2016年01月26日

天人合一

「東洋に於ける思想・学問・文化は自然と非常に関連がある。むしろ自然に対する体験と思索から発しているといってよい。これが東洋精神・東洋文化を解釈し会得する根本の手がかりになる」

・東洋に於ける思想、学問、文化は、自然に対する体験と思索から発している。
古代から自然は事物であり、法則(理法)であり、神霊であった。自然は普通「他から力を加えることなく、自らそのように存在している状態」を指している。

孔子は自然という言葉こそ用いませんでしたが、自然の存在の中に人格的な天の存在を意識して、「天何をか言うや、四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。『論語』(陽貨篇)と語っている。

季節や万物が誰の手を借りることなく、年々規則正しく移ろい成長する姿のなかに、自ら存在するもの(自然)の法則的な働きと、その背後にあってそれを主宰する造花としての天の働きを、しっかり感じ取っていた。

この天と自然について、後出の老荘の思想家たちは自然を理法化して、儒家の言う天より更に根源的と考える自然を、文学的に、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る『老子』(二十五章)
表現し、自然を最高の原理まで持ち上げたのである。

さらに同時代の学者は、道と自然を一つにして、これを易経にある太極と称するようになり、さらに当時の中国は戦国時代で国土は荒廃していったことにより、政権とは無関係な知識人たちはこぞって老荘思想を受け入れていく。

すなわち、荒廃する都市や田園にはもはや真の自然はないとして、深い山水の境を理想郷としてそこに道を求めて深い思索を続けるようになった。

「自然」とは、このような「道」を具現化した「山水」のことで、山水に近づくことが、そのまま「道」についての体験と思索の最良の方法であると考えるようになったのである。
posted by 弘心 at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本精神の行方…、雪中花におもう。

雪中花 (日本水仙「花言葉」『希望・自己愛・高潔・神秘』)

今、NHKのドラマが人気、真田丸。武田家の滅亡を映している…、その武田信玄とその武将24人の中に、真田昌幸がいる。それよりはるかに信玄の親戚として重きを為し、勇猛果敢で知られた甘利虎泰という若大将がいた。合戦では常に先陣をつとめたが、信州上田原で村上義清の軍との激戦の末に打ち取られる。
TTPの交渉を先陣切って取り仕切っている甘利明大臣は、虎泰は自身の先祖だという。しかし、その甘利氏は、今、業者からの収賄の疑いでマスコミを賑わしている。
週刊誌の報道内容は、あまりにもリアルである。驚くのは、口利き料として、現金1200万円を大臣室で自ら手土産と共に現金入りの封筒を受け取ったという。事実であれば、実に残念なことであるとともに、怒りがこみ上げてくる。
今、政治屋に成り下がった政治家なる人物が横行する我が国の政界。
さらには、政治活動費を偽装しての国民の前で、言い訳で泣き叫んだ地方議員…。
これらに比べて、大阪の経済基盤づくりに渾身の努力をした五代友厚候は、清貧に甘んじた結果、死後には、多大の借金しか残らなかったとか…。正に生き方、生きる目的、人生の目標が異なるのである。
経済界においても東芝の歴代三人の社長の粉飾決算…。ブラック企業の出現…。詐欺行為の社会化…、期限切れの処理食品の横流し…。

我が子を虐待して死に至らしめる若い夫婦…、親を殺して年金を搾取…、金のためには、容赦なく人を殺す…。

日本人の精神構造は、敗戦と共に、捨て去られたのである。これも今から70年前からの新制小学校で、GHQの強制的偏向教育を受け続けた結果なのではないか。
その中身は、たった一つの言葉を誤ったことにある。いままで何度も書いてきた。人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「四患」即ち、「偽・私・放・奢」であると。そして、今そのひとつの言葉、「偽」即ち、嘘をつく、いつわる、ごまかす、だます、である。その嘘をつくこと、この事一つで、人生を駄目に、企業を潰してしまう人が如何に多いのであろうか。
今こそ「利他の心」を我が心として、「自らを取り巻く全ての環境は、全て自らのこころが創り出したものである」を自覚実践することで日本人の精神構造を立て直す時期では、あるまいか…。


posted by 弘心 at 15:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

なぜ、中国は嘘をつくのかー(壁諱)文化が生む中国の歴史


 中国が3日、「抗日戦争勝利70年」を記念した軍事パレードを実施した。旧日本軍が戦ったのは国民党軍であり、現在の中国を支配している共産党ではない。まして、1943年のカイロ宣言でルーズベルト米大統領、チャーチル英首相と会談したのは蒋介石国民政府主席であり、毛沢東ではない。
ところが、「抗日戦争勝利70年」を記念して製作した中国の映画には、出席していないはずの毛沢東が登場する。まさに噴飯モノである。こうした歴史の偽造、歪曲を行って恬として恥じない中国の行動の源は何か。
 北村稔・林思雲共著「日中戦争の『不都合な真実』」(PHP文庫)で中国生まれの林氏は「中国の避諱(ひき)文化に由来する」と指摘する。

“中国で科学が誕生しなかった大きな原因は、中国の避諱文化にある。中国人から見ると、「真実」は決して重要ではなく、重要なのは偉大な人物と国家民族の擁護なのである。必要ならば、真実を投げ捨て……ても構わないのである。”
「避諱」は避け、隠す(諱)を意味する。国家と社会の安定を保ち、発展させるのに必要なら国家の体裁を保つための虚言を弄し、ウソをつくのは望ましい行為として称賛、奨励される。
 例えば、南京事件など戦時中の日本軍の蛮行を誇大に言い募るほど愛国者といわれ、慎重な見方は売国奴と批判される。そこで、競って大袈裟な数字を並べ立てる動きが強まり、どんどん誇張、歪曲が広がる。
 林氏の著書によると、南京大虐殺についてある中国人が「日本兵が5万7418人を殺すのを見た」と証言した。
“この数字は一の位まで正確に述べられており、常識で考えれば嘘だと判断できる。しかし中国人は、誰も嘘だとは言えなかった。(この証言を否定すれば)日本人を弁護する売国奴の漢奸になるからである。……数字は、そのまま中国の主要な新聞に掲載された。”

しかも、この後がある。第2次大戦後の極東軍事裁判に参加した中国の主席代表が自著「極東国際軍事法廷」の中で、この5万7418人を引き合いに出し、(日本兵は中国人を)「針金で縛って」「手当たり次第に斬り殺した」「最後は死体に石油をかけて燃やし証拠を隠滅しようとした」と残虐な犯行を、想像で付け加えたのである。
 「避諱」文化に染まった中国人と歴史論争をしても、一致した見方に到達するのは不可能だ、と林氏は書いている。
日本のマスコミはよく、「日中共同で歴史研究をしてお互いの誤解を解き、双方の共通の土台を築く必要がある」といった意見を書く。
例えば、4日付けの日本経済新聞社説はこう見解を述べている。
 “(安倍晋三首相は)次の習(近平)主席との会談では焦点の「歴史認識」について丁寧に説明し、将来に禍根を残さないよう布石を打つ必要がある。中国にも大局を重んじる度量を期待したいところだ。”
 いつまで甘い期待に浸っているのだろうか。「国家のためには歴史を偽造してもいい」と考えている確信犯の集団に対し、歴史認識について丁寧に説明しても無駄である。骨折り損と言っていい。
 形式的な議論は最小限度にとどめ、お互い利点を共有できる経済交流の拡大や偶発的な軍事衝突が起こらないようにする取り決め、マニュアル作りを中心にした方がいいだろう。
 ただし、歴史の真実についての広報活動はこれまで以上に世界に発信する必要がある。
 安倍政権誕生以来、「日本の歴史認識」に厳しかった欧米のマスコミも最近は軌道修正の動きが目立っている。

英国の有力雑誌「エコノミスト」は8月21日号で「9月3日に『抗日戦争勝利記念』の軍事パレードを閲兵する中国の習近平国家主席こそ歴史をねじ曲げて、自国の将来の野心に利用し、日本を不当に悪魔化している」と厳しく批判する巻頭論文を載せている。
 表紙は習主席がライフルとペンとが一緒になった銃を持って立つ写真、記事の見出しは「中国はいかに将来を支配するために過去を修正するか」。
  欧米もだんだんわかってきた。韓国に対しても懐疑の目を向け、日本寄りになりつつある。ここで手を抜かず、政府や意のあるメディアは「真実の歴史」を世界に発信する努力を怠ってはなるまい。(雑誌「アゴラー言論プラットホーム」井本省吾氏投稿より抜粋)
posted by 弘心 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

病、陽明学的生き方、そして日本人の今日的精神

医食同源と言う言葉のとおり、全て食の在り方が原因です。しかし、「心が體を動かす」という原理から言いますと、食に対する心の持ち方が最重要となります。プリン体・コレステロール・塩分の多い食べ物出来るだけ控えて。しかし。これが大変難しいのです。プリン体とコレステロールの多い食べ物は特に肉類や卵類、魚の干物に多い、更に、蛋白質を一定量とろうとすれば、必要となる…などです。
しかし、最近の発表では、コレステロールは、食べるものは余り影響しない、とある。(この発表には疑問)。すると体内で作られる値が影響するのでは…、するとコレステロール値を下げる薬に頼ることになるが、これが厄介なもの。スタンチン系の薬は、筋肉の中のおうもん筋を溶解する副作用があると言われています。薬は百害あって一利なし、と言うのが私の結論です。
痛風や脳梗塞の予防としては、野菜と青魚を中心の生活に切り替えればよいでしょう。白米のご飯は、一食160グラム。出来れば酵素玄米を食して頂ければ良いと思います。塩分は一日6g以下、コレステロールは750mg以下。肉食をされる場合は、良質の肉を週一回60gが良いでしょう。
特に油は、気を付けて下さい。オリーブオイルと亜麻仁油にして下さい。オリーブオイルは心臓に。亜麻仁油は、脳神経に大変有効な働きをしてくれます。
身体が老いるのは、フリーラジカル(活性酸素)の作用と言われています。そのためには、SOD(分解酵素)を含むものを食することにあります。それが酵素玄米の持つGABAの働きと、羅漢果の持つスカべンジャーの働きです。(因みに私は、今、年齢75歳、身長170.BMI22.体重62kg、体脂肪17、内脂肪8、身体年齢50歳、視力は全てメガネなし)。

 自然との対話、特に大地との対話、心身統一道と心身統一合氣道は體に著しい効用を表してくれました。
そして、呼吸法と内観・陽明学による宇宙観が大きく作用することも今までの実践で、はっきりしたのです。
「随処に主となれば立処皆真なり」の真の意味は…。そのためには、自分が何のために生まれて来たのか・何のために知識としての学問を学んできたのか・そして何処へ行こうとしているのか・生きる目的は何であるのか…を解決しなければなりません。そのためには、格物窮理と格物致知の違いを自覚すること、知識主義を棄てて、見識を育てること、そして、良知に従った生き方をすることです。

王陽明は「万物は本来的には、窮め格(いた)ることは出来ず、格物を窮めるには、我が身と、わが心を窮めて、其の心にある良知(りょうち)をもって物事に表して理を得ることである。つまり、わが心の良知を顕現することが「良知」であり、それによって事物の理を得ることが「格物」である。因みに「良知」とは、人が生まれながらに持っている心の本体、知能を言い、真実の顕れとしての心の働きをいう。この良知の顕現において心と身、認識と行動が一体となる。これが「知行合一」の実践的な思想である。
すなわち、人は天地の心にして、天地万物は、もと、我と一体なり。生民の困苦荼毒は、いずれか、我が身に切なるものに非ざらんや…。人を視ること、おのれの如く、国を視ること、家の如くにして、天地万物をもって一体となす。
人は天地の心である、天地万物と自分は、元々毅然一体のものです。…自分のような人間も、動物も、草木も。天地から生まれて、やがて死んで、天地に消えていきます。もともと同じものなのです。この境地に立って考えれば、もともと、この世に他人事と云うものは存在しない…。」と。

今の日本人がどの様な精神的変容を経てきたのか、については、次のような変遷と言えます。「明治維新による教育・文化の欧米化⇒日本の精神・伝統・文化の大衆化⇒太平洋戦争の敗戦による無条件なアメリカ文化の受容⇒日本文化、精神の空洞化・日本的、東洋的な心の軽視⇒欧米風な科学主義・知識主義偏重⇒日本人の価値観と心の崩壊」、と言うことが出来ます。その為には、今の日本人には、心の修養を基礎とした人間精神の再形成が最重要と考えます。私は、その為、心身統一道と心身統一合氣道を方便にして日本的精神の再構築を、図ろうとしています。
少し長くなりました。小さな庵でも、壮大な宇宙を観て、浩然の氣を養うことが出来ます。では又。

posted by 弘心 at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月15日

第32回関西地区心身統一合氣道体技発表会

大会委員長挨拶として、に四つのことを申し上げました。

 一つは、植芝盛平翁を生涯の師として仰ぎ、翁の難解な言葉で伝授されようとした合氣道の真髄を幾多の修行を通じて、悟られた藤平光一(合氣道最高位十段)先生。それは、「真の合氣道とは何か」でありました。
さらに、昭和20年代、合氣道界最強のスターとして、わが国は元より、諸外国に広められました。

 真の合氣道を世に伝えるべく、新たに出発としての拠点として「財団法人氣の研究会」が設立されたこと。
そして、40年を経た今日、大いなる役割を果たして、今年3月をもって終焉を迎えました。
私達は、この事実を、永遠に伝えていかなければなりません。

 次に、二代目会長として子息の藤平信一氏が新たな目標を掲げて、新しい組織造りに果敢に挑戦され一般社団法人心身統一合氣道会として、一定の成果を生み出されたことであります。
今後の心身統一合氣道の形成発展に、皆さんの力添えが是非必要なのであります。宜しくお願い申し上げます。
 最後に、藤平先生が、わが国の漢詩の偉大な師、徳富蘇峰の高弟として、その知識を生かして、「誦句集」が存在します。その集大成と云うべきものは、「争わざるの理」であります。

このことを理解する一つとして、針ヶ谷夕雲(江戸時代前期に活躍。元は柳生新陰流、後に無住心剣夕雲流を創設。柳生石舟斎・山岡鉄舟をして、その前に立っただけで何も出来なかったと言わしめる)の言葉を伝えまます。
その言葉とは、すなわち、「『勝とう、勝とう、思ってはならない』。自らが『負けるとは何か』、について研究をしなければならない。そして、只、『負けない』とのみ思慮するのであります‥。」この言葉は、私の長年の求道歴において、大いなる変化を生じさせました。(針ヶ谷夕雲が、後世に残した言葉と心のありようは、其の弟子の小田切一雲「天真独露」(原漢文)で残されています)。今日此処に紹介申し上げます。

本日の大会に於かれましては、この深遠なる一つの言葉に想いを馳せて頂き、今大会に挑戦して頂ければ大変喜ばしいことです。この言葉を持ちまして、挨拶と致します。
大会委員長奥山弘邇
posted by 弘心 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月29日

NHKの報道問題、そして台湾に学ぶ

数年前から、最高学府を出て名を為し功を遂げた人達が揃って「申し訳ありません、済みませんでした」とマスコミの前で頭を下げて謝る場面が多くなった。全てが「偽」のためである。嘘をつく・偽りの為に、自らの人生に終止符をうち、企業が潰れる…。そんな場面をNHKもTVで映している。何を学んでいるのであろうか。菅子は、「四患」即ち、人を滅ぼし、組織を滅ぼし、国を滅ぼすのは、「偽・私・放・奢」である、と説いた。NHKのトップは、余りにも節操がない。いや、NHKだけではあるまい
このままでは、日本人としての誇りも、この国も滅びていくのではないか…。

「己を磨くために、学ぶんだ…」とは、吉田松陰の若かりし頃の言葉である。今、わが国を動かす年代層の群像は、何を学び、なにを成し遂げようとしているのか…。

4月17日から四日間、戦後70年の節目として、戦時中、台湾バシー海峡においてアメリカ軍の魚雷を受けて撃沈され約26万人から30万人とも言われている人達が海底に沈んでいる英霊を慰霊するために台湾へ行って来た。生き残った一人の日本人が私財をなげうって、潮音寺を建立された。その人亡き後、台湾の人達が守り続けられている姿を見た、さらに花蓮、高雄市、台南市に伺い、両市の市長と面談をした。市内には、数多くの日本統治時代の日本の家屋が保存されている。その中でも嘉南大圳を台湾一の穀倉地帯に変えるために、烏山頭(ダム)を造り、網の目のごとく水路を張り巡らし水田を作り上げた日本人、八田興一氏は、今も台湾の人々から神様として尊敬されている。

台湾へ縁あって心身統一合氣道の指導に6年間13回訪問しそして多くの人と出会った。今、花蓮・高雄・台南に広げようとしているが、それは、台湾を日本が統治した時、児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造氏らが街づくり、教育ともに日本と同等の考えで造られ、教育を行ったことが、台湾には日常の中に「道義」が生きているのを発見したからである。

私は、台湾の多くの人達と出会いそしてその中から、日本人とはなにか、を学んだ。
私は戦後の教育を受けたが、何故か教育勅語・道徳・修身などの言葉は意識から除外されてきたように思えて仕方がない。
今改めて教育勅語を読んだ時、12の徳目は、人間として当たり前のことであることに心が騒いだ。
いや、戦争を美化したり、人権を無視するような考えは微塵もない。ただ、人としての生き方に想いを巡らすのである。
今の台湾には、「日本精神…リップンチェンシン」が生きている。

posted by 弘心 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月23日

「財団法人 氣の研究会を振りかって」

戝団法人氣の研究会」を振り返って
昭和46年9月16日、元合氣会総師範部長 合氣道十段藤平光一先生が、私財を投じて財団法人氣の研究会を厚生省認可のもとに設立されました。この事実は、わが国はもとより世界の合氣道界には、大きな刺激を与えました。
合氣道の真髄を求めて止まない多くの人たちは、全国津々浦々から藤平光一先生のもとに駆け参じました。その熱気たるや大変なものでありました。
年に数回開催されました千葉県勝浦にあります日本武道館研修センターには、全国から参加された人たちで溢れかえっていました。
当時から44年過ぎた平成26年度で解散致しましたが、日本及び世界に「合氣道」を広められた功績は、実に偉大なものであります。
しかし、日本においてはその功績を抹殺しようとする動きがあります。
現に合氣道創始者植芝盛平翁から最高段を允可された師範の中で、みずからの合氣道の技の実力で、世界にその成果を示された師範は、皆無に等しいと見ることが出来ます。

合氣道創始者植芝盛平翁を、生涯師として仰がれ、師の難解な言葉の中から、「合氣道は、相手の氣を導いて崩し投げる…」即ち、「氣」について悟られて、それを合氣道の技に具現化されました。即ち、「心が身体を動かす」原理を会得されたのであります。

そして、合氣道創始者植芝盛平翁の説かれる合氣を引き継がれたのであります。植芝盛平翁とは、説明の仕方、指導方法は異なりますが、伝えようとされる内容は全く同じであります。
藤平先生は常々「合氣道から「氣」を取り去れば、唯の踊りと一緒である…」と言われた言葉が今も鮮明に頭に残っています。

私たち藤平光一先生の門下生として、この厳粛なる事実を忘れてはなりません。
今、藤平光一先生が残された「心身統一道・心身統一合氣道」という道燈を二代継承者藤平信一会長が守り育てておられます。

さて、戝団法人氣の研究会が設立されて、五年目に「戝団法人氣の研究会五年の歩み」という冊子が今から約40年前に、限定数で発行されました。その中で主だった方々の言葉を紹介させて頂きます。藤平光一先生が如何に世界の多くの方に影響と感動を与えられたかがお分かりになります。


氣の研究会五周年記念によせて
毛利松平   元国務大臣 元環境庁長官 衆議院議員
私と藤平会長との最初の出会いは、昭和11年5月であった。当時私は慶応本科二年で柔道部の副将をしていた。その日、慶応予科の柔道部の日吉の合宿に行ったので在ったが、一人の新入生が負けん気になって、熱心にけいこしているのが強く印象に残っている。それが藤平会長であった。早生まれの上に中学四年修了で慶応の試験にパスして入学したとかで、他の学生より二歳は若く、多分満十六歳位であったろう。童顔も未だ抜けきっていなかった。
卒業後お会いしたのは、昭和15年6月満州撫順炭鉱に於いてであった。満鉄に奉職し、三千人の青年隊の隊長をしていた時であった。当時、恰も東亜に戦火が拡がり風雲益々急を告げるに至り、学生の海外渡航は一切禁止され、満州、支那大陸に日本の学生の姿を見かけなくなった。そんな時、不意に慶応の学生二人が尋ねてきた。藤平氏と藤井驍一氏であった。どうやって渡航したのかと聞くと、南洋木材の専務をしている知人に頼んで、臨時航員として、船員手帳も正式に作ってもらい、ボルネオで木材買い付けをし、それを上海に運ぶ船に便乗したと云うのである。上海でその船と別れ、南京、徐州、済南、天津、北京から蒙古を経て満州に入ってきたとの事であつた。後年、合氣道普及にアメリカを始め海外諸国を飛んで歩く旅行癖は、この頃からあったのかも知れない。
その年の暮、私が所要で日本に帰った時、慶応柔道部の後輩が集まってくれた。私は、学生時代、柔道の他に植芝盛平先生について合氣道をも学んだ。合氣道も今の様に流暢な優雅なものではなく、激しい武道であった。余程道心堅固なものでなければものにはならない。慶応柔道部で、誰か之を極める者はいないかと、みんなの顔をみながら心で物色したが、これはと思う顔がない。
その中に藤平氏の顔があった。「うん、これなら立派にやっていけるだろう」と心に思い「百人力の先生がいる。君はこれから行って習わないか」と名刺に紹介状を書いて渡した。藤平氏はニコッと笑って「ハイ」と言っただけであった。
一つの事を三十年続けるという事は容易ではない。藤平会長はそれ以来今日まで、三十六年という長い月日を唯一筋に道を求めて精進されて来たのである。
その間、禅・美曽岐・滝の修行など、あらゆる修行を極め、遂に合氣道を単なる武道から脱皮させ、心身統一の大道、人間の正しく生きる道として集大成させたのである。今や国内はもとより、海外に広く之を普及し、世界の人々より感謝渇迎されている。その努力さる事ながら、世界中の人々に人類の副音を
もたらした功績は誠に偉大なものがある。
ここに氣の研究会の五周年を心から祝福すると共に。藤平会長の益々の御精進御奮闘を祈って止まない次第である。

藤平先生へのメッセージ
ジョージ・R・有吉  ハワイ州知事
藤平先生のハワイにおける御活躍について述べ、先生の合氣道の紹介と教えを通じてのハワイ州民の生活への多大な貢献に感謝することは、私の大いなる喜びとする次第であります。
1953年に合氣道を単なる護身術やスポーツとしてではなく、生活に対する全く思想的なアプローチで、しかも、全ての人間にとって恩恵を与えるものとして我々は初めて本格的に学んだのであった。
それ以来、藤平先生は何度もいらしては、合氣道に入門し肉体的にも精神的にも稽古をしている人々の輪を広げて行きました。最近になって、この偉大なる先生はハワイに氣の研究会を設立し、合氣道の真髄であり、また、我々にどのようにして日常生活での人間関係に会氣道を生かしていくかを、よりよく理解させるところの、氣の思想の原理を教えて下さいました。
ハワイ州は、藤平先生が教えと書物を通じて何千人もの州民を、より豊かに、より楽しく、より健康的な生活をさせて下ったことに感謝いたします。我々は
この素晴らしい先生がおやりになる全てにおいて成功なさいますよう祈ります。
strong>
posted by 弘心 at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月04日

映画「KANO」が描く日台の絆

台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教授)
台湾全島が熱狂した。昭和6年、全国中等学校優勝野球大会に台湾代表として出場した嘉義農林が、内地の代表を次々と下し、決勝戦に進出したのだ。現在、夏のビッグイベントとなった甲子園球場を舞台に繰り広げられる高校野球の大会に、当時日本の統治下にあった台湾から代表としてはるばる海を渡ってやってきた台湾南部の嘉義のチームの健闘は、台湾のみならず、全国の人々に感動を与えた。日本人、台湾人。台湾先住民からななる混成チームの善戦、健闘が大きな要因であった。
野球のみならず、ダムを建設し嘉義と台南の平野部を一大穀倉地帯に変え、今日でも台湾で尊敬されている八田與一を登場させるなどストーリーを作っていった。
徹底した人選と演技指導がなされ、監督は先住民が日本に対して反乱をおこした霧社事件を扱った映画「セデック・バレ」を製作した魏徳聖。一番のキーとなる近藤兵太郎監督役には香港映画にも出演したことのある演技派の永瀬正敏を起用した。
 野球をテーマとする映画で難しいのはフォームやプレーがひどいとしらけることだ。約千人ま野球経験者の中から13人が選ばれた。特に嘉義農林のエース兼4番の明捷役には名門輔仁大学の現役野手、曹佑寧が抜擢され徹底的な演技指導を受けた。企画から4年、2014年2月に完成した映画「KANO」は、全島優勝時を再現して、台北から特別列車を仕立て、関係者一同が嘉義に向かい、駅からかっての嘉義の練習場へパレードした。6万人以上か参加し、冒頭から大変盛り上がった。上映開始にあたり「日本の植民地支配を美化するのか」「あんな映画は見るな」といった声も聞かれた。関係者は「観てから批判してほしい」と訴え、一度上映されると大変な人気を呼んだ。
人々に広がる感動と共感
台湾では映画のエンディングマークが出ると、配役、製作関係者、協力者の名がスクリーンに映っている最中でも、観客はどんどん帰ってしまうのが普通だが、「KANO」に限って「終わり」と同時に拍手がおこり、主題歌が終わるまで誰も席をを立たなかったという、
3民族が協力して近藤監督のもと必死でプレーを見せる。特に甲子園に来て決勝進出まで3連投の対中京商業戦では、右人さし指の爪がわれ血染めのボールを投げ続ける呉投手と、それを励ます監督とチームメートの姿に台湾の若い層は感動の涙をぬぐいながら映画館を出てくるありさまだった。
 史実とは若干時期のずれがあるが、ダム完成で水田に水が流れて行くもようと嘉義農林の甲子園出場決定をダブらせる手法も効果的で9月に再上映となった。昭和6年の台湾と日本を舞台とするため、近藤監督と選手の会話はじめ住民の話す言葉のほとんどが日本語で観客は字幕で理解する以外ないのだが、青春ドラマ、人間ドラマとして純粋に楽しめる内容が共感を呼んだ大きな要因であった。
日本でも1月末から限られた映画館とはいえ、全国で上映が開始された。
中国、韓国と関係がぎくしゃくする昨今だが、戦前の台湾でこうした出来ごとがあったこと。なぜ現在、台湾の人々がこの映画に共感するのか、ぜひ見て考えてほしい。(産経新聞、正論。池井優慶応大学名誉教)
忘れられた嘉義農林の活躍
日清戦争の結果、台湾を領有した日本は、植民地当時の一つとして野球を利用した。野球を普及させると同時に、満州、朝鮮とともに外地の中学の代表を日本で行われる全国大会に参加させ、内地との一体化を図ったのである。
だが、やってくるチームの選手はほとんどが日本人であった。現地で生活する日本人子弟が通学する学校が予選を勝ち抜いて出てくるのが通例だった。
台湾代表も大会参加以来、台北一中など日本人選手で構成される台北のチームがは8年連続して甲子園にやってきた。しかし、近藤兵太郎が南部の嘉義農林の監督を引き受け、民族にこだわらず選手を集め、猛練習で鍛えた結果が台湾の地方大会を勝ち抜き、代表として海を渡って甲子園への道へとつながったのである。
この嘉義農林の活躍は戦後の台湾ではほとんど忘れられた出来ごとであった。
50年にわたって統治した日本に代わって台湾を統治することになった国民党政権は、日本時代の遺産を払拭するため、野球もその対象とし、ましてや3民族結束がもたらした甲子園の成果など消し去りたかったのだ。
だが、リトルリーグの世界選手権優勝など、野球が台湾の一体化に効果が在ると判断した政権の方針変更で、ついにはプロ野球まで創設されるに至った。こうした状況の変化の中、先住民が日本に対し反乱を起こした霧社事件を扱った映画「セデッく・バレ」を製作を魏徳聖監督が、この映画のリサーチ中に資料を見つけ、「これは!」と思い、存命中の出場選手はじめ関係者にインタビュ―するなどとして脚本を仕上げた。(正論から抜粋)
私は、野球の顧問として、王貞治氏の名前もあり、技術的指導もあったと推測している。漢民族・先住民・日本人からなるチームを、日本の要人から、指摘を受けると近藤兵太郎監督は、「民族は関係ない!全く関係ない!夫々の若人が一つの目標に向かって頑張っていくことに意義がある!何が問題なのか!」と語気を強めて言い切る場面は、この映画の一つの山場だと思っている。

 私は、過去の台湾の人達、並びに今の人達から、本来の日本人の姿はどうであったか、又、日本人としてどうあるべきなのか、ついて多くを学ばせて頂いた。
児玉源太郎・後藤新平・新渡戸稲造などの先達が台湾でおこなった施策についても
人によって異なる批評もあることは承知しているが、彼らは、少なくとも植民地としての対応ではなく、日本の領地として本土と同等同様な考えで台湾の近代化に臨んだと理解している。私は戦後の教育を受けた。封建制度・教育勅語・修身…、などの言葉には、充分な理解を放置したまま、心をとざしてきた。しかし、今改めてその中身を思慮した時、今の日本人が、忘れさせられた、ものがある。と実感している。
台湾の人達から、その想いを、思い起こさせてくれたことに、深く感謝するものです。私は、心身統一合氣道という武道を通じて、台湾の多くの人達との6年にわたる交流を重ねて来た。台湾に、和を重んじる日本精神、武士道精神を、そして、人をつくり、組織をつくり、国をつくる為の「四維」すなわち、「礼・義・廉・恥」を涵養して、人格の涵養に少しでも役に立てればこれほど嬉しいことはありません。













.



























posted by 弘心 at 14:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

川崎市の中学生殺人事件

今日、衆議院予算委員会で標記の事件についての質問があった。某委員は、「今回のような事件が起こるたびに、多くの専門家と言われる方の様々な関わりが生まれる。更には、捜査を行う警察、弁護士、裁判所など実に多くの組織と人材が投入されて究明のされていくのが現状だ。本当は、このように事件が起こってからの人の関わりでなく、起こる前に何らかの対処は出来ないのか…」と言う意味であったと思う。
この事件の根は深い。以前にも述べたように、未成年の場合、教育機関だけに目を向けるべきではない、教育との場は、学校教育だけではなく、家庭教育、地域教育と三つが交わる関係の中で成り立つものである。しかし、社会の原単位である家庭において、核家族と言う言葉がマスコミに現れた時期から、少しずつ変化しだした。人生の先輩(お年寄り)が家族から消えてから、経験体験豊富な目で子供観ることが少なくなった。さらには、地域社会、向こう三軒両隣等の意味が、ハイカラな言葉としてコミュニティで表現されるようになってから、地域がお互いに身守る気配が消えていった。
これらは、プライバシー保護、個人情報保護…の権利主張とともに更に深刻化している現状である。夫婦の目で子供を見つめる家庭教育の場が崩壊しつつある現状と、他人の子供達に目を向ける地域の複数の目が消えつつある地域教育。
これらが全て学校教育に被さっている現状である。学校教育は本来すべきものがある。公教育としての学力の涵養である。しかし、今、マスコミなどに一番に登場するのは、学校である。学校という教育の場から子供か一歩離れれば、学校は本来関係が無くなるのが本当ではないか。
その意味で「保護者」としての責任は重いものである。

さて、社会の原単位である「家庭」が子供に充分目を向けるだけの経済的・居住空間などの余裕が出来ているのか…、学校教育は、教師とそれを取りまく学校としての組織が円滑に働いているのか…、前述の「根が深い」と言う意味は、
一つの現象面を平面的に捉えての原因究明ではあってはならないことを言っているのである。
何故このような事件が起こるのか。行政は、過去多くの事を学んできた。それらの成果を生かすことが一大事であり、ことが起こってからその検証をすることが責務ではない。子供の取りまく現状を、地域教育の場が崩壊している現状を、行政が関わる組織づくりが求められるとともに、せめて事故が起こった後に関わる人的資源と同じ位の人的資源を投与して、きめ細かい観察を日常から行うことが必須と考える。さらには、親が子供に余裕を持つことが出来るだけの所得を、国が経済政策でもって責任を果たすことが最大の課題であろう。
安倍政権の責任は重い。
posted by 弘心 at 22:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月02日

言葉の力

日本のリーダーに求められる「言葉の力」とは、立命館大大学院
(言語学)東昭二教授は次のように述べている。

「言語学者の批評として、今の政治家の演説には、「フレーム」が
欠落していると言われている。
フレームとは、クラシック音楽がを例にとると、「モチーフ」。
調べが繰り返される中、浮かび上がる主題のこと。
その点、米国のオバマ大統領は演説に定評がある。
その特徴は、自分の話ではなく、聴き手側の話を中心にしている。
日本の政治家は、「言葉が最大の武器」という意識が低い。
自分がどんな風で語り、どんな言葉を多用しているかを意識せずに
話す人が多く見られる。
社会言語学の研究によると、日本人は「わきまえ行動」をとりがちとされてる。
場をわきまえて社会的なルールや仕組みに沿って話したり行動したりすることを
重んじるらしい。だから、演説にしても、「演説とはこんなもの」という「わきまえ」が前提として
政治家言葉や口調で話そうとするため、聞き手には伝わってこない。
そして日本の政治家は300年前の啓蒙思想に取りつかれている人が多い、
とも分析されている。
現代のリーダーの言葉に求められるのが説得力である。
その意味でフレームの内容は別として、みんなが共感するフレームを提供するのが
一国のリーダーに求められる能力である。」と。

確かにそのようである。
日本の政治家は、何故話がヘタクソなのか。アメリカのオバマ大統領の演説は、
言葉はわからなくても、何故か、その言葉のリズムあるいは、感情の入れ方、
顔の表情から、此方に伝わるものが感じられる。

一つには、心から體を動かすような、琴線に触れる言葉や表情が自らのものとして
出していないからではないか。

話は違うが、合氣道の塩田剛三氏は、合氣の説明に「中心力」という言葉だけしか
喋られない。植芝盛平翁は、難しい宗教の言葉を引用して語られた…。
心身統一合氣道創始者籐平光一氏は「氣」と「臍下の一点」。

しかし、よく考えると、的を得ている。
「共感する主題」をあらゆることを試されてきて、「恐縮された言葉」となって
吐き出されたものであろう。 一貫してプレがないのが特徴でもある。

「言葉の意味」と「言葉の力」を深く認識してみることが重要である。
posted by 弘心 at 21:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする