2015年04月29日

NHKの報道問題、そして台湾に学ぶ

数年前から、最高学府を出て名を為し功を遂げた人達が揃って「申し訳ありません、済みませんでした」とマスコミの前で頭を下げて謝る場面が多くなった。全てが「偽」のためである。嘘をつく・偽りの為に、自らの人生に終止符をうち、企業が潰れる…。そんな場面をNHKもTVで映している。何を学んでいるのであろうか。菅子は、「四患」即ち、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「偽・私・放・奢」である、と説いた。NHKのトップは、余りにも節操がない。いや、NHKだけではあるまい
このままでは、日本人としての誇りも、この国も滅びていくのではないか…。

「己を磨くために、学ぶんだ…」とは、吉田松陰の若かりし頃の言葉である。今、わが国を動かす年代層の群像は、何を学び、なにを成し遂げようとしているのか…。

4月17日から四日間、戦後70年の節目として、戦時中、台湾バシー海峡においてアメリカ軍の魚雷を受けて撃沈され約26万人から30万人とも言われている人達が海底に沈んでいる英霊を慰霊するために台湾へ行って来た。生き残った一人の日本人が私財をなげうって、潮音寺を建立された。その人亡き後、台湾の人達が守り続けられている姿を見た、さらに花蓮、高雄市、台南市に伺い、両市の市長と面談をした。市内には、数多くの日本統治時代の日本の家屋が保存されている。その中でも嘉南大圳を台湾一の穀倉地帯に変えるために、烏山頭(ダム)を造り、網の目のごとく水路を張り巡らし水田を作り上げた日本人、八田興一氏は、今も台湾の人々から神様として尊敬されている。

台湾へ縁あって心身統一合氣道の指導に6年間13回訪問しそして多くの人と出会った。今、花蓮・高雄・台南に広げようとしているが、それは、台湾を日本が統治した時、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造氏らが街づくり、教育ともに日本と同等の考えで造られ、教育を行ったことが、台湾には日常の中に「道義」が生きているのを発見したからである。

私は、台湾の多くの人達と出会いそしてその中から、日本人とはなにか、を学んだ。
私は戦後の教育を受けたが、何故か教育勅語・道徳・修身などの言葉は意識から除外されてきたように思えて仕方がない。
今改めて教育勅語を読んだ時、12の徳目は、人間として当たり前のことであることに心が騒いだ。
いや、戦争を美化したり、人権を無視するような考えは微塵もない。ただ、人としての生き方に想いを巡らすのである。
今の台湾には、「日本精神…リップンチェンシン」が生きている。

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2015年03月23日

「財団法人 氣の研究会を振りかって」

戝団法人氣の研究会」を振り返って
昭和46年9月16日、元合氣会総師範部長 合氣道十段藤平光一先生が、私財を投じて財団法人氣の研究会を厚生省認可のもとに設立されました。この事実は、わが国はもとより世界の合氣道界には、大きな刺激を与えました。
合氣道の真髄を求めて止まない多くの人たちは、全国津々浦々から藤平光一先生のもとに駆け参じました。その熱気たるや大変なものでありました。
年に数回開催されました千葉県勝浦にあります日本武道館研修センターには、全国から参加された人たちで溢れかえっていました。
当時から44年過ぎた平成26年度で解散致しましたが、日本及び世界に「合氣道」を広められた功績は、実に偉大なものであります。
しかし、日本においてはその功績を抹殺しようとする動きがあります。
現に合氣道創始者植芝盛平翁から最高段を允可された師範の中で、みずからの合氣道の技の実力で、世界にその成果を示された師範は、皆無に等しいと見ることが出来ます。

合氣道創始者植芝盛平翁を、生涯師として仰がれ、師の難解な言葉の中から、「合氣道は、相手の氣を導いて崩し投げる…」即ち、「氣」について悟られて、それを合氣道の技に具現化されました。即ち、「心が身体を動かす」原理を会得されたのであります。

そして、合氣道創始者植芝盛平翁の説かれる合氣を引き継がれたのであります。植芝盛平翁とは、説明の仕方、指導方法は異なりますが、伝えようとされる内容は全く同じであります。
藤平先生は常々「合氣道から「氣」を取り去れば、唯の踊りと一緒である…」と言われた言葉が今も鮮明に頭に残っています。

私たち藤平光一先生の門下生として、この厳粛なる事実を忘れてはなりません。
今、藤平光一先生が残された「心身統一道・心身統一合氣道」という道燈を二代継承者藤平信一会長が守り育てておられます。

さて、戝団法人氣の研究会が設立されて、五年目に「戝団法人氣の研究会五年の歩み」という冊子が今から約40年前に、限定数で発行されました。その中で主だった方々の言葉を紹介させて頂きます。藤平光一先生が如何に世界の多くの方に影響と感動を与えられたかがお分かりになります。


氣の研究会五周年記念によせて
毛利松平   元国務大臣 元環境庁長官 衆議院議員
私と藤平会長との最初の出会いは、昭和11年5月であった。当時私は慶応本科二年で柔道部の副将をしていた。その日、慶応予科の柔道部の日吉の合宿に行ったので在ったが、一人の新入生が負けん気になって、熱心にけいこしているのが強く印象に残っている。それが藤平会長であった。早生まれの上に中学四年修了で慶応の試験にパスして入学したとかで、他の学生より二歳は若く、多分満十六歳位であったろう。童顔も未だ抜けきっていなかった。
卒業後お会いしたのは、昭和15年6月満州撫順炭鉱に於いてであった。満鉄に奉職し、三千人の青年隊の隊長をしていた時であった。当時、恰も東亜に戦火が拡がり風雲益々急を告げるに至り、学生の海外渡航は一切禁止され、満州、支那大陸に日本の学生の姿を見かけなくなった。そんな時、不意に慶応の学生二人が尋ねてきた。藤平氏と藤井驍一氏であった。どうやって渡航したのかと聞くと、南洋木材の専務をしている知人に頼んで、臨時航員として、船員手帳も正式に作ってもらい、ボルネオで木材買い付けをし、それを上海に運ぶ船に便乗したと云うのである。上海でその船と別れ、南京、徐州、済南、天津、北京から蒙古を経て満州に入ってきたとの事であつた。後年、合氣道普及にアメリカを始め海外諸国を飛んで歩く旅行癖は、この頃からあったのかも知れない。
その年の暮、私が所要で日本に帰った時、慶応柔道部の後輩が集まってくれた。私は、学生時代、柔道の他に植芝盛平先生について合氣道をも学んだ。合氣道も今の様に流暢な優雅なものではなく、激しい武道であった。余程道心堅固なものでなければものにはならない。慶応柔道部で、誰か之を極める者はいないかと、みんなの顔をみながら心で物色したが、これはと思う顔がない。
その中に藤平氏の顔があった。「うん、これなら立派にやっていけるだろう」と心に思い「百人力の先生がいる。君はこれから行って習わないか」と名刺に紹介状を書いて渡した。藤平氏はニコッと笑って「ハイ」と言っただけであった。
一つの事を三十年続けるという事は容易ではない。藤平会長はそれ以来今日まで、三十六年という長い月日を唯一筋に道を求めて精進されて来たのである。
その間、禅・美曽岐・滝の修行など、あらゆる修行を極め、遂に合氣道を単なる武道から脱皮させ、心身統一の大道、人間の正しく生きる道として集大成させたのである。今や国内はもとより、海外に広く之を普及し、世界の人々より感謝渇迎されている。その努力さる事ながら、世界中の人々に人類の副音を
もたらした功績は誠に偉大なものがある。
ここに氣の研究会の五周年を心から祝福すると共に。藤平会長の益々の御精進御奮闘を祈って止まない次第である。

藤平先生へのメッセージ
ジョージ・R・有吉  ハワイ州知事
藤平先生のハワイにおける御活躍について述べ、先生の合氣道の紹介と教えを通じてのハワイ州民の生活への多大な貢献に感謝することは、私の大いなる喜びとする次第であります。
1953年に合氣道を単なる護身術やスポーツとしてではなく、生活に対する全く思想的なアプローチで、しかも、全ての人間にとって恩恵を与えるものとして我々は初めて本格的に学んだのであった。
それ以来、藤平先生は何度もいらしては、合氣道に入門し肉体的にも精神的にも稽古をしている人々の輪を広げて行きました。最近になって、この偉大なる先生はハワイに氣の研究会を設立し、合氣道の真髄であり、また、我々にどのようにして日常生活での人間関係に会氣道を生かしていくかを、よりよく理解させるところの、氣の思想の原理を教えて下さいました。
ハワイ州は、藤平先生が教えと書物を通じて何千人もの州民を、より豊かに、より楽しく、より健康的な生活をさせて下ったことに感謝いたします。我々は
この素晴らしい先生がおやりになる全てにおいて成功なさいますよう祈ります。
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2015年03月04日

映画「KANO」が描く日台の絆

台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教授)
台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教)
忘れられた嘉義農林の活躍
日清戦争の結果、台湾を領有した日本は、植民地当時の一つとして野球を利用した。野球を普及させると同時に、満州、朝鮮とともに外地の中学の代表を日本で行われる全国大会に参加させ、内地との一体化を図ったのである。
だが、やってくるチームの選手はほとんどが日本人であった。現地で生活する日本人子弟が通学する学校が予選を勝ち抜いて出てくるのが通例だった。
台湾代表も大会参加以来、台北一中など日本人選手で構成される台北のチームがは8年連続して甲子園にやってきた。しかし、近藤兵太郎が南部の嘉義農林の監督を引き受け、民族にこだわらず選手を集め、猛練習で鍛えた結果が台湾の地方大会を勝ち抜き、代表として海を渡って甲子園への道へとつながったのである。
この嘉義農林の活躍は戦後の台湾ではほとんど忘れられた出来ごとであった。
50年にわたって統治した日本に代わって台湾を統治することになった国民党政権は、日本時代の遺産を払拭するため、野球もその対象とし、ましてや3民族結束がもたらした甲子園の成果など消し去りたかったのだ。
だが、リトルリーグの世界選手権優勝など、野球が台湾の一体化に効果が在ると判断した政権の方針変更で、ついにはプロ野球まで創設されるに至った。こうした状況の変化の中、先住民が日本に対し反乱を起こした霧社事件を扱った映画「セデッく・バレ」を製作を魏徳聖監督が、この映画のリサーチ中に資料を見つけ、「これは!」と思い、存命中の出場選手はじめ関係者にインタビュ―するなどとして脚本を仕上げた。(正論から抜粋)
私は、野球の顧問として、王貞治氏の名前もあり、技術的指導もあったと推測している。漢民族・先住民・日本人からなるチームを、日本の要人から、指摘を受けると近藤兵太郎監督は、「民族は関係ない!全く関係ない!夫々の若人が一つの目標に向かって頑張っていくことに意義がある!何が問題なのか!」と語気を強めて言い切る場面は、この映画の一つの山場だと思っている。

 私は、過去の台湾の人達、並びに今の人達から、本来の日本人の姿はどうであったか、又、日本人としてどうあるべきなのか、ついて多くを学ばせて頂いた。
児玉源太郎・後藤新平・新渡戸稲造などの先達が台湾でおこなった施策についても
人によって異なる批評もあることは承知しているが、彼らは、少なくとも植民地としての対応ではなく、日本の領地として本土と同等同様な考えで台湾の近代化に臨んだと理解している。私は戦後の教育を受けた。封建制度・教育勅語・修身…、などの言葉には、充分な理解を放置したまま、心をとざしてきた。しかし、今改めてその中身を思慮した時、今の日本人が、忘れさせられた、ものがある。と実感している。
台湾の人達から、その想いを、思い起こさせてくれたことに、深く感謝するものです。私は、心身統一合氣道という武道を通じて、台湾の多くの人達との6年にわたる交流を重ねて来た。台湾に、和を重んじる日本精神、武士道精神を、そして、人をつくり、組織をつくり、国をつくる為の「四維」すなわち、「礼・義・廉・恥」を涵養して、人格の涵養に少しでも役に立てればこれほど嬉しいことはありません。













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2015年02月27日

川崎市の中学生殺人事件

今日、衆議院予算委員会で標記の事件についての質問があった。某委員は、「今回のような事件が起こるたびに、多くの専門家と言われる方の様々な関わりが生まれる。更には、捜査を行う警察、弁護士、裁判所など実に多くの組織と人材が投入されて究明のされていくのが現状だ。本当は、このように事件が起こってからの人の関わりでなく、起こる前に何らかの対処は出来ないのか…」と言う意味であったと思う。
この事件の根は深い。以前にも述べたように、未成年の場合、教育機関だけに目を向けるべきではない、教育との場は、学校教育だけではなく、家庭教育、地域教育と三つが交わる関係の中で成り立つものである。しかし、社会の原単位である家庭において、核家族と言う言葉がマスコミに現れた時期から、少しずつ変化しだした。人生の先輩(お年寄り)が家族から消えてから、経験体験豊富な目で子供観ることが少なくなった。さらには、地域社会、向こう三軒両隣等の意味が、ハイカラな言葉としてコミュニティで表現されるようになってから、地域がお互いに身守る気配が消えていった。
これらは、プライバシー保護、個人情報保護…の権利主張とともに更に深刻化している現状である。夫婦の目で子供を見つめる家庭教育の場が崩壊しつつある現状と、他人の子供達に目を向ける地域の複数の目が消えつつある地域教育。
これらが全て学校教育に被さっている現状である。学校教育は本来すべきものがある。公教育としての学力の涵養である。しかし、今、マスコミなどに一番に登場するのは、学校である。学校という教育の場から子供か一歩離れれば、学校は本来関係が無くなるのが本当ではないか。
その意味で「保護者」としての責任は重いものである。

さて、社会の原単位である「家庭」が子供に充分目を向けるだけの経済的・居住空間などの余裕が出来ているのか…、学校教育は、教師とそれを取りまく学校としての組織が円滑に働いているのか…、前述の「根が深い」と言う意味は、
一つの現象面を平面的に捉えての原因究明ではあってはならないことを言っているのである。
何故このような事件が起こるのか。行政は、過去多くの事を学んできた。それらの成果を生かすことが一大事であり、ことが起こってからその検証をすることが責務ではない。子供の取りまく現状を、地域教育の場が崩壊している現状を、行政が関わる組織づくりが求められるとともに、せめて事故が起こった後に関わる人的資源と同じ位の人的資源を投与して、きめ細かい観察を日常から行うことが必須と考える。さらには、親が子供に余裕を持つことが出来るだけの所得を、国が経済政策でもって責任を果たすことが最大の課題であろう。
安倍政権の責任は重い。
posted by 弘心 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月02日

言葉の力

日本のリーダーに求められる「言葉の力」とは、立命館大大学院
(言語学)東昭二教授は次のように述べている。

「言語学者の批評として、今の政治家の演説には、「フレーム」が
欠落していると言われている。
フレームとは、クラシック音楽がを例にとると、「モチーフ」。
調べが繰り返される中、浮かび上がる主題のこと。
その点、米国のオバマ大統領は演説に定評がある。
その特徴は、自分の話ではなく、聴き手側の話を中心にしている。
日本の政治家は、「言葉が最大の武器」という意識が低い。
自分がどんな風で語り、どんな言葉を多用しているかを意識せずに
話す人が多く見られる。
社会言語学の研究によると、日本人は「わきまえ行動」をとりがちとされてる。
場をわきまえて社会的なルールや仕組みに沿って話したり行動したりすることを
重んじるらしい。だから、演説にしても、「演説とはこんなもの」という「わきまえ」が前提として
政治家言葉や口調で話そうとするため、聞き手には伝わってこない。
そして日本の政治家は300年前の啓蒙思想に取りつかれている人が多い、
とも分析されている。
現代のリーダーの言葉に求められるのが説得力である。
その意味でフレームの内容は別として、みんなが共感するフレームを提供するのが
一国のリーダーに求められる能力である。」と。

確かにそのようである。
日本の政治家は、何故話がヘタクソなのか。アメリカのオバマ大統領の演説は、
言葉はわからなくても、何故か、その言葉のリズムあるいは、感情の入れ方、
顔の表情から、此方に伝わるものが感じられる。

一つには、心から體を動かすような、琴線に触れる言葉や表情が自らのものとして
出していないからではないか。

話は違うが、合氣道の塩田剛三氏は、合氣の説明に「中心力」という言葉だけしか
喋られない。植芝盛平翁は、難しい宗教の言葉を引用して語られた…。
心身統一合氣道創始者籐平光一氏は「氣」と「臍下の一点」。

しかし、よく考えると、的を得ている。
「共感する主題」をあらゆることを試されてきて、「恐縮された言葉」となって
吐き出されたものであろう。 一貫してプレがないのが特徴でもある。

「言葉の意味」と「言葉の力」を深く認識してみることが重要である。
posted by 弘心 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分の中に宇宙生命と森羅万象を観る 自分の中に宇宙生命と森羅万象を観る

この文章は、合氣道創始者植芝盛平翁に仕えた内弟子の方が日頃の翁との会話の中からメモをした言葉を纏められたものである。一般には、難しい宗教用語をもっての説明で、その意味を知るのは難しいものであった、と云われているが、実は、そうでない一面を知ることになる。その一部を紹介する。

「生命を粗末にするような奴には合気道をやる資格はない。わしは武道の真髄として万有愛護を教えておる。お前さんはこの植芝が、神社を作っているのがわからんのか、合気道は、ワシが作ったものじゃない。

合気道は宇宙の法則秩序を体術を通じて覚醒してゆく学びだ。
君らの生命という名の歴史を顧みれば、「万有愛護」の原点、お前さんは宇宙から来ているんだよ!

神を何処でみるんだ?自分の中だ、自分の中にある宇宙生命と森羅万象の中に脈々と生きている生命は、同じものなんだよ。
つまり万有愛護も自分の中にあるのだ。
そういうことがわからず、殺生する者に合氣道修業の資格はない。

山河草木は自己の延長であり、逆に森羅万象の延長が自分である。
自分の體で、手足はもちろん、髪の毛一本、自分で作ったものはない。

それに氣づかずして、合氣道はない。合氣道は森羅万象からも学ぶものだ。大自然の営みを見て、合氣の何たるかを悟らなければならない」

この文章が本当に植芝盛平翁が喋られたのかどうか、についてはその真偽を確かめるすべはない。
しかし、大筋においてその通りの想いは感じ取ることは出来る。

盛平翁の高弟であった人物、当時の合氣会の総師範部長であった合氣道十段位の藤平光一師範が
新しい角度から合氣道を見つめて、盛平翁の思想を系統的に分かりやすく分類して、一つの合氣道として確立したことは新しい武道の在り方を示したものと思う。

具体的には、徳富蘇峰からもその才能を認められた藤平師範が、二十一項目の内容からなる言葉を「誦句集」に纏められた。その内容は、実に、植芝盛平翁の言葉を包括してものである。

posted by 弘心 at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月19日

台湾花蓮市へ

大阪日台交流協会の要請で12月12日〜16日まで、日本の武道、心身統一合氣道を伝えるために、国立花蓮女子高級中学校に参りました。花蓮との出会いは、1981年に日本に「蓬莱会(会長島津憲房先生)」が在ることを知りました。島津先生は台湾で台東小学校長、台南の国民学校長等を歴任され、数多くの台湾の子供たちを深い愛情で教え導かれた先生です。そして島津先生編纂の「台湾への架け橋」という一冊の本か刊行されました。その編集責任者山本良一氏との出会いでありました。山本氏は、台北師範学校を卒業後、花蓮縣大庄公学校(現東里)に勤務され、帰国後は、東大農学部卒、大阪堺中学、茨木高女で教鞭。茨木市議会議員等を歴任されました。山本氏から、「是非花蓮へ行って見て下さい」と言われておりました。心身統一合氣道の指導の為、台北、新竹、基隆、淡水は5年間で10回訪ねていますが花蓮は今回が初めてでした。日本人が住んでいた多くの建物などが残されており、その修復が今も続けられていることをお聞きした時、山本氏の思いが伝わって来ました。多くの方との出会いは、必然です。これから年に3回、指導に参る予定にしています。
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2014年10月13日

何のためにの稽古


これは、「合氣道の稽古は、心の洗濯、禊であると思うのですが?!」と言う、ある方からの質問に答えたものです。

 「 そうですね。大きく纏めればそのように言うことが出来ます。しかし、心の洗濯、禊を合氣道の技で具現化、説明をすることが出来るかどうかです。私達は、合氣道は「天地の氣に合する道」として、「氣」を自覚し「心が體を動かす」原理を学びます。如何なる状況におかれても、心身統一(心身一如)を保ち、冷静沈着に自らを制御出来るか、です。これを心身統一道で学び、其の體が動き出すと、心身統一合氣道になります。このための原則を、実社会、家庭生活等に活かしていくことが重要です。いくら上手に人を投げても、意味がありません。しかし、投げることだけに学んでおられる方は、別ですが…。植芝盛平翁は、「合氣は愛じゃ」「我則宇宙」「我舞えば宇宙舞う」などと表現されました。そして、それを合氣道の技で示されたのです。藤平光一翁(合氣道最高十段位・心身統一合氣道創始者)、その意味を持つ技を四大原則・五原則で具体的に示され、「万有を愛護し、万物を育成する心をもって、我が心としよう。心身を統一し、天地と一体となることが、我が修行の眼目である」と喝破されました。そして、合氣道の基本技を整理されました。其の技は、すなわち、自らの人格の形成のために、技を方便としているのであって、投げることが、目的ではないのです。しかし、この定義は、個々によってことなりますから、自由になされればよいと思います。参考までに。」


 私は、今から15年前から、大きく変わりました。そして武農合一を説くようになりました。何を言っても、天地との対話が重要です。昼は、野畑を剣を鍬に持ち替えて、大地と対話。そして、日が暮れれば、満天の星空を仰ぎ、一日生かされたことを、感謝します。その結果、天地は、実りの褒美を授けてくれます。

 野菜の種を蒔き、大きくなるまで、朝早くから手で虫を取り、水をやり、我が子のように愛でながら育ちを待ちます。収穫前のジャガイモ・さつまいもを猪に食べられてしまいました…。猪には罪はありません。只、眼の前にあるものに空腹を満たしただけ…。猪の食べ残したものを、小さなイモ三個…、有難く頂きました。

 畑仕事での休息は、野畑の中で、手づくりの木刀と杖で無心に體を動かします。しかし、大半は、氣の静坐と氣の呼吸法で過ごします。大地の氣を体内に吸い込み、そして又、無心に備中を振り上げ、地を耕します。ミミズが顔を出しました。丁寧に横に移して、又、畑に戻してあげます。
今までにも何度も書いてきました。力を抜いて、大地に感謝の念を示しながら天人地と鍬を振り上げて下ろす。大地は快く受け入れてくれます。しかし、少しでも力が入ると、大地は反発して、受け入れてくれません。この事実は、やってみる者しかなければわかりません。感謝報恩の心を…。

 小さな小さな種一粒から大きな野菜が出来ます。あの小さな種の中に、宇宙の神秘が詰まっているのでしょう。生命の不思議さを感じると共に、天地の創造者の崇高な心を感じます。
人も又、その中の一つであることを思い感じる時、自らが何処へ行こうとしているのか、これも天地に任せよう…。ただ、今この一瞬を真剣に生きることが今の自分に与えられたものだ、ということを…。その積み重ねが未来を創るのでしょう。
合掌 弘心
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2014年10月04日

武と農


武農合一

リラックスをした時、體は偉大なる力を発揮出来ることを、自覚した。
力を抜けば、氣が出る。このことは、只、心で思うだけで良い。それ以外は全て放下する。

心身を統一した時、自らは宇宙の氣から生じたと自覚する時、自らの下丹田に宇宙の中心の一点を包蔵していると認識した時。

我則宇宙・我舞えば宇宙舞う・合氣は愛(争わざるの理)を自覚する。
心身統一合氣道は、対峙する相手を天と地に、いざなう、のである。

 そして、対峙した相手が一瞬、統一體を崩した時(宇宙との調和を破った時)其の時既に相手は敗れている、のです。ここまでの到達に、数十年を要した…。

 これらの全ては、大地との対話(自然の恵みを頂くため、剣を備中に持ち替えて、大地を耕し、種をまき、その果実を頂く)から与えられたものだ、感謝で一杯。合掌 弘心。
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2014年09月27日

「血圧は、ほっとくのが一番」



 二十年続いた高血圧の薬を止めました。その理由は、八年間で基準値が50も下がったことと、降圧剤に対する疑問からである。
高槻市に在住時、高血圧症の治療でK医院のK医師に見てもらっていた。T病院に勤務の後、開業医となられた。勤務先から近いので便利との意味もあった。
K医師は、専門医として優秀で評判が良い医師である。パソコンの画面を見ながら、「分かりました。責任をもって120まで下げましょう!」と言い切られた。その日が、三種類の降圧剤を投与された。
数日経って、家庭で血圧を測ると、見事に120を切って100である。しかし、その薬の副作用を調べてみると、とても安心出来たものではなかつた。「倦怠感、疲れやすい、動くときの息切れ、むくみ、ふらつき、高所作業、自動車の運転など危険の伴う作業には注意、関節痛、吐き気、おう吐、発疹、口内炎、精力減退、乳房が大きくなるなど…」である。決定的なのは、「カルシウム拮抗剤」は、投与試験の結果、癌になる傾向が伺える」と記述されていたことである。
その時、医者から投与された薬の薬名が、降圧剤データー改竄事件の主役の薬「ディオバン」であった。
 それでは、一体誰が高血圧の基準値を決めるのだろうか。それは日本高血圧学会という、医療研究者が委員を務める組織が決める。その学会が五年に一度「高血圧治療ガイドライン」という冊子を出し、日本中の医師はそこに記されている基準値によって、ほとんどの医者がそれに従っている。故にガイドラインは非常に大きな影響力を持っていることは言うまでもない。高血圧学会は、製薬会社とべったり癒着していると言われている。それが明るみに出る衝撃的な事件が、2013年7月に起こった。これが京都府立医大、東京慈恵会医大、千葉大、滋賀医大と、製薬会社ノパルティスファーマ社による、降圧剤のデーター改竄である。その降圧剤の薬名は、ディオバンであることは言うまでもない。全く薬効が認められないのに、効果が出たようにデーターを改竄していたのである。そしてその薬は、爆発的な人気がでて、年間1083億円売り上げた。しかし、外国(アメリカ)では、冷やかな対応であったという、即ち学会で発表には至らない内容であったからである。
 そして、血圧の基準値が根拠のないまま、どんどん下がっていく、即ち、1987年高血圧基準値(mmHg)180/100が2011年には、130/85と実に五年で基準値が50も下がっているのである。
患者数派230万人が五年で5500万人に増えている、いや増やされているのである。その結果、降圧剤の売上が前述の薬名のものだけで2012,年度の国内売上額は、約1083憶円ととてつもない売上であった。しかし、一度、高血圧と言われた患者は、死ぬまで飲み続けなければならないのである。副作用に身を委ねながら…。昔は、年齢に90を足したものが高血圧の基準と言われていた…。
血圧が180でも大丈夫という根拠は…、これも実に明快である。過去に厚生省の事業の一環として行われた実験で、高齢者に降圧剤は、効果が無いという結果が示されたからである。それだけではなく癌の発症率は降圧剤を使用したグループの方が高いという結果で出たのである。だからといつて、暴飲暴食をしてもよいものではない。玄米や採食を中心として、心が體を動かす原理を自覚した適度な運動と、「氣」を充実させることは言うまでもない。
 話を元に戻そう。高血圧は、病気ではないことが分かった。「血圧が高いと脳梗塞になる可能性があるが、どうですか?」 との質問が多い。脳梗塞は高血圧が原因といわれているが、実はそうでない。逆に血圧が低い時におこる疾患である、という事も分かった。さらに、降圧剤を飲んでいる人は、飲んでない人に比べて脳梗塞の発生率は二倍になる、と言う事も。
 今、降圧剤を止めて一か月になろうとする今、ふらつき、倦怠感、ねむけ、関節痛、などが消えてしまった…20年前に戻った。
血圧は個人差があり、特に年齢とともに上がっていくものである。それが20才から80歳までを一律120、130などと決めつけることが間違いである。
病気でもないものを、病気だとして、薬を飲ますのは、詐欺ではないのか。
 今の世の中は、「偽」で満ち溢れている。一流企業の代表者で最高学府を出て地位も財産も得た者が、うそをつく、ごまかす、いつわる、だます、…でマスコミの前で頭を下げている姿を何度も見せられた…、さらには、謝罪、謝ることを指導するコンサルタントがあることには、唖然とさせられた。県会議員の政務費の「偽」、特に許せないのは、朝日新聞の従軍慰安婦問題、福島第一原発を巡る吉田所長の会議録、企業の社長の発言をインタビューをしていないのにしたようにしての記事、評論家I氏の連載を都合の悪いことを喋らせないために、突然の中止…などの誤報と偏見記事。そして日が経ってからの社主と役員の謝罪。すぐに朝日新聞を止めて、毎日新聞にした。(しかし、毎日新聞も宗教法人の新聞の印刷を受注しているため、その宗教法人の記事には敏感になっているとの噂…)。
 菅子の言葉に、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち「偽、私、放、奢」。そして、人を創り、組織を創り、国を創るのは、「四維」即ち「礼、義、廉、恥」を知ること。まさに今の日本人に求められているのではないか。
今、私は、武道(心身統一合氣道・合氣武術・小野派一刀流など)と天地との対話を通じて、錬氣・表武・実践に励んでいる。
posted by 弘心 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする