2024年08月02日

破門

破門

心身統一合氣道会弘心館道場には、この言葉はあります。
武道を伝える場として存在するのです。
「破門」という言葉の意味は、「師弟の縁を断って門人から除くこと」とある。
合氣道の道場其の傘下の教室は、学習塾とは異なります。人間関係、人と人との繋がりによって成り立ちます。
当然道場には、理念と目的が定められています。
その理念・目的に離脱した考えや行動をとった場合、当然対象になります。
特に「人間としての生き方」を直視します。

其の為、指導者たる者は「佐藤一斎の重職心得箇条」を熟知するとともに、日常の行動に備わっていなければならない。結果、真の指導者の八つの身体的な風貌がなければならない。

弘心館道場では、過去に破門になった者は二名存在する。
弘心館道場に入門された方々は、今一度心を引き締められて、「何のために入門して、何を学ぼうとするのか」を自問していただきたい。
宜しくお願い申し上げます。

心身統一合氣道会弘心館道場 館長

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2024年07月29日

手紙

お手紙読ませて頂きました。返事に時間が掛かりました。良く頑張っておられます。大変嬉しい限りです。では一つずつ私の考えをお話しましょう。
そのT、「……日々起こる出来事にあててみて…ピッタリ当てはまる言葉がなかなかみつかりませんが…」について。
 私が今まで道場でお話した中には、沢山のヒントがあります。
私が、師、安岡正篤先生から学んだ幾つかの言葉をお教えしましょう。
「感恩の心………人は思えば思うほどいろいろの「お陰」で自分というものができていることが分かる。そこで、いろいろなお陰でできた自分だから、いろいろ報いなければならない。我々は天地の恩、人間の恩、教の恩など、あらゆる恩の中にある。
これにたえず報いてゆくのが生活である。」
「六中観………忙中閑有り(忙しさの中でも心の余裕を見つける)。苦中楽有り(苦しい時でも楽しみを見つける)。死中活有り(身を棄ててこそ浮かぶ瀬もある。)壺中天あり(どんな境遇にあっても自分だけの世界を作る)意中人有り(心から尊敬する人を持つ。)腹中書あり(心身を養って経綸に役立つ学問をする。)
この言葉から思いを馳せて見て下さい。
次に、ものごとをただ、見るということ、あるがままにみるということ、とらわれずに見る、といことです。
正しくみるということは、純粋に、あるがままにみるということです。
人は普段「見る」と言う行為において、目と言う感覚器官をつかってただみているわけではないのです。過去の経験、体験を通して、又、世の中の常識や、また人や本から学んだ知識のイメージも加わって…、そして「好きだ」「嫌いだ」などと、目に映ったものを見ています。このように物差し、感情等のフィルターを通して見ています。
自分では、目で見ているつもりかも知れませんが、実は心のなかのフィルターを通した「心の目」で見ています。これらを外した状態ね何も色を付けない状態で見ること、それが本当に正しく、あるがままに見ることです。それが正しく見るということなのです。

次に「力を抜く」ということについてです。自分を無いと実感することではありません。
心の中を無にすること共に「力を抜いた」と思うことなのです。
肩の力を抜いて、などといいますね。その時は、いったん両肩をギュッと上に上げて、そして下にストンと落とします、その時の身体の状態を言います。
試してください。

言いわけについて、この本真は、自分の氣づきを持って心の動きを知ることです。
言い訳はしないことです。素直に心の動きを正しい方向にむけることです。
すなわち、純粋な透明な心を持って見ていくことです。
全てのものは変化し、きえていく。そのことに気付くことが大切です。前述のあるがままに見ることなのです。そして、思いを正しましょう。瞑想をして「今ここにいる」ことを習慣づけていくようにします。過去でも未来でもない「今ここにいる」ことで不安や心配のない、しあわせで愛に満ちたあなたになれるのです。
そして見返りを求めず相手の喜びを自分の喜びに…。
次に「…何か起こると…あきらめることでしょうか…」についてです。
あきらめることではなく、自らの外側も内側も正しい教えを実践する、そして常に良い行為を繰り返すことです。間違ったことであれば、それをばねにして二度とおなじことをしないと言いきることです。そして、そのことは全て放下します。忘れてしまうことなのです。なぜ?それは過ぎ去ったことは、最早過去のことなのですから…。

最後に、行動も生活も、内面の修行も、凡て精進です。悪行をせず。自分の心身を大切にすることを続けます。今まで自分を責めていたのなら、その記憶も淨めていきましょう
「ポジティブに考える」のではなく、「どちらにも心を使わない」のが理想の状態です。
心を超えて、愛と一体となる為に瞑想を続けていきましょう。
深く集中した先に、自分の本質の理解があります。
そして、すべて自然の法則に従った生活を行うのです。

まだ、書き足りませんが、ご容赦ください。何からヒントにして頂ければ幸甚です。
                             奥山弘邇 拝


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2024年07月15日

アスペルガー症候群の特徴


○ アスペルガー症候群の特性は、子どもも大人もかわらない。
○ 暗黙のルールを察するのが苦手なので、言動が問題視されるのは社会に出てからのほうが多くなる。
○ 相手の感情をくみ取ることも、自分の感情を伝えることも不得意である。
○ 話し手の言葉を表面的な意味通りに受け取るので、言外の意味や含みのある言葉、冗談などは通じにくい。
○ 話し方で感情表現するのは苦手なので、単純な話し方になりやすい。
○ 手順やものの配置など、自分のルールが崩れると混乱してしまう。
○ アスペルガー症候群は「孤立タイブ」「積極奇異タイブ」「受け身タイプ」の三つに分けられる。
○ 五感を中心に、感覚の隔たりがある。
○ 周囲とうまくかかわれないことで、強い不安やストレスを感じ続けると、二次障害として別の病気になるこがある。
○ 心の病気ではないが大人になるまで気づかないことがある。
○ 自閉症といわれる症状から広がる一連の障害。
○ 生まれつき脳機能の不全が原因。
○ 薬や手術で治すことはできない。
○ 本人の努力と共に、周囲の理解と適切な関りが必要。
○ 他人とのコミュニケーションがとれない。
○ 心身症、対人恐怖症、気分障害、(うつ症状)、摂食障害、睡眠障害などの病気が二次障害として表れる。
○ 遺伝子による遺伝的要因と化学物質などによる環境的要因によって、脳に障害が起こって生まれてくる。
○ その他
以上ですがアスペルガー症候群を「治す」ことしできる治療法というものは、今のところありません。そもそも「治る、治らない」という考え方が当てはまらないといえます。ただし、心身症や気分障害(うつ病)睡眠障害といった二次障害にたいしては薬物治療なとどが有効な場合もあるので、専門医の診察を進めるとよいでしょう。との専門医の見解でした。       以上
posted by 弘心 at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

発達障害問題について


○氏の日常的挙動から、約一年間客観的に観察を致しました。その経過から
一つの判断を致しました。
日常的行動と精神的傾向については、次のようなことが分かりました。
・自分中心で自分のことしか頭にない。
・相手のことを考えられない。
・全体を見ようとはしない。
・教えたことは頭に入らない。
・人の話には入らない
・目を合わせない
・覚書などの文章全体の内容が理解できない
・自分に関係あるところだけに目を向ける
・相手との対話など相手の了解なく録音する
・被害者意識が強い
・全体をみることが出来ない
・人の話を聞こうとはしない
・同じ話や言葉を何度も繰り返す
・話の流れを無視する
・空気が読めない
・周囲とうまくかかわれない
・こだわりが強い
・その他

以上のことを知人の専門医に相談をしたところ、次のような判断を下されました。
「発達障害の一つアスペルガー症候群」ではないか。
この視点から○氏を観察したところ、理解することが出来ました。




posted by 弘心 at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年06月08日

今日の言葉


「それ仏法遥かに非ず。心中にしてすなわち近し。
真如外に非ず。身を棄てて何にか求めん」

空海が晩年に著した「般若心経秘鍵」の冒頭部にある一節です。
「仏さまや悟りの世界ははるか遠くにあるのではなく、自らの心の中、とても近くにあるものです。
真理は私たちの外にあるのではないから、自分以外のどこにそれを求めるのですか」悟りも真理も自分の中にあるものなのに、
きづいていないだけである。と空海は言っているのです。

それは、いくら外に幸せをさがしても決して見つからないのと同じでしょう。
すでに自分が持っていることに気付かなければ、いつまでも幸せは実感できないのです。

また、真言密教の経典である「大日教」李中では、「悟りとは、あるがままに自らの心をしることである」と説かれている。
自分自身の善い心も、汚れた心もあるがままにみつめることこそが悟りだということです。

全ての物事が常に移ろいでゆくように、私たちの心もいつも変化しています。
すなわち、「無常」を自覚して、私たちの全ての変化を正しく見つめることなのです。


私たちは、武道(心身統一合氣道)の修練に励んでいます。
しかし、技の形だけを真似ているのでありませんか…。そのようなものをいくら上達しても無駄でしょう。

技のもつ真理を自らのものとしなければなりません。其の為には、自らの心を知ることが一大事なのです。

「心とは何か」空海の修練場、高野山での合宿で伝えます。
お越しください。お待ちしています。
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2024年06月03日

弘心館道場開設記念夏季合宿について

毎年高野山での合宿を実施してまいりました。しかし、コロナ感染症が一段落した今、高野山を取り巻く環境は大きく変わりました。外国人の方の観光地として沢山の人が来られています。其の為、宿坊も個室化、安全性の確保のための設備投資など、以前の厳粛性・神秘性が失われつつあるように感じました。
高野山での合宿は、今年で最後になると思います。
多くの方の参画を期待しています。



各   位
京都府舞鶴市字久田美1618番地
心身統一合氣道会弘心館道場
   ( 電話0773−82−9008)
師範 奥 山 弘 邇


弘心館道場開設記念夏季合宿について
新緑の候、皆様方におかれましては、日頃何かと当会にご尽力を賜り、心から御礼申し上げます。
標記の件、高野山で実施いたしますので多数のご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。
               記
日   時  令和6年8月17日(土)〜8月18日(日)
       現地集合 (高野山大学武道場)
場   所  宿泊:宿坊天徳院 修練道場:高野山大学武道場
          和歌山県伊都郡高野山町
参 加 費 大人18,500円/人(一泊二食付、道場使用料、講習費その他含む)
       合  宿  申  込  書
                      締切 6月30日        
高野山合宿に申し込みます。 
【申込内容】 1.参加者名 大人(男)   人 大人(女) 人
      氏  名                     
合  宿  日  程
令和6年8月17日(土)
13:30〜15:30 高野山大学武道館修練
            15:40   天徳院チェックイン
16:00〜17:00 高野山大学武道館修練
            または観光
17:00〜      入浴
18:30       夕食
19:30       夕食後奥の院まで散策
            22:00       就 寝
8月18日 (日)
6:30       朝の勤行
※希望者のみ
             7:00       朝食
             8:30〜11:50 高野山大学武道館修練
            12:00 解散
                                以上

奥山 弘邇
宿坊は天徳院です。長年お世話になっています。特に日本の庭園の始祖と言われています小堀遠州作の庭園が有名です。精進料理をともに味わいませんか。修練は、高野山大学の武道館で行います…この場での氣の呼吸法は思い出深いものとなりましょう。時空を超えて、空海の修練地で共に…。空海は「般若心経秘鍵」の中で「悟りも真理も心の中にある」と喝破しておられる。その心とは何か、をこの合宿で是非自らのものとしてください。お待ちしております。
posted by 弘心 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月05日

ハラスメント

ハラスメントの意味は、広辞苑によると「人を悩ますこと。地位や立場を利用して嫌がらせ。をいう」とされています。
私はハラスメントに対峙するのは、基本的人権と人間としての尊厳性であると考えます。
50年前、私は在職中何度もこのようなことを経験いたしました。一例として公園緑地課長を拝命したおり、全国ではじめて公園の作業員として知的障害の人を数名雇用しました。
勿論、障害者団体からの推薦を経てでありますが全国から視察に来られました。受ける方として、大学で社会福祉を学んだ職員二名を配置したことは言うまでもありません。
その時のPR用として動画を作成いたしました。
「〇〇」に委託して作品が完成。試写会をしたとき、障害者の顔が映っていました。
私は何故ですかと「〇〇」に質問。保護者の承諾を得ております、との答えでした。
私は直接保護者に会いました。すると保護者は苦渋の顔をされて次のような言葉を出されました。「いつもなら家に閉じ込めている障害を持った子供を〇〇市に雇用していただいております。それゆえに記録映画に我が子の顔が写っていることに文句は言えません」と。
権力をもったものは知らず知らずのうちに、相手の了解を得ればそれでよい、との誤った感覚に陥るのです。
権力をもったものが第一に注意しなければならないことは、如何に相手の立場になってものを考えるかであります。
勿論、地方自治法の理念に沿って業務を遂行する責務を負っています。それは「地域住民の生命と財産を守る」ことの遵守です。
私は委託先の〇〇のとった判断について、深くお詫びを致しました。そして改めて誰かが分からない処置をほどこすことに笑顔で承諾されました。
 どのような組織であろうとも「組織の在り方を決めるのはリーダーの心」であります。
知識は学校に入り講義をきく、参考書など本を読むだけでも得ることができます。しかし、これは人間の信念とか行動力にはなりません。
知識というものにもっと根本的なもの、もっと権威のあるものが加わりませんと知識というものは役に立ちません。
それは何かと言えば見識であります。
頭の中でいくら豊富な知識をもっていたとしても、それだけでは人間の形成にはなりません。知識を身心の血肉化とする、すなわち「知恵」に深化させることにあります。これが「見識」です。
それを体得することによって、信念が確立され、行動力の原点となるのであります。
知識主義から,身心を通した「見識」とそれを支える「胆識」を鍛え、さらに「節操」を持つことが人間形成には深列かつ重要なものであります。
結論として、「人格を高めなければ人の心は動かせない」ということになります。

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2024年02月09日

誕生日のお祝いの言葉を頂いた方への 御礼の言葉

多くの方から小生の誕生日に嬉しいお言葉を頂戴いたしました。心から厚く御礼申し上げます。
父奥山喜峰から合氣武術、植芝盛平翁から合氣道、藤平光一先生から心身統一合氣道。日野徹叟老師(一九会)から人としての生き方。中村天風翁から心が身体を動かす原理。安岡正篤先生から陽明学…。
約75年にわたる教えを受けました。

その間、大学で都市工学を学びシビルエンジニアとして地方自治に参画。数多くの街づくりに携わって参りました。
特に人間を知るため、大学で原始仏教(釈迦が生まれて死後百年)
を学び、全て物事には,「真理」があることを知ると共に、釈迦が説いた「無常・苦・無我」を自覚いたしました。
その後の私の「合氣」には、大きな変化をみました。

植芝盛平翁の「我則宇宙」「我舞えば天地舞う」「わしの合氣は米糠二合持つ力があればできるんじゃ」の言葉の意味が自然に解けていきました。

そして、藤平光一先生の「氣の原理」に基づく合氣道…。

更には、安岡正篤先生から「知行合一」「格物致知」を学んだことは、その後の私の生き方を大きく変えることになりました。

全て「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」その真理を自覚することが、真の合氣を会得する一歩であります。

私の教室の方々に三年間説いてまいりました。心の変化が始まったことは言うまでもありません。
「道場」とは、釈迦が菩提樹の下で悟りを得たその場を言います。すなわち仏教語であります。
故に、私は道場とは人格の涵養の場、としております。

弘心館道場での修練はその為に存在するものです。
今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

心身統一合氣道会弘心館道場
師範 奥山弘邇 拝
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2024年01月20日

物事の真理

舞鶴の限界集落に庵を立ててしばらくの頃の話。
その頃の思い出が走馬灯のごとく目に浮かぶ。振り返ってみた…。

平成十五年一月七日
「日本海側にいよいよ冬将軍がやってきた。
紅葉は落ち、草は枯れ、大地は霜により、持ち上げられている…これからが初心に帰る毎年恒例の禊である…。湧水で身を清め…新たな下帯をしめる…足袋と草履…襦袢、道衣、筒袴で身支度…。手作りの木刀と杖(毎年、我が山の木から鉈で作りあげる)が折れるまで「粗朶木打ち」と「立木突き」を…。たべものはとらない…神経が研ぎ澄まされ…感覚がひろがりを見せる…無駄な力が削がれ…太刀・杖と一体となり…體から邪気が抜け出るまで…日没とともに終わる…至福の時である」

こんな自虐的なことが数年続いた。今から見れば未熟なことを曝け出している。いくら肉体を鍛えても駄目であった。
心を鍛えることに気付かなければならない。今、想うと懐かしくもあり、悲しい想い出でもある。


そして、「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」を説いて二十年が過ぎ全てを知り得た…。

今、無常・苦・無我、という真理を知った時、心と身体は宇宙に解き放されている…。
皆さんとともに真の合氣道に向かって前進しよう。よろしくお願いいたします。
posted by 弘心 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月11日

令和六年度の事業


昨年は体調を崩し、六か月の治療をやむなくされました。
しかし、台湾台北教室の開設、宮津教室の開設と前進することが出来ました。
これも指導員の皆様、会員の皆様のお力添えによるものと感謝申し上げます。
さて、本年は飛躍の年として取り組んで参ります。その一つとして高槻教室は開設50周年を迎えました。舞鶴教室も20周年。

次の事業を実施いたします。
@「高槻教室開設50周年・舞鶴教室開設20周年記念表武大会」開催    
     日  時 令和六年十月十三日
     場  所 高槻市総合体育館柔道場
     内  容 日頃の修練の結果を披露  全国・海外の道場・教室も参加よろしくお願いいたします。


A「高野山夏季合宿」開催
     日  時 令和六年八月三、四日
     場  所 高野山大学武道館
     宿  泊 天徳院宿坊  講話 宮島阿闍梨(予定)

海外の教室にも参加要請をしています。
多くの参加をお願い致します。
posted by 弘心 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする