2018年03月09日

京都台湾交流協会の発足


台湾との交流は、今から約40年前から…、「台湾への架け橋」と言う一冊の本がとりもつ縁となりました。今年で10年…年二回の訪台で20回になります。訪台で心身統一合氣道通じて沢山の素晴らしい友人が出来ました。台北と花蓮、今年は台南高雄にも参ります。今回の「京都台湾交流協会」は、二年間の雌伏へて設立いたました。これは法人化への第一歩と考えています。多くの方の入会をお待ちしています。二年に一度の台湾への訪問交流、年間を通じての講演会、会員同士の情報交流、規約に定めた事業部門にわかれての活動…京都と台湾のより密接な関係の構築に努めたいと考えています。重ねて多くの方の入会をお待ちしています。入会希望の方には、本会の「規約」などお送りいたします。
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台湾R氏宛てコメント


御存じと思いますが台湾の合氣道は、大阪合気会の田中万川氏が、台湾の柔道家の李氏に初めて伝えられました。李氏が台湾で出版された合氣道の本で知りました。私は初め合気会で植芝盛平翁に師事しました。又、田中万川氏とは、高野山での合宿など、一緒に修練いたしました。その後は、植芝盛平翁から藤平光一(当時合気会総師範部長合氣道最高位十段…海外21カ国に広められた)に伝えられた合氣道は「合氣道は、天地の氣に合するもの、として盛平翁が亡くなった後、心身統一合氣道・心身統一道を創見されて現在に至っています。私は藤平光一師範が合気会を退会された時、藤平光一先生と一緒に合気会を退会して、藤平光一先生に師事して今に至っております。今の合気会の合氣道は植芝盛平翁の技とは基本的に異なっています。創始者植芝盛平翁の技は、完全に力を抜いておられましした。すなわち、リラックスこそが合氣道の基本なのです(植芝盛平翁から直接お聞きしました)。そのことを藤平光一師範は悟られました。そして当時、合氣道界最強の師範として国内外にその名をしらしめられました。私は3月3日〜6日まで台北へ参ります。今回は私が訪台10年の節目として、一般社団法人心身統一合氣道会として、心身統一道・心身統一合氣道の普及のために参ります。真の合氣道とは何か、台湾の皆さんに改めてお伝えしようと思い参ります。
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藤平光一先生・植芝物平翁のこと


1974年に「合気ニュース」を創刊された編集長のスタンレーブラニン氏(合気道史家)が語る藤平光一先生の実像。
藤平光一先生との出会いとともに1997年まで藤平光一宗主と7回の会見が行なわれました。その中でのトピックスとしてのニュースは「藤平先生はそれまで武道関係の雑誌のインタビューに応じなかった理由として、「私が昔のことをしゃべったら、彼ら(植芝盛平の弟子たち)がダメになってしまうだろうと思ったから(合気ニュース110号)」と言われています。つまり、植芝盛平を神秘化したり超能力者にまつりあげている弟子たちにとって、盛平翁の強かったのは彼が完全にリラックスしていたからだという事実が明らかにされてしまっては……困るわけです。「しかし、本当のことを残しておかなければなりません」ということで『合気ニュースの一連の会見の実現となったのだといわれています。何故植芝盛平は、強いといわれるようになったのか…当時合氣会総師範部長であった藤平光一師範は、「それは完全に力を抜く、即ち、リラックスを会得されていたからなのです」と見抜かれていました。決して神秘的ではなく、当然の結果なのです。既に極意を会得されていた藤平光一師範(合氣道十段位)は、1960年代後半から70年代にかけて藤平先生の海外での活躍には素晴らしいものがあります。事実、当時の私たちにとり、植芝盛平大先生は壁に貼ってある写真の人、神秘的な存在でしかありませんでした。しかし、藤平先生は実際に腕をとって投げおしえてくださる現実の人。具体的に解説を交えて教えてくださる堅実のひと、として人の心に入っていきました。そうした合気道普及での藤平先生の活躍は、残念ながら現在出回っている合気道関係の書物には残されていません。私としては、そういう事実を合気道史上に残しておきたい、現在の若い人たちに知ってほしいと思ったのです。
私(奥山)は、藤平光一(合氣道十段位・心身統一合氣道創始者)に師事して約四十数年になります…。
合氣道は「完全に力を抜く…リラックス」ことが一番重要であり、極意であると心身統一合氣道を創見された藤平光一先生は、みずから中村天風翁の「心が體を動かす」と言う言葉と心身統一道と山岡鉄舟の一九会での禊修行などで、そのことを会得されました。武田惣角から植芝盛平そして藤平光一と伝えられた合氣道は、人の氣に合わすのではなく、「天地の氣に合する道」が合氣道である、と喝破されました。
真の合氣道とは何か…、相対世界ではなく、絶対的自己を造り上げること、即ち「争わざるの理」と「自らの人格を造る」ことに在ります。私達は藤平光一宗主が創建された「心身統一合氣道」を藤平光一宗主から直接学び、宗主亡き後は、子息の二代継承者藤平信一会長のもとで世界に広められています。藤平信一会長は、父藤平光一宗主に想像を絶する教えのもとに耐え、見事に合氣道の真髄を会得されました。私は二代継承者藤平信一会長の4歳の時から見守って来ました。そしてこれからの合氣道界を牽引されるのは彼以外に無いと断言致します。今年は一般社団法人心身統一合氣道会は「心身統一道・心身統一合氣道」をもって、台湾へ参ります。そして台湾合氣道と表武をもって交流いたします。よろしくお願いいたします。
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2017年12月04日

今日の言葉

今日の言葉
天が福をおしむなら、こちらは徳でたち向かおう。肉体をくるしめるなら、
精神を楽にしておぎなおう。境遇をふさがれたら、真理に生きて切り抜けよう。天もこれにはどうもできまい。
(天薄我以、吾厚吾徳以迓之。天労我以形、吾逸心以補之。天阨我以遇、
吾亭吾道以通之。天且奈我何哉。)
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2017年11月04日

愚公移山



強い意志と信念をもって行えば必ず夢は叶う。と言う意味です。
このことわざは、中国『列子』「湯問」に書かれたもので、「愚公という老人の家の前に二つの大きな山があり、何処へ行くにも回り道をしなければならなかつた。そこで老人は不便なので山切りくずしを決断しました。そして何代にも掛けていつ完成するかもわからないが1人で山を切り崩し始めました…。
愚公の熱意を感じた天帝が二つの山を取り除いたという故事から出た言葉です。

今から50年前にアインシュタイン博士は東京のホテルに泊まった時、ベルボーイにある言葉を書いたメモを渡しました。そのメモは約2億円で落札されたそうです。その言葉は、愚公移山と同じ言葉でした。

又、ゴーダマ・ブッダは、「総ての結果は、自然法則において現れる。即ち、努力にふさわしい結果が現れる」と。

私達は、私達の目の前に人生に関する明白な事実があるのに、ずっとそれを無視しているのです。それが無知というものです。
修行とは、無視する代わりにたった今、ありのままに自らの経験と共にあることを最優先にすることです。それはたった今ここで起こっていることに注意を向けることなのです。即ち、心が無知から出て自由に向かう道なのです。

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2017年10月21日

自然の中で…導かれて…。



素晴らしい一日…、心の意志が一番強く働いた一日でした。感謝で一杯です。
小さな庵を建てて、土を耕し、季節の野菜を植えて…、晴耕雨読の日々を…。
何のために…何を成すためにこの世に生れて来たのか…。何故生きているのか…何故いきるのか…。こころとは何か…こころは何処にあるのか…長いあいだ心の中に渦巻いていた様々な疑問が不思議と少しずつほどけてきた…。そして確固たる真理を得た…。
その意味では、創造主の導くままに、都会の喧騒から逃れて来たことは、正解だった。

「朝、窓を開ければ、小鳥の声が聞こえて…目の前に四季折々の木々や緑、名も知れない小さな草花が目に映ります…。名も知らない草花と会話をしながら…木々の囁きに耳を傾けている自分を自覚する…。風水によって建てられた小さな庵の…そして机に座って、自作のハーブ茶を…。山から下りてくる緑の香りのする風を肌に感じながら…仕事に…。」仕事の合間には、こころの意志法(瞑想「呼吸法・統一法など」)、さらにイメージによる表武(体技・剣・杖を持ち)…。精神を高めることができるようなった…。

合氣武道というものに惹かれて…そしてその理念である「争わざるの理」…目的である「人格の創造」…行き止まりのない旅に出て、半世紀以上過ぎた…。そして様々な人達と出会い、学び、多くの結果を頂いた。
その一つには総てこころの意志を強く持つこと、そしてその思いに向けて絶対精神で行いをすれば必ず実現するという真理である。

今又、次の目標に向かって進もうとしている…。出会いをさせていただいた多くの方々に…こころからお礼と感謝の気持ちを捧げるとともに、皆さんの御多幸をこころから願い、誓願を建てるものです。





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2017年10月15日

随処に主となれば立処皆真なり

運命は、自分の命を自分が運ぶこと。たがらあくまでも
自分が運命の主人なのだ。

天命は、天によって定められた人の命の枠組み。
宿命は、生まれる前からの先祖によって託された命の宿題。この宿題をクリアーするために、先祖たちはいろいろな能力を与えてくれている。
運命は、自分の命を運ぶための命の仕組みを自分が作ること。
さらにいえば、運命は現在の自分自身の命と共に、託された宿命の課題をクリアーする行為もふくめて、自分の命を運ぶことである。
寿命は、生命が肉体に宿して尊大し活動するために天が定めた時間の長さ。
使命は、それだけ備わった人間としての自分自身を自覚して、宇宙真理である「進化と向上」に生涯かけて尽くし遂行し成就することをいう。
 天命は安んずることである。天に唾しても始まらない。
広義の運命には、宿命と運命(狭義)ある。宿命は、先祖に託された課題をクリア―することだ。
先祖の中には、よくも悪しきも色々な思いを残して死んだ人もいる。そういう先祖の色々雑多な課題をクリアーするには、ひとつのマスターキーで充分だ。あらゆる課題に応えるマスターキー、それが陰徳というものだ。
そして運命は、真と善と美、すなわち誠と愛と調和という宇宙真理に則して、積極的肯定的に、自分の命を運ぶことである。
したがって、あくまで自分は自分の運命の主人である。
こうして心身一如のライフスタイルを構築して、生きて生きて生き抜いていくこと。生きている限りは死んでいない。
死んでいない限り生きている。
生かされて生きている以上は、とことん世の人のため、進化と向上という人間の使命を遂行していきたいものだ。
人間としての尊厳を実感して生きていこう!(中村天風先生・運命を拓く言葉)


人間次第

不幸にして生まれつき病弱ではだめか、家が貧乏ではだめか、
鈍才ではだめか、生活の為に多忙ではだめか、そんなことはその人間次第で、
どうにでもなることで、運命というものも有るが、運命は宿命で、その宿命の中に立命というものがある。(安岡正篤先生・師と友 巻頭言)

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2017年10月11日

なぜ、生まれて来たのか?何のために、生きているのか?

この世に何故生まれて来たのか!何のために生きている、いや、生かされているのか!このことを知ることが大切です。それは「幸福になるために生まれて来たのです。その幸せは自己のためではなく、他の多くの人の幸せを祈り、その為の努力をしなければなりません。その結果、自分の幸せとして返ってくるのです」ゴーダマ・ブッダの言葉です。即ち真理は只一つなのであります。このことが貴台の云われる、悔いのない生き方・精一杯いきるとは何か、の答えなのです。したがって自然の法則に反することは必ず失敗します。そして結果は自然の法則によって現れるものです。このことは日常生活においても、仕事においても法則は同じです。その為には、心の強い意志力が求められるのです。
「意志は、常に自然にそんざいするもの」「意志は『生きたい』という衝動」…ブッダは意志をcetana(チュータァー)、と教えています。意志とは行動を引き起こす心のはたらきのことで、意志は、自分が意識しようがしまいが、常にどんなときにでもはたらいていると説かれています。あなたが、瞬間、瞬間に「生きたい」「生きたい」と思っていなくても生きているように、私達が生きている限り、意志は常に生まれています。ブッダのおしえでいう「意志」とはおそらく、一般的に考えられている「意志」よりも、もっと基本的で、根本的な、善でも悪でもない「生きたい」という衝動です。又、お話しましょう
一度お会いしましょう。
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2017年10月10日

悲しい別れ

悲しい別れ
S君が亡くなった…。42歳…これからという時に。今から40年前、彼の父上と出会いそして合氣道の研修会でいろいろなお話をさせて頂いた。S君が小学生の時…確か父上に連れられて来られた時、出会いをした。
1人での旅先での突然の死…鳥取県の海岸で見つけられたとのこと…。その海岸一帯は、離岸流として知られており、毎年数人が亡くなっているとか…。
残念で仕方がない…。彼は大変心の優しい人でした。私と出会うと何時も気遣ってくれた…。手荷物を率先して持つなど、何かと世話をしてくれた。
内弟子として修業して居たころ、罵声を浴びていた…。その横顔には何とも言えない表情が窺えたのが今も忘れられない。彼なりの言い分も在っただろう…。
私は彼に「嫌なことは全て放下しなさい。もし、何か想うことがあれば舞鶴の道場へ来なさい。蟠りを吐き出せば楽になりますよ。何時でも待っています」と励ましたことは一度や二度ではない…。
自宅での告別式に参列させて頂いた。喪主の奥様から死に至る原因についてお話を伺った。9月28日に海岸で見つかり、司法解剖の結果、溺死…とのこと坦々として話されていた。しかし、日本海では、お盆が過ぎれば、絶対に泳ぐことはしない、何故ならばクラゲが多く又水温も低いためである。何故その様な時に泳いだのか…。まして離岸流の恐ろしさについて立て看板も当然あったのでは…。今となっては魔がさしたとしか言いようがない…。

彼は内弟子をやめて、介護支援の仕事という新しい仕事についた。そして夜などには、教室をもって子どもたちに合氣道の指導を始めた…。順風…と思われた矢先…。

人は何故生きるのか…。何のためにこの世に生れ出たのか…。人を育てる組織であれば、人の上に立つ者であれば、その答えについては即答出来なければならない。ましてや一つ一つの言葉や、導く者自らが模範となるべき厳しさを身につけていなければならない。私の師、安岡正篤先生から「知名と立命」という講義に中で次の言葉を頂いた「性質と能力……人は生まれた以上本当に自分を究死尽くし修練すれば、何十億も人間がおろうが、人相はみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる」と…。即ち、まず、相手がどのような人物かを知ることから始めなければならない。と同時に、相手の総てを受け入れるだけの度量が求められるのである。人は、物事を決めたり、判断をする時、大方の者は、本能・・損得・好き嫌いで決めているのが大方である。このような「原始脳」で決める意志力は、ぐらつきます。確固たる意志力を保つには、理性の脳を働かすことです。どんなことでも自然の法則に反するものは、必ず失敗します。

話をもどして、人の上に立つ者は、人心の把握に血の滲む努力をしなければなりません。人を導くとは、命を掛けた戦いです。その真剣勝負が生死を分けるのです。つづく。


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2017年10月07日

今日の言葉

今日の言葉
一度発した言葉は、永久に消えることはない。只、自らの耳聞こえないだけである。発した言葉が良い、悪いものにせよその結果は必ずわが身に帰ってくる。善因善果・悪因悪果となって…。

人を罵り、悪態をつけば、最悪の場合相手は死をもって表すであろう…。

又、その人の幸せを何時も祈っていれば、それもまた自らの幸せとなって帰ってくるであろう…。

posted by 弘心 at 23:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする