今日から北海道で世界G8によるサミットが始まった。
経済大国の綱引きが始まる。
各国の首脳に聞いてみたい。
「一滴の水」に何を想い、考えているのか。と。
環境問題は、まさに、「一滴の水」がその原点であろう。
我が国のマスコミが日本人が従来から持っていた精神
「もったいない」の言葉の意味としてではなく、別の意味
から啓発をしているのが不思議。
1人1人のCO2削減計画なるもので、節電、エネルギーの
無駄遣いを戒めている…。
今までの日本人には、当たり前のこととして、
「もったいない」としてあった。
今は、外国人がこの言葉の意味を感じて、本を出して、
説いている。
CO2と言えば、何か先進的な人間であるかのように…。
天地との共存を望み、天地に生かされていることを
何時になれば、人の心の中まで入るのであろうか…。
天地(宇宙・大自然・創造主・神…)との調和が崩れたとき、
初めてその試練を受けて氣付くのであろうか…。
過去に学びたい。
2008年07月07日
大地に学ぶ
朝から、畑の草ひきをする。
作業にはタイミングが必要。
余り早すぎると、「ブヨ(1oほどの吸血昆虫」にかまれる。
赤く腫れてかゆい、掻くと血が出る。治るのに一週間は
掛る。夕方も駄目である。
大地にしっかりと、根を張り、引き抜かれまいとする。
それを小さな道具を使って、引き抜く。
指先に氣を通して、軽く攫む。そして腕の筋肉はあまり
使わない。
肩甲骨を用いる。すると、疲れない。
體の根幹、すなわち、體幹を天から降りる垂直線に入れる。
その姿勢は崩さない。そして腕、肩、足、腰を自在に使う。
そのためには、全身の骨格を意識して、必要な骨を用いる。
骨を意識して、上下左右にゆする…。
體内の筋肉は、必要に応じて応えてくれる。
抜いた草は、やがて又、大地に帰る。そして、土となり、
作物を育ててくれる…。
感謝である。
畑に立った時、私は天地をムスプ垂直線とともある…
即ち自らの正中心軸(正しい體幹)を得る…。
宇宙の中心の一点を、下腹に意識しだす…
全身にある心が、その一点に集まる…
天と地から、無限の氣が入るのを意識する…
體のチャクラーが微妙に振動を始める…
宇宙との一体感…。
そうなると、體には疲れがない…
體の動きが、波動が、體に備わった自然の
動きに同調する…。
鍬を剣に変えて大地に振り下ろす…
大地は快く迎えてくれる…
「合氣」への入り口である…。
作業にはタイミングが必要。
余り早すぎると、「ブヨ(1oほどの吸血昆虫」にかまれる。
赤く腫れてかゆい、掻くと血が出る。治るのに一週間は
掛る。夕方も駄目である。
大地にしっかりと、根を張り、引き抜かれまいとする。
それを小さな道具を使って、引き抜く。
指先に氣を通して、軽く攫む。そして腕の筋肉はあまり
使わない。
肩甲骨を用いる。すると、疲れない。
體の根幹、すなわち、體幹を天から降りる垂直線に入れる。
その姿勢は崩さない。そして腕、肩、足、腰を自在に使う。
そのためには、全身の骨格を意識して、必要な骨を用いる。
骨を意識して、上下左右にゆする…。
體内の筋肉は、必要に応じて応えてくれる。
抜いた草は、やがて又、大地に帰る。そして、土となり、
作物を育ててくれる…。
感謝である。
畑に立った時、私は天地をムスプ垂直線とともある…
即ち自らの正中心軸(正しい體幹)を得る…。
宇宙の中心の一点を、下腹に意識しだす…
全身にある心が、その一点に集まる…
天と地から、無限の氣が入るのを意識する…
體のチャクラーが微妙に振動を始める…
宇宙との一体感…。
そうなると、體には疲れがない…
體の動きが、波動が、體に備わった自然の
動きに同調する…。
鍬を剣に変えて大地に振り下ろす…
大地は快く迎えてくれる…
「合氣」への入り口である…。
一滴の水に宇宙をみる
若州一滴文庫へ行った。
福井県大飯町にある。
作家水上勉氏が主宰されているを若州人形座の
拠点として、また宗教・美術・文学などの資料
展示する施設として約7000uの敷地に建設された
ものである。
水上氏の想いは、子供たちが本を読むことで人生や
夢を拾ってほしいということ、文庫の名称にもなっている
「曹源一滴水」の思想を顕彰するすることに在る。
大都市に建っているようなものはいらない。
都市の物まねはいらはいらない。
小屋でいい、という水上氏の想いをもとに建築された。
谷間に溶け込んでいくような佇まいの建物、
人を包み込み展示物がバックとして充分な役割を果たし、
互いに協調し合い、見る者に訴えかける空間をめざし、
それにふさわしい材料・工法が選ばれている。
(因みに、この建築物は、1990年に
中部建築賞を受賞している)
施設としては、本館を中心に、竹人形館、
くるま椅子劇場、竹紙工房、六角堂、茅葺館、庭園で
構成されている。
捨てられる竹の皮、笹を煮て紙をつくり、その紙から
人形の面をつくる。
竹ひごで作られた頭部に面をつけられて、竹で作られた
人形の手足。
着物を着せられて、命を吹き込まれて
様々な表情で演ずる人形。
まさに、捨てられるものからの再生である。人形が
いきる。
捨てられる一滴の水は、万物を育てる命をもっている。
雨は、水蒸気となった雲から、地上に落ちてくると一般的に
云われているが、ある説には、実は雨は、
宇宙の彼方から下りてくる。
その一滴の中には、万物の生命が入っていると…。
今年の注目すべく若手女性歌手。青山テルマの曲が
流れてきた。最愛の人に聞いてもらいたいと。
「
そばにいるね」
…どんなにはなれていても、いつもこころのなかにいるよ…
「
何ども」
…なんどもなんどもきみをおもって、未来をおもった…
福井県大飯町にある。
作家水上勉氏が主宰されているを若州人形座の
拠点として、また宗教・美術・文学などの資料
展示する施設として約7000uの敷地に建設された
ものである。
水上氏の想いは、子供たちが本を読むことで人生や
夢を拾ってほしいということ、文庫の名称にもなっている
「曹源一滴水」の思想を顕彰するすることに在る。
大都市に建っているようなものはいらない。
都市の物まねはいらはいらない。
小屋でいい、という水上氏の想いをもとに建築された。
谷間に溶け込んでいくような佇まいの建物、
人を包み込み展示物がバックとして充分な役割を果たし、
互いに協調し合い、見る者に訴えかける空間をめざし、
それにふさわしい材料・工法が選ばれている。
(因みに、この建築物は、1990年に
中部建築賞を受賞している)
施設としては、本館を中心に、竹人形館、
くるま椅子劇場、竹紙工房、六角堂、茅葺館、庭園で
構成されている。
捨てられる竹の皮、笹を煮て紙をつくり、その紙から
人形の面をつくる。
竹ひごで作られた頭部に面をつけられて、竹で作られた
人形の手足。
着物を着せられて、命を吹き込まれて
様々な表情で演ずる人形。
まさに、捨てられるものからの再生である。人形が
いきる。
捨てられる一滴の水は、万物を育てる命をもっている。
雨は、水蒸気となった雲から、地上に落ちてくると一般的に
云われているが、ある説には、実は雨は、
宇宙の彼方から下りてくる。
その一滴の中には、万物の生命が入っていると…。
今年の注目すべく若手女性歌手。青山テルマの曲が
流れてきた。最愛の人に聞いてもらいたいと。
「
…どんなにはなれていても、いつもこころのなかにいるよ…
「
…なんどもなんどもきみをおもって、未来をおもった…
2008年07月05日
心の再生
「少(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず」
佐藤一斉の言葉である。
幕末の思想家であり、教育者であった。
この言葉を残して、八十八歳の生涯を閉じた。
戦後六十年余の現在を見た時、我が国の人間、人物と
その生き様、そして人間関係、人心の荒廃は著しい。
立派な大人も目先の金儲けに翻弄され、将来を担う
青少年の学識ばなれ、そして本離れ、それに加えて
、逆境に生き抜く意欲、気構え、志の有無に危惧する。
佐藤一斉のように生涯にわたって学習をつづける
「志」を失い、これがあらゆる混乱・低迷の原因に
なっているのではないか。
私は、合氣武道を「止観」することにその基本的
心構えを説く。
「運命」を「立命」にする、基本でもある。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず」
佐藤一斉の言葉である。
幕末の思想家であり、教育者であった。
この言葉を残して、八十八歳の生涯を閉じた。
戦後六十年余の現在を見た時、我が国の人間、人物と
その生き様、そして人間関係、人心の荒廃は著しい。
立派な大人も目先の金儲けに翻弄され、将来を担う
青少年の学識ばなれ、そして本離れ、それに加えて
、逆境に生き抜く意欲、気構え、志の有無に危惧する。
佐藤一斉のように生涯にわたって学習をつづける
「志」を失い、これがあらゆる混乱・低迷の原因に
なっているのではないか。
私は、合氣武道を「止観」することにその基本的
心構えを説く。
「運命」を「立命」にする、基本でもある。
2008年07月03日
新しい村づくり
「ルーラル・アメニティタウン構想」この言葉を作ったのは、
もう、20年前位になる。
自然との共生・セミインディペンデンスな共同体・人間が
真の人間として尊厳を保ちながら、生きることの創造…
などをコンセプトにした。
自然の形態としての「ランドスケープ」は、
自然の法則(風・水・火・などが宇宙の動きと同化して
嵐風雨洪水火災などの現象によって、全てのものは、
水平に帰する動きをとる(すなわち、中心に向かって
集中する動き)。
しかし、私は逆に「再生」の形をとりたい。
自然とは、そのときどきの動き・働きに協調して、
一番バランスのとれた形をとろうとする。
その現象に逆らわないで、元の形に戻す。
そんな考え方をまず、ぺーパーロケーションで表現する…。
具体的には、自然を残し、山をつくり、池をつくり、
道はウッドブロックで覆う。、
樹木が道を守り、木漏れ日の中に佇む日本古来の
軸組み工法で組み立てられた木造の住居、太陽光と風力から
電力を取り出し、生活排水は全て七軒を一つにした
クラスターが協働で管理する合併槽と土壌浄化で行い
一切外部には排出しない。
一つの単位は250坪の土地に28坪の家が建つ。
その数は100戸。
約150坪の農園には、四季折々の野菜が作られ、
2本植えられたリンゴの木(総数200本)からは、
ワインが造られ、村の祭りに全員が食する。
百人が作る農業法人は、有機・無農薬・減農薬栽培。
生活者に直接販売する。その収益は公平に分配される。
そして、ルーラル・アメニティタウンは、その思想は、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとも共通する。
そして、陽明学とも…。
舞鶴市に対しては、人口増・税の増収・地場産業の育成・
地域資材の活用…など、総合計画の思想にも相容れる。
手法は、「地上型コーポラティブ手法」をとる。
進みだした。
、
もう、20年前位になる。
自然との共生・セミインディペンデンスな共同体・人間が
真の人間として尊厳を保ちながら、生きることの創造…
などをコンセプトにした。
自然の形態としての「ランドスケープ」は、
自然の法則(風・水・火・などが宇宙の動きと同化して
嵐風雨洪水火災などの現象によって、全てのものは、
水平に帰する動きをとる(すなわち、中心に向かって
集中する動き)。
しかし、私は逆に「再生」の形をとりたい。
自然とは、そのときどきの動き・働きに協調して、
一番バランスのとれた形をとろうとする。
その現象に逆らわないで、元の形に戻す。
そんな考え方をまず、ぺーパーロケーションで表現する…。
具体的には、自然を残し、山をつくり、池をつくり、
道はウッドブロックで覆う。、
樹木が道を守り、木漏れ日の中に佇む日本古来の
軸組み工法で組み立てられた木造の住居、太陽光と風力から
電力を取り出し、生活排水は全て七軒を一つにした
クラスターが協働で管理する合併槽と土壌浄化で行い
一切外部には排出しない。
一つの単位は250坪の土地に28坪の家が建つ。
その数は100戸。
約150坪の農園には、四季折々の野菜が作られ、
2本植えられたリンゴの木(総数200本)からは、
ワインが造られ、村の祭りに全員が食する。
百人が作る農業法人は、有機・無農薬・減農薬栽培。
生活者に直接販売する。その収益は公平に分配される。
そして、ルーラル・アメニティタウンは、その思想は、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとも共通する。
そして、陽明学とも…。
舞鶴市に対しては、人口増・税の増収・地場産業の育成・
地域資材の活用…など、総合計画の思想にも相容れる。
手法は、「地上型コーポラティブ手法」をとる。
進みだした。
、
戻ってきた!
