2016年06月14日

懐かしい想い出 懐かしい想い出 懐かしい想い出


ふとTVの相撲中継(大阪場所)を見たら何所かで見た顔があった…、画面に映ったのは、審判員を務めておられる桐山親方でした。この方は元黒瀬川。今から何年ぐらい前だろうか、三十年以上は経っていると思うが当時財団法人氣の研究会の東京本部道場で、髷を結った力士が来られていました。
当時財団法人氣の研究会理事で有泉金水氏という方がおられた。氏は医者で、氏の医院に、東村山出身の黒瀬川関が診察に来られて、「どうしても十両からは上に行くことができない、相撲を辞めようかと思う…」とその胸中を訴えられた、すると、先生は「一度、合氣師範の藤平光一先生に会われては…」と言われた。そのことが始まりでした。

当時、プロの力士で十両ともなれば、素人などは全く叶わないほどの力の持ち主です。その力士が藤平先生と相撲をとった。不思議にその力士がコロンと土俵にひっくり返ったのです、何度やっても力士は、藤平先生を負かすことが出来なかったのです…。「これが氣の力というものです…」と淡々と説明されていたのが、衝撃的印象でした。

確か、千葉県勝浦の日本武道館研修センターでの研修会の時、研修が終わった後、藤平先生は、ロビーでテレビを見ておれました。九州場所(福岡)でした。黒瀬川関が負けた時、「云う通りやっていないなぁー、」と独り言…。
暫くして、先生に電話が掛ってきました。「そうだょ。そのことを忘れては駄目だよ…」と黒瀬川関からの電話に応えられておられたのを今もはっきりと思い出します。

その後、黒瀬川関は、小結まで、昇進されその後引退して、現親方になられて活躍されています。三日前の場所での審査員として、アナウンサーが「桐山親方は、合氣道をされていたようですね」との問いかけに「はい、それは自分の心が如何に大切かを学びました…」と応えられていました。

相撲場所で、力士から「合氣道」という言葉が出たことも又大変珍しいことで、一瞬、昔の懐かしい思い出が浮かんできました。
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2016年03月11日

心身統一合氣道台湾教室Rさんへの御礼文

貴女には、大変お世話になりました。心から厚くお礼申しあげます。貴女は、尊厳を持った一人の女性として、社会で活躍する女性として、家庭の良き母親として、家庭を守る主婦としての役割があり又、多くの心遣いをしておられます。「貴女を取り巻く総ての環境は、貴女の心が創り出したものである」と考えた時、釈迦が悟られた「縁起の理法」で言えば『善因善果』『悪因悪果』『自業自得』と言う言葉の意味を深く理解しなければなりません。社会の為、人の為、ご主人の為、子供の為そして、今自分が存在するのは、両親・先祖があってこそなのです。今まで自分が存在してきたことへの感謝の念を表すことが、生きていく、生かされている意味に繋がっていくのです。私は、今から43年前に、6歳の男の子を鉄道事故で亡くしました。その時、立ち直るのに、二年掛りました。そして一つの結論を導き出しました。それは「貴方の今の生き方を変えなさい。このままでは貴方自身が命を落とすことになるでしょう。その為に、貴方に忠告する為に貴方の一番大事なものを奪い去ったのです…」と言う神或いは創造主からの私への忠告でした。それからは、私の生き方は、180度変わりました。即ち「我見を捨て、利他の心で生きる」となりました。まず、自分のことは捨てて、他人の幸せを、社会に役立つことを真っ先に考える生き方になりました。即ち、人の喜んで頂く顔を見て、自分の喜びとする生き方です。物は何も無くても、私の心は幸せと言う思いで一杯です。『無一物無尽蔵』とは、このことを言います。今の貴女の素晴らしい心をこれからも大きく広げて、博愛衆に及ぼして下さい。合掌

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2016年02月13日

新しい弟子入門

家族が増えました
名前は、「タロ」、紀州犬のDNAを持つ雑種です。モンキードッグを育成する第一人者の方から譲り受けました。
紀州犬のDNAを持っているために、デザートに鹿の骨付き肉を少し遣っています。野生の感性を忘れさせないことが、一番重要と教わりました。頂いた方は、福井県でモンキードッグを育成されている方で、素晴らしい方です。其の人の田畑山には、一切、猿は来ないそうです。子犬を頂きに上がった時も、放し飼いのため、親犬と子犬二匹で鹿を仕留めて、食べたそうです。お腹がパンパンに膨らんでいたそうです。しかし、躾は厳しく口笛一つで何処に居ても帰って来ます。そして、人には一切吠えませんし飛びかかることはしません。叱る時には、息絶え絶えになるまで首を足で踏みつけて、従わせる事だそうです。しかし、何もない時は、120%充分スキンシップをしてやることが一番大事だ。と教えて頂きました。人間の子供と同じです。もう少しすれは、放し飼いにするつもりです。
家の付近には、猪、猿、鹿、熊、狐、狸などが出没します。毎年作るイモ野菜などを巡って熾烈な戦いをしています。今年からは、助太刀が居てくれます。ただ、タロには、まだ受身を教えていません。受身を知らないと鹿や猪に遣られてしまうとのことです。角で跳ね上げられ、牙で腹を裂かれてしまうのです。その為の一番の指導は、飼い主への絶対的信頼と愛情での結び付きだそうです。紀州犬が猪や鹿の猟に優れているのは、守との連係プレイだそうです。信頼する主が現れるまで、追っては引き、曳いては追う…。そして、相手を攪乱させて場合よっては、隙をみて相手を仕留めると言われています。犬に直接合氣道は教えられませんが、特殊な杖を用いて、相手との間合いを教えることで呼吸・感覚・機敏さについて会得させることが出来ると思っています。裏山と畑がその道場です。新しい家族・弟子が一人いや一匹増えました。

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2016年02月01日

ソ連の日本人捕虜虐待(シベリア抑留)の実態

ソ連の日本人捕虜虐待・参考情報
不法非道なソ連の人道に反する行為

1945年8月23日のスターリンの指令によってソ連軍は、ポツダム宣言に違反して
日本人軍人・民間人をシベリア等へ拉致移送して、奴隷として虐待し、酷使した。
その総数は70万人以上である。さらに満州・北朝鮮にいた情報機関関係者を
1万2000人逮捕して、シベリア等へ移送した。逮捕された情報機関関係者の中には
女性のタイピスト、通訳、看護婦も含まれていた。

シベリア等での、劣悪な住居環境、過酷な労働、不満足な食糧支給による飢餓などによって、
16万人以上が死亡した。最初の1945年の冬に10万人以上が死亡した。
後日、かろうじて日本へ帰還できた人たちの中から、抑留中の苛酷な労働や、シベリア桂肺などの
病気や、極度の栄養失調の後遺症によって、10万人以上が障害者や重病人となった。

ソ連軍は満州に駐在していた日本軍の食料・被服・薬品などはもちろんのこと、その他に
満洲国内にあった日本銀行券・朝鮮銀行・社債・株券・ダイヤ・金塊、工場の設備・機会・製品・
原料など、満洲にあった財貨を徹底的にソ連領内へ持ち去った。

さらには、ソ連は満洲から、田んぼの稲、事務所のイス・机、ドアのノブ、日本人住宅のフスマや畳
など、とにかくありとあらゆるものを強奪してソ連に運んだ。

拉致移送した日本人兵士や民間人たちからも、腕時計・万年筆に始まり、つぎつぎに持っていた
物品を略奪した。まったく想像もできないことではあるが、日本人を殴り倒して、金歯の金まで
剥ぎ取ったのである。 

拉致移送された日本人捕虜(軍人及び民間人)は、極東地区、中央アジア、シベリア、モスクワ以東の
ヨーロッパ・ロシアの2,000余りの収容所において、炭鉱・鉱山における採掘労働、森林伐採、
製材、鉄道敷設、道路港湾建設、農漁業、建物建築などで、奴隷として酷使された。
逃亡を企てた者は容赦なく射殺され、見せしめのため遺体を晒された。

奴隷労働の中でも、鉄道建設や炭鉱・鉱山における採掘作業は、最も危険で過酷なものであった。
スターリンが最重視したバム鉄道建設には、「枕木1本ごとに日本人1人の亡き骸が眠っている」
と言われるほどのおびただしい死亡者を出した。

加えて極度支給食料不足と非衛生的な住居環境という厳しい生活条件の中、伝染病が蔓延した。
事故死、自殺などでも多くの死者が出た。

舞鶴市がユネスコ記憶遺産に登録した「引き揚げ記念館」には、ほんの一部が展示されています。
しかし、其の解説には、国際法を無視してのソ連の捕虜虐待については、一切ふれていない。
さらに驚くべきは、ナホトカと姉妹提携都市(友好都市)として友好関係を結んでいる。
「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉があるが、心のどこかにシコリが残る都市である。



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李登輝氏と武士道

 国家の危機に際して、「日本人よ、武士道忘れるな」
1.「残された人生を台湾人、そして日本人を励ますために使う」

「いまだかって、私は『尊敬できる日本』という言葉を聴いた
ことがありません」とは、9月5日に元台湾総統の李登輝氏
[a]が、東京青年会議所の約2千人の聴衆に向かって語った言
葉である。

 総統退任後、残された人生を台湾人、そして日本人を励ます
ために使うと話していた李登輝氏だが、87歳の高齢にして、
心臓に持病を持つ身でありながら、まさに自分の命の限りを尽
くして、日本の青年たちに語りかけている。氏を駆り立ててい
るのは何なのか?

 ブログ『台湾は日本の生命線!』は、こう語っている。

・・・日本に対し、増大する中国の軍事的脅威から東アジ
アを防衛するため、日台が「運命共同体」「生命共同体」
であることを繰り返し訴え続けている。「台湾は日本の生
命線だ」「台湾が中国に取られれば日本は終わりだ」と。

 李登輝氏が最も日本人に伝えたいのは、まさにこれであ
るはずだ。「かつてのような智恵と勇気に溢れる日本と言
う国を取り戻せ」と、日本人を激励しているとしか思えな
い。[2]

2.「君は君、我は我なり、されど仲良き」

 李登輝氏は今回の講演では、『竜馬の「船中八策」に基づい
た私の若い皆さんに伝えたいこと』と題して、幕末に坂本龍馬
の提示した近代日本の国家像に倣(なら)って、今後の日本の
あるべき姿を語った。

 たとえば、第4議の「外国の交際広く公議を採り、新に至当
の規約を立つべき事(外交は公論に従って、新たに対等の条約
を結ぶ)」に基づいて、李登輝氏はこう説いている。

 アメリカへの無条件の服従や中華人民共和国への卑屈な
叩頭外交、すなわち、頭を地につけて拝礼するような外交
は、世界第二位の経済大国の地位を築き上げた日本にそぐ
わないものです。

 特に、これからの日本と中華人民共和国との関係は、
「君は君、我は我なり、されど仲良き」という武者小路実
篤(むしゃこうじさねあつ)の言葉に表されるような、
「けじめある関係」でなければならないと思います。[1]

 この言葉から思い起こされるのが、李登輝氏の総統時代の対
中外交である。

 たとえば、私の総統時代、中共から絶えず激しい挑発を
受けました。すると、台湾の国民も大きく動揺して、「と
にかく恭順の意を表しておこう」という者や、「いや徹底
的に戦って相手を屈服させよう」という者など、さまざま
な人々からさまざまな反応が出てきます。こういうときに
こそ、もっと大局的な視座からもっと大きな判断を打ち出
すのが、民の上に立つ者の務めだと痛感しました。・・・

 台湾に対しても中共は絶えずミサイルなどで脅しをかけ
てきます。しかし、それぐらいでぐらつくほど「新台湾」
はひ弱ではありません。

 あんなものは、単なるブラフ(JOG注: 脅し)にしか過
ぎない。大陸は、台湾に対して80発ぐらいのミサイルを
重要な個所に撃ち込めると言っています。しかし、私たち
は、それに対する態勢も十分に完備していますから、文字
通り「備えあれば憂いなし」で全く恐れてはいないのです。
[3,p177]

 中共のミサイルなにするものぞ、と立ち向かう李登輝氏の姿
は、まさに日本の古武士の姿を見るが如くである。

3.李登輝氏の新渡戸稲造との出会い

 上記の引用は、李登輝氏が新渡戸稲造[b]の英文著書『武士
道』を解説した本の一節である。この『武士道』は、新渡戸稲
造が国際社会にデビューしたばかりの日本の精神伝統を説くた
めに、1900(明治33)年1月に英文で刊行したものだ。

 時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは徹夜でこの本
を読破し、感動のあまり、翌日ただちに数十冊を購入して、世
界中の要人に「ぜひ一読することを勧める」という献辞を添え
て送り、ホワイトハウスを訪れる政・財・官界の指導者たちに
も手ずから配ったという。

 この4年後に勃発した日露戦争で、日本軍は「武士道」に則っ
た戦いぶりを見せ、世界を感動させた。乃木将軍[c]や東郷元
帥[d,e]が日本古武士の典型として国際社会からの尊敬を受け
た。ルーズベルト大統領も日露講和の仲介を買って出た。

 その新渡戸稲造の著書に、どうして李登輝氏が関心を持ち、
自ら日本語で直接、それも文庫本で300頁以上もの解説書を
書くことになったのか。

 昭和15(1940)年、日本統治下の台湾で、旧制の台北高校に
進んだ李登輝青年は、図書館で多くの書物を読み漁っているう
ちに、新渡戸稲造の講義録を見つけた。

 新渡戸稲造は『武士道』を刊行した翌年、明治34(1901)年
に台湾総督府の農業指導担当の技官として赴任し、台湾製糖業
の発展に大きな貢献を為したのだが、毎年夏に台湾の製糖業に
関係している若き俊秀たちを集めて講義をしていた。それはイ
ギリスの思想家トーマス・カーライルの哲学書を解説した講義
だったが、その講義録を読んで李登輝氏は新渡戸稲造の偉大さ
に心酔するようになり、新渡戸の著書をすべて読んでいった。
その過程で出会ったのが『武士道』だった。

4.「公義」
 中国からのミサイルの脅しに対して、敢然と立ち向かう姿は、
いかにも勇ましい武士らしき姿だが、新渡戸稲造が説き、李登
輝氏が解説する「武士道」とは、そのような「勇」一辺倒のも
のではない。

 新渡戸は、武士道の徳目の最初に「義」を挙げている。「義」
とは「義務」であり、「義理」すなわち「『正義の道理』が我
われになすことを要求し、かつ命令するところ」と言う。孟子
が「義は人の路なり」とし、キリスト教で「義」は神からの要
求であるとするのも、同様の意味である。

 李登輝氏は「義」は「個人」のレベルに閉じ込めておくべき
ことではなく、必ず「公」のレベル、すなわち「公義」として
受け止めなければならない、と説く[3,p166]。それは社会のた
めに各人が為すべき事を指す。

 人の生き方として実践を重んずる武士道は、「義」について
抽象的哲学的にあれこれと論じたりはしなかった。それよりも
「義を見てせざるは勇なきなり」の一言で、武士としての生き
方を表現した。武士道の2番目の徳目である「勇」とは、あく
まで「義」を実践する時の姿勢であって、「義なき勇」は「匹
夫の勇(思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない人間の
勇気)」として、軽蔑された。

5.「義を見てせざるは勇なきなり」

 新渡戸稲造の生き方そのものに「義を見てせざるは勇なきな
り」があった、と李登輝氏は説く。

 新渡戸稲造先生が台湾に来てくれるよう要請されたとき、
彼はまだアメリカにおり、健康状態もかなり悪かった。し
かし、「義を見てせざるは勇なきなり」の武士道精神に基
づいて、総督府の一介の技官(地方の課長)という大して
高くもないポストに従容(しゅうよう)として赴き、いっ
たん現地に入ったからには命を賭して大事業の成就に向かっ
て全力疾走を続けたのです。なぜなら、国家がそれを必要
としていたからです。これこそ、「武士道」の精華であら
ずして何でありましょう。[1,p80]

 李登輝氏自身の生き方も同様である。進学先の大学を決める
ときにも、何の迷いもなく、新渡戸稲造が学んだ京都帝国大学
の農学部農林経済学科を選んだ。立身出世のためなら、東京帝
国大学で法律を学んでエリート官僚となる道を選ぶこともでき
た。しかし、台湾の発展のためには、新渡戸と同じく農林経済
を学ぶべきだと考えたのだろう。

 しかし、天は李登輝氏に学者としての道を歩ませなかった。

 私事にわたりますが、もともと学者か伝道者として生涯
を全うしようと思っていた私が、思いがけなくも政治の道
への足を踏み入れてしまったのも、いまにして思えば、
「天下為公(JOG注: 天下をもって公となす。天下は公のも
の)「滅私奉公」といった武士道精神に無意識のうちに衝
き動かされてのことであったように感じられてなりません。
6.「中華人民共和国」という擬制

 李登輝氏に政治家への道を歩ませた一因は、祖国台湾を覆う
中国の脅威であった。

 そもそも、「中華人民共和国」という擬制そのものが、
根本的に嘘ではないですか。孫文の「三民主義」を実現す
るための国家体制であると広言しながら、かつて民主主義
的だったことがありますか? 「人民」に対して自由や平
等を許容したことがありますか。天安門事件にしても、チ
ベット抑圧政策にしても、法輪功弾圧にしても、すべてが
独裁国家的で、冷酷かつ残忍なことばかりしてきている。
いったい、何万人、何百万人の無辜(むこ)の民を殺して
きたというのです

 この「中華人民共和国」が、「祖国統一」というもう一つの
「擬制」のもとで、「台湾は中国固有の領土」「同じ中国人ど
うし」という「嘘」をつき、台湾併合を狙っている。

 私は、これまで一度たりとも「統一には絶対反対する」
などと言ったことはありません。中国の指導者が嘘をつく
のをやめ、本当に自由で民主主義的な体制をつくるように
なれば、いつでも統一に応じる用意がある、と言い続けて
きたのです。それまでは、台湾の人々のために、万民のた
めに、一国の責任ある指導者として「特殊な国と国との関
係」という現実を維持しないわけにはいかない、とだけ言っ
たきたのです。

 それなのに、彼らは自己権力を保持し拡大したいという
ことばかりに気をとられて、最も大切な国民の自由や幸福
を追求する基本的な権利まで、一方的かつ完全に踏みにじっ
てしまっている。そして、このような、ごく当たり前の
「公義」を述べる私のことが目障りで恐怖心さえ覚えるか
らでしょうか、平然と虚偽に充ちた個人攻撃を仕掛けてき
ている。[3,p61]

 中国の独裁政権は国家を私し、国民を搾取している。台湾の
民をそんな体制に住まわせるわけにはいかない、というのが、
李登輝氏の「義を見てせざるは勇なきなり」なのである。

7.「公義」と「友愛」

 87歳の高齢にして病身の李登輝氏が、中国の反発と日本政
府の抵抗を押し切って来日し、日本の青年に語りかける姿も、
同じく「義を見てせざるは勇なきなり」の心からだろう。

 中国の独裁体制による脅威という点では、日本と台湾は運命
共同体である。台湾が中国の支配下に入れば、西太平洋は「中
国の海」となり、海上輸送のライフラインを握られた日本は中
国に膝を屈せざるを得なくなる。そのような日台両国民の不幸
を避けるために、李登輝は高齢を押して、台湾と日本の人々に
語り続けているのである。

 鳩山新首相は「友愛」を説くが、自国民を弾圧し、ウイグル
やチベットなど他民族の土地を簒奪する中国に対しても「友愛」
第一で臨むのだろうか?

「公義」を基盤とする武士道精神には、「仁」、すなわち「惻
隠の情」があり、孟子はこれを「井戸に落ちようとしている幼
児を救おう」とする人間なら誰でもが持つ心、と説いている。
「公義」を根幹とし「惻隠の情」を持つ政治家なら、「友愛」
は中国政府ではなく、自由を奪われている中国人民、そして土
地を奪われ民族文化を破壊されつつあるウイグル人、チベット
人に対して向けられなければならない。「義なき友愛」は「匹
夫の友愛」である。

 そうした「義に基づいた惻隠の情」による外交を展開するこ
とで、初めて国民の安心安全を確保し、国際社会の中でも「尊
敬できる日本」になっていけるのである。

8.蔵にあるものは蔵から出せば良い

 国内の諸問題についても、同様である。しかるに、まことに残念なことには、
     1945年(昭和20年)8月15日以降の日本においては、そのような「大和
魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の指導理や道徳規範が、
     根底から否定され、足蹴(あしげ)にされ続けてきたのです。・・・

 いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶
悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、
失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもか
かわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を
否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、
と私は憂慮しています

 武士道は、我々の先人が700年の時間をかけて国民精神の
根幹として育て上げてきたものである。それを戦後の60年ほ
ど、我々は「お蔵入り」させていたわけだが、蔵にあるものは
蔵から出せば良い。

 李登輝氏は『武士道解題』を次のような言葉で結んでいる。
  最後に、もう一度繰り返して申し上げておきたい。
  日本人よ自信を持て、日本人よ「武士道」を忘れるな、と。

(伊勢雅臣氏の文献より抜粋)




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2016年01月26日

天人合一

「東洋に於ける思想・学問・文化は自然と非常に関連がある。むしろ自然に対する体験と思索から発しているといってよい。これが東洋精神・東洋文化を解釈し会得する根本の手がかりになる」

・東洋に於ける思想、学問、文化は、自然に対する体験と思索から発している。
古代から自然は事物であり、法則(理法)であり、神霊であった。自然は普通「他から力を加えることなく、自らそのように存在している状態」を指している。

孔子は自然という言葉こそ用いませんでしたが、自然の存在の中に人格的な天の存在を意識して、「天何をか言うや、四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。『論語』(陽貨篇)と語っている。

季節や万物が誰の手を借りることなく、年々規則正しく移ろい成長する姿のなかに、自ら存在するもの(自然)の法則的な働きと、その背後にあってそれを主宰する造花としての天の働きを、しっかり感じ取っていた。

この天と自然について、後出の老荘の思想家たちは自然を理法化して、儒家の言う天より更に根源的と考える自然を、文学的に、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る『老子』(二十五章)
表現し、自然を最高の原理まで持ち上げたのである。

さらに同時代の学者は、道と自然を一つにして、これを易経にある太極と称するようになり、さらに当時の中国は戦国時代で国土は荒廃していったことにより、政権とは無関係な知識人たちはこぞって老荘思想を受け入れていく。

すなわち、荒廃する都市や田園にはもはや真の自然はないとして、深い山水の境を理想郷としてそこに道を求めて深い思索を続けるようになった。

「自然」とは、このような「道」を具現化した「山水」のことで、山水に近づくことが、そのまま「道」についての体験と思索の最良の方法であると考えるようになったのである。
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日本精神の行方…、雪中花におもう。

雪中花 (日本水仙「花言葉」『希望・自己愛・高潔・神秘』)

今、NHKのドラマが人気、真田丸。武田家の滅亡を映している…、その武田信玄とその武将24人の中に、真田昌幸がいる。それよりはるかに信玄の親戚として重きを為し、勇猛果敢で知られた甘利虎泰という若大将がいた。合戦では常に先陣をつとめたが、信州上田原で村上義清の軍との激戦の末に打ち取られる。
TTPの交渉を先陣切って取り仕切っている甘利明大臣は、虎泰は自身の先祖だという。しかし、その甘利氏は、今、業者からの収賄の疑いでマスコミを賑わしている。
週刊誌の報道内容は、あまりにもリアルである。驚くのは、口利き料として、現金1200万円を大臣室で自ら手土産と共に現金入りの封筒を受け取ったという。事実であれば、実に残念なことであるとともに、怒りがこみ上げてくる。
今、政治屋に成り下がった政治家なる人物が横行する我が国の政界。
さらには、政治活動費を偽装しての国民の前で、言い訳で泣き叫んだ地方議員…。
これらに比べて、大阪の経済基盤づくりに渾身の努力をした五代友厚候は、清貧に甘んじた結果、死後には、多大の借金しか残らなかったとか…。正に生き方、生きる目的、人生の目標が異なるのである。
経済界においても東芝の歴代三人の社長の粉飾決算…。ブラック企業の出現…。詐欺行為の社会化…、期限切れの処理食品の横流し…。

我が子を虐待して死に至らしめる若い夫婦…、親を殺して年金を搾取…、金のためには、容赦なく人を殺す…。

日本人の精神構造は、敗戦と共に、捨て去られたのである。これも今から70年前からの新制小学校で、GHQの強制的偏向教育を受け続けた結果なのではないか。
その中身は、たった一つの言葉を誤ったことにある。いままで何度も書いてきた。人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち、「偽・私・放・奢」であると。そして、今そのひとつの言葉、「偽」即ち、嘘をつく、いつわる、ごまかす、だます、である。その嘘をつくこと、この事一つで、人生を駄目に、企業を潰してしまう人が如何に多いのであろうか。
今こそ「利他の心」を我が心として、「自らを取り巻く全ての環境は、全て自らのこころが創り出したものである」を自覚実践することで日本人の精神構造を立て直す時期では、あるまいか…。


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2015年09月10日

なぜ、中国は嘘をつくのかー(壁諱)文化が生む中国の歴史


 中国が3日、「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを実施した。旧日本軍が戦ったのは国民党軍であり、現在の中国を支配している共産党ではない。まして、1943年のカイロ宣言でルーズベルト米大統領、チャーチル英首相と会談したのは蒋介石国民政府主席であり、毛沢東ではない。
ところが、「抗日戦争勝利70年」を記念して製作した中国の映画には、出席していないはずの毛沢東が登場する。まさに噴飯モノである。こうした歴史の偽造、歪曲を行って恬として恥じない中国の行動の源は何か。
 北村稔・林思雲共著「日中戦争の『不都合な真実』」(PHP文庫)で中国生まれの林氏は「中国の避諱(ひき)文化に由来する」と指摘する。

“中国で科学が誕生しなかった大きな原因は、中国の避諱文化にある。中国人から見ると、「真実」は決して重要ではなく、重要なのは偉大な人物と国家民族の擁護なのである。必要ならば、真実を投げ捨て……ても構わないのである。”
「避諱」は避け、隠す(諱)を意味する。国家と社会の安定を保ち、発展させるのに必要なら国家の体裁を保つための虚言を弄し、ウソをつくのは望ましい行為として称賛、奨励される。
 例えば、南京事件など戦時中の日本軍の蛮行を誇大に言い募るほど愛国者といわれ、慎重な見方は売国奴と批判される。そこで、競って大袈裟な数字を並べ立てる動きが強まり、どんどん誇張、歪曲が広がる。
 林氏の著書によると、南京大虐殺についてある中国人が「日本兵が5万7418人を殺すのを見た」と証言した。
“この数字は一の位まで正確に述べられており、常識で考えれば嘘だと判断できる。しかし中国人は、誰も嘘だとは言えなかった。(この証言を否定すれば)日本人を弁護する売国奴の漢奸になるからである。……数字は、そのまま中国の主要な新聞に掲載された。”

しかも、この後がある。第2次大戦後の極東軍事裁判に参加した中国の主席代表が自著「極東国際軍事法廷」の中で、この5万7418人を引き合いに出し、(日本兵は中国人を)「針金で縛って」「手当たり次第に斬り殺した」「最後は死体に石油をかけて燃やし証拠を隠滅しようとした」と残虐な犯行を、想像で付け加えたのである。
 「避諱」文化に染まった中国人と歴史論争をしても、一致した見方に到達するのは不可能だ、と林氏は書いている。
日本のマスコミはよく、「日中共同で歴史研究をしてお互いの誤解を解き、双方の共通の土台を築く必要がある」といった意見を書く。
例えば、4日付けの日本経済新聞社説はこう見解を述べている。
 “(安倍晋三首相は)次の習(近平)主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。”
 いつまで甘い期待に浸っているのだろうか。「国家のためには歴史を偽造してもいい」と考えている確信犯の集団に対し、歴史認識について丁寧に説明しても無駄である。骨折り損と言っていい。
 形式的な議論は最小限度にとどめ、お互い利点を共有できる経済交流の拡大や偶発的な軍事衝突が起こらないようにする取り決め、マニュアル作りを中心にした方がいいだろう。
 ただし、歴史の真実についての広報活動はこれまで以上に世界に発信する必要がある。
 安倍政権誕生以来、「日本の歴史認識」に厳しかった欧米のマスコミも最近は軌道修正の動きが目立っている。

英国の有力雑誌「エコノミスト」は8月21日号で「9月3日に『抗日戦争勝利記念』の軍事パレードを閲兵する中国の習近平国家主席こそ歴史をねじ曲げて、自国の将来の野心に利用し、日本を不当に悪魔化している」と厳しく批判する巻頭論文を載せている。
 表紙は習主席がライフルとペンとが一緒になった銃を持って立つ写真、記事の見出しは「中国はいかに将来を支配するために過去を修正するか」。
  欧米もだんだんわかってきた。韓国に対しても懐疑の目を向け、日本寄りになりつつある。ここで手を抜かず、政府や意のあるメディアは「真実の歴史」を世界に発信する努力を怠ってはなるまい。(雑誌「アゴラー言論プラットホーム」井本省吾氏投稿より抜粋)
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2015年07月19日

病、陽明学的生き方、そして日本人の今日的精神

医食同源と言う言葉のとおり、全て食の在り方が原因です。しかし、「心が體を動かす」という原理から言いますと、食に対する心の持ち方が最重要となります。プリン体・コレステロール・塩分の多い食べ物出来るだけ控えて。しかし。これが大変難しいのです。プリン体とコレステロールの多い食べ物は特に肉類や卵類、魚の干物に多い、更に、蛋白質を一定量とろうとすれば、必要となる…などです。
しかし、最近の発表では、コレステロールは、食べるものは余り影響しない、とある。(この発表には疑問)。すると体内で作られる値が影響するのでは…、するとコレステロール値を下げる薬に頼ることになるが、これが厄介なもの。スタンチン系の薬は、筋肉の中のおうもん筋を溶解する副作用があると言われています。薬は百害あって一利なし、と言うのが私の結論です。
痛風や脳梗塞の予防としては、野菜と青魚を中心の生活に切り替えればよいでしょう。白米のご飯は、一食160グラム。出来れば酵素玄米を食して頂ければ良いと思います。塩分は一日6g以下、コレステロールは750mg以下。肉食をされる場合は、良質の肉を週一回60gが良いでしょう。
特に油は、気を付けて下さい。オリーブオイルと亜麻仁油にして下さい。オリーブオイルは心臓に。亜麻仁油は、脳神経に大変有効な働きをしてくれます。
身体が老いるのは、フリーラジカル(活性酸素)の作用と言われています。そのためには、SOD(分解酵素)を含むものを食することにあります。それが酵素玄米の持つGABAの働きと、羅漢果の持つスカべンジャーの働きです。(因みに私は、今、年齢75歳、身長170.BMI22.体重62kg、体脂肪17、内脂肪8、身体年齢50歳、視力は全てメガネなし)。

 自然との対話、特に大地との対話、心身統一道と心身統一合氣道は體に著しい効用を表してくれました。
そして、呼吸法と内観・陽明学による宇宙観が大きく作用することも今までの実践で、はっきりしたのです。
「随処に主となれば立処皆真なり」の真の意味は…。そのためには、自分が何のために生まれて来たのか・何のために知識としての学問を学んできたのか・そして何処へ行こうとしているのか・生きる目的は何であるのか…を解決しなければなりません。そのためには、格物窮理と格物致知の違いを自覚すること、知識主義を棄てて、見識を育てること、そして、良知に従った生き方をすることです。

王陽明は「万物は本来的には、窮め格(いた)ることは出来ず、格物を窮めるには、我が身と、わが心を窮めて、其の心にある良知(りょうち)をもって物事に表して理を得ることである。つまり、わが心の良知を顕現することが「良知」であり、それによって事物の理を得ることが「格物」である。因みに「良知」とは、人が生まれながらに持っている心の本体、知能を言い、真実の顕れとしての心の働きをいう。この良知の顕現において心と身、認識と行動が一体となる。これが「知行合一」の実践的な思想である。
すなわち、人は天地の心にして、天地万物は、もと、我と一体なり。生民の困苦荼毒は、いずれか、我が身に切なるものに非ざらんや…。人を視ること、おのれの如く、国を視ること、家の如くにして、天地万物をもって一体となす。
人は天地の心である、天地万物と自分は、元々毅然一体のものです。…自分のような人間も、動物も、草木も。天地から生まれて、やがて死んで、天地に消えていきます。もともと同じものなのです。この境地に立って考えれば、もともと、この世に他人事と云うものは存在しない…。」と。

今の日本人がどの様な精神的変容を経てきたのか、については、次のような変遷と言えます。「明治維新による教育・文化の欧米化⇒日本の精神・伝統・文化の大衆化⇒太平洋戦争の敗戦による無条件なアメリカ文化の受容⇒日本文化、精神の空洞化・日本的、東洋的な心の軽視⇒欧米風な科学主義・知識主義偏重⇒日本人の価値観と心の崩壊」、と言うことが出来ます。その為には、今の日本人には、心の修養を基礎とした人間精神の再形成が最重要と考えます。私は、その為、心身統一道と心身統一合氣道を方便にして日本的精神の再構築を、図ろうとしています。
少し長くなりました。小さな庵でも、壮大な宇宙を観て、浩然の氣を養うことが出来ます。では又。

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2015年06月15日

第32回関西地区心身統一合氣道体技発表会

大会委員長挨拶として、に四つのことを申し上げました。

 一つは、植芝盛平翁を生涯の師として仰ぎ、翁の難解な言葉で伝授されようとした合氣道の真髄を幾多の修行を通じて、悟られた藤平光一(合氣道最高位十段)先生。それは、「真の合氣道とは何か」でありました。
さらに、昭和20年代、合氣道界最強のスターとして、わが国は元より、諸外国に広められました。

 真の合氣道を世に伝えるべく、新たに出発としての拠点として「財団法人氣の研究会」が設立されたこと。
そして、40年を経た今日、大いなる役割を果たして、今年3月をもって終焉を迎えました。
私達は、この事実を、永遠に伝えていかなければなりません。

 次に、二代目会長として子息の藤平信一氏が新たな目標を掲げて、新しい組織造りに果敢に挑戦され一般社団法人心身統一合氣道会として、一定の成果を生み出されたことであります。
今後の心身統一合氣道の形成発展に、皆さんの力添えが是非必要なのであります。宜しくお願い申し上げます。
 最後に、藤平先生が、わが国の漢詩の偉大な師、徳富蘇峰の高弟として、その知識を生かして、「誦句集」が存在します。その集大成と云うべきものは、「争わざるの理」であります。

このことを理解する一つとして、針ヶ谷夕雲(江戸時代前期に活躍。元は柳生新陰流、後に無住心剣夕雲流を創設。柳生石舟斎・山岡鉄舟をして、その前に立っただけで何も出来なかったと言わしめる)の言葉を伝えまます。
その言葉とは、すなわち、「『勝とう、勝とう、思ってはならない』。自らが『負けるとは何か』、について研究をしなければならない。そして、只、『負けない』とのみ思慮するのであります‥。」この言葉は、私の長年の求道歴において、大いなる変化を生じさせました。(針ヶ谷夕雲が、後世に残した言葉と心のありようは、其の弟子の小田切一雲「天真独露」(原漢文)で残されています)。今日此処に紹介申し上げます。

本日の大会に於かれましては、この深遠なる一つの言葉に想いを馳せて頂き、今大会に挑戦して頂ければ大変喜ばしいことです。この言葉を持ちまして、挨拶と致します。
大会委員長奥山弘邇
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2015年04月29日

NHKの報道問題、そして台湾に学ぶ

数年前から、最高学府を出て名を為し功を遂げた人達が揃って「申し訳ありません、済みませんでした」とマスコミの前で頭を下げて謝る場面が多くなった。全てが「偽」のためである。嘘をつく・偽りの為に、自らの人生に終止符をうち、企業が潰れる…。そんな場面をNHKもTVで映している。何を学んでいるのであろうか。菅子は、「四患」即ち、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「偽・私・放・奢」である、と説いた。NHKのトップは、余りにも節操がない。いや、NHKだけではあるまい
このままでは、日本人としての誇りも、この国も滅びていくのではないか…。

「己を磨くために、学ぶんだ…」とは、吉田松陰の若かりし頃の言葉である。今、わが国を動かす年代層の群像は、何を学び、なにを成し遂げようとしているのか…。

4月17日から四日間、戦後70年の節目として、戦時中、台湾バシー海峡においてアメリカ軍の魚雷を受けて撃沈され約26万人から30万人とも言われている人達が海底に沈んでいる英霊を慰霊するために台湾へ行って来た。生き残った一人の日本人が私財をなげうって、潮音寺を建立された。その人亡き後、台湾の人達が守り続けられている姿を見た、さらに花蓮、高雄市、台南市に伺い、両市の市長と面談をした。市内には、数多くの日本統治時代の日本の家屋が保存されている。その中でも嘉南大圳を台湾一の穀倉地帯に変えるために、烏山頭(ダム)を造り、網の目のごとく水路を張り巡らし水田を作り上げた日本人、八田興一氏は、今も台湾の人々から神様として尊敬されている。

台湾へ縁あって心身統一合氣道の指導に6年間13回訪問しそして多くの人と出会った。今、花蓮・高雄・台南に広げようとしているが、それは、台湾を日本が統治した時、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造氏らが街づくり、教育ともに日本と同等の考えで造られ、教育を行ったことが、台湾には日常の中に「道義」が生きているのを発見したからである。

私は、台湾の多くの人達と出会いそしてその中から、日本人とはなにか、を学んだ。
私は戦後の教育を受けたが、何故か教育勅語・道徳・修身などの言葉は意識から除外されてきたように思えて仕方がない。
今改めて教育勅語を読んだ時、12の徳目は、人間として当たり前のことであることに心が騒いだ。
いや、戦争を美化したり、人権を無視するような考えは微塵もない。ただ、人としての生き方に想いを巡らすのである。
今の台湾には、「日本精神…リップンチェンシン」が生きている。

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2015年03月23日

「財団法人 氣の研究会を振りかって」

戝団法人氣の研究会」を振り返って
昭和46年9月16日、元合氣会総師範部長 合氣道十段藤平光一先生が、私財を投じて財団法人氣の研究会を厚生省認可のもとに設立されました。この事実は、わが国はもとより世界の合氣道界には、大きな刺激を与えました。
合氣道の真髄を求めて止まない多くの人たちは、全国津々浦々から藤平光一先生のもとに駆け参じました。その熱気たるや大変なものでありました。
年に数回開催されました千葉県勝浦にあります日本武道館研修センターには、全国から参加された人たちで溢れかえっていました。
当時から44年過ぎた平成26年度で解散致しましたが、日本及び世界に「合氣道」を広められた功績は、実に偉大なものであります。
しかし、日本においてはその功績を抹殺しようとする動きがあります。
現に合氣道創始者植芝盛平翁から最高段を允可された師範の中で、みずからの合氣道の技の実力で、世界にその成果を示された師範は、皆無に等しいと見ることが出来ます。

合氣道創始者植芝盛平翁を、生涯師として仰がれ、師の難解な言葉の中から、「合氣道は、相手の氣を導いて崩し投げる…」即ち、「氣」について悟られて、それを合氣道の技に具現化されました。即ち、「心が身体を動かす」原理を会得されたのであります。

そして、合氣道創始者植芝盛平翁の説かれる合氣を引き継がれたのであります。植芝盛平翁とは、説明の仕方、指導方法は異なりますが、伝えようとされる内容は全く同じであります。
藤平先生は常々「合氣道から「氣」を取り去れば、唯の踊りと一緒である…」と言われた言葉が今も鮮明に頭に残っています。

私たち藤平光一先生の門下生として、この厳粛なる事実を忘れてはなりません。
今、藤平光一先生が残された「心身統一道・心身統一合氣道」という道燈を二代継承者藤平信一会長が守り育てておられます。

さて、戝団法人氣の研究会が設立されて、五年目に「戝団法人氣の研究会五年の歩み」という冊子が今から約40年前に、限定数で発行されました。その中で主だった方々の言葉を紹介させて頂きます。藤平光一先生が如何に世界の多くの方に影響と感動を与えられたかがお分かりになります。


氣の研究会五周年記念によせて
毛利松平   元国務大臣 元環境庁長官 衆議院議員
私と藤平会長との最初の出会いは、昭和11年5月であった。当時私は慶応本科二年で柔道部の副将をしていた。その日、慶応予科の柔道部の日吉の合宿に行ったので在ったが、一人の新入生が負けん気になって、熱心にけいこしているのが強く印象に残っている。それが藤平会長であった。早生まれの上に中学四年修了で慶応の試験にパスして入学したとかで、他の学生より二歳は若く、多分満十六歳位であったろう。童顔も未だ抜けきっていなかった。
卒業後お会いしたのは、昭和15年6月満州撫順炭鉱に於いてであった。満鉄に奉職し、三千人の青年隊の隊長をしていた時であった。当時、恰も東亜に戦火が拡がり風雲益々急を告げるに至り、学生の海外渡航は一切禁止され、満州、支那大陸に日本の学生の姿を見かけなくなった。そんな時、不意に慶応の学生二人が尋ねてきた。藤平氏と藤井驍一氏であった。どうやって渡航したのかと聞くと、南洋木材の専務をしている知人に頼んで、臨時航員として、船員手帳も正式に作ってもらい、ボルネオで木材買い付けをし、それを上海に運ぶ船に便乗したと云うのである。上海でその船と別れ、南京、徐州、済南、天津、北京から蒙古を経て満州に入ってきたとの事であつた。後年、合氣道普及にアメリカを始め海外諸国を飛んで歩く旅行癖は、この頃からあったのかも知れない。
その年の暮、私が所要で日本に帰った時、慶応柔道部の後輩が集まってくれた。私は、学生時代、柔道の他に植芝盛平先生について合氣道をも学んだ。合氣道も今の様に流暢な優雅なものではなく、激しい武道であった。余程道心堅固なものでなければものにはならない。慶応柔道部で、誰か之を極める者はいないかと、みんなの顔をみながら心で物色したが、これはと思う顔がない。
その中に藤平氏の顔があった。「うん、これなら立派にやっていけるだろう」と心に思い「百人力の先生がいる。君はこれから行って習わないか」と名刺に紹介状を書いて渡した。藤平氏はニコッと笑って「ハイ」と言っただけであった。
一つの事を三十年続けるという事は容易ではない。藤平会長はそれ以来今日まで、三十六年という長い月日を唯一筋に道を求めて精進されて来たのである。
その間、禅・美曽岐・滝の修行など、あらゆる修行を極め、遂に合氣道を単なる武道から脱皮させ、心身統一の大道、人間の正しく生きる道として集大成させたのである。今や国内はもとより、海外に広く之を普及し、世界の人々より感謝渇迎されている。その努力さる事ながら、世界中の人々に人類の副音を
もたらした功績は誠に偉大なものがある。
ここに氣の研究会の五周年を心から祝福すると共に。藤平会長の益々の御精進御奮闘を祈って止まない次第である。

藤平先生へのメッセージ
ジョージ・R・有吉  ハワイ州知事
藤平先生のハワイにおける御活躍について述べ、先生の合氣道の紹介と教えを通じてのハワイ州民の生活への多大な貢献に感謝することは、私の大いなる喜びとする次第であります。
1953年に合氣道を単なる護身術やスポーツとしてではなく、生活に対する全く思想的なアプローチで、しかも、全ての人間にとって恩恵を与えるものとして我々は初めて本格的に学んだのであった。
それ以来、藤平先生は何度もいらしては、合氣道に入門し肉体的にも精神的にも稽古をしている人々の輪を広げて行きました。最近になって、この偉大なる先生はハワイに氣の研究会を設立し、合氣道の真髄であり、また、我々にどのようにして日常生活での人間関係に会氣道を生かしていくかを、よりよく理解させるところの、氣の思想の原理を教えて下さいました。
ハワイ州は、藤平先生が教えと書物を通じて何千人もの州民を、より豊かに、より楽しく、より健康的な生活をさせて下ったことに感謝いたします。我々は
この素晴らしい先生がおやりになる全てにおいて成功なさいますよう祈ります。
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2015年03月04日

映画「KANO」が描く日台の絆

台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教授)
台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教)
忘れられた嘉義農林の活躍
日清戦争の結果、台湾を領有した日本は、植民地当時の一つとして野球を利用した。野球を普及させると同時に、満州、朝鮮とともに外地の中学の代表を日本で行われる全国大会に参加させ、内地との一体化を図ったのである。
だが、やってくるチームの選手はほとんどが日本人であった。現地で生活する日本人子弟が通学する学校が予選を勝ち抜いて出てくるのが通例だった。
台湾代表も大会参加以来、台北一中など日本人選手で構成される台北のチームがは8年連続して甲子園にやってきた。しかし、近藤兵太郎が南部の嘉義農林の監督を引き受け、民族にこだわらず選手を集め、猛練習で鍛えた結果が台湾の地方大会を勝ち抜き、代表として海を渡って甲子園への道へとつながったのである。
この嘉義農林の活躍は戦後の台湾ではほとんど忘れられた出来ごとであった。
50年にわたって統治した日本に代わって台湾を統治することになった国民党政権は、日本時代の遺産を払拭するため、野球もその対象とし、ましてや3民族結束がもたらした甲子園の成果など消し去りたかったのだ。
だが、リトルリーグの世界選手権優勝など、野球が台湾の一体化に効果が在ると判断した政権の方針変更で、ついにはプロ野球まで創設されるに至った。こうした状況の変化の中、先住民が日本に対し反乱を起こした霧社事件を扱った映画「セデッく・バレ」を製作を魏徳聖監督が、この映画のリサーチ中に資料を見つけ、「これは!」と思い、存命中の出場選手はじめ関係者にインタビュ―するなどとして脚本を仕上げた。(正論から抜粋)
私は、野球の顧問として、王貞治氏の名前もあり、技術的指導もあったと推測している。漢民族・先住民・日本人からなるチームを、日本の要人から、指摘を受けると近藤兵太郎監督は、「民族は関係ない!全く関係ない!夫々の若人が一つの目標に向かって頑張っていくことに意義がある!何が問題なのか!」と語気を強めて言い切る場面は、この映画の一つの山場だと思っている。

 私は、過去の台湾の人達、並びに今の人達から、本来の日本人の姿はどうであったか、又、日本人としてどうあるべきなのか、ついて多くを学ばせて頂いた。
児玉源太郎・後藤新平・新渡戸稲造などの先達が台湾でおこなった施策についても
人によって異なる批評もあることは承知しているが、彼らは、少なくとも植民地としての対応ではなく、日本の領地として本土と同等同様な考えで台湾の近代化に臨んだと理解している。私は戦後の教育を受けた。封建制度・教育勅語・修身…、などの言葉には、充分な理解を放置したまま、心をとざしてきた。しかし、今改めてその中身を思慮した時、今の日本人が、忘れさせられた、ものがある。と実感している。
台湾の人達から、その想いを、思い起こさせてくれたことに、深く感謝するものです。私は、心身統一合氣道という武道を通じて、台湾の多くの人達との6年にわたる交流を重ねて来た。台湾に、和を重んじる日本精神、武士道精神を、そして、人をつくり、組織をつくり、国をつくる為の「四維」すなわち、「礼・義・廉・恥」を涵養して、人格の涵養に少しでも役に立てればこれほど嬉しいことはありません。













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2015年02月27日

川崎市の中学生殺人事件

今日、衆議院予算委員会で標記の事件についての質問があった。某委員は、「今回のような事件が起こるたびに、多くの専門家と言われる方の様々な関わりが生まれる。更には、捜査を行う警察、弁護士、裁判所など実に多くの組織と人材が投入されて究明のされていくのが現状だ。本当は、このように事件が起こってからの人の関わりでなく、起こる前に何らかの対処は出来ないのか…」と言う意味であったと思う。
この事件の根は深い。以前にも述べたように、未成年の場合、教育機関だけに目を向けるべきではない、教育との場は、学校教育だけではなく、家庭教育、地域教育と三つが交わる関係の中で成り立つものである。しかし、社会の原単位である家庭において、核家族と言う言葉がマスコミに現れた時期から、少しずつ変化しだした。人生の先輩(お年寄り)が家族から消えてから、経験体験豊富な目で子供観ることが少なくなった。さらには、地域社会、向こう三軒両隣等の意味が、ハイカラな言葉としてコミュニティで表現されるようになってから、地域がお互いに身守る気配が消えていった。
これらは、プライバシー保護、個人情報保護…の権利主張とともに更に深刻化している現状である。夫婦の目で子供を見つめる家庭教育の場が崩壊しつつある現状と、他人の子供達に目を向ける地域の複数の目が消えつつある地域教育。
これらが全て学校教育に被さっている現状である。学校教育は本来すべきものがある。公教育としての学力の涵養である。しかし、今、マスコミなどに一番に登場するのは、学校である。学校という教育の場から子供か一歩離れれば、学校は本来関係が無くなるのが本当ではないか。
その意味で「保護者」としての責任は重いものである。

さて、社会の原単位である「家庭」が子供に充分目を向けるだけの経済的・居住空間などの余裕が出来ているのか…、学校教育は、教師とそれを取りまく学校としての組織が円滑に働いているのか…、前述の「根が深い」と言う意味は、
一つの現象面を平面的に捉えての原因究明ではあってはならないことを言っているのである。
何故このような事件が起こるのか。行政は、過去多くの事を学んできた。それらの成果を生かすことが一大事であり、ことが起こってからその検証をすることが責務ではない。子供の取りまく現状を、地域教育の場が崩壊している現状を、行政が関わる組織づくりが求められるとともに、せめて事故が起こった後に関わる人的資源と同じ位の人的資源を投与して、きめ細かい観察を日常から行うことが必須と考える。さらには、親が子供に余裕を持つことが出来るだけの所得を、国が経済政策でもって責任を果たすことが最大の課題であろう。
安倍政権の責任は重い。
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2015年01月02日

言葉の力

日本のリーダーに求められる「言葉の力」とは、立命館大大学院
(言語学)東昭二教授は次のように述べている。

「言語学者の批評として、今の政治家の演説には、「フレーム」が
欠落していると言われている。
フレームとは、クラシック音楽がを例にとると、「モチーフ」。
調べが繰り返される中、浮かび上がる主題のこと。
その点、米国のオバマ大統領は演説に定評がある。
その特徴は、自分の話ではなく、聴き手側の話を中心にしている。
日本の政治家は、「言葉が最大の武器」という意識が低い。
自分がどんな風で語り、どんな言葉を多用しているかを意識せずに
話す人が多く見られる。
社会言語学の研究によると、日本人は「わきまえ行動」をとりがちとされてる。
場をわきまえて社会的なルールや仕組みに沿って話したり行動したりすることを
重んじるらしい。だから、演説にしても、「演説とはこんなもの」という「わきまえ」が前提として
政治家言葉や口調で話そうとするため、聞き手には伝わってこない。
そして日本の政治家は300年前の啓蒙思想に取りつかれている人が多い、
とも分析されている。
現代のリーダーの言葉に求められるのが説得力である。
その意味でフレームの内容は別として、みんなが共感するフレームを提供するのが
一国のリーダーに求められる能力である。」と。

確かにそのようである。
日本の政治家は、何故話がヘタクソなのか。アメリカのオバマ大統領の演説は、
言葉はわからなくても、何故か、その言葉のリズムあるいは、感情の入れ方、
顔の表情から、此方に伝わるものが感じられる。

一つには、心から體を動かすような、琴線に触れる言葉や表情が自らのものとして
出していないからではないか。

話は違うが、合氣道の塩田剛三氏は、合氣の説明に「中心力」という言葉だけしか
喋られない。植芝盛平翁は、難しい宗教の言葉を引用して語られた…。
心身統一合氣道創始者籐平光一氏は「氣」と「臍下の一点」。

しかし、よく考えると、的を得ている。
「共感する主題」をあらゆることを試されてきて、「恐縮された言葉」となって
吐き出されたものであろう。 一貫してプレがないのが特徴でもある。

「言葉の意味」と「言葉の力」を深く認識してみることが重要である。
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自分の中に宇宙生命と森羅万象を観る 自分の中に宇宙生命と森羅万象を観る

この文章は、合氣道創始者植芝盛平翁に仕えた内弟子の方が日頃の翁との会話の中からメモをした言葉を纏められたものである。一般には、難しい宗教用語をもっての説明で、その意味を知るのは難しいものであった、と云われているが、実は、そうでない一面を知ることになる。その一部を紹介する。

「生命を粗末にするような奴には合気道をやる資格はない。わしは武道の真髄として万有愛護を教えておる。お前さんはこの植芝が、神社を作っているのがわからんのか、合気道は、ワシが作ったものじゃない。

合気道は宇宙の法則秩序を体術を通じて覚醒してゆく学びだ。
君らの生命という名の歴史を顧みれば、「万有愛護」の原点、お前さんは宇宙から来ているんだよ!

神を何処でみるんだ?自分の中だ、自分の中にある宇宙生命と森羅万象の中に脈々と生きている生命は、同じものなんだよ。
つまり万有愛護も自分の中にあるのだ。
そういうことがわからず、殺生する者に合氣道修業の資格はない。

山河草木は自己の延長であり、逆に森羅万象の延長が自分である。
自分の體で、手足はもちろん、髪の毛一本、自分で作ったものはない。

それに氣づかずして、合氣道はない。合氣道は森羅万象からも学ぶものだ。大自然の営みを見て、合氣の何たるかを悟らなければならない」

この文章が本当に植芝盛平翁が喋られたのかどうか、についてはその真偽を確かめるすべはない。
しかし、大筋においてその通りの想いは感じ取ることは出来る。

盛平翁の高弟であった人物、当時の合氣会の総師範部長であった合氣道十段位の藤平光一師範が
新しい角度から合氣道を見つめて、盛平翁の思想を系統的に分かりやすく分類して、一つの合氣道として確立したことは新しい武道の在り方を示したものと思う。

具体的には、徳富蘇峰からもその才能を認められた藤平師範が、二十一項目の内容からなる言葉を「誦句集」に纏められた。その内容は、実に、植芝盛平翁の言葉を包括してものである。

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2014年12月19日

台湾花蓮市へ

大阪日台交流協会の要請で12月12日〜16日まで、日本の武道、心身統一合氣道を伝えるために、国立花蓮女子高級中学校に参りました。花蓮との出会いは、1981年に日本に「蓬莱会(会長島津憲房先生)」が在ることを知りました。島津先生は台湾で台東小学校長、台南の国民学校長等を歴任され、数多くの台湾の子供たちを深い愛情で教え導かれた先生です。そして島津先生編纂の「台湾への架け橋」という一冊の本か刊行されました。その編集責任者山本良一氏との出会いでありました。山本氏は、台北師範学校を卒業後、花蓮縣大庄公学校(現東里)に勤務され、帰国後は、東大農学部卒、大阪堺中学、茨木高女で教鞭。茨木市議会議員等を歴任されました。山本氏から、「是非花蓮へ行って見て下さい」と言われておりました。心身統一合氣道の指導の為、台北、新竹、基隆、淡水は5年間で10回訪ねていますが花蓮は今回が初めてでした。日本人が住んでいた多くの建物などが残されており、その修復が今も続けられていることをお聞きした時、山本氏の思いが伝わって来ました。多くの方との出会いは、必然です。これから年に3回、指導に参る予定にしています。
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2014年10月13日

何のためにの稽古


これは、「合氣道の稽古は、心の洗濯、禊であると思うのですが?!」と言う、ある方からの質問に答えたものです。

 「 そうですね。大きく纏めればそのように言うことが出来ます。しかし、心の洗濯、禊を合氣道の技で具現化、説明をすることが出来るかどうかです。私達は、合氣道は「天地の氣に合する道」として、「氣」を自覚し「心が體を動かす」原理を学びます。如何なる状況におかれても、心身統一(心身一如)を保ち、冷静沈着に自らを制御出来るか、です。これを心身統一道で学び、其の體が動き出すと、心身統一合氣道になります。このための原則を、実社会、家庭生活等に活かしていくことが重要です。いくら上手に人を投げても、意味がありません。しかし、投げることだけに学んでおられる方は、別ですが…。植芝盛平翁は、「合氣は愛じゃ」「我則宇宙」「我舞えば宇宙舞う」などと表現されました。そして、それを合氣道の技で示されたのです。藤平光一翁(合氣道最高十段位・心身統一合氣道創始者)、その意味を持つ技を四大原則・五原則で具体的に示され、「万有を愛護し、万物を育成する心をもって、我が心としよう。心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である」と喝破されました。そして、合氣道の基本技を整理されました。其の技は、すなわち、自らの人格の形成のために、技を方便としているのであって、投げることが、目的ではないのです。しかし、この定義は、個々によってことなりますから、自由になされればよいと思います。参考までに。」


 私は、今から15年前から、大きく変わりました。そして武農合一を説くようになりました。何を言っても、天地との対話が重要です。昼は、野畑を剣を鍬に持ち替えて、大地と対話。そして、日が暮れれば、満天の星空を仰ぎ、一日生かされたことを、感謝します。その結果、天地は、実りの褒美を授けてくれます。

 野菜の種を蒔き、大きくなるまで、朝早くから手で虫を取り、水をやり、我が子のように愛でながら育ちを待ちます。収穫前のジャガイモ・さつまいもを猪に食べられてしまいました…。猪には罪はありません。只、眼の前にあるものに空腹を満たしただけ…。猪の食べ残したものを、小さなイモ三個…、有難く頂きました。

 畑仕事での休息は、野畑の中で、手づくりの木刀と杖で無心に體を動かします。しかし、大半は、氣の静坐と氣の呼吸法で過ごします。大地の氣を体内に吸い込み、そして又、無心に備中を振り上げ、地を耕します。ミミズが顔を出しました。丁寧に横に移して、又、畑に戻してあげます。
今までにも何度も書いてきました。力を抜いて、大地に感謝の念を示しながら天人地と鍬を振り上げて下ろす。大地は快く受け入れてくれます。しかし、少しでも力が入ると、大地は反発して、受け入れてくれません。この事実は、やってみる者しかなければわかりません。感謝報恩の心を…。

 小さな小さな種一粒から大きな野菜が出来ます。あの小さな種の中に、宇宙の神秘が詰まっているのでしょう。生命の不思議さを感じると共に、天地の創造者の崇高な心を感じます。
人も又、その中の一つであることを思い感じる時、自らが何処へ行こうとしているのか、これも天地に任せよう…。ただ、今この一瞬を真剣に生きることが今の自分に与えられたものだ、ということを…。その積み重ねが未来を創るのでしょう。
合掌 弘心
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2014年10月04日

武と農


武農合一

リラックスをした時、體は偉大なる力を発揮出来ることを、自覚した。
力を抜けば、氣が出る。このことは、只、心で思うだけで良い。それ以外は全て放下する。

心身を統一した時、自らは宇宙の氣から生じたと自覚する時、自らの下丹田に宇宙の中心の一点を包蔵していると認識した時。

我則宇宙・我舞えば宇宙舞う・合氣は愛(争わざるの理)を自覚する。
心身統一合氣道は、対峙する相手を天と地に、いざなう、のである。

 そして、対峙した相手が一瞬、統一體を崩した時(宇宙との調和を破った時)其の時既に相手は敗れている、のです。ここまでの到達に、数十年を要した…。

 これらの全ては、大地との対話(自然の恵みを頂くため、剣を備中に持ち替えて、大地を耕し、種をまき、その果実を頂く)から与えられたものだ、感謝で一杯。合掌 弘心。
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2014年09月27日

「血圧は、ほっとくのが一番」



 二十年続いた高血圧の薬を止めました。その理由は、八年間で基準値が50も下がったことと、降圧剤に対する疑問からである。
高槻市に在住時、高血圧症の治療でK医院のK医師に見てもらっていた。T病院に勤務の後、開業医となられた。勤務先から近いので便利との意味もあった。
K医師は、専門医として優秀で評判が良い医師である。パソコンの画面を見ながら、「分かりました。責任をもって120まで下げましょう!」と言い切られた。その日が、三種類の降圧剤を投与された。
数日経って、家庭で血圧を測ると、見事に120を切って100である。しかし、その薬の副作用を調べてみると、とても安心出来たものではなかつた。「倦怠感、疲れやすい、動くときの息切れ、むくみ、ふらつき、高所作業、自動車の運転など危険の伴う作業には注意、関節痛、吐き気、おう吐、発疹、口内炎、精力減退、乳房が大きくなるなど…」である。決定的なのは、「カルシウム拮抗剤」は、投与試験の結果、癌になる傾向が伺える」と記述されていたことである。
その時、医者から投与された薬の薬名が、降圧剤データー改竄事件の主役の薬「ディオバン」であった。
 それでは、一体誰が高血圧の基準値を決めるのだろうか。それは日本高血圧学会という、医療研究者が委員を務める組織が決める。その学会が五年に一度「高血圧治療ガイドライン」という冊子を出し、日本中の医師はそこに記されている基準値によって、ほとんどの医者がそれに従っている。故にガイドラインは非常に大きな影響力を持っていることは言うまでもない。高血圧学会は、製薬会社とべったり癒着していると言われている。それが明るみに出る衝撃的な事件が、2013年7月に起こった。これが京都府立医大、東京慈恵会医大、千葉大、滋賀医大と、製薬会社ノパルティスファーマ社による、降圧剤のデーター改竄である。その降圧剤の薬名は、ディオバンであることは言うまでもない。全く薬効が認められないのに、効果が出たようにデーターを改竄していたのである。そしてその薬は、爆発的な人気がでて、年間1083億円売り上げた。しかし、外国(アメリカ)では、冷やかな対応であったという、即ち学会で発表には至らない内容であったからである。
 そして、血圧の基準値が根拠のないまま、どんどん下がっていく、即ち、1987年高血圧基準値(mmHg)180/100が2011年には、130/85と実に五年で基準値が50も下がっているのである。
患者数派230万人が五年で5500万人に増えている、いや増やされているのである。その結果、降圧剤の売上が前述の薬名のものだけで2012,年度の国内売上額は、約1083憶円ととてつもない売上であった。しかし、一度、高血圧と言われた患者は、死ぬまで飲み続けなければならないのである。副作用に身を委ねながら…。昔は、年齢に90を足したものが高血圧の基準と言われていた…。
血圧が180でも大丈夫という根拠は…、これも実に明快である。過去に厚生省の事業の一環として行われた実験で、高齢者に降圧剤は、効果が無いという結果が示されたからである。それだけではなく癌の発症率は降圧剤を使用したグループの方が高いという結果で出たのである。だからといつて、暴飲暴食をしてもよいものではない。玄米や採食を中心として、心が體を動かす原理を自覚した適度な運動と、「氣」を充実させることは言うまでもない。
 話を元に戻そう。高血圧は、病気ではないことが分かった。「血圧が高いと脳梗塞になる可能性があるが、どうですか?」 との質問が多い。脳梗塞は高血圧が原因といわれているが、実はそうでない。逆に血圧が低い時におこる疾患である、という事も分かった。さらに、降圧剤を飲んでいる人は、飲んでない人に比べて脳梗塞の発生率は二倍になる、と言う事も。
 今、降圧剤を止めて一か月になろうとする今、ふらつき、倦怠感、ねむけ、関節痛、などが消えてしまった…20年前に戻った。
血圧は個人差があり、特に年齢とともに上がっていくものである。それが20才から80歳までを一律120、130などと決めつけることが間違いである。
病気でもないものを、病気だとして、薬を飲ますのは、詐欺ではないのか。
 今の世の中は、「偽」で満ち溢れている。一流企業の代表者で最高学府を出て地位も財産も得た者が、うそをつく、ごまかす、いつわる、だます、…でマスコミの前で頭を下げている姿を何度も見せられた…、さらには、謝罪、謝ることを指導するコンサルタントがあることには、唖然とさせられた。県会議員の政務費の「偽」、特に許せないのは、朝日新聞の従軍慰安婦問題、福島第一原発を巡る吉田所長の会議録、企業の社長の発言をインタビューをしていないのにしたようにしての記事、評論家I氏の連載を都合の悪いことを喋らせないために、突然の中止…などの誤報と偏見記事。そして日が経ってからの社主と役員の謝罪。すぐに朝日新聞を止めて、毎日新聞にした。(しかし、毎日新聞も宗教法人の新聞の印刷を受注しているため、その宗教法人の記事には敏感になっているとの噂…)。
 菅子の言葉に、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち「偽、私、放、奢」。そして、人を創り、組織を創り、国を創るのは、「四維」即ち「礼、義、廉、恥」を知ること。まさに今の日本人に求められているのではないか。
今、私は、武道(心身統一合氣道・合氣武術・小野派一刀流など)と天地との対話を通じて、錬氣・表武・実践に励んでいる。
posted by 弘心 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする