今日から北海道で世界G8によるサミットが始まった。
経済大国の綱引きが始まる。
各国の首脳に聞いてみたい。
「一滴の水」に何を想い、考えているのか。と。
環境問題は、まさに、「一滴の水」がその原点であろう。
我が国のマスコミが日本人が従来から持っていた精神
「もったいない」の言葉の意味としてではなく、別の意味
から啓発をしているのが不思議。
1人1人のCO2削減計画なるもので、節電、エネルギーの
無駄遣いを戒めている…。
今までの日本人には、当たり前のこととして、
「もったいない」としてあった。
今は、外国人がこの言葉の意味を感じて、本を出して、
説いている。
CO2と言えば、何か先進的な人間であるかのように…。
天地との共存を望み、天地に生かされていることを
何時になれば、人の心の中まで入るのであろうか…。
天地(宇宙・大自然・創造主・神…)との調和が崩れたとき、
初めてその試練を受けて氣付くのであろうか…。
過去に学びたい。
2008年07月07日
大地に学ぶ
朝から、畑の草ひきをする。
作業にはタイミングが必要。
余り早すぎると、「ブヨ(1oほどの吸血昆虫」にかまれる。
赤く腫れてかゆい、掻くと血が出る。治るのに一週間は
掛る。夕方も駄目である。
大地にしっかりと、根を張り、引き抜かれまいとする。
それを小さな道具を使って、引き抜く。
指先に氣を通して、軽く攫む。そして腕の筋肉はあまり
使わない。
肩甲骨を用いる。すると、疲れない。
體の根幹、すなわち、體幹を天から降りる垂直線に入れる。
その姿勢は崩さない。そして腕、肩、足、腰を自在に使う。
そのためには、全身の骨格を意識して、必要な骨を用いる。
骨を意識して、上下左右にゆする…。
體内の筋肉は、必要に応じて応えてくれる。
抜いた草は、やがて又、大地に帰る。そして、土となり、
作物を育ててくれる…。
感謝である。
畑に立った時、私は天地をムスプ垂直線とともある…
即ち自らの正中心軸(正しい體幹)を得る…。
宇宙の中心の一点を、下腹に意識しだす…
全身にある心が、その一点に集まる…
天と地から、無限の氣が入るのを意識する…
體のチャクラーが微妙に振動を始める…
宇宙との一体感…。
そうなると、體には疲れがない…
體の動きが、波動が、體に備わった自然の
動きに同調する…。
鍬を剣に変えて大地に振り下ろす…
大地は快く迎えてくれる…
「合氣」への入り口である…。
作業にはタイミングが必要。
余り早すぎると、「ブヨ(1oほどの吸血昆虫」にかまれる。
赤く腫れてかゆい、掻くと血が出る。治るのに一週間は
掛る。夕方も駄目である。
大地にしっかりと、根を張り、引き抜かれまいとする。
それを小さな道具を使って、引き抜く。
指先に氣を通して、軽く攫む。そして腕の筋肉はあまり
使わない。
肩甲骨を用いる。すると、疲れない。
體の根幹、すなわち、體幹を天から降りる垂直線に入れる。
その姿勢は崩さない。そして腕、肩、足、腰を自在に使う。
そのためには、全身の骨格を意識して、必要な骨を用いる。
骨を意識して、上下左右にゆする…。
體内の筋肉は、必要に応じて応えてくれる。
抜いた草は、やがて又、大地に帰る。そして、土となり、
作物を育ててくれる…。
感謝である。
畑に立った時、私は天地をムスプ垂直線とともある…
即ち自らの正中心軸(正しい體幹)を得る…。
宇宙の中心の一点を、下腹に意識しだす…
全身にある心が、その一点に集まる…
天と地から、無限の氣が入るのを意識する…
體のチャクラーが微妙に振動を始める…
宇宙との一体感…。
そうなると、體には疲れがない…
體の動きが、波動が、體に備わった自然の
動きに同調する…。
鍬を剣に変えて大地に振り下ろす…
大地は快く迎えてくれる…
「合氣」への入り口である…。
一滴の水に宇宙をみる
若州一滴文庫へ行った。
福井県大飯町にある。
作家水上勉氏が主宰されているを若州人形座の
拠点として、また宗教・美術・文学などの資料
展示する施設として約7000uの敷地に建設された
ものである。
水上氏の想いは、子供たちが本を読むことで人生や
夢を拾ってほしいということ、文庫の名称にもなっている
「曹源一滴水」の思想を顕彰するすることに在る。
大都市に建っているようなものはいらない。
都市の物まねはいらはいらない。
小屋でいい、という水上氏の想いをもとに建築された。
谷間に溶け込んでいくような佇まいの建物、
人を包み込み展示物がバックとして充分な役割を果たし、
互いに協調し合い、見る者に訴えかける空間をめざし、
それにふさわしい材料・工法が選ばれている。
(因みに、この建築物は、1990年に
中部建築賞を受賞している)
施設としては、本館を中心に、竹人形館、
くるま椅子劇場、竹紙工房、六角堂、茅葺館、庭園で
構成されている。
捨てられる竹の皮、笹を煮て紙をつくり、その紙から
人形の面をつくる。
竹ひごで作られた頭部に面をつけられて、竹で作られた
人形の手足。
着物を着せられて、命を吹き込まれて
様々な表情で演ずる人形。
まさに、捨てられるものからの再生である。人形が
いきる。
捨てられる一滴の水は、万物を育てる命をもっている。
雨は、水蒸気となった雲から、地上に落ちてくると一般的に
云われているが、ある説には、実は雨は、
宇宙の彼方から下りてくる。
その一滴の中には、万物の生命が入っていると…。
今年の注目すべく若手女性歌手。青山テルマの曲が
流れてきた。最愛の人に聞いてもらいたいと。
「
そばにいるね」
…どんなにはなれていても、いつもこころのなかにいるよ…
「
何ども」
…なんどもなんどもきみをおもって、未来をおもった…
福井県大飯町にある。
作家水上勉氏が主宰されているを若州人形座の
拠点として、また宗教・美術・文学などの資料
展示する施設として約7000uの敷地に建設された
ものである。
水上氏の想いは、子供たちが本を読むことで人生や
夢を拾ってほしいということ、文庫の名称にもなっている
「曹源一滴水」の思想を顕彰するすることに在る。
大都市に建っているようなものはいらない。
都市の物まねはいらはいらない。
小屋でいい、という水上氏の想いをもとに建築された。
谷間に溶け込んでいくような佇まいの建物、
人を包み込み展示物がバックとして充分な役割を果たし、
互いに協調し合い、見る者に訴えかける空間をめざし、
それにふさわしい材料・工法が選ばれている。
(因みに、この建築物は、1990年に
中部建築賞を受賞している)
施設としては、本館を中心に、竹人形館、
くるま椅子劇場、竹紙工房、六角堂、茅葺館、庭園で
構成されている。
捨てられる竹の皮、笹を煮て紙をつくり、その紙から
人形の面をつくる。
竹ひごで作られた頭部に面をつけられて、竹で作られた
人形の手足。
着物を着せられて、命を吹き込まれて
様々な表情で演ずる人形。
まさに、捨てられるものからの再生である。人形が
いきる。
捨てられる一滴の水は、万物を育てる命をもっている。
雨は、水蒸気となった雲から、地上に落ちてくると一般的に
云われているが、ある説には、実は雨は、
宇宙の彼方から下りてくる。
その一滴の中には、万物の生命が入っていると…。
今年の注目すべく若手女性歌手。青山テルマの曲が
流れてきた。最愛の人に聞いてもらいたいと。
「
…どんなにはなれていても、いつもこころのなかにいるよ…
「
…なんどもなんどもきみをおもって、未来をおもった…
2008年07月05日
心の再生
「少(わか)くして学べば、壮にして為(な)すあり。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず」
佐藤一斉の言葉である。
幕末の思想家であり、教育者であった。
この言葉を残して、八十八歳の生涯を閉じた。
戦後六十年余の現在を見た時、我が国の人間、人物と
その生き様、そして人間関係、人心の荒廃は著しい。
立派な大人も目先の金儲けに翻弄され、将来を担う
青少年の学識ばなれ、そして本離れ、それに加えて
、逆境に生き抜く意欲、気構え、志の有無に危惧する。
佐藤一斉のように生涯にわたって学習をつづける
「志」を失い、これがあらゆる混乱・低迷の原因に
なっているのではないか。
私は、合氣武道を「止観」することにその基本的
心構えを説く。
「運命」を「立命」にする、基本でもある。
壮にして学べば、老いて衰えず。
老いて学べば、死して朽ちず」
佐藤一斉の言葉である。
幕末の思想家であり、教育者であった。
この言葉を残して、八十八歳の生涯を閉じた。
戦後六十年余の現在を見た時、我が国の人間、人物と
その生き様、そして人間関係、人心の荒廃は著しい。
立派な大人も目先の金儲けに翻弄され、将来を担う
青少年の学識ばなれ、そして本離れ、それに加えて
、逆境に生き抜く意欲、気構え、志の有無に危惧する。
佐藤一斉のように生涯にわたって学習をつづける
「志」を失い、これがあらゆる混乱・低迷の原因に
なっているのではないか。
私は、合氣武道を「止観」することにその基本的
心構えを説く。
「運命」を「立命」にする、基本でもある。
2008年07月03日
新しい村づくり
「ルーラル・アメニティタウン構想」この言葉を作ったのは、
もう、20年前位になる。
自然との共生・セミインディペンデンスな共同体・人間が
真の人間として尊厳を保ちながら、生きることの創造…
などをコンセプトにした。
自然の形態としての「ランドスケープ」は、
自然の法則(風・水・火・などが宇宙の動きと同化して
嵐風雨洪水火災などの現象によって、全てのものは、
水平に帰する動きをとる(すなわち、中心に向かって
集中する動き)。
しかし、私は逆に「再生」の形をとりたい。
自然とは、そのときどきの動き・働きに協調して、
一番バランスのとれた形をとろうとする。
その現象に逆らわないで、元の形に戻す。
そんな考え方をまず、ぺーパーロケーションで表現する…。
具体的には、自然を残し、山をつくり、池をつくり、
道はウッドブロックで覆う。、
樹木が道を守り、木漏れ日の中に佇む日本古来の
軸組み工法で組み立てられた木造の住居、太陽光と風力から
電力を取り出し、生活排水は全て七軒を一つにした
クラスターが協働で管理する合併槽と土壌浄化で行い
一切外部には排出しない。
一つの単位は250坪の土地に28坪の家が建つ。
その数は100戸。
約150坪の農園には、四季折々の野菜が作られ、
2本植えられたリンゴの木(総数200本)からは、
ワインが造られ、村の祭りに全員が食する。
百人が作る農業法人は、有機・無農薬・減農薬栽培。
生活者に直接販売する。その収益は公平に分配される。
そして、ルーラル・アメニティタウンは、その思想は、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとも共通する。
そして、陽明学とも…。
舞鶴市に対しては、人口増・税の増収・地場産業の育成・
地域資材の活用…など、総合計画の思想にも相容れる。
手法は、「地上型コーポラティブ手法」をとる。
進みだした。
、
もう、20年前位になる。
自然との共生・セミインディペンデンスな共同体・人間が
真の人間として尊厳を保ちながら、生きることの創造…
などをコンセプトにした。
自然の形態としての「ランドスケープ」は、
自然の法則(風・水・火・などが宇宙の動きと同化して
嵐風雨洪水火災などの現象によって、全てのものは、
水平に帰する動きをとる(すなわち、中心に向かって
集中する動き)。
しかし、私は逆に「再生」の形をとりたい。
自然とは、そのときどきの動き・働きに協調して、
一番バランスのとれた形をとろうとする。
その現象に逆らわないで、元の形に戻す。
そんな考え方をまず、ぺーパーロケーションで表現する…。
具体的には、自然を残し、山をつくり、池をつくり、
道はウッドブロックで覆う。、
樹木が道を守り、木漏れ日の中に佇む日本古来の
軸組み工法で組み立てられた木造の住居、太陽光と風力から
電力を取り出し、生活排水は全て七軒を一つにした
クラスターが協働で管理する合併槽と土壌浄化で行い
一切外部には排出しない。
一つの単位は250坪の土地に28坪の家が建つ。
その数は100戸。
約150坪の農園には、四季折々の野菜が作られ、
2本植えられたリンゴの木(総数200本)からは、
ワインが造られ、村の祭りに全員が食する。
百人が作る農業法人は、有機・無農薬・減農薬栽培。
生活者に直接販売する。その収益は公平に分配される。
そして、ルーラル・アメニティタウンは、その思想は、
ルドルフ・シュタイナーのアントロポゾフィーとも共通する。
そして、陽明学とも…。
舞鶴市に対しては、人口増・税の増収・地場産業の育成・
地域資材の活用…など、総合計画の思想にも相容れる。
手法は、「地上型コーポラティブ手法」をとる。
進みだした。
、
戻ってきた!
遅れてホタルが飛び始めた。
しかし、数は少ない。一時のように乱舞とまではいかない。
うれしい。
何故、例年より遅れているのか…。不思議。
明日は、上の畑に種を蒔く。
下肥えには肥料として毎年「ニームファーム」を使う。
ニームオイルを絞ったカスである。
これで土壌を活性化させる。
更に「ニームオイル(商品名よってこん)」を
定期的に噴霧する。
害虫が寄ってこないとともに、その生態、変態を阻止して
成長を止める効果がある。
定期的に施す肥料には「ニーム(商品名ドットナル)」。
これらは特定非営利活動法人都市問題総合研究所と
代理店契約をしている「四万十社」の製品である。
害虫には他社の製品より水に溶けやすく効き目が良い。
御かげで無農薬栽培が出来る。
人体には、無害であることは国が証明してくれている。
ミミズが驚くほど太く大きくなり、耕してくれる。
しかし、モグラがトンネルをつくる。ペットボトルで風車を
作って建てればその震動で防げる。
特にニームファームは、茄の苗の時の根切り虫や病原菌に強い。
御かげで、長い間収穫が可能となる。
「つるむらさき」が一面に芽を出している。間引いて
大きくする。
つるむらさきのお好み焼きは、美味である。
山菜には事欠かない。ノビルも花が咲き、種をつくり、
種を落としている。
二度目の新芽が出る。
これも、餃子やお好み焼き、炒め物として食する。
自然に生えたジャガイモも収穫出来る…。しばらくすれば、
茗荷が一面に出てくる。
山裾からの湧水は、小さな池に入り、池の下からの湧水と共に
洗い物、畑の水と恵みを与えてくれる。
これも何時かは、飲み水にしたい。
この土地の以前の持ち主は、飲料水として使われていた
歴史がある。名水とのこと。
池の傍にお地蔵さんがある。聞くところによると、
「目に効くお地蔵さん」とのこと。この水は腐らない。
先住者は、この水で目の病気を治されたという。
水をあげて、お願いをしている。どうか私と出会いを
させて頂いた人たちの目をお守りくださいと…。
社を新しくさせて頂くと約束をして、三年にもなる。
以前にも書いた。
今年こそ、材料は購入した。木を刻み、
ブロックを積み、屋根を葺き新しいところに入って頂く。
もう少しお待ち下さい。必ず今年はしますから…。
明日も、剣を鍬に持ち替えて、大地と対話する。
しかし、数は少ない。一時のように乱舞とまではいかない。
うれしい。
何故、例年より遅れているのか…。不思議。
明日は、上の畑に種を蒔く。
下肥えには肥料として毎年「ニームファーム」を使う。
ニームオイルを絞ったカスである。
これで土壌を活性化させる。
更に「ニームオイル(商品名よってこん)」を
定期的に噴霧する。
害虫が寄ってこないとともに、その生態、変態を阻止して
成長を止める効果がある。
定期的に施す肥料には「ニーム(商品名ドットナル)」。
これらは特定非営利活動法人都市問題総合研究所と
代理店契約をしている「四万十社」の製品である。
害虫には他社の製品より水に溶けやすく効き目が良い。
御かげで無農薬栽培が出来る。
人体には、無害であることは国が証明してくれている。
ミミズが驚くほど太く大きくなり、耕してくれる。
しかし、モグラがトンネルをつくる。ペットボトルで風車を
作って建てればその震動で防げる。
特にニームファームは、茄の苗の時の根切り虫や病原菌に強い。
御かげで、長い間収穫が可能となる。
「つるむらさき」が一面に芽を出している。間引いて
大きくする。
つるむらさきのお好み焼きは、美味である。
山菜には事欠かない。ノビルも花が咲き、種をつくり、
種を落としている。
二度目の新芽が出る。
これも、餃子やお好み焼き、炒め物として食する。
自然に生えたジャガイモも収穫出来る…。しばらくすれば、
茗荷が一面に出てくる。
山裾からの湧水は、小さな池に入り、池の下からの湧水と共に
洗い物、畑の水と恵みを与えてくれる。
これも何時かは、飲み水にしたい。
この土地の以前の持ち主は、飲料水として使われていた
歴史がある。名水とのこと。
池の傍にお地蔵さんがある。聞くところによると、
「目に効くお地蔵さん」とのこと。この水は腐らない。
先住者は、この水で目の病気を治されたという。
水をあげて、お願いをしている。どうか私と出会いを
させて頂いた人たちの目をお守りくださいと…。
社を新しくさせて頂くと約束をして、三年にもなる。
以前にも書いた。
今年こそ、材料は購入した。木を刻み、
ブロックを積み、屋根を葺き新しいところに入って頂く。
もう少しお待ち下さい。必ず今年はしますから…。
明日も、剣を鍬に持ち替えて、大地と対話する。
2008年07月02日
天地異変
環境問題が少しづつ表面化して、人々が意識しだした
ように感じる。
その役割にはマスコミの役割が大きい。
私どもが、知る情報は新聞・テレビ・ラジオ等を
媒体として受けてにわたる。
そして、安堵感も危機感もその度合いに応じて、起伏する。
今、「G8サミット」に注目が集まった…。
しかし、「原油と食糧の双子の高騰」に翻弄されている。
今の世界の様態は、「土地や水、食糧、燃料などの
限られた資源をめぐる戦争は、人類の歴史が始まって以来
繰り返されてきた。
だが、そうした圧力が、地球上のほとんどいたるところに
同時にのしかかってきたことはこれまでになかった
(朝日新聞主催地球環境シンポジウムにおける英国の
ベケット前外相の言葉)」このことに尽きるであろう。
少し違う視点から見てみたい。
人間が起こす様々な事件や現象と、地球いや宇宙・自然が現す
現象がある。
このことには因果関係がないように思われて論じられる
場合が多い。
私はそうは思わない。私は合氣武道の解説でよく
「宇宙との調和」という言葉を吐く。
この宇宙に存在するものは、「総量不変の法則」にある。
人のいう現世と来世においても同じである。
すると、化石燃料の枯渇化、化石燃料の多量使による
CO2の増加、そして地球の温暖化。
温暖化による干ばつや日照りは、人間の生き死にかかる
主食物の生産を著しく減少させる…。
温暖化によるものは、それだけではない。海面が上がる。
農地が減る。
感染症の流行地図が変わるなど、災厄の拡大…、
大規模な人口移動の誘発…など、
限りなく、現状を変えようとする力が働く。
そうであろう。人の體に例えれば、病原菌の侵入には、
體を熱く、高温にして抵抗する。
さらには、體の骨格を再調整してそれに立ち向かう。
さまざまな體自身を変化させて元の状態に戻そうとする。
最近の自然災害、中国四川省の激震・我が国の東北地震・
季節感がない温度の変化・海流の変化が及ぼす魚の異変…。
人間においては、若者の無差別殺人、尊属殺人の激化。
仕事社会にあっては、弱肉強食の露な現象、
人間の尊厳性の壊失、
具体には、秋葉原の殺人事件など、食品偽装問題、
偽装請負問題、企業トップの資質の欠如…。
政治においては、議会制民主主義の崩壊、不信、
官僚腐敗、特に、後期高齢者医療問題、
おしぼりタクシーなど…。
まさに末期症状を呈している。
この不調和をどのようにして、修復するのか…。
もう人智では無理であろう。
動物がからだについた、余分な水滴を全身を振り動かして、
飛ばすように、地球も行うであろう。
関東にあっては東京大地震、東海地震、関西では、
京都の花折れ断層・黄檗断層、和歌山沖の南海トラフ、
大阪中心の上町断層…これらの地震はいつ起こっても
不思議でない状態にある。
このまま負の連鎖が続けば、世界で大規模災害が
それも同時多発的に起こるのではないか…。地球を元の姿に
戻すために…。
獣が身ぶるいするように…。
その時、初めて自然に対する畏敬の念が認識されるのではないか。
ように感じる。
その役割にはマスコミの役割が大きい。
私どもが、知る情報は新聞・テレビ・ラジオ等を
媒体として受けてにわたる。
そして、安堵感も危機感もその度合いに応じて、起伏する。
今、「G8サミット」に注目が集まった…。
しかし、「原油と食糧の双子の高騰」に翻弄されている。
今の世界の様態は、「土地や水、食糧、燃料などの
限られた資源をめぐる戦争は、人類の歴史が始まって以来
繰り返されてきた。
だが、そうした圧力が、地球上のほとんどいたるところに
同時にのしかかってきたことはこれまでになかった
(朝日新聞主催地球環境シンポジウムにおける英国の
ベケット前外相の言葉)」このことに尽きるであろう。
少し違う視点から見てみたい。
人間が起こす様々な事件や現象と、地球いや宇宙・自然が現す
現象がある。
このことには因果関係がないように思われて論じられる
場合が多い。
私はそうは思わない。私は合氣武道の解説でよく
「宇宙との調和」という言葉を吐く。
この宇宙に存在するものは、「総量不変の法則」にある。
人のいう現世と来世においても同じである。
すると、化石燃料の枯渇化、化石燃料の多量使による
CO2の増加、そして地球の温暖化。
温暖化による干ばつや日照りは、人間の生き死にかかる
主食物の生産を著しく減少させる…。
温暖化によるものは、それだけではない。海面が上がる。
農地が減る。
感染症の流行地図が変わるなど、災厄の拡大…、
大規模な人口移動の誘発…など、
限りなく、現状を変えようとする力が働く。
そうであろう。人の體に例えれば、病原菌の侵入には、
體を熱く、高温にして抵抗する。
さらには、體の骨格を再調整してそれに立ち向かう。
さまざまな體自身を変化させて元の状態に戻そうとする。
最近の自然災害、中国四川省の激震・我が国の東北地震・
季節感がない温度の変化・海流の変化が及ぼす魚の異変…。
人間においては、若者の無差別殺人、尊属殺人の激化。
仕事社会にあっては、弱肉強食の露な現象、
人間の尊厳性の壊失、
具体には、秋葉原の殺人事件など、食品偽装問題、
偽装請負問題、企業トップの資質の欠如…。
政治においては、議会制民主主義の崩壊、不信、
官僚腐敗、特に、後期高齢者医療問題、
おしぼりタクシーなど…。
まさに末期症状を呈している。
この不調和をどのようにして、修復するのか…。
もう人智では無理であろう。
動物がからだについた、余分な水滴を全身を振り動かして、
飛ばすように、地球も行うであろう。
関東にあっては東京大地震、東海地震、関西では、
京都の花折れ断層・黄檗断層、和歌山沖の南海トラフ、
大阪中心の上町断層…これらの地震はいつ起こっても
不思議でない状態にある。
このまま負の連鎖が続けば、世界で大規模災害が
それも同時多発的に起こるのではないか…。地球を元の姿に
戻すために…。
獣が身ぶるいするように…。
その時、初めて自然に対する畏敬の念が認識されるのではないか。
2008年07月01日
モディリアーニ展
6月30日、招待を受けていた大阪北区中之島にある
国立国際美術館へ行った。
内覧会・開会式・レセプションへである。
毎回招待して頂き、一般の方より、一足先に見ることが
出来ることは大変うれしい。島学芸課長には感謝で一杯。
しかし、不思議な絵である。モディリアーニの絵については、
何故か首の長い顔の長い、しかも、全体的に統一体の
様相ではなく、身体の中心軸も何故か、もゃーっと
している印象しかなかった。
どこにそ魅力があるのか、もう一つ分らなかった。
今回、世界中から集められた油絵・素描約150点の
出展により、国内では過去最大級規模の展覧会である。
この大阪会場では、モディリアーニの最後の作品と
されている≪自画像≫が展示され、彼の原点から
代表作までの全容を知るのに素晴らしいものでした。
この展覧会を通じて、深く知ることが出来たことは幸せである。
モディリアーニは1884年に生まれて、20世紀初頭に
パリのモンテンパルナスで活躍した。
彼の創造の原点は、アフリカやオセアニア、
東南アジアなどの民族美術においている。
すなわち、プリミティヴイズム(原始主義)に端を発している。
彼が一時、彫刻に意識をもった。その題材は、
「カリアテッド」(建築用語で古くはアテネの
アクロポリスにあるアレクテイオンの人柱に見られるような、
リンテル(マグサ石)支える女性像をいう)であった。
私の絵画に対する少ない知識から察するには、
彼が描く対象物は肖像画が多い。
その意味もプリミティヴイズムに潜む人間の
深層感覚で捉えた「物の本質」を描こうとしたのではないか…。
浅学の予断と偏見ではあるがそのようにも想う。
その意味で婦人像を観ると、彼がパリで道行く
高貴で優雅な女性を飽きることなくスケッチしたことは
頷ける。
その肖像画には、何故か、ものありげな、意味を含んだ
表情と肢体であることも伺える。
(不謹慎ではあるが、先のカリアテッドの素描を
最初見た時、なぜか通天閣の「ビリケン」と
「ウルトラマン」の顔が思い浮かんだ…)
是非、この機会に会場に足を運んで頂きたい。国際美術館のこの素晴らしく企画された展覧会に。
国立国際美術館へ行った。
内覧会・開会式・レセプションへである。
毎回招待して頂き、一般の方より、一足先に見ることが
出来ることは大変うれしい。島学芸課長には感謝で一杯。
しかし、不思議な絵である。モディリアーニの絵については、
何故か首の長い顔の長い、しかも、全体的に統一体の
様相ではなく、身体の中心軸も何故か、もゃーっと
している印象しかなかった。
どこにそ魅力があるのか、もう一つ分らなかった。
今回、世界中から集められた油絵・素描約150点の
出展により、国内では過去最大級規模の展覧会である。
この大阪会場では、モディリアーニの最後の作品と
されている≪自画像≫が展示され、彼の原点から
代表作までの全容を知るのに素晴らしいものでした。
この展覧会を通じて、深く知ることが出来たことは幸せである。
モディリアーニは1884年に生まれて、20世紀初頭に
パリのモンテンパルナスで活躍した。
彼の創造の原点は、アフリカやオセアニア、
東南アジアなどの民族美術においている。
すなわち、プリミティヴイズム(原始主義)に端を発している。
彼が一時、彫刻に意識をもった。その題材は、
「カリアテッド」(建築用語で古くはアテネの
アクロポリスにあるアレクテイオンの人柱に見られるような、
リンテル(マグサ石)支える女性像をいう)であった。
私の絵画に対する少ない知識から察するには、
彼が描く対象物は肖像画が多い。
その意味もプリミティヴイズムに潜む人間の
深層感覚で捉えた「物の本質」を描こうとしたのではないか…。
浅学の予断と偏見ではあるがそのようにも想う。
その意味で婦人像を観ると、彼がパリで道行く
高貴で優雅な女性を飽きることなくスケッチしたことは
頷ける。
その肖像画には、何故か、ものありげな、意味を含んだ
表情と肢体であることも伺える。
(不謹慎ではあるが、先のカリアテッドの素描を
最初見た時、なぜか通天閣の「ビリケン」と
「ウルトラマン」の顔が思い浮かんだ…)
是非、この機会に会場に足を運んで頂きたい。国際美術館のこの素晴らしく企画された展覧会に。
2008年06月30日
産みだす苦しみ
本格的梅雨の様相になってきた。
畑もまだ半分の仕上げ。
畑を耕していると、水路のところでガサガサと音がする。
何かと思ってふと見ると、ウリボウが餌を探している。
一瞬、「とつてやろう!」意識が働く、近づいても逃げない。
親から逸れた子供であろう。
追い詰めると、じっと体を硬くして縮まっている。
そして、こちらを見る目が何故か愛くるしい。
ほっとけば、又、畑を荒らされる。
今までの被害が頭をよぎる。
しかし、彼らとて、ただ本能にまかせて、
自然の中の食べ物を探しているだけである。
人間様の勝手で、ただ敵対ししているだけであろう。
山へ追い返した。ボタン鍋を逸した…。しかし、
今の猪は、食べごろではない。脂がなく、
食に向かないようである。
食べる氣はない。生き物をの命を絶つことに、
拒絶感が非常に強い。
全てが生きている。人間もその中の一個だから…。
第一回舞鶴心身統一合氣道表武大会が無事終わった。
残念ながら、全員の参加は望めなかった。
子供クラスは二人の参加のみであった。
高槻からもK君が子供と参加してくれた。感謝である。
五年近く経つ。継続は力なり、の言葉通り
、大変上達された。
はじめに、私から、弘心館合気道の基本的考え方を話、
その目的とするところ、さらには、精神的位置づけを話した。
会員が「守手」「攻手」にたって體技を表武した。
その合間に、私が求めるものを具体的に説明していく。
舞鶴市へドイツから来られたいた数人が、市の方に連れられて、
見学、
體技・剣技・杖技等を終えた。
最後に五人以上を相手にする多人数掛けを行った。
合氣会も心身統一合氣道会、その他の合氣道も大体、
パターンは定まっている。あらかじめ決められた形を取る…。
今回は、全く新しい形を作り出すことにした。
しかし、不発に終わる…。
難しいものである。
一人でも受け身を取ろうとする者が
いてはいけない。如何に相手を倒そうとするか、の
「機」がなければならない。
體技などの単体の技は、全て、見直し、再建した。
しかし、多人数掛けでの「守手」として新しいものを
生み出すことは出来なかった。
しかし、理路的には完成している。
如何にして、調和を崩してくる複数の相手を、
地に崩すかが
課題である。
楽しみが増えた。
次回では、あっというものを見せたい!!!
畑もまだ半分の仕上げ。
畑を耕していると、水路のところでガサガサと音がする。
何かと思ってふと見ると、ウリボウが餌を探している。
一瞬、「とつてやろう!」意識が働く、近づいても逃げない。
親から逸れた子供であろう。
追い詰めると、じっと体を硬くして縮まっている。
そして、こちらを見る目が何故か愛くるしい。
ほっとけば、又、畑を荒らされる。
今までの被害が頭をよぎる。
しかし、彼らとて、ただ本能にまかせて、
自然の中の食べ物を探しているだけである。
人間様の勝手で、ただ敵対ししているだけであろう。
山へ追い返した。ボタン鍋を逸した…。しかし、
今の猪は、食べごろではない。脂がなく、
食に向かないようである。
食べる氣はない。生き物をの命を絶つことに、
拒絶感が非常に強い。
全てが生きている。人間もその中の一個だから…。
第一回舞鶴心身統一合氣道表武大会が無事終わった。
残念ながら、全員の参加は望めなかった。
子供クラスは二人の参加のみであった。
高槻からもK君が子供と参加してくれた。感謝である。
五年近く経つ。継続は力なり、の言葉通り
、大変上達された。
はじめに、私から、弘心館合気道の基本的考え方を話、
その目的とするところ、さらには、精神的位置づけを話した。
会員が「守手」「攻手」にたって體技を表武した。
その合間に、私が求めるものを具体的に説明していく。
舞鶴市へドイツから来られたいた数人が、市の方に連れられて、
見学、
體技・剣技・杖技等を終えた。
最後に五人以上を相手にする多人数掛けを行った。
合氣会も心身統一合氣道会、その他の合氣道も大体、
パターンは定まっている。あらかじめ決められた形を取る…。
今回は、全く新しい形を作り出すことにした。
しかし、不発に終わる…。
難しいものである。
一人でも受け身を取ろうとする者が
いてはいけない。如何に相手を倒そうとするか、の
「機」がなければならない。
體技などの単体の技は、全て、見直し、再建した。
しかし、多人数掛けでの「守手」として新しいものを
生み出すことは出来なかった。
しかし、理路的には完成している。
如何にして、調和を崩してくる複数の相手を、
地に崩すかが
課題である。
楽しみが増えた。
次回では、あっというものを見せたい!!!
2008年06月23日
グレシャムの法則
今から約40年前、自分の存在について想い悩んだ時期があった。
「個の存在」についてである。
文学書などでは解決しなかった。洋書に頼るしかなかったが、
それもまた不発に終わった。
子供の頃から、合氣武道を学んできたことが、
その意味を武道に求めて行った。
合氣会での修行も行き詰まりを感じた。
力の強いものには、技が掛らなかった。
何故か、本部での指導者は手頸が異常に太く、
余計に技が掛りにくかった。
聴く所によると、腕をビール瓶で叩いて鍛えているとのこと。
「米糠二合持つ力があれば合氣道は出来る」とは間違いでは?
合氣道の稽古では、どうしても力での技であり、
ギクシャクして上手くいかない。
そんな日々が続いたある日、総師範部長の籐平先生が
辞めて行かれた。
盛平翁亡きあとの後継者は、合氣道十段の
籐平先生との噂があった。
(技術は籐平光一氏、運営は植芝吉祥丸氏との役割分胆)
しかし、理事会ではそうはならなかった…。
その後心身統一合氣道を創設され、合氣道から「氣」をとれば、
ただの踊りだ。と説かれる籐平光一氏について、
一から学び直した…。
今、良かったと思っている。
長年続けていくうちに、體が自然の動き、
もともとDNAが持っていた體の動きに目覚めていった。
「力の合氣道」から「氣の合氣道」…しかし、
不思議なものである。
本物の合氣道を求めで、全国から集まったあの熱気は
何だったのか。
師は、「氣」を練りあうことの需要さを説かれた。
そして、技の乱れを防ぐために30の体技を造られて
いまに至っている。
しかし、今、本物であるべく「合氣道」が、「氣が出ている」
「技の大きさ」「リズム」の三つを標榜して、
派手なパフォーマンスをしている。
何故なのか、「氣」という言葉と「臍下の一点」だけが
一人歩きして、それだけで合氣道が分かったつもりに
なっているからである。
「氣」を練ることなど、どこかに行ってしまった。
さらには、體の基本の動きに対する體の各部分の
正しい遣いかたについて充分でないからである。
今、「合氣」を会得し、あらためて振り返った時、
合氣道はまだ完成されたものではないことがはっきり分かった。
弘心館合氣道の求めるところは、三つある。そして進化している。
「錬氣」…氣を練り合うこと。そのためには、全身の各部を
正しく遣うとともに、206の骨と500ある筋肉
(特に體の中の筋肉を意識して正しく遣うことにある。
そして「合氣」を会 得することにある。
「表武」…武を表すこと。(静體技・動體技・流體技として)
「實践」…教えの本質を、社会に実生活にいかすこと
そして、その精神性は「陽明学」に置くことは言うまでもない。
すなわち、「知行合一」である。
「個の存在」についてである。
文学書などでは解決しなかった。洋書に頼るしかなかったが、
それもまた不発に終わった。
子供の頃から、合氣武道を学んできたことが、
その意味を武道に求めて行った。
合氣会での修行も行き詰まりを感じた。
力の強いものには、技が掛らなかった。
何故か、本部での指導者は手頸が異常に太く、
余計に技が掛りにくかった。
聴く所によると、腕をビール瓶で叩いて鍛えているとのこと。
「米糠二合持つ力があれば合氣道は出来る」とは間違いでは?
合氣道の稽古では、どうしても力での技であり、
ギクシャクして上手くいかない。
そんな日々が続いたある日、総師範部長の籐平先生が
辞めて行かれた。
盛平翁亡きあとの後継者は、合氣道十段の
籐平先生との噂があった。
(技術は籐平光一氏、運営は植芝吉祥丸氏との役割分胆)
しかし、理事会ではそうはならなかった…。
その後心身統一合氣道を創設され、合氣道から「氣」をとれば、
ただの踊りだ。と説かれる籐平光一氏について、
一から学び直した…。
今、良かったと思っている。
長年続けていくうちに、體が自然の動き、
もともとDNAが持っていた體の動きに目覚めていった。
「力の合氣道」から「氣の合氣道」…しかし、
不思議なものである。
本物の合氣道を求めで、全国から集まったあの熱気は
何だったのか。
師は、「氣」を練りあうことの需要さを説かれた。
そして、技の乱れを防ぐために30の体技を造られて
いまに至っている。
しかし、今、本物であるべく「合氣道」が、「氣が出ている」
「技の大きさ」「リズム」の三つを標榜して、
派手なパフォーマンスをしている。
何故なのか、「氣」という言葉と「臍下の一点」だけが
一人歩きして、それだけで合氣道が分かったつもりに
なっているからである。
「氣」を練ることなど、どこかに行ってしまった。
さらには、體の基本の動きに対する體の各部分の
正しい遣いかたについて充分でないからである。
今、「合氣」を会得し、あらためて振り返った時、
合氣道はまだ完成されたものではないことがはっきり分かった。
弘心館合氣道の求めるところは、三つある。そして進化している。
「錬氣」…氣を練り合うこと。そのためには、全身の各部を
正しく遣うとともに、206の骨と500ある筋肉
(特に體の中の筋肉を意識して正しく遣うことにある。
そして「合氣」を会 得することにある。
「表武」…武を表すこと。(静體技・動體技・流體技として)
「實践」…教えの本質を、社会に実生活にいかすこと
そして、その精神性は「陽明学」に置くことは言うまでもない。
すなわち、「知行合一」である。

