2008年08月18日

三冊の本

「下流大学が日本を滅ぼす」「夫婦の格式」「なぜ生きる」
の三冊。

少子化による、「大学全入時代」を目前に私立大学の
定員割れが過去最高に、学生をお客様扱いにする大学に
社会に出て生き抜く若者を育てることができるのだろうか?
と「ひよわで、甘ったれ」と酷評。

さらには、今のキャンパスの現状を次のように表現。
・打たれ弱い、すぐ泣く学生が急増
・一人で大学に行けない学生
・批判されると泡を吹いて倒れる
・宿題を出すと怒鳴り込む親
・入学式は、祖父・祖母まで一緒に
・卒論を教授にタイピングさせる…
改めて考えさせられる本でもある。
著者は、下流社会シリーズを書く三浦展氏。

今の男女平等は、この国から何を奪ったのか。
混迷する現代男女関係を一刀両断。
そして、幸せに生きるための二人のルールとは?
・夫婦の間で男女平等はない
・一言あれば、直に女は納得できる
・子供の前で亭主をこき下ろすなど、言語道断…
「男を立てる」「内助の功」…そんな言葉はどこへ行って
しまったのか。今の夫婦に投じる画期的男女論でもある。
著者は、「渡る世間は鬼ばかり」橋田寿賀子氏。

文明がもたらす人間の苦しみを直視した夏目漱石と
マックス・ウェーバを手がかりに、苦悩を通して真に
強さを掴む生き方を提唱。
・何のために働くのか
・変わらぬ愛はあるのか
・何故死んではいけないのか
・信じる者は救われるのか
・悩みぬいて人は強くなる…
著者は、姜尚中氏。

これらの三冊の本を読んでみて、共通したものがあることに
氣が付いた。
それは、その病根として、劣化する現在日本の
経済・社会にある。

我が国は、歴史的に見て、人は一人では生きられない
ことを承知したうえで、血縁による大家族制や
地縁による共同体を形成し濃密な人間関係を築いてきた。

そして、下田沖に黒船が来てから、西欧に追い越せ
追い抜けと努力してきた。

その中で明治維新後の政府は、共同体を崩壊させ、
さらには戦後の外国からの強制的制度改革を受け
長い間にわたって培われた我が国の家族制度、
地域コミニティー。教育制度を一変させた。

特に教育は、日本人独特な思想を根底から変革。
徳川時代に培われた男女の教育思想(具体的には、子女の教育に重点がおかれた。なぜか、子どもはその国の将来を担う…、そして女性はその子どもを生み出す。人を創り出せるのは、女性だからである。その女性(母親)の精神的健全化は、ひいてはその国の存亡に関ることになるからである)を完全に崩壊させた。

橋本政権以降、市場原理主義が格差社会を作り出し、日本人としての精神的骨格を骨抜きにされた国民は建国始まって以来の受難の時代に突入した。すなわち、戦後の高度経済成長は大家族制を解体し、核家族を生み出し、バブル後は、それすら解体しつつある。
国家並びに企業は国民の生存・自由・幸福の保障と追及を自己責任の
もとに帰属させるかのごとく、制度・雇用を変化させてきた。

このような社会にあつては、特に若年層には生きる目的が絶望に変わっても不思議ではない。百数年経た現在、人間性希薄・無機質な社会に生まれ育った若者は残酷な親子・兄妹殺人が起こり、殺すにはだれでもよかった、という言葉となって絶叫する。

今、求められるのは、政治改革でもなく、その前に私たち一人一人の
意識改革てはないだろうか。
三冊の本からは、そんな声が聞こえてくる。
posted by 弘心 at 20:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

目の地蔵尊

敷地内に何故か、お地蔵さんが存在した。
訊ねてみると、「目の地蔵尊」とのこと。

前の所有者が工夫を凝らして、社を作られていたのが、
もう風化しているのを何年も前から、作り直そうと
思って今になった。

そのせいなのか、少し視力が悪くなったようにも想う。
いや、それはさておいて、基礎土台とするブロック、
セメント、建屋の木材などを買っておいた。

高槻からKさんが子供二人を連れて来てくれた。
基礎が出来、材木を刻むことが出来た、感謝。

後、一息で完成である。
敷地内の山裾から湧き出た水が、池の底からも
湧いている小さな池に流れ込んでいる。

昔は、生活水の全てをこの水で賄われていたようである。
今も、日常の洗い物や、畑の水がこの小さな池の水を
用いている。

想像するには、この水で目を洗っておられたのであろう。
その位、水は綺麗。そして不思議なことに腐ることはない。

50m離れた隣の家にも同じように湧き出ている。
調べてもらうと、名水とのことで、企業が買いに
来たそうである。

大切にしたい。
posted by 弘心 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オリンピック2

日本柔道連盟においてもこれからの柔道の行く末についても
、見解はまとまっていないように思える。

男子柔道にも、日本本来の一本勝ちにこだわる者と
JUDOを迎合する者がいる。しかし、日本のお家芸でもある
柔道として、あらたなルールが求められているのではないか。

レスリングと変わらないようであれば、本来の創始者の
想いは違った方向に行ってしまう。
例えば、相手の両足を両腕で抱え込んで倒す、諸手がり
などはレスリングのタックルと同じようなものである。

こんなもので、背中をつけて一本であれば柔道本来の
意味がない。
「効果」あるいは「優勢」とすべきであろう。

一瞬、その次の一手で相手の生命を断つ、と判断される
ような体制と技は、当然有効、効果とすべきである。
posted by 弘心 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

オリンピック

北京オリンピックが今、話題である。
以前に柔道について書いた。
男子柔道はあまり振るわなかった。

柔道とJUDOの違いがはつきりとした大会でもある。
我が国の戦国時代における戦いは、武者どうしが
向かい合い、「我こそは…なり、いざ、勝負!」とお互いに
名乗りあって、切り結んだ。そこには、死を決して戦いに
臨む者の誇りと格式が感じ取れる。

その後、織田信長の歩兵による火縄銃の登場により、
如何にして、相手を早くしかも大量に殺すことが出来るか、
に戦い方が変化してきた。

まさに柔道の世界も同じような変化が起きていると
言っても良いのではないだろうか。

超百キロ級で金メダルをとった石井慧選手の言葉に、
「私にとっての柔道は、スポーツではない。戦いだ」
「綺麗な試合を望むなら、床体操に行けばよい。
勝たなければ、意味がない…」

この言葉は、まさに今の柔道の課題を物語っている。
武道で言う「勝ち」とは、どのようなことを指して
言うのであろうか。

「相手の命を先に奪うことで勝つ」ことが本来の
勝つ意味である。しかし、スポーツでは、「作られた
約束事即ちルールを先にクリアーしたものが勝つ。
つづく
posted by 弘心 at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月05日

脳活性化術

脳科学者、茂木氏の話では、
「同じことを繰り返すこと」が良いと言われる。

フランスのワインづくりは、何百年も同じことを繰り返して
ワインがつくられてきている。
しかし、同じことでも、観察力が広がり、その過程で
研ぎ澄まされた感性と直観力が働き、新しいものが生まれて
くるのであると…。

「創造すること」創造とは、思い出すことである。
絶えず記憶をたどり、思い出すことが良い。すなわち
側頭葉から前頭葉の働きを活発化させる。

「何事にも意欲があること」が重要。
これらには年齢は関係ないとのことである。

以前に合氣道のホームページでも述べたように、
「止観(しかん)」という言葉がある。
この意味は、一つのことを深く極めて行くことにある。、

一つのことを継続して行じて、深めていくことにより、さらに
その物事の真理が見えてくる。
即ち、継続は力なり、の所以である。

私は、そのことを、農と武を通じて実践している。
合氣武道を通じて、一心不乱に求めていく中に、光明を
観ようとしているのである。
posted by 弘心 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

攻めの行政

大阪府庁の移転が囁かれている。
今日、大阪市長と大阪府知事が意見交換があった。

現在の大阪府庁の建物は、上町断層のすぐ横に
位置している。
耐震的には、震度6で倒壊するそうだ。

耐震工事費には約160億必要。大阪市が今、
二次破産の憂き目にあるWTCは時価160億。

丁度良い値段である。ワールドトレドセンターは
バブルの時代に立てた総工事費約1200億の建物。

大阪府知事は、道州制を考えて考えているそうだ。
その意味では、位置的には丁度よい。

たしか以前に大阪府庁の建て替え計画は出来ていた。
確か黒川きしょう氏が基本構想・基本計画・
一部実施設計まで手掛けている。

私の在職時に、年次計画が示されていた…。
あの設計料は無駄だったのか。
いずれにしても大阪府は大きく変わろうとしている。

しかし、話題は変わるが、消費者物価指数が昨年の
十月からプラスに転じている。

年の六月で1.9。この数字が2以上になれば、
経済的には危険水位である。

インフレには、収入すなわち給料が上がれば良いので
あるが、上がっていないのに、物価だけが上がっていく…。

もっとこの視点に焦点を合わせた施策を国に求めると
ともに苦言を呈してほしい。

生活に伴う具体的な施策を打ち出すこと、
食糧生産施策を中心にした道州制を…。

その意味で若い知事に期待したい。
posted by 弘心 at 17:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月25日

自然とともに

以前にも話した通り、今、田舎での生活は私が
生まれる前から定まっていたように思う。

勿論合氣武道との出会いも…。父から習った
八光流とも同じであろう。

三週間前に草を刈り、耕運機で耕した場所が20pの
雑草に覆われている。又1からやり直し。

朝、5時に眼が覚める。
畑の草ひき、體の動かし方は人とは異なる。

腕の力は使わない、指は草を軽く挟むだけ。
肩を使う、肩甲骨を使う。疲れない。

鍬で畝をしつらえる。鍬は杖の動きと同じ、體の動きは
大腰筋とハムストリンクス、肩甲骨、股関節、肋骨…、など。

朝食は野菜オンリー。畑から胡瓜、茄、ピーマン、
万願寺甘唐を食べるだけ採る。

万願寺、茄、ピーマンは焼いてポン酢で、胡瓜は塩もみして、
さらに、蔓紫の葉を採って軽く湯がいて、ポン酢で頂く。

玉ねぎを薄くスライスして、少量のオリーブ油で炒める。
白米と発芽玄米のご飯、きのこの味噌汁。

そして1日が始まる。
posted by 弘心 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月23日

38.6

今日の舞鶴の気温である。観測史上一番高い気温。
38.6度…聞いたことのない数字。

地球の温暖化とはいえ、何処か何かおかしい。
以前にも書いたが、不吉な予感がする…。

天地異変が起こらなければ良いが…。
私のこの弘心塾の建物のある地も、調べてみると、
約40年毎に災害が起こっている。

今から四十年前に大規模な土砂崩れがあって、隣の家が
押し流されたようである。

その為に砂防堰堤が設置されている。
地球全体も、地表を振動させて調和を保たせている。

それと同時に、地域でも小さな身震いをさせて、
ランドスケープを変化させている。

特に、西舞鶴地域には、急傾斜の危険個所が多数存在する。
行政は、年次計画をたてて、その対策としての保全工事を
実施しなければならない。

防災意識は、官民とも都市部とは異なる。
特に自然災害については、意識も対策も格差がある。

限界集落である地域では、何事もじっとして頭の上を
通り過ぎて行くのを待つ。

そんな形で自らを守ることを、代々受け継いできたことが
行政に向けての権利としての要求が出て行かない結果と
なったのであろう。

しかし、暑い。
畑の植物も、枯れないで耐えてくれている…。
学ぶべきことは多い。
posted by 弘心 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月19日

舞鶴港

????????男は波止場へ 来るたびに
過去への階段 下りるのか
その名も舞鶴 風吹く港
俺は魅かれて ここへ来た


????????煙草の赫い火 ブイの灯か
セピアに霞んで 海が鳴る
立たずむその先 連絡船の
姿見えたよ 幻の


????????男と女の 舞台幕
下ろしたとでは もう開かぬ
おまえのその夢 その行末に
なぜに報いて やれぬ奴

????????死ぬ気で生きれば 誰だって
いい日来るもの 見えるもの
その名も舞鶴 旅立つ港
俺もここから もう一度

今年の三月に、TEICHIKU RECORDSから出た曲である。
作詞坂口照幸、作曲弦 哲也、組曲前田俊明氏の作品。

歌手は、三田りょう、低音で歌うメロディーは、
日本海独特のうす曇りのなかのどんよりとした
物悲しい雰囲気の曲。

しかし、よく聴いてみると、舞鶴港の雰囲気を
よく表しており、「岩壁の母」とは、又、一味違った
演歌である。

今から、五十年ほど前に、大阪の中央公会堂で、
審査委員長に当時の人気歌手、林伊佐夫氏が来られての
大阪で初めてのど自慢大会があった。

二百人が喉をきそった。朝十時から始まって、終わったのが
午後四時位までかかったので良く覚えている。

予選を勝ち抜き、本選で二位になった。
同じ歌を歌えば、一位だったと想う。自分だけが曲を
変えた結果であった。

その時は、三浦光一の「東京の人」を歌ったように思う。
今、その時のことを思って舞鶴港を聴くと、
東京の先進都市の華麗な詩と、舞鶴の詩。その違いが
良くわかる。

さすが、作曲家、弦 哲也氏である。
その地方の雰囲気をよく表している。私が以前にブログで
、ジエロのことを、歌謡界の救世師になると紹介、実現した。

その歌、「海雪」の中で「出雲埼」が出てくる。
出雲崎のある自治体は、挙ってレコードの売り上げに
補助金まで出すとのこと。

舞鶴もどうかな…。
詩が少し暗い…。ヒット曲としては少し無理なような…
しかし、応援したい。

この歌に、心惹かれるものがある。
とすれば、詩の持つ意味であろう。

男と女の織りなす恋の切ない心情…
言葉や理屈では、はかり知れない心の葛藤…
言語での表現には限界があることを知りながら
あえて言葉の綾を織りなす。

誰の胸にも、少しは触れる…
苦しい想い、切ない想い、どうにもならない想い…
そんな旋律が、心琴を揺さぶる…
心の襞に忍び寄るような感情が…

一つの場面として、演歌は、演じて見せてくれる…。
その中に、今の現実の自分を置いてみる…

心の若さである。生きる糧でもある。
posted by 弘心 at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月15日

伝承2

様々な方法でもって、心と體を一つにする方法を
説こうとする。
その伝え方がまた大変むつかしい。

「氣」についても、人の「こころ」から出る触手
としての「氣」と、天地煌然の「氣」があることを
認識する。

まず、「心の調和」。
何事にもとらわれないとは言うがなかなかそうはいかない。
しかし、「自然に振舞う」ことを意識することだけで
何も難しいことをくどくどと言わなくてもよい。

「自然」の意味は
・おのずからそうなっている様
・本性・本質
・造化の力によって成った一切のもの、すなわち、
 人間を含めた天地間の万物
・宇宙
とある。

「體全体に散らばって存在する「こころ」を、
正中心軸上にある下丹田の一点。その一点は宇宙の
中心であることを一瞬にして意識する
(心身統一合氣道でいう「氣の意思法」)

そして、「氣」はその一点から四方八方無限に外部に
向かって、迸って出て行く、そのことを意識する」

すなわち、「こころ」は常に内に向かおうとする、
「氣」は外に向かう性質を持っているのである。

次に、「體の調和」

「全身を弛緩させて、即ち、ゆったりとさせて、
宇宙から降り注ぐ垂線と自らの正中心軸とを一致させる
ように意識して、地と接する足の裏全体に均等に重みを
分布させて立つ」

自然の法則に従えば、全ての體の部分は地軸(地球の中心)
に向かって、降りている。
その法則にしたがうだけでよい。

體の各部があるべきところに在ると想えば良い。
唯それだけである。
そして、「こころ」が「體」を動かす、ことに帰着する

最後に、「対峙するものとの調和」

「存在する全てのものは、自然と絶対的関係のもとに
調和されている」まず、このことを認識する。

相対するものとの関係は、双方の「氣」が
交わることなく互いのこころの示すところに向かって
迸っていることをいう。

双方の「氣」が接触する時、二者間の調和は崩れる。

対峙する相手(攻手)が、此方(守手)に「氣」を
当ててくる時(調和を崩そうとするとき)、守手の
「氣」は、真っ向からぶつかることなく、「調和」の
方向(自然・天地・宇宙)に同化させる。

そのことは、相手を「地」に戻すことになる。
即ち、崩してやるのである。
そして相手は再生する。争いはない。

宇宙・自然と一体となることの序曲である。
自らの「氣」と天地の「氣」を同化させる、
すなわち、「我舞えば、天地舞う」のである。
posted by 弘心 at 23:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする