2024年06月03日

弘心館道場開設記念夏季合宿について

毎年高野山での合宿を実施してまいりました。しかし、コロナ感染症が一段落した今、高野山を取り巻く環境は大きく変わりました。外国人の方の観光地として沢山の人が来られています。其の為、宿坊も個室化、安全性の確保のための設備投資など、以前の厳粛性・神秘性が失われつつあるように感じました。
高野山での合宿は、今年で最後になると思います。
多くの方の参画を期待しています。



各   位
京都府舞鶴市字久田美1618番地
心身統一合氣道会弘心館道場
   ( 電話0773−82−9008)
師範 奥 山 弘 邇


弘心館道場開設記念夏季合宿について
新緑の候、皆様方におかれましては、日頃何かと当会にご尽力を賜り、心から御礼申し上げます。
標記の件、高野山で実施いたしますので多数のご参加のほど、宜しくお願い申し上げます。
               記
日   時  令和6年8月17日(土)〜8月18日(日)
       現地集合 (高野山大学武道場)
場   所  宿泊:宿坊天徳院 修練道場:高野山大学武道場
          和歌山県伊都郡高野山町
参 加 費 大人18,500円/人(一泊二食付、道場使用料、講習費その他含む)
       合  宿  申  込  書
                      締切 6月30日        
高野山合宿に申し込みます。 
【申込内容】 1.参加者名 大人(男)   人 大人(女) 人
      氏  名                     
合  宿  日  程
令和6年8月17日(土)
13:30〜15:30 高野山大学武道館修練
            15:40   天徳院チェックイン
16:00〜17:00 高野山大学武道館修練
            または観光
17:00〜      入浴
18:30       夕食
19:30       夕食後奥の院まで散策
            22:00       就 寝
8月18日 (日)
6:30       朝の勤行
※希望者のみ
             7:00       朝食
             8:30〜11:50 高野山大学武道館修練
            12:00 解散
                                以上

奥山 弘邇
宿坊は天徳院です。長年お世話になっています。特に日本の庭園の始祖と言われています小堀遠州作の庭園が有名です。精進料理をともに味わいませんか。修練は、高野山大学の武道館で行います…この場での氣の呼吸法は思い出深いものとなりましょう。時空を超えて、空海の修練地で共に…。空海は「般若心経秘鍵」の中で「悟りも真理も心の中にある」と喝破しておられる。その心とは何か、をこの合宿で是非自らのものとしてください。お待ちしております。
posted by 弘心 at 14:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年05月05日

ハラスメント

ハラスメントの意味は、広辞苑によると「人を悩ますこと。地位や立場を利用して嫌がらせ。をいう」とされています。
私はハラスメントに対峙するのは、基本的人権と人間としての尊厳性であると考えます。
50年前、私は在職中何度もこのようなことを経験いたしました。一例として公園緑地課長を拝命したおり、全国ではじめて公園の作業員として知的障害の人を数名雇用しました。
勿論、障害者団体からの推薦を経てでありますが全国から視察に来られました。受ける方として、大学で社会福祉を学んだ職員二名を配置したことは言うまでもありません。
その時のPR用として動画を作成いたしました。
「〇〇」に委託して作品が完成。試写会をしたとき、障害者の顔が映っていました。
私は何故ですかと「〇〇」に質問。保護者の承諾を得ております、との答えでした。
私は直接保護者に会いました。すると保護者は苦渋の顔をされて次のような言葉を出されました。「いつもなら家に閉じ込めている障害を持った子供を〇〇市に雇用していただいております。それゆえに記録映画に我が子の顔が写っていることに文句は言えません」と。
権力をもったものは知らず知らずのうちに、相手の了解を得ればそれでよい、との誤った感覚に陥るのです。
権力をもったものが第一に注意しなければならないことは、如何に相手の立場になってものを考えるかであります。
勿論、地方自治法の理念に沿って業務を遂行する責務を負っています。それは「地域住民の生命と財産を守る」ことの遵守です。
私は委託先の〇〇のとった判断について、深くお詫びを致しました。そして改めて誰かが分からない処置をほどこすことに笑顔で承諾されました。
 どのような組織であろうとも「組織の在り方を決めるのはリーダーの心」であります。
知識は学校に入り講義をきく、参考書など本を読むだけでも得ることができます。しかし、これは人間の信念とか行動力にはなりません。
知識というものにもっと根本的なもの、もっと権威のあるものが加わりませんと知識というものは役に立ちません。
それは何かと言えば見識であります。
頭の中でいくら豊富な知識をもっていたとしても、それだけでは人間の形成にはなりません。知識を身心の血肉化とする、すなわち「知恵」に深化させることにあります。これが「見識」です。
それを体得することによって、信念が確立され、行動力の原点となるのであります。
知識主義から,身心を通した「見識」とそれを支える「胆識」を鍛え、さらに「節操」を持つことが人間形成には深列かつ重要なものであります。
結論として、「人格を高めなければ人の心は動かせない」ということになります。

posted by 弘心 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月09日

誕生日のお祝いの言葉を頂いた方への 御礼の言葉

多くの方から小生の誕生日に嬉しいお言葉を頂戴いたしました。心から厚く御礼申し上げます。
父奥山喜峰から合氣武術、植芝盛平翁から合氣道、藤平光一先生から心身統一合氣道。日野徹叟老師(一九会)から人としての生き方。中村天風翁から心が身体を動かす原理。安岡正篤先生から陽明学…。
約75年にわたる教えを受けました。

その間、大学で都市工学を学びシビルエンジニアとして地方自治に参画。数多くの街づくりに携わって参りました。
特に人間を知るため、大学で原始仏教(釈迦が生まれて死後百年)
を学び、全て物事には,「真理」があることを知ると共に、釈迦が説いた「無常・苦・無我」を自覚いたしました。
その後の私の「合氣」には、大きな変化をみました。

植芝盛平翁の「我則宇宙」「我舞えば天地舞う」「わしの合氣は米糠二合持つ力があればできるんじゃ」の言葉の意味が自然に解けていきました。

そして、藤平光一先生の「氣の原理」に基づく合氣道…。

更には、安岡正篤先生から「知行合一」「格物致知」を学んだことは、その後の私の生き方を大きく変えることになりました。

全て「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」その真理を自覚することが、真の合氣を会得する一歩であります。

私の教室の方々に三年間説いてまいりました。心の変化が始まったことは言うまでもありません。
「道場」とは、釈迦が菩提樹の下で悟りを得たその場を言います。すなわち仏教語であります。
故に、私は道場とは人格の涵養の場、としております。

弘心館道場での修練はその為に存在するものです。
今後ともご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。

心身統一合氣道会弘心館道場
師範 奥山弘邇 拝
posted by 弘心 at 23:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月20日

物事の真理

舞鶴の限界集落に庵を立ててしばらくの頃の話。
その頃の思い出が走馬灯のごとく目に浮かぶ。振り返ってみた…。

平成十五年一月七日
「日本海側にいよいよ冬将軍がやってきた。
紅葉は落ち、草は枯れ、大地は霜により、持ち上げられている…これからが初心に帰る毎年恒例の禊である…。湧水で身を清め…新たな下帯をしめる…足袋と草履…襦袢、道衣、筒袴で身支度…。手作りの木刀と杖(毎年、我が山の木から鉈で作りあげる)が折れるまで「粗朶木打ち」と「立木突き」を…。たべものはとらない…神経が研ぎ澄まされ…感覚がひろがりを見せる…無駄な力が削がれ…太刀・杖と一体となり…體から邪気が抜け出るまで…日没とともに終わる…至福の時である」

こんな自虐的なことが数年続いた。今から見れば未熟なことを曝け出している。いくら肉体を鍛えても駄目であった。
心を鍛えることに気付かなければならない。今、想うと懐かしくもあり、悲しい想い出でもある。


そして、「何のために生まれてきたのか・今何のために生きているのか・心は何処にあるのか・心とは何か」を説いて二十年が過ぎ全てを知り得た…。

今、無常・苦・無我、という真理を知った時、心と身体は宇宙に解き放されている…。
皆さんとともに真の合氣道に向かって前進しよう。よろしくお願いいたします。
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2024年01月11日

令和六年度の事業


昨年は体調を崩し、六か月の治療をやむなくされました。
しかし、台湾台北教室の開設、宮津教室の開設と前進することが出来ました。
これも指導員の皆様、会員の皆様のお力添えによるものと感謝申し上げます。
さて、本年は飛躍の年として取り組んで参ります。その一つとして高槻教室は開設50周年を迎えました。舞鶴教室も20周年。

次の事業を実施いたします。
@「高槻教室開設50周年・舞鶴教室開設20周年記念表武大会」開催    
     日  時 令和六年十月十三日
     場  所 高槻市総合体育館柔道場
     内  容 日頃の修練の結果を披露  全国・海外の道場・教室も参加よろしくお願いいたします。


A「高野山夏季合宿」開催
     日  時 令和六年八月三、四日
     場  所 高野山大学武道館
     宿  泊 天徳院宿坊  講話 宮島阿闍梨(予定)

海外の教室にも参加要請をしています。
多くの参加をお願い致します。
posted by 弘心 at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新年にあたって

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年の重要な二つの事業について少しお話致します。

@ 記念表武大会  A 高野山夏季合宿について
心身統一合氣道会弘心館道場高槻教室は、開設して五十年。私が合気会で修行をして植芝盛平翁から段位を受けて指導を始めたのが始まりである。
1974年、合氣道高槻スポーツ少年団として発足。
当時は子供、大人を含めて約120人を指導させて頂いた。二組に分けておこなったが今から思うと大変苦労した。
高槻市立桃園小学校の講堂、高槻小学校の講堂。高槻警察の道場を借りての指導。
高槻警察の道場では、ある子どもが、警察署のトイレットぺーパーに小便をかけて回る子供が現れ警察署長から苦情が出て大変な思いをした。
特に高槻マリア・インマクラダ幼稚園の園児が大半を占めていた。
シスターのいうことを聞かない子供は「奥山先生の合気道を習いなさい」と送り込まれてきたのを覚えている。順番待ちの園児が多数いて苦慮したのも記憶にある。

1977年に「心身統一合氣道高槻スボーツ少年団」と改名。その後高槻スポーツ少年団を退会、現在に至る。
沢山の想いを経て今も高槻教室は続いている…。その教室の開設五十周年を舞鶴教室開設二十周年と共に高槻で開催させて頂く…。感慨深い。
是非皆さんの表武をよろしくお願いいたします。

当時の大阪合気会の合宿は、高野山の宝亀院で行われていました。弘法大師空海が衣替えをしたという井戸がある由緒ある塔頭である。
宝亀院には別棟の武道場(約百畳)があるために重宝された。田中万川氏(合気会師範)が中心となり通年実施されていた。
ある合宿で田中師範はグレーの袴をつけて手には扇子を以て指導されていた。
植芝盛平翁の真似をされたのだと思うが…受けを取る方が正面打ちを仕掛けたころ扇子で受けて扇子が真二つに避けてしまった…。目のやり場にこまったことがあった。
田中万川師範は大阪の合気道発展に大変尽くされた。植芝盛平翁からは、「…技はさておき、わしの精神的なものはよく学んでおった…」と話されていたのを覚えている。

高野山夏季合宿は、創めて何年にもなる…。宿坊は天徳院。道場は高野山大学の武道館にお願いしている。
宿坊天徳院は、前田利常の正室・珠姫の菩提を弔っている由緒ある名刹で、
小堀遠州作の庭園があり素晴らしい景色を有している。
修練は、高野山大学の武道館。
奥の院までの散策はいつも心を和やかにしてくれる。
さらには、歴史上の人物のお墓も多く、いにしえの物語を思い起こさせる…。
子どもを中心とした合宿では、夜の肝試しが好評でした。これも懐かしい思い出。
宿坊での精進料理は、日ごろの飽食にならされていることに懺悔の想いを知らしめさせてくれる。

弘法大師空海の生誕1250年にあたる年、この地に修練の場を求め建立した空海は、私たちに何を伝えようとしているのか…。
空海は、絶対主観・必死一心の想いをして、この山深い里で修行…。
高野山が今の姿となったのは、明治時代以降と伝えられている。
それまでは幽玄の地…修練の場として山の奥深くひっそりと佇んでいた…。
私たちは、日ごろの技を、この地に深く沈め残す心勤めを、この一日に託そうではありませんか。
posted by 弘心 at 12:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月23日

道場とは


合氣道で修練の場として、道場という言葉を用いている。
道場とは、その語源は…仏教語で、釈迦が悟った時、その座っている場を道場という。
道場によっては、様々な目的が定められている。

私の弘心館道場では、「争わざるの理」を学び、そして「人格の涵養」を図ることを目的としている。そのために一つの方便として統一道・心身統一合氣道を用いているのである。
藤平光一先生の心身統一の四大原則は、小乗的すなわち自らに課するもの。心身統一合氣道の五原則は、大乗的すなわち他に課するもの、として理解している。

藤平光一先生が書かれた誦句集に「…争わざるの理を会得したならば、人自ら我に従う…」とある。争わざるの理とは如何なるものか。
参考として、「猫の妙術」。これは山岡鉄舟が手放さなかった本。中国の弓の名人和昌の話、日本三大剣聖針ヶ谷夕雲と高弟小田切との立ち合いで,三度の「合抜け」。
ここから窺がえるのは技術面であり、人格に関わっている。
しかし、真理は別のところにある。

話は変わりますが、今の時点で一大関心事は、国の最高機関であります国会に所属する国会議員の裏金についてあります。嘘偽りを行い議員辞職…。過去には嘘偽りを繰り返して、命を失った総理大臣も。いずれも人間失格と言えるでしょう。
更に、ダイハツ工業の全車種の販売停止事件…。これも車の安全性に関わる検査項目の偽造です。ここにも嘘偽りの事例があります。

わが国の政財界の人心の荒廃は、行きつくところまで行ってしまった。

その原因は如何なるところにあるのか…。一言でいいますと、「素養」がないということである。
只、知識だけ詰め込んでいる人がいかに多いか…。知識を見識にして、胆識、節操…と華昇させることが大事なのだ。
四書五経までは言いませんが、せめて言志四録・呻吟語ぐらいは素養の一つに入れるべきであろう。

道場の責任を負う者は、それなりの覚悟が必要。学習塾ではないからである。
自らの人間性が多くの人心に影響を与えることを考えれば、素養の上にたった教養が求められる。
模範のテキストを見せて、その型を教えるだけであれば、「仏作って魂入れず」ではないか。
学ぶという字は、真似ぶ、まねぶからきたもの。真似をすることが大事である。
それは生きたテキストで…。以心伝心でなければならない。

因みに弘心館道場訓は、「四維」と「四患」を明記している。「四患とは、「偽・私・放・奢」この中に一つでも犯せば、自らを滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼす。四維とは、「礼・義・廉・恥」。
今回は「道場」という言葉から少し話を致しました。





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2023年08月28日

生きている意義について

私は次のように思慮いたします。「何のために生まれてきたのですか」、それは、幸せになるために生まれてきたのです。「今、なんにためにいきているのですか」、自分の幸せを求めると共に、他の人の幸せを望むために生きているのです。「幸せとは何なのですか」、それは心を清らかにすることです。「心を清らかにするとはどういうことですか」まず、原始脳で物を考えないことです。それは好き嫌い損得で考えないことです。そして礼・義・廉・恥に生きることです。さらには八正道をまもることです。次に利他の心・四無量心を得ることです。「心はどこにあるのですか」「心とは何なのですか」………弘心館道場へお越しください。お話しいたしましょう。
posted by 弘心 at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月26日

コメント

奥山先生のお父さんも武術家ですか?

そうです。私が三歳の時には、大阪市北区池田町八番地(今の天神橋五丁目)の実家は鉄工所を営んでいました。その時には既に八光流の師範でした。工員を相手に不思議な技の修練をおこなっていました。五歳から父に教わりました。

その後、東京支店ができて、昭和31年に東京日本橋高島屋の野外ステージで植芝盛平翁が初めて合氣道を公表しました。父に連れられて、みたのが 合氣道でした。その時の植芝盛平翁の技は凄いものでした。その技は今は見ることは出来ません。

そして父が亡くなる前に、邇心流合氣武術八段の允可とともに二代継承者として相伝を受けました。平成11年のことです。
父奥山喜峰、植芝盛平、日野撤そう、中村天風、藤平光一、安岡正篤先生学び現在に至っております。
posted by 弘心 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

常に前向き」という心の持ち方


齢八十三も半ばを過ぎた。振り返れば、合氣武術と心の持ち方を父奥山喜峰、植芝盛平翁、藤平光一(敬称略)、日野撤叟、中村天風、安岡正篤(敬称略)に学んだ…。
商売の神様といわれた松下幸之助氏は、中村天風に学び、後に自ら松下政経塾をつくり人材育成に努めた。
その松下幸之助氏が若かりし頃、大阪の守口で二股ソケットの製造の仕事を夫婦で営んでいた。商売が少しでも滞ると布団をかぶって寝ていた。それを妻が起こして天風会に送り出していた…。
それが後年、松下電器からパナソニック…と発展していったことは周知の事実です。天性の商才に、中村天風の説く「運命も健康も仕事も全ては人間の心の持ち方によるものだ。自らが主になれ」という言葉を実践された結果なのです。
また、のちに「京セラ」を世界的な企業にさらにはJALの再建、KDDの創設などを成し遂げられた稲盛和夫氏も物事の真理を会得されたその一人です。四無量心…利他の心を自らのものとして企業経営に成功された。
彼は企業には正義・大義がなければできない。物事に取り組む場合、一切の疑念を抱かない、人間として正しいかどうか、人生観・哲学を持つ…と説かれ「京セラフィロソフィー」として小さな冊子として、全社員が共有されていた…。
則ち「心が身体を動かす」「全て心に始まり心で終わる」「人生の目的は心を磨き、他に尽くすこと」その原理を会得されたのです。それを武術に活かすか企業経営にいかすか、人間としての生き方にいかすか。私が学んだ六人の師はそのことの真理を説かれていたのです。
「人生のすべては自分の心が映し出す」、この言葉を肝に銘じてこれからも歩んでいきたい。
posted by 弘心 at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする