氣付かなければなりません。
約四十数年にわたり。子供・大人クラスで合氣道を指導させて頂いて参りました。その中で多くのことを氣づかせていただきました。そして、約50年を経てやっと「真の合氣」に辿りつくことが出来ました。
 
 二人の人生の師、藤平光一先生からは、心が體を動かす原理を学び真の合氣に導いて頂きました。もう一人は、安岡正篤先生からは、東洋哲学、陽明学を学び、人生を立命とすることを教わりました。
共に、「自らの人格の涵養」すなわち、人格形成の為の修業なのであります。 
あっと言う間の77年でした。
これからもさらなる「真の合氣」を求めて、行き止まりの無い旅は続きます…。 
共にプラスの氣を持って前進しましょう。







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2017年03月06日

福井県高浜の少年野球チーム(高浜ポーイズ『硬式』)が福井県予選で優勝!

高浜町在住の太田監督率いる野球チームが優勝されました。過去も多くの優勝経験があり、特に心身統一道・心身統一合氣道のもつ「心が體を動かす」原理を野球に活用されています。太田氏は平成23年に高浜教室に入門され修練されています。私は高浜ポーイズには三度ほど指導に参りました。四大原則について一つ一つの説明。そしてやって見せて、させて見て…。中学生の素直な心には直接響いたようでした…。指導させて頂いた翌日の試合で打率0の選手がホームランを含む五割を打ちました…。それに感動されて、太田氏は入門されました…。それから6年が経ちました…。その間、チームはトップクラスを保持しておられます。私には過去、プロ野球では阪急ブレーブス、高校野球では京都の名門平安高校野球部の名監督の風間部長と面談指導。丹後半島の基野村監督の母校である峰山高校野球部へ二度の指導など…。懐かしい想い出が走馬灯のごとく頭を駆け巡っています…。しかし、そんなことはいくら思い出しても何の役にも立ちません。私にはこれからの人生を、人の役に立つこと、社会に役立つこと。「礼・義・廉・恥」に生きる…無私に生きる…それだけなのです。釈迦の説かれた「心の迷い抱えて百年いきるなら、真理を知り、静かに一日生きるほうが良い」この言葉を座右の銘にして…。私の小さな庵の敷地には、今、春を待ち遠しくしている草木、木々…。その枝先の小さな膨らみに息吹を感じ取ることができます。一度自然の法則を五感で感じたい方は、弘心塾道場での定例の百誦会へお越しください。そして「莫逆の交わり」の意味を自覚してみて下さい。お待ちしています。  
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2017年02月03日

デイブ夫妻へのメール

オーストラリアから突然舞鶴教室へ…。
その返事の中の一つのメールです

「今日お会いしました奥山弘邇(Okuyama Hirochika)です。心身統一合氣道の創始者藤平光一先生に指導を受けたのは1971年からです。今は藤平光一先生(故)の子供の藤平信一氏が二代目会長として世界23カ国に広められています。素晴らしい人物です。アメリカのドジャーズへの指導など。合氣道以外の分野にも「氣」の原理を用いて指導されています。私は今、海外担当師範(七段)として大阪・舞鶴・福井県の道場と台湾支部を作って台湾へ指導に行っています。台湾へは今年で8年になります。又、京都府舞鶴へ心身統一道・心身統一合氣道の修練に来て下さい。お待ちしています。」

舞鶴で京都料理の昼食、そして西舞鶴教室での心身統一道・心身統一合氣道の修練。五老ヶ岳展望台…ティータイムでの懇談…と短い時間の案内でした。デイブ氏は、心身統一合氣道を標榜され、昔、藤平先生から習われた丸山氏からウイリアム氏、そしてオーストラリアの組織豪心会に所属されて、オーストラリアで教室を持って指導されておられるようです。又、何時かお会いする時が在るでしょう。日本のオモテナシをいたしました。

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2017年02月02日

人格

人格が出来てくると、どこかしっとりと落ち着いて,和らかく、なごやかに、声もどことなく含み、潤い、響きあって、その人全体がリズミカルになるものです。しかし、本質的には、その迸る意気は内面からにじみ出るものでなければなりません。その為には、長い年月をかけて礼・義・廉・恥を知り、争わざるの理の真理を会得しなければなりません。即ち、自らの心を知ることです。
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2016年10月29日

理性の脳を育てる

「好き・嫌い」という感情(動物的の脳ー原始脳)を野放しにして、その感情でものごとを判断すると、意志がぐらついてしまうのです。自分が意志が弱いと感じているのであれば、それは、「好き・嫌い」という感情でものごとを決めているからだと言うことに氣付くことが大切です。

人間の脳の中には、「感情」をつかさどる原始脳と、理性をつかさどる大脳とがあります。
原始脳は、私達がこの世に生まれてくる前から完成しています。だから赤ちゃんはこの世に生まれ落ちたとたん、お腹が空いたら泣いて要求します。又、オムツが濡れたら泣いて訴えるということが出来るのです。
原始脳は感情の塊ですから、「好き・嫌い」ということや、自分にとっての「敵・味方」ということしかわかりません。原始脳は人間だけでなく、どんな動物も持っています。

一方、理性をつかさどる大脳は、生まれた時は未熟な状態です。大脳は理性でによってものごとを観察し、理性によって判断する働きをしますが成長するにつれて育てていかなければならないはたらきです。ですから大脳を育てるということを意識的にしないと、大人になっても子供みたいな人になってしまうのです。
勉強することはとても大切なことですが、その目的が金儲けや出世したいとか名誉か欲しいと思ってさらに頑張って勉強をし、もし学者になることができたとしても、その人は人間的に成長していないということがあります。

子供の欲の感情を煽ってはいけません。勉強に励むという努力・精進しながら、真の人間として成長することを願わなければなりません。

したがって原始脳(感情=欲)は悪であり、人間として成長することとは、こうした原始脳から生まれる感情に気付き、ものごとを感情より理性で判断して生きるということなのです。

世間一般に流布している宗教は、天国という妄想を作り上げ「永遠の生命」というストーリーを創ったのです。もしくは、この神様だけを信じていれば「自分は救われる」という宗教をつくり上げたのです。
信仰すれば救われるという宗教も同じようなものです。信仰すれば死んでも天国に召されて永遠の命を得ることことができます」といってもう葛藤に悩まなくても良いように大脳を麻痺させてくれるのです。

釈迦は「宗教はつぶしてしまうべきだ」といわれて、そうして大脳に暗示をかけたり麻痺させたりする宗教を攻撃しました。大脳をきちんと機能させ、理性を取り戻し「自分は死ぬのだ」という真実を見つめ、原始脳の無理難題な要求には応えないというのが、釈迦の教えなのです。



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2016年09月14日

人格を創る

藤平光一(当時財団法人合気会の総師範部長・最高段位十段)先生と出会いをさせて頂いてから今年で50年ちかくなります。その後心身統一道・心身統一合氣道を創設。その間、多くのことを学ばせて頂きました。そして御子息の藤平信一会長(一般社団法人心身統一合氣道会二代継承者)が四歳の時、急病になられて、藤平先生ご夫妻とともに私の自宅に泊まられて、私の主治医に診察をお願いたしまた。その時、藤平先生ご夫妻とともに、合氣談義をさせて頂きました。懐かしい想い出です。その後、東京工業大学の心身統一合氣道部の主将として活躍と同時に父藤平光一宗主から徹底した指導を受けられました。その内容は凄まじいものでした。まさに獅子は我が子を千尋の谷に突き落として其の胆力を試すごときの有様でした。特に海外での指導は、大男を相手に試されたことは後に成って大きな糧となったと述懐されています。私は合氣道界最強と云われた父藤平光一先生の後を継いで最高の指導者となられることを念願しております。今その道を歩んでおられます。会員一同大いなる期待を致しております。
心身統一合氣道の創始者藤平光一宗主が創建された「心身統一道・心身統一合氣道」を学ぶことにより、「心が體を動かす原理」と共に「自らの心の存在」と「自らを取り巻く総ての環境は、自らの心が創り出したものである」ということを知ることが出来ます。少し意識を変えることにより、行動が変わり、習慣が変わり、性格が変わる。結果、人生が変わり運命が変わるのである。即ち「立命」を知ることになります。心身統一合氣道の理念は、「争わざるの理」であり、その目的は「人格の陶冶・人格の涵養」即ち、自らの人格を創ることにあります。自らの心の存在と、宇宙との関わりを自覚することにより、自らの魂をはてしない世界にと誘います。そして、その中に生かされている真の意味が自覚できるでしょう。
                                      
                                                       

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2016年07月12日

「真の人間としての人格・品格を創る12の徳目」

「真の人間としての人格・品格を創る12の徳目」は教育勅語を現代文に訳したもので日本人・台湾人のために二カ国語で表したものである教育勅語

明治23年に明治天皇が教育勅語を時の内閣総理大臣、文部大臣に与えた。そして発布されたものが「教育勅語」である。
敗戦後、GHQはこれらの教育勅語、道徳、修身とともに軍国主義を称えるものとして我が国の教育現場から抹殺した。
そして国は、新教育を打ち出し昭和22年1月20日から開始された我が国の教育現場は苦悩の時代に突入する。本当に教育現場において教育勅語は軍国主義を発芽させるものであろうか?決してそのようなものではないことはその内容を読めば一目瞭然である。その結果、戦後71年…、今、教育現場、あるいは政財界に蔓延る人心の荒廃は目を背けんばかりである。すなわち、人間としての当たり前のことが培われていないのである。「偽」一つとってみてもわかるであろう。嘘をつく・偽るというたった一つの人間最低順守しなければならないことが出来ていない…。人格の涵養と陶冶、そして日本精神の完全なる欠如である。この国の精神はどこへ向かっていくのであろうか…。

真の人間としての人格・品格を創る12の徳目
創立人類該有的人格‧品格的12項コ目。

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
(致力於奉養父母(孝行))
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
(兄弟‧姐妹相處融洽(友愛))
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
(夫婦感情和睦(夫婦之和))
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
(朋友相互信任往來(朋友有信))
5.自分の言動を慎みましょう(謙遜)
(謹言慎行(謙虛))
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
(廣泛而周全的對所有人伸出友愛之手(博愛))
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
(勤奮學習將專業技能變成充實自我(修業學習))
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
(培育知識衍伸才能(知能啟發))
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
(致力於提高自己的人格(才コ兼備))
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
(勤奮工作來貢獻人群、社會(公益世務))
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
(奉公守法遵從社會秩序(遵法))
12.正しい勇氣をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
(以正確的正義感一心一意盡忠於國家(義勇))

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2016年06月14日

挨拶


平成28年6月4日第33回関西地区心身統一合氣道体技発表会において、大会委員長として挨拶

第33回大会開催にあたり、多数の皆さんのご参加を頂き、厚く御礼申し上げます。
又、大会開催にあたり、準備をして頂きました山本本部師範を始め多くの関係者の方々に心から御礼を申し上げます。

さて、今年は、一般社団法人心身統一合氣道会が新しい組織として組織改革を行った一年目になります。
具体的には、一般社団法人の定款変更が行われて、人事の若返りと社員・理事の定数の削減。支部制の廃止・主だった神奈川県支部・広島県支部などが解体されて、総ての道場・教室が本部直轄の位置づけされました。そして、総本部が栃木から東京に移設されたことにより、これからの一層の発展を期待いたします。
武道の心体を創るということは、次の二つを会得することでもあります。
それは、「呼吸・感覚・氣づく力」、であります。全てのものの呼吸を感じ・第六感を働かし・物事の本質をつかみ取ることでありす。
そしてもう一つ、「啐啄同機」(さいたくどうき、又は、そったくどうき)であります。雛が孵化する時は、卵の中の雛が殻を自分のくちばしで破ろうとし、又親鳥もそとからその殻をやぶろうとする、そのタイミングがぴたっと一致するからこそ、雛鳥はこの世に生を受けて外の世界に出ることができる、という禅語゛であります。この二つの働きがどちらかが早すぎても、遅すぎてもいけない、この絶妙な自然の摂理の機を「啐啄同機」というわけです。

いまさら申すまでもなく、心身統一合氣道の創始者藤平光一宗主は、心身統一合氣道の理念は、「争わざるの理」であり、そしてその目的は、人格の涵養・陶冶でもって、自らの人格を創ることにあり、と今から40年前にすでに喝破されていたのであります。

今の世相を見ます時、政財界ともに、「偽」、即ち、偽ること、嘘をつくことが横行しております。人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼす、「四患」の意味を忘れているのであります

その中にあって、私達は、心身統一道、心身統一合氣道を通じまして、人格の涵養・人格の陶冶、自らの人格を創る
ことに邁進して頂きたいと思います。
其れでは、皆さんのご健闘を期待して、ご挨拶といたします。
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ホタルの乱舞

毎年6月の第一週目の日曜日に、敷地内の湧水水路からホタルが飛びだす。
しかし、年々少なく成って行くようです。水路の一部をU字溝に変えたのがいけなかった…。一度水路を素掘りのものを並行して設置してみようと思っています。
餌となる「かわにな」が上方に昇れるようすれば又復活できる…。
又、六十年前から鬼ヤンマも、ヤゴが生息して毎年孵化している…。これも少なくなっている…。必ず鬼ヤンマがその水路に戻ってくる…そして卵を産みつけている。この水路もU字溝になっている…。幅を広げて素掘りに…。

小さな庵でも、天地は多くの仕事を与えてくれる。
天が必要とするまでは、森羅万象とともに生きていく…。
菜根譚に次のような言葉がある。
「ここちよい花や風・清らかな月や雪、静かな人だけの所有。
春秋の草や木・夏冬の川や石、のどかな人だけの権利。
(風花之潚酒・雪月之空清、唯静者為之主。水木之栄枯・竹石之消長、独間者操其権。)
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伝承されない「春の鶯の高音」

今から七年前位から、鶯の鳴き方が変化している。以前にも書いたことがあるが大正時代に、鶯の鳴き合わせ会があり、その時の鳴き声が「ホー、キッチヘ゜カッコー」と啼く鶯が一番人気となった。その鶯を今の値段で一千万円以上の値が付いたが持ち主は譲らなかった、とある。鶯は、春子(春に生まれた雛鳥)を獲って、これぞと思う啼き方をする鶯の声を聞かせて、その鳴き声を覚えさせるのが流行した。

舞鶴の庵の私の山に、毎年鶯がやって来る…。そして啼き声を聞かせてくれる…。ところが、鶯の政調と言われるホー、ホケキョが聞かれなくなった…。
ホー、ホケキキョからホー、チョットコイ、と変化して、動画で紹介する現在の鳴き声になりました。自然界においても、正しく伝承されない現象が起こっている…。人間社会では、なおさらなのであろう。
変化に氣づく感覚を研ぎ澄まさなければならない時代になった。
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懐かしい想い出 懐かしい想い出 懐かしい想い出


ふとTVの相撲中継(大阪場所)を見たら何所かで見た顔があった…、画面に映ったのは、審判員を務めておられる桐山親方でした。この方は元黒瀬川。今から何年ぐらい前だろうか、三十年以上は経っていると思うが当時財団法人氣の研究会の東京本部道場で、髷を結った力士が来られていました。
当時財団法人氣の研究会理事で有泉金水氏という方がおられた。氏は医者で、氏の医院に、東村山出身の黒瀬川関が診察に来られて、「どうしても十両からは上に行くことができない、相撲を辞めようかと思う…」とその胸中を訴えられた、すると、先生は「一度、合氣師範の藤平光一先生に会われては…」と言われた。そのことが始まりでした。

当時、プロの力士で十両ともなれば、素人などは全く叶わないほどの力の持ち主です。その力士が藤平先生と相撲をとった。不思議にその力士がコロンと土俵にひっくり返ったのです、何度やっても力士は、藤平先生を負かすことが出来なかったのです…。「これが氣の力というものです…」と淡々と説明されていたのが、衝撃的印象でした。

確か、千葉県勝浦の日本武道館研修センターでの研修会の時、研修が終わった後、藤平先生は、ロビーでテレビを見ておれました。九州場所(福岡)でした。黒瀬川関が負けた時、「云う通りやっていないなぁー、」と独り言…。
暫くして、先生に電話が掛ってきました。「そうだょ。そのことを忘れては駄目だよ…」と黒瀬川関からの電話に応えられておられたのを今もはっきりと思い出します。

その後、黒瀬川関は、小結まで、昇進されその後引退して、現親方になられて活躍されています。三日前の場所での審査員として、アナウンサーが「桐山親方は、合氣道をされていたようですね」との問いかけに「はい、それは自分の心が如何に大切かを学びました…」と応えられていました。

相撲場所で、力士から「合氣道」という言葉が出たことも又大変珍しいことで、一瞬、昔の懐かしい思い出が浮かんできました。
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2016年03月11日

心身統一合氣道台湾教室Rさんへの御礼文

貴女には、大変お世話になりました。心から厚くお礼申しあげます。貴女は、尊厳を持った一人の女性として、社会で活躍する女性として、家庭の良き母親として、家庭を守る主婦としての役割があり又、多くの心遣いをしておられます。「貴女を取り巻く総ての環境は、貴女の心が創り出したものである」と考えた時、釈迦が悟られた「縁起の理法」で言えば『善因善果』『悪因悪果』『自業自得』と言う言葉の意味を深く理解しなければなりません。社会の為、人の為、ご主人の為、子供の為そして、今自分が存在するのは、両親・先祖があってこそなのです。今まで自分が存在してきたことへの感謝の念を表すことが、生きていく、生かされている意味に繋がっていくのです。私は、今から43年前に、6歳の男の子を鉄道事故で亡くしました。その時、立ち直るのに、二年掛りました。そして一つの結論を導き出しました。それは「貴方の今の生き方を変えなさい。このままでは貴方自身が命を落とすことになるでしょう。その為に、貴方に忠告する為に貴方の一番大事なものを奪い去ったのです…」と言う神或いは創造主からの私への忠告でした。それからは、私の生き方は、180度変わりました。即ち「我見を捨て、利他の心で生きる」となりました。まず、自分のことは捨てて、他人の幸せを、社会に役立つことを真っ先に考える生き方になりました。即ち、人の喜んで頂く顔を見て、自分の喜びとする生き方です。物は何も無くても、私の心は幸せと言う思いで一杯です。『無一物無尽蔵』とは、このことを言います。今の貴女の素晴らしい心をこれからも大きく広げて、博愛衆に及ぼして下さい。合掌

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2016年02月13日

新しい弟子入門

家族が増えました
名前は、「タロ」、紀州犬のDNAを持つ雑種です。モンキードッグを育成する第一人者の方から譲り受けました。
紀州犬のDNAを持っているために、デザートに鹿の骨付き肉を少し遣っています。野生の感性を忘れさせないことが、一番重要と教わりました。頂いた方は、福井県でモンキードッグを育成されている方で、素晴らしい方です。其の人の田畑山には、一切、猿は来ないそうです。子犬を頂きに上がった時も、放し飼いのため、親犬と子犬二匹で鹿を仕留めて、食べたそうです。お腹がパンパンに膨らんでいたそうです。しかし、躾は厳しく口笛一つで何処に居ても帰って来ます。そして、人には一切吠えませんし飛びかかることはしません。叱る時には、息絶え絶えになるまで首を足で踏みつけて、従わせる事だそうです。しかし、何もない時は、120%充分スキンシップをしてやることが一番大事だ。と教えて頂きました。人間の子供と同じです。もう少しすれは、放し飼いにするつもりです。
家の付近には、猪、猿、鹿、熊、狐、狸などが出没します。毎年作るイモ野菜などを巡って熾烈な戦いをしています。今年からは、助太刀が居てくれます。ただ、タロには、まだ受身を教えていません。受身を知らないと鹿や猪に遣られてしまうとのことです。角で跳ね上げられ、牙で腹を裂かれてしまうのです。その為の一番の指導は、飼い主への絶対的信頼と愛情での結び付きだそうです。紀州犬が猪や鹿の猟に優れているのは、守との連係プレイだそうです。信頼する主が現れるまで、追っては引き、曳いては追う…。そして、相手を攪乱させて場合よっては、隙をみて相手を仕留めると言われています。犬に直接合氣道は教えられませんが、特殊な杖を用いて、相手との間合いを教えることで呼吸・感覚・機敏さについて会得させることが出来ると思っています。裏山と畑がその道場です。新しい家族・弟子が一人いや一匹増えました。

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2016年02月01日

ソ連の日本人捕虜虐待(シベリア抑留)の実態

ソ連の日本人捕虜虐待・参考情報
不法非道なソ連の人道に反する行為

1945年8月23日のスターリンの指令によってソ連軍は、ポツダム宣言に違反して
日本人軍人・民間人をシベリア等へ拉致移送して、奴隷として虐待し、酷使した。
その総数は70万人以上である。さらに満州・北朝鮮にいた情報機関関係者を
1万2000人逮捕して、シベリア等へ移送した。逮捕された情報機関関係者の中には
女性のタイピスト、通訳、看護婦も含まれていた。

シベリア等での、劣悪な住居環境、過酷な労働、不満足な食糧支給による飢餓などによって、
16万人以上が死亡した。最初の1945年の冬に10万人以上が死亡した。
後日、かろうじて日本へ帰還できた人たちの中から、抑留中の苛酷な労働や、シベリア桂肺などの
病気や、極度の栄養失調の後遺症によって、10万人以上が障害者や重病人となった。

ソ連軍は満州に駐在していた日本軍の食料・被服・薬品などはもちろんのこと、その他に
満洲国内にあった日本銀行券・朝鮮銀行・社債・株券・ダイヤ・金塊、工場の設備・機会・製品・
原料など、満洲にあった財貨を徹底的にソ連領内へ持ち去った。

さらには、ソ連は満洲から、田んぼの稲、事務所のイス・机、ドアのノブ、日本人住宅のフスマや畳
など、とにかくありとあらゆるものを強奪してソ連に運んだ。

拉致移送した日本人兵士や民間人たちからも、腕時計・万年筆に始まり、つぎつぎに持っていた
物品を略奪した。まったく想像もできないことではあるが、日本人を殴り倒して、金歯の金まで
剥ぎ取ったのである。 

拉致移送された日本人捕虜(軍人及び民間人)は、極東地区、中央アジア、シベリア、モスクワ以東の
ヨーロッパ・ロシアの2,000余りの収容所において、炭鉱・鉱山における採掘労働、森林伐採、
製材、鉄道敷設、道路港湾建設、農漁業、建物建築などで、奴隷として酷使された。
逃亡を企てた者は容赦なく射殺され、見せしめのため遺体を晒された。

奴隷労働の中でも、鉄道建設や炭鉱・鉱山における採掘作業は、最も危険で過酷なものであった。
スターリンが最重視したバム鉄道建設には、「枕木1本ごとに日本人1人の亡き骸が眠っている」
と言われるほどのおびただしい死亡者を出した。

加えて極度支給食料不足と非衛生的な住居環境という厳しい生活条件の中、伝染病が蔓延した。
事故死、自殺などでも多くの死者が出た。

舞鶴市がユネスコ記憶遺産に登録した「引き揚げ記念館」には、ほんの一部が展示されています。
しかし、其の解説には、国際法を無視してのソ連の捕虜虐待については、一切ふれていない。
さらに驚くべきは、ナホトカと姉妹提携都市(友好都市)として友好関係を結んでいる。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉があるが、心のどこかにシコリが残る都市である。



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李登輝氏と武士道

 国家の危機に際して、「日本人よ、武士道忘れるな」
1.「残された人生を台湾人、そして日本人を励ますために使う」

「いまだかって、私は『尊敬できる日本』という言葉を聴いた
ことがありません」とは、9月5日に元台湾総統の李登輝氏
[a]が、東京青年会議所の約2千人の聴衆に向かって語った言
葉である。

 総統退任後、残された人生を台湾人、そして日本人を励ます
ために使うと話していた李登輝氏だが、87歳の高齢にして、
心臓に持病を持つ身でありながら、まさに自分の命の限りを尽
くして、日本の青年たちに語りかけている。氏を駆り立ててい
るのは何なのか?

 ブログ『台湾は日本の生命線!』は、こう語っている。

・・・日本に対し、増大する中国の軍事的脅威から東アジ
アを防衛するため、日台が「運命共同体」「生命共同体」
であることを繰り返し訴え続けている。「台湾は日本の生
命線だ」「台湾が中国に取られれば日本は終わりだ」と。

 李登輝氏が最も日本人に伝えたいのは、まさにこれであ
るはずだ。「かつてのような智恵と勇気に溢れる日本と言
う国を取り戻せ」と、日本人を激励しているとしか思えな
い。[2]

2.「君は君、我は我なり、されど仲良き」

 李登輝氏は今回の講演では、『竜馬の「船中八策」に基づい
た私の若い皆さんに伝えたいこと』と題して、幕末に坂本龍馬
の提示した近代日本の国家像に倣(なら)って、今後の日本の
あるべき姿を語った。

 たとえば、第4議の「外国の交際広く公議を採り、新に至当
の規約を立つべき事(外交は公論に従って、新たに対等の条約
を結ぶ)」に基づいて、李登輝氏はこう説いている。

 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な
叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交
は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐ
わないものです。

 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、
「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実
篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、
「けじめある関係」でなければならないと思います。[1]

 この言葉から思い起こされるのが、李登輝氏の総統時代の対
中外交である。

 たとえば、私の総統時代、中共から絶えず激しい挑発を
受けました。すると、台湾の国民も大きく動揺して、「と
にかく恭順の意を表しておこう」という者や、「いや徹底
的に戦って相手を屈服させよう」という者など、さまざま
な人々からさまざまな反応が出てきます。こういうときに
こそ、もっと大局的な視座からもっと大きな判断を打ち出
すのが、民の上に立つ者の務めだと痛感しました。・・・

 台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけ
てきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど「新台湾」
はひ弱ではありません。

 あんなものは、単なるブラフ(JOG注: 脅し)にしか過
ぎない。大陸は、台湾に対して80発ぐらいのミサイルを
重要な個所に撃ち込めると言っています。しかし、私たち
は、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字
通り「備えあれば憂いなし」で全く恐れてはいないのです。
[3,p177]

 中共のミサイルなにするものぞ、と立ち向かう李登輝氏の姿
は、まさに日本の古武士の姿を見るが如くである。

3.李登輝氏の新渡戸稲造との出会い

 上記の引用は、李登輝氏が新渡戸稲造[b]の英文著書『武士
道』を解説した本の一節である。この『武士道』は、新渡戸稲
造が国際社会にデビューしたばかりの日本の精神伝統を説くた
めに、1900(明治33)年1月に英文で刊行したものだ。

 時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは徹夜でこの本
を読破し、感動のあまり、翌日ただちに数十冊を購入して、世
界中の要人に「ぜひ一読することを勧める」という献辞を添え
て送り、ホワイトハウスを訪れる政・財・官界の指導者たちに
も手ずから配ったという。

 この4年後に勃発した日露戦争で、日本軍は「武士道」に則っ
た戦いぶりを見せ、世界を感動させた。乃木将軍[c]や東郷元
帥[d,e]が日本古武士の典型として国際社会からの尊敬を受け
た。ルーズベルト大統領も日露講和の仲介を買って出た。

 その新渡戸稲造の著書に、どうして李登輝氏が関心を持ち、
自ら日本語で直接、それも文庫本で300頁以上もの解説書を
書くことになったのか。

 昭和15(1940)年、日本統治下の台湾で、旧制の台北高校に
進んだ李登輝青年は、図書館で多くの書物を読み漁っているう
ちに、新渡戸稲造の講義録を見つけた。

 新渡戸稲造は『武士道』を刊行した翌年、明治34(1901)年
に台湾総督府の農業指導担当の技官として赴任し、台湾製糖業
の発展に大きな貢献を為したのだが、毎年夏に台湾の製糖業に
関係している若き俊秀たちを集めて講義をしていた。それはイ
ギリスの思想家トーマス・カーライルの哲学書を解説した講義
だったが、その講義録を読んで李登輝氏は新渡戸稲造の偉大さ
に心酔するようになり、新渡戸の著書をすべて読んでいった。
その過程で出会ったのが『武士道』だった。

4.「公義」
 中国からのミサイルの脅しに対して、敢然と立ち向かう姿は、
いかにも勇ましい武士らしき姿だが、新渡戸稲造が説き、李登
輝氏が解説する「武士道」とは、そのような「勇」一辺倒のも
のではない。

 新渡戸は、武士道の徳目の最初に「義」を挙げている。「義」
とは「義務」であり、「義理」すなわち「『正義の道理』が我
われになすことを要求し、かつ命令するところ」と言う。孟子
が「義は人の路なり」とし、キリスト教で「義」は神からの要
求であるとするのも、同様の意味である。

 李登輝氏は「義」は「個人」のレベルに閉じ込めておくべき
ことではなく、必ず「公」のレベル、すなわち「公義」として
受け止めなければならない、と説く[3,p166]。それは社会のた
めに各人が為すべき事を指す。

 人の生き方として実践を重んずる武士道は、「義」について
抽象的哲学的にあれこれと論じたりはしなかった。それよりも
「義を見てせざるは勇なきなり」の一言で、武士としての生き
方を表現した。武士道の2番目の徳目である「勇」とは、あく
まで「義」を実践する時の姿勢であって、「義なき勇」は「匹
夫の勇(思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない人間の
勇気)」として、軽蔑された。

5.「義を見てせざるは勇なきなり」

 新渡戸稲造の生き方そのものに「義を見てせざるは勇なきな
り」があった、と李登輝氏は説く。

 新渡戸稲造先生が台湾に来てくれるよう要請されたとき、
彼はまだアメリカにおり、健康状態もかなり悪かった。し
かし、「義を見てせざるは勇なきなり」の武士道精神に基
づいて、総督府の一介の技官(地方の課長)という大して
高くもないポストに従容(しゅうよう)として赴き、いっ
たん現地に入ったからには命を賭して大事業の成就に向かっ
て全力疾走を続けたのです。なぜなら、国家がそれを必要
としていたからです。これこそ、「武士道」の精華であら
ずして何でありましょう。[1,p80]

 李登輝氏自身の生き方も同様である。進学先の大学を決める
ときにも、何の迷いもなく、新渡戸稲造が学んだ京都帝国大学
の農学部農林経済学科を選んだ。立身出世のためなら、東京帝
国大学で法律を学んでエリート官僚となる道を選ぶこともでき
た。しかし、台湾の発展のためには、新渡戸と同じく農林経済
を学ぶべきだと考えたのだろう。

 しかし、天は李登輝氏に学者としての道を歩ませなかった。

 私事にわたりますが、もともと学者か伝道者として生涯
を全うしようと思っていた私が、思いがけなくも政治の道
への足を踏み入れてしまったのも、いまにして思えば、
「天下為公(JOG注: 天下をもって公となす。天下は公のも
の)「滅私奉公」といった武士道精神に無意識のうちに衝
き動かされてのことであったように感じられてなりません。
6.「中華人民共和国」という擬制

 李登輝氏に政治家への道を歩ませた一因は、祖国台湾を覆う
中国の脅威であった。

 そもそも、「中華人民共和国」という擬制そのものが、
根本的に嘘ではないですか。孫文の「三民主義」を実現す
るための国家体制であると広言しながら、かつて民主主義
的だったことがありますか? 「人民」に対して自由や平
等を許容したことがありますか。天安門事件にしても、チ
ベット抑圧政策にしても、法輪功弾圧にしても、すべてが
独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしてきている。
いったい、何万人、何百万人の無辜(むこ)の民を殺して
きたというのです

 この「中華人民共和国」が、「祖国統一」というもう一つの
「擬制」のもとで、「台湾は中国固有の領土」「同じ中国人ど
うし」という「嘘」をつき、台湾併合を狙っている。

 私は、これまで一度たりとも「統一には絶対反対する」
などと言ったことはありません。中国の指導者が嘘をつく
のをやめ、本当に自由で民主主義的な体制をつくるように
なれば、いつでも統一に応じる用意がある、と言い続けて
きたのです。それまでは、台湾の人々のために、万民のた
めに、一国の責任ある指導者として「特殊な国と国との関
係」という現実を維持しないわけにはいかない、とだけ言っ
たきたのです。

 それなのに、彼らは自己権力を保持し拡大したいという
ことばかりに気をとられて、最も大切な国民の自由や幸福
を追求する基本的な権利まで、一方的かつ完全に踏みにじっ
てしまっている。そして、このような、ごく当たり前の
「公義」を述べる私のことが目障りで恐怖心さえ覚えるか
らでしょうか、平然と虚偽に充ちた個人攻撃を仕掛けてき
ている。[3,p61]

 中国の独裁政権は国家を私し、国民を搾取している。台湾の
民をそんな体制に住まわせるわけにはいかない、というのが、
李登輝氏の「義を見てせざるは勇なきなり」なのである。

7.「公義」と「友愛」

 87歳の高齢にして病身の李登輝氏が、中国の反発と日本政
府の抵抗を押し切って来日し、日本の青年に語りかける姿も、
同じく「義を見てせざるは勇なきなり」の心からだろう。

 中国の独裁体制による脅威という点では、日本と台湾は運命
共同体である。台湾が中国の支配下に入れば、西太平洋は「中
国の海」となり、海上輸送のライフラインを握られた日本は中
国に膝を屈せざるを得なくなる。そのような日台両国民の不幸
を避けるために、李登輝は高齢を押して、台湾と日本の人々に
語り続けているのである。

 鳩山新首相は「友愛」を説くが、自国民を弾圧し、ウイグル
やチベットなど他民族の土地を簒奪する中国に対しても「友愛」
第一で臨むのだろうか?

「公義」を基盤とする武士道精神には、「仁」、すなわち「惻
隠の情」があり、孟子はこれを「井戸に落ちようとしている幼
児を救おう」とする人間なら誰でもが持つ心、と説いている。
「公義」を根幹とし「惻隠の情」を持つ政治家なら、「友愛」
は中国政府ではなく、自由を奪われている中国人民、そして土
地を奪われ民族文化を破壊されつつあるウイグル人、チベット
人に対して向けられなければならない。「義なき友愛」は「匹
夫の友愛」である。

 そうした「義に基づいた惻隠の情」による外交を展開するこ
とで、初めて国民の安心安全を確保し、国際社会の中でも「尊
敬できる日本」になっていけるのである。

8.蔵にあるものは蔵から出せば良い

 国内の諸問題についても、同様である。しかるに、まことに残念なことには、
     1945年(昭和20年)8月15日以降の日本においては、そのような「大和
魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の指導理や道徳規範が、
     根底から否定され、足蹴(あしげ)にされ続けてきたのです。・・・

 いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶
悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、
失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもか
かわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を
否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、
と私は憂慮しています

 武士道は、我々の先人が700年の時間をかけて国民精神の
根幹として育て上げてきたものである。それを戦後の60年ほ
ど、我々は「お蔵入り」させていたわけだが、蔵にあるものは
蔵から出せば良い。

 李登輝氏は『武士道解題』を次のような言葉で結んでいる。
  最後に、もう一度繰り返して申し上げておきたい。
  日本人よ自信を持て、日本人よ「武士道」を忘れるな、と。

(伊勢雅臣氏の文献より抜粋)




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2016年01月26日

天人合一

「東洋に於ける思想・学問・文化は自然と非常に関連がある。むしろ自然に対する体験と思索から発しているといってよい。これが東洋精神・東洋文化を解釈し会得する根本の手がかりになる」

・東洋に於ける思想、学問、文化は、自然に対する体験と思索から発している。
古代から自然は事物であり、法則(理法)であり、神霊であった。自然は普通「他から力を加えることなく、自らそのように存在している状態」を指している。

孔子は自然という言葉こそ用いませんでしたが、自然の存在の中に人格的な天の存在を意識して、「天何をか言うや、四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。『論語』(陽貨篇)と語っている。

季節や万物が誰の手を借りることなく、年々規則正しく移ろい成長する姿のなかに、自ら存在するもの(自然)の法則的な働きと、その背後にあってそれを主宰する造花としての天の働きを、しっかり感じ取っていた。

この天と自然について、後出の老荘の思想家たちは自然を理法化して、儒家の言う天より更に根源的と考える自然を、文学的に、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る『老子』(二十五章)
表現し、自然を最高の原理まで持ち上げたのである。

さらに同時代の学者は、道と自然を一つにして、これを易経にある太極と称するようになり、さらに当時の中国は戦国時代で国土は荒廃していったことにより、政権とは無関係な知識人たちはこぞって老荘思想を受け入れていく。

すなわち、荒廃する都市や田園にはもはや真の自然はないとして、深い山水の境を理想郷としてそこに道を求めて深い思索を続けるようになった。

「自然」とは、このような「道」を具現化した「山水」のことで、山水に近づくことが、そのまま「道」についての体験と思索の最良の方法であると考えるようになったのである。
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日本精神の行方…、雪中花におもう。

雪中花 (日本水仙「花言葉」『希望・自己愛・高潔・神秘』)

今、NHKのドラマが人気、真田丸。武田家の滅亡を映している…、その武田信玄とその武将24人の中に、真田昌幸がいる。それよりはるかに信玄の親戚として重きを為し、勇猛果敢で知られた甘利虎泰という若大将がいた。合戦では常に先陣をつとめたが、信州上田原で村上義清の軍との激戦の末に打ち取られる。
TTPの交渉を先陣切って取り仕切っている甘利明大臣は、虎泰は自身の先祖だという。しかし、その甘利氏は、今、業者からの収賄の疑いでマスコミを賑わしている。
週刊誌の報道内容は、あまりにもリアルである。驚くのは、口利き料として、現金1200万円を大臣室で自ら手土産と共に現金入りの封筒を受け取ったという。事実であれば、実に残念なことであるとともに、怒りがこみ上げてくる。
今、政治屋に成り下がった政治家なる人物が横行する我が国の政界。
さらには、政治活動費を偽装しての国民の前で、言い訳で泣き叫んだ地方議員…。
これらに比べて、大阪の経済基盤づくりに渾身の努力をした五代友厚候は、清貧に甘んじた結果、死後には、多大の借金しか残らなかったとか…。正に生き方、生きる目的、人生の目標が異なるのである。
経済界においても東芝の歴代三人の社長の粉飾決算…。ブラック企業の出現…。詐欺行為の社会化…、期限切れの処理食品の横流し…。

我が子を虐待して死に至らしめる若い夫婦…、親を殺して年金を搾取…、金のためには、容赦なく人を殺す…。

日本人の精神構造は、敗戦と共に、捨て去られたのである。これも今から70年前からの新制小学校で、GHQの強制的偏向教育を受け続けた結果なのではないか。
その中身は、たった一つの言葉を誤ったことにある。いままで何度も書いてきた。人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち、「偽・私・放・奢」であると。そして、今そのひとつの言葉、「偽」即ち、嘘をつく、いつわる、ごまかす、だます、である。その嘘をつくこと、この事一つで、人生を駄目に、企業を潰してしまう人が如何に多いのであろうか。
今こそ「利他の心」を我が心として、「自らを取り巻く全ての環境は、全て自らのこころが創り出したものである」を自覚実践することで日本人の精神構造を立て直す時期では、あるまいか…。


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2015年09月10日

なぜ、中国は嘘をつくのかー(壁諱)文化が生む中国の歴史


 中国が3日、「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを実施した。旧日本軍が戦ったのは国民党軍であり、現在の中国を支配している共産党ではない。まして、1943年のカイロ宣言でルーズベルト米大統領、チャーチル英首相と会談したのは蒋介石国民政府主席であり、毛沢東ではない。
ところが、「抗日戦争勝利70年」を記念して製作した中国の映画には、出席していないはずの毛沢東が登場する。まさに噴飯モノである。こうした歴史の偽造、歪曲を行って恬として恥じない中国の行動の源は何か。
 北村稔・林思雲共著「日中戦争の『不都合な真実』」(PHP文庫)で中国生まれの林氏は「中国の避諱(ひき)文化に由来する」と指摘する。

“中国で科学が誕生しなかった大きな原因は、中国の避諱文化にある。中国人から見ると、「真実」は決して重要ではなく、重要なのは偉大な人物と国家民族の擁護なのである。必要ならば、真実を投げ捨て……ても構わないのである。”
「避諱」は避け、隠す(諱)を意味する。国家と社会の安定を保ち、発展させるのに必要なら国家の体裁を保つための虚言を弄し、ウソをつくのは望ましい行為として称賛、奨励される。
 例えば、南京事件など戦時中の日本軍の蛮行を誇大に言い募るほど愛国者といわれ、慎重な見方は売国奴と批判される。そこで、競って大袈裟な数字を並べ立てる動きが強まり、どんどん誇張、歪曲が広がる。
 林氏の著書によると、南京大虐殺についてある中国人が「日本兵が5万7418人を殺すのを見た」と証言した。
“この数字は一の位まで正確に述べられており、常識で考えれば嘘だと判断できる。しかし中国人は、誰も嘘だとは言えなかった。(この証言を否定すれば)日本人を弁護する売国奴の漢奸になるからである。……数字は、そのまま中国の主要な新聞に掲載された。”

しかも、この後がある。第2次大戦後の極東軍事裁判に参加した中国の主席代表が自著「極東国際軍事法廷」の中で、この5万7418人を引き合いに出し、(日本兵は中国人を)「針金で縛って」「手当たり次第に斬り殺した」「最後は死体に石油をかけて燃やし証拠を隠滅しようとした」と残虐な犯行を、想像で付け加えたのである。
 「避諱」文化に染まった中国人と歴史論争をしても、一致した見方に到達するのは不可能だ、と林氏は書いている。
日本のマスコミはよく、「日中共同で歴史研究をしてお互いの誤解を解き、双方の共通の土台を築く必要がある」といった意見を書く。
例えば、4日付けの日本経済新聞社説はこう見解を述べている。
 “(安倍晋三首相は)次の習(近平)主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。”
 いつまで甘い期待に浸っているのだろうか。「国家のためには歴史を偽造してもいい」と考えている確信犯の集団に対し、歴史認識について丁寧に説明しても無駄である。骨折り損と言っていい。
 形式的な議論は最小限度にとどめ、お互い利点を共有できる経済交流の拡大や偶発的な軍事衝突が起こらないようにする取り決め、マニュアル作りを中心にした方がいいだろう。
 ただし、歴史の真実についての広報活動はこれまで以上に世界に発信する必要がある。
 安倍政権誕生以来、「日本の歴史認識」に厳しかった欧米のマスコミも最近は軌道修正の動きが目立っている。

英国の有力雑誌「エコノミスト」は8月21日号で「9月3日に『抗日戦争勝利記念』の軍事パレードを閲兵する中国の習近平国家主席こそ歴史をねじ曲げて、自国の将来の野心に利用し、日本を不当に悪魔化している」と厳しく批判する巻頭論文を載せている。
 表紙は習主席がライフルとペンとが一緒になった銃を持って立つ写真、記事の見出しは「中国はいかに将来を支配するために過去を修正するか」。
  欧米もだんだんわかってきた。韓国に対しても懐疑の目を向け、日本寄りになりつつある。ここで手を抜かず、政府や意のあるメディアは「真実の歴史」を世界に発信する努力を怠ってはなるまい。(雑誌「アゴラー言論プラットホーム」井本省吾氏投稿より抜粋)
posted by 弘心 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする