2012年07月18日

いじめと自殺

またぞろ教育現場において、いじめの問題がマスコミを賑わせている。
マスコミの論調を聞いていて、おやっと思うところかある。
さらには、虐めている側には、「遊びだった…」などとの発言。
どちらの意見を正しいとみるか…。

一つだけはっきりといえるとは、「足を踏まれた痛さは、
踏まれた者にしかわからない」ということである。
踏んだ側がいくら何をいおうが、それは真実にはほど遠い、というもので
ある。
いじめられた側が、虐められたと言えば、そのことが事実であり、
真実である。しかし、恣意的なものもあることも又、事実である。
私も小学生のころによく虐められた。

戦争によって都会から田舎に母と義母、私、妹の四人が疎開してのことである。
その時代は、一つの村単位でまとまっていた…。
春夏春冬様々な行事が行われて、村の人達も外部からの侵入者には、
なにかしら警戒心が見て取れた…。

同じクラスの五人が、一里(約4km)の西国街道を歩いて学校に通う時に
その道道で虐められた…じっと耐えた。
父からは、おまえに教えたのは、相手を打ち負かすことではない。
相手と仲良くすることを教えた…との言葉は、子供心にわからなかった。

しかし、小学五年生になった時、形成が逆転した。
まず、勉強で勝つとに集中した、おかげでクラスでトップになった…
そのことが次第に相手より心理的に優位に立つ自分に気づいてきた…。
ある時、帰り道で、何時ものように、體をつかんできた、その時、無意識に
相手のきている服を引き裂いた…、すると、泣き出した。

相手の母親が、家に怒鳴り込んできた…母は謝りそして破けた服を縫いそして
返しに行ったことを鮮明に覚えいる…。
それからは、私が武道を父から習っていたことを知ると同時に、私に服従をした。
それからは、親しくなったことは言うまでもない。

その彼も中学卒業と同時に社会に出て、やがて小さな会社を持った。
しかし、若くして病死した。
小学校同窓会を二年に一度、旧村単位で持ち回り開催しているが、
亡くなったのは彼位で他は健在である。
悲しくも懐かしい想い出でである。

生き物の世界においても、力学的にも力の弱い方向に力は働く…。
それを制御することは難しい。
しかし、教育の場においては、持つ意味がことなる。
教育は、家庭教育・地域教育・学校教育の三つが均等になされてこそ、その意味を
発揮する。

家庭崩壊がみられ、地域の一体感も欠如しつつある現代社会において、家庭教育と
地域における教育までも学校教育に付加させられるようでは、虐め問題は解決しにくい
ことは言うまでもない。

こんな時こそ、父親が我が子に教えることが重要である。学問は、学校に任せて、
、「真の人間として尊厳を保ちながら生きることの出来る地域社会の創造への
参画」についてである。

今から約35年ほど前に、合氣道を習いに来られていた人の話しで
、その方から聞いたことに、「合氣道を習っていたということだけで
、虐められたことはなかった」と話されていた。変なところで役に立ったようである。
今、その人の子供が習いに来ている。

虐めをなくすことへの努力も必要であることは言うまでもないが、
虐められないための心と體づくりの教育指導も又、合わせて行うことが必要ではない
だろうか…。




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2012年06月01日

日本人の身体文化

明治二十年代に、今まで日本人が日常的生活の中から培ってきた
身体操作とは異なるものが入ってきた。
ヨーロッパの兵式体育が学校教育に取り入れられ始めた。
今の球技などはそういった動きの上に成り立つていると言っても
過言ではない。
これらの身体操作は、ヨーロッパの民族が狩猟を中心とした
ことから、獲物を獲るには、早く走り、高く飛び上がるなどが
必要であるため、足先で大地を蹴り、そして場合によっては
高く飛び跳ねるなどの身体操作が必要となった。

それに比べて日本人は、農耕民族として大地にしっかりと足をつけて
膝を緩めて腰を落とし、體の一部として鍬や斧の重みを體の
バランスと調和をはかりながら操る…さらには、田圃を歩く時には、腕を
振って歩くことより、抜き足差し足に沿った腕のつかいが必要となり
ナンパ歩き(軟場歩き)が生まれた。これらはいずれにしても、強靭な
足腰を作り上げたと考えられる。

そこから生まれた身体操作は新しく取り入れられた体育の動きとは
異なるものである。

特に宮本武蔵と柳生新陰流の身体操作にその特徴が
伝わっている(五輪書、兵法家伝書)。

心身統一合氣道は、さしずめ柳生新陰流の活人剣の
思想と、千葉周作の北辰一刀流の身体操作に近い。
その意味からも、もう一度原点に戻った體躁法から
見直すことも又、必要と考える。





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2012年05月05日

尾崎 豊

今、企業では新人社員の引き留めに躍起になっている。
会社ぐるみで、褒めることを奨励、あるいは、飲み会に
参加すれば、ポイントがもらえる仕組み…など、あの手この手
のようである。
しかし、3人に1人が辞めていく。
今、五月病と呼ばれる時期…日本の若者は一体何者なのか。
平成生まれの新人達、彼らは経済の右上がりの社会を知らない。
ゆとり教育で緊張感に欠け、一番多感な年ごろを精神的拠り所を、
何処に求めて良いのか迷った時期を過ごして、
不況で就職も厳選されて選ばれた者しか就職出来ない社会にあって
自分がどう生きていけばよいのか…目標が定められない者が
大半なのかもしれない…。
丁度今から20年前、一人の若者が自殺した。1980年の
バブル突入前の時代…。
尾崎 豊である。当時十代のカリスマ的な人物と標榜された。
しかし、突然一人でニューヨークに…そして突然の死…。

今、彼の生きざまと、彼の残された日記から、あらためて
注目されている。

今の時代とは間逆な陰影をもつ社会にあって彼の持つ繊細なまでの
精神が醸し出す多くの詩は、今も、共通するものが確かにある。
それが心に響くからなのであろう。

「17歳の地図」では、自分がどう生きていけばよいのか、と同時に
「人生は自分のしたいことをする為にある」と叫ぶ…
最後の日記には、自分は決して反逆児でも、カリスマでもない、
自己責任を強く求めているし、そしてみんな今の社会を直視して「壁」
に妥協ではなく、自分自身から進んでそって行く生き方に氣づこう…との
メッセージと解釈するのは、私だけだろうか…。
彼が生きていれば今、40代…、息子と同年代…。
何かを感じてくれているのであろうか…。不肖の息子でないことを
願って…。

人は一人では生きていくことは出来ない…。「人」という字は、お互いに
支え合う象形でもある。お互いのこころと、言葉を大切にした社会であれば
生きる意味が大きく違ってくることは、言うまでもない。

合氣道の創始者植芝盛平翁は、晩年「合氣は愛じゃ…」を口癖に…
合氣道修練者でこの意味を本当にこころと體で理解して、表武出来る
者は果たしてどれくらい居られるのであろうか…。

尾崎 豊の詩と合氣道との節点はここにある…。
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2012年05月01日

非なる心

悲しみとは、非なるこころがおこすもの、すなわち尋常でない
こころが體を動かし、動かされて、発動するもの…
勝手な解釈をしていることは、百も承知である。

話題になっている「子供の事故」何故こんなに多くそれも
連鎖反応的に起こるのであろうか…

それなりの事由があるに違いない。
さらには、「原発」の必要性についても今こころの中に占める割合は
大きい…

「足を踏まれた痛さは、足を踏まれた者しか分からない…」との言葉が
ある。確かにそうである。私自身、長男を亡くした…。今生きていれば
五十歳に届く年齢…、しかし、私のこころの中では、六歳のまま…。

非なるこころで過ごした数年間は、まさに地獄…
その事実は、まさに多くの試練を与えてくれた…、非なるこころは、
生き方を変えろ、人生を変えろ…、との内なるこころが、吠え続ける…

そうだ「そのことを、最愛の息子が自らの命と引き換えに示唆したのだ…」
と、天の声が非なるこころに夜も昼も間断なく囁く…。

人生が大きく変わった。自らの五十年の歴史を振り返ると、自覚できる。
多くの人達との出会いは、その為に用意されたのと…。
「礼・義・廉・恥」の四惟の教えに生きること。

非なるこころを、心身統一合氣道会二代継承者藤平信一氏が
説く「心を静める」ことによって、非でないこころが
生じてくる…。

そして、そのこころを客観的に観る。
その繰り返しが、スパイラル的に華昇されることが、
運命をかえる…すなわち、立命への入り口である。

今年に入ってから、こころも體も大きく変わりつつある。
合氣武道、身体能力、感受性、予知力、慈愛心…はっきりと
今までとは異なり更に進化している…。

有難い、感謝で一杯である。
話しは変わるが、毎朝、6時半ごろになると、五十メートル離れた
隣家から、洗濯機の音が聞こえてくる…。その音で起きる。

昨日から、畑の草刈り…野蕗が大きくなっている、ノビルも…
今年は鬼あざみが多い…、少し残して、草刈り器を振り回す…。
耳を澄ましていると、パチン・パチンとなにやら爆ぜる音…、

20mほど離れた山の斜面から、何やら家に庭に、屋根に飛んでくる。
拾ってみると一円玉の大きさの茶色い種が落ちている。

パートナーと山へ…、わかった、藤の種。藤蔓についている
硬い二十センチほどの鞘が弾けてその中の種が飛び出してくる音だった。

今年の台湾への指導は、一つの区切りとなると思っている。
八人ほどの参加者になる。今年は、陳さんに託すことも思慮している。

前の田圃の田植えの用意が進んでいる。連休には終わるだろう。
やっと、桜の花が散り終えた…。
剣を鍬に持ち替えて、畑の土おこしを…。
花壇には、パートナーか゜植えたチュウリップが満開…。

寒菊も芽を出して、葉を広げている…。
花みずきも満開…、白檀の氣も芽を吹いた…。





















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2012年04月26日

暖則生

「天地之氣、暖則生、寒則殺。…」
「天地の氣は、暖かなればすなわち生じ、寒くなればすなわち殺す。…」
そして、「故に,性氣清冷なる者は、受享もまた涼薄なり…と続く。
菜根譚の中の一節です。
「天地のはたらきは、春には生み出し、秋冬に殺す。だから冷たい気性の人は
、生活もわびしい。なごやかで親切な人だけが、ゆたかにくらして、他人をも
うるおす。」

山の斜面にはやまぶきの花が咲き、少し遅れで桜が満開…、水仙、レンギョ
チュウリップ、たんぽぽ、チンチョウゲ、ボケの花、侘び助…。
タラの芽があっと言う間に葉を伸ばしている…。

いっきに気温があがって、待ち受けていたように…様々な草が一斉に伸び出した…。
又、雑草との戦いが始まる…。

春は、すべての生き物に新しい命をふきこむ…。そして新しい営みが始まる…。
道場にも、人事異動で去っていかれる方、また、新しく入ってこられる方…
喜悲交々を表してくれるのも又、春である。

しかし、見学にはよく来られるが、なかなか続けられる方は少ない…。
私の塾は、来るか拒まず、去るを追わず、を自然体として懇切丁寧に
心身統一合氣道とは、を説明させていただいている。

親切も時にはあだになるのであろう。
今年は氣をつけていきたいと思っている。

こんな山の中の庵にも、世相のさざ波は伝わッてくる…
常識的に考えても「おかしい」と感覚的に受け入れられないような
判断をする政治家…、
痛ましい交通事故での人の命について何の感情も示さない若者…。

東京の友人とスカイプで話しあう中でも、話題は、、
はたして今の日本人は、百年前と比べてどうなのか…について。

侃々諤々となるが、結論は、「異なってきている」である。
自らの姿勢が、自らの正中心軸が天と地を繋ぐ垂直線とがっちりと
一致している姿勢。すなわち、どんなことがあろとも決してぶれない
姿勢(統一體・胴づくり)を保たなければならない。

「合氣」の基本でもある。いや、合氣だけでなく、政治家も…すべての
者に対して…。

ぶれることは、災いを引き起こすことは歴史をみてもわかる。
武道を志す者は、芯のある、真の人間になることにある。

「髪も歯も抜けて、かりの身はやがてほろびてゆく。鳥や花になって、
まことのわれは長くのこる」(菜根譚)
















posted by 弘心 at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

始動


朝、目覚めるとともに、仏壇の扉を開ける…
小さく鐘を鳴らして、音にのせて…さらに、ローソクの光と線香の
紫煙に乗せて、一日の想いを伝える…
炊きあがった一番のご飯を、水とともに供える…

神棚の水を替えさせていただき、二礼二拍手一礼
これも両手の心に乗せた想いを手を打つ音にのせて、
一日の想いを伝える…

新しい年度の二日目が始まる…

々畑には一斉に草が伸び始めた。
花壇にも様々な花が芽を出し始めた…

フキノトウはすでに花を咲かせて白い胞子を飛ばしている…
ノビルは二十センチにも伸びてきた…

サザンカも満開、紅梅も蕾を開いている。
雪で折れ曲がった枝にも、新芽が出ている…

タラの芽も、コゴミもあと少し…
春の恵みを食するのも今が一番…、

昨夜、東大阪のYさんから電話を頂いた。子供と一緒に
心身統一合氣道を習いたいとのこと。入会の栞を送らせて
頂くことになった。

舞鶴教室にも二名の方から入会の栞を…
既に見学に見えた…。

人事異動で転勤になられる方、又、新しく入門される方…
喜悲交々の四月…。

別れるのは辛い…、会うは別れの始め、と言い聞かせる…

今年も多忙になりそうだ。責任も重い。


























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2012年04月01日

朱蒙(チュモン)

紀元前108年、今の韓国・北朝鮮の領土が
中国の領土の一部も含まれて広大な領土であったのが
当時の漢により侵略されていた…。
その古朝鮮(この名称も歴史的にみれば不自然さがあるが…)の
領土を取り戻し、侵略され流民となった者を救い出し、

新しい国、「高句麗」を造った歴史上の人物、朱蒙の一生を
描いた物語である。さらには、その妻が二人の息子とともに
「百済」を建国する。

時代考証には、建物の屋根材が瓦であったり、絹の織物で
煌びやかな衣装など、歴史的にみて、あるはずがないものが
あったり、何かと不自然さはあるものの不思議とひき込まれる。
何故なのだろうか。

壮大な歴史観を縦糸として、限られた人物の営み、苦悩、策略、謀略など
を横糸として織りなすドラマ…。

ひとりひとりの上半身、特に顔の表情での演技が大半である…
その演技が観ているものの中に移入してくる…。
どうもその辺に謎がありそうである。

全81話、述べにして81時間。約十日間で観終わった。

国破れて山河あり、との言葉のとおり、一代の英雄からその子へ
と引き継がれていくが、永遠ではない。他国からの侵略に敗れて

又、新しい英雄にとって代わる…。その歴史は、山河のみが知る。

世界の歴史をもう一度ひも解いてみることも又、必要ではないだろうか。
「愚者は経験を語り、賢者は歴史を語る」との言葉があるように…。








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2012年03月13日

大災害から一年…

東日本大震災から一年が過ぎた…
マスコミは、大々的に取り上げている。

しかし、一向にその復興については進んでいない現実がある。
特に「がれき処理」については、今だ5%しか処理されていない。
阪神淡路大震災時においては、2千数百万トンは一年間で処理された
実績がある。

国会審議がTV中継されているのを見ている限り、どうも真剣さが見られない。
一番の不足は、復興計画のグランドデザインがきっちりと決められていない
ことに原因があると考えられる。

大阪府T市で多くのビッグプロジェクトを担当してきた。中でも、二十三万トン
の焼却残さを処理できる最終処分場…、日焼却量360Tの24時間連続ストーカ
方式の焼却場新設事業、地域防災計画、防災都市づくり計画などを手掛けた
経験から言えば、基本となる構想がブレナイものとして確固たる信念で
造りあけられたものがなければならない。

国レベルで考えれば、昔つくられていた「…全総」いわゆる、全国総合開発計画の
ようなものとリンクした新たな計画、すなわち日本国の将来像を50年、100年先
を見こして造られたものと、国難となるような大災害・外国からの攻撃による
破滅的被害を受けた場合の祖国再生計画(仮称)のようなものが必要ではないか。
そのような計画の基本構想・計画があれば、もっと早く進むのではないか、と思う。

舞鶴市の市長が、今日の新聞によると、瓦礫処理について条件付きで舞鶴市が協力
する、とした記事がのった。

エビでタイを釣るような下ごころで協力されていないことを願う。
市民と行政が最良の策を求めて十分な協議がなされることを願いたい。
地方自治法の理念は、市民の生命と財産を守ることであることを肝に銘じて
ほしい、





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2012年03月06日

人間としての生き方

今日は二十四節氣の啓蟄である。
多彩で多数の虫が蠢き始める日。
漢字には驚かされる。「蠢く…うごめく」という字は、
虫の上に春がのっかっている字である。

舞鶴の雪は、やっと90%融けた。そして雪の下からは
もう、半ば開いたフキノトウが顔を出している。

水仙も何本か花を開いてくれた。
花畑には、昨年にパートナーが一生懸命、チュウリップの
球根を埋めた…。土の中から少し芽を膨らませて眠っていた。

菜根譚に次の言葉がある。
「…寒則殺・暖即生…」。冬はすべてのものを殺し、春はすべてのものを
生かす…。という意味であり、これを人間の営みに表せば、

心の温かく穏やかな人は人を生かす…
しかし、心が冷やかで、冷たい人は、人を殺す…。

このように春はすべてを生かす意思を持っている…。
多くの虫や鳥、獣などが動き出した春…。

その気持ちは良くわかる。雪に閉ざされた数日間は、只、この雪が
一日も早く、止んでほしい…との気持ちが頭を駆け巡る…

雪がやめば、あれもこれも…したいことばかり頭に浮かぶ…
そんな思いで過ごす日々は、何かしら思考が止まり、しかし、
何かを成し遂げるイメージばかりが膨らむ…。

春の息吹は、このような勢いが、表面には出ないが、その中に
籠められているのであろう。

今年は、合氣道の修練において、新しい目標を掲げた。
修練者には伝えた。

故安岡正篤老師に陽明学を学んで三十八年目になる…。一体何をしてきたのか…
師は、「何ものにも真剣になれず、従って何事にも己を忘れることが出来ない。
満足することが出来ない。楽しむことが出来ない。常に不平を抱き、不満を
持って、何か陰口を叩いたり、やけのようなことをいって、その日その日を
いかにも雑然、漫然とくらすということは、人間として一種の自殺行為です。
社会とっても非常に有害です。毒であります…」

では、どのような生き方をすればよいのか。師は言う。
「如何にすれば何時までも進歩向上していくことができるのか、
第一に絶えず精神を仕事に打ち込んでいくということです。純一無雑の
工夫をする……近代的にいうと、全力を挙げて仕事に打ち込んでいく、という
ことです」「人間に一番悪いのは雑駁とか軽薄とかいうこと…。これがひどくなると
混乱に陥ります。人間で申しますと自己分裂になるのです。そこで絶えず自分という
ものを何かに打ち込んでいくことが大切です」と。(安岡正篤一日一言)

さらに、私が尊敬する森 信三先生の言葉
「真の誠は何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。
すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。
総じて自己の務めに対して、自己は一切を傾け尽してこれに当たる。即ち、もうこれ以上は
尽しようがないというところ、なおもそこに不足を覚えて、さらに一段と自己を投げ出して
いく。これが真の誠への歩みというものでしょう」と。(修身教授録)

森 信三先生は、又、様々なことについて、講義をされている。その中で、
「一時一事」もその一つです。

「…すべての武道の修練というものは、この「一時一事」の工夫において、大いに教えられる
場合の多いものです。武道以外の他の競技においても同様ですが、すべて敵と争う場合には、
迷った方が負けになるのです。
ですから、この「一時一事」の原則を、最も敏速に、かつ徹底して生かした方が勝ちを
占めるのです。そして、これは、ひとり武道や競技のみならず、実は人生そのものが、
またこうしたといえるでしょう…」と。

安岡先生が説く陽明学の、格物致知と知行合一、
森先生が説く「生涯修業」…「一途一心」をこころして…

まだまだ学ぶことは多い。






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2012年02月23日

プラスの発想

1m近い積雪は、大変なもの…との思いがする。
これが2m以上にもなれば、どうなるんだろうと少し
恐怖感も浮かぶ。

屋根の雪下ろし、家の前の雪かき…、最初は大変と億劫さが
先にたった。

しかし、作業を何回か続けていくうちに思いが変わった。
作業を行った日は、體の調子がよいことが分かった。

無理やりに、體を作るためと思い込ませてしていたが、
そんなことは思わないで、ただ、健康に良いとの思いだけでよい。

出来るだけ、思考を単純化する。一義的に考えて、決して二義的に
捉まえないことである。

快適である。今度は何時雪がふるのかなぁー、と期待感に変わる…。
少し、こころの持ち方を変えてみる、このことが人生を大きく変換する
きっかけになることは間違いない。

「あの時のあの人の一言が私の人生を大きく変えた…」などということは
良く耳にする。

しかし、どうも最近の若年層の中には、状況の判断が出来ない、相手の
立場に立っての判断、自分の考えがまとまっていない、自己主張が出来ない、
相手がどう思いどう考えているか等について考えることが出来ない…
などの欠落がみえるのである。

生きてきた今までに、時代の変動の経験がない、バブルの経験もない、
不況の中に浸っての生活の連続…。

何を生きがいにしていくのか、目標が定まらないのではないか。
いくつになっても、親の庇護のもとにあれば、安心という
独身男性が増えているのではないか。

一昔前には、下水処理場から排出される処理水に焼却時に合成された
物質が溶け込んでいて、河川に排出されたときに、川に生息している魚
などが合成された物質(環境ホルモン)により、雄が雌化する現象となる
ことが判明した。このことは、人にも影響があるものとして、男性の
女性化に影響があるのでは…との論説が出された。

肉食系から植物系への変化である。
そんなことあんなことで、ますます男が弱くなっていく経過を辿っている
といっても過言ではない。

このことは、両親が子育てをする時期から、両親が考えなければならない
問題でもある。

親も親なら子も子…と言われないために。
絶えずプラスの発想で、人生を変えようではありませんか。





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2012年02月19日

出会い

名古屋にほど近いところから、夫婦で移住されて、舞鶴市の田舎の家で
古民家カフェ「志高カフェ」という店を開いて居られる方と話す機会に
恵まれた。

以前に新聞に静岡から舞鶴に移住して、古民家と土蔵で喫茶店を…という
記事を見て一度行ってみたいとパートナーと話していたので、買い物のついでに
国道175号線沿いに車で走ってみた…。

ありました。田圃の向こうに大きく白ペンキで「志高カフェ」と
手書きされた農器具入れのバラックが見えた。

藁ぶきの屋根をトタンで覆った、年代もんの古い田舎建ての家
と土蔵…、

タノモウ―と、言っていないけど入口から入ると、あったあったうちの蔵にも。
赤く塗られた時代箪笥、小さな長持など…。

土蔵は、土間をコンクリートで打ち、網代編みしたうえに土壁をそのまま
むき出しにして、柱にはレトロな掛け時計、二階の床を半分はずして
吹く抜けとして、電球の照明…、暖房は灯油のストーブ。

10人くらいは、座れるように配置されたテーブルと椅子
テープルには、手づくりのメニュー立て…
コーヒーとケーキをいただいた。

都会からの客には、いにしえの生活の原点を懐かしがらせる雰囲気である。
これから客も増え、多くの人達がリピーターとして、交流されることを願ってやまない。

数日前から降り積もった雪が大きく積み上げられている。
御主人は雪下ろし、雪かきには、どうやら閉口されたらしい。

亭主と話すことが出来た。二年ほど前から開業されているらしい、
奥さんはもともと、西舞鶴出身で、主人は名古屋にほど近い都会の方、

年代物の家を保ちながらのこれからの生活…、是非頑張って頂きたい。
奥さんのキラキラした眼が印象的でした。

私たちの舞鶴への顛末も話させていただいた。
一度、同じ西舞鶴は久田美の「農村と都市交流センター・弘心塾」へ一度おいで下さい、と
申し上げて、おいとました。






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2012年02月06日

大雪2

89~160p…積雪の結果である。
二日間はまる一日雪かきに終わった。

このまま降り続けばどうなるのかなぁー、と
思うと少し心配になる。家屋は積雪に対応した作りに
したので安心だがそれも限界がある。

昭和62年にも大雪のときがあり、この村でも軒先が雪の
重さに耐えきれなくて破損したと聞く。

道路が大変。家から約50mの道の除雪を必死になって除雪。
約200㎥の量である。二日で200であるから一日100㎥。
一日6時間の実働として一時間当たり17㎥。

雪かきだと思えばシンドイ…。體のため、足腰の鍛錬と思って
やれば楽しくやれる。プラスの発想である。

さすが、脚立に乗っての除雪はキツイ…。バランスをとるために
足の太ももと、ふくらはぎがパンパンに…。

しかし、一晩で回復。これも日頃の鍛錬のおかげと感謝。
體を日常生活で快適に過ごすためには肩甲骨と股関節を鍛えること、と
何年も前から説いてきた。

立ち方、座り方、歩き方、心身統一合氣道の技、すべての運動に
要の動きとして自覚することが重要である。

あるクリニックの院長が本を出版されている。『「老けない体」は
股関節で決まる!』である。

股関節を畳む、肩甲骨を緩める…などとつかう
さらに指先は下腹の一点と繋がっていることが実感出来る。
寒い田舎で冷たい水に指先を晒すと、すぐにトイレ(小水)に行きたくなる…。

これらのことから、『氣』は下丹田から腕の側線を辿って手の指先から
迸り出るのである。

その指先に力を入れることは、『氣』を留めることになり
その用は為さないことになる。

小指の下側の線は、臍下の一点と繋がっていることは、身体論から
古くからいわれている。

余談であるが、ヤクザが道を外したとき、小指をつめさせるのは、ドスを握る時、
下腹との一体感をなくして(腰が入らない)用を為さなくするとも言われている。

雪かきで汗をかいたために、どうやら風邪をひいたようである。
嬉しいことである。

なぜならば、ウイルス性の風邪以外は、體の骨格の歪みを取り除いてくれるからで
ある。その深い理由は分からない…。

又、恥骨の上を指圧すれば。水虫が治る…など、體については、
まだまだ解明されていない点が多々あるようである。

畑では、決してミミズに小水はかけない…〇〇〇が腫れるからである。











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2012年02月02日

大雪

一晩で40pの雪が積もった
昨日は、半日掛ってガレージの上の雪と、道路の雪を
なんとか取り除いておいたが、あっと言う間に又振り出しに…

舞鶴に来てからこんなに降り続いたのは、はじめて…
国道175号線は、渋滞がつづき、出勤には苦労している。
バートナーもその一人…

車の中には、長靴と雪かき用のスコップと雪かきの道具を積んでおくのは
常識のようだ

しかし、人生の半分を都会に住みなれた者にとっては、
意識転換をしなければならない。

雪の中を高速道路を走って、綾部から丹波に入ると、少しずつ
雪が消えていく…

府道枚方亀岡線を南下すると山間の樫田村は雪もあまりなく
更に高槻市街地内に入ると、

うす暗く鈍よりとした空から白い雪が降り道にはうず高く積み上げられ
道路はアイスバーンになって神経質になって運転しなければならない舞鶴
とは、一変した街並み風景が目に入ってくる…。

不思議な体験である。車を運転しながら、目に映る表象が大きく変化
していく…それに従い心も又、いにしえにといざなう…

まったくなにもなかったような、雰囲気の中で人と人との会話・協議が
進んでいく…。
自然の恵みが異なる田舎での生活は、都会人より、一つ多めの気遣いを
させる。

地についた生活…いや生きていく為に何が一番必要なのか、を何時も心
しなければいきていくことが出来ない今の自分のおかれた現実をなかなか
受け入れることが出来なかった数年前…。

自然との共存などと口軽く言葉にするが、現実はたやすくはない。
わずかな雪で、こんな思いをする。

東北の人達は、そんな思いは遠い昔にあって、困難をくぐりぬけて、
いまを生きることに切磋琢磨されているのであろう。

海があり、海の幸、海の恵みを頂いて…と言えば格好良すぎる…。
表あれば、裏もある。裏の面を直視することが重要だ。

高槻から帰り途、少しずつ人家がなくなり、カーラジオも入りにくくなり
、道路を走る車も…たまに一台…となり、道路を狐・狸・猪などか横切る
ようになると、こころがなんとなく閉ざされるようになってくる…

こころが體を動かす、まさにその通りである。

人生の一大転換を図ったことに、やっと受け入れることが出来た今…
無一物無尽蔵の意味を手に入れた。

原発も、地震も、停電断水物価高騰…何も関係ない
只、大地を耕し、自然の恵みのいただき、人がもともとの人の
生き方にかえっただけ…。

人は皆、大地に帰っていく…ただそれに従っていくのみである。
農と武の融合…農から生まれた武、そして武がまた農に帰っていく…

霊魂に刻んで…






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2012年01月28日

少年野球に合氣の指導

高浜町の宮司のYさんからの依頼で、スポーツ少年団へ。
小学校4年生から6年生20人と監督ほか父母の会の方約20名。
午前10時から12時まで…。
約30~50pの積雪の中、国道27号線を福井県高浜に向かう…。

多くの人達が待っていてくれた。心身統一道を中心にして、
心が體を動かす原理を、心身統一の四大原則と心身統一
合氣道の五原則中心にして二時間…。

熱心に聞いてくれた。
自らの心はどこにあるのか、如何にして、無駄な力を抜くか…
力を入れれば氣が止まる…、すべてを臍下の一点に…、
そして、すべての體の動きは臍下の一点から…

自らの體に宇宙の中心を貫通させる、ぶれない體をつくる。
そのためには、自分の體を自由に操ることが出来なくてはならない。

正しい立ち方、正しい座り方、正しい歩き方、正しい足、胴、腕、手
の用い方。

実は、古来日本人が持っているもの、なのである。
それを潜在心から、如何にして蘇えらすか、が課題となる。

意識の教育では、出来ないことを無意識の教育で行うのである。
父母の方がたには、拙文ではあるが、資料としてお渡しした。

「相手を変えようとすれば、まず、自らが変わる」言葉がある。
子供に夢を託すのであれば、まず、親が変わらなければならない。
又、素晴らしい野球人を育成したいと思えば、監督自らが意識を
変えなければならない。

高浜町の野球の指導者にはそれが見える。この町から一流の野球人が
誕生すること間違いない。期待している。そのためには、時間の許す
限り、お手伝いをさせて頂く覚悟でいる。

「何故、親と子に合氣道を教えるのか」を読んでその感想をお聞かせ
願えれば幸甚です。




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2012年01月20日

仕事始め

車で高槻へ。
造成事業の依頼主との設計協議とグループ会社との
協議…など。

朝から雨の舞鶴、京都縦貫道を走り、府道枚方亀岡線を
南下、が何時もの道順…。

しかし、今日は京都周りで高槻へ。
行政の開発指導を受けているのであるが
面白いことに開発指導要綱なるものは、時には
どう考えても理解しにくい面をあらわす。

例えば、造成工事(宅地ではない)では、一定の緑化の
義務付けなどが定められている。

しかし、それが公共事業に協力、土地の買収に協力
したために、崖地になり、景観的にも、参道としての
体なさなくなった。

そのため、切り立てられた小山を切り下げて、景観的
急傾斜の緩和、超高齢社会に向けて、高齢者が
歩いて墓参が可能な形態に改修するのである(
三つのコンセプト)。

今の墓地形態そのまま切り下げるのがその概要である。
そのような概念をもっての造成事業なのに、新設する
墓地と同じ指導を行っているのである。

そんなところに高木・中木・低木を一定割合をあてはめて
植えろと言う指導は、如何なものか…。
千年続いて、地域の心のふるさととしての墓地が
存続できなくなる。

周囲は山とお寺の建物しかない。
新設の墓地を市街地で作るのとはわけが違う…、

しゃくし定規に当てはめれば良いのではない。
何故、全体(景観・その立地の歴史など)見ようとはしないのか…。

お役所仕事と言われる所以がこんなところに現われる。
再度話しをしようと思っている。

posted by 弘心 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

大根

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posted by 弘心 at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

一日のはじめ










松の内も過ぎた
いよいよ仕事はじめである
冬の日本海は、どんよりとした空の多くなる季節
今日も、薄曇り、予報では雨…寒い…

一層の頑張りと、意氣に感じての生活が必要と自身に
言い聞かせる

庭には、赤く色づいた「美男蔓」がいくつも蔓にぶら下がっている
そのひと房を採って玄関とトイレの一輪ざしに飾る

仏壇に水と炊きあがった炊飯のうわ飯を供え、手をあわせてお題目を…
神棚に水を替えて…二礼二拍一礼。

四つの覚悟を唱える

一日の始まりである。

posted by 弘心 at 12:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

高槻心身統一合氣道会の修練始め

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明日は、高槻心身統一合氣道会の修練始めである。
昨年創立40周年記念表武大会を実施した。多くの方の
お力添えで無事終えた。

何故、心身統一合氣道を教えるかについても、拙文をお知らせした。
言葉足らずであり、理解しにくいと思われるかも知れないが
もし、そのような方が居られれば、是非一度舞鶴の庵まで
御足労願いたい。

雪化粧を見ながら、日本海のとれとれの魚を肴にして、
地酒を酌み交わしながら、「合氣」についてなど、弘心塾道場で語り合いたい…。
道場では、6人位は宿泊出来る用意がしてある。

パートナーとも大歓迎である。何故心身統一合氣道を教えるかについて
の文章の中には、、陽明学との関係については、記述していない。
ルドルフ・シュタイナーの人智学と陽明学の関係についても、
機会を見て述べてみようと思っている。

今日は、西舞鶴教室の初修練。パートナーは研修で京都へ…
一人の男性の見学者、来ていただければよいのだが…。

天気予報では、午後は雨…、しかし、予報ははずれ。
雪でないのが嬉しい。

明日は高槻へ、





posted by 弘心 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

天地創造(宇宙誕生)

現代物理学は、この宇宙は今限りなく膨張しているという。
振り返れば137憶年前のビッグバンで誕生した宇宙は膨らみつづけている。
しかも膨らむスピードを上げながら…。

「膨張加速」が前世紀末に発見された。専門家の間には大変な衝撃が…。
素粒子物理学がめざすのは、宇宙で起こるすべての現象を支配するおおもとの
法則を解明することである。

「…宇宙誕生の瞬間には確かに存在したが、いまは隠れて見えなくなっている未知
のものがたくさんある。始まりを人工的に再現してやれば、それらをとらえることが
できる。そのひとつに宇宙全体の23%を占める正体不明のままの「暗黒物質(ダークマター)
も作り出せるはずだ。その為には、大仕掛けが必要となる。
直線で30キロの先端加速器を地下に建設、リニアコライダーという。
ここで電子と陽電子を猛烈な勢いでぶつけると、「その瞬間」が現れる。
(東京大学素粒子物理国際研究センター・山下了准教授)」

うまくいけば、創成のときから今日までの宇宙の歴史がわかり、これからどうなって
いくかもわかるはずだという。「世界の完全理解」である。

しかし、それでもなお解くことの出来ない謎がこの世には残ると山下先生は言う。
それは人間であり、人間の営みである。
例えば火事場の馬鹿力と言うようなものが、何故出せるのか、株式相場の乱高下
は何故起こるのか…
(朝日新聞根本清樹編集委員・ザ・コラムより引用)

「こころがからだをうごかす」のであるから、素粒子理論から、さらに発展させて
人の「こころ」の存在と質量が明確化され、どの時点で「いきもの」が
どのようにして生じたのか、についてもっと細部にわたって宇宙との相関関係と
こころとからだの相関関係が証明出来れば可能ではないか…。素人の戯言である。

心身統一合氣道の技は、概念として既に証明しているのだが…。




posted by 弘心 at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月09日

體とこころのつくり

先の投稿で、體づくりを書いた。
その中での名称は、
足捌き、胴捌き、腕捌き、手捌き。

この名称を足づくり、胴づくり、腕づくり、手づくり、とする。
今年は、この基本に徹したい。

こころは、正しい體のつくり方の動きを脳にインプットすることにより、
こころのストレスがなく、スムースにこころに入り込む。
すると自然と力が抜けて、天地(宇宙)一杯に広がっていく感覚が
生じる。

これとは異なり、間違った體の動きをしていると、知らず知らずのうちに
自らが自覚していないが、潜在的に持っている正しい動きとの間で、葛藤が始まり
こころにストレスを与えて脳の正しい判断力を阻害するのである。

合氣の上達を阻害するのは、この原因によるものが多い。
正しい體の遣い方と、こころの遣い方をを会得すれば、こころは、
その触手である「氣」が強く迸ることになる。

天地(宇宙)に向かって…。

そして自らの正中心軸を確保し、一点を自覚することにより、
天地(宇宙)と…。
posted by 弘心 at 17:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする