我が青春時代
社会に出て、地方公務員として38年を過ごした。在職中での人との出会いは4,721人。「人との出会いは、決して偶然ではなく必然である」と学んだことが自分を大きく変えた。
都市工学を学び、街づくり、道路・橋梁・衛生工学と関連施設、都市公園、都市緑地、市街地再開発事業、鉄道工学と鉄道の連続交差事業、地域防災計画…など多くのプロジェクトを基礎調査・基本計画・実施計画・施工まで携わった。
当時人口十万人の高槻市は、市歌にも唄われているように、
市歌(昭和22年10月15日制定 芳賀 武 作詞 西川得了 作曲)
東真澄める淀の水 西ははるかに妙見の
眺めすがしき北摂に 誇る緑の健康地
沃野の幸の満ところ おお田園の高槻市
おお田園の高槻市
(西川得了先生は、私の一中時代の音楽を習った恩師である。今になれば、田園都市…というのは、はばかれる思いですが…)
当時は、おお田園の高槻市…田んぼばかりで、木造平屋建ての国鉄高槻駅から遥か淀川の向こうの枚方市まで一望できた。
街の骨格作りとして、環状線として市道野田下田辺線を新設。そして市道番田大塚線、西の川原塚脇線、二中西線。都市計画道路阪急北側線、都市公園…、など多くを手掛けた。
今から思えば、エべネーザハワードの田園都市論に沿った街づくりの根幹を総合計画の基本構想とすればよかったのに…と後悔している。
昭和40年代に入って、大きく変貌する。高槻市は、京都大阪の中間に位置し、それぞれ15分で行ける…。その為に人口急増都市として全国的にも有名となった。おおよそ10年で人口が倍になったのである。人口増の為、宅地造成があらゆるところで進み、まさに宅造ラッシュであった。
一つの例として、児童の数が増え、学校の新設の為の費用は市の総予算額の60%を占めるに至った。
その為、教師も全国行脚をして確保。更には、大阪府の教育委員会が不採用とした人員までも確保するに至った。これが後に、教育上の大きな問題を抱えることとなる。
同時に、この為、高槻市のインフラ整備は、大きく後退した。
又、民間のマンション計画が乱立して、日照問題、環境問題など地域住民との係争問題が起こった。
建築主から建築基準法に基づく手続きが市になされた場合、市は一定の条件が成立すれば、二週間以内に許可をせざるを得ない状況が生じた。
当時はまだ環境アセスメントなどの言葉さえなかった時代。市は苦慮することになった。
そこで、高槻市は将来、開発される地域を定めて、先にこのような事業計画であれば許可する、というマスタープランを作成することにしたのである。
それが功を奏して、開発業者と地域住民との係争問題は少なくなった。
しかし、宅地造成事業法に基づく宅地開発は、一定の割合で道路・児童公園などを確保しなければならない仕組みになっている。実際出来上がった児童公園などは、開発区域の一番隅っこに作られたり、断崖絶壁の上に、あるいは長い階段の上に造られたりしている場合が多々ある。そこには、将来住む子供や高齢者のことは、二の次とされたのである。便利なところは、宅地して…という利潤追求が優先した。
私が公園緑地課長をしていた時、宅造法関係の計画には、市が先に造成計画を作り、さらに事業の損益分岐点をはじき出して、造成主に示し、適切な公的敷地を提出して頂いた。そのことにより住民の使い勝手のよい公園などがうまれたのである。
行政は、難に為に存在するのか、地方自治法の理念にあるように、「地域住民の生命と財産を守るため…」にある。
このことを自らの中心において業務を行えば間違いはない。
つづく
2022年02月05日
2021年12月04日
来年は大変な雪積が…。
今から11,年前に書いた記事が目に入った…懐かしい…。
(2009年01月15日)
修練始め
窓を開ければ、雪だった…。
それも30p以上の積雪である。
まだ降り続いている…。
この調子だと、車での移動は不可能かもしれない。
とりあえず、昼までかかって除雪にかかる。
時折、村の唯一の連絡道に除雪車の音がするくらいである。
人通りもない…。
あたり一面白色の中に静寂が漂う…。
2時間かかって、20mほど除雪した。
何年か前にもあった。その時は、二日かかって除雪して
やっと脱出出来た。
このように道路・屋根の除雪を日課のようにして、冬季を
過ごすことを考えた時、都会の喧噪に慣れた人間には、
到底理解できないであろう。
しかし、現実は限界集落などと言われて、村民の50%が65歳
以上が占めると、自らの生活行動にも支障をきたす。
次第に除雪作業も出来なくなる…。
このような苦しみは、実際にその場に住んでみなければ
その本当の辛さは分からない。
以前にも書いたが昭和40年代、新都市計画法・都市再開発法が
誕生した。
そして、全国の駅前に「市街地再開発事業」が計画された。
高槻市も都市再開発法第1号の事業計画を当時国鉄高槻駅南地区
市街地再開発事業として策定された。
当時、市の都市再開発部企画室長として、国や府と協議を
幾度となく重ねたことは言うまでもない。
その中で、田中角栄氏との会談は忘れることができない。
公共事業の話題になった時、彼は「…一生雪国に住む人間の
苦しみは、到底お分かりではない。道路や隧道の必要性は
あなた方が再開発事業を望まれる以上に切実なのです。
一本の道路・橋への想いはその地域に住む人の先祖代々の
血の滲む想いが積み重なっているのです…」と。
彼の眼が異様に鋭くなったのを昨日のように思いだされる。
事業着工に必要な60億の財源(起債)、キーテナントの
誘致など元御蔵省の銀行局長、町村自治大臣、総理大臣の
子息など…この事業は多くの方の力をお借りして、完成を見た。
当時の人たちには、何か今の官僚、大臣とは異なるものを
持たれていたように思う。光があった。
それは管子が説く、「四維」が働いていた。
即ち、自分造り、人作り、国造りの全ての根本となるもの
礼・義・廉・恥である。
功利に走り、便利さに氣を奪われて、人間というものの
あり方、生き方を見失ってしまっている現代と言っても
過言ではない。
今年も一隅を照らして生きたい。
雪が少し小止みになった…。
天地に向かって、無現の氣を発しよう。
(2009年01月15日)
修練始め
窓を開ければ、雪だった…。
それも30p以上の積雪である。
まだ降り続いている…。
この調子だと、車での移動は不可能かもしれない。
とりあえず、昼までかかって除雪にかかる。
時折、村の唯一の連絡道に除雪車の音がするくらいである。
人通りもない…。
あたり一面白色の中に静寂が漂う…。
2時間かかって、20mほど除雪した。
何年か前にもあった。その時は、二日かかって除雪して
やっと脱出出来た。
このように道路・屋根の除雪を日課のようにして、冬季を
過ごすことを考えた時、都会の喧噪に慣れた人間には、
到底理解できないであろう。
しかし、現実は限界集落などと言われて、村民の50%が65歳
以上が占めると、自らの生活行動にも支障をきたす。
次第に除雪作業も出来なくなる…。
このような苦しみは、実際にその場に住んでみなければ
その本当の辛さは分からない。
以前にも書いたが昭和40年代、新都市計画法・都市再開発法が
誕生した。
そして、全国の駅前に「市街地再開発事業」が計画された。
高槻市も都市再開発法第1号の事業計画を当時国鉄高槻駅南地区
市街地再開発事業として策定された。
当時、市の都市再開発部企画室長として、国や府と協議を
幾度となく重ねたことは言うまでもない。
その中で、田中角栄氏との会談は忘れることができない。
公共事業の話題になった時、彼は「…一生雪国に住む人間の
苦しみは、到底お分かりではない。道路や隧道の必要性は
あなた方が再開発事業を望まれる以上に切実なのです。
一本の道路・橋への想いはその地域に住む人の先祖代々の
血の滲む想いが積み重なっているのです…」と。
彼の眼が異様に鋭くなったのを昨日のように思いだされる。
事業着工に必要な60億の財源(起債)、キーテナントの
誘致など元御蔵省の銀行局長、町村自治大臣、総理大臣の
子息など…この事業は多くの方の力をお借りして、完成を見た。
当時の人たちには、何か今の官僚、大臣とは異なるものを
持たれていたように思う。光があった。
それは管子が説く、「四維」が働いていた。
即ち、自分造り、人作り、国造りの全ての根本となるもの
礼・義・廉・恥である。
功利に走り、便利さに氣を奪われて、人間というものの
あり方、生き方を見失ってしまっている現代と言っても
過言ではない。
今年も一隅を照らして生きたい。
雪が少し小止みになった…。
天地に向かって、無現の氣を発しよう。
2021年11月19日
我が人生に悔いなし…。
1940年大阪市北区池田町天神橋五丁目)八番地に生まれる。
稼業は奧山鉄工所(大北工業株式会社の前身)。軍事景気で岡山支店、名古屋支店、東京支店と拡大。若柳流の名取でもあった父は、昼休みや就労後に若い職人を相手に、武術の稽古をしていたのを覚えている。私が五歳のころ受け身などを教わった記憶がある。それは邇心流合氣武術というものでした。
大阪大空襲がある、とのことで菩提寺のある高槻へ疎開。大八車に荷物を乗せて…歩いて高槻へ。空襲後に家を見に戻った時、長柄大橋の下に、死者が累々とある中を、歩いて行ったのを強烈な印象として残っている。
疎開先の田舎暮らしでの母の苦労は、言葉で言い表すこともできないものでした。戦中,戦後を生きてきた…
昭和31年頃だったと思う父から東京へ来なさい、合氣道なるものが東京日本橋高島屋で初めて公開されるから…とのことで見たのが最初でした。
強烈な印象でした。小柄な老人があんなに早く動き、投げることが出来るのか…が第一印象。合氣道創始者植芝盛平翁を見た最初でした。
東京支店での父との生活と学業が終わり、母のもとへ…。
昭和38年高槻市へ奉職。都市工学専門家として、都市計画、まちづくりに専念。国鉄南地区市街地再開発事業、阪急電鉄京都線連続立体交差事業、総合センター建設、前島焼却場建設、都市緑地、地域防災計画…など、主にビッグプロジェクトを担当…。その間、4、721人の方との出会い…多くのことを学ばせていただいた。特に1995年1月17日の阪神淡路大震災は、市長特命の防災担当理事として、その後の私の街づくりに大きな影響を与えました。
昭和46年3月26日…私のデスクに一本の電話、「和樹が…事故で死んだ…」
土筆とりに隣の子供と行っての帰り道…東海道本線の踏切事故でした。マリア・インマクラダ幼稚園を卒業して、小学校入学十日前のことでした。
それからの数年間は、私は肉体的にも精神的にもボロボロになっていきました。
自らを取り戻すため、合氣道にのめり込んでいきました。
昭和46年「合氣会」で植芝盛平翁、藤平光一師範部長との出会い。合氣道を本格的に始動。49年五月に初段允可。52年三段允可。52年6月25日に(財)氣の研究会へ移籍。
心身統一合氣道創始者藤平光一宗主のもとで修行。
合氣道の指導は、高槻教室から始まりました。事故で長男を亡くしたことがきっかけとなった。1974年(昭和49年)に始まり実に47年になる。
私は三歳の時から、父奥山喜峰に邇心流合氣武術を学んでいた。そして植芝盛平翁(合気道之創始者)に合気道、藤平光一宗主に氣・統一道・心身統一合氣道、中村天風老師に心が身体を動かす原理、日野鐵叟老師に人としての生き方、安岡正篤老師に陽明学・知行合一などを学んだ。
生涯の師である藤平光一宗主の指示で日野鐵叟老師のもとで修業をした時、日野鐵叟老師の言葉が、私の生き方を180度変えた。
それは麦八分米二分の麦飯をいただいていた時、「此の麦があなた方の前に出てくるまで如何ほどの人の手を煩わせたのか…お分かりかな。自分一人の力で生きているなどと言えたものではない…生かされていることを自覚しなさい」「そして生かされている恩を他の人にかえしなさい」その一言でした。
高槻教室は当時子供クラスで120人、二組にわかれて二部制での指導。それでも60人…大変な思いをした(無償で指導)。高槻警察署の道場を借りていた。ある時,警察署長から「トイレットペーパーに小便をかけている子供がいる。注意してほしい」との苦情が出た。
幼稚園児が三割を占めていた。高槻では有名な私立幼稚園でシスターの手におえない園児はみんな「奧山先生のところへ行きなさい」と言われて来ていました。その中の一人Aさんでした。母親と一緒に入会の手続きに来られた時、二人ともブランド物の服…きちっとした座り方、テレビは見ない、何時も本を読んでいる…などと模範的親子でした。その子供が何故…。母親は泣かれました。
「一昨日の午後三時ごろAさん何処におられましたか?」「はい、○○さんの家に…」
母親は何時いかなる時も、子供の行動を把握していたのである。自分の手の平からは出さなかった。
そして、Aさんは、どの様にすれば、どう答えれば親は喜ぶか…を。
しかし、道場へきて、様々な子供と接するうちに、子供本来のいたずら行動をとっていたのです。
子供は七年ごとに変わる。それは行動・感情・思考の順に…第一反抗期、第二反抗期など話をさせて頂きました。それからは、Aさんの目に輝きが戻ったことは言うまでもありません。
その後、大阪市北区天神橋五丁目八番地の実家で一階の道場(弘心塾道場)で指導。
2000年高槻市を定年退職、みずほ信託銀行を経て2004年、総てを捨てて、高槻市から舞鶴市へ…。一からの出直しと言ってよいほどの状態でした。
剣を鍬に持ち替えて畑を耕していました。
総数130戸ほどの小さな小集落…、その村の区長(自治会長)宛てに、合氣道教室を開催する旨の案内書を持って挨拶に伺った。
古民家を買い解体して新しい自宅を建て併設した道場(弘心塾道場)で村の子供六人が来てくれました…。
そして更に発展させるため、市が管理する仮設の柔道場を借用して始めたのが後の東舞鶴教室なのです。
大人の会員は一人で二人の修練は長く続きました…。
2007年の2月の雪の降る日に、男性と女性来られました。
台湾からの来客、台湾合氣道五段の呂承榮老師。「氣」のことを教えてほしい、とのことで来られたのでした。
それから台湾との交流が始まりました。
台湾の80歳以上の方は日本語を喋られます。
台湾は日本が明治27年に清から譲渡されました。
児玉源太郎を総統として、後藤新平、新渡戸稲造らと共に日本と同等の教育を行ってきたのです。
その意味で今の日本人が忘れられている古き良き時代の日本精神を培っておられることが分かりました。
私は台湾の若い人たちに古き良き日本精神について、心身統一道・心身統一合氣道を通じて伝えようとしたのです。それが私を台湾へ駆り立てる原点なのです。
そして東呉大學、文化大學、台湾大學、台湾教育大學など更には一般道場との交流。年二回の訪台での指導と、月一回のスカイプでの指導。14年が経ちました。
二段一名、初段二名、一級一名、四級一名、五級一名。コロナ禍がなければ皆さんの段位もあがって台北教室が充実できたのですが…。コロナ禍がおさまれば、台湾では、台南市、高雄市、花蓮市に教室を。国内では、宮津教室、与謝野教室、豊岡教室を開設する計画です。
以上
2021年07月13日
今日の言葉
「心の落ち着きと真理を理解する力をもつ」
真理を理解する力がない人は心に落ち着きがない。
心に落ち着きがない人は真理を理解できない。
真理を理解する力がなければ、様々な欲や感情に惑わされてしまい、心は荒れる海のようにざわめき、何時も不安な気持ちがつきまといます。それでは落ち着いて物事を判断することは出来ないでしょう。
又、感情やよくに従い、心を落ち着かせることがなければ、真理を理解する力を得ることはできません
心の落ち着きと、真理を理解する力
兼ね備えてこそ、心の平安を得られるのです。
その為には、次の四つの問いに、答えなければなりません。
@ あなたは、何のために生まれてきたのですか。
A 今、あなたは何のためにいきているのですか。
B あなたの心は、何処にあるのですか。
C 心とは何なのですか。
即ち、「すべては心に始まり、心で終わる」という真理を自らのものとしなければなりません。
「人生のすべては自分の心が映し出す」からであります。
2021年06月28日
昇段された皆さんへの伝言
おめでとうございます。
さて、皆さんに伝えなければならないことを書き記します。
今回の昇段審査での皆さんの昇段は一人で成されたものではありません。多くの方の力添えと、心遣いを受けての結果です。そしてその恩を返していくという心がなければなりません。
心身統一合氣道の基本となるものは、「争わざるの理」。目的は「人格を造る」ことにあります。このことを理解してください。そして、目的に向かって実践してください。
一般社団法人心身統一合氣道会では、会員規則、指導者規則など細かくその責務について定められています。
一度、読んで頂き理解してください。会則、規約を不履行として、退会や除名処分になった方が少なからず存在します。
昇段したからといって、言葉遣い、非常識な行動、指導者に対する不遜な言動などは、本会が一番忌み嫌うことです。
有段者は、心してください。
将来、会の指導員として、活躍して頂くことを望みます、しかし、その為には、日常の生活の中に、心身統一合氣道の真理を活かすと共に、自らのものとしなければなりません。
その意味では、総ての方が指導員的立場になるとは限りません。統一道・合氣道の技を自らのものとしているか、人を導くことが出来るか、人格の涵養がなされているか、などについて厳しく精査いたします。
他の武道について少しお話いたします。高段者がその上の段を允可されることになりました。しかし、高段者は、辞退されました。その理由は「允可をうけることにより、今以上に日常におけるすべての言動が白日のもとで見られていくことに、自信が持てません」というものでした。
この方が允可を承諾されます時、素晴らしい人格者となっておられることと推測致します。
このように真の人間としての真理に目覚めることこそが一大事であります。
今後の皆さんに期待申し上げます。
さて、皆さんに伝えなければならないことを書き記します。
今回の昇段審査での皆さんの昇段は一人で成されたものではありません。多くの方の力添えと、心遣いを受けての結果です。そしてその恩を返していくという心がなければなりません。
心身統一合氣道の基本となるものは、「争わざるの理」。目的は「人格を造る」ことにあります。このことを理解してください。そして、目的に向かって実践してください。
一般社団法人心身統一合氣道会では、会員規則、指導者規則など細かくその責務について定められています。
一度、読んで頂き理解してください。会則、規約を不履行として、退会や除名処分になった方が少なからず存在します。
昇段したからといって、言葉遣い、非常識な行動、指導者に対する不遜な言動などは、本会が一番忌み嫌うことです。
有段者は、心してください。
将来、会の指導員として、活躍して頂くことを望みます、しかし、その為には、日常の生活の中に、心身統一合氣道の真理を活かすと共に、自らのものとしなければなりません。
その意味では、総ての方が指導員的立場になるとは限りません。統一道・合氣道の技を自らのものとしているか、人を導くことが出来るか、人格の涵養がなされているか、などについて厳しく精査いたします。
他の武道について少しお話いたします。高段者がその上の段を允可されることになりました。しかし、高段者は、辞退されました。その理由は「允可をうけることにより、今以上に日常におけるすべての言動が白日のもとで見られていくことに、自信が持てません」というものでした。
この方が允可を承諾されます時、素晴らしい人格者となっておられることと推測致します。
このように真の人間としての真理に目覚めることこそが一大事であります。
今後の皆さんに期待申し上げます。
2021年05月02日
今から60年ほど前の話 二題
フランク永井・「霧子のタンゴ」
大阪で初めて歌謡大会がありました。審査委員長は当時一大人気の林伊佐緒氏.確か中央公会堂で参加者は50人。一日かかりでした。
予選本選と同じ曲を歌えばよかったのに、曲を変えました。
結果二位に終わりました。若かりし頃の懐かしい想い出です。
その後は、牛乳石鹸歌謡学校のメンバーとして、週一回電通スタジオへ行っていました…。又、コマーシャルタレント養成に参加…、当時フジテレビのロイジェームスと共演してほしい、と言われましたが…断り。その後、エコー歌謡学院で松山恵子氏と一緒でした。彼女とは京都のベラミーでお会いしたのが最後でした…。何年も前に亡くなりましたが…。
私は今も歌は続けています。一時は、プロになるつもりでした…しかし、父親にいわれて東京へ…懐かしいですね…。
神戸一郎・「十代の恋よ さようなら」
大阪南の国際会館(映画館)で映画の前に公開録音がありました。市村俊行の司会。素人物まねコンクールにこの曲で出ました。一位入賞。
公開録音の前に、まだ駆け出しの藤田まこと氏が淡谷のり子の物まねで出ておられました…。毎日放送の人が「まこっちゃんておもろい男やで!」と言われていました…。しばらくして、「てなもんや三度笠」後年には、「はぐれ刑事純情派」「必殺仕事人」など人気がでました。彼は歌手のフランク永井氏とも昵懇で彼の歌も歌っています。又、彼の歌「十三のねぇちゃん」は当時、十三のクラブなどで大ヒットしました…。
神戸一郎氏とは大阪北のクラブで交流を深めました…懐かしい思い出です。
お二人とも今は亡き方ですが、私の心には永遠です…。
2020年08月27日
「武」を極める
次に「…自らの人生は、自らの心がきめる。そして、すべて心で始まり心でおわる…」という言葉があります。
私は心の法則について、修練場で三年間話をさせて頂いた。
武道、華道、茶道など全てにおいて、自らのものとするためには、その根本は「心」の問題を解決しなければならないことを伝えました。
いくら技を習得して上手くなったとしても、真の意味で役には立たない。
合氣道を例にとれば、理念は「争わざるの理」。目的は「人格を造る」ことにあります。
最初に、
・何のためにうまれてきたのか
・今何のために生きているのか
・あなたの心はどこにあるのですか
・心とは何なのですか
・幸せとはどの様なことを云うのですか
・心を清らかにするとはどういうことを云うのですか
・真善美、善とはどのようなことですか
・氣づき即行、現実大肯定・清濁併せ呑む、とはどの様なことですか
このことについて、即座に答えがかえってこなければならない。
すなわち、以上の言葉を頂点にして、自らのものとして、確固たる不動心を得なければならない。
真・善・美の持つ真理を掴むことが重要です。
「心が身体を動かす」という原理を日常生活の中において、実践することです。
いま目にしたこと、出会ったこと。いまおこっていること、など一瞬の変化に全てが決して偶然ではなく必然である、と認識することが最重要です。
すると心と身体が今までとは全く異なった反応を示すようになります。「心が身体を動かす」ということに意識が働きだすのです…。
ここまでが一段階です。つづく
2020年08月10日
舞鶴市の建設事業不正事件
事件の顛末
京都府舞鶴市が水道管敷設工事を発注したところ施工済みだったことが判明し、受注した業者に対し、別の工事を発注していたことが3日、市への取材で分かった。新たに入札などを行っておらず、専門家は「きちんと契約を結び直すべきだ」と市の対応を批判している。
市によると、昨年5月30日、同市溝尻中町の水道管の取り換え工事で指名競争入札を行い、市内の業者が約122万円で落札した。業者が6月に試掘したところ、該当工事はすでに行われていた。このため、市はここでの工事を取りやめ、同市森本町での別の新設管敷設工事を同じ業者に追加発注した。この際、入札を行ったり随意契約をしたりしなかったという。
設置する水道管の直径が異なったため、契約金額は当初工事の倍以上となる約259万円だった。
同市は「森本町で水道水が濁るなど緊急性があった。法令違反などはなかったが、契約変更のやり方は不適切だった」と釈明。なぜ工事が終わっていたかなどは分かっておらず、「お粗末な限りで管理が適切でなかった」としている。入札制度などに詳しい法政大学大学院の武藤博己教授(行政学)は「ありえない事例だ。緊急性があったとしても、手続きを簡略化するなどして契約を結び直すことが普通だ」と批判している。
対策
今年に入って新聞沙汰になった事件はこれで二度目である。このような小さな事件が起こるということは、実際表に出た以外にあるのではないか…。と疑いたくなる。蟻の一穴が破壊(大事件)につながらなければよいと願う。
此の事が判明した時点で、第一に何故このようなことに成ったか、の究明。第二に契約の解除。第三に試掘したまでの費用の積算をして業者に支払う(設計変更を行い清算)第四に新に設計をして入札行為。何故こんな簡単なことが出来ないのか…理解に苦しむ。組織の無能力が原因だ。前の事件の時、市長は今後このようなことは起こらないように徹底する、と断言したが…。それも実際は何もしていなかったのではないか。今から約1800年前に、中国の管子が言った言葉に「四患」がある。それは人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「偽・私・放・奢」であると…。舞鶴市は、そのうちの「偽」嘘偽りを犯しているのである。統治能力の無い市長は即刻退陣すべきである。
行政を監視する立場でもある議会も、その役割を果たしていない!! 市長に忖度する議員ばかりで、舞鶴市の発展は望めない。組織としては、職員の資質が一番に問われる。以前の事件の時にも書いたが地方自治法の理念が全く理解されていない。こんな職員を誰が採用したのか…。徹底的な組織改革が必要である。
2020年06月15日
国は大阪府知事の姿勢を学べ!
国が率先して、新型コロナ感染症のパンデミック対策に対して、3月に「新しい生活様式」なるものを打ち出した。
この時点でそんな生活様式は、わが国の伝統文化・芸能・武芸・芸事などは壊滅してしまう、人と人とのふれあいが…お互いの感覚を鍛え、以心伝心として伝え合うもの…又、相手の呼吸をはかることが生死を左右するもの…などと共に、社会の原単位である家庭が崩壊してしまうのではないか…と指摘した。
わが国はお上が言えば、ハハァ…とその通りに従うのが当たり前のような面もある。しかし、おかしいものはおかしいと声をあげることが必要である。
マスコミにおいても、この上に豪雨が続き避難場所はどうなるのか…、ソーシァルディスタンス2mを確保すれば避難所は…と何が何でも当てはめようとしている。家庭単位として確保すればよいのであって、家族一人一人に2m確保することは関係ないのである。家ではソーシァルディスタンスは意識していない…。ただし、家族の中に感染者が出た場合は異なる。
今、大阪での専門家会議がオープンで行われた、その席上で専門家の一人が「マスクをしていればソーシァルディスタンスは必要でない」「手洗いは完璧でなく、まめにすればよい」「緊急事態宣言は必要なかったのではないか」「陽性者がでた店休業する必要なし…」「陽性者の隔離よりも弱者隔離」「ウイルスゼロにしなくてよい」など、今までとは全く異なった内容が語られた。
全く同感である。人は人間であって、機械やロボットではない。
大阪府知事の第2波に備えての対策に大いなる期待をしている。今までのコロナ禍における死者の内訳分析。特に高齢者の命を守る…。大阪府民の命と経済を守る…など大変意義のある発言でした。
この内容は、東京では一切語られていない…。
国は今都道府県に起こりつつある様々な事象について、真剣に対峙する気持ちをもってほしい。
2020年05月22日
舞鶴市の市政運営・組織運営はこれで良いのか!!
令和二年5月16日の新聞報道によると、建設部の職員が架空工事をでっち上げて、不法支払いをした容疑で同部職員9人を処分。
この様な事件は、行政組織としては、決してあってはならない。
人口10万ほどの都市は、一番経営のやり易い。隅々まで目が届く組織である。それが出来なかったとすれば、市長の統治能力が疑われると同時に、組織そのものが体をなしていないと断言できる。
今回の件は、建設部ぐるみの事件で建設部長が最終決断をして、実行されたものであろう。その罪は重い。
公文書偽造…などの罪に問われることは必須である。この際、過去にこの様な事案がなかったか、徹底的に調査をすべきである。
舞鶴市の判断は、関係者が依頼退職、自主弁済をしたとして、市は告訴しないという。身内をかばうのも、ほどほどにしてほしい。
地方公務員は、何の為に仕事をするのか、についての認識が欠如している。是非、議会で徹底的に追及してほしいものである。
私は、過去に40万都市の検査室長として、延べ数千億の事業の検査に携わった。しかし、こんな事件は皆無であった。
職員全員が地方自治法の理念をしっかりと身につけていたからである。
二年ほど前に、舞鶴市の若い職員二名が私の家に来られた折、
「あなたは、日常の仕事をするにあたり、何を基本としているのですか?と聞いたところ、答えることが出来なかったのを思い出した。
市長以下、この事件を機に、地方自治の原点に戻って市政運営をされることを願うものである。
2020年05月11日
人間が、「「真の人間としての尊厳を保ちながら生きることのできる地域社会の創造…」を理念として活動してきた思い出…。
人間が、「「真の人間としての尊厳を保ちながら生きることのできる地域社会の創造…」を理念として活動してきた思い出…。
今から約四十数年前…わが国が「長寿社会大綱」がつくられ、当時福祉六法の改正が始まったころ、私たちは高槻市で数人でボンティア団体「高槻ウェルエージング協会」を立ち上げボランティアとは、ボランティア活動とは、について一から勉強を始めた。
当時は、ボランティア、ボランティア活動の意味、社会事業と社会福祉の違いについてあまり理解されていなかった…。
ましてや、社会福祉と地域福祉の違いについても理解されていなかった…。私たちは、その言葉を一つ一つ根拠に基づいて理解し、説明をしていった。今まで、ボランティア連絡会という名称であったものを、ポランティア連絡協議会、としたのもその結果であった。
福祉六法の改正とともに、特別養護老人ホームまでに、デイケアー、デイサービス、中間施設…など新しい言葉が作り出されてきた。
今の福祉の形態の原型である。在宅介護による家族の疲弊を助けるために一時期預ける施設…など。
当時高槻にある大阪医科大学の衛生学・公衆衛生教室の教授吉田寿三朗先生(京都大学医学部卒、厚生省、国際老年学会常務理事・世界WHO評議員、その他多くの歴任・経歴)との出会いが、私の生き方の一つを変えたといっても過言ではない。先生は、日本ウェルエージング協会を設立、世界に向けてアカデミックな発言をされていた。その論調たるや素晴らしいものでした。
私は、高槻市の役職をしながらボランティア活動に熱中した。
大阪府立大学社会福祉部の船曳教授、京都府立大学の地域福祉論・在宅福祉で有名な右田教授(女性)特に大谷大学の…名前が浮かんでこない…教授(女性)その他多くの福祉関係の先生方にはご指導頂いた…。私の専門の工学部の先生より多かったのを覚えている。
活動の資金稼ぎに、懸賞論文に応募して一位に…。大阪ガス、読売新聞の愛と光の事業団などから、多くの機材を頂きました。
「寝たきり老人等身体の不自由な人の在宅における入浴事業部」を立ち上げて八年間220人の方を在宅で入浴を実施…。その経過を一冊の本にして、当時は、寝たきりになったら風呂に入れないという問題を、人権問題として取り上げて、高槻市議会に請願として市民の権利を行使して各会派を説得。当初議会で全会派一致で可決。それからは寝たきりになっても在宅における入浴は、市が実施することとなった。
このように、ボランティア活動は、ボランタリズムを精神として、無償性・継続性の活動である、ということと、それに提言性を加えておこなうことが重要と位置付けた。
即ち、行政の手伝いではなく、このようにすれば問題は解決する、という実績をつけて提言していくことがボランティアの役割と位置付けたのである。地域の大会、全国大会に出席して、主張してきた…。
その後、福祉六法の改正に伴い、国は、高齢化社会に向けて新しい施策を打ち出し、超高齢社会に向けて歩みだした…。
私たちは、その時点で、会の目的は、ほぼ達成されたとして高槻ウルエージング協会は、23年の活動の幕を閉じた…。
思い出に残ったのは、大阪府社会福祉協議会主催の懸賞論文で一位になり、大阪谷町の大阪社会福祉協議会の大講堂で二時間の講演をさせて頂いたこと。全くの専門外の者が、大阪府下の都市の福祉関係者、民生委員など800人の前で…。
読売新聞社「愛と光の事業団」から表彰、「愛は地球を救う」から移動入浴車、大阪ガスから入浴の浴槽などを寄贈されたこと。
感謝と共に、懐かしい思い出です。
今から約四十数年前…わが国が「長寿社会大綱」がつくられ、当時福祉六法の改正が始まったころ、私たちは高槻市で数人でボンティア団体「高槻ウェルエージング協会」を立ち上げボランティアとは、ボランティア活動とは、について一から勉強を始めた。
当時は、ボランティア、ボランティア活動の意味、社会事業と社会福祉の違いについてあまり理解されていなかった…。
ましてや、社会福祉と地域福祉の違いについても理解されていなかった…。私たちは、その言葉を一つ一つ根拠に基づいて理解し、説明をしていった。今まで、ボランティア連絡会という名称であったものを、ポランティア連絡協議会、としたのもその結果であった。
福祉六法の改正とともに、特別養護老人ホームまでに、デイケアー、デイサービス、中間施設…など新しい言葉が作り出されてきた。
今の福祉の形態の原型である。在宅介護による家族の疲弊を助けるために一時期預ける施設…など。
当時高槻にある大阪医科大学の衛生学・公衆衛生教室の教授吉田寿三朗先生(京都大学医学部卒、厚生省、国際老年学会常務理事・世界WHO評議員、その他多くの歴任・経歴)との出会いが、私の生き方の一つを変えたといっても過言ではない。先生は、日本ウェルエージング協会を設立、世界に向けてアカデミックな発言をされていた。その論調たるや素晴らしいものでした。
私は、高槻市の役職をしながらボランティア活動に熱中した。
大阪府立大学社会福祉部の船曳教授、京都府立大学の地域福祉論・在宅福祉で有名な右田教授(女性)特に大谷大学の…名前が浮かんでこない…教授(女性)その他多くの福祉関係の先生方にはご指導頂いた…。私の専門の工学部の先生より多かったのを覚えている。
活動の資金稼ぎに、懸賞論文に応募して一位に…。大阪ガス、読売新聞の愛と光の事業団などから、多くの機材を頂きました。
「寝たきり老人等身体の不自由な人の在宅における入浴事業部」を立ち上げて八年間220人の方を在宅で入浴を実施…。その経過を一冊の本にして、当時は、寝たきりになったら風呂に入れないという問題を、人権問題として取り上げて、高槻市議会に請願として市民の権利を行使して各会派を説得。当初議会で全会派一致で可決。それからは寝たきりになっても在宅における入浴は、市が実施することとなった。
このように、ボランティア活動は、ボランタリズムを精神として、無償性・継続性の活動である、ということと、それに提言性を加えておこなうことが重要と位置付けた。
即ち、行政の手伝いではなく、このようにすれば問題は解決する、という実績をつけて提言していくことがボランティアの役割と位置付けたのである。地域の大会、全国大会に出席して、主張してきた…。
その後、福祉六法の改正に伴い、国は、高齢化社会に向けて新しい施策を打ち出し、超高齢社会に向けて歩みだした…。
私たちは、その時点で、会の目的は、ほぼ達成されたとして高槻ウルエージング協会は、23年の活動の幕を閉じた…。
思い出に残ったのは、大阪府社会福祉協議会主催の懸賞論文で一位になり、大阪谷町の大阪社会福祉協議会の大講堂で二時間の講演をさせて頂いたこと。全くの専門外の者が、大阪府下の都市の福祉関係者、民生委員など800人の前で…。
読売新聞社「愛と光の事業団」から表彰、「愛は地球を救う」から移動入浴車、大阪ガスから入浴の浴槽などを寄贈されたこと。
感謝と共に、懐かしい思い出です。
2020年05月04日
国が唱える「新しい生活様式」?
国が唱える「新しい生活様式」
今日の日曜討論で、経済担当大臣は、「新型コロナウイルス禍の後には、新しい生活様式が始まる…」とコメントした…。私はこの言葉の意味が理解できない。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、世界で300万人以上の感染者と20万人の死亡者を出しつつあると言われている。
1929年の大恐慌以来の大打撃…すなわち、国際秩序が解体傾向にあると言っても過言ではない。私が危惧するのは、それだけではない。
イギリスにこんな言葉がある。「ソッドの法則」…意味は、起こりうる悪いことは、起きる。それは、よりによって最悪の時に起こる」と…。
即ち、複合災害である。今わが国には、東京直下型大地震及び南海トラフによる地震並びに富士火山爆発など…、いつ起こっても不思議でないと以前からいわれている。もし、このような事態になれば、小松左京氏の小説「日本沈没」は免れない。そのことに充分目を向けて、注意を図ることが重要である。
話を元に戻して、日本においても新型コロナウイルス感染症の第一波の後、あらゆる面において、分断と混乱が生ずることは間違いない。
しかし、危機の本質は、病原体ではない。人間同士の対立にあると認識したい。先に述べた国の提唱する「新しい生活様式」とは、関係大臣の言葉では、「出来るだけ人と人との密接・混雑を避け、対話も直接ではなく、媒体するものを用いての生活様式…」との発言である。社会を構成する原単位は、家庭である。そして家庭は個々の一人一人から成り立っている。それが隣人関係、地域、自治体…と連帯が国を作り上げていくのである。
その現実は、人と人との身体的・心の触れ合いと対話なしには、成しえない。すなわち、信頼関係が最も重要であるからである。そのことを無視して「新しい生活様式」を推し進めるとすれば、わが国は崩壊の道を辿るのは間違いない。
多分、コロナウイルス禍が存在する間…と注釈が必要であろう。
今日の日曜討論で、経済担当大臣は、「新型コロナウイルス禍の後には、新しい生活様式が始まる…」とコメントした…。私はこの言葉の意味が理解できない。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは、世界で300万人以上の感染者と20万人の死亡者を出しつつあると言われている。
1929年の大恐慌以来の大打撃…すなわち、国際秩序が解体傾向にあると言っても過言ではない。私が危惧するのは、それだけではない。
イギリスにこんな言葉がある。「ソッドの法則」…意味は、起こりうる悪いことは、起きる。それは、よりによって最悪の時に起こる」と…。
即ち、複合災害である。今わが国には、東京直下型大地震及び南海トラフによる地震並びに富士火山爆発など…、いつ起こっても不思議でないと以前からいわれている。もし、このような事態になれば、小松左京氏の小説「日本沈没」は免れない。そのことに充分目を向けて、注意を図ることが重要である。
話を元に戻して、日本においても新型コロナウイルス感染症の第一波の後、あらゆる面において、分断と混乱が生ずることは間違いない。
しかし、危機の本質は、病原体ではない。人間同士の対立にあると認識したい。先に述べた国の提唱する「新しい生活様式」とは、関係大臣の言葉では、「出来るだけ人と人との密接・混雑を避け、対話も直接ではなく、媒体するものを用いての生活様式…」との発言である。社会を構成する原単位は、家庭である。そして家庭は個々の一人一人から成り立っている。それが隣人関係、地域、自治体…と連帯が国を作り上げていくのである。
その現実は、人と人との身体的・心の触れ合いと対話なしには、成しえない。すなわち、信頼関係が最も重要であるからである。そのことを無視して「新しい生活様式」を推し進めるとすれば、わが国は崩壊の道を辿るのは間違いない。
多分、コロナウイルス禍が存在する間…と注釈が必要であろう。
2020年04月17日
未来を創造する休暇
国際通貨基金(IMF)が「世界恐慌以来」の経済危機というコロナ禍である。因みに1665年のペスト流行したロンドンの記録には、「人々は耐え難い混乱と苦悩のあまり身をも手余し、わめき散らし……狂気した人々が街をはしりまわる光景は、悲惨きわめた」と記されている。しかし、ニュートンは、ペスト禍で閉鎖された大学から故郷にもどり、閉鎖された一年半の時間に思索をかさねて万有引力の発見に繋がったのである。この機会をマイナスと捉えずプラスの発想で考えることが必要であろう。
社会全体の問題して捉えることも必要だが、社会の原単位は、一家庭の集合体と考える時、さらに家庭は一人一人の人間により構成されているとすれば、一人一人の問題として考えなければならない。今、新型コロナウイルス禍で家庭に籠らなければならない現実を直視する時、社会に向けての一人一人の発想が重要視されなければならない。今の時代はその手段はある。「個人から、自宅からの発想」は世界を変えるのではないか…。様々なネットワークの手段を通じて、一家庭から世界の国々の家庭との情報交流が、政治・経済・文化などに新しい息吹を与え、新な文明を芽吹かせることを期待したい。
2020年04月13日
今、すべきこと
心の持ち方を変えよう。
TV、新聞などコロナウイルスの話題ばかりです。知らない間に心はコロナウイルスばかりに囚われています。見ない、気にしないことに、心を、意思を切り替えましょう。
そして、楽しい話題に心を向けるのです。以前に、心で思ったことは、必ず実現する。と言いました。
従ってコロナに対する恐怖心ばかりになると、実現するのです。「心が身体を動かす」と言う事を真に理解していくと、様々な結果にたどり着くのです。
全てブラスの氣を出してプラスに思慮することです。
私は災難に遭遇すると、笑顔になります。そしてマイナスの意思を一切捨てるのです。私はそのことを一九会の日野鐵叟老師から学びました。「心は恐怖心が起これば、吹き消さない限り恐怖に向かうものだ」と。だから吹き消すと同時にプラスの意思に変えるのです。
心と言うものは、「知るという機能」だからです。
恐怖心などマイナスの要素が浮かんだ時、口から、フッ、と息を強く吹いてください。すると一瞬、頭から恐怖心が消えます…そして直ぐに、プラスのことに心を移すのです。
ウイルスに勝とうなどは考えないで、只、「負けない」という意思力を強く持つのです。そして、又、すべてに強い意思を働かすのです。私の生き方です。
私は死を恐れません、しかし、私の出会った多いの人たちへの不幸はあってはなりません!自らの死より辛いのです…。さぁー今から楽しいブラスの氣で過ごしましょう。
TV、新聞などコロナウイルスの話題ばかりです。知らない間に心はコロナウイルスばかりに囚われています。見ない、気にしないことに、心を、意思を切り替えましょう。
そして、楽しい話題に心を向けるのです。以前に、心で思ったことは、必ず実現する。と言いました。
従ってコロナに対する恐怖心ばかりになると、実現するのです。「心が身体を動かす」と言う事を真に理解していくと、様々な結果にたどり着くのです。
全てブラスの氣を出してプラスに思慮することです。
私は災難に遭遇すると、笑顔になります。そしてマイナスの意思を一切捨てるのです。私はそのことを一九会の日野鐵叟老師から学びました。「心は恐怖心が起これば、吹き消さない限り恐怖に向かうものだ」と。だから吹き消すと同時にプラスの意思に変えるのです。
心と言うものは、「知るという機能」だからです。
恐怖心などマイナスの要素が浮かんだ時、口から、フッ、と息を強く吹いてください。すると一瞬、頭から恐怖心が消えます…そして直ぐに、プラスのことに心を移すのです。
ウイルスに勝とうなどは考えないで、只、「負けない」という意思力を強く持つのです。そして、又、すべてに強い意思を働かすのです。私の生き方です。
私は死を恐れません、しかし、私の出会った多いの人たちへの不幸はあってはなりません!自らの死より辛いのです…。さぁー今から楽しいブラスの氣で過ごしましょう。
2020年04月10日
杞憂
今、世界は目に見えない敵に脅かされている。新コロナウイルスという敵である。世界の歴史上数百年毎に形を変えて、あらわれている。ペストが流行った時も今と同じように、世界中が右往左往した。
私は昨年、令和二年には何かが起こる、と予言していた…。
それは東京直下型大地震、南海トラフ巨大地震、富士山火山爆発…など三つの自然災害である。しかし、違った…。ただこれ等の災害は、日本沈没を意味する。
あまりにも気象が今までとは異なっている…。さらには、いつ起こっても不思議でない、状況にある。
中國後漢の荀悦は『申鑒』で国を滅ぼす「四患」として、「偽・私・放・奢」を説いている。
自分を見失った人間は、偽(いつわり)の生活を送り、私利私欲に走っている。自分の欲望だけをもとめるために気ままで放埓(ほうらつ)となる。
その結果は贅沢(ぜいたく)ばかりを考えて、身を滅ぼしてしまう。
これは国でも同じである。
この中で、どれか一つが目立っても国は傾き、四つとも顕著になれば国は滅びてしまうのである。
わが国の政界の様子はどうか…。政界には、森友、加計、桜、などの問題は、「偽」そのものである…。
天が下す天罰が、まさに下ったものと考えるのは…私だけであろうか…。
来年のオリンピックは、中止になると予測する。
さらに三つの禍の一つが重なった時、有史以来の大変動となってわが国に襲い掛かるであろう…。そうならないことを願うのみであるが…。
心ある民は、心の準備をしておくことも…必要である。
2020年02月29日
心身統一合氣道を会得する為には…。
心身統一合氣道を自らのものとする為には如何にすればよいか。それは、自らの日常生活を「真の生き方」にかえることです。日常生活の在り方が技に影響するからです。いくら人前でうまく見せる技をしても、何処かに不自然さが伺えます。一つの例として、たとえば家庭関係がうまくいっていない人は、体の転換がどうしても出来ないのです。心してください。まず、心の持ち方を変えることです。次の言葉を自らのものとしてください。
「幸せとはなにか」
「心を清らかにする」ことです。清らかにするとは何か…、自らの思考を「善と悪に分けて、善に意思をむけること」です。日常の意思は、総て「原始脳を捨て去ることです。原始脳とは、好き嫌い、損得、本能で物事を意識しないこと」です。すべて、真・善・美を判断の基準として、「理性の脳」を働かせることです。そのためには、「四患」と「四維」を自らの精神としなければなりません。勿論その前には、「何のために生まれてきたのか」「今生きているいるのは、何のためなのか」について、その「真理」をしることが大切です。
2019年12月31日
令和元年(2019年)を振り返って
令和元年(2019年)をふりかえって
すべての教室において、誦句集の中の一つの言葉を大声で唱句した後、必ず話をする…。
それは、「自らの人生は、心が決める」に端を発する…。そして「すべては心に始まり、心に終わる」に帰着する。
統一道は「こころが體を動かす」原理を追求する。そのためには、自分のこころの存在を知らなければならない。自らのこころが何処にあるのか…、この問いに答えなければならない。
更には自らの存在について自覚することである。そのために次の問いに答えてほしい
○ あなたは何のために生まれてきたのですか
○ あなたは今、何のために生きているのですか
○ 幸せとはどういうことですか
○ 心を清らかに、さわやかにするには、どうすればよいのですか。
○ 善と悪にわけるとはどうすればよいのですか。
○ 原始脳とはどういうことを云うのですか。
○ 理性の脳とはどういうことを云うのですか。
○ 氣づき即行・清濁併せのむ・現実大肯定とはどのようなことを云うのですか。
以上の項目について、一年間伝えてきた。もう一度思い出してください。
次に合氣武道の理念は「争わざるの理」。目的は「自らの人格をつくる」ということを理解しなければならない。そのためには何をなすべきか…。
○ 自分の體の総てにおいてリラックスさせる
○ 相手に心を向ける・向身
○ すべてをさらけ出す
○ かまえない
○ 足捌き・胴捌き・腕捌き・手捌き
○ 「勝とう」と思ってはならない。
○ 「負けない」ということだけを研究する
○ 投げようとしてはならない。崩していることを知る
○ 相手の心・氣を導いて、相手の行くところへ行かせてやる
○ 統一體で始まり、統一體で終わる
○ 技はすべて引っ張ったり、押してはならない、上下に導く
○ 体幹は傾けたり、前かがみにならない
○ 體の一部であっても、掴んだりはしない
○ 軽く触れていること
○ 技は自分の体の前(正中心)でかける
○ その他…
これらは修練で一年間述べてきた。そしてやって見せてさせて来た。
来年は、もう一ランク上がって伝えます。期待してください。
最後に、その人の技の体現は、その人の日常生活の在り方が映し出されていることを知るべきです。日常生活の在り方を正すことが一大事である。
(私は都市計画をはじめとする街づくりを学んだ。そして何のための知識か…。すべて人の為、人が幸せになるため…。そのためには、なにを知らなければならないのか…。自らを知るためには人とは人間とは…について知らなければならない。二つ目の大学で「原始仏教」を学んだ。原始仏教とは、ゴータマブッダ(釈迦)が29歳で出家をして33歳で悟りを得て死ぬまでのことを云う。宗教ではない。釈迦が「宗教をつぶしなさい」という言葉をはいていることからも明白である。ゴータマ・ブッダの教えは、「心の科学」としての「真理」である)。
すべての教室において、誦句集の中の一つの言葉を大声で唱句した後、必ず話をする…。
それは、「自らの人生は、心が決める」に端を発する…。そして「すべては心に始まり、心に終わる」に帰着する。
統一道は「こころが體を動かす」原理を追求する。そのためには、自分のこころの存在を知らなければならない。自らのこころが何処にあるのか…、この問いに答えなければならない。
更には自らの存在について自覚することである。そのために次の問いに答えてほしい
○ あなたは何のために生まれてきたのですか
○ あなたは今、何のために生きているのですか
○ 幸せとはどういうことですか
○ 心を清らかに、さわやかにするには、どうすればよいのですか。
○ 善と悪にわけるとはどうすればよいのですか。
○ 原始脳とはどういうことを云うのですか。
○ 理性の脳とはどういうことを云うのですか。
○ 氣づき即行・清濁併せのむ・現実大肯定とはどのようなことを云うのですか。
以上の項目について、一年間伝えてきた。もう一度思い出してください。
次に合氣武道の理念は「争わざるの理」。目的は「自らの人格をつくる」ということを理解しなければならない。そのためには何をなすべきか…。
○ 自分の體の総てにおいてリラックスさせる
○ 相手に心を向ける・向身
○ すべてをさらけ出す
○ かまえない
○ 足捌き・胴捌き・腕捌き・手捌き
○ 「勝とう」と思ってはならない。
○ 「負けない」ということだけを研究する
○ 投げようとしてはならない。崩していることを知る
○ 相手の心・氣を導いて、相手の行くところへ行かせてやる
○ 統一體で始まり、統一體で終わる
○ 技はすべて引っ張ったり、押してはならない、上下に導く
○ 体幹は傾けたり、前かがみにならない
○ 體の一部であっても、掴んだりはしない
○ 軽く触れていること
○ 技は自分の体の前(正中心)でかける
○ その他…
これらは修練で一年間述べてきた。そしてやって見せてさせて来た。
来年は、もう一ランク上がって伝えます。期待してください。
最後に、その人の技の体現は、その人の日常生活の在り方が映し出されていることを知るべきです。日常生活の在り方を正すことが一大事である。
(私は都市計画をはじめとする街づくりを学んだ。そして何のための知識か…。すべて人の為、人が幸せになるため…。そのためには、なにを知らなければならないのか…。自らを知るためには人とは人間とは…について知らなければならない。二つ目の大学で「原始仏教」を学んだ。原始仏教とは、ゴータマブッダ(釈迦)が29歳で出家をして33歳で悟りを得て死ぬまでのことを云う。宗教ではない。釈迦が「宗教をつぶしなさい」という言葉をはいていることからも明白である。ゴータマ・ブッダの教えは、「心の科学」としての「真理」である)。
2019年11月13日
佐竹本三十六歌仙絵
私は「三十六歌仙絵」を博物館で見たとき、何か、心に深く入り込んで来たことに驚きました…。特に襖絵と屏風の構図でした…。全体の配置と色彩…に.見る者に、描く側の感性が…突き刺すように入り込んできたことです。この感覚は今まで味わったことがありません…。そして仮名文字での表現はまさに…脳から腕を通じて手首そして指先と一体となった筆が…まるで生き物のように、「氣」の流れが和紙に伝わり…、一つの微細な線が仮名文字を表現して…言葉を現す…0.1ミリの繊細な線を筆で書き表している、手にもつ筆が筆先が無限に小さくなった先が…下の和紙に接した瞬間、一つの生命を生み出す如く合体する…。筆先と和紙の間に何の抵抗もなく同調する…。まさにアートです。心身統一合氣道も決して相手と対峙しない…相手の氣と同調して、相手の共に行くところへ行く(すなわち導くのである)、そこには、何の抵抗もなく共に流れるように同化する…。全く同じ感覚なのです。
共に美意識を鍛える…。真善美を追求する。アートとサイエンス、直観力と感性の次元なのである。
2019年05月10日
平成から令和へ
新元号の出典は、初めての和書となる万葉集から…と。しかし、「出典は国書」との説明も文のひな型を思わせる漢籍を持ち出して疑義を呈するものも…。
新元号の予想騒ぎもネット上での難陳論議も…。国民主権の時代に新しい形としての皇位継承の姿なのでしょう。新しい元号にあやかって、その吉兆は、私達国民の心の持ち方にかかっていることを忘れてはなりません。
さて、我が国は下田沖に黒船が渡来して以来、欧米に追い付き追い越せとの思いで、一億火の玉となって突き進みました…明治・大正・昭和…、「ものづくりの時代」から、「心の時代」と変遷を遂げて来ました…。
しかし、敗戦後、今まで培ってきた日本精神は、総て戦勝国によって、放棄させられました…。
このことが現在の我が国の状況…即ち、一国のリーダーたる者、政財界、教育関係、スポーツ関係者たちの人心の荒廃の根源となったのです。
菅子の唱える四患「偽・私・放・奢」この四つの内、一つでも犯すことは、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすことになります。
一国のリーダー、政財界、教育関係、スポーツ界、その他の人達の「うそ、いつわり、詭弁、逃避…」は今は目を覆う有様です。改める心氣が求められます。
情報社会に突入して、世界は一変しました。IT社会の到来です。すなわち、新しいものづくりの時代です。すなわち、「心によるものづくり」です。
先駆者の後を手繰っていけば、物が造れた時代とはまったく違うことを自覚しなければなりません。
知識だけに頼った企業経営の時代ではありません。
それは物質主義や市場経済主義による変質的疎外感が蔓延った19〜20世紀が終焉して、新たな価値観をもった視点がおぼろげながら人心に浮かんできたもの…。それは新たな心の時代を模索し始めたと考えられます。
それでは何を頼るのか…。一人ひとりが物を見る目が違ってきたといっても過言ではありません。人の心に潜む「真の美しさ」とは何か…そこにヒントが隠されているのではないでしょうか。偏差値は高いが美意識は低いという人創りは誤った教育といっても過言ではありません。起業者は「美意識」を鍛えることになのです。そして「直観」と「感覚」によるものづくり…。これが「心によるものづくり」と言えるでしょう。
そこには、「真・善・美」がなければなりません。そのためには、リーダーは何をすれば良いのか…新しい価値観の創造、それは、美意識とともに、経営に新たな視点、即ちアート・サイエンス・仏教観なのです。そこに、令和の時代における人間としての生き方も含めて、答えがあると考えます。今一度、自らの心が何処にあるのか…確信されることを望みます。
さぁー、新しい元号とともに、新しい未来を…。
T老師宛て書簡
今回の訪台におきましては、お世話になりました。
心から厚く御礼申しあげます。
特に新しい人との交流は、心身統一合氣道会にとって大変有意義でした。
合氣武術は、武田惣角(大東流柔術)から植芝盛平(後に合氣道と命名)、そして藤平光一(心身統一合氣道を創設)に真の合氣道として伝承されました。今、世界から注目されています。
私は台湾へ11年間(訪台22回)参りました。この目的は、只、心身統一合氣道の技だけを伝えるのではなく、心身統一道と共に、心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」であります。
そしてその目的は、「自らの人格を造る」ことにあります。
そのことを技を通じて伝えるために台湾へ参っております。
更には、今から12年前に、台湾の長老の方からはじめて「日本精神」という言葉を聞きました。その時は大変驚きました。
明治28年に台湾は「清」から日本渡されました。日本による統治が始まりました。
そして、児玉源太郎・後藤新平・新渡戸稲造らによって日本と同じ教育が実施されました。
このことは上から目線ではなく、植民地としてではなく同等の扱いがなされました…。
しかし、良い事ばかりでは無かったも事実です。
例として、終戦後、日本が台湾から引き上げる時、台湾の人達は次の言葉を吐きました「犬が去って、豚が来た…」と。
台湾へは「教育勅語」を中心とした教育がなされました。
親を大切に、兄弟仲良く、年上を敬い、物を大切に、自分のことより他の人のことを重んじる…など慈・悲・喜・捨、即ち地四無量心を大事にした教育でありました。
このことは昔の日本人が大切にしていた「利他の心」であります。
今の日本人には、このような教育は長い間為されませんでした。その結果が今の日本の精神状況です。哀しいことです。
昔の日本人の精神的支えであった「日本精神」…。このことを今の台湾の若い方に
心身統一道・心身統一合氣道を通じて改めて伝えるために、私は毎年台湾へ伺うのです。
少しずつ心身統一道・心身統一合氣道の理解者が増えて参りました。喜ばしいことです。
感謝の氣持ちで一杯です。
今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。又、次回お会い出来ますこと楽しみにしております。奥山弘邇拝
心から厚く御礼申しあげます。
特に新しい人との交流は、心身統一合氣道会にとって大変有意義でした。
合氣武術は、武田惣角(大東流柔術)から植芝盛平(後に合氣道と命名)、そして藤平光一(心身統一合氣道を創設)に真の合氣道として伝承されました。今、世界から注目されています。
私は台湾へ11年間(訪台22回)参りました。この目的は、只、心身統一合氣道の技だけを伝えるのではなく、心身統一道と共に、心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」であります。
そしてその目的は、「自らの人格を造る」ことにあります。
そのことを技を通じて伝えるために台湾へ参っております。
更には、今から12年前に、台湾の長老の方からはじめて「日本精神」という言葉を聞きました。その時は大変驚きました。
明治28年に台湾は「清」から日本渡されました。日本による統治が始まりました。
そして、児玉源太郎・後藤新平・新渡戸稲造らによって日本と同じ教育が実施されました。
このことは上から目線ではなく、植民地としてではなく同等の扱いがなされました…。
しかし、良い事ばかりでは無かったも事実です。
例として、終戦後、日本が台湾から引き上げる時、台湾の人達は次の言葉を吐きました「犬が去って、豚が来た…」と。
台湾へは「教育勅語」を中心とした教育がなされました。
親を大切に、兄弟仲良く、年上を敬い、物を大切に、自分のことより他の人のことを重んじる…など慈・悲・喜・捨、即ち地四無量心を大事にした教育でありました。
このことは昔の日本人が大切にしていた「利他の心」であります。
今の日本人には、このような教育は長い間為されませんでした。その結果が今の日本の精神状況です。哀しいことです。
昔の日本人の精神的支えであった「日本精神」…。このことを今の台湾の若い方に
心身統一道・心身統一合氣道を通じて改めて伝えるために、私は毎年台湾へ伺うのです。
少しずつ心身統一道・心身統一合氣道の理解者が増えて参りました。喜ばしいことです。
感謝の氣持ちで一杯です。
今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。又、次回お会い出来ますこと楽しみにしております。奥山弘邇拝

