2023年06月04日

今日の言葉


「部下が、一生懸命仕事に務めていたなら、上の者はよく励まし、誉めてやることだ。ときには妥当性を欠く場合があって、もしばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。決して頭ごなしに押さえつけてはならない。押さえつけると、意欲を失って、萎縮し、それ以後は真心を尽くさなくなってしまう。」


この言葉は、安岡正篤先生から学んだ。先生は佐藤一斎先生が書かれた「言志四録」から教示頂いた。
余談であるが、俳優の高倉健の自伝に「あなたに誉められたくて」(林泉舍)という本があったが、彼は母親褒められたくてこれまで頑張ってきたことを告白している。

人は誰でも誰かに「褒められるため」生きているのである。
そのようなことが分からない、理解できない一部の方が存在する…。
自分の思い道理にならないと、相手に罵詈雑言を浴びせる指導者…。
悲しいことである。
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2023年04月06日

合氣武道と出会って75年…。であい、わかれ、旅だち…。


年度の終わりそして新しい年度の始まり…このころになると、今まで共にしてきた友人、知人、なかまといわれてきた人とのわかれ・たびだちなど様々な場面を見てきた…。
合氣武道といわれているものとの出会い…75年が過ぎた。
今一度振り返ってみた。

子どもクラスでは、突然奇声を上げて道場を走り回る…。まったく人の言っていることを聞かない…。目が定まっていない…。など大変苦労したが、子どもの心臓と血管との関係、脳と手の関係を理解すると納得することが出来た。
更には、古代ギリシャ・アテネの教育との出会いは、私を子どもに対する見方を大きく変えた。
さらに分かったことは母親と子どもとのコミニケションが上手くなされていないこともわかった。家庭教育が崩壊している傾向が強い。

大人クラスでは、自分中心で相手を無視。注意すると、「やってるつもりです」との答え。人の話には、目を合わせない。視線が下を向いている。
無関心…。自ら感覚でとらえようとすることができない。知識の教育を叩き込まれたため、頭で考えようとする。武道は無意識の教育である。
山本五十六も手を焼く。今、思うと発達障害といわれる範疇に入るのであろう

これらに対して、根気よく助言し、観察をしてきた…。今まで述べ約五万人の方との出会いの中で、特徴的には、最高学歴(大学、大学院など)の人ほど、その傾向が見られた。中村天風、安岡正篤先生の「人間としての生き方」などとは、無関係なのである。東洋哲学などクソくらえである。
武道を学ぶ、武道を伝えるとは如何なることなのか…。最早,学習塾の範疇となり下がった感がある、と思うのは私だけであろうか…。

さらに、武道を指導する指導者と称する人たちはどうか…。〇段、師範と言われている人ほど、お分かりにならない人が少なからず存在する。
師範といわれ審査を担当する高段者。私の道場・教室で長年努力して、やっと昇段試験にたどり着いた…。明日試験という時の事前講習会で、考えられない罵詈雑言を浴びせられて、「先生、私はあの方の人間性はついていけませんので本日でやめます…」。何人もいました。残念で仕方がない。
その中の一人は、今、国の機関で宇宙関係の仕事についている。小学生の時から始められて、素晴らしい青年に成長された…。しかし、今も心に傷を負っている…。
一番残念なのは、指導者本人に自覚がないことである。

今は心身統一合氣道会がリスクマネジメントなどを制定して、表面上は無くなったように見える…。しかし、指導者の心の問題はそう簡単にかわるものではない。よほどの自己改革の努力、心底から問題解決のための努力が為されなければ解決には至らないであろう。

「物事の真理を知り、知識主義を棄てて、見識を育てよ」この言葉は、師安岡正篤先生から何度も言われてきた。
「知識というものは、それ自体では何の役にも立たない。頭の中で、いくら豊富な知識を持っていたとしても、それだけでは人間の形成にはならない。知識を心身の血肉化とする、つまり「知恵」に進化させることである。これが見識であり、それを体得することによって、信念が確立され、行動力の原点となるのである」 と。

私は三年間、修練の前に「心の問題」を説いてきた。今年三月で終了。
残念ながら理解して大きく変わられた方と、まったく無反応の方とに分かれた結果になった。
「人生のすべては自分の心が映し出す」「もっとも深い心は宇宙へと通じる」
一番印象に残った言葉です。

(弘心館道場では、又、百誦会を再開します。そこで「心の修養を基礎とした人間精神の再形成」のための集いです。関心がありますればご参加ください)
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2023年02月19日

四十五年前…藤平光一先生との合氣談議


藤平光一先生がご家族三人で高槻市の私の家に来られて、一泊していかれました。その時深夜まで合氣道の話をしていただきました。特に印象に残ったものを紹介させて頂きます。

「わしは、外国人を相手の場合、体格の差です。それをカバーする為に、筋肉をつけるために器具を用いての鍛錬をした。しかし、後になって間違いと分かった。結果微妙に動きが遅くなったことが分かった。体を鍛える必要はないのです。逆に体を柔軟にするのがよい。体に筋肉をつけてもほっておけば直ぐに元に戻る…。必要なのは「心を鍛える」ことだった。そのために座禅や禊修行などあらゆるものに挑戦した。その結果、心は鍛えれば鍛えるほど強くなり、元には戻らないことが分かったのだ…。それらの修行で力を入れることではく、逆に力を抜くことが大事だと…。そして力を抜くと「氣」がでることも自覚した…。」この言葉は一番印象に残っている。

私が合気会での稽古で植芝盛平先生が口癖のように語っておられた言葉がある。「わしの合氣は、米糠二合持つ力があればできるのじゃ…だからおなごでもできる…。」と。すなわちこの言葉は、強い力はいらん、ということであった。必要以上に肉体を鍛えることはしない。主は心にある、と。
さらに、「今の武道には心がない」植芝盛平先生言いたかったのは「心」だった。

藤平光一先生は、心身統一合氣道の四大原則を創られた時のことを話されました。そのなかでも「氣が出ている」このことは、心で氣が出ていると思いなさい、それでよい。私はそれでは質問をさせて頂きました。一つは「「心は何ですか」と質問をしました。
すると、「體の密なるを心といい、心の疎なるものを體という」と説明されてそれ以上の話はありませんでした。
臍下の一点の意味…、リラックスの意味…などこの言葉を生み出すまでの苦労について語られました。
最後に合氣道の極意は「力を完全に抜くこと」「心を知り鍛えること」そして心身統一合氣道の五原則の話をされました…。
そのことはまた機会をみてお伝え致します。

「心とは何か」この言葉がその後、私の心に強い影響を齎したのです。
私は人間を知るために、仏教関係の大学で、四年間原始仏教を学びました。
高価なサンスクリット語辞典を買い、釈迦が生まれて死ぬまでを説いた原始仏教を一から勉強しなおしました。

そして藤平光一先生の説かれる「臍下の一点に心を静める」とはいかなることか、ましてや「心とは何か」、このことが分からなくて心身統一の四大原則は自らのものには出来ないと…。
更には、中村天風先生の一言、「心が身体を動かす」意味などその真理はわからないのではないか…。

十年の月日が流れました…。そして運命的な出会いをさせて頂きました。
スリランカ上部座仏教・長老と呼ばれている人です。

その時から「心とは何か」が、霧が晴れるように私の心に入りました。
この続きは、また機会がありますればお話致します。

最後に「自らの人生は、自らの心が創る」「すべて心で始まり、心で終わる」
という言葉を…。
(文責 心身統一統一合氣道会師範奧山弘邇)
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2023年01月11日

御挨拶

新年明けましておめでとうございます。
新玉な年を迎え、一言ご挨拶を申し上げます。
旧年中は色々とご指導ご教授を頂戴いたしましたこと心から厚く御礼申し上げます。
さて、私たちを取り巻く世界情勢は、大戦から78年経た今同じ轍を踏もうとしています。特にロシア、中国、北朝鮮、アメリカの動向…愚かなことです。私は、中満 泉国連事務次長が、遡って「レーガン・ゴルバチョフの対話」を大きく評価されていることに関心を持ちます。対話による外交こそ世界人類の平和に寄与される一番の武器だと考えるからであります。
日本においても敗戦による不戦の誓い、憲法第九条の精神について大きく揺らぎ始めています。私たち一人一人が冷静沈着に判断・行動することを望みます。
次にわが国の経済についてであります。世界第二位の経済大国から陥落。大學の順位にも大きく下落。貨幣価値も…。それでは我国経済浮上の鍵は如何なるものが考えられるのか、私は緻密な頭脳を持つ日本の若者に期待するものです。
すでに台頭している企業、グローバルニッチトップ(3つの英語を組み合わせた和製造語)企業です。その狙いは「隙間の市場・オンリーワン・世界を相手」として大きな成果をあげています。
具体例として、軽量素材で航空機逆噴射装置とその部品を作る会社です。世界の95%シェア、8割が手作業、その収益は2011年50億、2021年180億…。
まねのできないモノづくりに、希望と大いなる期待を致します。
次に、わが国の政財界、宗教界、教育現場における人心の荒廃は、目に余るものがあります。このような時代にあって、日本精神を伝統としての武道、心身統一合氣道を通じて、どのようにして人心を目覚めさせるのか…。本会にその精神を問われるのであります。
私は道場とは、「人間としての生き方を極める場」と位置付けました。
心身統一合氣道の目的が「人格の涵養(自然に水がしみこむように徐々に養い育てること)」にあると認識するとき、本会の責任は深遠なるものと思慮するものであります。
一長一短には成就するものではありませんが、時間をかけて押し進めていくことが肝要と思っております。ご指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
令和五年一月吉日
                     京都府舞鶴市字久田美1618番地
                      心身統一合氣道会弘心館道場
                         奥 山 弘 邇
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2022年12月15日

限界集落移り住んで二十年…新しい出会い

地元の中学校生が「校区の皆様をお伺いして学ぶ」として位置づけて、高齢者宅を訪ねて、話をするというもので、訪問を受けました。
その時のお礼状です。教育は家庭教育・地域教育・学校教育の三つから成り立つものですが、近年に至っては地域教育は崩壊しているといっても過言ではありません。その中でこのような取り組みは素晴らしいものと言えます。


令和4年11月29日
舞鶴市立加佐中学校
校長 福 本 浩 介 様
舞鶴市字久田美1618番地
奥 山 弘 邇拝

花いっぱい運動について(御礼と報告)
 
霜寒の候、貴職におかれましては、益々ご健勝のことと拝察いたします。
日頃は舞鶴の学校教育に精励されておられますこと厚く御礼申し上げます。
さて、この度、事前にハガキにてご連絡を頂戴し11月16日に標記のために貴中学校の生徒3名が来られました。
質問を受けました。「中学時代クラブは何に入っていましたか」でした。私は「文芸部」で日本の国語の基礎をつくった夏目漱石が書かれた本や島崎藤村の詩など…と答えたかったのですが「えぇー文芸部?」と言われてその先がとまりました。今の中学ではそんな部はないのではと思いました。
何が質問ありますか?と私から問いかけましたが、なさそうなので、私から大阪市北区天神橋五丁目で生まれ、父が営む鉄工所と家は大阪大空襲でまる焼けになったこと、戦争を体験したこと。戦争で高槻市に疎開したこと、現在は人口36万人ですが当時は約10万人であつたこと。1947年五領小学校に行ったこと、「まちんどの子」といわれて虐められたこと…など話を致しました。
しかし、勉強して一番になったのと身体が大きくなったことで、虐められなくなったこと。高槻第一中学校、高槻第二中学校の二校しかなく、私は第一中学校へ…クラスは13クラス、一クラスは45人であったこと…。そして東京の大学で都市工学を学び高槻市に奉職。都市計画、都市再開発事業、都市計画道路など大きな事業を手掛けて、2000年退職後、江守舞鶴市長との交流で舞鶴市の街づくりのお手伝いをさせて頂いたこと。その縁で私は今の久田美という限界集落に来たこと…自らを振り返りながら少しお話を致しました。
そして今、75年修練をいたしました心身統一合氣道をもって日本国内はもとより台湾、カナダ、オーストラリア、イギリスなどへ指導に。又、久田美の弘心館道場に来られる方との交流を行っています。
三名の方には、学ぶ為の基本となる「姿勢・視線・間合い」について体験とお話しをさせて頂きました。良い出会いをさせて頂きましたこと御礼申し上げます。                              以上
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2022年10月10日

言志四録

あらためて、「言志四録」を読む。
「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず」
         (「言志四録」第六十条)
佐藤一斎の「言志四録」と言えば,「三学戒」の名言である。
とくに平成十三年五月、小泉首相が級育関連法案を衆議院で論議している中で述べてから、有名になった。
人間が学問し、精進し、更に学問を重ねれば、一生のそれぞれの季節で花が開くことを教えてくれる。学問の力をこれほど極端に表した言葉はない。
併し、「三学戒」の言葉を知っている人でも、その著作者である佐藤一斉を知っているかと問われたら、おそらく多くの人は、ノーと答えるだろう。
無理もない、かって小泉首相が、当時、外務大臣をしていた田中真紀子氏の、あまりなる言動を諫めるために、佐藤一斉の「重職心得箇条」をプレゼントしたことがあった。
このとき彼女は「こんな江戸時代のカビの生えた話など要らないわよ」と言い放ったそうだが、おそらく彼女は佐藤一斉のみならず「言志四録」など読んだこともなかったのであろう。
「言志四録」を一度でも読んでいれば、とてもじゃないが、こんなセリフは恥ずかしくて吐けないはずである。
何故ならば、この本は、志を立て、自分の運命を切り開き、世のため人のために尽くさんとするリーダーのためのバイブルと言われている本だからである。
子供たちが本を読まなくなったといわれてから久しいが、一国を代表する外務大臣がこのような無教養なのだから、子供たちを責めるわけにはいかない。それは子供が悪いわけではなく、現在の大人たちが本を読まなくなったということなのである。
今日の日本人の精神が、どこがひ弱になり、それとともに国家も社会元気が亡くなり、倫理・道徳は地に落ちたといわれる原因は、じつはこうしたバッグボーンを培って古典としての思想書が読み継がれなくなったからではないのか、と思っている。
正統なる日本人の精神文化が伝承されていないということは、
とりもなおさず、日本人が日本人であることを忘れてしまっているのである。
是非とも一度呼んでほしい一冊です。
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弘心館道場開設

  令和4年10月10日
心身統一合氣道会会員 各位
                           一般社団法人心身統一合氣道会
高槻教室他5教室
主宰 師範 奥 山 弘 邇

この度、弘心塾道場は、一般社団法人心身統一合氣道会弘心館道場と認可されました。此の事は一般社団法人心身統一合氣道会会長、理事並びに本部師範の皆様方のご尽力の賜物でありますこと心から御礼申し上げます。
本部から、藤平光一宗主の写真その他四点が送られて参りました。感謝申し上げます。
今後は、各教室はすべて「弘心館〇〇教室」として位置づけられます。
弘心館道場は、心身統一合氣道の修練道場として、深めたい、極めたいと熱望される会員の為の役割を担うものです。ご来館をお待ちしています。
つきましては、弘心館道場開設は、舞鶴教室(西舞鶴・東舞鶴)の開設二十周年とともに令和4年10月10日と致します。よろしくお願い申し上げます。
(現在までの経過)
2000年3月31日付で高槻市を理事で退職。在職中に防災計画に伴う交流都市について舞鶴市長と協議。市長の紹介で田舎暮らしとして舞鶴市字久田美という約100所帯の村に移住計画。茅葺きの築100の古民家を解体。
2002年、道場併設の自宅を建設。村の代表者に宣伝文書でもって挨拶。即、子供・大人を含めて六人が入会。修練開始。
「特定非営利活動法人都市問題総合研究所農村と都市交流センター弘心塾」並びに「弘心塾道場」として使用。西舞鶴・東舞鶴・高浜(福井県)・十字屋・台湾台北教室を開設、高槻教室(大阪府)は昭和49年に開設済み・宮津教室開設準備中、現在に至る。
道場の現況
 敷地  約1200坪  建物面積 30坪  内道場面積 12坪…22畳
 剣及び杖の修練可能天井高さ確保。
設備関係…エアコン・換気扇・LED照明・オンライン用TV・更衣室・トイレは自宅使用その他。       
                                以上
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2022年06月23日

ボランティア活動23年間の思いで

ボランティア活動23年間の思いでの一端を紹介
高槻市在職期間に特定非営利活動団体高槻ウェルエージング協会(ボランティア活動その他)を立ち上げて23年間にわたって活動をした経緯がある。その中で移動入浴車をもちいて、在宅における寝たきり老人等への入浴援助事業を8年間実施した。勿論ボランティア活動として無償である。
その実績を一冊の本に纏めて提言書として、市議会を動かして市民の権利である「請願書」を出した。各会派へ説明を重ねて全会派が賛同。民間業者に依頼すれば在宅での入浴一回3万円以上かかるものが行政(高槻市)の事業として実施されることになった。このようにすれば出来るという実績にともなう提言書が功を奏したのである。
そういった活動中に、高槻ロータリークラブから講演依頼と共に、文化基金を頂いた。以下はその挨拶文である。
 高槻ロータリークラブからの福祉文化基金贈呈表彰式における挨拶
1999・4/21 西武百貨店バンケットR
ただ今ご紹介いただきました、高槻ウエルエージング協会代表幹事の奥山でございます。
 この度は、皆様方の会から贈呈・表彰を賜り、厚く御礼申し上げます。
 私共の会は、昭和58年3月に6人の発起人で設立いたしました。16年前でありました。しかし、この会が誕生するまでには、胎動機関としてさらに10年ほどさかのぼります。当時、高槻市市街地再開発部の企画室長としておりましたおり、大阪医科大学衛生学公衆衛生学教室の吉田寿三郎教授との出会いが発端であります。国際老年学会の理事などを歴任され、老年学に対しての造詣が大変深く、当時既にわが国の世界でも類を見ない速さで到来する「超高齢化社会」を先進国であります北欧の国、スエーデン等との対比をされ、警告をされると共に、その処方箋を「日本老残」「デイケアーのすすめ」などの著書において、詳しく述べられたのであります。昭和48年、今から、26年前のことであります。
吉田先生の話は、アカデミックな内容で、私のような門外漢には理解をするには大変苦労いたしました。
先生は、大阪医科大学退官後、「日本ウエルエージング協会」会長として活躍されています。4年前国連からわが国最初のNGO(ノンガバメントオーガニゼーション:非政府団体)として、承認されております。
そして私共は地域に根ざした実践の場として、「高槻ウエルエージング協会」を設立いたしました。
この16年間、活動を進めて参りましたが、女性を中心とした30人あまりのボランティアが主力であります。その中でも、「在宅における寝たきり老人等への入浴援助事業」は、最初手作りの機器を用いての入浴援助、そして「愛は地球を救う委員会」から贈呈を受けた移動入浴車での本格的な入浴援助活動を8年間実施いたしました。
そして、人間の命と尊厳にかかわるものは行政がおこなうもの、という結論をもって市議会への請願を行い市の制度化となったのであります。
 このように私共は、ボランティアとは、自由意志の人であると共に、無償性・継続性・提言性に基づいた活動に裏付けられなければならないと考えるのであります。分かりやすく言えば世直しの為の草の根運動の主役でもあります。
 私共の会が発足してから、社会福祉に関して様々な施策や言葉が生まれて参りました。長寿社会大綱から始まって福祉六法の改正、ゴールドプラン、新ゴールドプラン、介護保険法の制定、成年後見法の制定等であります。
 経済面では、バブルの時代からバブル崩壊、低成長、ケインズ経済の終焉、新経済論としてのミルトンフリードマン、小さな政府。不況。リストラ、PFIなど、ボランティアに関しましても、阪神・淡路大震災以降ボランティア元年などと勝手に位置付けて、様々の官主導型のボランティアが生まれました。防災ポランティア、災害ポランティア、砂防ボランティアなど。大阪府がボランティア活用の為の指針とした「おおきにボランティア」など、ある意味では、ボランティア自身充分考えなければならない時期に来ている、と想うものであります。
 その意味で、昨年、設立15周年記念事業と致しまして、俳優加藤 剛主演の「草刈り十字軍」という映画と、モデルであり実践者の足立原實氏の講演会を実施いたしました。内容は、今から二十年前富山の山岳地帯を舞台に、営林省が人手不足から行う農薬散布に反対をして植林された数百ヘクタールの山の下草刈りを全国から集まった若者が刈り上げるというものであります。
決して、阪神・淡路大震災の年がボランティア元年ではないということ、「心に正しい動機付けがなされれば、どんな場合でも人自ら動く」、そういう心を今の若者も含めて,皆持っているんだ、ということを言いたかったのであります。
  わが国にもNPO法が制定され、非営利団体も生まれて参りました。アメリカでは、NPOに当たるCDC(コミュニティ・ベイスト・ディヴィロップメント・コーポレーション)が、まちづくりにまで参画をして、今日のアメリカでは、非常に重要な役割を果たすにいたっているのであります。話がそれてしまいました。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。
私共は未熟であり、経験から学ぶことしかできませんが、今後、皆さん方のお力添えをいただきながら、頑張って参りたいと思っております。
  これを持ちまして、表彰を受けましたことへのお礼の挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。
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2022年06月02日

六老師の恩

今は亡き父からの相伝と老師
父、奥山喜太郎は1916年、岡山県苫田郡で生まれる。小椋喜太郎は大阪市北区池田町の奥山鉄工所、奥山家に養子として入る。奥山鉄工所を継ぐ、後に大北工業株式会社に発展、東京・名古屋・岡山に支店を置く。私が三歳の時から父は工員を相手に不思議な技を用いて修練をしていたのを幼心に記憶があります。これが後になってから解ったのですが、八光流柔術でした。父は、八光流とともに若柳流の名取でもありました。父は、後に自らの流派として「邇心流合氣武術」と名乗っています。私は父から解らないまま工員と一緒に約五年間学びました。一時途絶えた時期があります。これは父と母が離婚をして父は東京支店に滞在することが多くなったからです。私が東京での四年間の生活は邇心流を徹底的に教え込まれた時期でした。さらに、鉄工所の工員は肉体労働のため、體に大きく負担がかかり、足腰を痛めることが日常的でした。その時、父は、「手当」をしている姿がありました。これは人の體の表30裏14の経絡に沿って指圧をするもので、その時既に「氣」について理解していたようです。後に父は武術として「邇心流合氣武術」。八光併伝療術の皇法指圧から整体術として「氣之體壓療法」を創出致しました。八光流の始祖奥山龍峯氏は明治34年に生まれた方で五歳の時脳膜炎を発症。東洋医学を学び、政治活動とともに武術の修行。大東流合氣柔術武田惣角氏に師事。全国を回って多種多様な武術、武芸十八般を学び。医学については、大東盟舍の平田了山、東洋醫道会総裁南拝山について心理療法・東洋医学を学び、後の「皇法指圧」を生みだす。指圧師の浪越徳次郎氏と親交を深める。そして八光流はあらゆる戦技武道、凶器武道を否定し、ひたすら個々の身を護るための新しき日本人の心と人格を築き上げるために伝道されるものと位置づけて世界に伝道されて行きました。八光流の概要です。父が工員に施していた體壓療法は、普通の指圧とは全く異なっていました。勿論、施す相手に自らの「氣」を送り込むことを重要視しますが親指と掌を多く用います。特に親指での體壓には、三指法を用いるものです。三指法とは、@触れてA圧してB離す、のことです。当ては「親指」が主です。即ち三段階で行うことが重要でこの「離す」ことが特に重要なのです。そして上記44の経絡に沿って三指法を行います。一つの経絡への施術が終わりますと、掌での體壓を行い終わります。父は、八光流の併伝療術以外にも西式健康法、日本最初の健康体操である自彊術を学んでいました。その中から氣の體壓療法が生まれたものと思います。平成11年に亡くなりました。亡くなる前に、二つのものを私に託しました。一つは、「邇心流合氣武術」二つ目は、「氣之體壓療法」です。この二つの相伝を、私は絶やさないことを父に誓いました。その為に今、後継者を創ろうとしております。随分と前の話ですが、高槻市在職時に「ミューヘンの小学生」の著者子安美智子先生を高槻市へお招きして、講演会をさせて頂きました。確かその頃に早稲田大教授、高橋 巖先生の「ルドルフ・シュタイナー 教育講座講義」を受講していました。その中で「古代ギリシャの教育と日本の武道(心身統一合氣道)の関係とルーツは古代ギリシャにある…」述べられていました。又、上松裕二先生の著、「世界観からの建築…ルドルフ・シュタイナー論」は私の建築観に大きな変化を与えました。懐かしい想い出です。

昭和31年頃だったと思う、東京日本橋高島屋屋外ステージにおいて、合氣道創始者植芝盛平翁の合気道がはじめて公開された。父に連れられて見たのが合氣道という武道でした。
不思議な動きと技でした。150cmほどの小柄な老人が、驚くような速さで動き、触れただけで投げ飛ばしている…。その後には、このような場面は2度と見ることが出来ない。

この風景が私の武道へ誘った原点でもある。父の技とも違う…。後に合氣会へ入門。真の合氣武道を求めて「氣」を説かれる合氣道会最強の藤平光一先生に師事、中村天風師に心が身体を動かす原理を学び、一九会で山岡鉄舟の高弟日野鐵叟老師に人としての生き方を学ぶ、安岡正篤先生から東洋哲学の真髄を、特に陽明学・呻吟語・東洋倫理概論を学んだ。
更には、大学で原始仏教を学んだことは、物事の真理を見るうえに、一大事となったことは、身の震える思いを今も心に感ずるのである。
これら六人の師は、私の生き方を一大転換をさせた最高の恩師である。感謝以外になにものもない。
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2022年03月28日

話題二つ

話題二つ
〇 やっと春らしい日が…。山すその湧き水水路には、沢蟹が姿を現した…。少し動きがぎこちない。
木瓜が蕾を膨らましている…。侘助も…。滅多にに見ないスズメ…。
今年は上の段々畑に野菜などを…。鹿よけ柵を万全にして。

〇 戦前生まれ…戦争を体験、累々たる死者を見て涙も出ない自分と恐怖に襲われたこと…。大阪大空襲に逃げ回ったこと…。灯火管制、防空壕、警戒警報発令…。アメリカ空軍のB29から、雨の如く焼夷弾がまき散らされて…その光で深夜が真昼のように…。
疎開先の川で泳いでいた時、グラマンから機上射撃を受け、一名をとりとめたこと…。食糧難での買い出し…母は家族のために必至で頑張った…。
そんな戦争は嫌だ!!!。

どんな理由があっても、人が人を殺しあうことは、決してあってはならない。
ましてや国同士の武力争いは、あってはならない。
天はかならずや天罰を与える…。過去、世界の歴史を見ても、主たる人物はその罰を受けている。

私たちは、祈ろう…。
罪のない多くの子供や大人たちの為に…必ずや安らぎのある時期が訪れますように…。

権力をもって悪を働く者たちに鉄槌をくだしたまえ…。
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