遅れてホタルが飛び始めた。
しかし、数は少ない。一時のように乱舞とまではいかない。
うれしい。
何故、例年より遅れているのか…。不思議。
明日は、上の畑に種を蒔く。
下肥えには肥料として毎年「ニームファーム」を使う。
ニームオイルを絞ったカスである。
これで土壌を活性化させる。
更に「ニームオイル(商品名よってこん)」を
定期的に噴霧する。
害虫が寄ってこないとともに、その生態、変態を阻止して
成長を止める効果がある。
定期的に施す肥料には「ニーム(商品名ドットナル)」。
これらは特定非営利活動法人都市問題総合研究所と
代理店契約をしている「四万十社」の製品である。
害虫には他社の製品より水に溶けやすく効き目が良い。
御かげで無農薬栽培が出来る。
人体には、無害であることは国が証明してくれている。
ミミズが驚くほど太く大きくなり、耕してくれる。
しかし、モグラがトンネルをつくる。ペットボトルで風車を
作って建てればその震動で防げる。
特にニームファームは、茄の苗の時の根切り虫や病原菌に強い。
御かげで、長い間収穫が可能となる。
「つるむらさき」が一面に芽を出している。間引いて
大きくする。
つるむらさきのお好み焼きは、美味である。
山菜には事欠かない。ノビルも花が咲き、種をつくり、
種を落としている。
二度目の新芽が出る。
これも、餃子やお好み焼き、炒め物として食する。
自然に生えたジャガイモも収穫出来る…。しばらくすれば、
茗荷が一面に出てくる。
山裾からの湧水は、小さな池に入り、池の下からの湧水と共に
洗い物、畑の水と恵みを与えてくれる。
これも何時かは、飲み水にしたい。
この土地の以前の持ち主は、飲料水として使われていた
歴史がある。名水とのこと。
池の傍にお地蔵さんがある。聞くところによると、
「目に効くお地蔵さん」とのこと。この水は腐らない。
先住者は、この水で目の病気を治されたという。
水をあげて、お願いをしている。どうか私と出会いを
させて頂いた人たちの目をお守りくださいと…。
社を新しくさせて頂くと約束をして、三年にもなる。
以前にも書いた。
今年こそ、材料は購入した。木を刻み、
ブロックを積み、屋根を葺き新しいところに入って頂く。
もう少しお待ち下さい。必ず今年はしますから…。
明日も、剣を鍬に持ち替えて、大地と対話する。
しかし、数は少ない。一時のように乱舞とまではいかない。
うれしい。
何故、例年より遅れているのか…。不思議。
明日は、上の畑に種を蒔く。
下肥えには肥料として毎年「ニームファーム」を使う。
ニームオイルを絞ったカスである。
これで土壌を活性化させる。
更に「ニームオイル(商品名よってこん)」を
定期的に噴霧する。
害虫が寄ってこないとともに、その生態、変態を阻止して
成長を止める効果がある。
定期的に施す肥料には「ニーム(商品名ドットナル)」。
これらは特定非営利活動法人都市問題総合研究所と
代理店契約をしている「四万十社」の製品である。
害虫には他社の製品より水に溶けやすく効き目が良い。
御かげで無農薬栽培が出来る。
人体には、無害であることは国が証明してくれている。
ミミズが驚くほど太く大きくなり、耕してくれる。
しかし、モグラがトンネルをつくる。ペットボトルで風車を
作って建てればその震動で防げる。
特にニームファームは、茄の苗の時の根切り虫や病原菌に強い。
御かげで、長い間収穫が可能となる。
「つるむらさき」が一面に芽を出している。間引いて
大きくする。
つるむらさきのお好み焼きは、美味である。
山菜には事欠かない。ノビルも花が咲き、種をつくり、
種を落としている。
二度目の新芽が出る。
これも、餃子やお好み焼き、炒め物として食する。
自然に生えたジャガイモも収穫出来る…。しばらくすれば、
茗荷が一面に出てくる。
山裾からの湧水は、小さな池に入り、池の下からの湧水と共に
洗い物、畑の水と恵みを与えてくれる。
これも何時かは、飲み水にしたい。
この土地の以前の持ち主は、飲料水として使われていた
歴史がある。名水とのこと。
池の傍にお地蔵さんがある。聞くところによると、
「目に効くお地蔵さん」とのこと。この水は腐らない。
先住者は、この水で目の病気を治されたという。
水をあげて、お願いをしている。どうか私と出会いを
させて頂いた人たちの目をお守りくださいと…。
社を新しくさせて頂くと約束をして、三年にもなる。
以前にも書いた。
今年こそ、材料は購入した。木を刻み、
ブロックを積み、屋根を葺き新しいところに入って頂く。
もう少しお待ち下さい。必ず今年はしますから…。
明日も、剣を鍬に持ち替えて、大地と対話する。
2008年07月02日
天地異変
環境問題が少しづつ表面化して、人々が意識しだした
ように感じる。
その役割にはマスコミの役割が大きい。
私どもが、知る情報は新聞・テレビ・ラジオ等を
媒体として受けてにわたる。
そして、安堵感も危機感もその度合いに応じて、起伏する。
今、「G8サミット」に注目が集まった…。
しかし、「原油と食糧の双子の高騰」に翻弄されている。
今の世界の様態は、「土地や水、食糧、燃料などの
限られた資源をめぐる戦争は、人類の歴史が始まって以来
繰り返されてきた。
だが、そうした圧力が、地球上のほとんどいたるところに
同時にのしかかってきたことはこれまでになかった
(朝日新聞主催地球環境シンポジウムにおける英国の
ベケット前外相の言葉)」このことに尽きるであろう。
少し違う視点から見てみたい。
人間が起こす様々な事件や現象と、地球いや宇宙・自然が現す
現象がある。
このことには因果関係がないように思われて論じられる
場合が多い。
私はそうは思わない。私は合氣武道の解説でよく
「宇宙との調和」という言葉を吐く。
この宇宙に存在するものは、「総量不変の法則」にある。
人のいう現世と来世においても同じである。
すると、化石燃料の枯渇化、化石燃料の多量使による
CO2の増加、そして地球の温暖化。
温暖化による干ばつや日照りは、人間の生き死にかかる
主食物の生産を著しく減少させる…。
温暖化によるものは、それだけではない。海面が上がる。
農地が減る。
感染症の流行地図が変わるなど、災厄の拡大…、
大規模な人口移動の誘発…など、
限りなく、現状を変えようとする力が働く。
そうであろう。人の體に例えれば、病原菌の侵入には、
體を熱く、高温にして抵抗する。
さらには、體の骨格を再調整してそれに立ち向かう。
さまざまな體自身を変化させて元の状態に戻そうとする。
最近の自然災害、中国四川省の激震・我が国の東北地震・
季節感がない温度の変化・海流の変化が及ぼす魚の異変…。
人間においては、若者の無差別殺人、尊属殺人の激化。
仕事社会にあっては、弱肉強食の露な現象、
人間の尊厳性の壊失、
具体には、秋葉原の殺人事件など、食品偽装問題、
偽装請負問題、企業トップの資質の欠如…。
政治においては、議会制民主主義の崩壊、不信、
官僚腐敗、特に、後期高齢者医療問題、
おしぼりタクシーなど…。
まさに末期症状を呈している。
この不調和をどのようにして、修復するのか…。
もう人智では無理であろう。
動物がからだについた、余分な水滴を全身を振り動かして、
飛ばすように、地球も行うであろう。
関東にあっては東京大地震、東海地震、関西では、
京都の花折れ断層・黄檗断層、和歌山沖の南海トラフ、
大阪中心の上町断層…これらの地震はいつ起こっても
不思議でない状態にある。
このまま負の連鎖が続けば、世界で大規模災害が
それも同時多発的に起こるのではないか…。地球を元の姿に
戻すために…。
獣が身ぶるいするように…。
その時、初めて自然に対する畏敬の念が認識されるのではないか。
ように感じる。
その役割にはマスコミの役割が大きい。
私どもが、知る情報は新聞・テレビ・ラジオ等を
媒体として受けてにわたる。
そして、安堵感も危機感もその度合いに応じて、起伏する。
今、「G8サミット」に注目が集まった…。
しかし、「原油と食糧の双子の高騰」に翻弄されている。
今の世界の様態は、「土地や水、食糧、燃料などの
限られた資源をめぐる戦争は、人類の歴史が始まって以来
繰り返されてきた。
だが、そうした圧力が、地球上のほとんどいたるところに
同時にのしかかってきたことはこれまでになかった
(朝日新聞主催地球環境シンポジウムにおける英国の
ベケット前外相の言葉)」このことに尽きるであろう。
少し違う視点から見てみたい。
人間が起こす様々な事件や現象と、地球いや宇宙・自然が現す
現象がある。
このことには因果関係がないように思われて論じられる
場合が多い。
私はそうは思わない。私は合氣武道の解説でよく
「宇宙との調和」という言葉を吐く。
この宇宙に存在するものは、「総量不変の法則」にある。
人のいう現世と来世においても同じである。
すると、化石燃料の枯渇化、化石燃料の多量使による
CO2の増加、そして地球の温暖化。
温暖化による干ばつや日照りは、人間の生き死にかかる
主食物の生産を著しく減少させる…。
温暖化によるものは、それだけではない。海面が上がる。
農地が減る。
感染症の流行地図が変わるなど、災厄の拡大…、
大規模な人口移動の誘発…など、
限りなく、現状を変えようとする力が働く。
そうであろう。人の體に例えれば、病原菌の侵入には、
體を熱く、高温にして抵抗する。
さらには、體の骨格を再調整してそれに立ち向かう。
さまざまな體自身を変化させて元の状態に戻そうとする。
最近の自然災害、中国四川省の激震・我が国の東北地震・
季節感がない温度の変化・海流の変化が及ぼす魚の異変…。
人間においては、若者の無差別殺人、尊属殺人の激化。
仕事社会にあっては、弱肉強食の露な現象、
人間の尊厳性の壊失、
具体には、秋葉原の殺人事件など、食品偽装問題、
偽装請負問題、企業トップの資質の欠如…。
政治においては、議会制民主主義の崩壊、不信、
官僚腐敗、特に、後期高齢者医療問題、
おしぼりタクシーなど…。
まさに末期症状を呈している。
この不調和をどのようにして、修復するのか…。
もう人智では無理であろう。
動物がからだについた、余分な水滴を全身を振り動かして、
飛ばすように、地球も行うであろう。
関東にあっては東京大地震、東海地震、関西では、
京都の花折れ断層・黄檗断層、和歌山沖の南海トラフ、
大阪中心の上町断層…これらの地震はいつ起こっても
不思議でない状態にある。
このまま負の連鎖が続けば、世界で大規模災害が
それも同時多発的に起こるのではないか…。地球を元の姿に
戻すために…。
獣が身ぶるいするように…。
その時、初めて自然に対する畏敬の念が認識されるのではないか。
2008年07月01日
モディリアーニ展
6月30日、招待を受けていた大阪北区中之島にある
国立国際美術館へ行った。
内覧会・開会式・レセプションへである。
毎回招待して頂き、一般の方より、一足先に見ることが
出来ることは大変うれしい。島学芸課長には感謝で一杯。
しかし、不思議な絵である。モディリアーニの絵については、
何故か首の長い顔の長い、しかも、全体的に統一体の
様相ではなく、身体の中心軸も何故か、もゃーっと
している印象しかなかった。
どこにそ魅力があるのか、もう一つ分らなかった。
今回、世界中から集められた油絵・素描約150点の
出展により、国内では過去最大級規模の展覧会である。
この大阪会場では、モディリアーニの最後の作品と
されている≪自画像≫が展示され、彼の原点から
代表作までの全容を知るのに素晴らしいものでした。
この展覧会を通じて、深く知ることが出来たことは幸せである。
モディリアーニは1884年に生まれて、20世紀初頭に
パリのモンテンパルナスで活躍した。
彼の創造の原点は、アフリカやオセアニア、
東南アジアなどの民族美術においている。
すなわち、プリミティヴイズム(原始主義)に端を発している。
彼が一時、彫刻に意識をもった。その題材は、
「カリアテッド」(建築用語で古くはアテネの
アクロポリスにあるアレクテイオンの人柱に見られるような、
リンテル(マグサ石)支える女性像をいう)であった。
私の絵画に対する少ない知識から察するには、
彼が描く対象物は肖像画が多い。
その意味もプリミティヴイズムに潜む人間の
深層感覚で捉えた「物の本質」を描こうとしたのではないか…。
浅学の予断と偏見ではあるがそのようにも想う。
その意味で婦人像を観ると、彼がパリで道行く
高貴で優雅な女性を飽きることなくスケッチしたことは
頷ける。
その肖像画には、何故か、ものありげな、意味を含んだ
表情と肢体であることも伺える。
(不謹慎ではあるが、先のカリアテッドの素描を
最初見た時、なぜか通天閣の「ビリケン」と
「ウルトラマン」の顔が思い浮かんだ…)
是非、この機会に会場に足を運んで頂きたい。国際美術館のこの素晴らしく企画された展覧会に。
国立国際美術館へ行った。
内覧会・開会式・レセプションへである。
毎回招待して頂き、一般の方より、一足先に見ることが
出来ることは大変うれしい。島学芸課長には感謝で一杯。
しかし、不思議な絵である。モディリアーニの絵については、
何故か首の長い顔の長い、しかも、全体的に統一体の
様相ではなく、身体の中心軸も何故か、もゃーっと
している印象しかなかった。
どこにそ魅力があるのか、もう一つ分らなかった。
今回、世界中から集められた油絵・素描約150点の
出展により、国内では過去最大級規模の展覧会である。
この大阪会場では、モディリアーニの最後の作品と
されている≪自画像≫が展示され、彼の原点から
代表作までの全容を知るのに素晴らしいものでした。
この展覧会を通じて、深く知ることが出来たことは幸せである。
モディリアーニは1884年に生まれて、20世紀初頭に
パリのモンテンパルナスで活躍した。
彼の創造の原点は、アフリカやオセアニア、
東南アジアなどの民族美術においている。
すなわち、プリミティヴイズム(原始主義)に端を発している。
彼が一時、彫刻に意識をもった。その題材は、
「カリアテッド」(建築用語で古くはアテネの
アクロポリスにあるアレクテイオンの人柱に見られるような、
リンテル(マグサ石)支える女性像をいう)であった。
私の絵画に対する少ない知識から察するには、
彼が描く対象物は肖像画が多い。
その意味もプリミティヴイズムに潜む人間の
深層感覚で捉えた「物の本質」を描こうとしたのではないか…。
浅学の予断と偏見ではあるがそのようにも想う。
その意味で婦人像を観ると、彼がパリで道行く
高貴で優雅な女性を飽きることなくスケッチしたことは
頷ける。
その肖像画には、何故か、ものありげな、意味を含んだ
表情と肢体であることも伺える。
(不謹慎ではあるが、先のカリアテッドの素描を
最初見た時、なぜか通天閣の「ビリケン」と
「ウルトラマン」の顔が思い浮かんだ…)
是非、この機会に会場に足を運んで頂きたい。国際美術館のこの素晴らしく企画された展覧会に。
2008年06月30日
産みだす苦しみ
本格的梅雨の様相になってきた。
畑もまだ半分の仕上げ。
畑を耕していると、水路のところでガサガサと音がする。
何かと思ってふと見ると、ウリボウが餌を探している。
一瞬、「とつてやろう!」意識が働く、近づいても逃げない。
親から逸れた子供であろう。
追い詰めると、じっと体を硬くして縮まっている。
そして、こちらを見る目が何故か愛くるしい。
ほっとけば、又、畑を荒らされる。
今までの被害が頭をよぎる。
しかし、彼らとて、ただ本能にまかせて、
自然の中の食べ物を探しているだけである。
人間様の勝手で、ただ敵対ししているだけであろう。
山へ追い返した。ボタン鍋を逸した…。しかし、
今の猪は、食べごろではない。脂がなく、
食に向かないようである。
食べる氣はない。生き物をの命を絶つことに、
拒絶感が非常に強い。
全てが生きている。人間もその中の一個だから…。
第一回舞鶴心身統一合氣道表武大会が無事終わった。
残念ながら、全員の参加は望めなかった。
子供クラスは二人の参加のみであった。
高槻からもK君が子供と参加してくれた。感謝である。
五年近く経つ。継続は力なり、の言葉通り
、大変上達された。
はじめに、私から、弘心館合気道の基本的考え方を話、
その目的とするところ、さらには、精神的位置づけを話した。
会員が「守手」「攻手」にたって體技を表武した。
その合間に、私が求めるものを具体的に説明していく。
舞鶴市へドイツから来られたいた数人が、市の方に連れられて、
見学、
體技・剣技・杖技等を終えた。
最後に五人以上を相手にする多人数掛けを行った。
合氣会も心身統一合氣道会、その他の合氣道も大体、
パターンは定まっている。あらかじめ決められた形を取る…。
今回は、全く新しい形を作り出すことにした。
しかし、不発に終わる…。
難しいものである。
一人でも受け身を取ろうとする者が
いてはいけない。如何に相手を倒そうとするか、の
「機」がなければならない。
體技などの単体の技は、全て、見直し、再建した。
しかし、多人数掛けでの「守手」として新しいものを
生み出すことは出来なかった。
しかし、理路的には完成している。
如何にして、調和を崩してくる複数の相手を、
地に崩すかが
課題である。
楽しみが増えた。
次回では、あっというものを見せたい!!!
畑もまだ半分の仕上げ。
畑を耕していると、水路のところでガサガサと音がする。
何かと思ってふと見ると、ウリボウが餌を探している。
一瞬、「とつてやろう!」意識が働く、近づいても逃げない。
親から逸れた子供であろう。
追い詰めると、じっと体を硬くして縮まっている。
そして、こちらを見る目が何故か愛くるしい。
ほっとけば、又、畑を荒らされる。
今までの被害が頭をよぎる。
しかし、彼らとて、ただ本能にまかせて、
自然の中の食べ物を探しているだけである。
人間様の勝手で、ただ敵対ししているだけであろう。
山へ追い返した。ボタン鍋を逸した…。しかし、
今の猪は、食べごろではない。脂がなく、
食に向かないようである。
食べる氣はない。生き物をの命を絶つことに、
拒絶感が非常に強い。
全てが生きている。人間もその中の一個だから…。
第一回舞鶴心身統一合氣道表武大会が無事終わった。
残念ながら、全員の参加は望めなかった。
子供クラスは二人の参加のみであった。
高槻からもK君が子供と参加してくれた。感謝である。
五年近く経つ。継続は力なり、の言葉通り
、大変上達された。
はじめに、私から、弘心館合気道の基本的考え方を話、
その目的とするところ、さらには、精神的位置づけを話した。
会員が「守手」「攻手」にたって體技を表武した。
その合間に、私が求めるものを具体的に説明していく。
舞鶴市へドイツから来られたいた数人が、市の方に連れられて、
見学、
體技・剣技・杖技等を終えた。
最後に五人以上を相手にする多人数掛けを行った。
合氣会も心身統一合氣道会、その他の合氣道も大体、
パターンは定まっている。あらかじめ決められた形を取る…。
今回は、全く新しい形を作り出すことにした。
しかし、不発に終わる…。
難しいものである。
一人でも受け身を取ろうとする者が
いてはいけない。如何に相手を倒そうとするか、の
「機」がなければならない。
體技などの単体の技は、全て、見直し、再建した。
しかし、多人数掛けでの「守手」として新しいものを
生み出すことは出来なかった。
しかし、理路的には完成している。
如何にして、調和を崩してくる複数の相手を、
地に崩すかが
課題である。
楽しみが増えた。
次回では、あっというものを見せたい!!!
2008年06月23日
グレシャムの法則
今から約40年前、自分の存在について想い悩んだ時期があった。
「個の存在」についてである。
文学書などでは解決しなかった。洋書に頼るしかなかったが、
それもまた不発に終わった。
子供の頃から、合氣武道を学んできたことが、
その意味を武道に求めて行った。
合氣会での修行も行き詰まりを感じた。
力の強いものには、技が掛らなかった。
何故か、本部での指導者は手頸が異常に太く、
余計に技が掛りにくかった。
聴く所によると、腕をビール瓶で叩いて鍛えているとのこと。
「米糠二合持つ力があれば合氣道は出来る」とは間違いでは?
合氣道の稽古では、どうしても力での技であり、
ギクシャクして上手くいかない。
そんな日々が続いたある日、総師範部長の籐平先生が
辞めて行かれた。
盛平翁亡きあとの後継者は、合氣道十段の
籐平先生との噂があった。
(技術は籐平光一氏、運営は植芝吉祥丸氏との役割分胆)
しかし、理事会ではそうはならなかった…。
その後心身統一合氣道を創設され、合氣道から「氣」をとれば、
ただの踊りだ。と説かれる籐平光一氏について、
一から学び直した…。
今、良かったと思っている。
長年続けていくうちに、體が自然の動き、
もともとDNAが持っていた體の動きに目覚めていった。
「力の合氣道」から「氣の合氣道」…しかし、
不思議なものである。
本物の合氣道を求めで、全国から集まったあの熱気は
何だったのか。
師は、「氣」を練りあうことの需要さを説かれた。
そして、技の乱れを防ぐために30の体技を造られて
いまに至っている。
しかし、今、本物であるべく「合氣道」が、「氣が出ている」
「技の大きさ」「リズム」の三つを標榜して、
派手なパフォーマンスをしている。
何故なのか、「氣」という言葉と「臍下の一点」だけが
一人歩きして、それだけで合氣道が分かったつもりに
なっているからである。
「氣」を練ることなど、どこかに行ってしまった。
さらには、體の基本の動きに対する體の各部分の
正しい遣いかたについて充分でないからである。
今、「合氣」を会得し、あらためて振り返った時、
合氣道はまだ完成されたものではないことがはっきり分かった。
弘心館合氣道の求めるところは、三つある。そして進化している。
「錬氣」…氣を練り合うこと。そのためには、全身の各部を
正しく遣うとともに、206の骨と500ある筋肉
(特に體の中の筋肉を意識して正しく遣うことにある。
そして「合氣」を会 得することにある。
「表武」…武を表すこと。(静體技・動體技・流體技として)
「實践」…教えの本質を、社会に実生活にいかすこと
そして、その精神性は「陽明学」に置くことは言うまでもない。
すなわち、「知行合一」である。
「個の存在」についてである。
文学書などでは解決しなかった。洋書に頼るしかなかったが、
それもまた不発に終わった。
子供の頃から、合氣武道を学んできたことが、
その意味を武道に求めて行った。
合氣会での修行も行き詰まりを感じた。
力の強いものには、技が掛らなかった。
何故か、本部での指導者は手頸が異常に太く、
余計に技が掛りにくかった。
聴く所によると、腕をビール瓶で叩いて鍛えているとのこと。
「米糠二合持つ力があれば合氣道は出来る」とは間違いでは?
合氣道の稽古では、どうしても力での技であり、
ギクシャクして上手くいかない。
そんな日々が続いたある日、総師範部長の籐平先生が
辞めて行かれた。
盛平翁亡きあとの後継者は、合氣道十段の
籐平先生との噂があった。
(技術は籐平光一氏、運営は植芝吉祥丸氏との役割分胆)
しかし、理事会ではそうはならなかった…。
その後心身統一合氣道を創設され、合氣道から「氣」をとれば、
ただの踊りだ。と説かれる籐平光一氏について、
一から学び直した…。
今、良かったと思っている。
長年続けていくうちに、體が自然の動き、
もともとDNAが持っていた體の動きに目覚めていった。
「力の合氣道」から「氣の合氣道」…しかし、
不思議なものである。
本物の合氣道を求めで、全国から集まったあの熱気は
何だったのか。
師は、「氣」を練りあうことの需要さを説かれた。
そして、技の乱れを防ぐために30の体技を造られて
いまに至っている。
しかし、今、本物であるべく「合氣道」が、「氣が出ている」
「技の大きさ」「リズム」の三つを標榜して、
派手なパフォーマンスをしている。
何故なのか、「氣」という言葉と「臍下の一点」だけが
一人歩きして、それだけで合氣道が分かったつもりに
なっているからである。
「氣」を練ることなど、どこかに行ってしまった。
さらには、體の基本の動きに対する體の各部分の
正しい遣いかたについて充分でないからである。
今、「合氣」を会得し、あらためて振り返った時、
合氣道はまだ完成されたものではないことがはっきり分かった。
弘心館合氣道の求めるところは、三つある。そして進化している。
「錬氣」…氣を練り合うこと。そのためには、全身の各部を
正しく遣うとともに、206の骨と500ある筋肉
(特に體の中の筋肉を意識して正しく遣うことにある。
そして「合氣」を会 得することにある。
「表武」…武を表すこと。(静體技・動體技・流體技として)
「實践」…教えの本質を、社会に実生活にいかすこと
そして、その精神性は「陽明学」に置くことは言うまでもない。
すなわち、「知行合一」である。
2008年06月21日
畑仕事
一週間間過ぎると、草が10pは伸びている。
これから八月までは、草との闘いである。
二台の草刈り機がフル回転の時期でもある。
刈っても刈っても伸びてくる…。当たり前のこと。
種を蒔いて、野菜の芽が出る。しかし、後から生えてくる
草の方が先に伸びてくる。
そして、知らぬ間に野菜の芽に覆いかぶさるようにして、
太陽の光を遮断する…。
そして、何時の間にか野菜は消えてしまう…。
ものを言わない植物なのだが…、土の中では歯列な闘いが
繰り返されている。
一番上の畑は一切手を加えないでそのままにしておいた。
すると、長い間見なかった「茗荷」が一斉に芽を出した…。
水蕗、野蕗も伸び伸びと広がりだす。
毎年その顔を変えてくる。
それだけ地下では、暗黙の激闘が繰り返されているのであろう。
食物にとっては、太陽の光がその生存のカギを握る。
陽の光を我先に求めて、天に伸びようとする。
それも他と少しでも
早く…。
天地に伸びる…、人も同じである。
これから八月までは、草との闘いである。
二台の草刈り機がフル回転の時期でもある。
刈っても刈っても伸びてくる…。当たり前のこと。
種を蒔いて、野菜の芽が出る。しかし、後から生えてくる
草の方が先に伸びてくる。
そして、知らぬ間に野菜の芽に覆いかぶさるようにして、
太陽の光を遮断する…。
そして、何時の間にか野菜は消えてしまう…。
ものを言わない植物なのだが…、土の中では歯列な闘いが
繰り返されている。
一番上の畑は一切手を加えないでそのままにしておいた。
すると、長い間見なかった「茗荷」が一斉に芽を出した…。
水蕗、野蕗も伸び伸びと広がりだす。
毎年その顔を変えてくる。
それだけ地下では、暗黙の激闘が繰り返されているのであろう。
食物にとっては、太陽の光がその生存のカギを握る。
陽の光を我先に求めて、天に伸びようとする。
それも他と少しでも
早く…。
天地に伸びる…、人も同じである。
2008年06月17日
茶と武
日本屈指の茶師、前田文雄氏の話をTVで聴く機会があった。
氏は、大学卒業後、企業に勤めた後、父親のあとをついで
茶師の道に入る。
転機は27歳の時に来た。
茶葉の大量の仕入れ時に、良いものだけを買う。
その時、師である父の一言、「良いお茶だけを探し出すのが
茶師ではない、どうでも良いお茶の中に本物が潜んでいるのだ」
「お茶がわかっていない!」。
その意味がなかなか分らなかった。
「うちへ来たお茶は見捨てない。良くして世の中に出す。
それが真の茶師だ」。
そのことが自らのものとしてわかるまで
「お茶の声に耳を澄ます…」五年の月日が過ぎた。
彼は今、売れ残りの茶葉と向き合う。
そして、「合組(ごうぐみ)」をすることにより、それぞれの茶葉の
特徴を混ぜ合わせて、独特の風味のある最高のお茶に仕上げる。
それが茶師の仕事であると…。
「良いお茶とは、伸びるお茶を言う」と。
彼は、仕事の合間に空手の修練をする。
決断する時に、必要な意識を高めるために…と。
彼の言葉の中で、すごく惹かれる一言がある。
それは「茶葉を観る時、じっと見ない。
見ると意識が働いてしまう。
さっと見流す…、すると無意識に感じてくる…」
一つの道を窮めていくと、全てが一つになる。
合氣武道も同じである。
教える立場にあるものは、形だけでなく、人間としての
内側を観る、
そして人格の涵養に努力することが第一義であろう。
慕ってくる者には、限りない愛を、そして至誠・至公で
対峙することが必要である。
そして、相手と対峙した時には、相手を外観を観ない。
見ているとも無く、見ないでもなく、慈眼温容の眼差しで、
無意識感で相手の内(心)観る…。
茶道も武道も…道と名の付くものの真髄がそこにある。
氏は、大学卒業後、企業に勤めた後、父親のあとをついで
茶師の道に入る。
転機は27歳の時に来た。
茶葉の大量の仕入れ時に、良いものだけを買う。
その時、師である父の一言、「良いお茶だけを探し出すのが
茶師ではない、どうでも良いお茶の中に本物が潜んでいるのだ」
「お茶がわかっていない!」。
その意味がなかなか分らなかった。
「うちへ来たお茶は見捨てない。良くして世の中に出す。
それが真の茶師だ」。
そのことが自らのものとしてわかるまで
「お茶の声に耳を澄ます…」五年の月日が過ぎた。
彼は今、売れ残りの茶葉と向き合う。
そして、「合組(ごうぐみ)」をすることにより、それぞれの茶葉の
特徴を混ぜ合わせて、独特の風味のある最高のお茶に仕上げる。
それが茶師の仕事であると…。
「良いお茶とは、伸びるお茶を言う」と。
彼は、仕事の合間に空手の修練をする。
決断する時に、必要な意識を高めるために…と。
彼の言葉の中で、すごく惹かれる一言がある。
それは「茶葉を観る時、じっと見ない。
見ると意識が働いてしまう。
さっと見流す…、すると無意識に感じてくる…」
一つの道を窮めていくと、全てが一つになる。
合氣武道も同じである。
教える立場にあるものは、形だけでなく、人間としての
内側を観る、
そして人格の涵養に努力することが第一義であろう。
慕ってくる者には、限りない愛を、そして至誠・至公で
対峙することが必要である。
そして、相手と対峙した時には、相手を外観を観ない。
見ているとも無く、見ないでもなく、慈眼温容の眼差しで、
無意識感で相手の内(心)観る…。
茶道も武道も…道と名の付くものの真髄がそこにある。
2008年06月14日
異変
毎年6月の第一日曜日には敷地内の湧水水路から、
源氏ホタルが乱舞する。
しかし、今年はその姿はない。
何故か、カワニナが減少して、その姿も見ない。
カワニナの天敵のせいなのか…。
あるいは大陸(中国)からの最近の黄砂に含まれる
重金属のために酸性物質となって降り注ぐために、
生態系に変化が少しづつ進行しているのかも知れない…。
裏の土蔵の際を流れている水路も、オニヤンマのふるさと
である。
八年前には多くのヤゴが土蔵の壁を登って、孵化した。
そして、その水路の上を幾度となく繰りかえり旋回をしていた。
道場の吐き出しの引き戸を開けておくと、必ず入ってくる。
そして、旋回して又出ていく…。
その姿も昨年から、激変した。今年はどうであろうか…。
源氏ホタルが乱舞する。
しかし、今年はその姿はない。
何故か、カワニナが減少して、その姿も見ない。
カワニナの天敵のせいなのか…。
あるいは大陸(中国)からの最近の黄砂に含まれる
重金属のために酸性物質となって降り注ぐために、
生態系に変化が少しづつ進行しているのかも知れない…。
裏の土蔵の際を流れている水路も、オニヤンマのふるさと
である。
八年前には多くのヤゴが土蔵の壁を登って、孵化した。
そして、その水路の上を幾度となく繰りかえり旋回をしていた。
道場の吐き出しの引き戸を開けておくと、必ず入ってくる。
そして、旋回して又出ていく…。
その姿も昨年から、激変した。今年はどうであろうか…。
2008年06月10日
宇宙の調和が崩れる時…
本を詠むのが好きで、月に数回は書店に立ち寄る。
不思議な現象を眼にした。
「蟹工船」「資本論」という名前の本が積み上げられて
並べられている。
最近良く売れるという。
今から40年ほど前、大月書店の「資本論」28巻を
読破したことがある。
その時に、「背教者、カウツキー…」という言葉も覚えた。
「歌声喫茶」でロシア民謡を、アコーディオン奏者のリードで
うたった時期もあった…。
若き青春時代の一時的な麻疹にかかって…。
しかし、何か一つの大きな流れがあった。
今はどうであろうか。
年収200万円の低所得層の若者が1000万人を超えているという。
働く意思意欲があっても働く場所がない「ワーキングプァー」
と言われている層である。
そしてさらに、全く働く意思のない「ニート」と
呼ばれる層も約460万人…。
そして、政治は、超高齢社会に対して無策といってよいほど、
空虚化している。
国会の予算委員会を見ても、しらけてしまうような
討議が繰り返されている。
年金問題、後期高齢者医療問題…、そして、
人の命を無視する事件が頻発している…。
昨日の秋葉原の14人の殺傷事件は今の我が国の
行き着く所まで行きついた状況を端的に表していると
言っても過言ではない。
隣国の韓国では、アメリカからの牛肉問題で、100万人のデモ。
そのキーマンは、驚くべきことに、小中高生である。
そしてさらには14歳の少年が立ち上げインターネットの
署名には、短期間で約140万人の署名が集まったとのこと。
何が違うのであろうか。
同じ儒教の洗礼を受けた国でありながら、
全く異なった状況である。
しかし、マグマのように地中深くに燃え立つものが
少しづつ地表に近付いてくるような氣がしてならない。
恣意的人工的な異変か、それとも自然現象的な天地異変か…。
何故か不気味な「氣」を感じるのは、私でだけであろうか。
不思議な現象を眼にした。
「蟹工船」「資本論」という名前の本が積み上げられて
並べられている。
最近良く売れるという。
今から40年ほど前、大月書店の「資本論」28巻を
読破したことがある。
その時に、「背教者、カウツキー…」という言葉も覚えた。
「歌声喫茶」でロシア民謡を、アコーディオン奏者のリードで
うたった時期もあった…。
若き青春時代の一時的な麻疹にかかって…。
しかし、何か一つの大きな流れがあった。
今はどうであろうか。
年収200万円の低所得層の若者が1000万人を超えているという。
働く意思意欲があっても働く場所がない「ワーキングプァー」
と言われている層である。
そしてさらに、全く働く意思のない「ニート」と
呼ばれる層も約460万人…。
そして、政治は、超高齢社会に対して無策といってよいほど、
空虚化している。
国会の予算委員会を見ても、しらけてしまうような
討議が繰り返されている。
年金問題、後期高齢者医療問題…、そして、
人の命を無視する事件が頻発している…。
昨日の秋葉原の14人の殺傷事件は今の我が国の
行き着く所まで行きついた状況を端的に表していると
言っても過言ではない。
隣国の韓国では、アメリカからの牛肉問題で、100万人のデモ。
そのキーマンは、驚くべきことに、小中高生である。
そしてさらには14歳の少年が立ち上げインターネットの
署名には、短期間で約140万人の署名が集まったとのこと。
何が違うのであろうか。
同じ儒教の洗礼を受けた国でありながら、
全く異なった状況である。
しかし、マグマのように地中深くに燃え立つものが
少しづつ地表に近付いてくるような氣がしてならない。
恣意的人工的な異変か、それとも自然現象的な天地異変か…。
何故か不気味な「氣」を感じるのは、私でだけであろうか。
2008年06月03日
起業者・経営者の資格
日本電産の永守重信社長の経営哲学を聞いた。
若くして小型モーターの開発を手掛け、日本の企業への
売り込みに成果が上がらない時、単身アメリカに渡り
商談をまとめ、会社の危機を救う。
その後、M&Aで多くの中小企業を買収。
そして、リストラなしで、再建する。
赤字を黒字にされたのも尋常ではない。
僅か11か月で、5.6億円の赤字を20億円に変えた。
「日本サーポ」という会社である。
その会社の元社長はいう「今まで気付かなかったことに着目
されたのには驚きと自らの無知を知りました…」と。
永守氏は言う。
「今日も有難う。明日はもっと上手くいきますように、
明後日は更に上手くいく…と念じる」ことです。
まさ、にプラスの発想である。
そして、@「社員にコスト意識をUPさせる」
そのためには、一つ一つの行動には稟議書をださす。
意識付けである。
A真面目に働くほど報われることを意識させる。
再建一年限りの早期出社。
B無駄な経費の徹底した排除(ボールペンなど事務器具の使いまわし、無駄な照明器具と取り外しと消灯など。
C会社経営が上昇すれば、社員には利益率に応じた
ボーナスが出る。
そして、作業効率のアップのための作業機器の定位置化…、
彼自身が職場を回り、社員との指示と対話…など。
彼の発想は、
「行き詰った時こそチャンス」
「社員の怠惰は社長の責任」
「汚い会社は利益はマイナス」
「社員は才能は5、やる気は100がよい」…。
「目標は会社が世界中に広がり、楽しく働く社員の姿
を見ることが夢」
と云う。
最近には見られない人物でもある。
彼の経営主観は、「ともに幸せなること」とその為には
独り独りの社員の人格向上のための躾をする。
「情報の共有」トップと社員との信頼は意識の共有であること。
「対等に話あう」「ともに苦労する気構え」
「徹底した無駄の排除」となる。
纏めれば次の五点になる。
常に氣が出ている
「確実な指示」「経営方針の徹底」
常に相手の心を知る
「対等に話し合う」
「情報の共有」
常に相手の氣を尊ぶ
「意識・情報の共有」
常に相手の立場に立つ
「対等に話し合う」「リストラはしない」
常に率先窮行
「徹底した無駄の排除」
となる。
これからの時代に彼のような人物が出現することはあるので
あろうか。
彼は言う。
「富士山に登るには、周到な準備と重たい荷物を背負うことが
求められる。
そして、時間をかけて歩いて歩いて、頂上に達する。
しかし、今は違う、都会の真ん中からヘリコプターで
富士山の九合目まで行き、ティシャツであとを登り、
そして、又帰る。
こんなことでも登ったことにはなる。
しかし、心と體に刻みこまれた登山には雲泥の差があることが、
起業でも言うことができる。
そこには、何故企業なのか、何の目的で企業を起こすのか、誰のためなのか、基づく哲学は何か…などが明確かどうか、が求められるのである。1人1人の社員が集まって組織となる。その組織が会社を形成するのである。経営の原点は、人にある。
若くして小型モーターの開発を手掛け、日本の企業への
売り込みに成果が上がらない時、単身アメリカに渡り
商談をまとめ、会社の危機を救う。
その後、M&Aで多くの中小企業を買収。
そして、リストラなしで、再建する。
赤字を黒字にされたのも尋常ではない。
僅か11か月で、5.6億円の赤字を20億円に変えた。
「日本サーポ」という会社である。
その会社の元社長はいう「今まで気付かなかったことに着目
されたのには驚きと自らの無知を知りました…」と。
永守氏は言う。
「今日も有難う。明日はもっと上手くいきますように、
明後日は更に上手くいく…と念じる」ことです。
まさ、にプラスの発想である。
そして、@「社員にコスト意識をUPさせる」
そのためには、一つ一つの行動には稟議書をださす。
意識付けである。
A真面目に働くほど報われることを意識させる。
再建一年限りの早期出社。
B無駄な経費の徹底した排除(ボールペンなど事務器具の使いまわし、無駄な照明器具と取り外しと消灯など。
C会社経営が上昇すれば、社員には利益率に応じた
ボーナスが出る。
そして、作業効率のアップのための作業機器の定位置化…、
彼自身が職場を回り、社員との指示と対話…など。
彼の発想は、
「行き詰った時こそチャンス」
「社員の怠惰は社長の責任」
「汚い会社は利益はマイナス」
「社員は才能は5、やる気は100がよい」…。
「目標は会社が世界中に広がり、楽しく働く社員の姿
を見ることが夢」
と云う。
最近には見られない人物でもある。
彼の経営主観は、「ともに幸せなること」とその為には
独り独りの社員の人格向上のための躾をする。
「情報の共有」トップと社員との信頼は意識の共有であること。
「対等に話あう」「ともに苦労する気構え」
「徹底した無駄の排除」となる。
纏めれば次の五点になる。
常に氣が出ている
「確実な指示」「経営方針の徹底」
常に相手の心を知る
「対等に話し合う」
「情報の共有」
常に相手の氣を尊ぶ
「意識・情報の共有」
常に相手の立場に立つ
「対等に話し合う」「リストラはしない」
常に率先窮行
「徹底した無駄の排除」
となる。
これからの時代に彼のような人物が出現することはあるので
あろうか。
彼は言う。
「富士山に登るには、周到な準備と重たい荷物を背負うことが
求められる。
そして、時間をかけて歩いて歩いて、頂上に達する。
しかし、今は違う、都会の真ん中からヘリコプターで
富士山の九合目まで行き、ティシャツであとを登り、
そして、又帰る。
こんなことでも登ったことにはなる。
しかし、心と體に刻みこまれた登山には雲泥の差があることが、
起業でも言うことができる。
そこには、何故企業なのか、何の目的で企業を起こすのか、誰のためなのか、基づく哲学は何か…などが明確かどうか、が求められるのである。1人1人の社員が集まって組織となる。その組織が会社を形成するのである。経営の原点は、人にある。
二代継承者
心身統一合氣道会の会長として、籐平光一宗主の
子息籐平信一氏が二代継承として、受け継つがれ
指導者研修の講師として、来阪した。
彼が四歳の時、学生時代、結婚式の時、本部道場で、
関西地区本部でと一つ一つの節目で会ってきた。
素晴らしく成長された。
只、35歳、人格が滲み出るには年が浅い。
籐平会長の名代として、アメリカ、ヨーロッパへ
指導に行く機会が多くあり、様々な人種との対話と
合氣体技の対峙で、自身がついているように伺えた。
講習会のあとの食事会での席上で、いろいろな話をした。
その中で私は「合氣道は格闘技であることを自覚すべき」
「踊る合氣道ではない」「人格の陶冶に基本を置くこと…」
など、忌憚ない言葉を投げかけた。
彼は頷き、同様の趣氣を表してくれた。
父親から様々な想いを受け継いでこられたと想像する。
しかし、「氣」「臍下の一点」とその言葉から派生する
語彙だけでは長続きは困難であろう。
「氣」「心」についても、もっと深く、語源、中国・
我が国での歴史上での変遷等、学問的にも思慮することも必要だ。
さらには、東洋哲学の歴史的変遷と学問的見地から、
日本人のもつ精神的背景とその構造にも系統立てて、
認識することが求められる。
そして、自然人としての人の體の持つ潜在的な正しい「動き」
「働き」についてまで、言及すべきであろう。
心の法則と身体の法則を説くならば、「體」の仕組みと
正しい動きからまず説くべきであろう。
その上に立った経験と体験からの発言でなければならない。
まず、自分自身が何者なのか、何のために今存在するのか、
何所へ行こうとしているのか…など自己検証をまず乗り越え
なければならない。
敢えて苦言を呈するのは、心身統一合氣道の創始者である
父籐平光一宗主の書かれた「唱句集」において、
一つの矛盾律があるからである。
新しい組織作りに挑む姿は、頼もしい。
ただし、父親の教えのみでは駄目である。「宗主が…仰った…」
「宗主が技については…」などとの発言が多いのは無意味である。
教えそのものを自らのものにしていない証拠でもある。
「子(弟子)は、父親(師)を乗り越えてこそ一人前である…」
との言葉がある。
「虎の威を借る狐」であってはならない。
これからの精進を祈っている。
彼であれば、その想いは、速かれ遅かれ成就されるであろう。
見守っていきたい。
子息籐平信一氏が二代継承として、受け継つがれ
指導者研修の講師として、来阪した。
彼が四歳の時、学生時代、結婚式の時、本部道場で、
関西地区本部でと一つ一つの節目で会ってきた。
素晴らしく成長された。
只、35歳、人格が滲み出るには年が浅い。
籐平会長の名代として、アメリカ、ヨーロッパへ
指導に行く機会が多くあり、様々な人種との対話と
合氣体技の対峙で、自身がついているように伺えた。
講習会のあとの食事会での席上で、いろいろな話をした。
その中で私は「合氣道は格闘技であることを自覚すべき」
「踊る合氣道ではない」「人格の陶冶に基本を置くこと…」
など、忌憚ない言葉を投げかけた。
彼は頷き、同様の趣氣を表してくれた。
父親から様々な想いを受け継いでこられたと想像する。
しかし、「氣」「臍下の一点」とその言葉から派生する
語彙だけでは長続きは困難であろう。
「氣」「心」についても、もっと深く、語源、中国・
我が国での歴史上での変遷等、学問的にも思慮することも必要だ。
さらには、東洋哲学の歴史的変遷と学問的見地から、
日本人のもつ精神的背景とその構造にも系統立てて、
認識することが求められる。
そして、自然人としての人の體の持つ潜在的な正しい「動き」
「働き」についてまで、言及すべきであろう。
心の法則と身体の法則を説くならば、「體」の仕組みと
正しい動きからまず説くべきであろう。
その上に立った経験と体験からの発言でなければならない。
まず、自分自身が何者なのか、何のために今存在するのか、
何所へ行こうとしているのか…など自己検証をまず乗り越え
なければならない。
敢えて苦言を呈するのは、心身統一合氣道の創始者である
父籐平光一宗主の書かれた「唱句集」において、
一つの矛盾律があるからである。
新しい組織作りに挑む姿は、頼もしい。
ただし、父親の教えのみでは駄目である。「宗主が…仰った…」
「宗主が技については…」などとの発言が多いのは無意味である。
教えそのものを自らのものにしていない証拠でもある。
「子(弟子)は、父親(師)を乗り越えてこそ一人前である…」
との言葉がある。
「虎の威を借る狐」であってはならない。
これからの精進を祈っている。
彼であれば、その想いは、速かれ遅かれ成就されるであろう。
見守っていきたい。
進化
嘉納治五郎氏が日本の柔術から乱取りを取り入れ、
試合形式として広めた柔道が変わりつつある。
日本の伝統の柔道と、「柔道」から「JUDO」と表記される
ヨーロッパのJUDOとは、異なってきた。
日本柔道が「一本を取る」ことにこだわる、奇麗な柔道である。
しかし、勝ちにこだわるヨーロッパのJUDOは一本には
こだわらない。
きたないJUDO。すなわち、相手に奇麗な柔道をさせない
JUDOなのである。
具体的には、日本は、間合いをとり、腕、袖をとって
技を仕掛ける。
ヨーロッパのJUDOは、相手に間合いを取られないで、
身体を密着させて技を仕掛けるのである。
特にグルジア(あらゆる格闘技の技など)を多用する。
その意味は、当然一本となると思われた瞬間に體をひねり、
相手の體に密着させて反転させて、有効を取る、などである。
今回の北京オリンピック代表を決める大会では、その様子が
はっきりと見えた。
日本の重量級の代表となった石井 慧氏の勝ち方はまさに
それを目指していた。
彼の口から、次のような言葉がもれた。
「日本の柔道は進化していない」
「ヨーロッパは進化している」と。
そして、野球選手で日本からメジャーへ、そして大きく
活躍しているイチロー選手も
「日本はフォーメーション、型に捉われ過ぎ、それが個性を
潰している」と。
嘉納治五郎氏をして「合氣道が本来の柔道である」と
言わしめた合氣道もその視点で見た場合、
進化しているのであろうか。
少なくとも、「合氣」について日夜心が體を動かす修練に
心を砕いている者には、一つの示唆でもある。
又、低迷する我が国の経済においても同様、如何に低迷からの
脱出を図るか、今、新しい発想(進化)が求められている。
試合形式として広めた柔道が変わりつつある。
日本の伝統の柔道と、「柔道」から「JUDO」と表記される
ヨーロッパのJUDOとは、異なってきた。
日本柔道が「一本を取る」ことにこだわる、奇麗な柔道である。
しかし、勝ちにこだわるヨーロッパのJUDOは一本には
こだわらない。
きたないJUDO。すなわち、相手に奇麗な柔道をさせない
JUDOなのである。
具体的には、日本は、間合いをとり、腕、袖をとって
技を仕掛ける。
ヨーロッパのJUDOは、相手に間合いを取られないで、
身体を密着させて技を仕掛けるのである。
特にグルジア(あらゆる格闘技の技など)を多用する。
その意味は、当然一本となると思われた瞬間に體をひねり、
相手の體に密着させて反転させて、有効を取る、などである。
今回の北京オリンピック代表を決める大会では、その様子が
はっきりと見えた。
日本の重量級の代表となった石井 慧氏の勝ち方はまさに
それを目指していた。
彼の口から、次のような言葉がもれた。
「日本の柔道は進化していない」
「ヨーロッパは進化している」と。
そして、野球選手で日本からメジャーへ、そして大きく
活躍しているイチロー選手も
「日本はフォーメーション、型に捉われ過ぎ、それが個性を
潰している」と。
嘉納治五郎氏をして「合氣道が本来の柔道である」と
言わしめた合氣道もその視点で見た場合、
進化しているのであろうか。
少なくとも、「合氣」について日夜心が體を動かす修練に
心を砕いている者には、一つの示唆でもある。
又、低迷する我が国の経済においても同様、如何に低迷からの
脱出を図るか、今、新しい発想(進化)が求められている。
2008年05月07日
自然との対話
田植えが終わった。カエルの大合唱が聞こえる。
裏山では、ノビルが花をつけている。
水蕗が大きな葉を広げている。
野蕗もか細い茎に小さな葉を精一杯広げている。
毎年ビックリグミが花を一杯咲かせているが、
実になるのはわずか。
それもヒヨドリの食事で終わる。
一週間前に草刈りをしたところが既に草が背伸びしている…。
少し遅れたが野菜のを植える準備にかかる。
耕運機が故障。時間をみてキャブレターを分解
しなければならない。
その間は、手作業だ。備中で掘り起こす。
チュウリップはもう散ってしまった。
葉が枯れるのをまって球根を掘り起こす。
来年は倍の五百本を植えたい。
今年も万願寺甘唐、伏見の甘唐、胡瓜、トマト、茄等を植える。
昨年作った小さな池は、猪に潰されてしまった。
もう一度やり直し、鰌、メダカ、タニシなどを飼ってみたい。
今年は何故かカワニナが少ない。
ホタルは少ないかもしれない。
毎年六月の第一日曜日には、源氏ホタルの乱舞が見られる。
しかし、年々少なくなっている。心配だ。
昨年の一年は、體を悪くしたために、充分な作業は
出来なかった。
草刈りも…。その為に、今まで見られなかった様々の
山野草が現れた。
草刈りをしなかったために、一面に茗荷も芽を出した。
今年は沢山の収穫があるだろう。
體の回復とともに、合氣も新しい形で蘇ってきた。
剣を鍬に持ち替えて大地との対話をする毎に、體から
新しい何かが迸る。
天地を繋ぐ垂直線が天から自らの體を通して地に入る時、
不思議な感覚が體を目覚めさす。
天は何を示唆されているのであろうか。
全身の神経を集中させて、五感に送られてくる導きを待つ…。
一瞬、大地が動き何かを囁く…、名前の知らない草が
自分を観ている…、そして語りかける
「何もかも全ては同じなんだ…、
同じ大地とともに生かされている…、と」。
私の合氣武道は、相手と対峙しない。いかなる場合も、
同じところへ向かう。
それも同じ正中心軸に重なり合おうとして一つになる…。
その瞬間、調和を破ろうとする相手は、崩れて倒れている。
不思議でもなんでもない。もともと宇宙から生じた一体なのだから…。
毎年春は、こんな具合にして幕を開けてくれる。
そして、一つの示唆を體に示してくれる。
裏山では、ノビルが花をつけている。
水蕗が大きな葉を広げている。
野蕗もか細い茎に小さな葉を精一杯広げている。
毎年ビックリグミが花を一杯咲かせているが、
実になるのはわずか。
それもヒヨドリの食事で終わる。
一週間前に草刈りをしたところが既に草が背伸びしている…。
少し遅れたが野菜のを植える準備にかかる。
耕運機が故障。時間をみてキャブレターを分解
しなければならない。
その間は、手作業だ。備中で掘り起こす。
チュウリップはもう散ってしまった。
葉が枯れるのをまって球根を掘り起こす。
来年は倍の五百本を植えたい。
今年も万願寺甘唐、伏見の甘唐、胡瓜、トマト、茄等を植える。
昨年作った小さな池は、猪に潰されてしまった。
もう一度やり直し、鰌、メダカ、タニシなどを飼ってみたい。
今年は何故かカワニナが少ない。
ホタルは少ないかもしれない。
毎年六月の第一日曜日には、源氏ホタルの乱舞が見られる。
しかし、年々少なくなっている。心配だ。
昨年の一年は、體を悪くしたために、充分な作業は
出来なかった。
草刈りも…。その為に、今まで見られなかった様々の
山野草が現れた。
草刈りをしなかったために、一面に茗荷も芽を出した。
今年は沢山の収穫があるだろう。
體の回復とともに、合氣も新しい形で蘇ってきた。
剣を鍬に持ち替えて大地との対話をする毎に、體から
新しい何かが迸る。
天地を繋ぐ垂直線が天から自らの體を通して地に入る時、
不思議な感覚が體を目覚めさす。
天は何を示唆されているのであろうか。
全身の神経を集中させて、五感に送られてくる導きを待つ…。
一瞬、大地が動き何かを囁く…、名前の知らない草が
自分を観ている…、そして語りかける
「何もかも全ては同じなんだ…、
同じ大地とともに生かされている…、と」。
私の合氣武道は、相手と対峙しない。いかなる場合も、
同じところへ向かう。
それも同じ正中心軸に重なり合おうとして一つになる…。
その瞬間、調和を破ろうとする相手は、崩れて倒れている。
不思議でもなんでもない。もともと宇宙から生じた一体なのだから…。
毎年春は、こんな具合にして幕を開けてくれる。
そして、一つの示唆を體に示してくれる。
2008年04月22日
武農合一
以前にも「武農合一」について述べた。
武と農の関係は深い。農が武を生み出した
すなわち、武農合一は表裏一体である。
大地との対話は、様々なことを示唆してくれる。
備中を大地に打ち下ろすとき、まず、天との対話が先にある。
天が心地よく抱擁してくれた時、地はこれまた素直に
受け入れてくれる…。
そのことは、體の正中心軸が、眼に見えない天地を貫いている
垂直線上と一つになった時、體の中心軸を通して、
天地の対話が始まる。
力はいらない。只、大地が求める方向が決まれば、
素直に振り下ろすだけでよい。心地よく応えてくれる…。
體に疲れはない。天地の氣を受けて、體が輝く。
體に精気が満ちてくるのが自覚できる。
この一瞬の調和は、どのように言葉で表現すれば良いのか。
生かされていることの意識が高まると同時に、
頭上に百会から正中心軸に添って会陰へ稲妻のような衝撃が走る。
その時、全身の力が全く抜けて、宇宙空間に漂う感覚が起こり、
天と鍬と體と大地が一直線上に重なり、無限の力(氣)が
満ち溢れた感覚を覚える…。
鍬は天地と調和をとる。
このような感覚が毎年、今頃すなわち、「暖則生」の
時期になると、私の體に意識させてくれる。
有難い。本当に有難い。今年も「武農合一」を天地は
与えてくれた。感謝で一杯。
自らの「良知」が発露する時期。
そして、「合氣」が進化する。
さあー、氣力の限り、人のため社会のためにつくそう。
武と農の関係は深い。農が武を生み出した
すなわち、武農合一は表裏一体である。
大地との対話は、様々なことを示唆してくれる。
備中を大地に打ち下ろすとき、まず、天との対話が先にある。
天が心地よく抱擁してくれた時、地はこれまた素直に
受け入れてくれる…。
そのことは、體の正中心軸が、眼に見えない天地を貫いている
垂直線上と一つになった時、體の中心軸を通して、
天地の対話が始まる。
力はいらない。只、大地が求める方向が決まれば、
素直に振り下ろすだけでよい。心地よく応えてくれる…。
體に疲れはない。天地の氣を受けて、體が輝く。
體に精気が満ちてくるのが自覚できる。
この一瞬の調和は、どのように言葉で表現すれば良いのか。
生かされていることの意識が高まると同時に、
頭上に百会から正中心軸に添って会陰へ稲妻のような衝撃が走る。
その時、全身の力が全く抜けて、宇宙空間に漂う感覚が起こり、
天と鍬と體と大地が一直線上に重なり、無限の力(氣)が
満ち溢れた感覚を覚える…。
鍬は天地と調和をとる。
このような感覚が毎年、今頃すなわち、「暖則生」の
時期になると、私の體に意識させてくれる。
有難い。本当に有難い。今年も「武農合一」を天地は
与えてくれた。感謝で一杯。
自らの「良知」が発露する時期。
そして、「合氣」が進化する。
さあー、氣力の限り、人のため社会のためにつくそう。
2008年04月18日
「いつか離れる日がきても」
平井堅の新しい曲がリリースした。その曲名である。
詩の内容が今までの曲とは違い、聴く者の心に入り込む…。
今日の舞鶴は雨が降っている。
日本海側の雨天は何故が心が湿る。
家の前の花壇には、昨年そのまま放置していたチューリッブが赤・黄など花弁を見せている。
さらにレンギョも黄色い花弁を枝一面に付けている…。
美男蔓は去年の赤い花(3oほどの赤い丸いものが数個玉のようになった直径3pほどの球状のもの)をまだ大事に抱えている…。
湧水水路にはカラーが白い花を咲かせ、その下には、セリが新芽を出している。
裏の段々畑のの裏面には、ノビルが青い葉を一斉に天に向けて伸びている。
水蕗も大きな葉を広げその上にモリアオガエルがチョコンと乗っている…。
山菜として少し食するためにいただく。
これから草との闘いが始まる…。
今、その景色を一つ一つ意識をしながら、自分が歩いて来た半生を振り返っている…。
あまり多くはない父との想い出。特に共に過ごした東京での1時期は
私にとって決して忘れることはない。母のこと…、亡くした子供のこと…、ボランティア団体を主宰してそして参同して共に活動をして頂いた人達…、役所生活で38年間で4726人の人の出会い…、今の自分はその上にある。
沢山の人から様々なことを学ばせて頂いた。
感謝で一杯。
その中でも合氣道創始者植芝盛平翁との出会い、陽明学者安岡正篤(
まさひろ)先生との出会い、心身統一合氣道籐平光一先生、日本ウエルエージング協会創始者故吉田寿三郎先生との出会いは、私の人生を大きく変えた人生の師である。
幼い頃、父から学んだ「八光流柔術」と「小野派一刀流」は今ある全ての基礎ともなっている。
約五十五年間、合氣武道との関わりは自らの「心が體を動かす」真理を示してくれた。陽明学からは「知行合一」を学び、吉田先生からは、個と社会の関わりの真髄を学んだ。
これからの自分の使命は何であろう。今まで、自分なりに一つの結論を持って生きてきた。
今年は中江藤樹生誕400年にあたる。中江藤樹が心にしたこと。
自らの想いと重ね合わしている。
「目に映る対象物を欲望のままに、いたずらに追い求めることを止めて、まず自分に帰って、そこではじめて本当の自分を知る。
「そこからはじめて本当の生(せい)、生きることが生じる」のである。
自分に帰ることによって、自分の中にある「良知(りょうち)」を自覚することができる。この意味は、自らの心を通したものでなければ、単なる知識であって生きたものにはならないのである。
藤樹は「心の会得なく、只目にて文字を見おぼゆるばかりなるおば、眼(まなこ)にて文字をよむと位云いて、真実の読書にはあらず」「それ学問は、心のけがれをきよめ、身のおこなひをよくする本質となす」と「翁問答」で述べている。
さらに、藤樹は、また人間というものを省みて、考察した。
その結果、人間が人間たる所以、人の心のもっとも大事な要素と作用は、「愛」と「敬」にある、と唱えた。その中でも「敬」を重んじた。
その「敬の心」とは、「省(かえり)みて自ら懼(おそ)れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく、偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自らも省みて恥じる」と言っている。
さらに、安岡先生は「愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし敬は『天地の為に心を立つ』と言う造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達した心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心」と説かれている。
又、藤樹から陽明学を学んだ熊沢番山(ばんざん)の言葉に「人を愛すれば、人もまた己を愛す。人の悦ぶ心をあつめて、親を敬ひ、子を愛す。和気身にみちて命ながし」と述べている。
陽明学を体得した中江藤樹や熊沢番山の文字通りの「知行合一」の思想と生き方は、いつの時代も人のあり方の根源をなすものであろう。
私が主宰する「弘心館合氣道」は、その思想を「陽明学」においていることは言うまでもない。その体系はほぼ纏まりつつある。
近いうちに公に出来るものと思っている。
話は元にもどして、私の半生の少しを述べた。そして今を見つめている。いつか愛する人との別れがある、これはどうにもならないことであろうと思う。その離れ方、別れ方にもいろいろあろう。
自らの眼に映っている表象を観て現実と思い、悩み苦しみ恨み喜び…
心を苦しめている。
しかし、真理はそうでないことに氣がついた今、新しい世界に心と體を羽ばたかせようと決心している。
詩の内容が今までの曲とは違い、聴く者の心に入り込む…。
今日の舞鶴は雨が降っている。
日本海側の雨天は何故が心が湿る。
家の前の花壇には、昨年そのまま放置していたチューリッブが赤・黄など花弁を見せている。
さらにレンギョも黄色い花弁を枝一面に付けている…。
美男蔓は去年の赤い花(3oほどの赤い丸いものが数個玉のようになった直径3pほどの球状のもの)をまだ大事に抱えている…。
湧水水路にはカラーが白い花を咲かせ、その下には、セリが新芽を出している。
裏の段々畑のの裏面には、ノビルが青い葉を一斉に天に向けて伸びている。
水蕗も大きな葉を広げその上にモリアオガエルがチョコンと乗っている…。
山菜として少し食するためにいただく。
これから草との闘いが始まる…。
今、その景色を一つ一つ意識をしながら、自分が歩いて来た半生を振り返っている…。
あまり多くはない父との想い出。特に共に過ごした東京での1時期は
私にとって決して忘れることはない。母のこと…、亡くした子供のこと…、ボランティア団体を主宰してそして参同して共に活動をして頂いた人達…、役所生活で38年間で4726人の人の出会い…、今の自分はその上にある。
沢山の人から様々なことを学ばせて頂いた。
感謝で一杯。
その中でも合氣道創始者植芝盛平翁との出会い、陽明学者安岡正篤(
まさひろ)先生との出会い、心身統一合氣道籐平光一先生、日本ウエルエージング協会創始者故吉田寿三郎先生との出会いは、私の人生を大きく変えた人生の師である。
幼い頃、父から学んだ「八光流柔術」と「小野派一刀流」は今ある全ての基礎ともなっている。
約五十五年間、合氣武道との関わりは自らの「心が體を動かす」真理を示してくれた。陽明学からは「知行合一」を学び、吉田先生からは、個と社会の関わりの真髄を学んだ。
これからの自分の使命は何であろう。今まで、自分なりに一つの結論を持って生きてきた。
今年は中江藤樹生誕400年にあたる。中江藤樹が心にしたこと。
自らの想いと重ね合わしている。
「目に映る対象物を欲望のままに、いたずらに追い求めることを止めて、まず自分に帰って、そこではじめて本当の自分を知る。
「そこからはじめて本当の生(せい)、生きることが生じる」のである。
自分に帰ることによって、自分の中にある「良知(りょうち)」を自覚することができる。この意味は、自らの心を通したものでなければ、単なる知識であって生きたものにはならないのである。
藤樹は「心の会得なく、只目にて文字を見おぼゆるばかりなるおば、眼(まなこ)にて文字をよむと位云いて、真実の読書にはあらず」「それ学問は、心のけがれをきよめ、身のおこなひをよくする本質となす」と「翁問答」で述べている。
さらに、藤樹は、また人間というものを省みて、考察した。
その結果、人間が人間たる所以、人の心のもっとも大事な要素と作用は、「愛」と「敬」にある、と唱えた。その中でも「敬」を重んじた。
その「敬の心」とは、「省(かえり)みて自ら懼(おそ)れ、自ら慎み、自ら戒めてゆく、偉大なるもの、尊きもの、高きものを仰ぎ、これに感じ、憧憬(あこが)れ、それに近づこうとすると同時に、自らも省みて恥じる」と言っている。
さらに、安岡先生は「愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし敬は『天地の為に心を立つ』と言う造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達した心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心」と説かれている。
又、藤樹から陽明学を学んだ熊沢番山(ばんざん)の言葉に「人を愛すれば、人もまた己を愛す。人の悦ぶ心をあつめて、親を敬ひ、子を愛す。和気身にみちて命ながし」と述べている。
陽明学を体得した中江藤樹や熊沢番山の文字通りの「知行合一」の思想と生き方は、いつの時代も人のあり方の根源をなすものであろう。
私が主宰する「弘心館合氣道」は、その思想を「陽明学」においていることは言うまでもない。その体系はほぼ纏まりつつある。
近いうちに公に出来るものと思っている。
話は元にもどして、私の半生の少しを述べた。そして今を見つめている。いつか愛する人との別れがある、これはどうにもならないことであろうと思う。その離れ方、別れ方にもいろいろあろう。
自らの眼に映っている表象を観て現実と思い、悩み苦しみ恨み喜び…
心を苦しめている。
しかし、真理はそうでないことに氣がついた今、新しい世界に心と體を羽ばたかせようと決心している。

