2025年07月02日

体技発表会余話



コロナで一時中断をしていたが再会された。第41回関西地区心身統一合氣道体技発表会。場所は、大阪中央体育館。2025年6月21日(土)。総勢約200人が参加されました。
子供クラスも大勢参加されて、大きな賑わいを見せていた。
この大会を準備から審査後片付け…若手師範、指導員をはじめ多くの方がポランティアで参画された。素晴らしいことで頭が下がる思いです。感謝以外なにものでもありません。
少し、苦言を申し上げます。
それは第38回関西地区心身統一合氣道体技発表会のことでした。
私はその時、大会委員長を仰せつかっていました。その時、小野派一刀流を学んで、一緒だったAさんが見学に来ておられていました…。懐かしくご挨拶をさせて頂いた。その時、Aさんの口から次のような言葉が出た。「奥山さん…あれは武道ですか?」

その時、小学生が「正面打ち呼吸投げ」をしていました。
「投げる側に向かって、受け身をとる者が2mほど離れたところから右手を正面に挙げて、打っていく…。投げる側がすれ違った時、万歳をした左手で相手の背中を押した、すると受け身をとる者が走って行って前受け身をした。
投げる側は、前を見て万歳した腕を下におろした」。
それを見て彼の口から出た言葉でした。
私は返答に苦慮した…。全く技の体をなしていないのです。
心身統一合氣道とはほど遠い技と動きをしているのです。

心身統一合氣道の技は、心身統一合氣道の五原則から成りたっている。そして自らは、心身統一の四大原則を遵守する。そして「全身の力を完全に抜く」ことが極意です。

子どもに完璧なことを求めることは出来ません。
(私は過去25年間で延べ五万人の子供と接してきました。その中で気づいたことがあります。それは教えたことは忠実におこないます。子どもは自然と氣が出ているのです。又、力も自然と抜けています。大人が気付いていないだけなのです)

「正面打ち呼吸投げの場合、相手が打ち込んできた時、相手の腕が動いたとき、素早く腕を相手の腕の外側に上げて(万歳をして)真っすぐに入りなさい。相手の身体と一緒になった時、左手は相手の首の側面に当てて、(手首と肘までを相手の背中に接触させて)、両腕を真下におろす。右手は相手の顔の下にあるので、真上に導き上げるのです。真上に挙げた手は、手の平を返して指先を相手の眉間に向けて下す、その時指先が相手に左の眼をつく、突き刺さる寸前に横に外して下に下ろすのです。すると相手はその氣に導かれて、下に崩れます…。」

これ位のことは、最低説明をして、子ども達にやって見せて、させてみることが必要です。
間違って習ったのか、間違って教えたのか、いずれかの原因でしょう。
大変恥ずかしい思いをした一瞬でした。
しかし、第41回でも同じことが見られました…。残念です。

心身統一合氣道の一つ一つの技には、思想性があります。
このことは、合氣道の技は数百、いや数千あると言われる中で、藤平光一先生が何度も書いては消し,書いては消しされて、纏められたのが30体技なのです。それを横で見てきました。一つの技をきめられた時、先生は何故このような動きになるのか、を説明されました。技一つ一つには、共通したものがある、と言われました。
共通したものとは何か、それを私は「思想性」と感じ取りました。(後に私は『操体感覚20』としてまとめ上げています)

更には、合氣体操から心身統一体操、独り技と名前が変わりました。技と名前が付けば、そこには思想性が生まれます。
独り技には、他の合氣道と類似のものが含まれています。このことも心身統一合氣道では、全く異なった意味を持ちます。
そのことにつきましては、又の機会に説明させて頂きます。
第41回関西地区心身統一合氣道体技発表会が盛大のうちに終られましたこと心から祝福を申し上げ、終わらせて頂きます。
以上
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昇段審査余話



 会長を中心にして、奇数月に行われる師範稽古が終わろうとしている時、「A師範が…B師範の技が効かないと言われた…」との話が出た。一体何の話か判らなかったが…どうやら私のことをいっていることが分かった。
その時はあえて反論しなかった。私は毎日日記をつけてその日に出会った人、話した、聴いたこと等細かに書留めている。
そのお陰で、私は高槻市理事として在職中には、38年間で4721人の方との出会いをさせて頂いた。そして多くのことを学ばせて頂くことが出来た。感謝以外なにものでもない。
阪急電鉄の企画部長で後に阪神電鉄の社長になられた奥田氏、地方自治大臣町村氏、元大蔵省銀行局長大月 高氏、鹿島建設の鹿島正一氏、三苫専務…。
左藤栄作氏の子息佐藤龍太郎氏、田中角栄氏…など、高槻市のビッグプロジェクトを進めるうえでお力を頂戴いたしました。特に「国鉄南駅前市街地再開事業」では、大変苦労をした。都市再開発事業では、キイテナントを探すことが重要となる。イギリスの法律を真似て日本の法律とした「都市再開発法」は昭和49年に施行された。その第一号として取り組んだ事業である。あらゆる人脈を通じての作業であった…。話が横道にそれた。

帰宅してすぐに日記を調べてみた。3月22日大阪中央体育館での講習会でのことである。大変力の入った技をされている方がいた。それとなく助言をしたつもりでした。しかし、「心身統一合氣道の極意は、全身の力を完全に抜くこと」の言葉も知らない方であった。人物とその場のことが判明した。

私は人を褒めることはあっても、人の悪口に罹ることは決して口にしない。いやしたことはない。話の前後を省いて自分の都合に良い言葉だけを口にされたものと分かった。
人としてやってはならないことをされた。直に受け止めて此れからの糧にするか、言われたことに腹が立ったのでその憤りを第三者に話した…。
いずれにしても可哀そうな方である。

早速、会長に伝えると共に、B師範に事の顛末を書き、書簡を出した。
事の真偽がどうであろうとも、人に迷惑をかけたのであればお詫びをするのが人の道である。私はそうして今まで生きてきた。そして人との出会いを大切にしてきた。
B師範から手紙を頂き納得と了解をして頂いた。
こんな些細な事に注視することはないと思ったが、人の名誉に係ることでもあり、又私自身の名誉に関わることであるためにあえて書き記した次第である。
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2025年05月21日

昇段審査


年二回の審査のうち、一回目が行われた。
心身統一合氣道会弘心館道場傘下の東舞鶴教室から二名が合格された。
親子での修練を7年間。まさに継続は力である。
母は二段。娘さんは初段、15歳での合格である。弘心館道場始まって以来の快挙である。
大人に混じって小学二年生の子供が…7年間よく頑張ってくれました。
初段の証書とお祝いの品(袴と帯)品を手渡したとき、目が潤んでしまい証書を読む声が一瞬止まった…。
これも母親いや家族の支えと、修練を共にした多くの人のお陰でのことである。そのことを話した時、本人の目に涙が…。
この経験は、彼女にとって一生の思い出として心に刻み込まれたものと思う。
修練のはじめに誦句集、そして私の生涯の師安岡正篤先生から学んだ「人間」としての生き方、について話をする。
最初はわからないままにじっと耳を傾ける姿が今も思い浮かぶ…。
これからを期待します。


「何のために生まれてきたのか」「今、何のために生きているのか」「心は何処にあるのか」「心とは何なのですか」この四つの提唱を皆さんに示す。
この公案を通過された人は、生活態度も、人に対する態度も、合氣道も大きく変わっていかれる。
特に技が深くなっていかれる。弘心館道場の理念(争わざるの理)そして目的(人格の涵養を図る)に一歩近づかれる。
私は全ての修練生に期待するものです。
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2025年05月06日

伝える者


今から60年前、中村天風先生に出会った。その時に言われた言葉が「お前さんが主人公だよ」の一言。戦争という一つの歴史に翻弄されながら、稀有な運命を生きてこられた人である。
奔馬性結核という肺全体が広範囲にわたって侵される病で、当時抗生物質などなかった。かかれば死に至ると言われた病気であった。その様な中で、天風先生はある人物との出会いをした。その出会いが天風先生の人生を大きく変えることになる。
ヨーガーの大聖人カリアッパ師との出会いである。治療を求めてアメリカへ行った帰りの船中のことであった。
そして、師についてヒマラヤに…。三年にわたる想像絶する修行を経て、病気を治して帰国する。
則ち、心が身体を動かす原理を会得されたのである。
財界に身を挺しては企業のトップにまで上り詰められた。そして後に天風会として、政財界のトップリーダーに大きな影響を与えた。
人に大きな影響を与える人物とは、物事の真理を会得することにより、絶対的自信に溢れた人物である。
振り返って、武道を伝えようとする者は如何であろう。一つの武道を例にとれば藤平光一先生の門下生の話。

社会経験の無いまま或いは希薄のまま、人間としての生き方を学ばないまま道場に入門、一つ覚えのように技を覚えて、高段者と呼ばれそのまま人を指導する…。
人と人との交わりが希薄のまま、さらには素養のない人物が先生と呼ばれて…。そこから人災が始まる。
自分が偉くなったように錯覚を起こして、傍若無人な行いをする…。
あたりかまわず大声をだす。氣にいらなければ怒鳴り散らす…。指導者心得など
読んだこともないのであろう。上には忖度をして、下には威張り散らす…。
そんな姿を二人みてきた。一人は高弟と言われた人物、一人は師範と云われる人物。常識は考えられない言葉と罵倒、行動。
其の為に的にされた人は、「あの人にはついていけません。やめさせて頂きます。」明日が昇段審査日と云う日のことである。
私の道場から四人辞めていかれた。
長い月をかけての修練…本人の胸中は如何なものであったか、今も胸が痛む思いでいる。

人を指導、導こうとするものは、相手の心を知り、相手の氣を尊び、相手の立場
に立ち、共に行こう、共に前進しようと思う心がなくてはならない。
欲を言えば自らに心の師を持つことである。
そして素養と共に人間としての生き方についての哲学を学ぶことである。


  
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2025年05月04日

まなぶ姿勢


心身統一合氣道というものが誕生する以前から、教室を持って多くの人たちと接してきた。藤平光一先生が財団法人合気会の総師範部長をされ海外に指導されていた時期。
1974年、私は合気会で学び、合気会で初段・三段の時に高槻市で「合気道高槻スポーツ少年団」を結成して子供クラス120人を教えていた。

そして藤平光一先生が合気会総師範部長を辞職。私も合気会を辞め藤平先生に師事。藤平先生は心身統一合氣道を創設されたのを機に、心身統一合氣道を学んできた…。
そして現在に至るまで、延べ約15万人の修練生との出会いをさせて頂いた。
感謝以外何物でもない。
その間、合気道を学ぶ人の姿勢が大きく変わってきた。
私は生涯の師として仰いだ陽明学者安岡正篤先生に「人として上に立つものの心得」学び、そして藤平光一先生が創られた「心身統一合氣道の五原則」に従い常に人と接してきた。しかし、年月が経って有段者になってくると、最初の無に近い状態から少しずつ教わったことを忘れて傍若無人な人間になっていく…。
すなわち人と人との繋がりを忘れて自分が一人でできたような錯覚を起こして氣にいらなければ勝手な行動をとる者が多くなった。
悲しく空しい気持ちになる。それが高学歴の人に多くみられる。
その中には、発達障害を持つ者も含まれる。アスペルガー症候群である。これは心の問題ではなく脳の一か所に欠陥がある病気と言われている。
今までに数名が見つかった。高齢に達してから出てくる場合もある。

人の恩を大切にする。人として無くしてはならないものである。武道は師弟関係で成り立つ。
しかし、現在はそのような関係を保つことはむつかしい。ハラスメントなどという概念が入って東洋思想が希薄になりつつある。

人は一人では生きられない、多くの人との関りで生かされていくものである。そのことに対して畏敬の念を抱くのは、当然のことと言わなくてはならない。
そのために私は「真の人間としての人格・品格を創る12の徳目」を表した。
その中でも「朋友の信」「謙遜」「徳器成就」は極めて自らのものとしなければならないことは言うまでもない。
勿論、上に立つ者の人格が求められることは言うまでもない。
人と人との繋がりを大切にする。そこには礼儀が存在する。
学習塾とは決定的に異なることを認識すべきある。

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2025年04月20日

生きるとは



山岡鉄舟の志を継いだ高弟小倉鐡樹が「一九会道場を創られました。
私は、若い時、その一九会道場で、彼の高弟日野鐡叟について修行しました。日野鐵叟先生には、藤平光一先生も習われました。
其の修行たるは、神道十三派のうち、井上正兼先生の禊教と禅宗をミックスした修業で、心の垢をそぎおとすもの、ともいわれています。
麦八分、米二分のご飯に白湯、たくあんのしっぽです。それで一種間修行です。
昼ごはんの時、日野鐡叟先生が静かに言われました。『麦一粒とも粗末になりませぬぞ…、この前に出てくるまでどれ位の人の努力かありましたか…それだけではなく、この割りばしも、茶碗も、お茶も…、全て人のおかげなのです、自分が独り生きている、などと言うことは出来ません。さらに、お天道様はその光を分け隔てなく降り注いでくれます。善人悪人石や木、犬やネズミにも…。
即ち、自分が生きているのではなく、自分はいかされているのです。
そうした万有を愛護し万物を育成する天地の心を、深く感じることです。
そして、その恩を少しでも何かで返していくことが、生かさせて生きて行くことの眼目なのです…と。

舞鶴から心身統一合氣道の修練生一名が一九会道場で初学の修行を終えました。
彼がこの先どのように変わっていくのか見守りたいと思っています。

東洋哲学者・陽明学者安岡正篤先生からは、人間としての生き方を学びました。
人を創る、組織を創る、国を創るための精神的・原理であります「四維」の実践です。即ち、「礼・義・廉・恥」です。
更に、人、組織、国を滅ぼすのは、「四患」即ち「偽・私・放・奢」です。この説明は長くなりますので、宜しければ、ブログ、HPを見て頂ければ幸甚です。

人の為に無私の想いで尽くす、四無量心に生きる。これこそが、今私たちが心しなければならない第一義なのです。
話は変わりますが、台湾で日本の教師が命がけで教育として伝えたもの「道義」なので。
これが台湾の方々の中に、脈脈と伝えられているからこそ、台湾を愛するのです。
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2025年03月27日

植芝盛平が藤平光一(敬称略)に伝えたこと


1974年に「合気ニュース」を創刊された編集長のスタンレーブラニン氏(合気道史家)が語る藤平光一先生の実像。

藤平光一先生との出会いとともに1997年まで藤平光一宗主と7回の会見が行なわれました。その中でのトピックスとしてのニュースは「藤平先生はそれまで武道関係の雑誌のインタビューに応じなかった理由として、「私が昔のことをしゃべったら、彼ら(植芝盛平の弟子たち)がダメになってしまうだろうと思ったから(合気ニュース110号)」と言われています。つまり、植芝盛平翁を神秘化したり超能力者にまつりあげている弟子たちにとって、盛平翁の強かったのは彼が完全にリラックスしていたからだという事実が明らかにされてしまっては……困るわけです。「しかし、本当のことを残しておかなければなりません」ということで『合気ニュースの一連の会見の実現となったのだといわれています。何故、植芝盛平は強いといわれるようになったのか…当時合氣会総師範部長であった藤平光一師範は、「それは完全に力を抜く、即ち、リラックスを会得されていたからなのです」と見抜かれていました。決して神秘的ではなく、当然の結果なのです。既に極意を会得されていた藤平光一師範(合氣道十段位)は、1960年代後半から70年代にかけて藤平先生の海外での活躍には素晴らしいものがあります。事実、当時の私たちにとり、植芝盛平先生は壁に貼ってある写真の人、神秘的な存在でしかありませんでした。しかし、藤平先生は実際に腕をとって投げおしえてくださる現実の人。具体的に解説を交えて教えてくださる堅実のひと、として人の心に入っていきました。そうした合気道普及での藤平先生の活躍は、残念ながら現在出回っている合気道関係の書物には残されていません。私としては、そういう事実を合氣道史上に残しておきたい、現在の若い人たちに知ってほしいと思ったのです。

私(奥山)は、藤平光一先生(合氣道十段位・心身統一合氣道創始者)に師事して約四十数年になります…。その間、合氣にかんして多くのことを学びました。
当時合気会の総師範部長として国内はもとより、海外二十数か国に合氣道を広められた功績は、偉大なものです。そのことを無視して、さらには合気会のあらゆる書物から名前を消し去ったことは、合氣道界の大きな汚点として残りました。海外の道場から藤平先生の写真を取り外し、海外での指導者である藤平先生の立場を取り上げた行為は、決して許されるものではありません。
当時藤平光一先生から頂いた書簡の中には、その経過について、一部始終書かれていました。私は今、その書簡を読むたびに胸が張り裂ける思いになります。(何時の日かその手紙を公表する時がくると思います)
しかし、如何なることをされようとも「植芝盛平翁を生涯の師」として仰がれた姿は、人として人間としての生き方を示されたものして尊敬以外何物でもありません。

藤平光一先生は、合氣道は「完全に力を抜く…リラックス」ことが一番重要であり極意であると説かれました。中村天風翁の心身統一道と「心が體を動かす」と言う言葉、植芝盛平翁の「合気は愛じゃ、わしの合気は米糠二合持つ力があればできるんじゃ」という言葉、更には山岡鉄舟の一九会での禊修行などで、そのことを会得されました。

武田惣角から植芝盛平そして藤平光一と伝えられた合氣道は、人の氣に合わすのではなく、「天地の氣に合する道」が合氣道である…更には真の合氣道とは何か…、相対世界ではなく、絶対的自己を造り上げること、即ち「争わざるの理」と「自らの人格を造る」ことに在ると喝破されました。

私達は藤平光一先生が創建された「心身統一合氣道」を藤平光一先生から直接学び、先生亡き後は、子息の二代継承者藤平信一会長のもとで世界に広められています。藤平信一会長は、父藤平光一先生に想像を絶する教えのもとに耐え、見事に合氣道の真髄を会得されました。私は二代継承者藤平信一会長を4歳の時から見守って来ました。そしてこれからの合氣道界を牽引されるのは彼以外に無いと断言致します。
会友一同、さらに前進されますことを期待致します。

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2025年02月14日

フジテレビの話題

フジテレビの話題
タレントと女子アナの関係についての問題が一企業の存亡に関わる事件に発展している。
テレビのスイッチを入れると、いずれも専門家と称する人たちが我が意を得たりとばかりに喋っている…。
不思議な光景である。

男女間の問題は、いつの世にも変わりはない。
しかし、物事の真理をしることをしない、いや出来ない人間が多くなった。
問題のフジテレビの経営者は、いずれも高齢者であるが素養がない。
佐藤一斎の「言志四録」の一冊でも読んで居れば、企業経営者してまともな判断が出来たであろう。
欲を言えば安岡正篤先生の「『人間』としての生き方」を知れば決してこのような事態にはならなかったのではないか。
人間は、知識だけでは駄目である。それを「見識(智慧)」にして、実行する「胆識」さらには、「節操」を揺るがない自らのものとしなければなりません。
日本には、「品格」「人格」という言葉はないのか。

今、日本人に欠けているのは、この一点につきる。

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2025年01月10日

たそがれ清兵衛

たそがれ清兵衛
 藤沢周平原作を映画化。山田洋次監督の作品。
監督  山田洋次
    朝間義隆
撮影  長沼六男
音楽  富田勲
出演 真田広之(井口清兵衛)、宮沢りえ(飯沼朋江)、小林捻侍(久坂長兵衛),
田中 泯(余呉善右衛門)
本作は、第76回(2004年)アカデミー賞(外国映画賞)にノミネートされました。
素晴らしい時代劇でした。特に、殺陣の場面がリアルに描かれていて、実際にはこのようなことになるのでは…と思わせるものでした。他の時代劇のように20人ほどの切られ役が自分から飛び込んでいるようなものではない。
又、出演者すべてが庄内弁を話していて、その発音も自然なものである。
江戸時代の最後(幕末)を表すような場面も見ていてよくわかる。
最後の場面、井口清右ヱ門が反逆者をうつことを藩命として受け入れて、余呉善右衛門との対決は、目をみはるものがある。余呉善右衛門を演じた田中 泯氏は舞踏家である。
その彼が死を意識しての決闘の場面に、舞踏家として死の表現を全身の動きに表していることに圧倒された。世界的有名な舞踏家田中 泯氏はこの作品で俳優デビューを果たした。
剣を極めた者同士が闘うということは、実際はこのような形になることを…ぎりぎりの形まで、表現した時代劇だと思う。
特に井口清兵衛の心の中にある「生きるとはいかなるものか」との思いが全身に表しての演技は心うつものがあった。権力も金も身分も、しきたりも、人間の生きていく上には本来は不必要。人として、人間として、いかに自然との営みに応じて生きていくことが出来るか、他の人の幸せのために自分の為すべきは何なのか、このことが一番大切なものであると…。
私がふるさとも何もかも棄てて、限界集落と云われるところに一人来た…。そして古い民家を潰して、小さな庵を建てて、山と畑を相手に自然と共に生きる決意をした…。
何故かこの映画の主人公に心惹かれるものがある…。
そして今、新たな多くの心友を得て、大切なものを手に入れた…。
生かされている意味を…。
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2024年12月12日

道場

道 場
 心身統一合氣道会弘心館道場に規約が存在する。
その主なものとして、「争わざるの理」を理念とし「人格の涵養を図ること」が目的としている。そして「四維」遵守して、「四患」は決しておこなってはならない、としている。
このことは、武道(心身統一合氣道他)には、「『人間』としての生き方」を学ぶことにあるからであります。
振り返りますと、私は75年にわたって合氣道なるものの真髄と、物事の真理を求めてきた。
父奥山喜峰、植芝盛平翁、中村天風、日野撤叟、藤平光一、安岡正篤(敬称略)その他多くの先達から学ばせて頂いた。感謝以外なにものでもない。
しかし、小生の未熟さから、過去弘心館道場において、導き得なかった者がいる。残念である。
一人は、性格異常と言わざるをえない者でした。道場に来られている女性会員に今でいうセクハラ行為をしたのである。何故かすぐに辞めていく人が増えだしたのです。被害にあった人に話を聞くと、聞くに堪えないものでした。
破門としました。
もう一人は、発達障害(アスペルガー症候群)であることが発覚しました。
自分のことしか頭にない、話す言葉の内容が理解できない、目を合わさない、話している言葉の行間にあるものを読み取ることが出来ない…など。その為に、人としての守るべき筋道が理解できない為、非常識な行動に出る…他。
専門医の話では、この病気は脳のある部分に障害があり。薬や心の問題では治療できないということでした。
そのことに長年気付かなかった自分自身に荒まじい怒りを感じました。
除籍処分としました。
いずれにしても教える者、学ぶ者は、「啐啄同機」を心中にもつと共に、「教学相長ず」を共感することが重要であります。





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