2018年10月03日

Sさんへの書簡

秋冷の候、貴台におかれましては、益々ご清栄のことと拝察いたします。
過日は合宿にご参加頂き心から厚く御礼申し上げます。
又、心の籠った品を頂戴いたし恐縮に存じております。更には合氣武術などについて、様々な意見交流をさせて頂きましたこと御礼申し上げます。
私共の会員には、藤平光一先生の誦句集とともに、中村天風師の心身統一法、原始佛教、安岡正篤師の陽明学の教えなど、人間としての在り方、生き方を説いております。
「何のために生れてきたのか、何のために生きているのか…」この根本原理について理解することが最初となります。その上にたって、「心が體を動かす原理」「氣の原理」を学び理解することが求められるのであります。そして心身統一合氣道の理念は「争わざるの理」、目的は「自らの人格をつくる」ことに帰着いたします。
私の合氣道は、決して力で相手を崩したり、投げたりは致しません。そのためには、自らが完全なリラックスに同調する、そして相手を力で掴まない、軽く触れる、そして相手の心・氣を導くのです。すなわち行きたいところに行かせてあげるのです、行きたいところとは何か、天と地です。人は死ぬと體は地に戻り、エーテル体は天(宇宙の彼方に)に。宇宙の氣から生じた私達は又宇宙に戻ります。その意味は、相手の氣を真上真下(天と地)に導くのです。護手と攻手はその意味で基本技を用いて表武するのです。崩され投げられた攻手は、護手からではなく、何故、崩されたのか分からないまま自らが崩れるのです、ここには、護手と攻手と間には何の思惑もないのであります。相手に攻撃を仕掛けた者がひとりで打ちこんで、ひとりで崩れて転がっている…。ここに「争わざるの理」の一片があるのです。すなわち、「我即宇宙」「我舞えば宇宙舞う」「合氣は愛」という言葉が生まれるのです。
私は、生きていく上においての真理を求めています。それは「悟りを求める心」を発することが重要と考えます。真理の教えを聞いて「歓喜の心を生ずること」すなわち悟りを求める心は、人間にとって真実の喜びにつながると思っているのです。
慈悲心すなわち、四無量心の四つの心「慈・悲・喜・捨」は、計り知れない広大なものであり、これらがはたらきかける対象となる人々もまたはかり知れない(無量)ところから「四つのはかり知れない利他の心」と言われています。
この利他の心をもって、様々な苦しみや悩みを持っている人々を高いところから観るのではなく、苦しんでいる人々と同じ立場に立って共に苦悩し、共感して共に救いの岸を目指していく、という心のあり方を意味しているのです。このことを自らの心の原点にして、基本技を通じて自らの人格・品格の向上に邁進いたしております。
今後も機会がありますれば、お会いしたく存じますと共に、重ねてお礼申しあげます。                                  敬具
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2018年08月22日

夏の甲子園!秋田県立金足農業高校準優勝おめでとう!


夏の甲子園!金足農業高等学校準優勝おめでとう!!心からお祝いします。

私は、彼らの努力と様々な人達の支えによって成し遂げられた成果に心揺さぶられました…。
ここに、高校野球の原点を見た思いです。金足農業高等学校の野球部員の一人一人は、無名で過去の経歴は皆無です。その彼らが快進撃を行ない優勝は出来ませんでしたがすばらしい活躍をされました…。今大会での一番のヒーローと言っても過言ではありません。おめでとう!おめでとう!心から祝辞をおくります。

過去(昭和6年)の甲子園の大会で、台湾の嘉義農林学校が出場して準優勝(史実)で終わりました…。このことと重なり、涙が止まりませんでした…。

映画「KANO」当時の嘉義農林学校出場のあらまし
「1944年(昭和19年)、錠者大尉ら大日本帝国陸軍の将校たちは、南方の戦場へ向かうために台湾の基隆駅から、台湾南部へ向かっていた。錠者は同行者に「嘉義に着いたら起こしてくれ」と言って、しばしの眠りにつく。

1931年(昭和6年)夏、甲子園球場で行われた第17回全国中等学校優勝野球大会の開会式に、錠者は札幌商業のエースとして参加していた。日本本土の学校だけでなく、大連や京城といった外地の学校のプラカードも見える。そこに交通事情から遅れて参加してきたのが、嘉義農林学校野球部の選手たちであった。

物語はさらに1929年に遡る。のんびりしたチームの「嘉農」野球部は当然連敗続きであったが、新任監督として迎えられた日本人の近藤兵太郎によるスパルタ式訓練により、部員たちの心には徐々に闘争心と甲子園出場への夢が芽生えていった。近藤は日本人のみを贔屓することなく、守備に長けた日本人、打撃に長けた漢人、韋駄天の如く足の速い高砂族の選手たちのバランスの良いチームを作り上げていく。また、かつて近藤が指導し、その指導に萎縮した松山商業と比べ、嘉農の選手たちが伸び伸びとプレーする姿は、近藤自身を成長させ、チームに対する愛情を深めていくのだった。

少年たちは日本語で教育を受け、日本語を話した。しかし街や仲間内では台湾語を話した。日本の統治下にある街には日本語と漢語があふれ、近代化整備が進みつつあり活気に満ちていた。一方で、農村は治水対策が不十分で、台風のたびに甚大な被害を受けていた。エースピッチャーの呉明捷(愛称は”アキラ”)は山陽堂書店の手伝いをしており、店員である静に憧れを寄せていた。しかし静はやがて台中の医師と結婚して嘉義を去る。アキラは爆竹を燃やして彼女を祝福しつつ寂しげに見送る。

当時、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会へ出場するのは、決まって日本人のみで構成された台北一中や台北商業であった。当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。「一度も勝ったことがない」チームの快進撃は止まらず、勢いに乗って全島優勝を果たす。台北から凱旋した選手たちは町中から大歓迎を受ける。しかし選手たちは、当時のアジア最大の水利事業であった嘉南大圳完成を知るや、パレードを中断して用水路へ向かう。水が満ちていることに感動すると、視察で用水路を下ってきた八田與一に会い、優勝を報告するとともに、八田から激励を受ける。

迎えた甲子園大会、下馬評では弱すぎて本土のチームには相手にならないのではと危惧されていた。甲子園球場に来た嘉農の選手たちは、「甲子園の土」の質の良さに感動する。初戦の対神奈川商工戦では、3-0の完封に抑え、一躍注目チームとなる。その様子をスタンドから見ていた錠者は、激しく動揺する。マスコミからの取材を受けた嘉農の選手たちには当初「日本人の子は手を挙げて」「日本語は理解できるのか」等と偏見の眼差しが向けられる。近藤は民族を問わず「同じ球児だ」と反論し、生徒たちを守る。

準々決勝の対札幌商業戦は、19 - 7で圧勝。試合中、札商ピッチャーの錠者は茫然自失となり、自分でも理解できないうちに自らマウンドを降りてしまう。

再び、1944年。錠者大尉は、嘉義駅での大砲の積載に時間がかかることを確認すると、嘉農の練習場へ向かった。あの時の彼らの強さの原点は、何だったのか。街には第二次世界大戦中の大日本帝国領として戦意を高揚させる垂れ幕があふれていたが、かつてのような活気はなかった。錠者は、荒れ果てた練習場のピッチャーマウンドに立つ。

準決勝の対小倉工業戦も、10-2で圧勝。魂の篭もった姿勢と素晴らしい強さは本土の野球ファンをも魅了し、応援するファンも増え決勝戦では超満員の観衆が甲子園に詰め掛ける。そして決勝の相手は名門中の名門、中京商業[6]。

地元の嘉義市内ではラジオ中継に熱中し狂喜乱舞する市民たち。静も出産したばかりの子供と共に嘉農を応援する。日本中だけでなく台湾でも大勢のファンが固唾を呑んで見守る中、その試合が始まる。しかし、アキラの指は限界を迎えていた。試合中に出血したアキラを近藤は降板させようとし、チームメイトとともに激しい意見が交わされる。結局、アキラは続投するがフォアボールを連発し、押し出しで得点が入ってしまう。そこに守備の選手たちが「俺たちが守るから、敵に打たせろ」と叫ぶ。ベンチの選手たちはアキラの応援歌を絶唱する。結局、中京商の吉田正男に完封に抑えられ、優勝はできなかった。しかし、嘉農の最後まで諦めない奮闘ぶりは日台それぞれの人々に強い印象を残し、スタンドにいた錠者は健闘を称えて「天下の嘉農」と絶叫する。その声はどんどんと大きくなり、やがて観客席全体から響き渡るのだった。

負けても泣くな、勝っても泣くなと指導された選手たちも、「僕たちはいつ泣いたら良いんですか?」とついに号泣する。選手たちは、準優勝盾と甲子園の土を手に、船で台湾への帰路についた。船上ではしゃぎながら野球をする選手たちの前に、やがて懐かしい台湾の地が近づいて来る。

エンドロールで、近藤や選手たちのその後が紹介される。ある者は日本の野球界で活躍し、ある者は台湾で野球の普及に貢献した。そして、ある者は第二次世界大戦(太平洋戦争)で戦死したのだった。」
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2018年08月14日

ものごとの成就

物事の成就
私の道場では、誦句集の唱和のあとに、「心の法則」に関する話を致します。その中の一つに次の様な話があります。
「人は何かにつけて達成しようとする意志が働きます。しかし、そのことが十分理解できているのか、については明確でない場合が多々多いのが通常です。
なぜできないのか?簡単なことです。心のもちかたを変えていないからです。では、どのように変えればよいのか…。

先ず意識を変える、すると行動が変わる、つぎに習慣が変わる、性格が変わる、人間が変わる、人生が変わる、即ち運命が変わる…。最初の一つをよい方向に変えることにより、運命を変えることが出来るのです。
これが立命学です。私は師、安岡正篤先生に徹底的に教え込まれました…。今思うと感謝で一杯です…。」

話は戻りますが、道場でこのことも幾度となく言葉に出して言い続けてきた経緯があります。しかし、その時は頭で分かった、と思う…だが馬耳東風、馬の耳に念仏…の様相に陥っている…。試しに、話終わった後に尋ねます…、「今、私がお伝えした話はどのような内容でしたか?」「………。」
これは、頭で考えようとするからできない。感覚でとらえることです。
いつも「理性の脳」を使う訓練をしなければなりまません。このことの説明は後日にいたします。

 皆さんに一つのことを伝えます。「氣づき即行」という言葉です。私達は、無意識のうちに、自らの心が意志力を生じさせて、今、一瞬一瞬の事象を眼の表象でとらえて意識づけしています。まず、このことを自覚してください。

 そして次に、意識したものを行動に移すのです。例えば、「履物を揃える」というたった一つのことを意識した時、即時に行うのです。自らのものと、さらには他の人のもの、多勢の人のもの…と広げていきます。それを習慣づけします。たったこの一つの行動が、あなたを大きく変えるのです…。

 意識付けが早くなり、行動が早くなり…。これが他の行動にも影響を及ぼすのです。例として、合氣道が上手になりたい…との想いがあるとすれば、その想いに大変な影響を及ぼすのです。合氣武道は、一瞬の心の動きが、生死をわけることに繋がるのです。
日常的に、のんべんだらりとした決断力のない生活をしているものが、幾ら道場に来て修練を積んでも、成就は程遠いものになるでしょう。

 ここにも「こころが體を動かす」原理が働くのです。
そして、一つのことの意識付けが出来たなら、又、次のものに移していきます…。
合氣武道のことを一つの例にとれば、次のことを自らに課することにより、成就(達人となる)することは間違いありません。
それは、五段階を自らに昇華させることです。
一、自らの體の全ての部位を完全に力を抜いてリラックスさせる。
二、こころの動き、氣の動きなどを一瞬、先に感覚で読み取る。
三、自らの體のすべての部分の動きを體に自覚させる。
四、技の基本の動きを数百万回、自らのこころの宝庫であるアラヤシキに入れる。
五、アラヤシキの潜在心が現在心に導かれて無意識に出る…成就である
posted by 弘心 at 15:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月13日

戦争体験

私は今78歳です。戦争を体験しています。確か昭和18年から20年にかけての大阪大空襲を眼の前にしました。
昭和18年頃だと思いますが大阪北区の今の天神橋五丁目の自宅から、大八車に家財道具を積んで、約30kmの道を母と共に歩いて高槻の疎開先へ行きました…、その時、長柄大橋の下には、沢山の方が折り重なるようにして死んでいました…。
その光景が今もフラッシュバックとなって時々眼に浮かびます…。

疎開先の小高い畑に妹と一緒に居る時、B29の爆撃機が編隊を組んで飛んで行くのが見えました…。夜中にもかかわらず、大阪方面の空襲の火は実に真近くに見えるのです。真っ赤に燃える巨大な炎と、上空からパラパラ(焼夷弾)と火の塊が降り注ぐの見ていました…。
さらには、桧尾川(高槻市五領村)で泳いでいると、二機のグラマンが低空飛行して機上掃射をしてくるのが眼にして、慌てて潜って逃げた想い出もあります…。
今振り返ってみますと、その時の気持ちは今の私には思い出すことが出来ません…。空襲が終わった後、歩いて母と自宅(工場)を見に行きました…。焼け野原の中に、鉄の支柱とプーリーが風に揺られてカランカランと音を立てているのが今も耳に残っています…。

 貴台が提起された原爆投下後の少年の写真から見えるのは、一つの言葉で表現することは出来ません。
日本の近代史を分析することも必要ですが、この独りの少年の精神性の強さに心動かされます。
唯、何の罪もない独りの少年に残酷な想いをさせたその時代の大人たちに云いようのない怒りがこみ上げてきます。
二度とこの様な苦しみ・悲しみを、未来を担う子どもたちが受けることのない社会造りに私達は注視しなければなりません。

戦争のために、私達の家族は幸せとは程遠い生活と家族の不幸に見舞われました。
戦争さえなかったら、母や妹…いや全ては、今とは異なった社会に住んでいたのではないか…。母の想像を絶する苦労もなかったのでは…などと思います…。母には、出来る限りのことを致しましたが、今ももっともっと親孝行をしておけば良かった…と少なからず後悔する毎日です。
如何なる戦争も否定します。
今、日本は少しずつ変な方向に向いているように思えてなりません。

人間は一つの行ないからも、ものごとの真理を見ることが出来ます。
幼少の頃から教わってきた武道…合氣道の「争わざるの理」と言う理念は、全てに通じるものであります。真の理を独り独りがどの程度まで理解されているのでしょうか…。
posted by 弘心 at 16:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人造り、組織造り、国造りの原則

 以前にも書きましたが、国造りの原則として掲げるのは、自らをつくり、組織をつくり、国を創るのは、「四維」すなわち「礼・義・廉・恥」であります。
礼…国や人でも、その働きが正しい秩序を保ち、美しく調和していることである。
義…礼を支えるものが、自己の意義や使命を社会的に果たしていくという意味の「義」である。この「義」は、自己の利益を求める「利」で    はない。「利」は、利己であり、私であって、社会や国という全体に立つ姿ではない。
廉…国や社会のためという全体の仕合わせに立つには、自分というものを無にして奉仕すること。即ち、無私になるということである。こ    れが「廉」である。
恥…以上のような精神に立てば、自分勝手で利己的な姿は、全体的な「公(おおやけ)から見れば、深く恥じなければならない。これが     「恥」、「恥」を知ることである。
このような礼・義・廉・恥は国家として最も大切なことであるが、それは同時に人としても大事なことである。

 それ故に自分を造り、人造り、国造りに全ての根本となるものは、精神的な原理・原則となる「四維」に基づかなければならないのである。換言すれば、国の指導者たる者は、この「四維」をしっかり踏まえて実行していれば、人造りという教育をしっかりと根をおろしたものになる、といえるのである。
 私の師、安岡正篤先生は、功利に走り、便利さに氣を奪われて、人間というもののあり方、生き方を見失ってしまっていることにいち早く氣付かれて、私たちに警鐘を鳴らされていた。私はそのことを徹底的に叩き込まれました。今は亡き師に感謝で一杯である。   
posted by 弘心 at 15:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日の言葉

今日の言葉
「生活のなかの行いすべては、心の浄化(悟り)に繋がっていることを自覚しよう」
日々の行いすべてを正しく行って、真の幸せと心の浄化(悟り)を目指すのが、正しい生活です。「正しい」というのは、心と體が落ち着いていて、力強く、愛にあふれ、恐れや不安等が無い状態を言います。好き嫌い、善悪などで区別、判別することではありません。
その中には、人を傷つけたり、恨んだり、盗んだりするのではなく、自分の心と體を、いたわり思いやりをもって、丁寧に扱うことなど、すべての「正しい行い」が含まれています。
ものの見方、心のつかいかた、體のつかいかたが、今どんな状態なのかと氣かつかなければなりません。そして意識を覚酔させるのです。それは日常生活、あるいは仕事を通じて行います。
心身を汚さないように正しくつかっているか、見つめ汚れていれば反省をして見つめ気づいて、正しく使うよう‥。
そのためには「氣の統一法・氣の呼吸法即ち「瞑想」をし、内観を整え浄化して、積極的によいエネルギ―を充満させること継続して行うことが一番重要です。
posted by 弘心 at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

高槻市立寿栄小学校のブロック塀倒壊事件について

高槻市寿栄小学校は、昭和三十年後半から五十年代にかけて高槻市が人口急増都市としての時に、多くの学校が造られました。その時に造られたものではないか?と推測致します。阪神淡路大震災以前のものでしょう。その頃はあまり耐震構造としての考え方がありませんでした。多分最初はネットフェンスであったように思います。その後にブロック塀に…。しかし、高さ1,6mのプロック塀については、構造的には最低、基礎コンクリートは底辺0,5m高さ0,8m天端0,3mの重力式、地盤支持力に応じた基礎グイの設計が必要です。主鉄筋として異形鉄筋16mmを30cm間隔に配筋、根入り60cmは必要です。更には基礎コンクリートからのブロックは三段目までは巾20cmのものを積み上げ、間詰めコンクリートは全空洞に施すべきです。当然配力鉄筋も、二段毎に異形鉄筋13mmを。そして応力計算(設計外力に対する安定計算)をすることです。控え壁も設置するが、場所、条件によってはそれだけでは実際は安全ではありません。特に控え壁については、外からの外力について有効に働きますが内側から外に向かっての外力には問題があります。さらに控え壁とブロック塀との接合部においては控え壁とブロック塀の主筋と配力筋との接合を充分行なうことが重要です。ブロック塀については、構造計算まで行なうことは少ないと思われます。私は在職時代にはシビルエンジニァとして多くの道路橋梁その他の土木構造物、さらには木造建築、高層建築物を計画、設計・施工を担当致しました。その経験から申し上げました。簡単に工務店に依頼されますことに少し危惧致しております。まず、設計コンサルタントに依頼されることを望みます。
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2018年06月06日

第35回関西地区心身統一合氣道体技発表会における挨拶

只今ご紹介頂きました大会委員長の奥山で御座います。一言御挨拶申し上げます。
本日は、発表会の為に多くの方の参加を頂き心から厚く御礼申し上げます。又、今回のために多くのご尽力を頂きました方々にも重ねて御礼申し上げます。
 最近、我が国の状況は、政財界だけでなく宗教団体までも「偽」を巡っての問題が惹起しています。(政治活動資金不正使途、大手企業の粉飾決算、データー改竄、政界を揺るがすモリカケ問題、スポーツ界のハラスメント、芸能・宗教界における不倫問題など)日本人としての精神はどうなっているのか…、全て我が国の教育に問題があると言えば、日大アメフト部の試合中の行動から考えられないような現状が暴露されました。
たった一つの言葉「偽(四患…偽、私、放、奢)」。すなわち、嘘をつく、偽るということが人間として最低の資質を表していることを何故解らないのでしょうか。子どもの頃、両親から「嘘は泥棒の始まり…、うそをついたら閻魔さんに舌を抜かれる…」と言われて育ちました。一国の総理大臣までも嘘をつく…最早、日本人の精神は由々しきところまで来ていると言っても過言ではありません。
さて、私達は心身統一合氣道を通じて多くの人達との交流を図っています。心身統一合氣道の理念は、「争わざるの理」そしてその目的は「人としての人格を造ること」にあります。
今、合氣道は、世界の140カ国、約650万人が学んでいます。リトアニア、インドネシアなどまだまだ広がる勢いです。
なぜ、拡がっていくのか…、試合が伴わない、言語が異なっていてもお互いに通ずる何かが存在する…。これは合氣道には、深い精神性が内在しているからであります。それはお互いの信頼と愛があるからでしょう。
今一度、何故、合氣道の修練をするのか…について考えて見て下さい。
今日は体技発表会です。日頃の修練の結果を見せて下さい。この場は勝ち負けを競う場ではありません。ましてや、相手に勝とうとしてはなりません。勝とう勝とうと、思うことが即ち相対的世界に自らを置いているのです。
只、「負けない」ということだけを研究するのです。合氣道の表武など小さな小さなことなのです。
なぜ、何のために生れて来たのか…、これから何処へ向かおうとしているのか…、何のために生きているのか…。
今一度この思いに振り返って見て下さい。全てに「負けない」という心もちになる為には…、何をどうすれば…どう生きればよいのか…。
皆さんのご健闘をお祈り致しまして、ご挨拶とさせて頂きます。
有難うございました。
posted by 弘心 at 17:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

書簡

あなたからのメールを拝見しました。あなたの質問にお答えします。
合氣道創始者植芝盛平先生は、大東流合氣武術の武田惣角から合氣武術を学ばれ、独自の工夫を重ねて完全に力を抜く(リラックス状態)ことを悟られました。そして合気道を確立されたのです。
1969年に植芝盛平氏は亡くなりました。
藤平光一(合氣道最高位10段)先生は、それまで「財団法人合気会」の理事と合氣道全国師範部長をされていました。そして世界21カ国に合気道を広められたのも藤平光一先生です。
藤平光一先生は、心身統一法・禊修業を通じて、「心が身体を動かす」原理と「リラックス」を悟られて、真の合氣道を確立されました。植芝盛平先生と同じ悟りを会得されたのです。
植芝盛平先生が亡くなられた後、合気道の基本的考え方について、二代目道主植芝吉祥丸氏と藤平光一先生と話し合いが行われました。植芝吉祥丸先生は、「合気道は人の氣に合わす」と言われました。
藤平光一先生は「合氣道は天地の氣に合する道である」と説かれ合氣道から「氣」を取ればそれは合氣道ではない、と言われました。
合氣道に対する考え方が基本的に異なるため、藤平光一先生は同じ道を歩むことは出来ないと決心され、1974年に財団法人合氣会を辞められました。そして「心が身体を動かす」原理を学ぶ「心身統一道」と真の合氣道即ち「心身統一合氣道」を伝えるために「心身統一合氣道会」創設されたのです。
藤平光一先生は今までの合氣道の技を整理されて、合氣道の真髄を心身統一合氣道として30体技として纏められています。
武田惣角から植芝盛平そして藤平光一と伝えられた真の合氣道は、
現在、藤平光一先生の子息、藤平信一氏が藤平光一先生から苛酷で厳しい指導を受け、二代目道主として、国内外に心身統一合氣道の普及のため、
活躍されています。
私は合気会では三年で三段になりましたが、真の合氣道を学ぶため
藤平光一先生か合気会を辞められた1974年に、合気会を辞めて藤平光一先生に師事いたしました。合氣道歴は今年で73年になります。現在、海外(台湾)担当師範(七段)として、台湾へ10年間指導。台湾教室ができています。私達の合氣道は、「氣」の原理「心が身体を動かす」原理を心身統一道・心身統一合氣道の技で学びます。
以上、一般社団法人心身統一合氣道会の概要です。宜しくお願い致します。
合気会の技とは、根本的に違いますので、初めから学んで下さい。合気会との関係は、当面の間はそのままで結構です。心身統一道と心身統一合氣道を学んでいきますと、真の合氣道のことが理解されます。その時点で、どちらかに決心されることが必要となります。一度、お越しください。見て頂くと良く判ります。
posted by 弘心 at 21:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月02日

日本精神について

日本精神(リップンチェンシン・受け継がれていく日本の言葉と心)とは
李久惟(ジョー・リー《孫世代》)(1975年、台湾・高雄市生まれ。東京外国語大学卒。専門は語学教育、歴史、比較文化。30言語以上を学習し、15言語以上を話すマルチリンガル。多言語多文化研究会代表、次世代グローバルリーダー育成の会主宰、拓殖大学客員教授。日本李登輝友の会理事。常に海外・日本国内各地をとびまわり、語学講師の指導。企業や各種団体に広義とセミナーを行う。通訳として台湾新幹線プロジェクト、野球国際大会、(オリンピック予選、コナミカップ、映画祭(沖縄国際映画祭など)東日本大震災では、台湾と日本の双方各地にて震災支援活動を行い、義捐金活動をいち早く呼び掛け奔走した1人。日台親善の次世代を担う日本精神を受け継ぐ台湾人。)氏が台湾の祖父母から受け継ぎ自分なりに感じたものをまとめられたものです。日本精神のエッセンスとして62項目を書かれています。その中から30項目を紹介。
〇きめ細かなおもてなしの心
〇和をもって貴しと為す(聖徳太子の十七条の憲法の精神
〇見返りを求めない利他の心と無償の愛
〇責任感が強く、任務を最後まで完遂する根気と強い精神力を持つ
〇自分の仕事に誇りを持ち、皆のために一生懸命である。
〇世の中に必要とされる万業を興し、技術を磨くことを怠らず、さらなる発展ための開発・発明を絶えず続ける。
〇魂を込めてものづくり。
〇自然万物、そして人がつくったものにも魂が宿ると信じ大切にする。
〇礼儀ただしく、高い道徳心がある。
〇進んで公益となることをおこなう。
〇マメで律義で勤勉
〇如何なる困難にも負けず乗り越える不屈の威信
〇悪しきことを正すという正義感にあふれている
〇他人にも春風の如く暖かく接し、成長のために自分(または身内,数え子)には、厳しくする。
〇自然万物への愛と感謝する心
〇八百万の神の信仰
〇幼き弱きものへの慈しみ
〇すべてはひとつ、大いなる和の世界、宇宙のすべては一元、八紘一宇
〇大自然との調和を大切にする、ビッグハーモニー
〇美と知への飽くなき探求心、飽くなき自己研鑽
〇全体を見渡せる俯瞰力、細部に至る洞察力、ひとつにまとめあげる達観力
〇神や目に見えぬ存在への畏敬の念
〇自分の祖先・ルーツに誇りを持ち、代々それらの思想と伝統文化を受け継いでいる
〇親孝行で、家族、友人を大切にする
〇特に人の教育を大切にし、幼児の早期教育に力を入れていた(江戸しぐさの「三つの心、六つの躾、九つの言葉、十二の文、十五理、それで末決まる」を受け継いできた)
〇三つ子の魂百まで
〇ときに、「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)」をよしとする
〇許す心を持ち、善も悪もすべてを受け入れる懐の深さがある
〇純粋・純真・純情
〇古来の伝統、自分の決めたこと、自分の信条を頑なに守り通す
〇一期一会、一瞬一瞬というほんのひと時でも大切にする
                                              以上
posted by 弘心 at 23:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする