朝テレビをつけると、舞鶴市で85歳の母親の死を四か月間放置していた事件が起こった。
テレビに出る一日前に、事件について知った。
その時、此の事件には「二つの問題がある」と即座に頭に浮かんだ。
一つは「本人の年金のため」
二つには「事件性」
幸い最初の推理があたった。
「死んだので年金が貰えなくなる」「葬式代がなかった」と母親の死体を隠ぺいしていた家族の一人の言い訳である。
この問題は以前大阪でも起きていた。
私はこの問題には根深いものが潜んでいるものと思う。
私の人生を大きく変えた人生の師の一人に、今から約35年前、当時大阪医科大学の衛生公衆衛生学教室の教授でおられた吉田寿三郎先生との出会いがあった(以前に出会いについて書いた)。
京都大学医学部を卒業、その後厚生省に、その時代(昭和15年前後)に画期的な結核の治療法を開発されていた。
しかし、国の機関の学閥などの抵抗あり、日の目を見ることはなかったそうである(私は先生からその論文を頂いている)。
そして、後の日本医師会会長となられた武見太郎氏にその逸脱した頭脳を見出され、数多くの提言をされた。
勿論我が国の公衆衛生に大きく貢献されたことは云うまでもない。
そして先生のもう一つの顔、国際老年学会の役員としてである。
私は吉田学校の第一期生と自負している。
先生から多くのことを学ばせて頂いた。
すなわち「社会を構成する人間の生まれてから死ぬまでの営みと幸せになる仕組みづくり…社会福祉について」である。
先生は当時既に、今の長寿社会とそして惹起する様々な社会問題については既に予言されていた。
話がそれた。元に戻そう。
舞鶴市は今人口約89000人、高齢者人口約2200人。
高齢者比率は24.7%、すでに超高齢社会に入っている。
今回の事件も民生委員のからの通報で分った。それまでに行政はどうであったか、関係部局の職員が自宅訪問したが、親族の人に遮られて本人を確認するには至らなかったそうである。
このような問題が形はかえて増えるものと考えられる。
それぞれの市には、その自治体の将来を見据えた計画、即ち「総合計画」ある。その位置づけはどうなのか。
まず、ハード計画はどうか。確かに福祉施設計画では、すでに将来のことを考えての特養、老健施設などの数は充足している。例えば、舞鶴市の認知症発症者の予測は4%とすれば約880人の出現となる。その数に見合った施設は確保できているということである。
ソフト計画はどうか、組織が充分な人材を要しているか、計画に有効な実施計画になっているか、福祉関係のネットワークは充分か、
民と官との役割分担は明確か…などである。
東舞鶴と西舞鶴とは地形にも意識にも異なっている。
又、太平洋側の都市とも違う。
福祉問題だけではなく、商店街の活性化、限界集落など課題は多い
しかし、全てはその市の「街づくり」に掛っている。
改めて提言したい。
2008年04月17日
2008年04月16日
春
西舞鶴の庵は今、黄色いラッパ水仙、雪柳が咲き誇っている。
白檀、花ミズキ、むくげの木が緑の芽を少し広げだした。
丁度昨年の今頃、左肩を痛めた。
肩は大変複雑な構造をしていることを初めて知った。
肩帯が急激な力を受けて裂けたことがMRIで分ったらしい。と言うのは
自分で幾ら見ても分からなかったからである。
日赤病院の整形外科の専門医にかかった。
「どうされました?」
「肩が痛いのです」
「どのへんですか?」
「何かされていますか?」
「はい、武道を…」
「なんのですか?}
「合氣道…です。多分、両手を上から全体重を
かけて抑え込まれたのを左腕だけで浮き上がらせて
投げることを何回も繰り返ししたのが原因だと思うのですが…」
「そんなこと…出来るのですか?」
「上腕二頭筋・三頭筋などは使いません」
「それではどうして投げるのですか?}
「全身にある206の骨と、500ある筋肉で特に中にある筋肉である大腰筋などを用います」
「…?」
「腕はどこまで上がりますか?」
「右腕の半分位…」
「ちょっと、はかりましょ」
「何所が痛いですか?」
「肩先から少し下がったところの後ろ側の中…」
「…MRIで調べましょう」
「ここが少し裂けていますね」
「…どこですか?」
「ここらあたり…」
「?}
「このままで自然治癒しませんか?」
「しません!」
「ではどのように…」
「手術です。ひらいてみて、悪いところを切り取って
骨にチタンのビスでつけます」
「…」
「どのくらいかかるのですか?」
「手術時間は約6時間、完全治癒まで9か月です」
「…………」
頭の中で、高槻と舞鶴の合氣道の教室が…生徒さんの顔が浮かんだ。
不思議と自分の家のことは全くと言っても良いくらい浮かばない。
「しばらく様子を見ます。リハビリをまず、始めたいと思います」
「分りました。理学療法士を紹介しておきます」
その後、2か月ほどリハビリに通い、痛みをとる貼り薬をもらった。
「如何ですか?」
「少しは良くなったように思いますが…」
「私どもは手術をするのが最終目的なのです」
「もう一度お聞きするのですが…、このままでは治りませんか?」
「絶対治癒しません」
「なんとかしてリハビリと自分で直していきます」
「分りました。何かあれば何時でも来て下さい」
ゴム紐を用いたリハビリ、自己流の体操、氣が重い…。
人間、どこか體が悪いところがあれば、心まで暗くなる。
そして、肩の周囲が硬くなっている。腕を回すと「ゴリゴリ」と音がしている。
初めから1年間はかかるだろうが、必ず治ると想い切った。
12か月後、丁度今99%治癒した。
人間には、人間では分からないことが多々ある。
まして自ら體のことには多分にある。
私は、今回のことで、「心が體を動かす」ことがますます認識することになった。
白檀、花ミズキ、むくげの木が緑の芽を少し広げだした。
丁度昨年の今頃、左肩を痛めた。
肩は大変複雑な構造をしていることを初めて知った。
肩帯が急激な力を受けて裂けたことがMRIで分ったらしい。と言うのは
自分で幾ら見ても分からなかったからである。
日赤病院の整形外科の専門医にかかった。
「どうされました?」
「肩が痛いのです」
「どのへんですか?」
「何かされていますか?」
「はい、武道を…」
「なんのですか?}
「合氣道…です。多分、両手を上から全体重を
かけて抑え込まれたのを左腕だけで浮き上がらせて
投げることを何回も繰り返ししたのが原因だと思うのですが…」
「そんなこと…出来るのですか?」
「上腕二頭筋・三頭筋などは使いません」
「それではどうして投げるのですか?}
「全身にある206の骨と、500ある筋肉で特に中にある筋肉である大腰筋などを用います」
「…?」
「腕はどこまで上がりますか?」
「右腕の半分位…」
「ちょっと、はかりましょ」
「何所が痛いですか?」
「肩先から少し下がったところの後ろ側の中…」
「…MRIで調べましょう」
「ここが少し裂けていますね」
「…どこですか?」
「ここらあたり…」
「?}
「このままで自然治癒しませんか?」
「しません!」
「ではどのように…」
「手術です。ひらいてみて、悪いところを切り取って
骨にチタンのビスでつけます」
「…」
「どのくらいかかるのですか?」
「手術時間は約6時間、完全治癒まで9か月です」
「…………」
頭の中で、高槻と舞鶴の合氣道の教室が…生徒さんの顔が浮かんだ。
不思議と自分の家のことは全くと言っても良いくらい浮かばない。
「しばらく様子を見ます。リハビリをまず、始めたいと思います」
「分りました。理学療法士を紹介しておきます」
その後、2か月ほどリハビリに通い、痛みをとる貼り薬をもらった。
「如何ですか?」
「少しは良くなったように思いますが…」
「私どもは手術をするのが最終目的なのです」
「もう一度お聞きするのですが…、このままでは治りませんか?」
「絶対治癒しません」
「なんとかしてリハビリと自分で直していきます」
「分りました。何かあれば何時でも来て下さい」
ゴム紐を用いたリハビリ、自己流の体操、氣が重い…。
人間、どこか體が悪いところがあれば、心まで暗くなる。
そして、肩の周囲が硬くなっている。腕を回すと「ゴリゴリ」と音がしている。
初めから1年間はかかるだろうが、必ず治ると想い切った。
12か月後、丁度今99%治癒した。
人間には、人間では分からないことが多々ある。
まして自ら體のことには多分にある。
私は、今回のことで、「心が體を動かす」ことがますます認識することになった。
2008年03月18日
在邇求遠
人は、常に何かを求めて生きる。
特に精神的なものはその傾向は強い。
物事の真理は書いたものの中や数式、或いは高邁な話の中に
あるのではない。
そして、人は何故か遠くに求めようとする。
物事の真理は身近にある。
そのことに気付くことが、自らを変えることの始まりとなる。
「物事を身の丈で考え、身の丈の中に全ての真理がある」
もう一度、身の回りを心底から見つめてみよう。
特に精神的なものはその傾向は強い。
物事の真理は書いたものの中や数式、或いは高邁な話の中に
あるのではない。
そして、人は何故か遠くに求めようとする。
物事の真理は身近にある。
そのことに気付くことが、自らを変えることの始まりとなる。
「物事を身の丈で考え、身の丈の中に全ての真理がある」
もう一度、身の回りを心底から見つめてみよう。
2008年03月07日
田舎の春
雪がすっかり溶けて、時々雨が降っている…。
日本海地域の特有の気候である鈍よりとした空、小雨がやんだと思うと又降り出す、それが何時の間にか雪に変わる…。
そんな天気が目覚ましく一日の中で変わって、気分が相乗して躁鬱と変わる。
大阪人と違って、新潟など地方出身の方が何事にも辛抱強く、根粘り強い面を持っておられるように私は思う。
話をもとに戻そう。
西舞鶴の春は、もうそこまで来ている。そんな気配がいっぱい。
蕗のとうが斜面一杯に芽を出し、もう大きく開き、蕾を幾つも誇らしげに空に向けてさらしている。裏山の雑木たちは、枝先に小さな膨らみを溜めている…。
さらには、タラの芽が出番を待っている…。
山裾の湧水水路には、カワニナがじっとしている。芹が小さな発破を水の中に…。
イモリが、小さな池の湧水の泡に同乗して水面にゆらゆらと浮かび上がり、一呼吸してまた下に降りていく動作を繰り返している…。
今年はホタルは乱舞するだろうか、鬼ヤンマの幼虫は大丈夫だろうか…、モリアオガエルは…、サワガニが穴の中で固まっている…。
不思議と毎年芽を出す草も異なる。地の中では、全てが春に向けての準備に取り掛かっている…。
山や畑の様々な生き物が春に向けて何よりも早く太陽に向かって近づこうして待ち構えている。表面から何と無くしか感じ取れないが、地の中では、ものすごい戦いが繰り広げられている。
如何にして先に地表に出ようか、と。
そして先に出たものが、先に葉を広げて、あとから出てくるものを日陰にして、淘汰する。そのことが又、翌年の種を残すことに優位になるからである。
今年も天地とともに生き、天地の恵みを頂く。そして天地と一体である自らを又、崋昇させるこれからでもある。
私の「合氣」もどんどん進化していく…。
「知行合一」を基本にして、「四維」による生き方を更に深めたい。
「寒則殺」「暖則生」…心の冷たい人は自らをも殺す。しかし、心の温かい人は人の心をも和やかにして、豊に暮す…。
春は様々なものを生み出す。
すべてに「愛」を。
日本海地域の特有の気候である鈍よりとした空、小雨がやんだと思うと又降り出す、それが何時の間にか雪に変わる…。
そんな天気が目覚ましく一日の中で変わって、気分が相乗して躁鬱と変わる。
大阪人と違って、新潟など地方出身の方が何事にも辛抱強く、根粘り強い面を持っておられるように私は思う。
話をもとに戻そう。
西舞鶴の春は、もうそこまで来ている。そんな気配がいっぱい。
蕗のとうが斜面一杯に芽を出し、もう大きく開き、蕾を幾つも誇らしげに空に向けてさらしている。裏山の雑木たちは、枝先に小さな膨らみを溜めている…。
さらには、タラの芽が出番を待っている…。
山裾の湧水水路には、カワニナがじっとしている。芹が小さな発破を水の中に…。
イモリが、小さな池の湧水の泡に同乗して水面にゆらゆらと浮かび上がり、一呼吸してまた下に降りていく動作を繰り返している…。
今年はホタルは乱舞するだろうか、鬼ヤンマの幼虫は大丈夫だろうか…、モリアオガエルは…、サワガニが穴の中で固まっている…。
不思議と毎年芽を出す草も異なる。地の中では、全てが春に向けての準備に取り掛かっている…。
山や畑の様々な生き物が春に向けて何よりも早く太陽に向かって近づこうして待ち構えている。表面から何と無くしか感じ取れないが、地の中では、ものすごい戦いが繰り広げられている。
如何にして先に地表に出ようか、と。
そして先に出たものが、先に葉を広げて、あとから出てくるものを日陰にして、淘汰する。そのことが又、翌年の種を残すことに優位になるからである。
今年も天地とともに生き、天地の恵みを頂く。そして天地と一体である自らを又、崋昇させるこれからでもある。
私の「合氣」もどんどん進化していく…。
「知行合一」を基本にして、「四維」による生き方を更に深めたい。
「寒則殺」「暖則生」…心の冷たい人は自らをも殺す。しかし、心の温かい人は人の心をも和やかにして、豊に暮す…。
春は様々なものを生み出す。
すべてに「愛」を。
2008年02月27日
研究フォーラム「商店街と地域社会の活性化」
2月26日に高槻市総合センターにおいて、高槻市と関西大学の共同事業でおこなったフォーラムがあった。
内容は、「高槻市中心市街地商店街の生活、意識と地域の活性化に関する調査」である。
学生達(関西大学社会学部・社会システムデザイン実習)が商店街に出向いて、様々な聞き取り調査などを行い、それを報告書としてまとめて発表したものである。
内容は、六つの視点から纏められている。なかなかよく出来ている。
特に私が再開発部企画室長の時に、都市再開発法の第一号の事業として当時国鉄高槻駅南地区(2.2haの再開発事業をおこなった地域のグリーンプラザは商業者の意識(愛着心と積極的な地域活動など)は高い。しかし、残念ながら生活者から見た満足度は一番低い。
もともと駅前にあり、紺屋町商店街が今のセンター街に繋がり、古い店が多かった。ある意味では郷土愛の意識も高い。だが権利変換などで残存した店舗は少ない。駅前という良い立地条件にある。
しかし当時全国の駅前のスタイルは皆同じだと評されたように、商店街コミュニティに対する洞察が不足していたのてはないかの私の想いは今も強い。
確か基本構想・基本計画は良かった、実施計画にあたって、市の内部(
市議会の特別委員会など)で二転三転した。昭和47年のことである。
当初の計画では、再開発の商業ビルは駅に並行してくっついて建てるもので、特に人の動線を重要視して、全ての商業床にアプローチしやすい計画であつた。
それが今のように駅前広場を取り囲むように配置された。
これは、再開発地域の再開発の商業ビルで完結することになる。
私は、センター街との連続性を保ち、回廊としての型式を取るべきと主張した。
高槻の商店街の歴史は、もともと芥川二丁目から始まったのである。
そして北駅前に当時「西武百貨店」が進出して来た。古い言葉ではあるが、「商店街は太陽の上る方向に発展していく」と云われた。まさにその通りとなった。偶然かも知れないが、駅前の一丁目が賑わいを見せ、当時の国鉄を超えてセンター街に、そして阪急高槻駅南側にと商店化は進んでいった。
高槻市の当初の駅前再開発事業計画は、芥川商店街の西に位置する二丁目の商人たちの危機感から出発した。市長と連日地元に入っての話し合いが続いた。しかし、芥川商店街として一つに纏まることが出来なくなり、中途で頓挫した。丁度その時、南側で高槻市役所の移転問題が出て、急遽、国鉄南地区再開発事業として浮上し、進められたのが現在の松坂屋をキーテナントとして出来た再開発事業なのである。
阪急高槻市駅の南側は、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄)が造成した閑静な住宅街であった。今はその面影はない。
話を元に戻して、グリーンプラザ(市施工の再開発ビル)は以上のような歴史をふんで来た。顧客の満足度を求める以前に、如何にして賑わいを作るか、が求められる。買い物客が自由にどの店にも行き来出来るような仕組みが必要なのである。
再開発事業が面としての整備であれば、線としての既存の商店街との
繋がりは不可欠のものである。私の当初の想いは間違っていなかったと思っている。それは関西大学のこの調査からもはっきりと浮かび上がっている。
私が関わった頃には、商店街再開発事業には必ず自らの商売をほったらかしにして、世話をされる方が存在した。どこの都市の再開発事業でも同じでした。それが五年十年と経つとまったくと言って良いほど
居なくなった。それと比例して街づくりは後退した(私が防災都市づくり計画を策定した時(平成八年)には建設省でも問題になった)。
話を元に戻そう。この調査にもう一つの視点がほしかった。それは
商店街と地域社会の活性化」のための意識として、「商業者」「生活者」「行政」の役割についての概念の創造。
そして、それぞれの現時点での意識調査である。
三者がどこまで対等に話し合えるか、さらには、それぞれの役割をどのようにして実行すれば、課題に満足を与えられるか、である。
特に、行政の役割は大きい。それは、商店街の活性化には、まちづくりと切っても切れない関係があるからである。
人をあつめる、賑わいを造る場の提供(公共空間の在り方、都市景観の創造、安全安心の提供…)。その人を、商人の才覚でもってディスプレイを上手くして如何に衝動買いをさせるか。店は舞台、公共空間は客席。この三者の演出が一つに纏まってこそ、街や商店街に夢が漂うのである。
内容は、「高槻市中心市街地商店街の生活、意識と地域の活性化に関する調査」である。
学生達(関西大学社会学部・社会システムデザイン実習)が商店街に出向いて、様々な聞き取り調査などを行い、それを報告書としてまとめて発表したものである。
内容は、六つの視点から纏められている。なかなかよく出来ている。
特に私が再開発部企画室長の時に、都市再開発法の第一号の事業として当時国鉄高槻駅南地区(2.2haの再開発事業をおこなった地域のグリーンプラザは商業者の意識(愛着心と積極的な地域活動など)は高い。しかし、残念ながら生活者から見た満足度は一番低い。
もともと駅前にあり、紺屋町商店街が今のセンター街に繋がり、古い店が多かった。ある意味では郷土愛の意識も高い。だが権利変換などで残存した店舗は少ない。駅前という良い立地条件にある。
しかし当時全国の駅前のスタイルは皆同じだと評されたように、商店街コミュニティに対する洞察が不足していたのてはないかの私の想いは今も強い。
確か基本構想・基本計画は良かった、実施計画にあたって、市の内部(
市議会の特別委員会など)で二転三転した。昭和47年のことである。
当初の計画では、再開発の商業ビルは駅に並行してくっついて建てるもので、特に人の動線を重要視して、全ての商業床にアプローチしやすい計画であつた。
それが今のように駅前広場を取り囲むように配置された。
これは、再開発地域の再開発の商業ビルで完結することになる。
私は、センター街との連続性を保ち、回廊としての型式を取るべきと主張した。
高槻の商店街の歴史は、もともと芥川二丁目から始まったのである。
そして北駅前に当時「西武百貨店」が進出して来た。古い言葉ではあるが、「商店街は太陽の上る方向に発展していく」と云われた。まさにその通りとなった。偶然かも知れないが、駅前の一丁目が賑わいを見せ、当時の国鉄を超えてセンター街に、そして阪急高槻駅南側にと商店化は進んでいった。
高槻市の当初の駅前再開発事業計画は、芥川商店街の西に位置する二丁目の商人たちの危機感から出発した。市長と連日地元に入っての話し合いが続いた。しかし、芥川商店街として一つに纏まることが出来なくなり、中途で頓挫した。丁度その時、南側で高槻市役所の移転問題が出て、急遽、国鉄南地区再開発事業として浮上し、進められたのが現在の松坂屋をキーテナントとして出来た再開発事業なのである。
阪急高槻市駅の南側は、京阪神急行電鉄(今の阪急電鉄)が造成した閑静な住宅街であった。今はその面影はない。
話を元に戻して、グリーンプラザ(市施工の再開発ビル)は以上のような歴史をふんで来た。顧客の満足度を求める以前に、如何にして賑わいを作るか、が求められる。買い物客が自由にどの店にも行き来出来るような仕組みが必要なのである。
再開発事業が面としての整備であれば、線としての既存の商店街との
繋がりは不可欠のものである。私の当初の想いは間違っていなかったと思っている。それは関西大学のこの調査からもはっきりと浮かび上がっている。
私が関わった頃には、商店街再開発事業には必ず自らの商売をほったらかしにして、世話をされる方が存在した。どこの都市の再開発事業でも同じでした。それが五年十年と経つとまったくと言って良いほど
居なくなった。それと比例して街づくりは後退した(私が防災都市づくり計画を策定した時(平成八年)には建設省でも問題になった)。
話を元に戻そう。この調査にもう一つの視点がほしかった。それは
商店街と地域社会の活性化」のための意識として、「商業者」「生活者」「行政」の役割についての概念の創造。
そして、それぞれの現時点での意識調査である。
三者がどこまで対等に話し合えるか、さらには、それぞれの役割をどのようにして実行すれば、課題に満足を与えられるか、である。
特に、行政の役割は大きい。それは、商店街の活性化には、まちづくりと切っても切れない関係があるからである。
人をあつめる、賑わいを造る場の提供(公共空間の在り方、都市景観の創造、安全安心の提供…)。その人を、商人の才覚でもってディスプレイを上手くして如何に衝動買いをさせるか。店は舞台、公共空間は客席。この三者の演出が一つに纏まってこそ、街や商店街に夢が漂うのである。
エミリー・ウングワレー展
大阪の国立国際美術館で、アボリジニが生んだ天才画家・エミリー・ウングワレー展が開催されている。
開催に先立ち2月25日(月)に内覧会と開会式・レセブションに当美術館学芸課長の島氏から招待状を頂き見てきました。
確か以前にTVでオーストラリアの先住民族であるアボリジニのことを見た覚えがあるくらいで深くは知らなかった。
オーストラリアは建国より約二百年余りの新しい国で先住民族のアボリジニは四〜五万年前からその大陸で暮らし、赤い大地をカンバスとして、彼らの世界観に基づき、おおらかな芸術的行為を繰り広げてきたと言われてる。
特に、石器時代的な狩猟採集経済を営みつづけていたという不思議な集団である。しかし、1776年に英国がこの大陸を植民地としてきた。近代文明と対峙したことにより、人口が激変して崩壊していった。
1967年に国民投票でアボリジニを国民と認める憲法改正が行われた。政府はアボリジニ社会の再構築をしようとしたが成果はあがらなかった。すなわち、その根源には両者の社会観、とくに経済概念の違いである。アボリジニは、定住しない、財を平等に分配する。その場で消費して蓄財しない、明確な計画性をもたない。など独特に社会組織と相恵性経済を営んでいたので、政府がもたらした貨幣経済にすんなりと適応できなかったのである。
新しい政策が軌道に乗り出したのは1970年代の後半といわれている。政策的なものとして、農業、牧畜、漁業、工業などは全て頓挫。
採算がとれそうなのは美術・工芸だけであることが分り、それに集中するよになった。大まかにアボリジニの歴史は以上である。
そして、この女性、エミリーウングワレー(1910〜1986年)はその延長線上に存在した。86歳で亡くなるまでの十年間には、三千枚〜四千枚の絵を描き上げたとされる。
絵のもととなるモデルは、彼らの主食でもある「ヤムイモ」を題材したものが多く、黒いキャンパスに無数の線が描かれている。
又、点描で表現したものが多い、
何ら美術の教育も知識もない。しかし、その絵が観る者を感動させる。
自然とともに生きる彼らは、體に描いていた模様(ポディーペインディング)と、大地をまさぐって彼らの食べ物であるヤムイモ(地下茎とイモ)を、それらを紙に移し替えて表現した。
自然と共存する彼らには、大地との対話が出来るのであろう。
その時の感情を実に見事に色で表現している。
見たまま、感じたまま、あるがまま、なのである。それが私たちの心を揺り動かす。時間に追われるような、ものに動かされているような…、現代社会にあって、かって私たちにもあった原体験にまで蘇らせる力をもった絵であることには間違いない。
是非一度鑑賞されることお勧めしたい。とともに、この機会を頂いた島氏に感謝したい。
開催に先立ち2月25日(月)に内覧会と開会式・レセブションに当美術館学芸課長の島氏から招待状を頂き見てきました。
確か以前にTVでオーストラリアの先住民族であるアボリジニのことを見た覚えがあるくらいで深くは知らなかった。
オーストラリアは建国より約二百年余りの新しい国で先住民族のアボリジニは四〜五万年前からその大陸で暮らし、赤い大地をカンバスとして、彼らの世界観に基づき、おおらかな芸術的行為を繰り広げてきたと言われてる。
特に、石器時代的な狩猟採集経済を営みつづけていたという不思議な集団である。しかし、1776年に英国がこの大陸を植民地としてきた。近代文明と対峙したことにより、人口が激変して崩壊していった。
1967年に国民投票でアボリジニを国民と認める憲法改正が行われた。政府はアボリジニ社会の再構築をしようとしたが成果はあがらなかった。すなわち、その根源には両者の社会観、とくに経済概念の違いである。アボリジニは、定住しない、財を平等に分配する。その場で消費して蓄財しない、明確な計画性をもたない。など独特に社会組織と相恵性経済を営んでいたので、政府がもたらした貨幣経済にすんなりと適応できなかったのである。
新しい政策が軌道に乗り出したのは1970年代の後半といわれている。政策的なものとして、農業、牧畜、漁業、工業などは全て頓挫。
採算がとれそうなのは美術・工芸だけであることが分り、それに集中するよになった。大まかにアボリジニの歴史は以上である。
そして、この女性、エミリーウングワレー(1910〜1986年)はその延長線上に存在した。86歳で亡くなるまでの十年間には、三千枚〜四千枚の絵を描き上げたとされる。
絵のもととなるモデルは、彼らの主食でもある「ヤムイモ」を題材したものが多く、黒いキャンパスに無数の線が描かれている。
又、点描で表現したものが多い、
何ら美術の教育も知識もない。しかし、その絵が観る者を感動させる。
自然とともに生きる彼らは、體に描いていた模様(ポディーペインディング)と、大地をまさぐって彼らの食べ物であるヤムイモ(地下茎とイモ)を、それらを紙に移し替えて表現した。
自然と共存する彼らには、大地との対話が出来るのであろう。
その時の感情を実に見事に色で表現している。
見たまま、感じたまま、あるがまま、なのである。それが私たちの心を揺り動かす。時間に追われるような、ものに動かされているような…、現代社会にあって、かって私たちにもあった原体験にまで蘇らせる力をもった絵であることには間違いない。
是非一度鑑賞されることお勧めしたい。とともに、この機会を頂いた島氏に感謝したい。
2008年02月20日
田舎坊主の愚言
一月に身内の法事があった。その時、来られた僧侶が大変面白い方で、法事の最後に自ら書かれたものを配られた。
紹介しよう。
田舎坊主の愚言
昨年は、「偽りの一年であつた」とか。
産地の偽装、消費期限、賞味期限のごまかし等で、「赤福」、「吉兆」等が、マスコミにたたかれました。清水のお坊さんも、「こんな字が選ばれることは、誠になげかわしい」と告げておりました。
だました人や業者のみが、批判されたり、たたかれたりしている中にありながら、一度だって、だまされたり、世の流れに流され、つまらぬ慣習を伝統としていることにならされて、自分自身がだまされたり、だまされていることも氣付かずにいる大衆の「無智」に忠告を与えるマスコミの現状をあなたは、どう思っているのでしょうか。
だまされ易い素質をもつ日本人が多いから、だます人や業者が絶えない面を大衆は、しっかりと見極めて、「他人が悪い、悪い業者が多すぎる」と言う前に、そのようなものを生み出している己をもっと厳しく問い返さないと駄目でしょうね。
「こんな字が選ばれて」と嘆いておられるお寺さんやお宮さんにお尋ねいたしたいですね。「あなた自身、お礼やご祈祷が真実、無病息災、家内安全を保障します」と、人間の愚かな期待や不安を「慣習と伝統」の名にかくれて大衆をごまかしていませんか。新学期になると「進学保証の神仏」が流行し、新生児誕生前になると「安産のお礼」が売り出されたり、誠にまやかしいものが多く残存し、多くの日本人の「あまえ、もたれ、願望」からくる「騙され易い素質」を助長してはいませんかと。
憲法の第9条を守り、平和を求められる人々の中にも、何故か「春闘」とか、「要求貫徹に向かって戦いましょう」と「闘」の語を無批判的に使われたことがありますね。
又、自らの心やさしい親切心を外に見せて、病に倒れて入院中の友を見舞われて、外見温厚そうな素振りをされつつも、心の中にある「病」に対する人間的のな「にくしみ」から、つい「闘病に心がけて下さい」と「闘」の語が出てくるではありませんか。
親鸞聖人様は、このあさましい人間の心を自らの心の中にも内在していることを嘆かれて、「修善も雑毒なるゆへに、虚仮の行とぞなづけたる」と説かれています。如何に美しい、立派な善の行為としておこなっている人間の行いも、常に内面にはきたない、にごった汚れた人間自性の悪が潜んでいるもので、真の行ではありがたく、偽りの多い虚構の行ではなかろうかと厳しく自らを省みられているのです。
日本にも、古来より素晴らしい言葉が多く残されていますね。
むやみやたらと相手と争い、たたかう心をもたず、共に目標にむかって努力しましょうという「切磋琢磨」等。角や骨や石等の荒々しいものを磨き上げ、勉めに励んで共にがんばりましょうとね。
又、「闘病」なんて不用意な語ではなく、生きる力を養いましょう。
育てましょうと「養生」という素晴らしい言葉がありますね。
教育は、まことに大切であります。然し、一つ誤って「進学競争」に勝利するなんて考えで、若し、先生がそのことにとらわれて「皆さん、しっかり勉強して、この厳しい進学競争に勝ち抜きましょう」なんて言葉を発したならば、一体どこに「生命の大切さ」なんてあるのでしょうか。
過日、永平寺の官首宮崎奕保(えきほ)様が、106歳を人生の最期として1月5日に還浄されました。
師は、お弟子達に「人間は、常に栄誉栄達や財力を求め、それを成就することを人生としているが、それはまことに悲しいことであり、欲の中で迷いつつ泳いでいるようのなものだ。実は筍が一枚づつ皮を抜きとる筍の皮を脱ぎ取る如く、その脱ぎ取る如く、その欲を脱ぎ去ることが真の人生であろう」と説論されたと聞いております。
私は、人間は心にも体内にも「善玉」と「悪玉」を有していて、けっして「善玉」ばかりてはなく、この二つを「共有」し、これをうまく調整している人が、世間では「善い人」であり、「健康な人」と言われているとおもうのです。病気は、「悪玉」の心が「悪玉」の身を過保護して、「暴飲暴食、喫煙」を放置し、身勝手にするから「悪玉」が横着をして「病」になると思います。そして「悪玉」を「敵視」して、にくんだり、闘いを挑んで「薬」で倒そうとすると「悪玉」は、これを拒んで暴れまわり、「副作用」として仕返しにかかるのではないか 「善玉」も「悪玉」も「共生」させて、これを制御し調整することが実は「養生」を続ける人生であり、「聴聞、聞法」の日おくりとおもいますが、如何でしょうか。以上
僧は、齢80最を過ぎておられる。長い間、学校の校長先生として務められておられた。浄土真宗のお寺に生まれて、布教と保護司として地域に携わってこらた方で叙勲を受けられたそうである。
最少限度のお布施とされ、戒名料、食事料、お車代、など一般にとられているような費用は一切取られていない。自らの生活費とお寺の維持費の一部になるものだけを、読経料として、受け取られるだけである。しかし、宗派仏教としての枠組みからは出てはおられない。
釈迦の教えは、「真の人間とての生き方」を説いているものである。
死者を弔うだけのものではないことは、言うまでもない。
紹介しよう。
田舎坊主の愚言
昨年は、「偽りの一年であつた」とか。
産地の偽装、消費期限、賞味期限のごまかし等で、「赤福」、「吉兆」等が、マスコミにたたかれました。清水のお坊さんも、「こんな字が選ばれることは、誠になげかわしい」と告げておりました。
だました人や業者のみが、批判されたり、たたかれたりしている中にありながら、一度だって、だまされたり、世の流れに流され、つまらぬ慣習を伝統としていることにならされて、自分自身がだまされたり、だまされていることも氣付かずにいる大衆の「無智」に忠告を与えるマスコミの現状をあなたは、どう思っているのでしょうか。
だまされ易い素質をもつ日本人が多いから、だます人や業者が絶えない面を大衆は、しっかりと見極めて、「他人が悪い、悪い業者が多すぎる」と言う前に、そのようなものを生み出している己をもっと厳しく問い返さないと駄目でしょうね。
「こんな字が選ばれて」と嘆いておられるお寺さんやお宮さんにお尋ねいたしたいですね。「あなた自身、お礼やご祈祷が真実、無病息災、家内安全を保障します」と、人間の愚かな期待や不安を「慣習と伝統」の名にかくれて大衆をごまかしていませんか。新学期になると「進学保証の神仏」が流行し、新生児誕生前になると「安産のお礼」が売り出されたり、誠にまやかしいものが多く残存し、多くの日本人の「あまえ、もたれ、願望」からくる「騙され易い素質」を助長してはいませんかと。
憲法の第9条を守り、平和を求められる人々の中にも、何故か「春闘」とか、「要求貫徹に向かって戦いましょう」と「闘」の語を無批判的に使われたことがありますね。
又、自らの心やさしい親切心を外に見せて、病に倒れて入院中の友を見舞われて、外見温厚そうな素振りをされつつも、心の中にある「病」に対する人間的のな「にくしみ」から、つい「闘病に心がけて下さい」と「闘」の語が出てくるではありませんか。
親鸞聖人様は、このあさましい人間の心を自らの心の中にも内在していることを嘆かれて、「修善も雑毒なるゆへに、虚仮の行とぞなづけたる」と説かれています。如何に美しい、立派な善の行為としておこなっている人間の行いも、常に内面にはきたない、にごった汚れた人間自性の悪が潜んでいるもので、真の行ではありがたく、偽りの多い虚構の行ではなかろうかと厳しく自らを省みられているのです。
日本にも、古来より素晴らしい言葉が多く残されていますね。
むやみやたらと相手と争い、たたかう心をもたず、共に目標にむかって努力しましょうという「切磋琢磨」等。角や骨や石等の荒々しいものを磨き上げ、勉めに励んで共にがんばりましょうとね。
又、「闘病」なんて不用意な語ではなく、生きる力を養いましょう。
育てましょうと「養生」という素晴らしい言葉がありますね。
教育は、まことに大切であります。然し、一つ誤って「進学競争」に勝利するなんて考えで、若し、先生がそのことにとらわれて「皆さん、しっかり勉強して、この厳しい進学競争に勝ち抜きましょう」なんて言葉を発したならば、一体どこに「生命の大切さ」なんてあるのでしょうか。
過日、永平寺の官首宮崎奕保(えきほ)様が、106歳を人生の最期として1月5日に還浄されました。
師は、お弟子達に「人間は、常に栄誉栄達や財力を求め、それを成就することを人生としているが、それはまことに悲しいことであり、欲の中で迷いつつ泳いでいるようのなものだ。実は筍が一枚づつ皮を抜きとる筍の皮を脱ぎ取る如く、その脱ぎ取る如く、その欲を脱ぎ去ることが真の人生であろう」と説論されたと聞いております。
私は、人間は心にも体内にも「善玉」と「悪玉」を有していて、けっして「善玉」ばかりてはなく、この二つを「共有」し、これをうまく調整している人が、世間では「善い人」であり、「健康な人」と言われているとおもうのです。病気は、「悪玉」の心が「悪玉」の身を過保護して、「暴飲暴食、喫煙」を放置し、身勝手にするから「悪玉」が横着をして「病」になると思います。そして「悪玉」を「敵視」して、にくんだり、闘いを挑んで「薬」で倒そうとすると「悪玉」は、これを拒んで暴れまわり、「副作用」として仕返しにかかるのではないか 「善玉」も「悪玉」も「共生」させて、これを制御し調整することが実は「養生」を続ける人生であり、「聴聞、聞法」の日おくりとおもいますが、如何でしょうか。以上
僧は、齢80最を過ぎておられる。長い間、学校の校長先生として務められておられた。浄土真宗のお寺に生まれて、布教と保護司として地域に携わってこらた方で叙勲を受けられたそうである。
最少限度のお布施とされ、戒名料、食事料、お車代、など一般にとられているような費用は一切取られていない。自らの生活費とお寺の維持費の一部になるものだけを、読経料として、受け取られるだけである。しかし、宗派仏教としての枠組みからは出てはおられない。
釈迦の教えは、「真の人間とての生き方」を説いているものである。
死者を弔うだけのものではないことは、言うまでもない。
2008年02月19日
雪の舞鶴
カタコトという除雪車の音で目が覚めた。
一晩で約30センチの積雪である。
今から三年前にも大雪の時があった。
その時は道路まで出るのに、二日掛って雪かきをして車を出した。
このときは約50センチの積雪でした。どんよりとした空、振り続ける雪…、風が雪を舞い上げる…。
風の音以外は聞こえない。
ときおり、ヒヨドリが餌を求めて、庭の南天の赤い実をついばみに来る。夜には、狸が餌を求めて、犬走りを走る。
そしてお土産を置いて行く。朝の仕事の一つにその処理がある。
隣家の梅原きぬえさんから、大根を頂く。
以前に畑の大根をいるだけ抜いて持って行って下さいと言われていた。しかし、遠慮していた。
「凍ってしまうので…持ってきた。たべて…」と。
今年で数えで百歳になるおばあさんは、すこし足腰が弱ってきたと話されていた。このごろは雨戸が閉まっている日が多い。
自分で薪を焚いて風呂を沸かして入っておられる。
自給自足に等しい生活をされている家が大半だと推測する。又、老人人口比率も50%を超えている。このことは自治活動が困難になってきていることにヒタヒタと近づいていることを示している。
村の一人の方は「十年後は考えられない、いや、考えない…」との言葉が深く耳に残っている。
ひとり亡くなり、又ひとり亡くなり…、その家が空き家となっていくことへの恐怖心が伺えた。
全国で「限界集落」といわれている村落が約3000箇所存在すると言われている。そのうちの一つが、この村(久田美)でもある。
国も都道府県も市町村も、至急対策がほしい。
舞鶴市の総合計画では確か人口の減少することを是とした内容である。まちづくりはそんなものではない。人口増に向けての基本構想・基本計画となるものが何故出来ないのか。
「人口が減少します…」ということは、何もしない(計画がない)ということである。そうであれば、自治体の職員は市長以下いらない。
事業をしてほしいと言えば、金(予算)がないという。金がなければ
頭を使えば良い。市町村こそ、知識を知恵にする。即ち、知識・見識・胆識の有無が問われる組織はない。さらに節操を重んじることである。
今こそ、「見識」すなわち物事の本質を観る目を持ってほしい。
前の市長には、様々な提案をした。志半ばで引退された。残念である。次期の総合計画の見直しにあたっては、知識人はもとより多くの異なった世代の委員によって構成されることを願いたい。
土地利用の見直し、住みやすいまちづくり、住民の命にかかわる事業は重点的に進める、若者が働く場所の創設、地域の特性を生かした村おこし事業、全国から注目されるあるいは第一位となるまちづくり…
等いくらでもある。「礼・義・廉・恥」を実践すれば良い。
話は変わるが、宮崎県知事の東国原詩氏に、当選された時に手紙を出した。私の約40年の地方行政の一端を務めてきた経験からの助言である。
議会、官僚との接し方や人材育成についてである。
まず、幹部職員には県についての想いを小論文に書かすこと。
そして、相手を知ることから始める、など…である。
実行されたようである。その後の知事はTVのとおりである。
舞鶴市(舞鶴市民)にとって何が必要なのか。その本質は何か。
その為の知恵をだすことが今求められるのではないか。
一晩で約30センチの積雪である。
今から三年前にも大雪の時があった。
その時は道路まで出るのに、二日掛って雪かきをして車を出した。
このときは約50センチの積雪でした。どんよりとした空、振り続ける雪…、風が雪を舞い上げる…。
風の音以外は聞こえない。
ときおり、ヒヨドリが餌を求めて、庭の南天の赤い実をついばみに来る。夜には、狸が餌を求めて、犬走りを走る。
そしてお土産を置いて行く。朝の仕事の一つにその処理がある。
隣家の梅原きぬえさんから、大根を頂く。
以前に畑の大根をいるだけ抜いて持って行って下さいと言われていた。しかし、遠慮していた。
「凍ってしまうので…持ってきた。たべて…」と。
今年で数えで百歳になるおばあさんは、すこし足腰が弱ってきたと話されていた。このごろは雨戸が閉まっている日が多い。
自分で薪を焚いて風呂を沸かして入っておられる。
自給自足に等しい生活をされている家が大半だと推測する。又、老人人口比率も50%を超えている。このことは自治活動が困難になってきていることにヒタヒタと近づいていることを示している。
村の一人の方は「十年後は考えられない、いや、考えない…」との言葉が深く耳に残っている。
ひとり亡くなり、又ひとり亡くなり…、その家が空き家となっていくことへの恐怖心が伺えた。
全国で「限界集落」といわれている村落が約3000箇所存在すると言われている。そのうちの一つが、この村(久田美)でもある。
国も都道府県も市町村も、至急対策がほしい。
舞鶴市の総合計画では確か人口の減少することを是とした内容である。まちづくりはそんなものではない。人口増に向けての基本構想・基本計画となるものが何故出来ないのか。
「人口が減少します…」ということは、何もしない(計画がない)ということである。そうであれば、自治体の職員は市長以下いらない。
事業をしてほしいと言えば、金(予算)がないという。金がなければ
頭を使えば良い。市町村こそ、知識を知恵にする。即ち、知識・見識・胆識の有無が問われる組織はない。さらに節操を重んじることである。
今こそ、「見識」すなわち物事の本質を観る目を持ってほしい。
前の市長には、様々な提案をした。志半ばで引退された。残念である。次期の総合計画の見直しにあたっては、知識人はもとより多くの異なった世代の委員によって構成されることを願いたい。
土地利用の見直し、住みやすいまちづくり、住民の命にかかわる事業は重点的に進める、若者が働く場所の創設、地域の特性を生かした村おこし事業、全国から注目されるあるいは第一位となるまちづくり…
等いくらでもある。「礼・義・廉・恥」を実践すれば良い。
話は変わるが、宮崎県知事の東国原詩氏に、当選された時に手紙を出した。私の約40年の地方行政の一端を務めてきた経験からの助言である。
議会、官僚との接し方や人材育成についてである。
まず、幹部職員には県についての想いを小論文に書かすこと。
そして、相手を知ることから始める、など…である。
実行されたようである。その後の知事はTVのとおりである。
舞鶴市(舞鶴市民)にとって何が必要なのか。その本質は何か。
その為の知恵をだすことが今求められるのではないか。
2008年02月18日
詩の心
今から約50年ほど前、いや半世紀と炒った方がよい。
今のように、テレビが普及していなかった。ラジオが唯一の外部からの情報を伝えてくれていた。
石鹸を造る会社、名門の牛乳石鹸があった。その会社がスポンサーで
確か毎日放送と思うが、「牛乳石鹸歌謡学校」があった。
この学校の一人に選ばれて、毎週水曜日に大阪の電通スタジオへ通った思い出がある。
その時に流行歌・歌謡曲なるものを、発声・コールユーブンゲンなでの基礎となるものを教わった。
又、エコー歌謡学院の同期生に、「あんた泣いてんのね」で一世風靡した松山恵子がいる。そのお恵ちゃんは、死ぬまで変わらない容姿で、京都の名前は忘れたが河原町通りにあったクラブで逢ったのが最後でした。その当時、大阪南の「ベラミー」で、関西が生んだジャズ歌手坂本すみ子の修行時代があった。ゴッド姉さんの異名をとる和田アキ子も数年後いた。
市村俊之(ピアニスト)の司会で「素人物まねコンクール」に出演した大阪南の映画館の「国際会館」での収録のとき、前座で若かりし藤田まことが、淡谷のり子の「別れのブルース」などの物まねで出演していたのが懐かしい。
そして一年後に、「TVコマーシャルタレント養成」に応募した。
難関を突破して入った。一年後、関係者から「東京のフジテレビのロイ・ジェームスの…紳士録」での共演者に行かないか、と言われた。
思い悩んで、先生に相談した。「お前はアホか!」と、漫才のホットブラザースの「のこ切り演奏」のお題目のような一言をあびせかけられて、チョン。
話を元に戻して、流行歌、歌謡曲、演歌、艶歌、怨歌…などと歌全体の総称が変わってきている。
多分、詩の持つ内容からの変化なのかも知れない。
しかし、阿久 悠氏が登場されてから大きく変化してきた。
詩の形式もどちらかと言うと七語調から、散文形式となり、行数も
四行〜五〜六〜十一行までと多くなる傾向にある。
若い作詞家、作曲家が多く誕生していることもまた、変化する一因なのであろう。しかし、昔の作詞家の詩には短い言葉で奥行きのある意味をこめたものが多い。その故、短くて良かったのではないか。
短かく適切な言葉こそ、人の胸深く沈みこむ力が強いことを先人は知っていた。
最近の詩を紹介したい。
(信濃恋歌)
湖水に根雪の 白い影
君の横顔 思い出す
帰らぬあの日を 秋桜と
やさしく語る 道祖神
信濃恋歌 風の詩
(ゆめかぜ)
女らしくて 気持ちが純で
母によく似た 人だった
人の前では 見せないが
生きる優しさ 顔に秘めていた
夢風は夢の風 あの人は今どこに
しあわせを集めては
しあわせに泣いている
(悲しい街さ〜TOKYO〜)
街も人も変わった
何処か遠くへ行きたい
ひとり生きるには
ただの悲しい街さ〜TOKYO(OOSASKA)
愛する女性も今は
誰かの胸に抱かれているだろう
煙草を揉み消すように
サヨナラ言えたら
夜は終わるだろうか
男は涙見せずに 思い出を語るもの
いずれも半年以内に歌われている曲です。
詩の持つ意味が、その人の人生の中の生き方の一遍と重なり合った時、共感を呼び起こす、そして、心情の吐露を疑似体験する。
この意味合いが深いほど人の胸を打つものとなるのであろう。
この世界も「心が體を動かす」ことに他ならない。
今のように、テレビが普及していなかった。ラジオが唯一の外部からの情報を伝えてくれていた。
石鹸を造る会社、名門の牛乳石鹸があった。その会社がスポンサーで
確か毎日放送と思うが、「牛乳石鹸歌謡学校」があった。
この学校の一人に選ばれて、毎週水曜日に大阪の電通スタジオへ通った思い出がある。
その時に流行歌・歌謡曲なるものを、発声・コールユーブンゲンなでの基礎となるものを教わった。
又、エコー歌謡学院の同期生に、「あんた泣いてんのね」で一世風靡した松山恵子がいる。そのお恵ちゃんは、死ぬまで変わらない容姿で、京都の名前は忘れたが河原町通りにあったクラブで逢ったのが最後でした。その当時、大阪南の「ベラミー」で、関西が生んだジャズ歌手坂本すみ子の修行時代があった。ゴッド姉さんの異名をとる和田アキ子も数年後いた。
市村俊之(ピアニスト)の司会で「素人物まねコンクール」に出演した大阪南の映画館の「国際会館」での収録のとき、前座で若かりし藤田まことが、淡谷のり子の「別れのブルース」などの物まねで出演していたのが懐かしい。
そして一年後に、「TVコマーシャルタレント養成」に応募した。
難関を突破して入った。一年後、関係者から「東京のフジテレビのロイ・ジェームスの…紳士録」での共演者に行かないか、と言われた。
思い悩んで、先生に相談した。「お前はアホか!」と、漫才のホットブラザースの「のこ切り演奏」のお題目のような一言をあびせかけられて、チョン。
話を元に戻して、流行歌、歌謡曲、演歌、艶歌、怨歌…などと歌全体の総称が変わってきている。
多分、詩の持つ内容からの変化なのかも知れない。
しかし、阿久 悠氏が登場されてから大きく変化してきた。
詩の形式もどちらかと言うと七語調から、散文形式となり、行数も
四行〜五〜六〜十一行までと多くなる傾向にある。
若い作詞家、作曲家が多く誕生していることもまた、変化する一因なのであろう。しかし、昔の作詞家の詩には短い言葉で奥行きのある意味をこめたものが多い。その故、短くて良かったのではないか。
短かく適切な言葉こそ、人の胸深く沈みこむ力が強いことを先人は知っていた。
最近の詩を紹介したい。
(信濃恋歌)
湖水に根雪の 白い影
君の横顔 思い出す
帰らぬあの日を 秋桜と
やさしく語る 道祖神
信濃恋歌 風の詩
(ゆめかぜ)
女らしくて 気持ちが純で
母によく似た 人だった
人の前では 見せないが
生きる優しさ 顔に秘めていた
夢風は夢の風 あの人は今どこに
しあわせを集めては
しあわせに泣いている
(悲しい街さ〜TOKYO〜)
街も人も変わった
何処か遠くへ行きたい
ひとり生きるには
ただの悲しい街さ〜TOKYO(OOSASKA)
愛する女性も今は
誰かの胸に抱かれているだろう
煙草を揉み消すように
サヨナラ言えたら
夜は終わるだろうか
男は涙見せずに 思い出を語るもの
いずれも半年以内に歌われている曲です。
詩の持つ意味が、その人の人生の中の生き方の一遍と重なり合った時、共感を呼び起こす、そして、心情の吐露を疑似体験する。
この意味合いが深いほど人の胸を打つものとなるのであろう。
この世界も「心が體を動かす」ことに他ならない。
2008年02月14日
言霊
言霊とは、「言葉に宿っている不思議な霊威」「古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた」(広辞苑)といわれている。
さらに、言葉とは、「人の音声の意味を持っているもの。また、それを文字にあらわしたもの」と記されている。
少し話はそれるが、1986年に編纂された「漢語林」の著者鎌田 正(東京教育大学名誉教授・文学博士)はその著書の中で、「漢籍が我が国に伝来して以来、言語・文学・思想等、我が国の文化が漢字・漢語を媒体として発達したことは、事新しく述べるまでもない…近年における科学技術の進歩はまことに目まぐるしく、言語生活も機械化の開発に伴い、その能率的効果の顕著な反面、漢字・漢語に対する知識が著しく低下し、誤字ないしは狂言戯語ともいうべき当て字の氾濫は、見るにたえないものがある。これは漢字を国字としているわが国にとっては、きわめて重大なことと言わなければならない…」と述べられている。
文字の字源が象形文字といわれいることからも西洋の言語とは根本的に異なっていることは事実である。
このような意味あいをもっている言葉は、日本人の心に直接響き入り込む。
昨日の新聞に、90最の夫が87最の寝たきりの妻を殺したと記事があった。その原因は、「妻が命令調で指図したから…」と。
近所の人の話では、「とてもそんなことをする方ではありません。よく介護をされていましたのに…、疲れられたのでしょう」そんなコメントをされていたのを聞いたとき、やりきれない思いがした。
振り返ってみると身びいきかも知れないが、男性が女性に危害を加える時は、言葉に誘発されるのが多くみられる。
元来、男は寂しがり屋なのである。以前にも書いたが、連れ合いが亡くなれば、そのあと二年半位で男は弱るか死に至ることが多いと云われている。高齢者では特に多いようである。
小さい時から母親に甘やかされて育てられた男は、その潜在心に母体への高い依存度が蓄積されているのかも知れない。
男は母親から創られたのであるから当然と言えばそれまでだか…。
大体男が年をとると、夫婦間での呼び方が変わる。夫は妻を「おかぁちゃん」というようになるらしい。しかし、女は邪険になる、すなわち「うちのおとうちゃん」ひどいのになると「うちのおっさん」いずれも関西の下町ではあるが…。
逆に言えば、それだけ男が弱い生き物といえるであろう。
しかし、精神的自立をした男は異なる。山田方谷(陽明学者)などはそのあまりの清貧さに女房が逃げて帰ったといわれる。
その人、人の「こころざし」が違うのであろう。
世の男性よ、菅子の言う「四維」を自覚し、自分造りをしよう!
次の言葉を長野の元友人に捧げたい。
「愛の存在に対しては、ただひとつの証拠があるのみである。即ち関係の深さであり、関係する各人の活発さと強さである」(エーリッヒ=フロム『愛するということ』)
さらに、言葉とは、「人の音声の意味を持っているもの。また、それを文字にあらわしたもの」と記されている。
少し話はそれるが、1986年に編纂された「漢語林」の著者鎌田 正(東京教育大学名誉教授・文学博士)はその著書の中で、「漢籍が我が国に伝来して以来、言語・文学・思想等、我が国の文化が漢字・漢語を媒体として発達したことは、事新しく述べるまでもない…近年における科学技術の進歩はまことに目まぐるしく、言語生活も機械化の開発に伴い、その能率的効果の顕著な反面、漢字・漢語に対する知識が著しく低下し、誤字ないしは狂言戯語ともいうべき当て字の氾濫は、見るにたえないものがある。これは漢字を国字としているわが国にとっては、きわめて重大なことと言わなければならない…」と述べられている。
文字の字源が象形文字といわれいることからも西洋の言語とは根本的に異なっていることは事実である。
このような意味あいをもっている言葉は、日本人の心に直接響き入り込む。
昨日の新聞に、90最の夫が87最の寝たきりの妻を殺したと記事があった。その原因は、「妻が命令調で指図したから…」と。
近所の人の話では、「とてもそんなことをする方ではありません。よく介護をされていましたのに…、疲れられたのでしょう」そんなコメントをされていたのを聞いたとき、やりきれない思いがした。
振り返ってみると身びいきかも知れないが、男性が女性に危害を加える時は、言葉に誘発されるのが多くみられる。
元来、男は寂しがり屋なのである。以前にも書いたが、連れ合いが亡くなれば、そのあと二年半位で男は弱るか死に至ることが多いと云われている。高齢者では特に多いようである。
小さい時から母親に甘やかされて育てられた男は、その潜在心に母体への高い依存度が蓄積されているのかも知れない。
男は母親から創られたのであるから当然と言えばそれまでだか…。
大体男が年をとると、夫婦間での呼び方が変わる。夫は妻を「おかぁちゃん」というようになるらしい。しかし、女は邪険になる、すなわち「うちのおとうちゃん」ひどいのになると「うちのおっさん」いずれも関西の下町ではあるが…。
逆に言えば、それだけ男が弱い生き物といえるであろう。
しかし、精神的自立をした男は異なる。山田方谷(陽明学者)などはそのあまりの清貧さに女房が逃げて帰ったといわれる。
その人、人の「こころざし」が違うのであろう。
世の男性よ、菅子の言う「四維」を自覚し、自分造りをしよう!
次の言葉を長野の元友人に捧げたい。
「愛の存在に対しては、ただひとつの証拠があるのみである。即ち関係の深さであり、関係する各人の活発さと強さである」(エーリッヒ=フロム『愛するということ』)
2008年02月11日
ジエロ
ジェローム・ホワイト・ジュニアー、1981年アメリカはピッツバーク生まれ。26歳の黒人歌手。
それも演歌歌手である。
おばあちゃんが日本人でその影響で演歌が好きになり、2003年NHKのど自慢で合格。
今、急激に人気上昇中。
彼の歌声を聴いていると、黒人とは思えないくらいに、低音から高音までその音域はひろい。
素晴らしい声である。
ジーンズにスニーカ、頭にはキャップ、軽いジャンパー?どうみてもジャズがラップを口にしそうな青年である。
どうして演歌なのですか?の質問に、「若い人にもっと日本の演歌の良さを知ってほしい。その為に歌っています」と。
低迷する演歌界にあって、救世主になろう。
好きな歌手は、美空ひばり、五木ひろし…、なのだ。
そして好きな食べ物は?には、「納豆と焼き魚」日本人以上に日らしい。
オリジナル曲がないときに、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をきいたとき、背筋が震えた。うまい!!
今、オリジナル曲「海雪」を歌っている。
今年の演歌歌手のトップを行くであろうと予測する。期待したい。
日本人はどうも、民族がもつ様々な様式・文化については否定する気質がある。
合氣道もしかりである。
心身統一合氣道の創設者籐平光一翁が若い時に世界28カ国に広められた。その時翁は、そのことに既に氣付かれていた。
そして、逆に外国で認められれば、日本でも認められるのことから、翁は世界に向けて広められたのである。
そして、日本人の合氣道十段籐平光一の名前は
世界に知れ渡った。その延長線上の今の合氣道があるのである。
その意味では、先にの述べたジエロ氏の演歌は合氣道と似通っている
。
それは彼がジャズを生み出した黒人ということからも来ているのかも知れない。
いずれにしても今の日本には「礼」「義」をはかり、「見識」「胆識」を心底におくことである。すなわち、「物事に本質を観る」ことの大切さを改めて叫びたい。
それも演歌歌手である。
おばあちゃんが日本人でその影響で演歌が好きになり、2003年NHKのど自慢で合格。
今、急激に人気上昇中。
彼の歌声を聴いていると、黒人とは思えないくらいに、低音から高音までその音域はひろい。
素晴らしい声である。
ジーンズにスニーカ、頭にはキャップ、軽いジャンパー?どうみてもジャズがラップを口にしそうな青年である。
どうして演歌なのですか?の質問に、「若い人にもっと日本の演歌の良さを知ってほしい。その為に歌っています」と。
低迷する演歌界にあって、救世主になろう。
好きな歌手は、美空ひばり、五木ひろし…、なのだ。
そして好きな食べ物は?には、「納豆と焼き魚」日本人以上に日らしい。
オリジナル曲がないときに、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」をきいたとき、背筋が震えた。うまい!!
今、オリジナル曲「海雪」を歌っている。
今年の演歌歌手のトップを行くであろうと予測する。期待したい。
日本人はどうも、民族がもつ様々な様式・文化については否定する気質がある。
合氣道もしかりである。
心身統一合氣道の創設者籐平光一翁が若い時に世界28カ国に広められた。その時翁は、そのことに既に氣付かれていた。
そして、逆に外国で認められれば、日本でも認められるのことから、翁は世界に向けて広められたのである。
そして、日本人の合氣道十段籐平光一の名前は
世界に知れ渡った。その延長線上の今の合氣道があるのである。
その意味では、先にの述べたジエロ氏の演歌は合氣道と似通っている
。
それは彼がジャズを生み出した黒人ということからも来ているのかも知れない。
いずれにしても今の日本には「礼」「義」をはかり、「見識」「胆識」を心底におくことである。すなわち、「物事に本質を観る」ことの大切さを改めて叫びたい。
2008年02月04日
{ 「せめたりー倶楽部〜女たちの青春!第二章〜」
私の法人はメセナ活動をしていますが、それを支えてくれる堀野三郎という友人がいる。
彼との交友は、もう十八年は経つ。
彼は公認会計士でありながら商演劇のプロデューサとして活躍されている。特に、アメリカの喜劇作家でオスカー賞を受賞したニール・サイモンの作品だけを取り上げて上演する日本ではめずらしいこだわりのプロデューサなのである。
確か高槻文化振興事業団に公演依頼に持ち込んでから五年後にやっと実現できたことが懐かしく思い出される。
今から十五年ほど前、当時の女性専務理事の一言がカチンと頭にきた。
「あなたは土木技術屋さんですね、なんでニールサイモンをしっているのですか?それもありますが高槻ではそんなんは受けませんよ。だって市長そのものがカラオケしか知りませんからね。又、高槻市民も知らないですし…まぁーあきませんよ」とのお言葉。
何のための文化振興事業団なのか、そんなに低い文化なら、それを側面からもり立てて、少しでも高槻市民の意識向上のために仕掛けていくのが、仕事と違うか!と憤りを感じた。
その後、五年間堀野氏と私との何度と訪問をして、丁度私の友人が担当部長で就任してきたので、彼の力添えもあり、実現した。
確か岡田真澄・水谷良枝(二代目水谷八重子)が出演したニールサイモンの作品だった。
岡田真澄氏や水谷良枝氏と楽屋で楽しくお話をさせて頂いた。
水谷氏は新派の要となり、現在も活躍されているが岡田氏は一昨年?亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。
話をもとにもどして、その時、当劇場始まって以来の「大入り袋」が出た。丁度、その日、エントランスで私の招待客を待っていたら、その女性専務理事がみえた。「Oさん、おめでとうございます。良かったですね…」「ハイ、おかげ様で…」後の言葉は呑み込んで抑えたことがこれまた懐かしい。
ニール・サイモンに魅かれたのは、彼の作品はすべて、セリフが長い
それを演じる役者さんも大変だと思う。しかし、彼の作品には、人間が感じられるのである。その意味で私自身のめりこんでしまった。アメリカ人的感情の入り込んだものではあるが、それを上手く訳して役者に演じさせているのも堀野氏の骨頂である。
高槻市民も舞台を見て、屈託なく笑っている。そしてそのあと、チョッピリ感傷的になっている。少しでも現実から離れて、あぁー、こんな世界もまたあるんだなー、しかし、どこかであったような…と想いが湧き出て、又明日への生きる糧になればそれで良いのです。
そんなことの積み重ねが、人(市民)の心を動かす源になっていくのではないでしょうか。それが文化振興事業団の仕事と違いまっか…
と。
今回は、作:アイヴァン・メンチェル、翻訳:丹野郁弓。
演出:竹邑 類
出演:丘みつ子・進藤恵美・汀夏子(元宝塚)・小野寺昭
那智ゆかり(元松竹歌劇)・汐夏ゆりさ(元宝塚)
大変面白く、又考えさせられる舞台でもある。全国で16の公演を企画されている。近くに来た時には、ぜひ見て下さい。
私の法人の活動に御賛同頂いた企業、個人の方々にこの場をお借りして、厚く御礼申し上げます。この次の企画は、二年後です。その節はよろしくお願いいたします。
彼との交友は、もう十八年は経つ。
彼は公認会計士でありながら商演劇のプロデューサとして活躍されている。特に、アメリカの喜劇作家でオスカー賞を受賞したニール・サイモンの作品だけを取り上げて上演する日本ではめずらしいこだわりのプロデューサなのである。
確か高槻文化振興事業団に公演依頼に持ち込んでから五年後にやっと実現できたことが懐かしく思い出される。
今から十五年ほど前、当時の女性専務理事の一言がカチンと頭にきた。
「あなたは土木技術屋さんですね、なんでニールサイモンをしっているのですか?それもありますが高槻ではそんなんは受けませんよ。だって市長そのものがカラオケしか知りませんからね。又、高槻市民も知らないですし…まぁーあきませんよ」とのお言葉。
何のための文化振興事業団なのか、そんなに低い文化なら、それを側面からもり立てて、少しでも高槻市民の意識向上のために仕掛けていくのが、仕事と違うか!と憤りを感じた。
その後、五年間堀野氏と私との何度と訪問をして、丁度私の友人が担当部長で就任してきたので、彼の力添えもあり、実現した。
確か岡田真澄・水谷良枝(二代目水谷八重子)が出演したニールサイモンの作品だった。
岡田真澄氏や水谷良枝氏と楽屋で楽しくお話をさせて頂いた。
水谷氏は新派の要となり、現在も活躍されているが岡田氏は一昨年?亡くなられた。ご冥福をお祈りしたい。
話をもとにもどして、その時、当劇場始まって以来の「大入り袋」が出た。丁度、その日、エントランスで私の招待客を待っていたら、その女性専務理事がみえた。「Oさん、おめでとうございます。良かったですね…」「ハイ、おかげ様で…」後の言葉は呑み込んで抑えたことがこれまた懐かしい。
ニール・サイモンに魅かれたのは、彼の作品はすべて、セリフが長い
それを演じる役者さんも大変だと思う。しかし、彼の作品には、人間が感じられるのである。その意味で私自身のめりこんでしまった。アメリカ人的感情の入り込んだものではあるが、それを上手く訳して役者に演じさせているのも堀野氏の骨頂である。
高槻市民も舞台を見て、屈託なく笑っている。そしてそのあと、チョッピリ感傷的になっている。少しでも現実から離れて、あぁー、こんな世界もまたあるんだなー、しかし、どこかであったような…と想いが湧き出て、又明日への生きる糧になればそれで良いのです。
そんなことの積み重ねが、人(市民)の心を動かす源になっていくのではないでしょうか。それが文化振興事業団の仕事と違いまっか…
と。
今回は、作:アイヴァン・メンチェル、翻訳:丹野郁弓。
演出:竹邑 類
出演:丘みつ子・進藤恵美・汀夏子(元宝塚)・小野寺昭
那智ゆかり(元松竹歌劇)・汐夏ゆりさ(元宝塚)
大変面白く、又考えさせられる舞台でもある。全国で16の公演を企画されている。近くに来た時には、ぜひ見て下さい。
私の法人の活動に御賛同頂いた企業、個人の方々にこの場をお借りして、厚く御礼申し上げます。この次の企画は、二年後です。その節はよろしくお願いいたします。
中江藤樹生誕400年
中江藤樹は、江戸初期の慶長13年(1608年)に近江(滋賀県)で生まれた。
はじめは伊予(愛媛県)大洲藩の加藤家に仕えたが、故郷に残した母親の孝養のため、近江に帰る。
その時二十七歳の藤樹は、武士をやめて、商いの道に入る。
最初は、幕府の官学となる「朱子学」を学んできたが、「陽明学」に出会うとただちに陽明学に転じわずか41歳で亡くなる。
彼は「真の人間として、如何にあるべきか」を自らに課して、村民にも強化したのである。
「藤樹は、若いときから、まず自分が自分にかえる、外物を追うのではない。単なる成功だ名誉だ権力だというものを追うのではなく、自分が本当の自分にかえることであるという教えに愕然とした。
まずそこから始まるのである。そこから常に藤樹はものの考え方を導き出している。これが彼の道になっている。(安岡正篤:『陽明学十講』第六講」
すなわち、自分に帰ることによって、自分の中にある「良知を自覚することが出来る。
ここに藤樹は陽明学と出会い、体得する必然があったのである。
こうした姿勢は学問や読書にも通じるもので、自分の心を通したものでければ単なる知識であって生きたものにはならないのである。
又、藤樹は、人間というものを省みて、考察した。その結果、人間が人間たる所以、人の心の最も大事な要素と作用は、「愛」と「敬」にある、と唱えた。その中でも「敬」を重んじたのである。
「愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし、敬は『天地の為に心を立つ』という造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達した心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心」(安岡正篤:『人生と陽明学』)であり、少しでも高い境地に進もうとする心である。
藤樹の弟子で熊沢蕃山は、「人を愛すれば、人もまた己を愛す。人の悦ぶ心をあつめて、親を敬ひ、子を愛す。和気身にみちて命ながし」(集義和書)の言葉を残している。
このように藤樹や番山の生きた「知行合一」の思想こそが何時の時代も人のあり方の根源をなすものである。
(参考:『安岡正篤の行動学』)
はじめは伊予(愛媛県)大洲藩の加藤家に仕えたが、故郷に残した母親の孝養のため、近江に帰る。
その時二十七歳の藤樹は、武士をやめて、商いの道に入る。
最初は、幕府の官学となる「朱子学」を学んできたが、「陽明学」に出会うとただちに陽明学に転じわずか41歳で亡くなる。
彼は「真の人間として、如何にあるべきか」を自らに課して、村民にも強化したのである。
「藤樹は、若いときから、まず自分が自分にかえる、外物を追うのではない。単なる成功だ名誉だ権力だというものを追うのではなく、自分が本当の自分にかえることであるという教えに愕然とした。
まずそこから始まるのである。そこから常に藤樹はものの考え方を導き出している。これが彼の道になっている。(安岡正篤:『陽明学十講』第六講」
すなわち、自分に帰ることによって、自分の中にある「良知を自覚することが出来る。
ここに藤樹は陽明学と出会い、体得する必然があったのである。
こうした姿勢は学問や読書にも通じるもので、自分の心を通したものでければ単なる知識であって生きたものにはならないのである。
又、藤樹は、人間というものを省みて、考察した。その結果、人間が人間たる所以、人の心の最も大事な要素と作用は、「愛」と「敬」にある、と唱えた。その中でも「敬」を重んじたのである。
「愛は普遍的なもので、人間ほど発達しておらぬが、動物も持っておる。しかし、敬は『天地の為に心を立つ』という造化の高次の働きであって、人間に到ってはじめて発達した心である。これは人間が進歩向上しようとする所に生ずる心」(安岡正篤:『人生と陽明学』)であり、少しでも高い境地に進もうとする心である。
藤樹の弟子で熊沢蕃山は、「人を愛すれば、人もまた己を愛す。人の悦ぶ心をあつめて、親を敬ひ、子を愛す。和気身にみちて命ながし」(集義和書)の言葉を残している。
このように藤樹や番山の生きた「知行合一」の思想こそが何時の時代も人のあり方の根源をなすものである。
(参考:『安岡正篤の行動学』)
2008年01月29日
今、求められているもの
今、我が国を取り巻く情勢は極めて悪い。
世界的には、アジア諸国の先進国に向けての急ピッチの追撃。
国益とは何なのか、を問われている今である。
米国・中国・日本のトライアングルが二十一世紀の
世界経済の目となろう。
それを追う東南アジアの諸国そして北朝鮮。
経済の原点は、「ものを安く仕入れて、高く売る」ことにある。
先進国といわれる国は、価値観の異なる国の安価な労働力を求めて
漂流する。かって日本がアメリカの下であったように…。
その国の科学・文化は、先進国に安い労働力を提供するかわりとして、技術や組織力の在り方を学び、世界へと経済力を羽ばたかせることにより蓄積されていくものと思っている。
我が国に黒舟が襲来して以来、追い越せ追い越せの目標を持ってひたすらに物造りに前進してきた。
氣がつけば世界でも有数の経済国となった。
その途端に、我が国は目標を失った。目標とともに、
日本人としての精神的規範となる構造も元から根絶やしにされた。
教育の在り方はその最たるものであろう。
そして目標を失った日本丸は、新たな目標を求めて漂流することとなる。「物造りの時代」から「心の時代」と言われて久しい。
しかし、日本人の心は、まだ定まりがない。それは、日本人としての心の拠り所が無くなったからである。
我が国の歴史を紐解き、人物像を観た時、素晴らしい先人が存在したことに氣がつく。
しかし、日本人は不思議とその歴史をみようとはしない。
その具体例として、米沢藩の財政苦難を知識・見識・胆識でもって立て直した上杉鷹山の評価は、アメリカ大統領ジョン・Fケネディーが最初の演説の中で「東洋には素晴らしい人物が存在した…」として紹介された故に、我が国でもその名前が表面化した経緯がある。
わが師安岡正篤先生は、中国三千年の歴史から傑出した人物象を紐どき、東洋哲学者(陽明学者)として達成された。
そして師は、子女の教育の在り方が良い男をつくると云われた。
まさにその通りである。
男は女から創られたからである。
物造りは、男は出来る。しかし、いくら頑張っても「人」を造ることができるのは女性でしかできない。
しかもどんな精巧な機械やロポットでも「人」を造ることは出来ないのである。
そんなことは当たり前、といわれるかも知れない。
しかし、その当たり前のことが実は、認識されていないのである。
「出来ちゃった結婚」という言葉は、半世紀前にはなかった。
それは日本人として、恥じる言葉であったからである。
「人」つくる行為は、車をつくる、料理をする、などとは異なり、
神聖なものである。すなわち、「生命を造る行為」なのである。
女性が子供を産まなくなったのは、今の日本の情勢から観ると当然であろう。
師はいう、
自分造り・人・国造りは「四維」にあると。
四維とは、
・礼…正しい秩序
・義…自己の使命、意義を社会に向ける
・廉…無私になる。全体の幸せにたつ
・恥…自分勝手な行動、利己的な姿は全体から見れば深く恥じること
さらに、自らと人・組織・国を滅ぼすは「四患」にあると。
四患とは、
・偽…自分を偽る
・私…私利私欲に走る
・放…欲望のままにおこなう
・奢…贅沢をする
昨年の一年を、漢字しすれば「偽」となったことは、ご処置と思います。
この一年間、思慮してみたい。
世界的には、アジア諸国の先進国に向けての急ピッチの追撃。
国益とは何なのか、を問われている今である。
米国・中国・日本のトライアングルが二十一世紀の
世界経済の目となろう。
それを追う東南アジアの諸国そして北朝鮮。
経済の原点は、「ものを安く仕入れて、高く売る」ことにある。
先進国といわれる国は、価値観の異なる国の安価な労働力を求めて
漂流する。かって日本がアメリカの下であったように…。
その国の科学・文化は、先進国に安い労働力を提供するかわりとして、技術や組織力の在り方を学び、世界へと経済力を羽ばたかせることにより蓄積されていくものと思っている。
我が国に黒舟が襲来して以来、追い越せ追い越せの目標を持ってひたすらに物造りに前進してきた。
氣がつけば世界でも有数の経済国となった。
その途端に、我が国は目標を失った。目標とともに、
日本人としての精神的規範となる構造も元から根絶やしにされた。
教育の在り方はその最たるものであろう。
そして目標を失った日本丸は、新たな目標を求めて漂流することとなる。「物造りの時代」から「心の時代」と言われて久しい。
しかし、日本人の心は、まだ定まりがない。それは、日本人としての心の拠り所が無くなったからである。
我が国の歴史を紐解き、人物像を観た時、素晴らしい先人が存在したことに氣がつく。
しかし、日本人は不思議とその歴史をみようとはしない。
その具体例として、米沢藩の財政苦難を知識・見識・胆識でもって立て直した上杉鷹山の評価は、アメリカ大統領ジョン・Fケネディーが最初の演説の中で「東洋には素晴らしい人物が存在した…」として紹介された故に、我が国でもその名前が表面化した経緯がある。
わが師安岡正篤先生は、中国三千年の歴史から傑出した人物象を紐どき、東洋哲学者(陽明学者)として達成された。
そして師は、子女の教育の在り方が良い男をつくると云われた。
まさにその通りである。
男は女から創られたからである。
物造りは、男は出来る。しかし、いくら頑張っても「人」を造ることができるのは女性でしかできない。
しかもどんな精巧な機械やロポットでも「人」を造ることは出来ないのである。
そんなことは当たり前、といわれるかも知れない。
しかし、その当たり前のことが実は、認識されていないのである。
「出来ちゃった結婚」という言葉は、半世紀前にはなかった。
それは日本人として、恥じる言葉であったからである。
「人」つくる行為は、車をつくる、料理をする、などとは異なり、
神聖なものである。すなわち、「生命を造る行為」なのである。
女性が子供を産まなくなったのは、今の日本の情勢から観ると当然であろう。
師はいう、
自分造り・人・国造りは「四維」にあると。
四維とは、
・礼…正しい秩序
・義…自己の使命、意義を社会に向ける
・廉…無私になる。全体の幸せにたつ
・恥…自分勝手な行動、利己的な姿は全体から見れば深く恥じること
さらに、自らと人・組織・国を滅ぼすは「四患」にあると。
四患とは、
・偽…自分を偽る
・私…私利私欲に走る
・放…欲望のままにおこなう
・奢…贅沢をする
昨年の一年を、漢字しすれば「偽」となったことは、ご処置と思います。
この一年間、思慮してみたい。
2008年01月25日
田舎の冬
除雪車のキャタピラの音で目が覚めた。
明るい光が窓から差し込む。窓を開けてみると、あたり一面雪化粧。
15cmは積もっている。
一昨年には50pの積雪があり、家の前の道路までの50mの雪を
除くのに丸一日かかってやっと脱出したことがあった。
大変な苦労をした。
昨年の秋に植える野菜は、ネギ以外は植えていない。
山の斜面の雑木を冬の間に切ろうと計画している。
上の畑に、小さな池を作ったが猪に潰されてしまった。
今年こそ、仕上げてメダカ、鰌などを育ててみたい。
大根、里芋、カボチャ、小豆、ピーマン、葱…、およそ野菜は作らなくてもいただける。
ありがたい。
97歳の方がゆっくりと歩いて来られる。手には自分の畑で作られた
大根が袋とともに揺れている。
「いつも、めずらしいものを頂いてありがとうございます。
こんなものですが、もらってもらえますか」と遠慮勝ちにおっしゃる。
恐縮する一瞬でもある。
モノよりも、心遣いが心に沁みる。
ありがたく、頂戴させていただく。
裏の山裾から湧水が流れて、桝状の水溜に入る。
その中に、魚がいる。上からの流された土によってその桝が浅くなり水深が3pしかのない。
前から氣になっていた。
やっと土を上げてやることが出来た。
これで魚も凍え死ななくてすむ。安心である。
オニヤンマの幼虫は無事だろうか。ホタルの幼虫は…そんなことに
心が向く冬でもある。
木刀を振る動きを大地に向かって、備中を振り下ろす。
大地が快く迎えてくれる。力ではなく、氣で振り下ろす。
天地との対話の始まりである4月が待ち遠しい。
今年は、新しい世界に向かって進んでいこうと思っている。
外に向かって、合氣を伝えたいこともその一つでもある。
法人の計画する事業もやっと動き出した。
全てが今年に掛っている。
新たな立命への年である。
明るい光が窓から差し込む。窓を開けてみると、あたり一面雪化粧。
15cmは積もっている。
一昨年には50pの積雪があり、家の前の道路までの50mの雪を
除くのに丸一日かかってやっと脱出したことがあった。
大変な苦労をした。
昨年の秋に植える野菜は、ネギ以外は植えていない。
山の斜面の雑木を冬の間に切ろうと計画している。
上の畑に、小さな池を作ったが猪に潰されてしまった。
今年こそ、仕上げてメダカ、鰌などを育ててみたい。
大根、里芋、カボチャ、小豆、ピーマン、葱…、およそ野菜は作らなくてもいただける。
ありがたい。
97歳の方がゆっくりと歩いて来られる。手には自分の畑で作られた
大根が袋とともに揺れている。
「いつも、めずらしいものを頂いてありがとうございます。
こんなものですが、もらってもらえますか」と遠慮勝ちにおっしゃる。
恐縮する一瞬でもある。
モノよりも、心遣いが心に沁みる。
ありがたく、頂戴させていただく。
裏の山裾から湧水が流れて、桝状の水溜に入る。
その中に、魚がいる。上からの流された土によってその桝が浅くなり水深が3pしかのない。
前から氣になっていた。
やっと土を上げてやることが出来た。
これで魚も凍え死ななくてすむ。安心である。
オニヤンマの幼虫は無事だろうか。ホタルの幼虫は…そんなことに
心が向く冬でもある。
木刀を振る動きを大地に向かって、備中を振り下ろす。
大地が快く迎えてくれる。力ではなく、氣で振り下ろす。
天地との対話の始まりである4月が待ち遠しい。
今年は、新しい世界に向かって進んでいこうと思っている。
外に向かって、合氣を伝えたいこともその一つでもある。
法人の計画する事業もやっと動き出した。
全てが今年に掛っている。
新たな立命への年である。
対談から
昨年の11月2日に「ばかの壁」の著者養老孟司氏と
歌手の加藤登紀子氏の対談がTVであった。
その時に少し氣にとまった内容があったのでご紹介しましょう。
(人と自然)
・感覚を鍛える
・不幸は文明から、幸せは自然から
・風から学ぶ
・男が悪いのは、女(母親)が悪い
日本には四季があり、その意味で四季折々の自然が醸し出す
様々な変化に敏感に感じる精神を培うことが、目に見えない
世界を知る第一歩となる。
時間に追われ、流行におわれ、ブランドものにはまり、
ギャンブルにはまり、はまりものに追われての生活…、
なんのために生きているのか働いているのか、との疑問が
少しでもわいてくれば、不幸のはじまりである。
年金は少しでも、自然の営みに従い、土を耕し、四季折々の
作物をつくり、自然の恵みを頂き、太陽が登れば起きて
太陽が沈めば眠る…。
自らが自然の中の一員として、天地とともに生きる心構えをもつ。
私がお世話になっている村落は、大半がそうである。
97歳の女性が畑で野菜をつくり、自然の恵みを食べられて、
たまにはゲートボールに興じておられる。
天に召されて行かれる方の年齢は、百歳前後である。
生を全うした、と云えるのではないか。
東風が吹けば…、風玉が悪さする…、まさに、
自然からの連絡である
風は、生きる知恵を授けてくれる。
生かされるための風心である。
男は女からつくられた…、男は女から生まれたのである。
胎教から、その影響を受けていることを考えれば、すなずける。
吉永小百合主演・山田洋次監督の映画「母べい」を見ればよくわかる。
(男と女)
・女は実態、男は現実
・ブータン国は、女性が中心
・男の子が心配。有機の徳目が必要今は勇気が消えた。
男の子は、ほっておくとおとなしくなる。
逆に女の子は、元気活発になる。
だから女子には躾教育をしなけれぱならない。
(夫婦関係)
・90度の関係が良い
・異質がよい
以前にも書きましたが、女性の脚本家内舘牧子氏の言葉に、
「男は、先が見えないことにわくわくする。
女は、先が見えることで満足する」さらに、
日本の代表的作曲家団伊久磨氏は、
わからない(妻が時分の事を)から、48年間夫婦がもったんだ、と。
(人生をどう生きるか)
・どん底に落ちたら掘れ
・社会を変えようと思えば自分を変える
・わくわく生きる…加藤登紀子
・日本人は、生きていないのじゃないか…養老孟司
少し、考えてみてみましょう。
歌手の加藤登紀子氏の対談がTVであった。
その時に少し氣にとまった内容があったのでご紹介しましょう。
(人と自然)
・感覚を鍛える
・不幸は文明から、幸せは自然から
・風から学ぶ
・男が悪いのは、女(母親)が悪い
日本には四季があり、その意味で四季折々の自然が醸し出す
様々な変化に敏感に感じる精神を培うことが、目に見えない
世界を知る第一歩となる。
時間に追われ、流行におわれ、ブランドものにはまり、
ギャンブルにはまり、はまりものに追われての生活…、
なんのために生きているのか働いているのか、との疑問が
少しでもわいてくれば、不幸のはじまりである。
年金は少しでも、自然の営みに従い、土を耕し、四季折々の
作物をつくり、自然の恵みを頂き、太陽が登れば起きて
太陽が沈めば眠る…。
自らが自然の中の一員として、天地とともに生きる心構えをもつ。
私がお世話になっている村落は、大半がそうである。
97歳の女性が畑で野菜をつくり、自然の恵みを食べられて、
たまにはゲートボールに興じておられる。
天に召されて行かれる方の年齢は、百歳前後である。
生を全うした、と云えるのではないか。
東風が吹けば…、風玉が悪さする…、まさに、
自然からの連絡である
風は、生きる知恵を授けてくれる。
生かされるための風心である。
男は女からつくられた…、男は女から生まれたのである。
胎教から、その影響を受けていることを考えれば、すなずける。
吉永小百合主演・山田洋次監督の映画「母べい」を見ればよくわかる。
(男と女)
・女は実態、男は現実
・ブータン国は、女性が中心
・男の子が心配。有機の徳目が必要今は勇気が消えた。
男の子は、ほっておくとおとなしくなる。
逆に女の子は、元気活発になる。
だから女子には躾教育をしなけれぱならない。
(夫婦関係)
・90度の関係が良い
・異質がよい
以前にも書きましたが、女性の脚本家内舘牧子氏の言葉に、
「男は、先が見えないことにわくわくする。
女は、先が見えることで満足する」さらに、
日本の代表的作曲家団伊久磨氏は、
わからない(妻が時分の事を)から、48年間夫婦がもったんだ、と。
(人生をどう生きるか)
・どん底に落ちたら掘れ
・社会を変えようと思えば自分を変える
・わくわく生きる…加藤登紀子
・日本人は、生きていないのじゃないか…養老孟司
少し、考えてみてみましょう。
2008年01月23日
日本丸の行方
年明け早々から、食品の産地偽造、弱者、特に幼児子供に対する
加虐行為、殺人。
自治体職員の汚職、国会議員の本分を忘れた行動、的の外れた
国会での議員の発言。グローバル社会にあって
先の読めない経済人の発言。
暫定税率の廃止、ガソリン解散、アメリカのサムプライム問題を取り巻く
発言などはその最たるものであろう。
特に今開かれている国会の中継での代表質問には失望した。
今、国民は何を考えているのか、何を望んでいるのか、
今の我が国は世界の中でどのような立場にあるのか…
その中にあって、我が国の政治はどうあるべきか。
政治と経済との最適な関係はどうあるべきなのか。
など、もっと深めなければならない課題が山積している。
国家百年の計を根底においた発想がなければ、
この国は滅びることになるであろう。
日本人としての独特の精神的涵養が培われなければならない
ことは言うまでもない。
今の我が国は、「四患」が蔓延っている。
自らを造る、人を造る、国を造る条件は、「四維」いにある。
両者を精神的涵養の素として心に刻み込むことが最大の課題である。
加虐行為、殺人。
自治体職員の汚職、国会議員の本分を忘れた行動、的の外れた
国会での議員の発言。グローバル社会にあって
先の読めない経済人の発言。
暫定税率の廃止、ガソリン解散、アメリカのサムプライム問題を取り巻く
発言などはその最たるものであろう。
特に今開かれている国会の中継での代表質問には失望した。
今、国民は何を考えているのか、何を望んでいるのか、
今の我が国は世界の中でどのような立場にあるのか…
その中にあって、我が国の政治はどうあるべきか。
政治と経済との最適な関係はどうあるべきなのか。
など、もっと深めなければならない課題が山積している。
国家百年の計を根底においた発想がなければ、
この国は滅びることになるであろう。
日本人としての独特の精神的涵養が培われなければならない
ことは言うまでもない。
今の我が国は、「四患」が蔓延っている。
自らを造る、人を造る、国を造る条件は、「四維」いにある。
両者を精神的涵養の素として心に刻み込むことが最大の課題である。
2008年01月11日
今在りて今無きを知る
男が弱くなったことは事実である。
その一つに、男子の本懐すなわち、志というもの、
何のために男としていきているのかという自覚が
希薄であることも原因であろう。
陽明学者安岡正篤師は「今日のように文明が退廃してくると、
ことに日本において最後の運命的な問題は女性問題であろうと思う。
女性がしっかりしておれば、まだまだ日本は大丈夫であります」
その例として安岡師は、江戸時代と明治維新を支えた背景には、
妻として母としての女性がしっかりとしていたからだと説いている。
安岡正篤師の女性観は、当然ながら東洋の人生観によって成り立つ、
それが「陰陽相対性理論」である。
師は、宇宙や人生には無限の創造と変化があるが、その営みを可能にしているのは、
「生の活動力」即ちエネルギーであるとする。
この力が外に向かって発動し、分化し、発展していくが、
この一連の働きが「陽」である。
木に例えれば、地上に出ている部分が「陽」で、地下にある根幹部分が「陰」である。
地上に見える枝葉は、根幹部分からの力(栄養)を得て、
成長することが出来る。
このように、陰と陽の関係があって、初めて健全な創造と、
万物の生成化育が行われるのである。
そして命が保たれているのである。
これが安岡正篤師の云う「陰陽相対性理論」である。
すなわち、文明や文化というのは、外に向かう男の領分であるが、
これが爛熟し、退廃するようになればなるほど、
女性の存在が大切になってくる。
男の本懐とは、すなわち、「…外に向かう男の領分…」なのである。
この志が今の男には希薄なのである。
こうした男性と女性の陽と陰の根本としての働きをしっかりと認識し実践していけば、
まことに健全な命が男女ともに発揮できるのである。
そのためにも、今の一瞬を大切に生きることが必要なのではないだろうか。
その一つに、男子の本懐すなわち、志というもの、
何のために男としていきているのかという自覚が
希薄であることも原因であろう。
陽明学者安岡正篤師は「今日のように文明が退廃してくると、
ことに日本において最後の運命的な問題は女性問題であろうと思う。
女性がしっかりしておれば、まだまだ日本は大丈夫であります」
その例として安岡師は、江戸時代と明治維新を支えた背景には、
妻として母としての女性がしっかりとしていたからだと説いている。
安岡正篤師の女性観は、当然ながら東洋の人生観によって成り立つ、
それが「陰陽相対性理論」である。
師は、宇宙や人生には無限の創造と変化があるが、その営みを可能にしているのは、
「生の活動力」即ちエネルギーであるとする。
この力が外に向かって発動し、分化し、発展していくが、
この一連の働きが「陽」である。
木に例えれば、地上に出ている部分が「陽」で、地下にある根幹部分が「陰」である。
地上に見える枝葉は、根幹部分からの力(栄養)を得て、
成長することが出来る。
このように、陰と陽の関係があって、初めて健全な創造と、
万物の生成化育が行われるのである。
そして命が保たれているのである。
これが安岡正篤師の云う「陰陽相対性理論」である。
すなわち、文明や文化というのは、外に向かう男の領分であるが、
これが爛熟し、退廃するようになればなるほど、
女性の存在が大切になってくる。
男の本懐とは、すなわち、「…外に向かう男の領分…」なのである。
この志が今の男には希薄なのである。
こうした男性と女性の陽と陰の根本としての働きをしっかりと認識し実践していけば、
まことに健全な命が男女ともに発揮できるのである。
そのためにも、今の一瞬を大切に生きることが必要なのではないだろうか。
2008年01月10日
今在りて今無きを知る
昨日、四軒隣のHさんが亡くなったとの回覧がまわってきた。
丁度2年前に奥さんが亡くなった。
これも突然の死で、朝眼が覚めたら寝床の中で…。
元気にされていて、同窓会の友達との旅行を楽しみしておられたとのこと…。
何かの本で読んだことがあるが、男は連れ合いを亡くすと、そのあとの生存期間は
二年半が平均だとか。
それとは逆に、女は生き生きとなり、嬉々として生きられるらしい。
何故なのか。
男には生涯、精神的自立は出来ないのだろうか。
それは男子の本懐が失われたことが、原因と思っている。
私は、「夫婦は他人」ということを、常々口にしてきた。
幾ら仲が良くても、決して血の繋がりは出来ない。
死ぬまで他人なのであることを、男はまず自覚すべきなのである。
一度、他人と自覚して、そして相手を観ると、又、違う面が観えてくる。
そして、必ず別れなければならない、ということを自覚する。
それはどんな別れ方かは論じないが…。
すると、少し違った自分に気付く。
まず、「自らを知る」ことから始める。
つづく
丁度2年前に奥さんが亡くなった。
これも突然の死で、朝眼が覚めたら寝床の中で…。
元気にされていて、同窓会の友達との旅行を楽しみしておられたとのこと…。
何かの本で読んだことがあるが、男は連れ合いを亡くすと、そのあとの生存期間は
二年半が平均だとか。
それとは逆に、女は生き生きとなり、嬉々として生きられるらしい。
何故なのか。
男には生涯、精神的自立は出来ないのだろうか。
それは男子の本懐が失われたことが、原因と思っている。
私は、「夫婦は他人」ということを、常々口にしてきた。
幾ら仲が良くても、決して血の繋がりは出来ない。
死ぬまで他人なのであることを、男はまず自覚すべきなのである。
一度、他人と自覚して、そして相手を観ると、又、違う面が観えてくる。
そして、必ず別れなければならない、ということを自覚する。
それはどんな別れ方かは論じないが…。
すると、少し違った自分に気付く。
まず、「自らを知る」ことから始める。
つづく
2008年01月01日
新しい年を迎えて
年末から冬型の天候…、大雪…などと予報をされていましたが、
どうも穏やかな正月のようですね。
高槻は風が少し強く吹いていますが、耐えられます。
舞鶴も雪とのことでしたが…、風雪注意報が出されていますが…。
西舞鶴の「弘心塾」には、
・心に何かしらの悩みを抱えて…
・強くなりたい…
・合氣に触れたい…
・対人関係をなんとか…
・生きていくことに自信が…
・子供に落ち着きを…
・異文化にふれたいとの外国人…
・陽明学の一端を…
など、様々な方が来られました。
多くの人との出会いがありました。
この縁は家族以上に大切にしております。
私が在職中(地方公務員)に出会いをした人の総数は、
4726人と以前にも書きました。
そのうち、400の方々との交流が続いています。
それから…風雪8年(少しオーバーです)新しい出会いが
続いています。
「人は、如何に多くの人と出会うか、によってその人の器量が定まる」という言葉がありますが、自らの人格や品格あるいは性格の一端も出会いを重ねることにより、その相手から学びとる心次第によって培われるものです。私の今まで生きてきた体験から、断言できます。
・出会い
「小才は縁に出会って縁に氣付かず、中才は縁に氣づいて縁を生かさず、
大才は袖振りあった縁をも生かす」
人と人との出会いは、決して偶然ではなく、必然である。
と氣付くことです。
そこには、目に見える世界よりも、目に見えない世界があることを知ることです。そしてそこからのメッセージが込められているということを自覚するのです。
相手の心を大切にすること、相手を変えようとすれば自分がまず変わることが一番なのでしょう。
その心は、人間以外の全てにも向けなければなりません。
その心は「啄同機」を何時も秘めたものでなければなりません。
そうすれば、運命を立命(運命を変え自らの望む人生とする)とすることが出来るのです。
期待いたしております。
終わりに、計画は最初に立てるべきもの。として
「四計」を紹介しておきます。
『四計』
「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり、
一生の計は勤めにあり、一家の計は身にあり」
今年も、皆さんとともに、精進して参りますので
よろしくお願いいたします。
どうも穏やかな正月のようですね。
高槻は風が少し強く吹いていますが、耐えられます。
舞鶴も雪とのことでしたが…、風雪注意報が出されていますが…。
西舞鶴の「弘心塾」には、
・心に何かしらの悩みを抱えて…
・強くなりたい…
・合氣に触れたい…
・対人関係をなんとか…
・生きていくことに自信が…
・子供に落ち着きを…
・異文化にふれたいとの外国人…
・陽明学の一端を…
など、様々な方が来られました。
多くの人との出会いがありました。
この縁は家族以上に大切にしております。
私が在職中(地方公務員)に出会いをした人の総数は、
4726人と以前にも書きました。
そのうち、400の方々との交流が続いています。
それから…風雪8年(少しオーバーです)新しい出会いが
続いています。
「人は、如何に多くの人と出会うか、によってその人の器量が定まる」という言葉がありますが、自らの人格や品格あるいは性格の一端も出会いを重ねることにより、その相手から学びとる心次第によって培われるものです。私の今まで生きてきた体験から、断言できます。
・出会い
「小才は縁に出会って縁に氣付かず、中才は縁に氣づいて縁を生かさず、
大才は袖振りあった縁をも生かす」
人と人との出会いは、決して偶然ではなく、必然である。
と氣付くことです。
そこには、目に見える世界よりも、目に見えない世界があることを知ることです。そしてそこからのメッセージが込められているということを自覚するのです。
相手の心を大切にすること、相手を変えようとすれば自分がまず変わることが一番なのでしょう。
その心は、人間以外の全てにも向けなければなりません。
その心は「啄同機」を何時も秘めたものでなければなりません。
そうすれば、運命を立命(運命を変え自らの望む人生とする)とすることが出来るのです。
期待いたしております。
終わりに、計画は最初に立てるべきもの。として
「四計」を紹介しておきます。
『四計』
「一日の計は朝にあり、一年の計は元旦にあり、
一生の計は勤めにあり、一家の計は身にあり」
今年も、皆さんとともに、精進して参りますので
よろしくお願いいたします。

