2023年07月05日

今日の言葉



「運命を好転するには、全て悪く悪く考えないことである。いいことだけを絶え間なく心に描くことだ」。

以前にも書いた。医学博士の池見酉次郎先生が「バイオフィードバック」という本を出された。その本の中に次ぎのような記述がある。「がん細胞を酸素で包んでしまうと癌細胞が増殖しなくなり、消えてしまう結果も見られた…」という内容のものである。先生はその時、人間の持つ自然治癒力に関心を持たれ呼吸の力を感じられた…。
その後先生は心療内科を創設された。次に先生自身が体験されることになる。
先生は手術の激務、依頼原稿の遅延などで精神的に追い詰められ大量の吐血。レントゲンで調べた結果、手術が必要と判明。不安と焦燥…その時学生時代、神経衰弱にかかったとき、森田療法で治療したことを思い出された。どうせここまできたら仕方のないことと割り切って、逆のことを考えることにした。
生まれて今日までの楽しいことだけを一つ一つ思い浮かべてそのイメージを大きく拡げてみた。毎日毎日そのことを繰り返した。手術の日、弟子たちがやってきて「念のためにもう一度レントゲンを撮らせてください」
やがてレントゲン写真を手にした弟子か困惑した表情でやってきた。
「先生、異常がないのですが…」結局、健全であることが判明。手術することなく退院。まさに「例外的治療」。
病理学的は、主として死体の解剖処理をして考察を進めている。死体はあくまで死体であって物でしかない。
その死体にある内臓の疾患した部分を切って捨てるしかない。したがって今まで胃潰瘍で来た患者さんにはすべて手術をして患部の切除をしたものだ。切除すれば疾患部分はない。無いからもう治りましたと言って、患者さんたちは退院していった。
しかし、本当に治癒したといえるのだろうか、単に悪い部分を切って捨てただけではないか。いうなれば一種の対処療法で、決して原因に対する根本治療とはいえない。先生は改めて過去に退院していかれた患者のカルテを調べてみた。驚いたことにかなりの人たちが、三年から五年後に再び同じ胃潰瘍になっていたという事実がわかった。
生きている人間。患者の体は病んでいるとはいえ、紛れもなく生きているのだ。そして生きている心の持ちようによっては、人間はより健康にいきようとする霊妙な力が働いていることを忘れてはならない。あれほど吐血した自分の胃潰瘍が治ったのは、自分の心の持ち方ひとつだったという事実に、改めて感動をしたという。
身体が健康であっても、心が消極的否定的不健全であれば、やがて身体は健康を失っていく。しかし、心が積極的肯定的健全であれば、身体は健康をとり戻すことになる。
そして心身が健康であり健全であれば、運命も好転すると信じてよい。
あとは未練を残さない。振り返らない。前を向いて、上を向いて機能性を信じ自分に出来ることは何か、そこから新しい希望が生まれる。
「私は生きている」生きている以上は、生きている限り、生き生きと考える方が自然ではないか。


私は今まで、こんな思いで生き抜いてきた……。これからも……。
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2023年06月04日

今日の言葉


「なによりも自分で自分を欺かず、至誠を尽くす。これを天に仕えるという。」


「中庸」に「誠は天の道なり。これを誠の道にするは人の道なり」とある。
誠とは偽りのない真心のことで、つまり自分自身を偽らないことである。
自分を偽ることはすべてを偽ることになるからである。


心身統一合氣道の師範と呼ばれている指導者の中には、このことが分かっていない者が存在する。指導者の資格はない。指導者と呼ばれるものには、再任試験を実施して、資格を問うことが必要である。
posted by 弘心 at 12:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人心の荒廃


国会議員の不祥事、わが国にリーダーと言うべき人物の嘘偽りの行動…。息子を秘書に…、その人物がこともあろうに首相公邸での不適切行動が公にさらされた…。
親族を招いての宴会は、非常識いうほかない。
いつから総理大臣他要職の行動が問題視されたのか…。
それは第69代大平正芳内・中曾根康弘閣総理大臣までと言っても過言ではない。
それ以降の人物は、何かと問題を抱えた。
大平正芳氏などは、帝王学を学んでいる。それが精神の大きなバックボーンとなり、人物を作り上げているのである。
大平正芳氏の座右の書は何か…。中国古典の「論語」、「孟子」
、「十八史略」など。日本のものとしては「日暮硯」と「言志四録」。特に自分を高め、指導者としての心得を学ぶには、やはり「言志四録」が一番であると。
したがって今の岸田総理大臣などは、帝王学を学んでいない。
学んでおれば、不祥事が起こるはずがない。
ましてや息子に、何が人間として必要か、についての教育がなされておれば…公邸での前代未聞な恥じずべき行動が起こるはずはない。
私は想う。昔の人と今の人との学問の違いを。
「言志四録」をよんでみて、江戸時代のと我々現代人とでは、教育・学問にに対する姿勢が根本的に違っていた、人間の鍛え方が大きく異なっていたということである。
日本資本主義の父といわれた渋沢栄一は、江戸期の学問を受けた一人だが彼は五歳のころから「四書」「論語」「孟子」「大学」「中庸」を読み、十五、六歳までに「五経」(易経・詩経・礼記・春秋) さらに「小学・史記・十八史略・文選」などの中国古典を読破したとある。これだけの教養を身につけていたのである。
今の政治家や経済人で、これらの本を読んだことのある者は何人いるだろうか…。
指導者と名乗るものは、己の素養について一度振り返ってみるがよい。自らの心を知ることこと、そして相手の心を知ることが第一歩である。そのためには何を為すべきか…。
物事の真理を悟ったものこそ、指導者と言えるのではないか。
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今日の言葉


「人の心の霊妙な働きは「氣」主体としている。孟子は「氣はそもそも体に充満しているものだ」といっている。だから、氣を充満させておけば、何事もやり抜くことが出来る。もちろん技能や工芸についても同じことである。」
何事も「やる気」がなければ成功しない。その「やる気」を出させるのが「志」であり、そのもとは邪心のない」颯爽溌剌なる気持ちなのである。
そのためには、「心とは何か」
自らの心は、どこにあるのか」
を知らなけれならない。
人間、探求心を失うと、最早、進歩はない。
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今日の言葉


「税金から給料をもらっている役人にとって、好ましい字が四つある。公(公平)、正(正義)、清(清廉潔白)、敬(己を慎み人を敬う)。
これをよく守れば過失を犯すことはない。また、好ましくない字が四つある。
私(私心・不公平、)邪(不正)、濁(いやしいこと・賄賂)、傲(おごり高ぶること・傲慢)、これを犯すこと、禍いを招く。」
役人のみならず、上に立つ者が守るべき四文字といえば、〔公・正・清・敬〕。
捨てなければならない四文字は「私・邪・濁・傲」。
しかしながら、現在の役人やに立つ者は、まったくこれとは逆のことをやっているのではないか。
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今日の言葉


「部下が、一生懸命仕事に務めていたなら、上の者はよく励まし、誉めてやることだ。ときには妥当性を欠く場合があって、もしばらくは様子をながめていて、機会を見て徐々に諭してやるがよい。決して頭ごなしに押さえつけてはならない。押さえつけると、意欲を失って、萎縮し、それ以後は真心を尽くさなくなってしまう。」


この言葉は、安岡正篤先生から学んだ。先生は佐藤一斎先生が書かれた「言志四録」から教示頂いた。
余談であるが、俳優の高倉健の自伝に「あなたに誉められたくて」(林泉舍)という本があったが、彼は母親褒められたくてこれまで頑張ってきたことを告白している。

人は誰でも誰かに「褒められるため」生きているのである。
そのようなことが分からない、理解できない一部の方が存在する…。
自分の思い道理にならないと、相手に罵詈雑言を浴びせる指導者…。
悲しいことである。
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2023年04月06日

合氣武道と出会って75年…。であい、わかれ、旅だち…。


年度の終わりそして新しい年度の始まり…このころになると、今まで共にしてきた友人、知人、なかまといわれてきた人とのわかれ・たびだちなど様々な場面を見てきた…。
合氣武道といわれているものとの出会い…75年が過ぎた。
今一度振り返ってみた。

子どもクラスでは、突然奇声を上げて道場を走り回る…。まったく人の言っていることを聞かない…。目が定まっていない…。など大変苦労したが、子どもの心臓と血管との関係、脳と手の関係を理解すると納得することが出来た。
更には、古代ギリシャ・アテネの教育との出会いは、私を子どもに対する見方を大きく変えた。
さらに分かったことは母親と子どもとのコミニケションが上手くなされていないこともわかった。家庭教育が崩壊している傾向が強い。

大人クラスでは、自分中心で相手を無視。注意すると、「やってるつもりです」との答え。人の話には、目を合わせない。視線が下を向いている。
無関心…。自ら感覚でとらえようとすることができない。知識の教育を叩き込まれたため、頭で考えようとする。武道は無意識の教育である。
山本五十六も手を焼く。今、思うと発達障害といわれる範疇に入るのであろう

これらに対して、根気よく助言し、観察をしてきた…。今まで述べ約五万人の方との出会いの中で、特徴的には、最高学歴(大学、大学院など)の人ほど、その傾向が見られた。中村天風、安岡正篤先生の「人間としての生き方」などとは、無関係なのである。東洋哲学などクソくらえである。
武道を学ぶ、武道を伝えるとは如何なることなのか…。最早,学習塾の範疇となり下がった感がある、と思うのは私だけであろうか…。

さらに、武道を指導する指導者と称する人たちはどうか…。〇段、師範と言われている人ほど、お分かりにならない人が少なからず存在する。
師範といわれ審査を担当する高段者。私の道場・教室で長年努力して、やっと昇段試験にたどり着いた…。明日試験という時の事前講習会で、考えられない罵詈雑言を浴びせられて、「先生、私はあの方の人間性はついていけませんので本日でやめます…」。何人もいました。残念で仕方がない。
その中の一人は、今、国の機関で宇宙関係の仕事についている。小学生の時から始められて、素晴らしい青年に成長された…。しかし、今も心に傷を負っている…。
一番残念なのは、指導者本人に自覚がないことである。

今は心身統一合氣道会がリスクマネジメントなどを制定して、表面上は無くなったように見える…。しかし、指導者の心の問題はそう簡単にかわるものではない。よほどの自己改革の努力、心底から問題解決のための努力が為されなければ解決には至らないであろう。

「物事の真理を知り、知識主義を棄てて、見識を育てよ」この言葉は、師安岡正篤先生から何度も言われてきた。
「知識というものは、それ自体では何の役にも立たない。頭の中で、いくら豊富な知識を持っていたとしても、それだけでは人間の形成にはならない。知識を心身の血肉化とする、つまり「知恵」に進化させることである。これが見識であり、それを体得することによって、信念が確立され、行動力の原点となるのである」 と。

私は三年間、修練の前に「心の問題」を説いてきた。今年三月で終了。
残念ながら理解して大きく変わられた方と、まったく無反応の方とに分かれた結果になった。
「人生のすべては自分の心が映し出す」「もっとも深い心は宇宙へと通じる」
一番印象に残った言葉です。

(弘心館道場では、又、百誦会を再開します。そこで「心の修養を基礎とした人間精神の再形成」のための集いです。関心がありますればご参加ください)
posted by 弘心 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月19日

四十五年前…藤平光一先生との合氣談議


藤平光一先生がご家族三人で高槻市の私の家に来られて、一泊していかれました。その時深夜まで合氣道の話をしていただきました。特に印象に残ったものを紹介させて頂きます。

「わしは、外国人を相手の場合、体格の差です。それをカバーする為に、筋肉をつけるために器具を用いての鍛錬をした。しかし、後になって間違いと分かった。結果微妙に動きが遅くなったことが分かった。体を鍛える必要はないのです。逆に体を柔軟にするのがよい。体に筋肉をつけてもほっておけば直ぐに元に戻る…。必要なのは「心を鍛える」ことだった。そのために座禅や禊修行などあらゆるものに挑戦した。その結果、心は鍛えれば鍛えるほど強くなり、元には戻らないことが分かったのだ…。それらの修行で力を入れることではく、逆に力を抜くことが大事だと…。そして力を抜くと「氣」がでることも自覚した…。」この言葉は一番印象に残っている。

私が合気会での稽古で植芝盛平先生が口癖のように語っておられた言葉がある。「わしの合氣は、米糠二合持つ力があればできるのじゃ…だからおなごでもできる…。」と。すなわちこの言葉は、強い力はいらん、ということであった。必要以上に肉体を鍛えることはしない。主は心にある、と。
さらに、「今の武道には心がない」植芝盛平先生言いたかったのは「心」だった。

藤平光一先生は、心身統一合氣道の四大原則を創られた時のことを話されました。そのなかでも「氣が出ている」このことは、心で氣が出ていると思いなさい、それでよい。私はそれでは質問をさせて頂きました。一つは「「心は何ですか」と質問をしました。
すると、「體の密なるを心といい、心の疎なるものを體という」と説明されてそれ以上の話はありませんでした。
臍下の一点の意味…、リラックスの意味…などこの言葉を生み出すまでの苦労について語られました。
最後に合氣道の極意は「力を完全に抜くこと」「心を知り鍛えること」そして心身統一合氣道の五原則の話をされました…。
そのことはまた機会をみてお伝え致します。

「心とは何か」この言葉がその後、私の心に強い影響を齎したのです。
私は人間を知るために、仏教関係の大学で、四年間原始仏教を学びました。
高価なサンスクリット語辞典を買い、釈迦が生まれて死ぬまでを説いた原始仏教を一から勉強しなおしました。

そして藤平光一先生の説かれる「臍下の一点に心を静める」とはいかなることか、ましてや「心とは何か」、このことが分からなくて心身統一の四大原則は自らのものには出来ないと…。
更には、中村天風先生の一言、「心が身体を動かす」意味などその真理はわからないのではないか…。

十年の月日が流れました…。そして運命的な出会いをさせて頂きました。
スリランカ上部座仏教・長老と呼ばれている人です。

その時から「心とは何か」が、霧が晴れるように私の心に入りました。
この続きは、また機会がありますればお話致します。

最後に「自らの人生は、自らの心が創る」「すべて心で始まり、心で終わる」
という言葉を…。
(文責 心身統一統一合氣道会師範奧山弘邇)
posted by 弘心 at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月11日

御挨拶

新年明けましておめでとうございます。
新玉な年を迎え、一言ご挨拶を申し上げます。
旧年中は色々とご指導ご教授を頂戴いたしましたこと心から厚く御礼申し上げます。
さて、私たちを取り巻く世界情勢は、大戦から78年経た今同じ轍を踏もうとしています。特にロシア、中国、北朝鮮、アメリカの動向…愚かなことです。私は、中満 泉国連事務次長が、遡って「レーガン・ゴルバチョフの対話」を大きく評価されていることに関心を持ちます。対話による外交こそ世界人類の平和に寄与される一番の武器だと考えるからであります。
日本においても敗戦による不戦の誓い、憲法第九条の精神について大きく揺らぎ始めています。私たち一人一人が冷静沈着に判断・行動することを望みます。
次にわが国の経済についてであります。世界第二位の経済大国から陥落。大學の順位にも大きく下落。貨幣価値も…。それでは我国経済浮上の鍵は如何なるものが考えられるのか、私は緻密な頭脳を持つ日本の若者に期待するものです。
すでに台頭している企業、グローバルニッチトップ(3つの英語を組み合わせた和製造語)企業です。その狙いは「隙間の市場・オンリーワン・世界を相手」として大きな成果をあげています。
具体例として、軽量素材で航空機逆噴射装置とその部品を作る会社です。世界の95%シェア、8割が手作業、その収益は2011年50億、2021年180億…。
まねのできないモノづくりに、希望と大いなる期待を致します。
次に、わが国の政財界、宗教界、教育現場における人心の荒廃は、目に余るものがあります。このような時代にあって、日本精神を伝統としての武道、心身統一合氣道を通じて、どのようにして人心を目覚めさせるのか…。本会にその精神を問われるのであります。
私は道場とは、「人間としての生き方を極める場」と位置付けました。
心身統一合氣道の目的が「人格の涵養(自然に水がしみこむように徐々に養い育てること)」にあると認識するとき、本会の責任は深遠なるものと思慮するものであります。
一長一短には成就するものではありませんが、時間をかけて押し進めていくことが肝要と思っております。ご指導賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
令和五年一月吉日
                     京都府舞鶴市字久田美1618番地
                      心身統一合氣道会弘心館道場
                         奥 山 弘 邇
posted by 弘心 at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年12月15日

限界集落移り住んで二十年…新しい出会い

地元の中学校生が「校区の皆様をお伺いして学ぶ」として位置づけて、高齢者宅を訪ねて、話をするというもので、訪問を受けました。
その時のお礼状です。教育は家庭教育・地域教育・学校教育の三つから成り立つものですが、近年に至っては地域教育は崩壊しているといっても過言ではありません。その中でこのような取り組みは素晴らしいものと言えます。


令和4年11月29日
舞鶴市立加佐中学校
校長 福 本 浩 介 様
舞鶴市字久田美1618番地
奥 山 弘 邇拝

花いっぱい運動について(御礼と報告)
 
霜寒の候、貴職におかれましては、益々ご健勝のことと拝察いたします。
日頃は舞鶴の学校教育に精励されておられますこと厚く御礼申し上げます。
さて、この度、事前にハガキにてご連絡を頂戴し11月16日に標記のために貴中学校の生徒3名が来られました。
質問を受けました。「中学時代クラブは何に入っていましたか」でした。私は「文芸部」で日本の国語の基礎をつくった夏目漱石が書かれた本や島崎藤村の詩など…と答えたかったのですが「えぇー文芸部?」と言われてその先がとまりました。今の中学ではそんな部はないのではと思いました。
何が質問ありますか?と私から問いかけましたが、なさそうなので、私から大阪市北区天神橋五丁目で生まれ、父が営む鉄工所と家は大阪大空襲でまる焼けになったこと、戦争を体験したこと。戦争で高槻市に疎開したこと、現在は人口36万人ですが当時は約10万人であつたこと。1947年五領小学校に行ったこと、「まちんどの子」といわれて虐められたこと…など話を致しました。
しかし、勉強して一番になったのと身体が大きくなったことで、虐められなくなったこと。高槻第一中学校、高槻第二中学校の二校しかなく、私は第一中学校へ…クラスは13クラス、一クラスは45人であったこと…。そして東京の大学で都市工学を学び高槻市に奉職。都市計画、都市再開発事業、都市計画道路など大きな事業を手掛けて、2000年退職後、江守舞鶴市長との交流で舞鶴市の街づくりのお手伝いをさせて頂いたこと。その縁で私は今の久田美という限界集落に来たこと…自らを振り返りながら少しお話を致しました。
そして今、75年修練をいたしました心身統一合氣道をもって日本国内はもとより台湾、カナダ、オーストラリア、イギリスなどへ指導に。又、久田美の弘心館道場に来られる方との交流を行っています。
三名の方には、学ぶ為の基本となる「姿勢・視線・間合い」について体験とお話しをさせて頂きました。良い出会いをさせて頂きましたこと御礼申し上げます。                              以上
posted by 弘心 at 14:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする